20141003

 一般に小説とは何をどう書いてもよい自由なジャンルであると言われる。しかしこの見解は誤っている。小説が小説であろうとすれば、必ず或る様式の拘束下に置かれることを余儀なくされる。小説には暗黙のルールがあるのであり、小説が自由なジャンルに見えるとすれば、それはルールが隠蔽されているからにすぎない。様式から離れたところで小説は成立しえない。新しい様式が生まれる場合でも、すでにある様式が、ひとつの傑出した作品の力によって内在的に変革される事態を意味するのであり、いずれにせよ、どのような作家であれ、ひとつの様式に拘束される不自由を引き受けるところから出発する他にない。ところが困ったことに、とりわけ「純文学」と呼ばれる分野に著しい現象なのだが、自分は様式性から自由なのだと錯覚する小説が後を絶たない。あるいは様式なんて関係ないとうそぶく小説が多くある。実はこれは単に様式性に無自覚なだけで、自分が束縛されている事実に気がつかないが故に自分が自由だと信じているだけの話である。
奥泉光『虚構まみれ』より「様式の追求と破壊」)



 10時にめざましで起きた。歯を磨いて小便をして顔を洗った。部屋にもどって布団を片寄せて空いたせまいスペースでストレッチをした。こちらの物音にTもめざめたようだった。きのうは夜のうちからずっと蒸し暑く、朝方に寝苦しさのあまり幾度か目のさめたほどだった。窓のない部屋に大のおとながふたり寝転ぶとなるとどうしてもそうなってしまう。ヨーグルトを食べてから一時間以上かけてきのうづけのブログを書いて投稿した。投稿し終わると12時になった。コンビニにいくといってTがおもてに出た。帰ってくると近所の弁当屋の袋をさげていた。こちらも食パンにベーコンとチーズをのせて焼いた。
 しばらく英語のクイズを出しあった。とちゅう音楽を流そうとしたところでiTunesのデータがすべてふっとんでいるのが発覚した。さいわい外付けHDのデータはすべて無事だった。空っぽになってしまったiTunesのライブラリに外付けHDに保存されているデータをあらためて追加する必要があったが、なんせ150GB近くある。いぜん似たようなことになったとき追加にかなり時間のかかった記憶があった(さらにいうならばそのさいいくつかの追加漏れが生じた苦い記憶もある)。とはいうものの復旧方法をほかに検索してみたところでこれ以外に対処のしようもないとみえる。漏れてしまうものは漏れてしまうでしかたないとあきらめ、追加を実行した。するとすぐにフリーズした。もういちど実行した。そのままパソコンには手を触れないことにした。
 祈る気持ちで家をでた。家にいたところでライブラリの追加過程が気になってほかになにも手につかないだろうからというおそれからだったが、かといって出向くべきところのあるわけでもなし、しかたがないので車のあるときはいつもなんとなくそうするようにセカンドストリートに向かうことにした。車内ではTのMP3プレイヤーからランダムで流れてくる音楽にあわせて拍子をとったり知っている楽曲が流れてきたら歌ったりした。セカンドストリートではジャーナルスタンダードのジャケットにひとつよいものがあった。試着してみるとサイズもぴったりであったし値段も安く三千円を切っていたが、結局買わなかった。TもTでいまは金を貯める時機だからといってなにも買わなかった。さてこれで行くところがなくなった。どうしようかと駐車場から動きだせないまま車内で話していると、大津にあるパルコにいこうとTが言い出した。たしかにせっかく車があるのであれば車でないといけない遠方に行くべきである。パルコだったらそれ相応のアパレルショップも入っているだろうとTはいった。大津のパルコにはおぼえがあった。南草津行脚のさいに建物の前を通った記憶があるのだ。
 大津までの道のりのあいだ、行脚の思い出をいくつか語った。ふたつの峠をこえながら地面に落ちている蝉の死骸を数えたこと、頭上に高速道路の走る山道を歩いているとふしぎになつかしい隠れ里のような集落に足を踏み入れていたこと、休憩するためにたまたま立ち寄った神社が蝉丸神社といって百人一首にもおさめられている和歌を詠んだ蝉丸という歌人を奉っている場所だったこと(「ペンネーム蝉丸にしよかなてあんときちょっと考えたんよな」)、大津駅前の平和堂をでて琵琶湖に達するまでの短い距離のあいだに猛烈な便意に見舞われて難儀したこと、近江大橋を歩いて渡ったこと、その先にあるジャスコカプリチョーザで夕飯をとりながらデーブリーンの『ベルリン・アレクサンダー広場』を読んだこと、ジャスコを出てから先の真っ暗闇の湖岸道路でこれまでの人生でいちばんといっていいほど強烈な「暗闇にたいする恐怖」をおぼえたこと(「カンボジア(のバッドトリップ)よりこわかった?」「断然こわかったな」)。
