20140704

 会うことと別れることがかたみ代わりの人生で、哀傷気などしだいに少い人間になっていった私だったが、私達を舟まで見送ってくれた北沢君とのこの世での交渉が、それで断絶とは予想もしなかった。この旅のかえり路で、香港に立寄ったとき、彼はもう居なかった。その前の年に、本省に帰任ときまって喜びのあまり彼は、送別宴の夜、屋上のてすりに腰掛けて風に吹かれていて、からだの中心を失い、石だたみの上に墜落し、うすい貝殻のように頭を割って死んだということであった。若妻を一人のこして。
金子光晴『どくろ杯』)



 まずめざましで5時半に起きた。このところずっと睡眠不足だったからか、眠気がひどかった。風邪気味だったし腰痛も悪化していたから、大事をとってもういくらか追加で眠ることにした。次にめざめると6時半だった。身体を起こしてからうつらうつらしつつ歯を磨き顔を洗った。部屋にもどってストレッチをしようという段になっても眠気が目の奥のほうで泥のように堆積していてかたくなだった。二つ折りにして壁際によせてあった布団のうえに倒れこむなりものすごく疲れているじぶんを実感した。そのまま眠った。何度かのめざめをはさみつつ結局9時まで起きることができなかった。またもや11時間近く眠ったというわけだった。平日の早起きと肉体労働のツケが休日にまわってくる、こんな馬鹿げた話もなかった。出勤日数を減らしてもらうという話、やはり受けるべきなんではないかと枕元に積まれたまま手をつけたおぼえもない書籍の山を見て思った。「A」を発刊してまもないうちにうまく死ねたらよかったとわけのわからない想念がよぎった。
 ギシギシうなる関節をゆっくりとのばした。腰痛はあいかわらずひどかった。悪化こそしていないとはいえ、一朝一夕の対処療法でどうこうできるものではないと経験的にわかった。この感じだとしばらくは苦しめられることになる。筋トレもひかえるべきなのかもしれないが、それはそれで身体がなまってよろしくない気がした。完治を待っていたらおそらくなにもできない。単純に寝過ぎただけで身体の節々が痛いのであればいいのだがとありえない楽観にも立ってみた。パンの耳とミルクの朝食をとると10時半をまわっていた。
 英語の問題集をバッグにつめて家を出た。図書館にいって延滞のかかっていたマーヴィン・ゲイを返却し、それからビブレにいった。70歳になったP(米国帰り)にケッタを停めて地上に出た。フレッシュネスバーガーに行くつもりだったが、そのまえに前を通りかかっていたスタバがガラガラだったのを認めていたのでそちらにむかうことにした。「スタバは女の子といっしょに!」の大原則? そんなものは捨てた。規則は自覚の域におよんだそばから放棄されるべきである。
 通りに面したカウンター席で11時15分から13時45分まで延々と口頭で問題集を解きつづけた。昼間のピークはどんなものかと思っていたが、満席になるほどではなかった。つまり、それ相応に使い勝手のよい場所をあらたに発見したというわけだった。カウンター席には中年の白人女性がひとり腰かけてパソコンを前にし、ときおり手元の参考資料をぺらぺらめくりながらなにやら執筆していた。平日の午前中という時間帯ゆえか、若者の姿はあまり見当たらず、年金暮らしの老人や手隙の主婦らしい人影が目立った。それでも正午をまわるころにはぽつりぽつりと若い姿も目に入りはじめた。低く芯の通った魅力的な声色の女性スタッフが、個人経営店で立ち働いているかのようなフランクな接客態度で常連客らしいひとびとと方言まじりの気さくなやりとりをしていて、このひとはきっとたくさんのひとに好かれるだろうと思った。一聴するとぶっきらぼうに聞こえなくもない響きの、媚びもへつらいもてんで含んでいないところがなによりよかった。必要があったらいつでも強気に出ることのできるトーンだったから、そういう意味でもうまい接客だと感心した。窓をいちまい隔てたむこうは通りに面したテラス席になっていて、テーブルが四つほどあった。そのうちのひとつにそろいの服を着た私立の小学生らしいふたりの男児が腰かけた。そばにはバス停があった。 待ち時間をやりすごすのにうってつけの座席を見つけたというわけかと、なんとなしにながめていると、 男性スタッフがおもてに出ていき、ふたりの男児に席を立つように言い諭しているのがみえた。窓いちまい隔てた口元の動きと表情から、敬語で接していると見当をつけた。彼女だったらきっともっとうまくやるだろうと、すでにその声の背後からとどかなくなってひさしい例の女性スタッフを思った。
