20140625

(…)今日でも上海は、漆喰と煉瓦と、赤甍の屋根とでできた、横ひろがりにひろがっただけの、なんの面白味もない街ではあるが、雑多な風俗の混淆や、世界の屑、ながれものの落ちてあつまるところとしてのやくざな魅力で衆目を寄せ、干いた赤いかさぶたのようにそれはつづいていた。かさぶたのしたの痛さや、血や、膿でぶよぶよしている街の舗石は、石炭穀や、赤さびにまみれ、糞便やなま痰でよごれたうえを、落日で焼かれ、なが雨で叩かれ、生きていることの酷さとつらさを、いやがうえに、人の身に沁み、こころにこたえさせる。恥多いもののゆくべきところではなさそうなものを、好んでそこにあつまってくるのは、追われもの、喰いつめもの、それでなければ、みずからを謫所に送ろうとするもの、陽のあたるところを逃げ廻る連中などで、その魂胆は、同色のものの蔭にかくれて目に立つことを避け、じぶんの汚濁を忘れようというところにあるらしい。私たち、しょびたれたコキュとその妻とが、この地を最初の逃場所に撰んだのも、理由のないことではないのである。殊更その夫には、おのれのあわれさとかなしさを、それほど意識しないですむためにも、敗けずに凄まじい悖徳者や、無頼の同胞のあつまるなかにまぎれ込んで、顔に泥んこを塗ってくらすことは、屈強このうえもない生きかたであった。
金子光晴『どくろ杯』)



 4時起床。歯を磨いて顔を洗ってストレッチをした。ワールドカップの日本対コロンビア戦が5時からだということを知ったのでどんなもんかと海外ウェブサイトのネット中継をながめながらパンの耳とホットコーヒーの朝食をとった。今野がイエローカードをもらってPKを決められたところで視聴をとりやめ、昨日付けのブログを投稿した。
 5時半から「G」に取りかかった。8時までねばって枚数変わらず252枚。改稿は200番まで。いきづまるたびにサッカー中継をのぞいて気分転換をするというのをくりかえしたのだが、合計で三度のぞいてみたその三度すべてが日本の失点シーンどんぴしゃだった。
 労働。午前中は廊下の掃除。午後からは例のごとく部屋掃除の下準備。ここ最近のいそがしさにくらべるとずいぶんとマシな一日だった。引っ張っていかれたふたりについて、仮に不起訴で終わるなら来月の三日には戻ってくることになるという情報が入った。YさんはまだしもTさんが戻ってくるとなるとこれはまためんどうなことになるにちがいないし、JさんBさんTさんみんながみんなその可能性に思いを馳せてはげんなり辟易もう勘弁してくれの顔つきになって押し黙る始末である。健康診断のために昼から遅れて出勤したEさんにむけて、いよいよ我慢のできなくなったBさんが結局あのふたりをどう処分することになるのかと問うと、もどってくるかこないかどちらともとれる答えかた、それもじぶんだけが答えを知っている状況に身を置いたときのEさんがときどきするような思わせぶりで焦らし気味な、そうしていくらか皮肉っぽいひとの神経を逆なでするようなはぐらしかたをしてみせたために、いまはそのときじゃないだろうと傍目でひやひやした。本音なのかなんなのかしらないけれども、おれのなかで答えは出ているみたいなことを口にしたそのせいで、それをいまじぶんたちに告げないということはようするにこちらの嫌がる答え、つまりふたりを復帰させるということなのだろうと、あとになって三人が話している現場に同席することになったのだけれど三人が三人そろってテンションがガタ落ち、完全なる意気消沈、ここ二週間の忙殺っぷりもすべてTさんが職場から去ってくれるための条件と思えばこそがんばれたものを結局はこれかよみたいなお通夜ムードになっていて、あまりにもあまりであるから調停者として彼らの本音をEさんにあますところなく伝えた(じっさい彼らのほうでもそうするのを期待しているふうだった)。伝えるなり、みんなどうしておれにそう直接いってくれないのだとEさんはいったが、それは不平不満をこぼす従業員のことをすぐにあしざまにいうEさんの日頃のありようを見ているからに決まっているではないかと伝えた。日頃めったに愚痴をこぼさないあのJさんでさえもがTさんにだけはどうしてももどってきてほしくないといっている意味を考えたほうがいい、じぶんにしろEさんにしろTさんと接する時間などたかがしれているけれどもみんなは違う、一日の大半を、というか一週間の大半をともに過ごしているのだ、みたいなことをいうと、でもあれっちゃうの、そんなんいうんもどうせ今日こんなんやからやろ(といいながら客入りの状況を示すモニター画面のほうに首をしゃくる)、これどうせまたいそがしなってきたら人足りひんゆうてブーブーいうだけちゃうの、と皮肉っぽくいってみせるので、このひと本気で知らないんだとあっけにとられた。なので、上にいるみんなの意見ははっきりしとりますよ、ほんなもん今日がどうのこうのちごうて最初の最初からですやん、だれひとり少なくともTさんには戻ってきてほしいて思うてませんて、いそがしなって人手も足りひんくて大変やけどもTさんおらんくなったこと思うたらまあイーブンやなくらいですからねみんな、ほんなんもうずっとまえからわかりきっとることですやん、と力を入れて告げると、そんなにもまずい関係になっていたのかといまさらの驚き顔でいってみせるので、ちょっとあきれた。