20230309

 まず、この本当の記憶について語ろう。文革時代の小さな町での生活は、暴力に満ちあふれているとは言え、退屈で重苦しいものだった。記憶によると、犯人が銃殺されるときだけ、町じゅうが節句のような賑わいを見せた。先に述べたように、当時はあらゆる判決が批判集会で下された。審判を受ける犯人は中央に立ち、胸の前に札を下げている。札には彼らが犯した罪が書かれていた。反革命の殺人犯、強姦殺人犯、窃盗殺人犯など。犯人の両側には、一緒に吊るし上げられる地主と右派分子、そして歴史的反革命分子と現行犯の反革命分子がずらりと並んでいる。犯人はうなだれ、腰を曲げてその場に立ち、自分に向けられた激しい批判の言葉を聞いていた。批判文の最後が判決だった。
 私が暮らしていた街は杭州湾のほとりにあった。批判集会はいつも県の中学校の運動場で開かれ、街の住民で埋め尽くされた。大きな札を下げた犯人は演壇の手前に立ち、うしろに県の革命委員会のメンバーがすわっている。革命委員会が指名した人がマイクの前に立って、大声で批判の言葉と最後の判決を読み上げた。犯人が縄でぐるぐる巻きにされ、背後に銃を持つ二人の軍人が威風堂々と控えている場合は、必ず死刑になると決まっていた。
 私は幼いころから中学校の運動場に立ち、何度も批判集会に参加して、拡声器から流れる激昂した声を聞いた。批判の言葉がどこまでも続く。前半は毛沢東魯迅の文章からの引用で、そのあとはほとんど『人民日報』の引き写しだった。冗長で、つまらない。いつも両足がだるくなるころに、犯人の罪状が読み上げられた。最後の判決は簡潔で、要点を押さえている。
 死刑に処し、直ちに執行する!
 文革時代の中国には裁判所がなく、判決が出たら上訴できない。世の中に弁護士という職業があることすら、聞いたことがなかった。犯人が批判集会で死刑を宣告されたら、上訴の時間などなく、直ちに処刑場に連行され銃殺された。
「死刑に処し、直ちに執行する」という声が響くと、ぐるぐる巻きの犯人は銃を持った軍人に引きずられ、トラックまで運ばれた。トラックの荷台には、実弾を込めた銃を担いだ軍人が怖い顔をして二列に並んでいる。トラックは海辺へ向かって走って行った。千人近い住民も一斉にあとを追う。自転車に乗ったり、走ったりして、黒山の群衆は海辺を目指した。私は幼児から少年になる間に、死刑になる犯人をどれだけ見たかわからない。彼らは自分の判決を聞いた瞬間、体の力が抜け、二人の軍人にトラックまで引きずられて行った。
 私はすぐ目の前で、死刑囚がトラックに乗せられるの見たことがある。うしろで縛られた犯人の手は恐ろしかった。縛り方がきつく、時間も長かったので、両手の血流は断たれていた。その手は想像するような青白いものではなく、どす黒かった。その後、歯医者になって得た医学知識によれば、そういうどす黒い手は壊死しているのだ。犯人が銃殺される前に、両手はもう死んでいた。
 犯人を銃殺する場所は、海辺に二つあった。北浜と南浜だ。我々町の子供たちはトラックに追いつけないので、事前に賭けをした。前回は北浜で銃殺したから、今回は南浜の可能性が高い。批判集会が始まってすぐ、子供たちは先に海辺へ走り出した。あらかじめ、有利な場所を確保しておくのだ。我々は南浜に着いたが、誰もいない。場所を間違えたと知って、北浜へ急いだが間に合わなかった。
 場所が的中したときは、間近に犯人を見ることができた。これは私の幼年時代で、最も心震える場面だった。実弾を込めた銃を担いでいる軍人は円形に並び、見物の群衆をさえぎる。銃殺を実行する軍人が膝の裏側を蹴ると、犯人は地面にひざまずいた。この軍人はそれから少し後退し、鮮血を浴びない位置に立ち、小銃を構える。犯人の後頭部に狙いをつけ、「パン」と発砲した。小さな弾丸の威力は、大きなハンマーをはるかにしのぐ。あっという間に、犯人は地面に倒れた。銃殺を実行した軍人は発砲したあと、歩み寄って犯人の死亡を確かめる。もし、まだ息があれば、もう一発お見舞いした。軍人が犯人の体を反転させたとき、私は全身に震えを感じた。銃弾は後頭部から入るときは小さな穴をあけるだけだが、前から出るときに犯人の額と顔をめちゃくちゃにした。その穴の大きさは、我々が食事をするのに使う茶碗の口ほどもあった。