 二時間もぶつくさやっているといい加減飽きてくる。問題を解く速度が低下しているのを自覚したところで店を出た。ビブレに入っているスーパーにいって食材を物色した。今月はリッチなのでふだんならちょっと買うのをためらわれる価格帯の野菜でも平気でほいほい籠に放り込むことができた。京都産の立派なオクラや200円オーバーの牛乳や卵付きめかぶ、それに総菜コーナーのカニクリームコロッケなどを買った。帰宅してすぐに夕食の支度にとりかかった。豆苗というやつをはじめて買った。根元だけ残して水に浸けておけば十日ほどでまた茎がのびるという説明書きがパッケージに印字されていたので、水をひたしたタジン鍋に株だけつけておくことにした。夢の永久機関である。納豆・冷や奴・卵付きめかぶ・塩茹でした鶏むね肉・豆苗と赤黄パプリカとオクラとミョウガのサラダを用意したところで冷凍庫のなかに玄米のストックがないことに気づいた。いまさら炊飯器のスイッチを入れて小一時間待つのもアホらしかったので、近所の総菜屋にでかけておにぎりを三つ買って主食とすることにした。これも週休二日制の働き者だからこそ可能な機転である。
 食事をとりながらウェブ巡回をし、眠気をもよおしたところで布団に寝そべった。あれだけ寝ても食後はやはり眠たくなるものかとなかばあきれながらアラームを設定し消灯した。15分の仮眠のつもりだったが、めざめると18時だった。ぐっすり眠ったという実感もあった。正確なところはわからないが、おそらくたっぷり一時間以上は眠っていたものと思われる。やっぱり疲れていると思った。
 風呂に入った。これだけたくさん眠ったら頭痛に見舞われるだろうと覚悟していたが、そうでもなかった。部屋にもどりゆっくりとストレッチをした。腰まわりがひどいことになっていた。しっかり食事をとらなければいけない。街着に着替えてから小便に立つと雨が降りはじめていた。すぐにやむだろうと判断し、部屋にもどってからもかまわず支度をととのえてふたたびおもてに出ると、案の定かさを差すまでもない小降りに転じていた。ケッタにのって(…)にむかった。
 店に着くなりカウンター席のいちばんレジ寄りの位置に腰を落ち着けてアイスコーヒーをオーダーした。どういうわけかこの席に着席する機会がいちばん多い気がした。そしてそれがためにふしぎに落ち着くところがあった。この席に着いたときはよく書けるという秘密のジンクスさえある。準備運動のつもりでひとまず今日付けのブログを冒頭からここまで一気に書いた。作業前にブログを書く効能はふたつある。ひとつは、これまでにも何度か書いた記憶があるが、小説執筆にいたる助走として頭を無理なく切り替えることができるという点、そしてもうひとつは、これはいままさに発見したばかりの効能なのだが、たとえば就寝前に一気呵成に書きとおすのにくらべて記述がずっと丁寧になり、印象的なできごとや風景をめんどうくさがらずきっちり書くことができるという点である。これは結果的に「G」に追加すべきあらたな断章の発掘につながる。それがおおきい。たとえばスタバの女性店員のくだりにしても小学生男児のくだりにしてもそれを目撃した当初は「G」に追加しようとは思ってもみなかったが、いまこうして日記としてそれ相応に丁寧に書きつけてみることによって、断章の一員として加わるにたるだけのポテンシャルをそなえていることを知ることができた。重要な発見だ。「G」にあらたな断章候補をくわえるのはひさしぶりだった。うらがえしにしていえば、ここ最近の日記はかなりなあなあになっていたということだ。生活のなかに垂直の瞬間を見出す解像度が鈍りっぱなしの日々だった。悔いあらためるべきである!
 22時半まで滞在して書きつづけた。プラス2枚で計253枚。218番まで。よく書けた。難所もきりぬけることができたし、あたらしい断章をくわえることもできた。パンの耳をもらってから小雨のなか家路をたどった。とちゅう薬物市場にたちよってカップ麺とオムライスを購入し、帰宅してから後者のみ食した。調べものをしていると0時半になったのでヘレン・ケラー片手に寝床に就いた。毎日が休日だったらいいのにとつくづく思った。ぜんぜん時間が足りない。週二日の休みじゃ本当になにもできない。2時消灯。