20230820

 9時半起床。まだまだ寝足りないが明後日にそなえて早起き。階下に移動し、歯磨きしながらスマホでニュースをチェックする。風呂あがりの母から、(…)が今日朝の散歩でたくさん歩いたと聞く。めずらしくうちの裏手のほうまで回ったらしい。
 冷食の焼き飯を食す。食後のコーヒーを飲みながら、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年8月20日づけの記事を読み返す。それからEvernoteにログインし、2009年10月分の抜き書きを手作業でPagesのほうにコピペする。記録されていたのは『小説から遠く離れて』(蓮實重彦)、『死の棘』(島尾敏雄)、『幻想図書館』(寺山修司)、『現代詩文庫 吉本隆明詩集』、『茜新地花屋散華』(ルネッサンス吉田)、『反=日本語論』(蓮實重彦)、『取り替え子(チェンジリング)』(大江健三郎)、『kader0d vol.3』、『草枕二百十日』(夏目漱石)、『日本近代文学の起源』(柄谷行人)、『流跡』(朝吹真理子)、『ピンチランナー調書』(大江健三郎)のほか、鬼形智による『DISCREET MUSIC』(Brian Eno)のライナーノーツや川西真理による『ドラミング』(スティーヴ・ライヒ)のライナーノーツ、ブログやツイートなど。とりわけ印象に残ったものをここでもあらためて引いておく。
 まず、『小説から遠く離れて』(蓮實重彦)より。

虚構の散文として綴られた一篇の作品は、それが小説である限りに於て、きまって別の小説と似ている。いかにも小説らしい小説といったイメージが漠然とながらある時代に共有されていて、それをモデルとして書かれた小説がたがいに似ているといった程度のことではなく、作者の意図を超えて、あるいは作者の意識的な目論見の結果として、ふと類似がきわだつ作品が存在するということなのだ。小説に似ることは小説の条件にほかならず、類似こそが小説の定義だというべきかもしれない。小説家の独創性などというものは、ありもしない虚構なのである。事実、独創的であろうとする人間の書いた小説ほど退屈なものはないだろう。『失われた時を求めて』が面白いのは、プルーストがありあまるほどの類似に身をまかせているからであり、小説にあっての多義性とは、類似の豊かさのみを意味している。似たものの侵入を許す小説を開かれた作品と呼んでもよい。われわれが倦きもせずにあれやこれやの小説を読んだりするのも、それがきまって何かに似ているからだ。(P.98)

波瀾万丈の物語とは一つの語義矛盾である。あらゆる物語は構造化されうるもので、思ってもみないことが起るのは、その構造に弛みが生じ、物語がふと前面から撤退しあっときに限られている。挿話の連鎖に有効にかかわらない細部がときならぬ肥大化を見せるような場合に、かろうじて事態は波瀾万丈と呼びうる様相を呈するにいたる。物語を見捨てた言葉の独走といったことが起るとき、構造の支配が遠ざかって小説が装置として作動し始めるといったらいいだろうか。(P.249)

だから、物語とは、原理として単調さを生きるしかないものなのだ。あらかじめ体系化された細部の結合によっては統御されがたい何かが到来するとき、人は初めて驚く権利を持つのだが、その驚きが物語によってもたらされるものではなく、物語の撤退によるしかなかろうということは当然なのである。波瀾万丈とは、本来、そうした驚きの構造化されがたい衝突を意味しているはずなのだが、言葉が独走するときに起るその種の衝突は、必ずしも迅速さの印象を与えるとは限らない。それは停滞としても、迂回としても、無方向的な横滑りとしても起りうるもので、長編小説とは言葉の独走による衝突を数多く体験することで終りそびれるしかない物語にほかならず、それがかろうじて下しうる長編小説の定義なのである。(P.250)

