20231004

 分析にとって真理とは、決して理想的形態をとるものではない。それは逆に、誰も知ろうとしない去勢の真理である。「万人が捜し求めているものは、実は誰も認めることのできない無の場である」というのが真理から主体に戻ってくる返答である。恐ろしい真理の場所にやってきて、それを隠蔽しようとするものが知である。一般的に知とは真理を知ることと考えられているが、ラカンは逆に、知と真理を対立する二つのものとして扱っている。知は真理を隠してしまおうとするが、知の領域は決して完全なものと成り得ず、そこにできた亀裂を通して真理が現れる。真理は一瞬にして現れ、現れた瞬間に流星のようにもうそこから消え去っている。真理が全体像を現すことは決してあり得ず、われわれには常にその半面しか見せてくれない。このことをラカンは、真理の半言(mi-dire)と言っている。知への希求はわれわれを真理から遠ざけ、知識を増やせば増やすほど、真理は離れていく。知識を得ようとする知への情熱は、真理を隠そうとする無知の情熱——ラカンはこう呼ぶ——を裏返しにしたものにほかならない。
(向井雅明『ラカン入門』より「第Ⅱ部第四章 精神分析の倫理」 p.256-257)



 11時前起床。(…)さんから微信。明日(…)さんと一緒に10時にこちらの寮に来るという(のちほど10時はまだ寝ている可能性があるので、11時にずらしてくれとお願いした)。(…)さんが足を怪我しているので買い物に行くことができない、しかし食材は外卖でも手にいれることができるというので、今日のうちにぼくが(…)で買ってきてもいいよと応じる。蟹を煮るのに必要なものはネギ、生姜、塩、スターアニスだという。なんやスターアニスって? マリオのあたらしいアイテムけ? と思ってググってみると、トウシキミというスパイスがヒットする。まったく聞いたことあらへんと思ったが、別名は八角とあって、あ! 八角! きいたことあるぞ! となった。(…)さん曰く、中国のスーパーであれば普通は売っているという。そのほか、鍋用の食材として野菜や肉を適当に買っておく約束もする。もし足りなければ、その分だけ明日あらためて外卖すればよし。
 月餅最後のひとつを食う。きのうづけの記事はあとまわしにして、洗濯機をまわしておいてから、部屋の掃除にとりかかる。段ボールだの商品の箱だのがアホみたいにたまっていたのでまずはそいつらを一階の駐輪スペースそばに出しておく。フローリングに掃除機をかけて、埃の目立つ箇所だけ雑巾で拭いておけばそれで十分なのだろうが、こういう機会でもないかぎり大掃除なんてする気になれないからというアレもあって、いわばいきおいを借りるかたちで、クローゼットの中身やナイトテーブルのひきだしの中身もすべてぶちまけて、不要なものをポイポイポイポイ捨てまくった。消費期限の切れた薬、イヤホンや加湿器の箱や保証書、気胸になったときに撮影したレントゲン写真(なんでこんなもん残しとんねん!)、いったいいつどこで手に入れたかまったくおぼえのないあぶらとり紙、不要な書類や資料、なんに使われていたのかよくわからん家具のパーツらしきもの。だいぶすっきりしたところで、コーヒーブレイク。それからフローリングに掃除機をかけた。こびりついている汚れは雑巾で落とす。とりあえずひとを招くことのできるレベルにはなったかなというところで作業を中断。
 きのうづけの記事の続きを書いて投稿する。ウェブ各所を巡回し、2022年10月4日づけの記事を読み返す。当時新入生だったクラスの初回授業。誕生日の花束をもらっているが、ここで「チャラ男」と記されているのは(…)くんだ。うーん、なつかしい。(…)さんの名前も注目すべき学生として記録されている。

 始業時間がせまる。男子学生も続々とあらわれる。ちゃらちゃらした例の男が最後に教室に入るが、手に小さな花束をもっている。もしかしてと思う。その直後だったか、あるいは簡単なあいさつをこちらがした後だったかはもう忘れてしまったが、学生のひとりが中国語で「起立!」みたいな号令をかける。全員立つ。そして日本語で「先生お誕生日おめでとうございます」と口をそろえていう。ちゃらちゃらした彼が花束をもって教壇にやってきたので、ありがとうございますといって受けとる。見当ははっきりついていたが、いちおうどうしてみんなぼくの誕生日を知っているのと、ここは中国語で口にする。すると、案の定、(…)さんの名前が中国語読みで口にされる。オリターである彼女の差し金だ。チャラ男がクラスメイトらにうながされるがままに事情を説明しはじめる。つまり、こちらの誕生日は明日であるが、その日は授業がたくさんあるので時間を作ることができない、そこで一日早いのだが今日花をプレゼントすることにした、と。チャラ男、やっぱりかなりできる。こういう役を任されている時点で、少なくとも口語に関してはクラストップという位置づけなのだろう。
 で、授業をはじめる。まずは自己紹介。あらかじめ用意しておいた短く簡単な文章をスクリーンに映しながら、(…)と京都と(…)の写真を複数枚ずつ紹介するかたち。スクリーンに映った文字を一字ずつ声に出してたどろうとする学生の様子を見るかぎり、マジで五十音だけしかできないのかなというレベルのアレなわけだが、こちらが話している途中にもかかわらず「先生! アニメは好きですか?」と突然質問してみせるチャラ男のほかに、スクリーンに映している文章を即興で中国語に翻訳してみせる女子もひとりいて、先に書いてしまうがその子は(…)さん、高校二年生から日本語を勉強している子だった。

