20230311

 当時の我々は街をぶらつき、よく騒ぎを起こして、同年齢の少年たちと殴り合いのケンカをくり広げた。ときには大胆にも、頭半分ほど背丈の違う年上の連中を相手にした。激戦が始まると、その同級生は身を隠して、近くで様子をうかがっていた。逃げることもなければ、参戦することもない。その後、彼は突如として勇猛果敢になった。いつも戦いの先頭に立ち、引き揚げるのはいちばん最後だった。
 ある日、我々のグループは年上の連中にさんざん殴られて退散した。完敗を喫したあと、その同級生は家に駆け戻り、包丁を手にして再び現れた。意気揚々としている年上のグループと対峙した彼は、まず右手に持った包丁で自分の顔を切りつけた。鮮血がほとばしると、今度は左手に持ち替えて反対側の顔を切った。そして血だらけのまま、大声を張り上げて突撃して行った。
 年上のグループは、勝ちに乗じて追撃を始めようとしたとき、この血まみれの相手を目にした。水火も辞さない覚悟で、勇ましく突進してくる。右手にはなお、キラキラ光る包丁を振りかざしていた。中国には、「命がけの相手がいちばん恐ろしい」という諺がある。年上の連中がさっと逃げ出したので、その同級生は追いかけながら叫んだ。
「おれと死ぬか生きるかの勝負をしろ!」
 さっきは退散した我々も、虎の威を借りる狐のように、「おれと死ぬか生きるかの勝負をしろ!」と叫んで、あとを追った。我々は町の通りを汗だくになって、年上の連中を追撃した。呼吸を整え、速度を合わせるため、我々のスローガンは簡略化された。
「死ぬか生きるかだ!」
 その日の午後、我々の名声は町じゅうに広まった。それ以降、「死ぬか生きるか組」という称号を得た我々を他のグループは笑顔で迎え、年上の連中でさえ一目置くようになった。あの同級生を我々は心から尊敬した。彼はもう二度と我々のうしろに付き従うことがなくなった。我々も彼が先頭に立つのに慣れた。
 彼はどうして、一夜のうちに別人になったのだろう? 理由はとても簡単だ。今日から見ると、それはまったく信じられない理由だった。
 この同級生の両親がある日、隣人と言い争いをした。隣人が彼らの家の豆炭をいくつか盗んだというような、つまらないことが原因なのだろう。言い争いが過熱するにつれて、双方とも手が出た。そこで同級生も争いに加わり、いちばん弱い相手を選んで、右の拳を伸ばした。隣家の美しい娘の豊満な胸を突いたのだ。このひと突きが彼を別人に変えた。その後、彼は手のひらを下に向けて右手を開き、我々の羨望のまなざしの前で、四本の幸福な指について語った。衣服一枚隔てただけで、美しい娘の豊満な胸にどのように触れたのか。親指以外の四本の指がみな、人をうっとりさせる柔らかな部分の感触を味わったのだという。
 その瞬間の素晴らしい感触によって、彼はまだ子供であるにもかかわらず、自分の人生がすでに完成したように思った。のちに彼はよく、満ち足りた様子で言った。
「おれは女の人の胸を触ったんだから、もう死んでもいい」
 自分はもう死んでも悔いはないと思ったことで、臆病者が突如として勇敢になったのだ。
 我々の少年時代は、そんな風だった。女性の成熟した胸に一度触れただけで、人が変わる。我々が極端な時代に育ったせいだ。殴り合いのケンカの時は大胆不敵だが、女性の生身の肉体を思うと意気地がなくなってしまう。
(余華/飯塚容・訳『ほんとうの中国の話をしよう』)



