20231025

 ギデンズ、ベックは、主体が共同体の規範のような主体の外のシステムに依存せず、すべての自身の行為を自己決定しその結果にも責任を持つあり方を「再起的自己」という概念で示す。そしてこの再帰性は社会の進化と共にますます高度化して、自己の制御力が高まるとする。それゆえアイデンティティ・クライシスとは再帰的自己の機能不全(例えばアディクション)すなわち例外的な機能不全にすぎないとし、原理的な危機とは考えない。もちろん、先の三つの議論が示唆するような社会状況の過酷な変容を無視しているわけではない。リスク社会への移行は「個人化のパラドクス」をもたらすこと、すなわち個人の裁量がどんどん増すと同時に、個人をコントロール不能な状況に陥らせること、近代的個人——再帰的自己の困難が構造的な困難であることを指摘している。とはいえその困難も政治的解決により克服されると楽観的に予測し、むしろ政治的機会の増加に希望をもち、アイデンティティ・クライシスは原理的困難ではなく乗り越えられるべきものであるとする。
(…)
 ジジェク(1999)は、リスク社会論者たちが、リスク社会の出現は象徴的なものそのものを掘り崩すというよりも「象徴的なものへの信頼やコミットメントを掘り崩してしまう」ことに気づいていないと批判する。「信頼とは、象徴的制度への最小限の非反省的な需要に依存している」ものである。「伝統や自然という存在は、単に決定の困難を免除していただけではなく、私たちが何かを決定しうるような理性の働きを根幹で支える、象徴的なものへの信頼そのものを支えていた」。そのことにリスク社会論者たちは十分に気づいていない。主体が透明で反省的な主体たりえるのは、これを支える伝統や自然、精神分析で言えば無意識的なものをはらんだものが存在するからである。ギデンズらにとって、無意識とは、反省や理性によって意識化されていく闇(植民地)にすぎないものであり、議論から消去されてしまう。
 アイデンティティや主体についての原理的構造的な分析がなければ、アイデンティティ・クライシス論は有効なものとならず、むしろ現実の心的危機を見逃すこととなる。ここでは精神分析の主体の構造についての認識が必須である。
樫村愛子『「心理学化する社会」の臨床社会学』より「グローバリゼーションとアイデンティティ・クライシス」 p.70-72)



