20230318

 一九五八年の大躍進は、ロマン主義の不条理喜劇だったと言える。虚偽と誇張と自慢が蔓延していた。当時、水稲の一畝当たりの生産高は、良質の水田でも四百斤程度だった。しかし、「人が大胆になれば、それだけ生産量も上がる」というスローガンのもと、全国各地の水稲の生産量はしだいに誇張され、一畝当たり一万斤以上に膨れ上がった。一九五八年九月十八日の『人民日報』は、広西環江県の水稲の一畝あたりの生産量は十三万斤となった」という特別ニュースを伝えた。虚偽と誇張と自慢は、細かい話から始まる。たとえば、当時飼育されていた豚は体重が一千斤あまりもあった。頭は竹カゴほどの大きさで、一頭つぶせば三頭分の肉が取れる。直径三尺の鉄鍋には入らない。六尺の大鍋で、半分煮るのがやっとだ。畑でとれるカボチャも、驚くほど大きかった。子供たちが中に入って、ままごとができた。当時、『坂を転げたサツマイモ』という民間歌謡が全国的に大流行した。
人民公社の東には、水のきれいな河があり、岸辺は小高い丘でした。坂の上ではワイワイと、みんながイモを掘っていた。突然ザブンと水の音、河に大きな波が立つ。私はびっくり、大騒ぎ。誰かが河に落ちたぞー! みんながゲラゲラ笑います。一人の娘が言いました。あれは人ではありません。イモが転げて落ちただけ!」
 一九五八年八月から、中国では「郷」という行政単位が廃止され、一斉に人民公社が誕生し、一斉に公社の共同食堂が作られた。農民は自分の家で食事をせず、公社の食堂で大勢が一緒に飲み食いをした。「たらふく食べて、大いに生産に励もう」というスローガンが、あちこちで聞かれた。公社の食堂は無計画の食糧を使い、やたらに浪費した。大食い競争を実施したところもある。競技に参加した一部の農民は優勝目指して、胃拡張になるまで食べ、病院に担ぎ込まれた。
 数か月後、中国各地の食糧倉庫は空っぽになってしまった。その後、このロマン主義の不条理喜劇はやむを得ず幕を閉じ、リアリズムの残酷な悲劇の幕が開くことになる。
 大飢饉が冷酷無情に中国を襲った。それ以前に各地区とも、食糧の収穫について虚偽の報告をし、国家の徴収量が実際の生産量を上回っていた。虚偽の報告は、地方の役人が手柄を上げようとしたもので、痛ましい代価を支払うのは農民だった。彼らは食糧も種子も飼料も、みんな国家に納めてしまった。一部地域では「革命」を名目に、野蛮で残酷な「隠匿資産摘発」運動が開始され、人民公社と生産大隊の幹部が「食糧調査突撃隊」を組織し、各戸を回って捜査を行った。農民の家で箱や櫃(ひつ)を引っくり返し、地面を掘り壁を崩し、食糧を見つけられないと農民を殴打した。安寧省鳳陽県の小渓公社では、「隠匿資産摘発」運動中に三千人あまりが殴打され、百人あまりが傷害を負い、三十人あまりが公社が設けた労働改造部隊で命を落とした。このとき、飢餓は狂った風のように中国の大地に押し寄せ、ドミノ倒しのようにバタバタと人が死んでいった。のちに中国政府が公表した資料によれば、大躍進の期間、四川省だけでも餓死者は八百十一万人に及ぶという。九人に一人は餓死した計算になる。
(余華/飯塚容・訳『ほんとうの中国の話をしよう』)



 11時半ごろ起床。今日は最高気温6度の雨降り。一気に冬に戻った。雨脚もけっこう強いふうだったので食堂に出かけるのもだるい。しかるがゆえに朝昼兼用の食事はトースト二枚ですませることに。(…)一年生の(…)くんと(…)くんからそれぞれ微信。前者は好きな食べ物について日本語で書かれた短い文章の添削依頼。たぶん(…)先生が担当している基礎日本語の授業の宿題だと思うのだが、最近(…)一年生の学生らが短い日本語の文章をモーメンツにたびたび投稿している。(…)くんが今回こちらにチェックをお願いしたのもおそらくそれ用の文章なのだろうが、はたしてそれをこちらが事前に添削していいものかどうかちょっとわからない。ま、一回目の依頼であるし、ひとまず様子見を兼ねて添削。しかしなかなかけっこうひどい文章だった。(…)くん、たしか高校生のころから日本語を勉強しているはずなのに。(…)くんからは履歴書の書き方についての質問。これはたぶん四級試験か八級試験の過去問だろう。