(余華/飯塚容・訳『ほんとうの中国の話をしよう』)



 ドリルの音で目が覚めた。嘘やろと思いながらスマホで時刻を確認すると9時半前だった。上の部屋か下の部屋かわからなかったが、とにかく床をハツっているのは間違いない。案外すぐ終わるかもしれないと期待して二度寝をこころみたが、無駄だった、ドリルはしきりにうなった、枕元をゆらした。あきらめるしかない。
 歯磨きしながらスマホでニュースをチェック。(…)くんから微信修論の要旨だけもう一度チェックしてくれないか、と。了承。ドリルが轟音をたてるなかでカタカタして修正する。修正したものを送ったところで、街着に着替えて部屋の外へ。玄関の扉をひらいたところで、目の前の部屋の玄関の扉がひらいていることに気づく、床をハツる音がそこから響いてくる。工事は隣室だった。こちらの部屋の浴室を工事しているあいだ、風呂とトイレとキッチンと洗濯機を借りていたあの隣室だ。こちらの部屋とおなじく浴室の床がもしかしたら水漏れしているのかもしれない、それで現在母国でオンライン授業をしている外教がやってくるまえに直しておこうというわけで工事しているのかもしれない。
 第五食堂で打包。今日の最高気温は28度。やばすぎやろ。先週まで上下スウェットにダウンジャケットという部屋着だったというのに、これを書いているいま、すでに23時47分であるにもかかわらず、こちらは下こそおなじスウェットであるものの、上なんて袖も襟もだるっだるになったオーバーサイズかつ八部袖のTシャツ一枚きりだ。ひさしぶりにこのだるっだるの部屋着を着てみて思ったのだが、着心地というものだけにかぎっていえば、じぶんはこういうゆったりしたサイズ感の服が好きかもしれない。それも半袖より長袖のほうがいい、短パンよりもイージーパンツのほうがいい、布地が裸の皮膚の大半を覆っているにもかかわらずゆったりとしており、生地と皮膚のあいだに風がたっぷり通る、そういうものを身につけているときだけに感じる心地よさみたいなものはたしかにある。これまで夏場の部屋着はユニクロのTシャツかエアリズムだけだったけど、今年はそういうビッグシルエットでありかつアシンメトリーで裁ち落としみたいなTシャツをまとめ買いしてみるのもいいかもしれない。過ごしやすそうだ。イメージとしてはポンチョ、あるいは美容院で髪を切ってもらうときに装着する腕を通すタイプのエプロン。

 きのうづけの記事の続きを少し書く。13時をいくらかまわったところで身支度を整えて出発。さすがに暑いし、日差しもきつい。南門の近くの駐輪スペースに自転車を置き、そこから徒歩でバス停へ。バス停では先客の女子学生が数人いたが、みな日差しを避けてベンチには座らず、日陰の下に避難している。完全に夏だ。
 バスが到着する。乗る。いつものように最後尾の座席に腰かけ、『ラカン入門』(向井雅明)の続きを読み進める。途中、例によっておっさん教員ふたりも乗車する。ハゲのほうは移動中ひたすらスマホで動画をながめている(イヤホンなどは使わず、馬鹿デカい音量をそのまま垂れ流すという、田舎の老人スタイルだ)。それとは別に、途中乗車のおばやんと運転手が刃傷沙汰の喧嘩でもしとんけというレベルの大声で会話を交わしており、そこにまた別の乗客が加わる。おれなんでこんなバスにのっとるんやろ、と思う。服装も含めて、じぶんの場違いっぷりがはなはだしい。仮にこの車内の様子をカメラでゆっくりゆっくりパンしていくそのような映像があった場合、中国内陸のいかにもローカル感ある老人らがわちゃわちゃやっているその画面の端からいきなりサングラスとヒゲの外国人が最後部座席で背筋をぴんとのばして文庫本を読んでいる姿があらわれた瞬間、見るものたちみんな爆笑するんじゃないか? この絵面のシュールさに耐えられないんでないか?