 景色に見覚えがあった。びわ湖ホールがあった。ピナ・バウシュの死後まもない時期におこなわれた公演がここであったが、チケットをとるだけとって結局出不精に負けていかなかったのもかれこれ三、四年前になるんでないか。パルコはすぐに見つかった。ほかによほどなにもない街なのか、車道にかかげられている標識の地図にわざわざ「パルコ」と書き記されているくらいだった。駐車場を探すのに手こずった。入り口をようやく見つけると二千円以上の買い物をしないと駐車料は有料になるとあった。最悪ここの本屋で英語の単語集を買えば問題ないだろうといって入った。二階の駐車場にとめてから建物のなかに入った。入ってすぐのところにインフォメーションが貼りつけられていたのでどんなショップが入っているのだろうと思ってながめるやいなや、なんやこれとTが吠えた。ユニクロ、GU、無印良品。まともなアパレルショップなどひとつもなかった。でもまあ滋賀やし正直こんな感じちゃうのと思っとったんやけど、といまさらながら打ちあけると、名古屋やべえ、名古屋すげえわ、とTはいった。名古屋のパルコはヒマを潰すにはもってこいの場所だったらしい。せっかく滋賀まで来ておきながらなにも見ずに帰るのもアレなのでとりあえず一階から順にものすごくやる気のない足取りでぶらつくことにした。ペットショップで子犬たちをながめた。沖縄物産展みたいなのがやっていたので(しかしこの程度の規模ならむしろなにもやらないほうがマシなのではないかというレベルだった)、ジーマーミ豆腐を探したがなかった。海ぶどうはあった。でも買わなかった。腕時計屋を一瞬だけ冷やかしてからGUに十歩くらい足を踏み入れてユニクロにも五歩くらい足を踏み入れた。それから無印良品でぜったいに必要のない家具のたぐいを本当にほかにやることのない人間に特有のだらしなさで見てまわり(「おれもしここの店員の立場やったらおれらが買う気まったくない客って一瞬でわかるわ」「さっきから物色がクッソ雑やからな」)、マフラーを試着している女の子がかわいかったので遠目にながめた(どうして鏡とむきあっているときの女の子の真剣な表情というのはあんなにも魅力的なのだろう!)。エスカレーターの登り口付近にビラ配りのアルバイトらしい女の子がいが、配る相手すら見当たらない閑古鳥っぷりに退屈をもてあましてか、チラシの束を手にした両手を前にさげながら子供のように上体を右に左にとぶらんぶらんとさせていてそれがまたすごくかわいかった。田舎でくすぶっている感じがたまらない。ここは退屈迎えに来て
 タワレコ紀伊国屋の入っているフロアにまで一気にあがった。エスカレーターからおりると楽器屋があったので冷やかした。大津までの車中でどういうきっかけからだったか、三十歳をめどにして小説家から音楽家に転身すればとTに冗談半分ですすめられたところだったが、いまからでも本気で音楽をやればそこそこのものになれるという自信はたしかにある。アイディア勝負の邪道が許されるのであればそこそこの域にだって達することができるだろう。鍵盤があったので腰かけて適当に弾いた。和音を左手で適当にならして右手で簡単なフレーズを反復するというのを延々とくりかえした。ミニマルそしてアンビエント。次にわざと不協和音ばかり鳴らした。それから単音から単音へのでたらめな移行をほとんどもったいぶったような緊張感でたどった。なんちゃってセリー音楽だ。なんちゃってメシアン、なんちゃってヴェーベルン、なんちゃってノーノ、なんちゃってブーレーズ、と心のなかでスイッチをきりかえながら指先を動かしているうちにものすごく熱中していた。ふと顔をあげると対面のTもまた手元の鍵盤を熱心にたたいてなにやらこちらよりもずっと旋律らしい旋律を奏でていた。こうやって即興で音を鳴らしているのがいちばん楽しい、なまじフリージャズやら現代音楽やらインプロヴィゼーションやらノイズやらそのあたりばかり手当たりしだいに好んで聴いていた時期がそこそこあったのでなにをどう鳴らしてみてもそれが「音楽」に聞こえてしまう。歓びであるとはむろんいいきれない。ここにはある種の息苦しさがある。自動筆記で書き散らしたテキストがそれでいてなお執拗に「意味」を結像してしまう構図。旋律からも意味からもひとは自由になれない。その不自由をひきうけること。ほんとうの前衛、ほんとうのアナーキーというのはそこからしか生まれない。みずからをとりまく不自由に気づかず自由の謳歌を自称している輩がアンダーグラウンド界隈には多すぎる。わたしはとっておきの馬鹿ですと名乗っているようなものだ!
