20230521

 11時ごろ起床。外は雨。傘を差して13舎近くの快递に出向いてトイレのタンクに入れる青色の固形物というかブルーレット的なやつを回収。そのまま最寄りのパン屋でクロワッサンとソーセージパンを買って帰宅。食し、洗濯し、コーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回する。それから2022年5月21日づけの記事を読む。以下はそのさらに一年前、2021年5月21日づけの記事より。

(…)綾屋さんの研究に話を戻しますが、彼女の「アフォーダンスの配置によって支えられる自己」は、タイトルからもわかるように、彼女が当事者研究のなかで、アフォーダンス理論を使って自分の経験を記述したものです。そのなかで綾屋さんはこう書いています。「私は他の人より意志が立ち上がりにくい」。つまり、「内発的な意志が立ち上がりにくいのだ」と。どうしてかといえば、彼女の身体の内側からも外側からも大量のアフォーダンスがやって来るからなのだ、と。前回にも空腹感についての綾屋さんのお話を少し紹介しましたが、もう少しご説明しましょう。
 例えば、胃袋が、今から何かすぐに食べろとアフォーダンスを与えてくる。そして、目の前にあるたくさんの食べ物は、私を食べろとそれぞれがアフォーダンスを与えてくる。つまり、身体の内側からも外側からも大量のアフォーダンスが彼女のなかに流入してくるけれども、それをいわば民主的に合意形成して、一つの自分の意志としてまとめるまでにすごく時間がかかる、とおっしゃる。
 綾屋さんは、多数派が意志と呼ぶものが立ち上がるプロセスを、先行する原因群を切断せずにハイレゾリューション(高解像度)に捉えていると言えるでしょう。また綾屋さんは同書において、「内臓からのアフォーダンス」という新しい表現でアフォーダンス概念を拡張しようとしています。外側からばかりではなく、胃袋をはじめとする内臓からもアフォーダンスが絶えず届けられているのだと。そしてそんな大量のアフォーダンスを擦り合わせる過程を多くの人々は無意識のうちに行っていて、そこではいわば中動態的なプロセスによって意志、あるいは行為が立ち上げられているのだとおっしゃいます。
 綾屋さんにとって、このプロセスは無意識どころではありません。彼女はまさに選択や行為を自分に帰属するのではなく、身体内外から非自発的同意を強いられた結果として捉えており、その意味で中動態を生き続けているのだと言えると思います。アフォーダンスが氾濫するなかで、なかなか意志も行為も立ち上がらない。だからこそ、「ゆめゆめ、中動態は生きやすいなどと思うなよ」とおっしゃる。それは当然のことだろうと思います。もしかしたら、中動態が希望か救いのように語られることもあるのかもしれない。しかし、そのように語られる「中動態の世界」の実際とは、アフォーダンスの洪水のなかに身を置くことを意味しているのです。
 ここには、人がなぜ、「傷だらけになる」にもかかわらず、能動/受動の世界を求めるのかを考えるヒントがあるのではないか。つまり、「犯人は誰なのだ?」のような、近代的な責任の所在を問うという理由だけで、能動/受動という言語体制が維持されるわけではないのではないだろうか。つまり、ひとりの人間が中動態を生き続けるというのはかなりしんどいことなので、多くの人は無意識にそれを避けるようにできているのではないか。彼女の研究からは、そういうことも示唆されます。
國分功一郎/熊谷晋一郎『〈責任〉の生成——中動態と当事者研究』 p.144-147 熊谷発言)

 さらに2013年5月21日づけの記事も読み、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。(…)時代であるが、「12時半起床。引き戸が修理されている。こちらがねむっている間に顔もしらない大工が合鍵で勝手に部屋に入ってきて勝手に修理して勝手に出ていったものとおもわれる」との記述に、どんな暮らししとんねんと笑ってしまう。

 今日づけの記事もここまで書くと時刻は14時前。ひさしぶりにEmeraldsを流しながら作文の添削を最後まで片付ける。(…)一年生の(…)くんから期末テストでおこなう自己紹介の文章を修正してほしいと作文用紙を写真に撮ったものが送られてきたので、修正はするが手書きではなくデータで送りなおしてほしいと返信する。
 その後、三十分ほどだらけたのだが、妙な寒気を感じた。コロナかなと思ったが、今日はいつもより冷えるし、時間帯的に空腹のためであることも考えられる。(…)さんから「世間」という単語のアクセントをたずねるボイスメッセージが届いたので、その場で返信。それから第五食堂で夕飯を打包。
 さて、その後は記憶があいまいになる。四年生の(…)くんから先生彼女ができたのかとたずねるメッセージが届いたのはおぼえている。他学部の友人が先生が女性といっしょに歩いているのを見たと言っていたというので、そんなもん学生に決まっているだろうと返信。しかしその後ベッドに移動したのではなかったか? たしかこの夜はシャワーを浴びなかったはず。どうも寒気が続くようだったので、体温をはかってみたところ、38.5度をオーバーしており、ああ、とうとうきたな、と思ったのだ。しかし夏休みの一時帰国中にウイルスを実家に持ち帰ることになるかもしれないというおそれがずっとあたまにあったこちらとしては、まあここらでいっぺん感染しておくのも最悪とはいえないよなという感じ。
 で、その後どうしたのだったか? まず(…)に連絡した(発熱した場合は連絡するようにという話があった)。それからモーメンツに体温計の写真を投稿しておいた(こうしておけば学生らも授業が休みになることをうすうす察する)。あとは(…)さんと(…)さんとこちらのグループチャットを作成し、前回友阿で一緒に遊んだりメシを食ったりしているあいだにもしかしたら移してしまっているかもしれないと警告。とはいえ、ふたりとも去年の時点で感染しているので、おそらくだいじょうぶだとは思うのだが(抗体はまだいくらか残っているはず)。
 あとはそうだ、卒業生の(…)さんからいまさら友達申請があり、なにかと思ったら、Amazonのやらせレビュー依頼だったので、悪いけれどもそういう不正行為はいっさい受けつけていないと断った。
 解熱剤ははやい段階で飲んだ。みるみるうちに作用し、すぐに平熱にもどったので、ベッドでごろごろしながら過ごしたのだったし、もしかしたらまとまった睡眠もとったかもしれない、ちょっとよくおぼえていないのだが、いずれにせよ、地獄は夜中だった。解熱剤の効果が切れて熱がぶりかえしてきたのだが、食い物をすべて切らしていたので、肝心の薬を飲むことができない。無理して寝ようとするのだが、熱のせいでうとうとが30分も続かずに破れてしまう、去年備蓄しておいた粉末のポカリだけとりあえずぐびぐび飲むのだが、とにかく眠れないのがつらい。熱がしんどくてすぐ目が覚める。大学一年生の秋、急性扁桃炎で一週間寝込んだときもこんな感じだった、日中はそれほど問題ないのだが夜に熱が悪化し、じぶんのうめき声で目が覚めるのだ。その感覚に似ていた。熱は38度を行ったり来たりという感じだが、体感ではそれよりもう少しきつかったし、腰より下の関節痛もあって、風邪よりもやっぱりインフルエンザに近いなという印象。しかし多くの学生らが悩まされていた喉の痛み、まるで刃物を飲みこんでいるかのようだという例の痛みとは無縁、喉に関しては多少の違和感がある程度だったので、そういう意味ではラッキーだったかもしれない、これは軽症なのかもしれない。しかし解熱剤を飲むことができず、朝方までうんうんうなされ続けるのはなかなかしんどかった。