 10時半起床。第五食堂の中華(…)さんがいる店で朝昼兼用メシを打包。男子学生がふたり先着していたにもかかわらず、おばちゃんと一緒になってこちらの注文を優先してとろうとする。ありがたいけど、学生ふたりに申し訳ない。打包したものを片手に寮にもどると、敷地内で(…)を連れた(…)がおばちゃんと立ち話している。そばには(…)とその友人の男の子もいる。(…)はあいかわらず警戒心が強い。手を差し伸べてもにおいを嗅ぐだけでそれ以上寄ってこない。それでいてこちらが去ろうとすると、あとを追いかけてこようとする。
 帰宅してメシ食す。今日は先に執筆して、その後にきのうづけの記事の続きを書くつもりでいたのだが、いざ作業に着手する段階になってみると、やはり日記の負債を先にどうにかしてしまいたいと気持ちが急く。だから先にきのうづけの記事の続きを書くことにした。
 書き終わったところで投稿はせず、阳台に移動して「実弾(仮)」第四稿に着手。途中、大連の(…)さんから生まれてはじめて雹に降られたと動画が届く。二年生の(…)さんからは(…)山の写真。登山中らしい。途中で道に迷ったので予定より帰りが遅くなる、夕飯の約束に間に合わないかもしれないというので、じゃあまた次の機会にしましょうと受ける。これで一日浮いた! そういうわけで14時半過ぎから17時半までがっつり執筆。シーン17をひたすら修正。(…)と(…)さんのケンカをより幼稚っぽく修正する。

 第五食堂でふたたび打包。食後、20分の仮眠をとったのち、ひさしぶりにスタバで書見することに。寮の外に出たところで、またおばちゃんと立ち話している(…)と遭遇する。土曜の夜だけあって(…)の広場は盛況。広場ダンスしているおばちゃんたち、遊具で遊ぶ子どもたち、仮設ステージではバンドの演奏がはじまろうとしている(ウォーターサーバーだかミネラルウォーターだかの販売会社が主催しているイベントらしく、商品の印刷されたのぼりがいくつも立っており、ステージ前の最前列には観客席とは別に審査員席のようなものが設けられている)。スタバ店内はわりと空いている。来店するのは半年ぶりくらいになるのでは——と書きつけて思い出したが、つい先週、一年生の男子ふたりとコスプレ女子とその友人男性とそろっておとずれたばかりだった。しかしひとりで書見のためおとずれたとなると、やっぱり半年ぶりくらいになると思う。
 美式咖啡を注文して窓際のソファ席に腰かける。22時過ぎまで書見。『ラカン入門』(向井雅明)をきりのよいところまで読み進め、途中でEverything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)に切り替える。窓の向こうでは大量の屋台とそこに集う客たち。ときどき小さな子どもが窓のそばにやってきて、書見するこちらのようすをガラス越しにじっとのぞきこむ。本がめずらしいのか、縦書きの文章がめずらしいのか、あるいはヒゲがめずらしいのか。
 この仕事をはじめたばかりのころは、こうしてたびたびスタバで書見したものだったなとふと思う瞬間が何度かあった。どうしてあんなに余暇があったのだろう? いまよりも授業準備にかける時間が少なかったから? たしかに。当時は経験ゼロでなんの知識もなかったから、そもそも準備のしようもなく、すべてがめちゃくちゃに行き当たりばったりだった。学生からの誘いも少なかったから? それはない。当時から学生とは頻繁にメシを食ったり散歩していたりしたし、当然そのことをすべて日記に書き記していた。ではなぜ当時のほうがゆとりがあったように思い返されるのか——と考えたところで、そうか、当時の学生は学年の壁を超えてつながりがあったからだなとひらめいた。日本語コーナーが当時はまだあったから、一年生から四年生まで、学年の垣根を超えて仲良しグループが形成されやすかった、そしてその仲良しグループが主にこちらを遊びに誘い出した、しかるがゆえに学年の垣根がはっきり存在する現在のように、今日は一年生と食事、明日は二年生と食事、明後日は三年生の食事みたいな過密スケジュールになることもなかったのではないかと思ったが、いや待て、そもそも赴任一年目は「S」執筆を完全に中断するくらい忙しくしていたではないか? だから「当時のほうがゆとりがあったように思い返される」というのがそもそものあやまりではないか?
 そんなことはどうでもいい。いずれにせよ、もっとじぶんの時間を積極的に作ろうと思った。今学期の方針転換、つまり、学生からの誘いは可能なかぎり引き受けるという従来の方針を撤回したのは正しい(とはいえ、無闇に断るのではなく、事前予約および延期制度の導入により、無理のないスケジュールに落とし込むというかたちにしただけだが)。今日は(…)さんとの約束がキャンセルになったおかげで、こうしてひさしぶりに、授業もせず、授業準備もせず、学生とも会わず、ただただ朝から晩まで読み書きだけして過ごすことができたわけだが、やはり週に一日か二日はこうした日が必要だとしみじみ思った。それでちょっと考えてみたのだが、学生の誘いは週に二日以内にとどめる、日記をもっと簡略化する——そうすれば、今日みたいな日をもう少し増やすことができるのでは? 日記の簡略化については、過去100回くらい試みてことごとく失敗しているのだが、マジでちょっと本腰を入れて検討する、というか今日づけの記事からもう簡略化することに決めた。
 店を出る。小便をしたかったが、店内の便所が清掃中だったので、ケッタを猛烈にこぎまくって大学にもどる。また京都でフリーター生活したいなとしみじみ思った。カフェで作業をした日の帰路はいつもそう思う。白梅町のハーバーカフェで深夜から朝方まで書見する初夏の日、北大路ビブレのサンマルクカフェで夕方まで作業した帰りにスーパーで値引き品を買ってからたどる帰路、そうしたすべてがなつかしく美しい。チェーン店で匿名的な存在としての時間を満喫するという至福。
 帰宅。コーヒーを追加で淹れる。きのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年3月12日づけの記事を読み返す。