 紀伊国屋に入って英語の参考書や問題集をながめた。ものすごい、ほとんど膨大といっていい数の書籍が発行されていたので、面食らった。英語学習というのはまったくもって一大産業である。いずれ購入する予定の書籍もいくつかあったので検分した。TOEICやらTOEFLやら英検やら英語に関連する資格だけでもいろいろあるみたいであるがそれらの資格試験ひとつにつき何十冊何百冊という関連書籍が発行されている。こうして資格資格資格とならべられてみるとほとんどオブゼッションのようですらある。資格には興味ない。じぶんの小説について説明できる程度のスピーキングスキルとそれ相応の小説を辞書なしで読むことのできる程度のリーディングスキルがあればいい。タワレコには入らなかった。入り口で立ちどまったTが、ほらもうこの時点でちがうやん、と目にみえる範囲に陳列されているもろもろの商品をあごでしゃくりながらいった。そのとおりだった。
 腹が減っていたので飯を食べることにした。インド料理屋があるのをインフォメーションで目にとめていたので面白そうではないかと向かったのだったが、なんとフードコートの一画にある店だった。がっかりしながらレストランのあるフロアをうろうろしているとカプリチョーザが目に入った。ちょうどさっきカプリチョーザの話題が出たばかりであるしTは入ったことがないというからまあいいんでないのという感じで入ろうとしたらそのすぐ近くにトンカツ屋さんがあって、日頃揚げ物を食べていないこちらの空腹がおおいに反応したので結局そっちに入ることにした。店内にほかの客の姿はなかった。19時をまわってもわれわれ以外に二組しか見当たらなかったのでこれほんとやべえなと滋賀の中心地で過疎化をなげいた。カツは美味しかった。揚げ物はその稀少度のために無条件に美味しく感じる。
 トンカツ屋に入ってすぐにEさんから電話があった。Jさんが仕事をサボったという報告だった。シフトを昼から夜に移せばどうかという提案にJさんは乗り気だった、同僚らにもちかぢか夜に移ることになるとニコニコして話していた、あの感じからいきなりバックレというのはまさか考えられないと思うが、とEさんはいった。シフト移動の提案をするまえに三日ほど休みがほしいと頼まれていた、その件については断ったつもりだったがなんせJさんは耳が悪い、あるいはこちらが了承したものと勘違いして休んだだけの可能性もある、そうであるとしたら明日も休みということになるだろう、ただし明後日も休みとなれば話は別だ、その場合はバックレがほぼ確定ということになる、そう続けた。続けたあとに、でもあしたはおれ休みとったからMくんよろしく、といった。下の子の運動会らしい。保育園最後の運動会なので出ておいたほうがいいのかなと思ってといった。
 食事をすませてから駐車場にもどった。もどるとちゅうで100円ショップに立ち寄りタオルと下着を買った。帰りに銭湯に立ち寄ることにしたのだ。くだりのエスカレーターのあるほうに向かうのにゲームセンターのなかをつっきったのだが、景品がヤッターメンだけのUFOキャッチャー(100円3プレイ)が目についてしまったので、やれ!やれ!元とれるからやれ!と無理やりTを急かしてじぶんは高みの見物を決めこんだ。Tは6つか7つのヤッターメンをゲットした。元はとれなかったが、当たりがまじっていたらあるいは総額100円を越えることもできるかもしれないという希望はあった。蓋をむいて内側をのぞくと、「はずれ」の文字すら印字されていなかった。とどのつまりゲームの景品用に別ラインで生産されているあたりはずれなしのブツらしい。金を払わすだけ払わせ、プレイさせるだけさせて、で、出てきた景品はこちらが次々にぱくついた。絶対王政
