20230605

 実はケアワークの経験には、「する」か「させられる」かの大きな違いがある。同じことがらでも、受動的にさせられる「搾取」か、能動的にする「贈り物」かで、その人にとってのその経験の質は、正反対といってよいほど異なってくるのだ。それは本人の尊厳を奪うものにも、また逆に与えるものにもなりうる。つまりケアワークということがら自体に、良さや悪さが本来的に内在しているのではない。それが行われる人間同士の関係の質によって、その経験の意味はまったく変わってくるのである。
(『精神分析にとって女とは何か』より北村婦美「第一章 精神分析フェミニズム——その対立と融合の歴史」p.28)



 10時半に起きたのだがめちゃくちゃだらけてしまい、メシを買いに外に出るころには12時半をまわっていた。パン屋でソーセージパンとクロワッサンを買う。今日は気温がぐっと下がって、最高気温が21度しかない、週末にはまた35度まで上昇するようだが。帰宅して狂戦士の食事をとり、コーヒーを飲み、きのうづけの記事の続きを書いて投稿する。ウェブ各所を巡回し、2022年6月5日づけの記事の読み返し。(…)くん、(…)さん、(…)さん、(…)さんの書道の先生である(…)さんと食事会をした日。なかなかおもしろい記事になっていた。2013年6月5日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。

 二年生の(…)さんから微信。明日16時半から「班导を選ぶ会議」があるとのこと。その関係で期末試験を受けることができないかもしれない、その場合は後日あらためて試験の時間を設けてほしいというので、了承。
 期末試験の問題用紙ほかを持って外国語学院へ。事務室で提出。(…)で食パン三袋、ピドナ旧市街入り口にある売店で洗剤を購入。さらに第五食堂近くにある文具店で歯ブラシとトイレットペーパーも購入して帰宅。
 『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』(今井むつみ/秋田喜美)の続きを読み進める。17時をまわったところで中断し、第五食堂で夕飯を打包。狂戦士の食後、ベッドに移動して仮眠をとったが、横になると痰がからみやすくなり、むせて目が覚めるということが、昨日今日と続いている。うっとうしい。

 『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』(今井むつみ/秋田喜美)を最後まで読み進める。おもしろかった。ここでの議論を叩き台として、本質主義(生物学的知見)と構築主義精神分析的知見)の折衷を試みることはおそらく十分可能。
 シャワーを浴びる。ストレッチをし、コーヒーを淹れ、リビングのソファで『現代タイのポストモダン短編集』(宇戸清治・訳)を読む。「僧子虎鶏虫のゲーム」(ウィン・リョウワーリン)、「滝」(カノックポン・ソンソムパン)、「旧友の呼び声(あるいは、一つの終着点)」(ウティット・ヘーマムーン)とたてつづけに読んだが、うーん、これがポストモダン小説? という印象。強いていえば、「旧友の呼び声(あるいは、一つの終着点)」で、旧友からかかってきた四回にわたる電話の内容を、四回目から過去にさかのぼるかたちで記述していく仕掛けに一種の創意を認めることはできるものの、だからといってことさら騒ぎたてるほどのアレでもない。
 トースト二枚食し、歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェック。ベッドに移動後、書見をしばらく続けて就寝。