 ミラン・クンデラという作家がいます。チェコで苦しい経験をして、亡命して、いまなおパリに住んでいる人ですが、かれが、権力を持ってる強い連中のやり方は、忘れさせることだ、ひどいめにあったことは忘れさせて、もう一度同じことをやらせようというのが権力の考えることだというんです。その反対に、記憶し続けること、覚えているということが弱い民衆の武器なんだ。弱い人間は覚えてなきゃいけない、記憶してなきゃいけない。忘却を強いられるとき、われわれが抵抗する唯一の道は記憶することだ、とクンデラはいうのです。
大江健三郎『あいまいな日本の私』より「井伏さんの祈りとリアリズム」 p.134)

 これはマジやなと思う。広いスパンでいえば、この国における大戦の記憶の取り扱い方について、短いスパンでいえば、安倍晋三以降の自民党の姿勢について、マジで連中はみずからの失態を国民に忘却させる、なかったことにする、あるいは嘘で上書きする(それも、その質ではなく量でもって、すなわち、多少はそれらしい方便をもってするのではなく、ただただじぶんたちの正しさと仮想的としてでっちあげた存在のあやまりを非論理的に口にし続けることによって)、そうしたことばかりしている。クンデラの言葉は当然中国にもあてはまる。政権にとって都合の悪い情報は可能なかぎりメディア空間から抹消し、ひとびとにそのようなできごとがあったことを忘れさせようとする。ゼロコロナ政策によって虐げられたひとびとのことは一年も経たないうちにみな忘れてしまうだろうし、白紙運動に参加して当局に逮捕された学生らのこともやはりみな忘れてしまう、忘れさせられてしまう。
 2013年3月12日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。

