20231109

 今日の社会における「自己決定性」の増大は、心を操作する伝統的な制度としての宗教をも変質させており、宗教は脱制度化して(Mardones, J., 1996. 島薗・1996他)自己操作的な心理療法の技法を摂取し心理療法へと接近しつつある。だがこれは文化と意識を解体させる本質的危険をはらんでいる。なぜなら、「文化」を可能にする主体の基底的なシステムは他者を通じて行動を構造化し、他者を「取り入れ」ながら「他者に向かう」行動として欲求——欲望を構成していくシステムであり、通常それは幼児期に無意識的に形成されるものだが、心理療法はこの無意識的に形成された構造、特に欲望の迂回・禁止・抑圧などの精緻な作用を心理操作によって解体してしまい、文化に対する破壊力をもつからである(Freud, 1939; Lacan, 1986)。一般に心理療法は、他者に由来する無意識的な禁止のシステム=文化を解体しつつも、他方で主体が元来他者に依存することを科学的認識として受容させ、再度主体が他者や時間を受容し文化を受け入れることを可能とする。しかし宗教は最終的に幻想内部に留まり苦痛を与えるような科学的現実認識は否認する。しかも脱制度化した今日の「自己決定的」宗教は、伝統的宗教がもっていたような「他者」と文化の再措定の過程をもちにくいので、宗教による心理療法の利用は文化破壊力のみを無自覚に使用する可能性をもつだろう。それは結果的に、宗教のもつべき社会性を失い、主体の心的疾患を引き起こすこととなる。
樫村愛子『「心理学化する社会」の臨床社会学』より「自己啓発セミナーの困難——「自己による自己の支配」が生み出す自己の解体」 p.175-176)


