20230411

 彼の書きものには多義性、二重・三重の意味、曖昧さ、喚起的描写、謎、ジョークなどがまさに氾濫している。彼のテクストと講義は、分析それ自体が要請するような類の作業へ、すなわち意味の層を移動し、テクストをそれがまるで一連の長い言い間違いであるかのように解読するという作業へ、私たちを導くためにつくられているように見える。彼はある個所で、自らの執筆スタイルが分析家の訓練に寄与するように意図してつくられていると述べている(「私が用いるレトリックのすべては、訓練の効果に寄与することを目指している」(…))。とはいえ間違いなく、それ以上のものである。彼の書きものは私たちを触発し、ときには混乱させさえするのだ。
(ブルース・フィンク/上尾真道、小倉拓也、渋谷亮・訳『「エクリ」を読む 文字に添って』 p.218



 11時起床。頭痛は治った。なんやったんや。今日も暑い。最高気温は27度。週間予報を見ると、日曜日の最高気温は32度とのこと。ぼちぼちエアコン必要やな。昼飯は第五食堂で打包。寮の敷地内でだれかと通話している(…)を見かけたので軽く会釈したが、中国語を話しているようだったので、あれ? やっぱりできるんか? となった。何日か前も管理人の(…)と立ち話している姿を見かけたし、普通话は問題ないのか?
 食す。二年生の(…)くんから微信。バスケの試合があるので午後の授業に途中から出席できないという。それでわかった。数日前からバスケコート周辺に赤いテントが仮設されていたのだが、あれは毎年おこなわれる学部対抗試合のためのものなのだ。(…)さんからも微信。彼女と(…)さんのふたりは用事があるので、午後の授業に少しだけ遅れるとのこと。証拠のスクショも送られてきたが、グループチャット上で、共産党入党申請にかんする手続きうんぬんとあったので、ああそういうことねと了承。
 午後は二年生の授業。日語基礎写作(二)と日語会話(三)の4コマぶっ通し(中国では40分+10分休憩+40分で2コマという計算式)。時間でいうと、14時半から18時10分までのぶっ通しでいつも疲れるわけだが、タンブラーが問題なく使えることが昨日判明したわけであるし、ミネラルウォーターとは別にコーヒーも作って持っていくことにした。これで休憩時間中に回復する作戦。
 14時半から日語基礎写作(二)。「キャッチコピー」の課題を返却したうえで、佳作・名作・迷作に分類した学生らの回答を、おもしろおかしくつっこみを加えながら紹介。それが片付いたところで、クイズの残り。かなりの数用意したつもりだったが、時間ぴったりですべて使い切った。やっぱりこのクラス、レベルはけっこう高いほうなのかもしれない。二年前、三年前の授業であれば、答えが出てくるまでにそれ相応の時間を要し、かつ、ヒントの提示も必要だったような問題の正解が、けっこうぽんぽん出てくる。
 続けて日語会話(三)。第27課。後半のアクティビティは問題なかったが、前半の基礎練習がかなりおろそかになってしまった。というか基礎練習を必要とするほど複雑な文型でもないし、このアクティビティは独立したものとしてほかの課に組み込んだほうがいいかもしれない。教案、修正の必要がある。
 授業を終えたあとは第五食堂に立ち寄って打包。一年生の(…)さんから授業中に届いていた微信に返信。「先生、お願いがあるんですが、28日の授業を午前中に替えていただけませんか。休みの間はみんな早く帰りたいと思っているので、もしあなたの都合がよければ、私たちはきっととても嬉しくて感謝しています!ご都合が悪ければかまいませんよ,私たちはあなたの授業が大好きです。」とのことで、劳动节の連休にあわせて時間割変更願いがあったわけだが、それだったらともともと14時半からの授業であるところを10時からに変更してもかまわないと伝えたところ、10時からは別の授業があるという。希望は朝イチの8時からだったようなのだが、そんな早起きできるわけないのでこれはパス! ただ、もし都合が合うようなのであれば、こちらの授業がない水曜日に補講をしてもいいかもしれないが、いや、でもそこまでする義理はないか? じぶんでじぶんの首を締めることになるし!
 食うもの食ってベッドに移動し、気絶するかのように眠りに落ちる。油断すれば数時間眠り続けてしまうタイプの深い眠りの予兆があったが(授業がややしくじったときに防衛として生じる不貞寝の気配)、どうにか30分ほどで起きる。浴室でシャワーを浴び、ストレッチをし、ほぼ手付かずだったきのうづけの記事に着手する。書き終えて投稿し、懸垂し、プロテインを飲んでトースト二枚を食し、歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェックする。それからウェブ各所を巡回し、2022年4月11日づけの記事の読み返し。

海の静かさは山から来る。町の後ろの山へ廻った陽がその影を徐々に海へ拡げてゆく。町も磯も今は休息のなかにある。その色はだんだん遠く海を染め分けてゆく。沖へ出てゆく漁船がその影の領分のなかから、日向のなかへ出て行くのをじっと待っているのも楽しみなものだ。オレンジの混った弱い日光がさっと船を漁師を染める。見ている自分もほーっと染まる。
梶井基次郎「海 断片」)

