20230312

 いまだに誰なのかわからないが、ある同級生が教室の黒板にチョークで「愛情」という言葉を書いた。それは我々がよく知っているのに、使ったことのない言葉だった。当時、高校一年のクラスは四つあった。曲がりくねった「愛情」の二文字が一年一組の黒板に出現すると、他の三クラスの生徒は聖地に赴くような気持ちで、続々と落書きを観察しに押し寄せた。顔には批判者の表情を浮かべ、「犯人を捕まえろ」というスローガンを叫びながら、私も初めて、長らく中国語の語彙から消えていた言葉を目にした。そして思わず、熱血をたぎらせた。
 この高校一年一組の教室の黒板に出現した下手くそなチョークの文字は、犯罪の証拠として、十日間消されずに残っていた。学校の革命委員会は、これを書いた犯人を見つけようとした。まず、我々の学年の男子生徒の作文帳を集めて筆跡を比べたが、容疑者は浮かびあがらなかった。女子生徒の作文帳も集めたが、やはり手がかりはつかめない。さらに捜査の範囲を高校二年生にまで拡大しても、結果は同じだった。最後はうやむやのうちに幕引きをするしかなく、革命委員会の主任が自ら黒板の「愛情」の二文字を消した。
 私はがっかりした。毎日、一組の教室を通るときに黒板の文字を見るのが習慣になっていたからだ。黒板の文字は「絵に描いた餅」とは言え、私の愛情に対する渇望を満たしてくれた。「愛情」が黒板から消えると、「絵に描いた餅」もなくなってしまった。
 黒板にこの言葉を書いた犯人は、罪を自覚していたのだろう。わざと曲がりくねった字を書くことで、法の裁きを逃れようとしたのだ。当時、「狐がいかに賢くても、老練な猟師にはかなわない」という映画の台詞が流行っていた。「愛情」事件のあと、同級生たちはそれをもじって、逆の意味の台詞を流行らせた。「いかに老練な猟師でも、賢い子狐にはかなわない」
(余華/飯塚容・訳『ほんとうの中国の話をしよう』)



 11時起床。第五食堂で朝昼兼用メシを打包。また中華(…)さんの店をおとずれたわけだが、できあがったものをこちらに差し出す学生バイトらしい女の子が、こちらが日本人であり教師であるということを中華(…)さんとおばちゃんから聞いたからだろう、深々とお辞儀してみせるので、そんなにかしこまらなくてもいいのにとちょっと申し訳なく思った。今日は一転して涼しく、ヒートテックの上にセーターを重ねて着ても、まだちょっと肌寒いくらい。
 帰宅して食す。コーヒーを飲みながら、きのうづけの記事の続きを書く。作業中はひたすらアンビエントを流す。『Hydration / 水分補給』(天花)、『Nova + 4(Extended Version)』(広瀬豊)、『Nostalghia』(広瀬豊)、『Tree of Life』(高田みどり)、『Music For Nine Post Cards』(吉村弘)など。天花というのは冥丁の別名義プロジェクトらしい。作業の途中で阳台に移動。一年生の(…)くんから日本の漫画を読みたいのだがどこで買えるかという微信が届いたので、中国で漫画を買ったことはないから知らないと応じる。先輩らのなかには淘宝で買ったことがあるというひともぼちぼちいるようだが、日本で買うよりも値段はかなり高くなるはずだと補足する。(…)くんからはその後、花の写真が送られてきた。桜か桃かわからないという。こちらもわからない。
 きのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年3月12日づけの記事を読み返す。(…)の(当時)三年生男子らと(…)で火鍋を食った日。

いったん(…)の中に入ったものの、(…)の大ファンである(…)くんが今日も飲みたいというので、別の出入り口から外に出た(以前は店内にあるoppoの売り場から(…)のブースに直接通り抜けることができたのだが、コロナ対策でいまはそのルートが封じられている)。(…)は今日もぼちぼち混雑していた。オーダーしたのは(…)くんのみ。ここでバイトすると忙しくて大変だろうねとこぼすと、でも給料はほかよりいいですと(…)くんはいった。時給でいえばどれくらいになるのとたずねると、(故郷である)福建省であれば10元くらいですが(…)だと8元くらいかもしれませんという返事があり、は? マジで? とたまげた。10元としても180円、一時間汗垂らして働いてたったの180円! しかしそれでいえばたしか、三年くらい前に(…)さんから、彼女の元ルームメイトである(…)さんが当時裏町付近のミルクティー店でバイトしていたが、その時給は5元かそこらと聞かされたことがあったのだった。そんなもんもう働いても働かなくても一緒じゃねえか! とびっくりしたものだ。