(…)それが自分自身の言葉であれ他人の言葉であれ、匿名の声が語る物語であれ個人的な作品であれ、日常的な対話であれ根も葉もない噂であれ、散文であれ韻文であれ、すべての言葉は文脈としてわれわれのもとにやってくる。書くとは、何よりもまず、そうした諸々の文脈をときほぐし、無方向に再分配する作業である。その再分配が新たな文脈を形成せざるをえないことはさして重要ではない。人が、たんに語るのではなく書かざるをえないのは、言葉の偏心装置によらない限り、文脈が共同体の維持に貢献し、「交通」が成立しえないからである。虚構とは、ありもしない事態をいかにも本当らしく語ることではなく、ごく単純にいって、均質化された共同体的な想像力を揺るがす行為としてのコミュニケーションそのものを意味している。そして長篇小説とは、「交通」の文学的な一形態として捉えられるのではなく、その本質的であるが故に実験的たるしかない普遍的な形態なのである。この装置の作動するさまを熟視することで、人は初めて「交通」の何かを知るのであり、長篇小説の意味を、コミュニケーション一般から類推するのではない。だから、長篇小説とはすぐれて教育的な装置だということになるかもしれない。同じ文脈の共有は、「交通」を抑圧する「表象」の形成にしか奉仕しないのである。(P.284〜285)

 以下は『幻想図書館』(寺山修司)の一節。

文字(意味)を消すことによって、自らをすり減らし、やがて自身も消えていってしまう消しゴムには、ひとごとならぬ親しみを覚えたのだ。私は、世界各地の消しゴムを蒐集したが、それらは「蒐集箱」に入っている限りは、ただのゴムであって「消しゴム」ではなく、「消しゴム」として機能しはじめたときには、自らを消失してしまうという不条理をかかえているのだった。(P.181〜182)

 それから、『現代詩文庫 吉本隆明詩集』より複数。

わたしはわたしの沈黙が通ふみちを長い長い間 索してゐた
わたしは荒涼とした共通を探してゐた
(「固有時との対話」抜粋)

わたしはあらゆる黙契をほじくりかえす
地殻をとりまいている靄のようなふんいきをはがしてあるく
(「黙契」抜粋)

ぼくはかきとめておこう 世界が
毒をのんで苦もんしている季節に
ぼくが犯した罪のことを ふつうよりも
すこしやさしく きみが
ぼくを非難できるような 言葉で
(「ぼくが罪を忘れないうちに」抜粋)

祭式にともなう叫び、呪文、歌のたぐいは、巫術師的な人物によって神憑状態の神語としてかんがえられ、社会の発展につれて、この神憑状態が慣習化すると、 巫術師的な役割りを割りあてられた人物が、意識的に神憑状態を表現して動作、叫び、歌を行なってみせるようになる。このとき宗教的なものは芸術的なものに、信仰された自己表現は、意識された自己表現にかわる。
(「詩とはなにか」)

 以下は『茜新地花屋散華』(ルネッサンス吉田)。これはかっこいい。

俺は事物を離れ心をなくして
心をなくして事物でもなくなり
空中に粒子と散って霧のように
徒に光を乱反射させる
白い有様でしかなくなってい
 
という考えがふっと浮かび
その瞬間その考えと
それに付随する感覚と感情を
ありもしない心の底の底
奥の金輪際に封じて
封じたということも封じた
ということも封じて
幾重にも幾重にも封じていって
最後には封をした白い紙で
いっぱいになっていくような
そんなような ない心の働かせ方を
修得したのはいつの頃からだろうか
 
なぜそんなことを
するようになったのか
皆目見当もつかないけれど
気にもならないほど自然に
息をするように俺は封を
する俺は封そのもの
なのかもしれない
 
けれど紙切れほどの重さも俺にはない
(P.87)

 以下の『草枕』の一節、再読するたびに毎回抜き書きしている気がする。

見ていると、ぽたり赤い奴が水の上に落ちた。静かな春に動いたものはただこの一輪である。しばらくするとまたぽたりと落ちた。あの花は決して散らない。崩れるよりも、かたまったまま枝を離れる。枝を離れるときは一度に離れるから、未練のないようにみえるが、落ちてもかたまっているところは、なんとなく毒々しい。またぽたり落ちる。ああやって落ちているうちに、池の水が赤くなるだろうと考えた。花が静かに浮いている辺は今でも少々赤いような気がする。また落ちた。地の上へ落ちたのか、水の上へ落ちたのか、区別がつかぬくらい静かに浮く。また落ちる。あれが沈むことがあるだろうかと思う。年々落ち尽す幾万輪の椿は、水につかって、色が溶けだして、腐って泥になって、ようやく底に沈むのかしらん。幾千年の後にはこの古池が、人の知らぬ間に、落ちた椿のために、埋もれて、元の平地に戻るかもしれぬ。また一つ大きいのが血を塗った、人魂のように落ちる。また落ちる。ぽたりぽたりと落ちる。際限なく落ちる。(P.110〜111)