 駐車場に出て車に乗りこみ湖岸沿いをしばらく走ってからやがて峠に入った。あるいはそのまえにナビだかスマフォだかで見つけた銭湯にむかったのだったかもしれない。銭湯はお休みだった。近くにセカンドストリートがあったので入った。赤いスタジャンがあってなかなか気にいってサイズもぴったりだったのだけれどTにその赤はちょっと赤すぎると駄目出しをくらい値段も7000円オーバーだったのであきらめた(スーパーマリオみたいでちょっとカッコよかったのに)。かわりに中古のタジン鍋を800円かそこらで買った。蓋がシリコンという点だけ気にくわないが、直火もレンジもオーケーとなるとこれしかなかった。
 自動車道にのって気がつけばもう山科だった。またEさんから電話があった。Jさんと連絡がついたといった。夕方になってようやく職場に電話があったらしい。Sさんが出ると、緊急の用事があり朝から大阪にいっていたといった。朝にいちど電話をしたのだがだれも出なかった、昼ごろにも電話したがやはりだれも出ない、それでしかたなくいままで連絡をとることができなかったのだと弁明した。朝はMさんなのでたしかに居眠りをして電話に出なかったと考えられるし、昼は昼でSさんが受話器をとった瞬間に間に合わず切れてしまった着信がひとつあったというので、嘘ではないのかもしれない。それにじじつ大阪にはJさんの親友がいた。刑務所のなかで知り合ったひとだ。そのひとに最近も連絡をとったばかりだと、ふたりで串カツ屋に出かけたときにもたしかそう言っていた。EさんはYさんの暗躍を気にかけているようだった。たしかにその可能性もおおいにあった。無理して探りを入れる必要はないが、とEさんはいった、真相のもし知れることがあったらまた連絡してほしい。
 車中ではずっとカロリーの話をしていた。なぜこれほど筋トレをしているにもかかわらずなかなか身体がでっかくなってくれないのか、その答えはまずまちがいなくこちらの食生活にあるとTは指摘した。成人男性は一日につき二千数百キロカロリーを摂取する必要がある、身体を大きくするのであればできれば3000キロカロリーはとるようにしたほうがいい、と、これはかつて通っていたジムのトレーナーの言葉らしい。精進料理めいた食事内容から察するにお前はおそらく一日につき1500キロカロリー前後しか摂取できていないとTはいった。食えば眠くなる、眠くなると作業どころではなくなる、だから食いたくない、その一心で一日二食生活(それもそのうちの一食はパンの耳のみ)をずっと続けてきたが、これだと身体を動かしてもほとんど意味がない。自律神経が参りがちですぐに体調を崩したりちょっとしたことで気絶してしまうのもあるいはカロリーをきっちり摂取することで予防することができるのかもしれない(ただしこの点にかんしてはTは「小説書くときに追い込みすぎ」と指摘した)。銭湯の駐車場に車をとめると同時に覚悟が決まった。今日からしっかり食事をとることにする。眠くなったらそのたびごとに仮眠をとればいいだけの話である。とにかく米を日頃から炊きまくって冷凍庫に小分けしてストックしておき、間食として卵かけ御飯でもお茶漬けでもふりかけでもなんでもかまわないからとにかく食べる、米をもっとばくばく食べることに決めた。そうして年内にどうにかして60キロまで体重を増やすのだ!