「偶景」の作文が一段落したところでマルティン・ブーバー『忘我の告白』の続きを読み進める。これ、ものすごく面白い。読んでいると色々と考えることや閃くところがあってなかなか先に進むことができないという良書特有の手応えがある。
たとえばドゥルーズ=ガタリが「人」+「馬」+「武器」=「遊牧民(機械)」になるみたいなことをどこかで書いていたけれども、その公式を人という特権的な所有者(中心)とその所有物(周縁)というふうに解するのではなく、権利上対等な関係同士の融合・合体すなわち変身の結果であると見なし(先の公式の=を→に置き換えるイメージ)、「遊牧民(機械)」とは「人」+「馬」+「武器」の三要素の組み合わせではなく(所有物である馬に乗り所有物である武器を手にした所有者であるひとの姿ではなく)、あくまでも分節しがたいひとつなぎの存在であると考えるその思考回路を、「いま・ここにおけるこのわたし」という具体的な個物(「わたし」という抽象的に記号化された対象ではなく)、取り替えのきかない実存にあてはめてみるとする。すると「いま・ここにおけるこのわたし」というものの成り立ちとは、その具体性(時-空間性)ゆえに到底数えきることのできない無限の要素の融合物であるということがわかる。「遊牧民」が「人」と「馬」と「武器」の合体変身であると形式的にいうことができても、具体性(時-空間性)を含み持つ「特定のこの遊牧民」を「特定のこの遊牧民」たらしめる要素は無限の細部にあまねく行き渡っているために形式的に表現することができない。彼が彼として生成されうるためには彼の出自に集約されうる時間的な因果の無限退行と、(被)所有・(被)所属関係の名のもとにきりもなく結びつく空間的な無限連鎖とが(それらは同一の事柄の別な言い換えでしかないのかもしれない)ともに窮められる必要がある。仮にその遡行を窮めてみようとでもいうならば、それは最終的にこの世界そのもの、いま・ここそれ自体のまったき肯定へと帰結するほかない。「いま・ここにおけるこのわたし」を「いま・ここにおけるこのわたし」たらしめる条件の、根拠の、原因の、遡行的な探究によって、ありとあらゆる歴史(時間)がわたしの起源として回収され、ありとあらゆる存在(物質)がわたしの構成物として回収される。世界は時間的にも空間的にもわたしという自我、自己イメージ、輪郭の拡大によって覆い尽くされることになる。わたしと世界はぴたりと隙間なく一致するにいたる。恍惚の境地とは、永遠の形象とは、そのようなものではないだろうか(恍惚体験を語るクリシェとして自我の拡張もしくは自我の消滅が散見せられることから、なんとなくそんなふうに思っただけにすぎないのだけれど)。
あるいはアルペ・ド・キュドーという人物の《だから魂はなにに触れようとも、そうするときには完全にそれに触れ、同時に完全にそれを経験し、またそれが固いものであるか、柔らかいものであるかを確かめ、温かいものと冷たいものを指先でもって完全に識別いたします。魂はなにかの匂いを嗅ぐときには、それを完全に嗅ぎ、その匂いを受けいれます。魂はそれが味わうものを完全に味わって、あらゆる味を完全に識別いたします。魂はそれが聴くものを完全に聴き、さまざまな音を完全に記憶いたします。またそれが観るものを完全に観て、さまざまなものの像を完全に思い出します。要するに魂は、完全に触れ、完全に嗅ぎ、完全に味わい、完全に聴き、完全に観、完全に記憶するのです》だとか《魂は場所の大きさには関係がありませんから、大きいほうの部分によって大きな空間を占めるとか、小さいほうの部分によって小さな空間を占めるというようなことがありませんし、部分のなかでは、全体のなかにあるときよりも乏しくなっているというようなこともありません。なぜといって、それは肉体のあらゆる部分のなかで同時に、そして完全に現存しているからです。そのため肉体のどれほどささやかな部分が打たれたり、刺されたりしても、それは完全に痛みを感じます。しかも肉体の小さいほうの諸部分のなかでもより劣っているということはなく、大きいほうの諸部分のなかでもより大きいということなどありません》といったような恍惚体験の告白を読むと、恍惚というのは要するに傾きがなくなるということなんではないか、と思わなくもない。

 この日の記事では、上のほかに、「それしか許されていないという段階に達してはじめてそれが許されているということができるのかもしれない、というフレーズを思いついた。」という記述もちょっと印象に残った。
 浴室でシャワーを浴びる。工事をしてからというもの、シャワーの水量が微妙に弱くなっている気がする。今日なんてシェムリアップのゲストハウスかよというような水量だった。あがったところでストレッチ。筋トレはおやすみし、トースト二枚の食事をとり、歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェックしたのち、ベッドに移動して就寝。