20230331

 シニフィエあるいは意味作用が欠けていることは、ここで、シニフィアンシニフィエの関係は問題含みであるということ、あるいは存在しないということさえ示唆している。このことは、男と女の非関係、すなわちラカンの有名な「性関係はない Il n'y a pas de rapport sexuel」(…)を思い起こさせる。〈殿方〉と〈ご婦人〉、男と女の関係は、ファルスによって媒介されているのだが、実のところ、私の「主体の転覆」読解によると、ファルスとはまさにシニフィアンシニフィエの「関係性」そのものである(第4章参照)。言い換えれば、ファルスとはそれらのあいだの欠けている関係性のことなのである。ラカンがファルスを「シニフィエなきシニフィアン」(…)と呼んでいることを注記しておこう。また、ファルスがシニフィアンシニフィエのあいだの横棒と無関係ではないと彼が主張していることも注記しておこう。この意味において、私たちは次のように言うことができるだろう。すなわち、ファルスとは、シニフィアンシニフィエのあいだの遮られた関係(または関係のなさ)を示すシニフィアンである(つまりは性関係のなさのシニフィアンである)。
 ソシュールによればシニフィアンシニフィエは「むつまじく一体となっている」が、ラカンによればそこにはいかなるむつまじさもない。シニフィアンシニフィエの関係性は、私たちにとって、性関係のモデルにはなりえない! 一方が上に乗っかって、下にいるほうに「詰めものをする」としても——「シニフィアンシニフィエに詰めものをする」(…)——、その関係は、性関係であるより、料理の関係であるように思われる。しかしこの横棒があるせいで、性関係のなさを執拗に思い出させられることになるのだが。
(ブルース・フィンク/上尾真道、小倉拓也、渋谷亮・訳『「エクリ」を読む 文字に添って』 p.126-127)



 11時かそこら起床。また(…)くんから微信。黒板とパソコンのモニターが一体化した道具——(…)がsmart boardといっていたやつか?——の写真。さすが金だけは山ほどある私立高校だ。設備のレベルが違う。うちはいまだに教室にエアコンすらないよと応じると、まだ導入されていないんですかという反応。
 きのうに引き続き、今日も貴重な晴れ間。第五食堂に向かう。寮の階段で(…)とばったり出くわす。日本人なんだろうというので、そうだよと受けると、香港ではむかし日本の歌がたくさんカバーされていたんだという。何年か前に(…)さんに似たようなことを訴えていたなと思いながらそうなんだと受けると、その歌手の名前を中国語っぽいが中国語ではない言語で発音してみせる。たぶん広東語だなと思いながら、発音をきいてもわからないからchinese letterで名前を見せてくれないかとたずねると、(…)はスマホで音声入力を試みたが、音声入力で表示された漢字を見ても本人はそれが正しいのかどうか理解できていないようだった。それで、あれ? 普通话だけではなく広東語もできないのかな? と思った。そもそも(…)がどこの生まれであるのかこちらはよく知らない。(…)さんが以前カナダ人じゃないかと言っていたのをおぼえていたので、こちらはなんとなく中国系カナダ人であるのかなと思っていたのだが、香港の話が出たわけであるからじゃあ香港人なのか? しかし、広東語もかなりあやしそうだ。