 銭湯は比較的規模の大きいものだった。思っていたよりもずっとにぎわっていた。入浴料も七百円だかとられたが、ジャグジーあり露店あり源泉ありの温泉ですんばらしかった。肌がつるつるになってものすごく気持ちよかったが、Tは温泉効果でつるつるのぬるぬるになった肌がきらいだとわけのわからないことをいった。いつかの大晦日、TとFと三人で松阪の銭湯の出かけた夜のことを思い出した。Fは地元で図書館司書として働きはじめたと以前連絡をとったときにいっていたが、一年契約がうんぬんといっていたのを考えると来年の春頃にはまたニートに返り咲くことになるかもしれない。嫁さんをもらって仕事にもついて子供も産まれての順風満帆生活を営んでいる双子の片割れがちかぢか実家にもどってくるらしく、そうなるとさすがに居辛いから実家をでてどこかに移りたいと、そうTには語ったこともあるらしい。本人にその気がありそうしてこちらにもそれ相応の金があるのであれば、たとえばどこかに広い家でも借りて仕事が見つかるまで居候させてやることもできるんだが。野望を共有していた人間の心がくじけてしまっているのを目の当たりにするのはしのびない。そういうこちらにたいして、あいつはあんたとちごてそこまでアート一本でやってきたいって感じせえへんだけどな、とTはいった。
 若干のぼせた。更衣室にもどってから自販機で飲み物を買い、腰かけのうえにあおむけになってしばらく寝転がった。友達同士らしいまだ陰毛も生えそろっていない小学生らが手持ちのスマートフォンのロックを解除することができたとかどうとかいって盛り上がっていた。これで親にばれることなく安心してエロサイトに耽溺することもできるというわけだ思春期のボーイよ。体重をはかると食後ということもあってか58キロだった。Tは70の大台にのっていた。身長同じなのに!
 銭湯をでるとTがウィルキンソンジンジャエールを飲みたいと言い出した。あれはたしかに美味いが販売店がかぎられている。確実に在庫のある店をふたつ知っていたのでそのうちのいずれかにむかうことにした。そのまえにスギ薬局に立ち寄った。歯ブラシとヘアスプレーを買うTを車でひとりでぽつねんと待っているのもつまらないので用もないのに連れ立った。そうしてミネラルウォーターと400円近くするわけのわからない耳かきを買った。耳かきはすでに手持ちのものがある。なぜわざわざ新調したのかと問われればその場の勢いとしかいいようがない。
 堀川にできたイズミヤだったらきっとウィルキンソンジンジャエールも置いてあるはずだとしぶるTを無理やり説得し、わざわざコインパーキングに車を停めてまで立ち寄らせた。開店してすでに一年以上経つはずだったが、まだいちどもおとずれたことがなかったのでいちどなかをのぞいてみたかったのだ。Tさんがかつて語っていたとおり、一食で千円以上する高級レトルトカレーのたぐいがずらっと陳列されていた。じつに馬鹿馬鹿しい壮観だった。ジンジャエールは置いてなかった。ぶつくさ不平をいうTを尻目に、カロリーを摂取するべく半額品の焼きそばを買った。
 ウィルキンソンをとりあつかっているふたつのスーパーというのはサンプラザとフレスコだった。前者はすでにしまっているだろうとこちらがいうとあそこは24時間だとTが言い張るのでそれじゃあいっちょう確認しにいこうと通り道でもなんでもない店舗のほうにわざわざむかった。こちらの予想どおり閉まっていた。Tによるとひとむかしまえは24時間営業だったという。しかたがないので下宿にいちばん近いフレスコにいった。ここでもわざわざコインパーキングに車を停めた。バックで停めるときにタイヤのガリガリガリとこすれる音がした。おりて見てみるとホイールがすこし削れていた。帰りにパンクしないか不安だとTはいった。ジンジャエールは置いてあった。こちらはこちらでさらにカロリーを摂取すべく春巻きとドーナッツをそれぞれ半額で購入した。
 下宿にもどった。おそるおそるiTunesをチェックしてみるとライブラリへの書き出しが無事に完了していた。アルバムの10枚や20枚ひょっとしたら漏れてしまっているかもしれないがそれはそれとして見限るしかない。カロリーを摂取しながらネットで情報をサーチしてみるに、こちらの体重から計算してどうも一日につき2200キロカロリーは最低でも摂取しなければいけないみたいだった。身体を大きくするのであればこれにプラス500キロカロリーで合計2700キロカロリーが必要である。食事とトレーニングというのは6:4で食事のほうがむしろ重要であるという記述にぶつかったときには心底たまげた。生活を見直さなければいけない。一日1ビッグマックをモットーにする必要がある。文武両道の道はなんてきびしいんだろう!
 温泉に浸かって身体の芯がすでにほどけていたので食うものを食って寝自宅をととのえるやいなやふたりともすこーんと眠りに落ちた。