 昨夜はひさびさに足の裏の皮を無理やり剥くのに熱中してしまい就寝が遅くなった。水虫でもないし魚の目があるわけでもないのに、定期的に皮を剥き剥きしたくなるのだ、爪切りをわざわざ持ちだしていくらか硬質化している箇所に切れ目を入れ、そこを爪の先で延々とカリカリしてしまうのだ。子どものときからずっと皮を剥いたりかさぶたをはがしたり鼻くそをほじったりするのが好きであるし、大人になってからは過度に耳かきをして耳の中を傷つけてしまったことも何度かある。分離の享楽だ。いや、剥いたりはがしたりほじくったりすることに淫しているのだ。
 そういうわけで寝不足のまま7時半起床。朝食はトーストとコーヒー。今日は久しぶりの雨ふり。最寄りの小卖部でミネラルウォーターを購入し、傘差し運転で外国語学院へ。傘差し運転している時点で他人のことをあれこれいう資格はないのかもしれないが、こちらの前を電動スクーターに乗って走っている男子学生が、こちらと同様片手に傘を差し、かつ、ハンドルの近くに固定しているらしいスマホに不自然に顔を寄せた状態で運転していて(通話しているのかボイスメッセージでやりとりしているのかは不明)、そりゃキャンパス内でしょっちゅう事故も起きるわな。
 四階に移動。ほどなくして(…)くんがやってくる。中に入る。(…)さんと(…)くんも来る。(…)先生の話になる。みんなやっぱりあまり好印象を抱いていないようす。彼の発音に違和感はなかったかとたずねると、(…)くんと(…)さんは特になんとも思わなかったようだが、(…)くんはやはり気づいていた。その(…)先生であるが、きのうは(…)先生といっしょに(…)を観光していたらしい。(…)先生はきのう(…)さんのモーメンツに登場していたが(正確にいえば、彼女の友人らしい他学部の女子学生のモーメンツに(…)先生とその女子学生のツーショットが投稿されているスクショを彼女が投稿していた)、あれはたぶん(…)先生と学生数名で観光&食事会をおこなったということなのだろう。(…)先生が日本人といっしょに行動するというのはかなりめずらしいが、(…)先生は中国語がネイティヴレベルであるし、それなら問題ないというあたまがあったのかもしれない。それにくわえて、仮にこちらが(…)を去ることになった場合、大学側としては後任の外教をなんとしても見つけなければならないわけで、そのためのいわば命綱として彼と交流関係を結んでおくというアレも多少はあったのだろうと思われる((…)先生は間違いなく顔がひろい)。
 テーマスピーチを通す。即興スピーチはじぶん以外の学年の学生が担当するテーマスピーチのお題で二題ずつやらせる。11時をいくらかまわったところで、中途半端に時間があまったことであるし、一年生の授業をやっている(…)先生のところに押しかけて、舞台度胸をつけるために学生らの前でテーマスピーチの発表をさせてもらおうかと提案する。今日は化粧をしていないのでいやだと(…)さんがいう。(…)先生のほうの事情もあるだろうし、まあ別にそれはしなくてもいいかとなったが、ずっと以前、ひょっとしたらもう先学期かもしれないが、彼女から借りた傘を返しそびれていることに今日気づき、リュックサックのなかに入れて持ってきていたので、とりあえず学生らを引き連れて教室のほうに移動する。
 (…)先生、パソコンのずらりとならんでいる教室で授業中だった。視聴覚教材を使ったリスニングの授業。入り口から声をかけて傘をお返しする。後ろにスピーチの学生をひきつれているのを見て、せっかくだから発表していきますかという言葉があったので、心の準備ができていない! という学生らをやや強引に教壇にのせる。三人の中ではもっとも緊張しないタチである(…)くん、中盤で内容をおもいきり飛ばしてしまう。(…)さんは緊張のせいで発音がぐちゃぐちゃ。(…)くんはいちばんマシだったが、やはり声が少し小さくなっていた。三人終わったところで、全員めちゃくちゃ緊張していましたと告げると、(…)先生は笑った。一年生らはみんなほとんど一言も聞き取ることができなかっただろうが、のちほど(…)くんがみんな想像以上に熱心にじぶんのほうを見ていたのでちょっと驚いたと言っていた。やはり(…)先生の担当するクラスだけあって、たとえ「調済」組が多かったとしてもモチベーションは高いのだ。
 それで練習は終わり。小雨の降る中、ケッタに乗って第五食堂に移動。打包。帰宅して食し、それから1時間半ほど昼寝。覚めたところで明日の日語基礎会話(三)の準備。(…)さんから教学手冊の記入方式について質問があったので返信。教学手冊は来週の授業に持ってきてくれればいいと告げてあったのだが、明日の8時から彼女らはこちらが授業をする隣の教室で(…)先生の基礎日本語を受けることになっている、だからその際に手渡しますとあった。(…)さんからもひさしぶりに連絡があった。相談したいことがあるので、今夜か明日の晩電話してもいいか、と。明日朝イチで授業なので、今日電話するのであればあまり遅くならない時間帯にしてほしい、明日の夜であれば遅くなってもかまわないと返信。
 夕飯はふたたび第五食堂。夕方になっても雨が降り続けている。食し、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回する。2022年10月25日づけの記事を読み返し、今日づけの記事もここまで書くと、時刻は19時だった。

 シャワーを浴びる。コーヒー豆が切れてしまったのでインスタントのものを飲みながら、20時から22時半まで「実弾(仮)」第四稿執筆。シーン50、ひとまず片付く。まだちょっと物足りない気もするので、明日また加筆するかもしれない。プラス20枚で計994/1040枚。執筆中、右肩と右膝のかさぶたを一部剥いてしまった。
 二年生の(…)くんから微信。N1の過去問。たとえおなじ国であっても過去はほとんど異国や異文化のように思えるみたいな文章。先生もそう思うかというので、四十年弱しか生きていないがそれでも部分的には理解できると応じるとともに、しかしその感慨はむしろ中国人のほうが理解しやすいのではないかという。(…)くんはまだ19歳か20歳、しかしそれでも子ども時代の中国といまの中国はやっぱり全然違うといった。それほど大きな差があるというわけだ。
 一年生の(…)くんからも微信。日本語の論文を送ってほしいという。論文といっても色々あると応じると、人文社会学の論文だという。いやだからいろいろあるじゃんと思ってさらにたずねると、中国史の論文を読みたいという。中国史に関係する一部の研究は中国本国よりも日本のほうが優れていると聞いた、だからその手の論文を読みたいのだというので、手元に中国紙に関する論文がないこと、そもそもあったところで彼のいまの日本語レベルではおそらく読むことができないことを告げた。翻訳アプリがあるので問題ないという。本や論集については代购で手にいれることもできるかもしれないから探してみればどうかと告げる。
 貧乏ラーメン食す。寝床に移動後、Bliss and Other Stories(Katherine Mansfield)の続きを読み進めて就寝。