 『日本近代文学の起源』(柄谷行人)。柄谷行人の文学論もいつか再読したいな。

たとえば、シクロフスキー は、リアリズムの本質は非親和化にあるという。つまり、見なれているために実は見ていないものを見させることである。したがって、リアリズムに一定の方法はない。それは、親和的なものをつねに非親和化しつづけるたえまない過程にほかならない。この意味では、いわゆる反リアリズム、たとえばカフカの作品もリアリズムに属する。リアリズムとは、たんに風景を描くのではなく、つねに風景を創出しなければならない。それまで事実としてあったにもかかわらず、だれもみていなかった風景を存在させるのだ。したがって、リアリストはいつも「内的人間」なのである。(P.35)

 ファン・デン・ベルグの考えでは、西欧で最初に風景が風景として描かれたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」であり、そこには、風景から疎外された最初の人間と、人間的なものから疎外された最初の風景がある。だが、モナリザという人物の微笑はなにを評言しているのかと問うてはならない。そこに「内面性」の表現をみてはならない。おそらく事態はその逆なのだ。「モナリザ」には概念としての顔ではなく、素顔がはじめてあらわれた。だからこそ、その素顔は 「意味するもの」として内面的な何かを指示してやまないのである。「内面」がそこに表現されたのではなく、突然露出した素顔が「内面」を意味しはじめたのだ。そして、このような転倒は、風景が形象から解放され「純粋の風景」として存在したことと同時であり、同一である。
 いうまでもないが、ダ・ ヴィンチは科学者だった。しかし、画家であり科学者であることは、なんら矛盾しない。なぜなら、内面性と近代科学は深く結びついているからである。たとえば、デカルトのいう〝延長〟(思惟対象)は、そのように「人間的なものから疎外された風景」にほかならない。それは、中世の質的に意味づけられた形象的空間とは無縁である。そして、彼のいう「コギト」は、そこにおいてのみ存する。(P.77)

 『流跡』(朝吹真理子)。これは『新潮』に掲載されているのを読んだ。

ちょうと川と川の筋が合流する界面に舟を運ぶときは自然と身が強張る。時に合流する刹那に川筋の次元がずれてもとの水脈から切り離されてしまうことがあるという。違う川筋にはいるのではない。もともすえもない、くろぐろした水たまりのなかを、もとの流れと接続するのを待って漂いつづけねばならなくなるらしい。永遠に接しあわないままかもしれない。そこを竜宮や墓場(おくつき)だと言ったりする。風の運ぶきれぎれの音のなかに、思わず耳を塞ぎたくなる声がよぎることがある。重苦しい、ねばったその声に耳が捕まれる。水脈を断ち切られたところからする声だという。そういう声はもう何度も聞いている。耳を閉じるようにしながら、つぎはこの身におこるかもしれないと、むしろ、自分の声でないかと思うことすらある。(P.117〜118)

 最後に『ピンチランナー調書』(大江健三郎)。このくだりの論理はたいそうおもしろい。

ヒットラーも反(アンチ)・キリストになろうとして、最後に失敗したやつじゃなかったかね、森? ヒットラーはこの世界に巨大な災厄の種子をまき、それを発芽はさせたがね、ヒットラーを滅ぼしたのは来臨したキリストじゃなかった。神じゃなく、人間だったわけさ。そこでヒットラーは反・キリストになりそこなったと、論理的にも証明できるだろう? Ha、Ha。しかしそのヒットラーという反・キリストをそれこそ襁褓のなかで抹殺したということは、またまた正真正銘のキリスト来臨を延期させてしまったわけじゃないか? したがって人間が人間だけの力で、反・キリストになりそうなやつをやっつけることの価値は、キリスト来臨の視点からいえば、相対的な行為じゃないかね? キリストは来臨しそこなって苛いらしているのじゃないか? Ha、Ha。すなわち反・キリストを、その実現の前におしつぶす人間の戦いは、とくに神に援助されていない、実存的な戦いということになるよ。しかしそれはやはりやらなければならぬことなんだ、森。(P.64〜65)