(…)のスマホに表示されたのは山口◯◯だった。◯◯の部分が人名ではありえない漢字の並びだったが、山口百恵のことだなとすぐにピンときた。ある年齢より上の中国人はみんな山口百恵のことを知っているみたいな話をどこかで見聞きした記憶があるのだ。彼女は結婚してからもうおもて舞台には出てこなくなったがみたいなことを(…)がいうので、じぶんは彼女の曲を聞いたことがない、ただ両親の世代にとってはスターだったと思うと応じた。(…)の英語はちょっと聞き取りにくかった。発音ではなく、かすれがちな彼の発声のためだった。あと、口がすっごい臭かった。
 第五食堂で打包して寮に戻る。食す。三年生の(…)さんと(…)さんのふたりから東北料理の店にいっしょに行かないかという誘いがあったので、今日の16時10分に授業が終わるのでそれ以降であれば問題ない、明日からの三日間はいそがしいのでダメだと返信。
 時間になったところで外国語学院へ。14時30分から(…)一年生の日語会話(一)。第14課。微妙にしくじる。反復基礎練習をちょっとおろそかにしすぎた、そしてアクティビティが弱すぎた。ぎりぎり及第点であるが、来週の(…)の授業までに教案をブラッシュアップする必要がある。まあこういうこともあるわな。今学期、(…)一年生の授業はほぼノーミスでここまできていたのであるし、よしとする。きのうこちらに『平家物語』冒頭の原文を教えておしいと微信をよこした(…)くんであるが、スピーチコンテスト予選のために用意した原稿で引用するためらしい。予選についてはおそらく来月中旬にあるだろうとのこと。こちらとしては月曜日の午後に開催されてほしい。そうすれば授業を二つ休講にすることができるので。
 (…)さんと(…)さんのふたりから返信がない。もう食堂でメシを食っちまうよと連絡して帰路につく。帰宅すると、写真とボイスメッセージが届いている。山の写真。(…)山に行っているのだなと見当をつける。ボイスメッセージは(…)さんから送られてきていたのだが、声はクラスメイトの(…)くんで、景色がきれいすぎて返事を忘れていた、いまはまだ山にいる、これから山をおりるのでそのあと合流していっしょにごはんを食べましょうみたいな内容。下山を待ってそれにあわせて行動するのもめんどうくさいし、メシを食うとなればそれはそれで長くなるに決まっているので、遅くなるかもしれないわけであるしまた今度にしましょうと今日の予定をやんわりキャンセル。のちほど(…)さんと(…)さんのふたりから謝罪のメッセージが届いた。
 ひととき休憩したのち、第13舎の近くにある菜鸟快递に出向いて耳栓を回収。そのまま第五食堂で打包。帰宅してかなりはやめのメシを食し(まだ17時になったばかりだった)、食後のコーヒーを飲みながら、きのうづけの記事の続きを書く。投稿はせずにベッドに移動し、『水死』(大江健三郎)の続きを読み、20分ほど仮眠をとる。
 シャワーを浴び、ストレッチをする。『Folk Remedy Anthem』(Chari Chari)を流し、コーヒーを飲みながら、きのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年3月31日づけの記事を読み返す。以下、2021年3月31日づけの記事の孫引き。