 きのうづけの記事の続きにとりかかる。作業中は濱瀬元彦の『Reminiscence』と『Intaglio』をくりかえし流す。ジャズというよりミニマル。流しっぱなしにするのにちょうどいい。なんだかんだでじぶんはミニマル・ミュージックが好きだよなと折に触れて思う。
 きのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回。2022年3月18日づけの記事を読み返す。腹筋を攣った日。これはマジで痛かった。いままでの人生でいちばん痛みを感じた瞬間だったかもしれない。

 食後のコーヒーをいれてきのうづけの記事にとりかかった。執筆中、ちょっと姿勢を転じた拍子に、腹筋が攣った。腹筋が攣ったのは人生で二度目だと思うのだが、マジで死ぬほど痛かった。これを書いているいま、時刻はすでに21時前であるが、まだそのあたりにこわばりみたいなものが残っている。どれぐらい痛かったかというと、痛みに耐えかねて意識が飛びかけた。ある種の離人感があった。あるいはまったく逆の言い方になってしまうが、現実を現実として認識するメタ的な視線が霧散するような感じがあった。大麻でストーンになってしまったあとにはっと目ざめる、あれに近い感じだったかもしれない。といっても気持ちいいわけでも無感覚なわけでもない。たえがたい激痛のなかでそのような自失が生じるのだ。どの姿勢をとっても逃れることができない。痛みのあまり吐き気が生じ、脂汗がにじみはじめた。あの原因不明の気絶とまったく同じ諸症状が、痛みによってひきおこされていた。このまま気絶すれば椅子から倒れこんで床に頭をぶつけてしまうというおそれから、体をベッドの上に無理やり投げ出した。血の気という血の気が全身から引いていくのがわかった。
 三分くらいは痛みのピークが持続していた気がする。やがてだんだんと楽になっていった。吐き気も引いた。脂汗が一気に冷えはじめた。足の裏のほうにまでおりきっていた血液がじわじわと頭のほうに戻ってくる感じもあった。すぼまっていた聴覚も回復しつつあったが、入れ替わりに今度はこれまで体験したことのない耳鳴りに見舞われた。キーンという甲高い音ではない、ものすごく繊細なテレビな砂嵐みたいな、水のさらさら流れる音のような、耳鳴りとはとても思えないような音だった。最初は外から聞こえてくるのかと思った。たぶん血の流れる音なのだろうと考えなおした。それでスマホで「耳鳴り+さーさー」みたいに検索してみると、血圧が急激に上昇しているときに聞こえるみたいな情報に行き当たったので、あ、絶対これだ、となった。

 2013年3月18日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。前日の乱痴気騒ぎについて、(…)さんや(…)さんと通話しておたがいの無事を確認しあっている。以下のくだりを読んで、そっか、このときはまだ猫かぶってたんだな、じぶんの生まれ育ちについては同僚らになにも話していなかった時期だなと思った。職場にほとんどいない「大卒の若者」というレッテルをそのままに演じていたころだ(もっとも、(…)さんは最初の瞬間から「こんなでかいピアスつけとる時点で絶対まともなやつちゃうわ」と考えていたらしかったが)。

途中で(…)さんから電話があり、(…)くんはきっと覚えていないだろうけれどきのうは相当やばかったよ、(…)さんにたいしてブチギレまくっていたから傍で見ていてひやひやした、ふだんの物腰からは考えられないほどガラが悪かったけどいったいどっちが(…)くんの本性なんだろうね、(…)さんは前々からホモっ気のあるひとだと思っていたけれど昨夜はとくにすごかった、(…)くんにベタベタし通しだった、(…)くんはすごく眠そうだったからベタベタされて頭にきたんだろうね、邪魔するなってずっとイライラしていたんだけれど最終的に(…)さん相手にため口で怒鳴りちらしはじめるものだからいやいやあのときはさすがに焦ったよ、(…)さんの顔色もそのときだけははっきりと変わったからね、これはもうぜったい喧嘩になると思ったけれど(…)さんときたらそこで、わかった、おれはもう(…)くんから離れる、でも離れる前にひとつだけお願いがある、チューしてくれ、と真顔で言い出すものだから本気で爆笑したよ、間違いなくきのうのハイライトだった、水曜日は祝日だから(…)くん出勤だよね、またそのときにいろいろと報告するよ、(…)さん(…)さんふくめて反省会をひらこう、それじゃあまた、執筆中だったろうに悪いね、おつかれさま、小説がんばって。