 今日づけの記事もここまで書くと、時刻は14時半をまわっていた。書いている最中、父がカーペットをひっぺがして庭に干した。すべりやすくなった床の上で(…)がバスタオルだのボールだのを持ってきて遊べ遊べとせかすので、力加減を調整しながら相手した。途中でうんこを漏らすのではないかとひやひやしたが、そんなことはなかった。
 間借りの一室にあがって押入れからふたたびダンボールを取り出した。手持ちの蔵書を全部チェック。保坂和志の小説論三部作、三好銀の全著作、『シンセミア』(阿部和重)全巻、『モーテル・クロニクルズ』(サム・シェパード畑中佳樹・訳)、『ジョン・ケージ 小鳥たちのために』(ジョン・ケージ+ダニエル・シャルル/青山マミ・訳)、『意味の変容』(森敦)、『マンスフィールド短編集』(キャサリンマンスフィールド/安藤一郎・訳)、『The Collected Stories of Katherine Mansfield』を取り出した。三好銀以外は中国に持っていくつもり。それにしても本棚が欲しい。これまで本棚のある暮らしを送ったことが一度もない——と思ったが、(…)荘にはいちおう部屋に備えつきの本棚があったのだった。小さいものだったが。
 16時半に一家そろって兄一家宅へ。(…)の誕生日会。庭に埋められた(…)に手を合わせてから家に入る。(…)と(…)はふたりでトランポリンをしていた。ふたりとも真っ黒にやけている。両親からのプレゼントは『ピクミン4』、兄夫婦からのプレゼントは一輪車。(…)は一輪車に乗れるわけではないのだが、福祉センターにあるものを見て欲しくなったらしい。(…)は例によってアホみたいにひっついてきて抱っこをせがむのだが、子どもなので体温が高く、暑苦しくてたまらない。(…)に頼んで国語の教科書を見せてもらっているあいだもこちらにくっついて離れないのだが、とにかく暑い、おまえコロナ感染しとんちゃうかとおもわず口にしたが、(…)は実際以前感染して40度ほどの熱が出たのだった。
 リビングにはバランスボールもあった。母はずいぶんむかしに兄から余っているバランスボールをもらう約束をしていたらしく、その件について口にした。それでadidasの真っ黒なやつが空気入れとそろって譲られることになった。こちらも一時期こいつを椅子代わりにして執筆すればいいんではないかと考えていたことがあったのだが、兄は会社で一度従業員らに椅子代わりのバランスボールを導入したことがあるといった。しかし生産性がいちじるしく落ちたらしい。
 夕飯は焼肉。兄が(…)だったか(…)だったかの店で買ってきたもの。(…)だったか(…)だったかは弟の保育園時代の同級生だったと思うのだが、いまは肉屋をやっているらしい。兄がひとりいて、その兄というのはこちらの兄と同級生だったはずなのだが、いまどこでなにをしているのかは知らない。兄夫婦が庭で焼いた肉を部屋まで運んでくれるのを食ったわけだが、タンとホルモンがやたらとうまくてびっくりした。子ども2人と大人8人がいたわけだが、肉代は15000円ほどですんだらしく、だから外で焼肉を食うのはバカらしい、(…)だったか(…)だったかの店で買ったちょっといい肉をうちで焼いたほうがうまいとのこと。弟と母はさっそく今度その店でホルモンを買ってみるといった。
 夕食の途中、18時半ごろだったと思うが、母はいったんうちに帰った。(…)にメシを食わせてやるためだ。(…)はさっそく『ピクミン4』をプレイしはじめ、ゲーム大好きな弟もそろってながめはじめた。(…)はうろちょろしたり、タブレットでゲームをしたりしていた。父は畳の上で横になって居眠り。
 夕飯の後片付けが済み、母がもどってきたところで、ケーキを食す。その前に恒例の記念写真があったのだったか(例によってこちらひとりだけ変顔をする)。ケーキはチョコレート味で、(…)が自分でタブレットを操作して店から品から全部じぶんで指定したという。ホワイトチョコレートのプレートにバースデーメッセージが描かれているやつは当然主役の(…)が食うわけだが、うまそうやなというと、半分分けてくれた。大人になったもんや! 大人になったでいえば、(…)はもう10歳になるのだ。それで思い出したが、(…)が生まれたのはちょうど(…)が京都に来ていた時期で、生まれたばかりの(…)に会うためにわざわざ病院までおとずれもしたのだった(たぶんちかぢか10年前の記事の読み返し過程で、その日の出来事の記された日記を読むことになるだろう)。