 終点でおりる。売店でミネラルウォーターを買う。五階の教室に行く。授業開始までまだ15分以上あることもあり、先着しているのはほんの二人きり。そのうちの一人である(…)さんがちょっと気になる。彼女、いつも教室の前列のほうにひとりでぽつんと座っているのだが、そのようすが去年卒業したおなじ(…)の(…)さんと若干かぶるのだ。卒業間際に(…)くんたちから聞かされてはじめて知ったのだが、(…)さんは(…)さんをボスとするグループからいじめられており、それゆえに寮でも教室でも孤立し、授業も前列にひとりぽつんと腰かけて受けていたのだが、そのときの彼女とおなじ雰囲気を(…)さんから感じる(なんの因果であるか、ふたりとも学籍番号が一番であるし)。一年生は普通モチベーションがかなり高く、それゆえに授業もわりと前列の取り合いになるのであるが、このクラスに関しては初回から(男子学生はそうでもないのだが)女子学生が後部にかたまっており、かといってみんながみんなやる気のないわけではないし妙な感じであるなとちょっと気になっていたのだが、(…)さんがいじめられているのであるとすれば筋が通る。前列に着席する彼女と距離を置こうとする集団心理のあらわれみたいなものなのかもしれない。しかしそうだとすれば、めちゃくちゃかわいそうであるし、おめーらええ年してなにを子どもみたいなことしとんねんボコるぞカッペがという気持ちにもなるのだが、これらすべて現状こちらの勝手な想像にすぎないので判断を下すには時期尚早である。
 地獄の便所で小便だけすませる。学生らが続々とやってくる。先週と同じく男子学生がひとり作文をもってやってくる。添削してほしい、と。前回の日記でこの男子学生のことを(…)くんと書いた記憶があるが、そうではない、(…)くんだ。日本語は高一から勉強している。今日もってきた作文もかなりレベルが高く、修正箇所もわずかだったので、これは翻訳アプリを使って書いたのかとたずねると、使っていないという返事。たいしたもんだ! テーマは「携帯電話と私」みたいなアレで、(…)くん曰く、六級試験の作文問題だという。四級試験を飛び越えて六級試験の準備にすでに着手しているのかとおどろく。
 14時半から日語会話(二)。ほぼ完璧といっていい出来。前回は初回の通常授業ということもあり、学生らのほうでも段取りを理解しきれておらずやや混乱しているところがあったが、今回はまったく問題なし。(…)は毎学年そうであるのだが、男子学生が基本的にみんなフレンドリーかつ熱心なのがいいな。(…)の男子学生は半分くらいすれた感じがするのだが、(…)はだいたいみんな純朴な印象。女子学生はやっぱり(…)さんがいい。学生としてほとんど理想的な反応をていしてくれる。この子ひとりいるのといないのとではクラスの雰囲気全然違うでしょとすら思う。(…)さんもいい。にこにこにこにこしながらずっとこっちを見ている。このふたりは大学に入学してから日本語を学習しはじめた学生であるが、たぶん伸びるだろう。(…)くんと同じく高一から日本語を勉強している(…)さんは現四年生の(…)さんと雰囲気が似ているのですぐに顔と名前が一致したのだが、(…)さんと違ってやはりかなり優秀であるし、じぶんにとっては簡単すぎる内容だからといって授業をなめている雰囲気も全然ない。授業後には四級試験かN1かわからないが、読解問題についてひとつわからないところがあるといって質問をしにやってくるなど、やっぱり熱心な感じ。(…)さんは先週同様居眠り。彼女のほか、教壇から見て左後ろにかたまっている三人組も相当あやしいレベルだなという感じ。
 いろいろ盛りあがるのはいいのだが、例によって、盛りあがりすぎたせいで事前に用意しておいたアクティビティをする時間がマジでほとんどなかった。おれは! マジで! しゃべりすぎ! 思いついた面白エピソードを我慢できずその場でぜんぶしゃべってしまうのだ! ほんまもんのアホや! いや、まあ、考えようによってはこういうアレなのだから、学生からそこそこ高く評価してもらえているというのもあるのかもしれんが。卒業生の(…)さんからも先生の授業スタイルはいつも自由な雰囲気があるから好きですと言われたわけだし。

 (…)さんからの質問は説明するのがちょっとやっかいそうな文法事項だったので、ひとまずその場で簡単に解説はしたものの、帰宅後あらためて詳細を微信で送ると約束。授業後の教壇には(…)さんもやってきて、先輩が飼っているという猫の動画を見せてくれた。教室で学生らとやりとりしていたため、帰りのバスはいつもより一本遅れた。車内はやたらと混雑しており、特に孫を連れた祖母らしい姿が目立ったので、途中で席をゆずった。子連れの一群が一気におりたところで、あらためて着席したが、そんなこちらの右隣に腰かけた未就学児童か、あるいは小学校一年生か二年生くらいかわからんがとにかく幼い男の子が、乗車中ずっとスパイダーマンの真似をしており、指をあの独特のかたちにかまえてあちこちに向けるだけならまだしも、前の席の座席の背もたれを何度も蹴飛ばしたりして(そしてそのたびに抗議の目線を着席している若い女性が向けるのだが、保護者の祖母は知らんぷり)、行儀の悪いガキンチョやなと多少辟易した。(…)から大阪にもどる飛行機の機内で一度似たようなことがあったなと思い出した。あのときはたしか通りがかりのキャビンアテンダントを捕まえて、ちょっと後ろの子どもに注意してやってほしいと英語でお願いしたのだった。
 車内では(…)さんからの質問に答えるためにいろいろググった。(…)さんからは先ほど見せてくれた猫の写真があらためて送られてきていたし、さらに三年生の(…)さんからも微信が届いていたのだが、その内容というのがケージの中に入った边牧の幼犬を映した動画だった。ペットショップで買ったのだという。びっくりした。(…)さんが边牧好きであることは知っていたし、うちの(…)にも会いたい会いたいと何度も言っていたわけだが、まさか本当に飼いはじめるとは!