言語そのものが現実界に対するバリアなのであって、そしてそのバリアを一枚ずつ剥ぎ取って(=解像度を上げて)現実のなまなましさにせまるのがある意味では文学なのであり(たとえばチェーホフマンスフィールドを読んでいると、「言葉にできない(名前を与えられていない)」感情をとりあつかっているのがよくわかる)、そのようななまなましさやみずみずしさに触れる体験というのはたしかに甘美であるのだが、それはあくまでもバリアを剥ぎ取りすぎない場合にとどまる。言語がもはやバリアとして機能しなくなる、つまり、特異的な出来事を一般性の水準にまとめあげて認知リソースを節約することができなくなった場合、(ASD的なその)主体はパニックに陥る。これも度合いの問題なのだろうか? かさぶたを剥ぎ取るのは気持ちよくやめられないものであるが、その傷口をさらに刃物で傷つけるようなふるまいは常軌を逸しているとでもいうような? しかしこのような見立てはいくらなんでも凡庸ではないか? なんら目新しくない構図だ。これじゃダメだろう。特異性と享楽の水準をもっと深くとらえたうえで、言語(活動)に反映させなければいけない。

 その後、2013年3月31日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。「昨日の今日で(…)さんと(…)さんが揉める。当事者両人が表立って対立したわけではないが(過去には何度かそんなこともあったと聞いているけれど)、(…)さんのふるまいにたえられなくなった(…)さんが(…)さんを前にしてワシもう(…)さん相手にキレてええかとたずねるなど緊迫した展開。(…)さんとふたりで空き部屋に引っ込み長々と話し合った結果ひとまず落ち着いたようであった(…)さんだが、それでなにもかもがきれいさっぱりしたわけでもなし、くすぶりわだかまるところが大いにあったようなので、飯でも誘ってみようかと思っていたところ、(…)さんのほうから今日寿司でも食いにいかへんかと提案があったので、了承した」とのことで、前日に(…)さんと揉めたばかりの(…)さんが、この日は(…)さんと揉めたわけだ。(…)さんと(…)さんもほんとに犬猿の仲だった、まあだいたいは(…)さんが悪いという感じだったが、(…)さんは(…)さんで、え? そんなことでそこまでキレんの? みたいな短気っぷり、というか情緒不安定気味なひとであったし、他人に対する敵意や嫌悪感を隠さないひとだったから、(…)さんはそうしたメイクらの小競り合いがあるたびにこちらを前にしてため息をつき、あいつら小学生以下やと口にしたし、正直それに同意するところもあった。
 それでこの日は仕事を終えたあと、下宿で(…)を吸っておいてから(…)さんと合流し、彼のおごりでまわらない寿司を食ったのだが、記事にもあるように具体的なやりとりは全然おぼえていない——と書いているうちにしかし、「思い出す事など」(夏目漱石)もいくつかある。(…)さんはほぼまったく寿司を食わなかった、ただただ酒だけ飲んでいた。こちらが寿司を食うにあたってネタの一部にだけ醤油をつけるようすをみて、おまえ寿司の食い方わかっとるな、おれ(…)さんも(…)さんもここ連れてきたことあるけどな、ふたりともシャリにべったり醤油つけとった、おまえはやっぱりわかっとるわ、みたいな通気取りの評言を口にした。酔いのまわるにつれて、パプリックな空間うんぬんの前にまず食事時にするようなものではないかなりえげつない下ネタを(…)さんは何度も大声で口にし、周囲には普通に子づれの家族らもいたのでこちらはいつカウンターの内側にいる大将がキレるのか、酩酊したあたまではありながらもけっこう心配していたのだが、この日の記事にあるように「板前さんや女将さんにいくらかというかけっこうというかかなり煙たがれているようにも思われたが、(…)さん曰く「あいつらおれのことヤーさんやと思うとる」らしく、閉店時間を告げる女将さんの声もずいぶんとやんわりしたものだった」という具合だった。
 その後、(…)さんのお宅に向かうことになったのだが、その道中で、わりと最近の記事でも言及したばかりだと思う、(…)さんが交番につっこんでいって、顔馴染みだというそこの警官に引き合わされるというできごとがあったのだった。サーチしてみたら、2023年2月24日づけの記事がヒットした。ほんのひと月前。以下のように記してある。

 (…)さん、酔っぱらうと交番にいる警察にからむ癖があり、いちどこちらにまわらない寿司をおごってくれたその帰りにもやっぱり交番に立ち寄り、入り口から奥にいる警官にむけて怒声を浴びせまくるなどしていたのだが、その奥にいる警官というのが(…)さんの姿を見るなり、「なんや(…)さんか」と口にして、あ、完全に顔馴染みになっとるんやなとクソ笑った記憶がある。ちなみにこのとき(…)さんは、その顔馴染みの警官に向けて、こいつ(…)吸っとるんや、(…)もしとる、このあいだもパッキパキやった、とこちらを指差しながら言い出し、実際、そのときこちらはぼちぼち酩酊していたのだが、とはいえ(…)さんのこのキャラであるし警官もきっと真に受けないだろうと思い、もーなにいうとるんですかとかなんとかいって適当にごまかしたのだったが、しかしあの状況、コントロールの下手な人間であれば一瞬でバッドに入っていたんじゃないかと思うし、後日(…)にこの話をしたら、おれその状況無理かもしれんわという反応があった。