Eさんはもうすこしひとの話をすなおに、勘ぐりありきで受けとめるのではなくてたまにはまっすぐに受けとめるべきだと思った。とくに相手が女性となるとことさら言い分を軽視するきらいがあって、これはEさんのみならずYさんTさんにも、というか職場の男性陣ほぼ全員にいえることである。とにかくミソジニーが強い。強すぎる。「しょせんは女」だとか「女なんてもんは〜」みたいな論法がいまだに大手をふってまかりとおっている。話しおえるとEさんはその場でふたりをすっぱりクビにすることに決めた。まがりなりにもひとさまの人生にそれ相応の影響をおよぼすことになる決断であるのでその点について若干のためらいがあるようだったし逆恨みの危惧も抱いているようだった。その気持ちはよくわかった。Eさんにも立場上むずかしいところがたくさんあるのだと、その点についてはほかの三人にすでに伝えてあった。三人をまえにしてはEさんをかばい、Eさんをまえにしては三人をかばい、そうしておそらくいずれ出てくるであろうふたりをまえにしては職場の決定をかばうことになるのだろうと思った。JさんはあいかわらずYさんにはもどってきてほしいと思っているようだった。Tさんはふたりとはぜったいに関わりたくないの一点張り。Bさんはどっちでもいいと思っているようにみえた(しかし同情よりすでに嫌悪感のほうが上回っているようでもある)。Eさんは仕事とは別の目的にかんしてYさんを引き止めておきたいと思っているふうにみえなくもなかった。こちらとしては別にどっちだってかまわないというのが本音であるが、ほかの同僚らとの関係のむずかしさやトラブルの頻出や空気のことを考えると(そしてそのあいだに入っていく面倒な役割をじぶんが負っていることを考えると)、Tさんにはただちに去ってもらったほうがいい、Yさんについても手癖の悪さや虚言癖といった問題点のいぜんはじぶんとEさんのあいだでだけひそかに共有されていたのが今回の一件を契機に同僚らのあいだにひろまってしまったことを思うと、ここはいったん去ってもらったほうがおたがいのためにいいんでないかという気がしないでもない。
 人手不足の話になったおりに、Fにいちど京都に出てきてうちで働いてみればどうかともちかけてみようと思った。閉鎖した系列店でFはかつてTといっしょにバイトをしていたことがあり、あらたにやってきたふたりのTさんについても面識があるしSさんのことももちろん知っている。これまで何度か彼の話を披露したことがあるため、EさんやBさんもそれはなかなかいい案じゃないのと乗り気である。ゆえに思いきって事情を告げるメールを送信したところ、すでに地元で働いているとの返信があったので、ぶったまげた。ニートじゃなくなっている! 話を聞いてみると、地元の図書館で司書として働いているらしかった。メールの文体もいぜんの健やかであったころのFのものに転じていた。よかったと思った。ほっとした。これを書いていていまほんのすこしだけ涙がにじんだ。
 18時にタイムカードを切って帰ろうとしたらものすごい夕立だったので雨の止むまで居残った。タイのスコールを思いだした。バンコク郊外でSといっしょにバス停にむけて走った。冷房のガンガンに効いた帰りの車内でふたりそろって凍えた。Sとチェンマイでわかれてもどったバンコクのカオサンで空模様があやしくなりはじめるやいなや露店をたたみはじめるひとびとのせわしなさをながめた。まもなく降りだした。ゲストハウスにもどるとちゅうだった。セブンイレブンで雨宿りした。ひとりでセルフサービスのホットコーヒーを飲みながら、じぶんたち以外に真夏のタイでホットコーヒーを飲んでいる人間に結局出くわさなかったと思った。
 雨の止んだところでおつかれさまですとあいさつして職場をあとにした。皮膚にべとべとまとわりつく雨上がりの空気をきりさきながらケッタを漕いで家路をたどった。まだまだ明るい夕暮れ時だった。リュックを背負っていなくても背中に汗をかいた。車もバスも歩行者も自転車も、みんながみんな家路をたどっているとちゅうのようにみえた。雨に濡れた紫陽花の花が路上に接吻していた。
 帰宅してから発芽玄米・インスタントの味噌汁・納豆・めかぶ・塩茹でした鶏もも肉・トマトとレタスのサラダをかっ喰らった。眠気に朦朧となりながら風呂に入った。部屋にもどりストレッチをした。腰が重くて鈍くていたかった。とても疲れていると思ったが、それが単純な肉体の疲れなのか睡眠不足生活の祟ったものなのか、それとも自由に使える時間のままならないここ二週間にたいする鬱屈といらだちの転化された実感なのかわからなかった。ブログをここまでなかばうつらうつらしながら書きつけた。だれかに恋をしているときみたいにすごくせつない気持ちが不意に湧いた。出所のわからない感情だった。労働の日々に神経がぴりぴりして情緒不安定になっているのかもしれない。生理のときの女性というのはこういう感じなのかもしれないと思った。だとしたらそれはやっぱりとてもたいへんなことだ。22時かそこらに床に就き、消灯した瞬間に気絶した。