 終点でおりる。南門を抜けて自転車を回収し、いったん寮にもどる。道中、何度もくしゃみをする。花粉だなと思う。大陸で暮らしはじめてからというもの、二十年以上にわたって苦しめられてきた重度のスギ花粉とヒノキ花粉ととうとうおさらば、春という季節のすばらしさをほとんど生まれてはじめて知った感すらあったのだが、去年の春、とうとうこっちの植物の花粉にまで反応するようになってしまったのだ。とはいえ、去年と同程度であればそれほどきつくはない、スギ花粉とヒノキ花粉とは違って抗ヒスタミン薬さえちゃんと服用すれば問題なく過ごすことができるはず(そしてその薬については、去年薬局でまとめ買いしたものがまだ残っている)。
 自転車を寮に置いて第五食堂へ。打包。帰宅後、まずは(…)さんにくだんの文法事項を返信。さらに(…)さんと(…)さんにも返信する。(…)さんは猫だけではなく犬も好きらしく、口を塞ぐための道具をつけたうえで黒地に白抜きの文字で「(…)警犬」と記された防弾チョッキのようなものを着させられた警察犬の画像やどこかのメシ屋で撮影したものらしいコーギーの写真が送られてきた(中国ではやたらとハスキーとコーギーを見かける気がする!)。(…)さんとのやりとりは長々と続いた。彼女は定期的に連絡を寄越すが、基本的に用件以上のやりとりを長々と交わすことはそれほどない、そのはずだったのだがなぜか今日はやたらと話を続けようとし、さすがにちょっと面倒臭くなったので途中で放っておいてシャワーを浴びたのだが、それでもなおやりとりが途絶えず、ちょっと疲れた。しかしそんふうになったのはやりとりの内容がやりとりの内容だったからかもしれない。边牧はきのうペットショップで買ったらしい。2600元だというのだが、両親ではなく彼女自身が母親のために買ってあげたものだという。名前は(…)。メス。もちろんいまは実家にいるわけだが、両親はこれまでペットを飼った経験がない。いや、ペット飼育歴のないひとがボーダーコリーを飼うなんていちばんやっちゃいけないアレでないの? それで边牧を飼育する上での問題点や難しさについて言及すると、「だったら一刻も早く犬を引き取って自分で飼うことを考えます」「両親の付き添いにペットを飼うつもりでした」とあり、次の学期には寮を出て外でアパートを借りてそこで一緒に暮らす、場合によってはメーデーの連休中にひきとると続いた。それはそれでどうなんだろと思う。こちらは基本的に、ひとり暮らしの人間が(猫や小型犬はまだしも)活動量の豊富な犬を飼育するのはむずかしい、人間のためにも犬のためにもならないという考えである。だからこちらの指摘を受けて「自分が悪いことをしたような気がしてきました」という彼女が、「先生は飼いたいですか?」と責任丸投げかよみたいな質問をよこしたときも「ぼくは一人暮らしをしている間、ペットを飼うつもりはないよ」と応じたわけで、それよりも両親に犬の躾についてきっちりレクチャーをして、過度に甘やかしすぎないように締めるところをちゃんと締めるようにしたほうがいいと言ったのだが、(…)さんはじぶんが引き取って飼うといってひかなかった。もしかしたら両親はそれほど犬に興味がないのかもしれない、言い出しっぺの(…)さんに躾は全部任せるつもりでそれまでは適当な扱いをする気でいるのかもしれない——仮にそうなると、獣医や専門家がさじを投げる凶悪なボーダーコリーが十中八九できあがってしまうわけで、そういう意味ではやはり世話や躾をちゃんとやるつもりだという彼女がじぶんの手元に引き取ったほうがいいのかもしれないが、いやしかし、大学生が片手間に世話をすることのできる犬種か? 全犬種のなかでもっとも知能が高く、かつ、ハイパーアクティブと称される運動量の持ち主であるのだぞ? 朝晩毎日しっかり散歩できるか? メシ代だってなかなかバカにならない、本当にだいじょうぶなんだろうか? まあ経済面に関してはたぶんそれほど問題がない、というか(…)さんの実家はかなり裕福っぽく思われるのでアレだが、それにしても責任感のあんまり感じられないアレであるよなという違和感をおぼえる。そもそも飼育が難しいと知った途端、(冗談かもしれないが)いきなりこちらに飼育権をゆだねようとしてみせるあたり、普通にちょっと違和感をおぼえてしまうというか、それでいえば(…)さんが飼いはじめたばかりの犬を結局両親にあずけてひとり日本の大学院に進学したときもそれってどうなの? だったら最初から飼わないほうがいいんじゃないの? と疑問に思ったのだが。