 あとは当時執筆していた「邪道」の一節も引かれていた。これは改行なしでたしか500枚ほど書いたのだったろうか? それでもうダメだとなり、ボツにしたのだった。

わたしの二足歩行が必ずしも絶対的なものではないということについては、ひとこと付言しておいたほうがいいだろう。朝は四本、昼は二本、夜は三本の謎掛けにもあるように、時の経過がわたしの歩行にかかわる脚の本数を増減させる可能性は大いにありうるからである。それにわたしもまた自他ともに認める旅人のひとり、その端くれであるからには、いずれはあの人頭獅子身の怪物と相見えることもあるかもしれない。だとすればなおさらわたしはわたしの二足歩行を相対化して考える習慣を身につけておくべきだろう。朝は四本、昼は二本、夜は三本、これなんだ? 仮にそう問われることがあればどう応じるべきだろうか。朝は妻とふたりでそろって家を出て(四本)、昼は職場でひとり仕事に励む(二本)、そんな典型的な家庭人の姿がわたしの目にはありありと浮かぶ――わたしならきっとそう答えるだろう。夜? なあに、おおかた視界不良のため二本あるものを三本あると見間違えたといったところだろう。もっとも、やっこさんがそれをお望みならば、夜ならではのいくらかお下劣な別のやり口でもって応じてやってもいいが。なるほど、怪物とはいえ所詮はうぶな乙女である。夜の三本目の真意を察知すれば、それを察知してしまったおのれの破廉恥に耐えかねてたちまち海中に身投げするに違いない。あるいは世の流行り廃りに敏感な女性のことであるからいまどき身投げなどしたところで感興のいっこうに湧くわけもないと、鴨居にひっかけた荒縄で首を吊るだとか、安物の出刃包丁を下腹にさしこみ真一文字に切り開くだとか、口にくわえた拳銃を脳天めがけてぶっ放すだとか、ビニールテープで目張りした車内に閉じこもって練炭を焚くだとか、大量の薬剤をアルコールでがぶがぶと流し込むだとか、そういったありがちな手法とは似ても似つかぬ独創的で、斬新で、新奇で、そしていくらか珍妙な手法をもってして、自らの生にきらびやかにデコレーションされた終止符を打つにいたるかもしれない。けっこう、けっこう、おおいにけっこう! いずれにしたところでわたしが怪物退治に成功した英雄であるという事実が揺らぐわけでもないのだから。むろん、さりとてわたしとかの英雄とが寸分違わぬ同一人物であるという結論に短絡するわけでもまたない。そんな早とちりはしちゃあいけない。そんな早とちりは控えるべきだ。考えてみればいい、わたしとかの英雄とでは怪物を相手に発揮した機知と勇気の趣向が大きく異なるではないか! わたしとかの英雄は与えられた同じ謎かけにたいしてそれぞれ異なる見解を提出した。そして異なる見解の持ち主とは異なる実存の持ち主である(というのもやはりまたわたしの手元にある見解のひとつである)。ゆえにわたしはかの英雄ではないし、かの英雄もまたおそらくわたしではない。たとえ双方ともに腫れた足の持ち主であるにせよ、である。おわかりだろうか? このようにしてわたしはありとあらゆる肩書きをかなぐり捨てていく。測量士を身につけては脱ぎ去り、救世主を身につけては脱ぎ去り、英雄を身につけては脱ぎ去っていく。その過程でどうにもしつこくへばりついてやまぬこのわたしの皮膚の薄皮も剥がれ落ちていくことを祈りながら、あるいは、わたしをわたしたらしめる輪郭線を描き出してやまぬこの執拗な贅肉がみるみるうちにそぎ落とされていくのを願いながら、わたしは捨て去り、わたしは脱ぎ去り、わたしはわたしを消尽していく。然り。わたしはもうくたびれきっているのだ。疲れ果てているのだ。ぼろぼろのくったくたになっているのだ。もうずっと以前から、何度となく繰りかえしてきたように。わたしの歩行は実に困難な局面にさしかかっている。もう一歩も歩けない、無理だ、これ以上はどうにもならない、そう思いながらもわたしはどういうわけかわたしの歩みを中断することができずにいる。おそろしいことに、あるいは、滑稽なことに。わたしは身軽にならなければならない。わたしはわたしの歩みの負担をたとえほんのわずかであろうと――雀の涙に等しかろうと、鳩の糞に等しかろうと、鴉の吐瀉物に等しかろうと――軽くしてやらなければならない。それゆえにわたしは身に着けているものをいちまいいちまい脱ぎ捨てていくのだ。なるほど、そういってみることもできるだろう。そんな理窟もところによっては立つはずだ。わたしは衰弱している。衰弱しきっている。気絶せず、卒倒せず、当然のことながら絶命することもなく、それでいてたしかに衰弱している、いまもいまとて衰弱を極めつつある。わたしは衰え、弱まり、底の抜けた袋のようにわたし自身を構成する部品のひとつひとつをたえず手落とし、失い、欠損し、損失を重ね、劣化し、みるみるうちに貧しくなっていく。だが一方で、わたしの衰弱はわたしの衰え知らずの旺盛さによって、そしてまたわたしの不能一辺倒な生態はわたしのいまなお猛々しい絶倫によって、このうえなく頑丈に裏打ちされてもいる、そういう側面を見逃してはならない、そういう側面にも光をあててやるべきだろう。というのも、少なくとも原理の水準にたっていうかぎり、消費とはただの消費ではなく消費の生産であるのだから。同様に、わたしの衰えとはすなわちわたしによるわたしの衰えの産出であり、わたしの弱まりとはすなわちわたしによるわたしの弱まりの産出であり、わたしの欠損とはすなわちわたしによるわたしの欠損の産出であり、わたしの損失とはすなわちわたしによるわたしの損失の産出であり、わたしの劣化とはすなわちわたしによるわたしの劣化の産出であり、わたしの貧しさとはすなわちわたしによるわたしの貧しさの産出であるのだから。わたしはわたしであるかぎりわたしの旺盛さを離れることはできないし、わたしの絶倫さを手放すこともまたできない。わたしとは常にお盛んであることを免れず、わたしとは年がら年中発情期にあり、わたしとは四六時中興奮しっぱなしの無分別で、わたしとは女であれば誰だろうと見境なく押し倒す千人斬りの腐れヤリチンあるいは男であれば誰にでも股をひらかずにはいられぬ尻軽糞ビッチであり、ハッテン場の常連、百合の園の通い妻、スワッピングの中毒者、ハプニングバーの得意客、乱交パーティーの主催者、キメセクの常習犯、ときには主人と奴隷の倒錯に耽り、ときには種族の垣根を超える衝動に突き動かされて家畜小屋に忍び込む好き者、生まれたての赤子からミイラと化した屍までのいかなる段階にある人体であろうと貪りつくさずにはいられぬ比類のない色魔、ありとあらゆる体液・吐瀉物・血液・糞便のたぐいを嬉々として飲み干す肩を並べるものなき好色家、あげくのはてには自分自身とさえ関係を持つにいたってしまうおそるべきオナニストにほかならないのだ。要するに、わたしはいかんともしがたく性的な存在だというわけである。わたしはわたしの無性愛的な様相においてもなお性的たらざるをえないほどのスケベなのだ。わたしはわたしの不能においてなお勃起するし、わたしはわたしの非-快楽においてなお射精するし、わたしはわたしの不妊においてなお子を生む。おわかりだろうか? かくしてわたしは以下のごとく宣言するにいたるわけである――すなわち、衰弱とは衰弱の生産という衰弱固有の豊かさにほかならず、と。