 で、その出来事があった当日、2013年3月31日づけの記事は以下のようになっている。

そこからとりあえず(…)さんの家にむかうことになったのだが、泥酔状態の(…)さんの奇行蛮行がえげつないことになっていたというか、要するに通行人がたちまち道を引き返してしまったりかたわらを足早に駆け抜けていったりする具合で、これ通報されるのも時間の問題だなと思っていたら(…)さん自ら道の先にひかえている交番に自転車で突っ込んでいき、警官四人相手にぶん殴り合いの喧嘩をして留置所にぶちこまれたむかしの恨みを酔っぱらうたびに思い出し結果タクシーで警察署に乗りこんで中で何やらわめきまくることになるという(…)さんの酒乱癖については以前よりほうぼうで耳にしていたけれど、まさしくそのパターンで、これ大丈夫かなぁと思っていると中からひとり太った巨漢の警官が出てきて、(…)さんの姿を見るなり、ああ(…)さんか、と口にしたものだからどんだけ警察に顔売れてんだよと爆笑した。(…)くんにどうしても紹介したかったんやとワケのわからん理由でとりあえずその巨漢の警官に引き合わされたので軽く挨拶など交わし、(…)さんの呑み仲間としてどうも認識されたらしく、まあまあ帰るなら気をつけて、でも警官としてこれいっておかなくちゃならないけど酔っぱらったまま自転車に乗ったらそれ飲酒運転だからね、みたいなことをいわれたようそうでないような、それからたしかコンビニに寄って、すると駐車場に(…)さんの友人(?)の男性がいて、このひととは(…)さんも面識があるみたいなのだけれど、このひとにむけて(…)さんがまたじぶんのことを紹介するのでどうも(…)ですとふらっふらになりながら挨拶などし、相手はたぶん及び腰の苦笑いだった。コンビニの店内ではたしかコーヒーとか麦茶とかを買った。陳列されているパックコーヒーをジャケットのポケットに一瞬にしておさめたかと思いきや、籠の中に入れなおし、おれはちゃんと買うんや、みたいなことを(…)さんが言っていたのが印象に残っている。

 コンビニで(…)さんは最初、手慣れたようすでコーヒーだのハンバーガーだのをバンバンポケットにしまいこんでいった。この日の記事には記されていないが、こちらはそんな(…)さんをいさめたのだった、酩酊してふらふらだったが、いやいやもう金ないんやったらそんくらいおごりますよと言ったのだった。それで(…)さんは「おれはちゃんと買うんや、みたいなことを」言ってレジにむかったのだが、レジにあるあのからあげだの肉まんだのポテトだの、ホットスナックというのか? あれの入った容器を指差し、これもう賞味期限切れとるやろ? もらっといたるわ! と店長らしき中年の男性に一方的に告げた。男性は下を向いたまま返事もせず、ホットスナックを袋に詰めた。そのようすを見て、あ、常習犯なんだな、と思ったのだった。あと、このコンビニか別のコンビニか忘れたが、なにかで揉めたその結果、店長相手に今後店の駐車場一台分を自由に使わせてもらうみたいな契約を強引にとりまとめ、友人らが(…)さん宅をおとずれるときはそのコンビニの駐車場に車をとめるのがならいになっていたみたいなアレもあったと思う。(…)さんがのちほど(…)さんとそろってパクられたとき、小さな余罪がたくさんあったせいで外に出てくるのが(…)さんよりかなり遅れたのだが、その余罪というのはたぶんこういうものだったのだろう。
 その後こちらは(…)さん宅でひととき過ごし、彼の家を出たあとは閉店間際の(…)でコーヒーを飲みながらうたた寝してしまったわけだが、そこで「たしか19才で文学部で美学かなにかを専攻しているみたいなことをいってい」た「(…)ちゃん」と「セザンヌマティスティツィアーノフェルメールロダンポロックジャコメッティゴッホゴーギャン、ベーコン、ターナー、モネ、ピカソ、ブラック、たしかそんな名前が出たはず」の話を交わしているようなのだが、この「(…)ちゃん」は同じ「(…)ちゃん」でも、バイトで入っていた(…)ちゃんではない、たぶんこの日この夜だけ言葉を交わしたいまはもうイニシャルでしか思い出せない「(…)ちゃん」で、そんなだから顔もまったく思い出せない。ただ、「ドン・チェリーのCDを買ったといっていたのも印象に残っている」という一行に、強く喚起されるなつかしさはあった。世の中にドン・チェリーのCDを買う19歳の女子なんて存在するのか! という驚き。

