20140623

 独歩の息子の国木田虎雄とはからずもめぐりあったことから、私たちの別の運命がはじまった。改造社と、春陽堂から、円本の日本文学全集が出てしのぎをけずっていた最中で、文士たちの最初のゴールド・ラッシュであった。虎雄も父の印税がつかいきれず、新しい細君といっしょに、ホテルぐらしをして、競馬で金を蕩尽していた。私に、上海へ案内してくれないかとたのみこんできた。彼としては、大方費い果して底のみえてきた残金のあるうちに、せめて上海でもみてきたいというつもりらしかった。
「そんな金は、つかって失くしてしまうよりしかたがあるまい。オーケストラが始まったら、笛や、太鼓だけを途中でやめてみても、そのオーケストラは、終りまでつづくよりしかたがないように金を使い出したら止め処がないものだよ。失くなったところで気持はすっとするし、そこから又次の新しい人生がはじまるというものだよ。ケチな根性を起して、小銭を残しておこうなどという料簡は、わるい思案だ」わるい先輩の私は、そう言って若い者をそそのかした。
金子光晴『どくろ杯』)



 5時起床。歯を磨き顔を洗い部屋でストレッチをした。おもてに出ると肌寒くTシャツいちまいでは風邪をひきそうだった。パンの耳2枚とホットコーヒーの朝食をとった。こんなにも美味いホットコーヒーを飲んだのはひさしぶりだと肌寒さの効能を思った。昨日付けのブログをとっとと更新して「G」に着手した。6時から8時過ぎまでひたすら細かな修正に取り組み手こずりつづけた。集中はできたが進展はならず。そんな日もある。枚数変わらず252枚。改稿は189まで。
 労働。午前中は先週とおなじくひたすらエアコンのフィルター掃除にはげんだ。昼休憩のときに近所のコンビニに出かけてオムライスとプリンを買った。店内は作業服の肉体労働者でごった返していた。オムライスの容器は上げ底だった。ぜんぜん足りなかったので職場の米と梅干しと味噌汁を追加した。午後からは例のごとく追われまくりの大忙しだった。とちゅうからEさんも加わってくれたので若干ゆとりができた。いったいいつまでこの大忙しが続くのだろうかとみんな思っていた。休憩時間中はJさんと小学生レベルのくだらんことばかりしゃべっていた。Mくんが来てくれるんはじっさい助かるけどJさんがその分はしゃいで疲れてまうから考えもんやわとBさんがいった。Bさんもじぶんも休みの日であるところの金曜日のJさんはすごくおとなしくてしずかという話をSさんが暴露したのでみんな笑った。
 タイムカードは18時に切ったが、Eさんらと残ってしゃべっていたために結局19時近い帰り道となった。おもてがそれでも明るいのに感銘を受けた。あかるい午後七時が大好きで、もう五年か六年も前、それをテーマにひとつ詩は書いたこともある。「午後七時は明るいか」という一行がリフレインするものだった。
 帰宅して荷物をいったん置いてから徒歩でブルジョワスーパーにむかった。まだまだあかるい表通りだった。買い物袋をさげた姿が目立った。夕暮れ時のスーパーマーケットだと思った。仕事帰りの夕刻にこうしてスーパーに立ち寄って買い物をして、という勤めびとの典型をなぞっている状況に新鮮なよろこびをおぼえた。要するにこういうのが生活というやつなのだと腑に落ちた。悪くなかった、こうしてときたま参画してみるかぎりは。海ぶどうは売っていなかった。100円引き弁当と半額品の春巻きを買った。
 部屋にもどってから懸垂と腹筋をした。大忙しの仕事はジョギング代わりになるが、筋トレは筋トレできちんと継続していかないといけない。半額弁当と春巻きと納豆と冷や奴の夕食をとった。それからシャワーを浴びてストレッチをした。猛烈な眠気をおぼえたので翌朝早起きすることにしてとっとと眠ることにした。消灯は11時にも達していなかったはずである。