 ケーキを食いながらなぜかうんこの話ばかりした。はじめてのバイトが父親の検便を代わりに提出するというものだったとか、(…)病院の便所でとんでもなく巨大なまきぐそが流されずそのままにあるのをおもわず写真で撮ってしまったとか、そういう話。(…)中国でもし死んだら貯金あんたらにやるでな、ひとり50万ずつや、ゲーム買いたい放題やぞというと、(…)はにやっと笑った。
 貯金の流れで奨学金の話になった。(…)くん卒業してから一回も就職しとらんのと(…)ちゃんがいうので、しとらんでと応じたのち、いちおう一社だけ受けたけどな、食わず嫌いみたいなんはあかんと思って、京都の広告会社と続けると、残ったのに辞退したんさと母が引きとった。それで当時のことをひととおり語った。最近日記でもなにかの拍子に書く機会があったが、性格診断と適性検査の結果が両方とも壊滅的で社長が爆笑していたという話や、辞退したあともときどきその社長からいろいろ食わせてもらっていたという話だ(ちなみに今日押入れの蔵書をチェックしていたところ、その社長から借りパクしたままになっている大江健三郎の『懐かしい年への手紙』を見つけた)。(…)ちゃんはよくよく考えたらこちらが大学卒業後どういう生活を送ってきたのかあまり知らないのだった。それで大学の途中から(…)といっしょに円町にある築年数不明の斜めに傾いた一戸建てを借りて住んでいたこと(通称「民宿傾斜」)、三年目にはその(…)が結婚して(…)さんも含めた三人暮らしになったこと、その後に越した(…)荘はバンコクで最悪といわれていたゲストハウスよりもはるかにまずかったことなどを話した。
 それで去ることに。(…)と(…)に元気でなと告げる。(…)とは最後にもういちど(…)の墓の前で合掌した。(…)乗る飛行機落ちやんようにって祈っといてくれよというと、なぜか笑い出したので、おまえほんまは落ちろと思うとるやろといったのだが、のちほどこの件について兄から母にLINEが届いた。曰く、(…)は本当にこちらの乗る飛行機が落ちないようにと祈るつもりだったのだが、落ちるようにと祈っているのではないかとこちらが疑っていることを想像するとどうしても半笑いになってしまった、でもそんなつもりはまったくなかったのだと、のちほど兄夫婦に半泣きになりながら訴えたとのこと。
 帰宅。(…)亡きいま、犬用のお菓子だのなんだのが大量に(…)にゆずられたので、そのうちのひとつ、おかゆのような流動食のようなものを器に入れてお土産として(…)にあたえた。(…)はすぐにガツガツとがっついた。母にたのまれたので、弟とふたりでさっそくバランスボールに空気を注入しはじめたのだが、空気入れがなかば壊れかけており、シュッシュシュッシュやっているとたびたび手応えがなくなる、そのたびごとにパーツを分解しなおす必要があってかなり面倒であるのにくわえて、ボールの元栓がどこにも見当たらなかった。おそらく兄の家にあるのだろうということで、元栓の代わりになるものでひとまず塞いでおくことにしたのだが、ボールペンのノックするところがぴったりのサイズだったのでぶっさしたら、なかなかおもしろい絵面になった。
 入浴。あがると、兄がいる。元栓を持ってきてくれたらしい。兄の家にいたときは照明が暖色系だったからだろうか、気づかなかったのだが、実家の蛍光灯の下で見ると、顔も頭も真っ赤っかにやけていて、茹で蛸みたいやん! とおもわず口にした。盆休みはプールだの川だの海だのほとんど毎日のように泳いで過ごしたらしい。(…)はクロールで25メートル以上泳げるようになったし、(…)も顔をつけてバタ足することができるようになったとのこと。
 生活リズムをたてなおす必要があるので、日記は書かず夜食はとらず、はやばやと間借りの一室に移動。日付の変わる前に無事眠りに落ちたのだが、2時前に一度目が覚めてしまい、そこから二度寝するのにずいぶん苦心した。