 今日づけの記事もここまで書いた。書いているあいだ、くしゃみと鼻水が全然とまらなかった。去年はここまでひどくなかった気がするのだが、油断して服薬をときどき忘れていたりしたそのタイミングで突然の晴れ間が二日連続でおとずれたその関係で、一気に症状が悪化したのかもしれない。塗り薬のほうもこれからは毎日塗布したほうがよさそうだ。VPNもあいかわらず安定しない。
 ひとつ書き忘れていた。夕食後、四年生の(…)さんから大学院に合格したという報告があったのだった。ハルビンにある大学の心理学科。お礼に食事をおごりますというので、むしろお祝いにこちらがごちそうする、大学にもどってくることがあれば連絡してほしいと告げると、今日もどってきたところだ、卒業論文を書かなければならないのでいまはそれにとりかかっているとの返事。卒論の締め切りもせまっているようなので、無事執筆を終えたタイミングでどこかで食事しましょうと約束した。
 三年生の(…)さんがめずらしくモーメンツに写真を投稿していたのだが、その内容にちょっとびっくりした。彼女、(…)さん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くんが(…)山でそろって記念撮影しているものだった。写真には映っていなかったが、当然(…)さんもいるだろうし、万歩計アプリの数値から察するにおそらく(…)さんもいる(ふたりは写真にうつりたくなかったので逃げたのだろう)。(…)さんをのぞいた面々がいっしょに行動するのはまだ理解できる、一同はこちらとの食事会や散歩にもしょっちゅう同行する面々であるので。ただ、このメンツに(…)さんが加わるのはとても意外だ、彼女は(…)さんや(…)さんとふだんほとんど交流はないし、むしろ距離が感じられるくらいだったので。それで思ったのだが、(…)さんはつい先日もこちらが卒業生に向けて書いた手紙を読みたいと連絡をよこした、それ以前にも将来についていつか相談したいという旨のメッセージをよこした、そういうアレがあったので、今日、(…)さんと(…)さんのふたりがピクニックついでにこちらと食事をするという計画をぶちあげたのを小耳にはさみ、じぶんも参加していいだろうかと手をあげたのではないだろうか? そうだとすれば、食事会を延期してしまったのは、ちょっと申し訳ない気がする。まあモーメンツにわざわざ集合写真を投稿していたくらいであるし、こちら抜きでも十分楽しめたのだろう、そういう意味では問題ないのだが、しかし彼女のみならず、(…)くんからの誘いも、(…)くんからの誘いも今学期は都合が合わず断っている、その埋め合わせを今日の食事に参加しておけば同時に一気にすませることができたわけで、ちょっとしくじったなという感じ。
 23時から「実弾(仮)」第四稿執筆。1時まで。鬼門のシーン21はあっさり片付いた。よかった、よかった。ひと安心。そのままシーン22にも着手。ここはそれほど難しくないはず。結果、プラス5枚で計375/996枚。月末なので総合枚数をあらためて計算しなおしてみると、996枚だったのが994枚になっていた。シーンをひとつまるっと消しているにもかかわらず、マイナス2枚ですんでいる。細部を加筆しまくっているからだろう。作業中はふいに思い出した花伦の『电影《大象席地而坐》原声音乐』、つまり、『象は静かに座っている』(フー・ボー)のサントラを流したそのついでに、未チェックだった『Wʌndərlænd』『Wuhan Wuhan』『Tempus』もたてつづけに流した。
 花粉症の薬は一日二回服薬となっているのだが、マジで全然きかんので追加でもう一錠服薬した。たまにはオーバードーズも必要や。夕飯を食いすぎて腹がけっこう張っていたので、夜食のトーストは一枚きりにしてあとは白湯をたくさん飲んだ。歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェックしている最中、ふと、なんでいま微妙にくさくさした気分になっているんだろうと考えたところで、かならずしも失敗したとはいえない、ただただちょっと微妙になってしまったなという反省のあった午後の授業の感触をいまにいたるまでひきずっていることを自覚し、嘘やろ? じぶんに対する要求高すぎやろ! となった。これはもう性格なのである程度はどうしようもないのかもしれんが、たとえば今日の授業を二年前あるいは三年前にやっていたとすれば、そのときはまずまちがいなく、今日は大成功だったな! 完璧な授業やった! とよろこんでいたにちがいないんだが。ま、なんでもそういうもんか、もっと! もっと! となるのが欲望か。欲望? これは欲望なのか?