20230124

 そういえば、先日、学校でのあるトラブルをきっかけに、先生たちのことを「やっぱり実社会を知らない世間知らず」「一般常識がない」と揶揄する大人たちに出くわすことがありました。先生たちに何らかの瑕疵を見つけると、こういう形で見下す大人たちは多いです。
 でも、そういう人たちって企業主導の社会常識こそが現実であり、偉いと思ってるんですよね? でも、これは先生の仕事の要を全然理解できていないですよ。
 先生というのは、実社会を知らないからこそ(知っていてもそれを敢えて重んじないからこそ)子どもと関わる資格があるんです。実社会という狭い現実を上位に置くような教育では、子どもは育ちません。実社会の方が偉いと思っている大人は、規範的な価値観を教えることはできても、子どもに本質的な理想を語ることはできません。だから、学校の先生たちには、そんな批判に動揺することなく、こっちはもっと大事なことをやってるんだと超然と構えていてほしいと思うのです。
(鳥羽和久『君は君の人生の主役になれ』)



 12時起床。寝床でそのまま30分ほどぐずぐずする。部屋は寒いのだが、おもては晴天。阳台の日当たりのよい場所に椅子を出し、そこに腰かけて歯磨きしながらスマホでニュースをチェックする。天気予報を見ると、月末は最高気温が20度に達する模様。ありがてえ。ついでに地元の天気も確認してみたところ、今日の最低気温はマイナス10度、明日の最低気温はマイナス11度となっていて、は? となった。マイナス10度なんてこれまで一度も見たことがないぞとびっくりしたのだが、どうやら最強寒波と呼ばれているものが現在日本を見舞っているらしい。全然知らんかった。
 食パンを切らしているので、代わりに冷食の餃子を食す。いつも鍋で茹でて食うわけだが、蒸して食う方法もあるのだし、蒸し器はないけれどもタジン鍋と電子レンジで代用できるんではないかとひらめき、ためしにチンして食ってみることに。結果、食えんことはないが、まあ二度とせんわなという感じ。
 おとといづけの記事の続きにとりかかる。16時になったところでようやく書きあげて投稿。作業中はJapanの『Gentlemen Take Polaroids (2003 Remaster)』と『Tin Drum (2003 Remaster)』を流した。David Sylvian坂本龍一経由で知ったのをきっかけに過去いろいろと音源をディグってみたおぼえがあるが、Japanはこれまでノータッチだった。
 街着に着替えて外に出る。一階におりたところで、癇癪玉を鳴らすパーン! という音を耳にする。どこかで子どもが遊んでいるのだ。日本の駄菓子屋で売っているやつよりも火薬の量がはるかに多いのだろう、ほとんど発砲音のように聞こえる。
 自転車に乗って魔窟の快递に向かう。老校区の入り口で例のやる気のない守衛の姿を見かけたので、新年快乐! と通り過ぎざまにあいさつする。老校区もやはり閑散としている。日中の老校区を移動するたびに思うのだが、ロマサガ3のピドナ旧市街にそっくりだ。新校区とは異なり、煉瓦造りの建物があり、緑も多い。こちらや学生たちが住んでいる寮のようにコンクリートむきだしの殺風景で色味に欠けた外観ではなく、石造りか煉瓦造りか忘れてしまったが、外壁にさまざまな色彩のニュアンスが認められるどことなく西洋的で生活感のあるアパートが、ぼろぼろに朽ち果てているのだけれども不衛生や不潔という言葉よりも先に味わいとか歴史とかいう言葉で飾りたくなるよそおいでひしめきあい、ところどころを木漏れ日に染めている。アパートのすぐ前には、コンクリートではなく土の地面があり、草の地面があり、背の高い木々が植っており、色とりどりの洗濯物がその木の枝と枝のあいだにはられたロープに干されている。(…)さんが赴任した当時、外国人教師はこっちの寮に住んでいたという話を聞いたことがある。部屋はボロボロで、ねずみがしょっちゅう出るなどして大変だったらしいのだが、画になる暮らしは絶対にこっちだよなと思う。各部屋にはベランダがついているようであるし、椅子を置けばそこで読書することもできるだろう、そしてそのときはきっと木々の枝葉が直射日光をやわらかく妨げてくれることだろう。初夏の夜には小さなテーブルを出してランプを置き、蚊取り線香を焚きながら読み物や書き物したりするのもいいだろう。ベランダや窓があり、かつ、その先に木々があるというのは、それだけでうらやましいものだ。京都時代の最後の五年間は窓のひとつもない部屋で暮らしていた(とはいえ、水道もトイレも風呂もすべて屋外の共同設備だったので、外をのぞむかわりに外に出る機会はやたらとあったといえるわけだが)。
 魔窟の快递は閉まっていた。春節だからだろう。二日目から営業している后街の快递のほうがおかしいのだ。その后街を抜けるかたちで引き返す。きのうに比べると営業を再開している店もちらほらあるし、路駐している車もやはりちらほら点在している。(…)も以前阿姨から聞いたとおり、今日から営業再開。「新年快乐!」とあいさつして食パンを三袋買う。店を出るまぎわ、いつものように「慢走!」というだけではなく、今年一年がどうのこうのみたいな特別なあいさつがあった。
 南門を抜けて新校区にもどる。守衛のおっさんが本を読んでいた。めずらしい。中国の屋外で(スマホをいじるのではなく)読書している人間を見るのははじめてかもしれない。(…)さんだったか(…)さんだったか忘れたが、学生とどこかで待ち合わせしていて、先着したこちらが(Kindleではなく)紙の本を読んでいたとき、外で本を読んでいるのなんて先生くらいだからすぐにわかると指摘されたことがあった。
 今日も第三食堂から第四食堂にかけて迂回して寮にもどる。街路樹から落ちたブルーベリーみたいな木の実を自転車のタイヤが踏みつけるたびに、乾いた枝を折ったときのような音がいちいち派手にたつ。
 帰宅後はすぐにキッチンに立つ。春ねむりの「生きる」をひさしぶりにききたくなったので、これだけリピート再生しながらノリノリで米を炊き、豚肉とトマトとたまねぎとにんにくをカットしてタジン鍋にぶちこむ。
 食うものを食ったあとはベッドに移動し、Everything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)の続きを少しだけ読み進める。20分の仮眠をとったのち、浴室でシャワーを浴び、あがってストレッチをする。それからコーヒーを淹れて、きのうづけの記事にとりかかる。
 0時半になったところでいったん中断。麺を食し、みかんを食し、それからきのうづけの記事の続きをまたちょっと書く。1時半になったところで力尽きる。ベッドに移動し、ひとときだらだら過ごしたのち、就寝。