さらに(…)さんの作文コンクール用原稿も添削。文章はまずまずだったが、そもそもテーマに即した内容から大幅にずれていた。「日中友好のために私ができること」みたいなありがちなテーマなのだが、もとめられているのは具体的な取り組みのアイディアであるのに、彼女が書いて寄越したのは美辞麗句を並べ立てた政府のスローガンみたいな文章であって、そこには具体的なアイディアがひとつもない。中国あるあるだよな、と思う。なにもかもが空疎ですっからかんなのだ。じぶんのアイディア、じぶんの考え、じぶんの感じ方、そういうものをまったく書き慣れていない。いつだったか学生に聞かされたが、中国では小学生の頃からしょっちゅう作文を書かされる、しかしその作文には常に正解があるのだという。政府の見解、政府が奨励する道徳、そういうものに即した作文だけが正しいのだ、と。

 さらに2011年4月11日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。

たぶんわたしは最初から、無頓着な筆づかいを恐れる心が足りなかった――いまだにそうだ――オウムもどきの繰り返し――陳腐な言いまわしや平凡な表現も気にしなかった。おそらくわたしは、こういう配慮をするには少々民衆的(デモクラティック)にすぎるのだ。
ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(下)』より「追補第二への序の言葉」)

 分離戦争のとき、一八六三年から四年にかけて、ワシントンに点在する陸軍病院を訪れているうちに、日の暮れがた引き潮か満ち潮が始まると、苦しんでいる患者たちが当時大勢はいっていた病棟を、いつもきちょうめんに訪れる習慣ができて、それが終わりまでつづいた。なぜか(それともわたしの気のせいか)その時刻の効目は歴然としていた。重傷者もある程度は楽になり、話したい、話しかけられたいと、少しは思うようになった。知的な性質の人も、感情的な性質の人も、それぞれに最高の状態になり、死はいつも何かもっと楽なものになり、薬はその時刻に与えられると効目を増すように思え、なごやかな雰囲気が病棟中に広がったものだ。
 激戦が終わって日が暮れると、いろいろと恐ろしいことがあったのに、同様の影響、同様の状況と時間が訪れる。わたしは倒れた者、死んだ者たちに覆われた戦場でも、一度ならず同じ経験を味わった。
ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(下)』原注より)

 以下、大家さんのエピソード。そういえば、こんなこともあったな。

昨日だったか一昨日だったか、おもてに出ると、玄関に設置されている郵便受けにしこんである表札というか表札といっても要するにただの画用紙にマジックで(…)と書いたにすぎないものなのだけれど、その(…)という手書きの文字があきらかにじぶんの筆跡でなくなっていて、よれよれのひょろひょろで、これはおそらく雨にも負けて風にも負けてもはや消えいる寸前であったわが筆跡を大家さんが勝手になぞり書きしなおしたものだと思われる。

 それから「からっぽのCD-RをCDのキチキチにつめこまれた衣装ケースの中から探す過程でふと天理教の教会でもらったCD-Rが出てきて、ああそんなこともあったなぁと思ってブログ内検索してみるともう二年半も前のことのようでもあり」とあるのを見て、あー! なつかしい! と思った。(…)でバイト中、店の前を天理教の若い信者らが法被を着て歌をうたいながら歩くようすをたびたび目撃し、いいメロディだな、ちょっと詠歌みたいだなと思い、それでアポなしで教会をおとずれ、あれのCDかなにかは売っていないのかといきなりたずねたのだった。最初はたぶんクレームに来たチンピラだと思われたのだろう、受付にいた女性も顔がこわばっていたのだが、奥の座敷に通されてそこで代表らしい女性が出てきたあとはけっこうわきあいあいとした感じになり、奥にいる若い高校生くらいの信者らも出てきて、なんだったらその場で歌わせましょうかとまで言われたのだったが、それは彼らもはずかしいだろうからと断った。CDは無償でもらった。悪用しないことだけは約束してほしいと言われたので、まあいろいろ嫌がらせがあったりするんだろうなと思いつつ、YouTubeにあげたりするつもりもないですから安心してくださいと応じたのだった。なつかしいな。あのときの女性もいまはもうおばあちゃんと呼ばれるくらいの歳になっているのだろうか? 人生で一度しか会ったことのないひと、ほんの数時間だけ言葉を交わしたきりのひと、そういうひとのことをこうしておもいだすたびに、むせかえるほどのいとおしさを感じる。たぶん彼らはひとというより、こちらの人生にあっては、むしろ風景に近しい存在であるからだろう。
 読み返しのすんだところで、そのまま今日づけの記事も途中まで書いた。3時になったところで中断。ひとつ書き忘れていたが、今日の授業中、というか休憩時間中、(…)さんから故郷である大連のPM2.5がえぐいという話を聞かされたのだった。スマホに表示されている指数は500オーバー。こんな高い数値はこれまで見たこともないという。今日の大連の街並みを写した写真も見せてもらったのだが、空が黄色く染まっていて、ああそうか、黄砂の時期なんだなと思った。(…)さんは途中、ちょっと心配だからといって、祖母に電話をかけるために教室の外に出た。