20230421

 だが、郭象の『荘子』読解はここにとどまるわけではない。というのも、「自生独化」、「自然」、「自得」を通じて、何か別の大きな変容が想定されていると思われるからだ。それは、「無」という「存在論的根源者」を「有」から切り離したことに関わる。もし「無」という根源、しかも究極的な根源を措定するのであれば、それが実現する「有」の世界は揺るぎないものであるはずだ。もしその「有」の世界を批判するのであれば、「無」という根源を前面に持ち出し、すべてを御破産にすればよい。嵇康(けいこう)の「自然」はそうした「無」の代替物である。
 ところが、郭象は、「有」をいかなる根源からも切り離して、自己措定させた。それは、「有」に根拠がないということにほかならない。そうであれば、その「有」の世界は決して永遠不変のものではない。つまり、その「分」や「性」には常に偶然性の影が差しているのだ。「大鵬が高く飛び、斥鴳が低く飛び、椿木が長命であり、朝菌が短命であること」は、別の仕方であることも可能であったかもしれないが、この現実において、そのような「分」や「性」を偶然にも選択したために、そのあり方が必然となったにすぎない。
 ここで考えるべきは、郭象の「斉同」と「物化」の解釈である。後に考察していくが、『荘子』の「斉同」はしばしば、大小の区別や「性」の違いがないという無差別として捉えられてきた。しかし、郭象が解釈した「斉同」は、大が大に自足することで成立するこの世界(それは他の世界から絶対的に切り離されていること)と、小が小に自足することで成立するこの世界とが同一であるというものであって、無差別なのではない。

 ここで「斉(ひと)しい」というのは、形状が斉しいとか、物差しが同じということではない。縦横・美醜・恢恑憰怪(かいききっかい)〔怪物的なもの〕がそれぞれ、自分が然りとするものを然りとし、自分が可とするものを可としているのであって、形はそれぞれまったく異なっていても、性は同じように得ることができているということだ。だから、「道は一に通じている」と言うのである。
(郭象『荘子』斉物論篇注)

 万物万形は自得する点で同じである。その得方は一つなのだ。
(郭象『荘子』斉物論篇注)

ここにあるように、郭象は、それぞれの「物」が自ら「然りとするもの」と「可とするもの」を徹底することで、自らの「性」を得ていると定義している。そしてその「得方」が同一であると述べているのであって、区別それ自体を解消しようとしているわけではない。
 重要なことは、こうした「斉同」のただ中で、「物化」が生じるということである。つまり、この世界が別の仕方でもう一つのこの世界に変容するということだ。それは、「途中でその性を変えることはできない」とされていた「性」もまた変容する事態である。郭象はこう述べていた。

 〔古の真人は〕化と一体をなしている。
(郭象『荘子』大宗師篇注)

 そもそも仁義は人の性であるが、人の性は変化するもので、古今同じではない。
(郭象『荘子』天運篇注)

仁義は「性」であるが、その「性」もまた変容する。そして、理想的な人間であり、神仙に等しい「真人」が「化と一体をなしている」ことを考えるならば、郭象は単に現状を肯定していたわけではなく、現状というものが無根拠であって、変化可能なものであることを想定していたとも解釈できる。別の言い方をするならば、「性」に徹することによって、「性」を変容する可能性を人間に認めていたのである。
中島隆博荘子の哲学』)