 16時前から日語基礎写作(二)の課題添削続き。17時過ぎに終える。今学期はひさしぶりに課題に評価をつけて返却することにした。ここ一年半ほどは評価をつけずに返却していたが、やはり大雑把にでも評価をつけたほうが、学生のモチベーションなり危機感なりにプラスの影響を与えてくれるかなと思ったのだ(中国人の国民性的にも評価アリのほうが良さそう)。今日は土曜日であるし、延期続きになっているメシの誘いが二年生の(…)さんからまたあるかもしれないと構えていたが、冬日の雨降りだからだろうか、なにごともなく無事一日が終わった。
 第五食堂で打包。朝昼兼用のメシがパンだけだったのでいつもより多めに食った。食後は30分ほど寝る。起きたところで今日づけの記事の続きをちょっとだけ書く。それから浴室でシャワーを浴び、何週間ぶりになるのかわからんが暖房を入れ、21時半から0時まで「実弾(仮)」第四稿執筆。プラス12枚で計328/996枚。シーン19も無事片付く。
 DOMMUNE中原昌也緊急支援番組「NAKED ENCYCLOPEDIA of MASAYA NAKAHARA / Chapter3(文化/文学編1)」の阿部和重高橋源一郎佐々木敦の鼎談、視聴しようかなという気になっていたのだが、すっかり忘れていた。かわりというのもアレだが、『二〇二〇年フェイスブック生存記録』(中原昌也)を買った。『中原昌也 作業日誌 2004→2007』の続きみたいなものらしい。リリースされているのを知らなかった。『作業日誌』はマジでとんでもない本だった。(…)の店内で夢中になりながら読んだのをおぼえている。
 今日づけの記事をまたちょっと書く。それからラーメン食ってジャンプ+の更新をチェックして歯磨きしてベッドに移動。Everything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)の続きを読み進めて就の寝!