 ちなみに翌日の誕生日は現四年生ら10人くらいに誘われていっしょに夕飯をとる約束があったのが、ほかの学生たちからも続々と誘いがかかっている。

 第五食堂で打包。帰宅して食うべきものを食う。(…)さんから微信。明日いっしょに夕飯はどうですか、と。おまえな! (…)のカリスマ日本鬼子であるおれの誕生日ディナーを前日に押さえることができるなどと思うなよ! 代わりに土曜日の夜に決まる。さらに(…)くんから電話。明日先生の誕生日であるしスピーチ組で一緒に夕飯をという。くりかえす。(…)のカリスマ日本鬼子であるおれの誕生日ディナーを前日に押さえることができるなどと思うなよ! もうその日は先約がある、予約が殺到しているわ、と笑って応じる。代わりに金曜日の夜に決まる。さらに新入生の(…)くんから今から夕飯はどうですかとの誘い。もう食ったと返信。今週の予定はすべて埋まったと先手を打っておく。そうでもしないと死ぬ。

 今年の誕生日は都合よく連休中にハマってくれたので去年のようにバタバタせずにすむ。というか去年はマジでこの時期あちこちから誘いがあって本当に大変だったし、ケーキだけでもホールのものを三つか四つもらって、しかたがないので朝食や夜食代わりにひとりで食べるようにしていたのだが、何日も続くといい加減気持ち悪くてしかたなかった、そういう苦い思い出があるので、例年は授業中の雑談などでもうすぐ先生の誕生日だから当日はひとり100元持ってこいよ! 持ってこなかったら不合格にするからな! などとクソどうでもいい軽口を叩きまくるわけだが、今年はそういう誕生日ネタは一切口にしていない。それに、食事会やパーティーなどがあるとそれだけで日記が長くなり、スケジュールがかなりタイトになってしまう。今月は今学期の山場なので、なるべく授業以外の予定を入れたくない。
 2013年10月4日づけの記事を読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。そのまま今日づけの記事をここまで書くと、時刻は16時だった。掃除中や作文中は『no public sounds』(君島大空)や『Distorted Rooms』(radian)や『21世紀より愛をこめて』(Tempalay)や『New Era』(syndasizung)などを流した。

 小雨の降る中、(…)へ。牛肉担担面を食す。そのまま(…)で買い物。八角、バッチリ売っていた。ほかに牛肉、羊肉、麺、米、生姜、長ネギ、白菜、食器用洗剤などをまとめて買う。
 帰宅。寮で白人男性を見かける。(…)の入り口でも大量の買い物袋を地面におろしてどこかに電話している黒人女性と白人女性を見かけた。最近、これまで目にしたことのない外国人を寮の敷地内でたびたび見かける。たぶん新しい留学生だと思うのだが、コロナ期間中はアフリカからの黒人留学生しかいなかったので、ちょっと目新しい。先日は(…)で見かけたのとは別の白人女性も見かけたし、その前はヒジャブを身につけた小柄な女性を見かけた。コロナ以前の留学生もやはり大半がアフリカ系で、それにくわえて(…)さんいうところのスタン系の出身者(中央アジアということになるのか)がぼちぼちいるという感じで、人種的にいえば白人など見かけることはまずなかったのだが、今学期はけっこうちらほら見かける。しかしこの時期の中国、それも(…)のようなクソ田舎にある三流大学に(カテゴリーとしてはいちおう一本大学であるけど)、西側諸国の人間が好きこのんで来るとはとても思えないので、あれはたぶんロシア人だろう。

 仮眠をとる。浴室でシャワーを浴びる。ついでにバケツを洗う。洗濯中にホースから漏れる水を受けるために置いている青色のプラスチックのバケツであるのだが、底のほうにたまった水に藻のようなものが大量に繁茂している。すくってみると、ふえふえわかめちゃんそっくりなブツで、これはアレだ、洗濯機とホースをつなぐ接続部のフィルターにたびたび詰まるせいで洗濯機の水の流れがとどこおる原因になっているあのふえふえわかめちゃんとおなじブツだ。これってつまり、水道管か貯水槽かわからんが、やっぱりどこかにこの藻類が繁茂しまくっているということだよなと思う。こういうのを見てしまうと、沸かせばだいじょうぶだといわれても、やっぱりここの水道水を飲む気にはなかなかなれない(実際、こちらはラーメンを作るにしても、かならずウォーターサーバーのほうの水を使うようにしている——いや、そのウォーターサーバーの水ですらあやしいという意見もまた存在するわけだが!)。越してきた最初の年からこんな具合であるが、(…)に訴えるようなことは特にしていない。どうせ無意味だろうから。
 あがって、「(…)」の教案改稿。二年生前期では「型」なしで作文を書くのはまだむずかしいと思うので、テーマに即した「型」を今日あらたに用意したのだが、意外と時間がかかった。すんだところで冷食の餃子にパクチーをひと束まるごとぶっかけて食す。23時ぴったりに広州の(…)さんから誕生日おめでとうの微信。中国時間23時ということは日本時間0時で、彼女は毎年この流儀でバースデーメールをくれるのだ。お礼を言う。二年生の(…)さんからもおめでとうの微信。二年生にはこちらの誕生日を教えていなかったと思うので、この不意打ちには驚いた。前回のキーホルダーに続けて、また手作りのちょっとしたものをプレゼントしてくれるという。