20140703

(…)私が三日置、四日置にこの老人をたずね、それほど興味もない彼をいびってたのしむのは、私としては、あまり屢々、例のないことであった。しかし、私の性質の底の底には、幼いころから記憶を辿ってみると、たしかにそういういやな根性ももっていないわけではない。そういういやさを中頃から非常に意識するようになって、その素ぶりを人にみせないように必要以上に気をつかって、物わかりのいいジャンティルな人物を装って、その実績あつめに骨を折ってきたのも、それに一種のたのしみを感じていたればこそのようである。また、私のように気まぐれなだけで実意の乏しい人間ほど、えてして親切を掌のうえでもてあそぶもので、ときにはまた、ほんとうに親切である時もあるようだ。屢々、心にもない善意にじぶんからたぶらかされて、俺はそんなわるい人間ではないかもしれないといい気になることもあった。
金子光晴『どくろ杯』)



 4時起床。ひどい腰痛の確信が起きぬけと同時にあった。水場で口をすすぐために前屈みになるとあやうさが走った。この域まで悪化したのはひさしぶりだった。念入りにストレッチをしながらきのうの労働のためだろうかと考えた。たしかにきのうはいつもよりたくさん階段をのぼりおりしたし、重い荷物を持ち運びもした。それにくわえて帰宅後には筋トレまでした。きのうの時点ですでに腰痛のきざしはあった。痛みというよりは鈍い重さ、凝りとも張りともつかぬものがたしかにわだかまっていた。それだから寝床に就いてからしばらくOさんから借りた中山式の快癒器を背中や腰に押し当てたままうつらうつらしていたのだったが、あるいはその反動もあるのかもしれないと考えた。いずれにせよひさびさに日常生活にさしつかえのでるほどの腰痛だった。Eさんにコルセットを借りなければいけないと思った。
 パンの耳とコーヒーの朝食をとってから昨日付けのブログを投稿した。そうして5時半より「G」の作文にとりかかった。8時前までかけて延々とたったひとつの断章をいじりつづけたが、それでも結論を導きだすことはできなかった。あいかわらず麻痺の呪縛から抜け出すのがうまくない。思いきって後回しにしてみせる気軽さがじぶんには足りない。書くという行為にたいしてシリアスになりすぎている。
 小雨の降るなかをケッタに乗って職場にむかった。途中コンビにでおにぎりを四つと小川珈琲を購入した。今日はJさんが休みなのでその分はやめに出勤して掃除の下準備をいくつかしておかなければと考えて早めに家を出たのだったが、職場に到着するとすでに全部屋Eさんが片付けてまわったあとだった。午前中はまるまるポップの入れ替えとシャンプーの補充に費やされた。昼休憩の前におにぎりをすべてたいらげ、レッドブルをジョッキにそそいで一気に飲んだ。そうして一時間の昼休憩をまたもや「G」に捧げた。部屋を使わせてもらってもよかったのだが、それだとWi-Fiが使えないので、待機部屋の畳敷きにひとり腰かけてイヤホンで音楽を流しながら集中して取り組んだ。物音や話し声はイヤホンでふせぐことができたし、近くを行き来する気配も外での作業に慣れっこのこちらとしてはたいして気にならず、テーブルについて談笑する同僚らのわきでとても快適に作業に没頭することができた。251枚。221番。
 こちらのまなざしと液晶画面のあいだにぬっとさしはさまれたTさんの手によって、休憩時間を終えてすでに15分が経過していることを知った。あわててiPodMacを片付けていると、先生すごいね、とBさんがいった。なにがすか、とたずねかえすと、うちらがアホな話ばっかしとんのにぴくりともせえへんからな、すごい集中力やなって話しとったんやで、というので、いやいや会話はぜんぶ聞こえてましたよ、アレでしょ、Jさんの悪口でしょ、と当てずっぽうでいった。テーブルの上にはじぶんの財布が置きっぱなしになっていた。それを隠してMくんそっちに集中して気づいとらんかったけどさっきYくん来たでっていうたらどんな反応するやろなってEさんが言うとったよと聞いて笑った。ほんとうにアホな話だった。体重をはかったら57キロに落ちていた。60キロに達したあの日はいったいなんだったのか!
 午後からは例のごとくいたちごっこだった。Eさんに借りたコルセットを装着したうえで、客の出た部屋をひたすら駆け回った。とちゅうからEさんとタッグを組んでざっと片付けた部屋から順にベッドを張っていった。手を動かすのと同じくらいたくさん口も動かした。パクられたふたりをネタに不謹慎きわまりないブラックジョークを飛ばしあいながらも要所要所でなぜかバキの名台詞をはさむなどして(「独歩ちゃん……わたしのスーパーマン!」「神心会空手三段、末堂篤ってモンだ……今日は死んだっていい」「刃牙め……色を知る年齢(とし)かッッッ!!」)、はあはあ肩で息をつきながらもゲラゲラ笑うというせわしなさだった。とても楽しかった。そして疲れた。
 18時にタイムカードを切ってあがった。小雨と強風の帰路だった。例の商店街をまた通った。このルートがどんどん好きになりつつあった。二軒あるスーパーのどちらにも立ち寄らなかった。冷蔵庫にはきのう購入した食材がまだたくさんあった。毎日たくさんひととあってたくさんしゃべってたくさん動きまわっていると思った。こういうのが生活の典型なのだろうと考えると、これはこれでいい経験なのかもしれないとも思った。おもえば絵に描いたような生活とはちょっとかけ離れた時間割に従事しつづけた二十代だった。労働を中心にした生活とはこういう感じなのかとはじめて腑に落ちた。ただし、これとてしょせんは災害ユートピアの効果にすぎない、なにもかもがまだ目新しくあらわれてみえるこの特権的なひとときにのみゆるされた興趣でしかないことは重々承知している。終わりが保証されていてはじめて楽しめる生活というものがある。Sとの二ヶ月間もそうだった。
 帰宅後、玄米・みょうが納豆・もずく・にんにくと塩で茹でた鶏もも肉・水菜とセロリとトマトのサラダをかっ喰らったのち風呂に入った。追い炊きして湯船にゆっくりと浸かった。書きわすれていたが、きのうだったかおとといだったか、脱衣場で服をぬいで風呂場に入ろうというところで、開けっ放しになっていたガラス戸のむこうに設えられてあるベッドの暗闇から大家さんの歌声が聞こえてきたことがあった。Kさんの撮影したドキュメンタリー映画のなかでも歌っていたもので、軍歌なのか戦時歌謡なのかいずれにせよその手の歌であるように思うのだけれど楽曲名は定かでない。旋律が特徴的だからほかで耳にすることがあればきっとあの歌だと反応することもできるのだろうけれど、と、ここまで書いたところで気になってきたのでググってみたりYouTubeで軍歌関連のものを探してみたりしたのだけれど見つからない。大家さんの歌声はしわがれていて調子はずれで、けれどけっこうしんみりとくるところがある。ぜんぜんタイプはちがうはずなのにどことなく朝崎郁恵の歌に耳をかたむけているときのような感情をおぼえもする。歌声という単位でみたとき、男声は女声に勝てないという気がときどきする。
 部屋にもどってから念入りにストレッチをしたのち、ここまで一気呵成にブログを書きつけた。右手の中指の第一関節のあたりをいつのまにか切っているようなのだけれどおぼえがない。勤務中だとしたら変な黴菌が入っていないかどうかなかなかけっこう心配ではある。22時半消灯。