 やりとりのあいだ、(…)さんは何度か夏休み中に日本に行くといった。最近彼女とやりとりするたびにかならずこの話題になる。最初は冗談で言っているだけなのかなと思ったものだが、ことあるごとにそう言うものだから、これどうもマジなのかもしれん。実家が相当裕福であるというこちらの見立てが正しければ、旅費くらいどうにでもなるのだろうし。日本に旅行に行くだけであればまだアレなんだが、なぜかこちらの故郷に来ようとする、というか実家をおとずれようとする、そして(…)に会わせろという。その話を今日も何度となくくりかえすので(「夏休みにお宅に(…)を見に行きます」「先生の犬の(…)は素敵です」「(…)は中国に熱烈なファン(私)がいることを知っていますか?」「他の生徒は(…)に会ったことがありますか」「先生が日本に帰ったら、必ず(…)を見に行きます」)、これマジかもしれんぞという警戒心がはたらき、いやあんな場所来るだけ時間の無駄だよと応じたところ、「私の出身地は小さな町ですが、そこはとても面白いと思います」「どこにも素晴らしい場所があると思います」とあり、さらに「(…)に食べ物を買ってあげたいと思ったらどうすればいいですか?」と続いたので、あ、これちゃんと釘を刺しておいたほうがいいパターンだなと思い、「ぼくは自分の故郷に対してちょっと複雑な感情があるので、他人を案内したいとはまったく思えないんだよ」と受けたのち、(…)に食べ物はあげなくていいからまずきみのうちの(…)にあげなさいと続けた。それでやりとりはようやく終わった。それまで怒涛のいきおいで送られてきていたメッセージが「それなら、いいです」で終わったので、もしかしたらふてくされたかのかもしれない。日本に旅行するのは彼女の勝手だが、こちらがガイドすることが前提になっているのはなんなんだろというか、まあそれは別にかまわない、それくらいのことだったらするつもりでいるけれど、それにしてもなんでよりによって地元に連れてこなあかんねんという話だ。だいたい日本に旅行するというけど、じゃあそのあいだ(…)の世話はどうするんだよという疑問もこちらにはあるわけで——と書いていて気づいたのだが、アレやな、犬猫の扱いが雑な人間に対してこちらはたぶんけっこうきつめの嫌悪感をおぼえるタイプっぽい。いまさら自覚したわ。
 コーヒーを淹れて、きのうづけの記事の続きを書く。投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年3月10日づけの記事を読み返す。2013年3月10日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。「客が出前をとった計4000円以上になるちらし寿司と天とじ丼と茶碗蒸しと吸い物とのセットが半分以上残ったまま下げられてきたのでぜんぶ食ってやった」とあり、当時はほんと客の残りもんと職場が取り寄せた冷食のサンプルばかり食っていたなと思い出した。それから、たぶん酩酊状態で書き記したものだと思う以下の詩片。

蒸発した野望が試験管の底で揺れて
発見されるまえの日射しがうろたえた寝顔に点を打つ
だれも信じない夜
知らない記号がきみと悪魔を見てる

 そのまま今日づけの記事も途中まで書いた。0時になったところで中断。筋トレはせず、トースト二枚の夜食をとり、歯磨きをしながらジャンプ+の更新をチェックする。今日づけの記事でシャツに触れたこともあり、ひさしぶりに淘宝で服でも見るかなとなったところ、ひさびさに目と指先の運動がとまらなくなり、気づけば黒地柄物のレディース長袖シャツ、オーバーサイズの肌色——という言い方はいまはせず、うすだいだい色というのか——Tシャツ、黒の夏物イージーパンツをまとめてポチっていた。
 1時半になったところで寝床に移動。Everything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)の続きをちょっとだけ読み進めて就寝。