 11時起床。二年生の(…)さんから微信。来週の金曜日は暇ですか、と。食事を一緒にしたいというので、めずらしいなと思いつつ了承。来週の金曜日ということはちょうど連休前であるし、それで里帰りする前にということなのかなと思ったが、(…)さんの故郷は大連なのでこの連休は帰省しないはず。昼食を一緒にとりましょうということだったので、それはちょっと嫌だなと一瞬思ったが(起き抜けに外食するのはしんどい)、一年生も二年生も普段夜の自習があるせいでこちらと一緒に夕飯をとる機会はないわけであるし、たまには昼の誘いも受けたほうがいいかなと思った。(…)さんは「私たちは先生と一緒に食事をしたいです」と言ったが、「私たち」に含まれているのが誰かはわからない。しかし去年、彼女と彼女の相棒の(…)さんと(…)くんと一緒に昼から焼肉を食ったことがあった——というかまさにあの日がきっかけとなって、昼から学生と外でメシを食うのはやめよう、食うのであれば夜にしようと思ったのだった。で、先取りして書いてしまうと、のちほど一年前の日記、すなわち、2022年4月21日づけの記事を読み返したのだが、まさにその日こそほかでもない(…)さんと(…)さんと(…)くんといっしょにクソ暑い真昼間から焼肉を食った日であることが判明したのだった。マジでこういうシンクロが頻繁にあるな!
 昼メシは第五食堂で打包した炒面。14時半から(…)一年生の日語会話(二)。小雨が降っていたが、徒歩で外国語学院まで出向くのが邪魔くさいので、気にせずケッタで移動した。授業は第19課。アクティビティは前回死ぬほどテンポが悪くなってしまった第18課とほぼ同種のもの(「〜できますか」を「〜したことがありますか」に変更しただけ)。テンポ改善のために他グループに対する質問を事前にまとめて考える時間をあたえた。それでずいぶんマシになったとは思うが、うーん、でもほかのアクティビティに比べるとちょっと微妙かもしれん。まだまだ修正の余地アリかな。このクラスは人数が多すぎるのがまず一番の問題であるわけだが。
 授業後、(…)くんからメシに誘われたが、明後日の補講に備えて授業準備をしなければならないからと断った。作文の添削は昨夜すべて終わらせていたが、ちょっとゆっくりしたかったので。(…)くんからは休憩時間中スマホにLINEをインストールしたという報告も受けた。もちろんVPNなしではつながらない。しかしそのVPNもインストールしているようだったし、YouTubeにもときおりアクセスしているらしかった(しかしYouTubeのことは英語読みするでもなくユーチューブとカタカナ読みするでもなくピンインで読んでいた)。先生もVPNがありますかというので、これだけ日本贔屓であり海外事情にある程度通じているはずの彼ですらその程度の認識なんだなとひさしぶりにずーんときた。VPNなしで中国で生活している外国人なんてほぼ存在しない。壁の内側の一般的認識にはたびたび驚かされる。去年(…)さんが日本では政権批判をすることができるという事実に目を見開いて驚いていたのをちょっと思い出した。上の世代は中国社会の特殊性を理解しているが、下の世代はむしろじぶんたちの社会のほうがスタンダードだと思いこんでいる節がある(もっともこの見方自体も問題含みであることは否めない、というのもいわゆる民主主義的な自由の担保されている国家および地域のほうが、数だけでいえば世界的にむしろ少数派に位置する——あるいはそうではなくても決して大多数ではない——みたいな話があったはずなので)。
 帰宅してひととき休憩。17時をまわったところで第五食堂で打包。食後は気絶するように就寝。眠りに落ちるまぎわの感覚がけっこう深そうだったので、20分程度の仮眠にとどまらず二時間ないしは三時間眠り続けるパターンかもしれんと警戒したが、そうはならなかった、安心した!
 シャワーを浴びる。コーヒーを淹れ、きのうづけの記事の続きを書いて投稿する。作業中は濱瀬元彦、広瀬豊、吉村弘などを順次流す。ウェブ各所を巡回し、先に記したように、2022年4月21日づけの記事を読み返す。それから2013年4月21日づけの記事も読み返し、『×××たちが塩の柱になるとき』に再掲する。

私はもろもろの思いをもってあなたを探し求めます、処女がひそかに愛する者を求めるように。私は病むほどに激しく愛さずにはいられませんが、それは私があなたに結ばれているから。その絆は私の存在よりも強いので、私はこの愛から解き放されることができません。
マルティン・ブーバー/田口義弘・訳『忘我の告白』より「メヒティルト・フォン・マクデブルク」)

 「その絆は私の存在よりも強いので、私はこの愛から解き放されることができません」というのはちょっとすごいなと思った。存在に先立つかたちで、愛を媒介とする関係がまずあるのか(とパラフレーズしてしまうと、なんだか一気に陳腐になってしまう、抽象度をあげたり概念を整理したりすることによってむしろその威力が弱化してしまうテキストというものが世の中には多数存在するものだ、つまらない批評は小説の文章をしばしばこのように弱化させる)。
 ちなみに、10年前のこの日は(…)さんと(…)さんといっしょに夜遊びしている。(…)さんが誕生日ということで世界中のたばこのパッケージが収録されている本をプレゼントしている。で、当然のごとく、(…)を吸いまくっているようす。西院のカフェに行ったとあるが、微妙におぼえている、たしかハンバーガーか何かを食べたのだ。マンチーになってもまずまずというくらい微妙な味だと(…)さんが言っていた——と書いているうちに思い出した、10年前の日記には書いていないが、そのカフェに向かう途中、あれはたぶん(…)さんの運転する車の中でだったと思うが、たしか(…)さんが(…)という店(おもてむきは雑貨屋なのだが、「上見せてもらってもいいですか?」を合言葉にして入ることができる二階フロアには、(…)に関するグッズがたくさんある)で買ってきたという、あれはいちおうぎりぎり合法だったのだろうか、たしか(…)だったと思うけれども粉末の入った袋ももらい、(…)とカクテルするといい感じになるかもしれないよといわれたので、カフェに滞在している途中、ふたりと入れ替わりに便所にいき、手の甲にその粉をふってから鼻で思いきり吸いこんだのだったが、そもそもの(…)がききすぎていたのであまり変化は感じられなかったのだった。日記には「祇園に出てまた何やかやとやって」とあったので、カフェを出たあとは(…)さんが当時務めていたラウンジに盗み入って、そこでひとときカラオケだのなんだのして過ごしたのかもしれない。(…)さんは小さなラウンジの黒服としても働いていたので店の合鍵を持っており、それで店の営業していない日にしばしば仲間を招き寄せ、そこで酒を飲んだりカラオケをしたりして遊ぶという習慣があった。その店も逮捕されたあとに辞めることになるわけだが、あれもたぶんいろいろ悪事がバレたんだろうなと思う。(…)さん、手癖がマジで異常に悪かったので、店の金庫から金を抜いていた可能性もある。
 0時になったところで作業を中断して出前一丁を食す。ジャンプ+の更新をチェックし、歯磨きをすませ、今日づけの記事も一気呵成にここまで書くと、時刻は2時だった。

 ベッドに移動後、The Garden Party and Other Stories(Katherine Mansfield)の続きを読み進めて就寝。