 2013年3月12づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。

 もし、可視的なものと言表可能なものという二つの形態の変化する組み合せが、歴史的な地層、あるいは歴史的形成を構成するのだとすれば、権力のミクロ物理学は、反対に、無形の、地層化されない要素における、力の関係を明示するのである。だから、超感覚的なダイアグラムを、視聴覚的な古文書と同じとみなすことはできない。つまりダイアグラムは、歴史的な形成が前提とするア・プリオリのようなものである。しかし、地層の下方や、上方、あるいは外にさえも、何も存在しない。動きやすい、消えやすい、拡散する力の関係は、地層の外にあるわけではなく、地層の外そのものなのだ。だからこそ、歴史の様々なア・プリオリはそれ自体、歴史的である。
ジル・ドゥルーズ宇野邦一・訳『フーコー』)

私たちは、フーコーが、汚名についての二つの概念に対立することに着目したい。一つはバタイユに近いもので、まさにその過剰さによって、伝統や物語の中に入る生にかかわるものである。(それはあまりに「名高い」古典的な汚名、例えばジル・ド・レのそれであって、結局贋の汚名である。)もう一つの、もっとボルヘスに近い概念によれば、一つの生が伝説に導かれるのは、その企みの複雑さ、その迂回、その不連続性が、一つの物語によってしか理解可能性を見出しえないからである。物語は、可能性を酌みつくし、矛盾する数多くの事態を被いつくすことができる(これは「バロック」的な汚名であって、スタヴィスキーがその一例であるといえよう。)しかし、フーコーは、第三の汚名、厳密にいえば、稀少性の汚名を認知するのである。それは、ささいな、光を浴びない、単純な人々の汚名であって、訴え、警察の報告などによってのみ、一瞬光を浴びるだけなのである。これはチェホフに近い概念である。
ジル・ドゥルーズ宇野邦一・訳『フーコー』)

 以下のくだり、ちょっと笑ってしもた。

途中でいちどジョギングに出かけたのだが、前回の反省をいかしてマスクを装着したまま走ってみたところ、これが存外快適だった。少なくとも前回とは違って帰宅するなりくしゃみの嵐に見舞われるなどということはなかった。ただ、パーカーのフードをかぶってなおかつ顔の下半分を黒いマスクで覆った男が23時半の住宅街を走っている姿はあまりにもあやしいというか陰気な宇川直宏みたいなことになってしまっていていつ通報されてもおかしくはない。

 読み返しを終えると時刻は15時だった。そのまま明後日にひかえている授業の準備にとりかかる。日語会話(三)と日語基礎写作(二)の資料にそれぞれ目を通し、一部加筆修正し、必要なものを印刷する。
 17時半になったところでいつものように第五食堂へ。打包して寮にもどると、(…)が寮の敷地内で(…)をあそばせている。軽く立ち話。(…)はsaloonをはじめたという。オンラインで? とたずねると、そうではない、外国語学院の教室でやっているとの返答。English cornerみたいなものかとたずねると、肯定の返事。とはいえ、saloonというくらいであるし、学生ではなく教師や社会人がメインだったりするのかもしれない。昨日が初回だったとのこと。
 帰宅してメシ。20分の仮眠。シャワーを浴びてストレッチ。それから「実弾(仮)」第四稿。21時から0時半まで。今日もひたすらシーン17を加筆修正。ずっと苦手意識のあったシーンだが、ほぼ問題ない、よく書けていると思う。
 途中、三年生の(…)さんから微信。ルームメイトたちがこちらと食事をしたがっているという件について、予定がひとつキャンセルになったので時間に余裕ができた、来週は火曜日と金曜日以外であればいつでも問題ない、と昨夜連絡を入れておいたのだが、それに対する返信というかたちで、では月曜日(すなわち明日)はどうですか、と。了承。
 腹筋を酷使する。プロテインとトースト二枚の夜食をとり、歯磨きをしながらジャンプ+の更新をチェック。寝床に移動し、Everything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)の続きをほんのちょっとだけ読み進めて就寝。