  • 7時のアラームで起きる。モーメンツをのぞくと二年生の(…)さんと(…)くんが大学の決定に不満を漏らしている。運動会が延期されたのだ。ほどなく(…)からも通知が届く。くそったれ。急いで支度をする。「(…)」を印刷する。
  • 小雨の中、傘差し運転で外国語学院へ。6階の教室にたどりつくも、学生の姿は10人に満たない。運動会は延期されたが、朝の自習はなかったのだろう、それでまだ教室にたどりついていない学生が大半なのだ。すべりこみでやってくる学生らを尻目にこちらは印刷した資料をひとつずつホッチキスで綴じていく。(…)さんから微信。(…)出身の彼女は昨夜すでに実家に帰っている。いま急いで教室に向かっているとのこと。
  • 8時から日語会話(三)。みんな寝不足で元気がない。こちらも同様。四連休のはじまりのつもりでみんな夜更かししていたのだ。授業は「(…)」。授業開始後ほどなく(…)院长が廊下に姿をあらわした。ふつうは監視役の学生が廊下に姿をみせてちゃんと授業をしているかどうかの確認をするのだが、なぜ(…)院长がやってきたのかは不明。朝ごはんを食べている学生らも複数いたのだが(こちらは授業中に軽く飲み食いするのをよしとしている)、もしかしたらこの点のちほどとがめられるかもしれない。授業はやや散漫。グループ分けが機能するところとしないところがある。いい年をして男子学生と女子学生で距離を設けるなよとちょっとあきれる。(…)くんにしても(…)くんにしても自意識が強すぎる。(…)くん、おなじオタク趣味がありおなじコスプレ趣味がある(…)さんとせっかくおなじグループになったのに、おたがいにひとことも言葉を交わそうとしないし——と書いたところでふと思ったのだが、もしかして彼らは入学直後に交際にいたったという過去があるのではないか? しかし交際開始してすぐに別れたその結果ぎこちない関係になっているのでは?
  • 授業を終えて教室を出る。五階におりたところで教室移動中の三年生の姿を見かける。(…)さん、(…)さん、(…)さんの三人と次の授業ぎりぎりまで立ち話する流れに。きのうの午後だったかおとついの午後だったか忘れたが、スピーチの代表三人は(…)先生のところにコンテストの報告をするために呼ばれた。そこでたいそう叱られたという。「叱られた」というニュアンスがどれほどのものであるのかわからない、コンテスト本番の動画を見ながらあれこれダメ出しされた程度なのかもしれないが、いずれにせよろくに指導もしていないあのクソたぬきにそんなことをする権利などあるはずがない。スピーチコンテストは来年も開催されるという。当然だ。例年のことだ。しかし昨日、(…)さんから来年は開催されないという噂を聞いたという話があったのだった。いや、あれはもしかしたら開催されるされないの話ではなく、うちが参加するしないの話だったのかもしれない。来年(…)くんがまた参加すると思うというので、一度出場した学生は無理でしょうというと、入賞しなかった学生は再チャレンジが可能なのだという。インターンシップに参加するから難しいのではないかというと、10月には帰国するし間に合うだろうという返事。本人もいちおうそのつもりらしい。こちらとしては正直外れたほうがいいと思う、(…)さんか(…)さんにやらせたほうがいい(声質や発声、日頃の会話能力などを考慮すると、おそらく後者だろう)。来年のコンテストはテーマがすでに決まっている。「海外に中国文化を広めよう」みたいなもの。このテーマというのはスピーチのテーマではなく、コンテスト全体の総合テーマみたいなものなのだろうか? よくわからん。
  • 当然(…)先生の悪口大会にもなる。スピーチコンテストのグループチャットを予告なしに突然解散させたという噂のふるまいについて(…)さんが言及するので、(…)くんから聞いたと受けると、その件で(…)老师がたいそう怒っていたという。グループには重要な書類の数々も投稿されていた、それらがすべて失われてしまったわけで、いったいなにをやっているんだ、と。さらにコンテストの審査基準についても、会場に実際にいた(…)老师がこれこれこの点はおかしいと指摘したのに対して(その指摘はもっともだと(…)さんは言った)、(…)先生は反対の論陣を張って議論になったみたいなこともあったようで、あのババアほんとろくでもねえなとあらためて思った。(…)さんは自身が出場した去年のスピーチコンテストの件も持ちだした。あれだけ温厚な(…)さんを何度もブチギレさせた(…)先生のふるまいの数々についてだ(彼女とこちらの書きあげた原稿を一方的にボツにし続けるだけでその理由をいっさい説明しない、彼女がコンテスト本番にそなえて購入した衣装を否定しじぶんがよそから借りた衣装を無理やり着せる、そして例によってスピーチ練習とは名ばかりで学生らに作文を書かせるだけでじぶんはスマホをいじりながら菓子を食っているだけという日頃の態度などなど)。
  • 立ち話の途中、そばを通りがかった(…)くんや(…)くんとあいさつ。書き忘れていたが、昨日の食事会の席で、(…)くんがクラストップの成績で奨学金を得ることになったという話を聞いたのだった。ほかに(…)さん、(…)さん、(…)さんも含む四人が、たしか「三好学生奨学金」みたいな名前の奨学金を受け取ることになったとのこと。上位四者ということだろう。
  • 立ち話をしているわれわれのそばに一年生がいることに途中で気づいた。顔には見覚えがあったが、名前はわからない。女子学生。(…)さんになにか話しかけていた。たぶんあなたは日本語学科の先輩だろうかと質問していたのだと思う。先輩らが日本人と日本語で立ち話をしている現場をみて、ちょっとでもあこがれを抱いてくれればいいのだが。
  • 帰宅。(…)から微信が届いている。明日8時半にofficeで落ち合いましょう、と。健康診断の件だ。11時になったところで第五食堂で打包。食後はベッドで三時間ほど寝る。
  • コーヒーを飲みながらたまっている日記を進める。18時すぎに中断してふたたび第五食堂へ。下の階で(…)とすれちがう。さらに外に出たところで、聞き覚えのある声を耳にする。上の部屋のババアだ! 前を歩いている! 勝手にババアだと思いこんでいたが、実物はそうババアでもなかった、むしろ後ろ姿を見るかぎりこちらとそれほど年齢の変わらない中年女性かもしれない。しかしかなり太っている。そしてとなりにはその女とおなじくらいの背丈の男がいる。こいつらか! こいつらが上階でしょっちゅうでかい声で騒いでいるバカなのだ! 爆弾魔とはやっぱり別人だ!
  • 時間が時間だったので第五食堂には残り物しかない。その残り物を食したあとも日記。とうとうきのうづけの記事を完成させるところまでいく。投稿し、いったんシャワーを浴び、それから今度はたまっている記事の読み返しにとりかかる。まずは2022年11月6日づけの記事から同年同月9日づけの記事まで。それから2013年11月6日づけの記事から同年同月9日づけの記事まで読み、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。
  • 以下は6日づけの記事より。

ある男が自分のコンピュータに向かってこうたずねた。「お前はいつか人間みたいに考えられるようになると思うか?」すると、コンピュータがしばしジージー、ブンブンやってから吐き出した紙にはこう書いてあった。「そのことで、ある話を思い出したんですが……」
グレゴリー・ベイトソン+メアリー・キャサリンベイトソン星川淳吉福伸逸・訳『天使のおそれ』より「メタローグ:なぜお話するの?」)

  • 以下は8日づけの記事より。

鶏胸肉を仕込んでいるときであったか仕込む前であったか仕込み終えてからであったか、あるいはそれらすべての手続きを通してなのかもしれないけれども、頭のなかで言葉を組み立てていて、というか自動筆記のようなものをしていて、料理や洗いものや入浴といった目をつむってもできるような慣れしたんだ手作業の間はいつもそうなのだけれど、頭のなかで日記を書くか自動筆記をするか単語と単語を組み合わせてパズルのような感覚で詩編らしきものをでっちあげるかみたいなことにかまけてしまう癖があって(この手作業が長丁場になったりすると頭のなかで日記を最初から最後まで完全に書きあげてしまうこともある、そういうときは同じものを二度書く手間のわずらわしさから本来のブログの記事が極端に短くなってしまったり更新を翌日にまわしてしまったりする)、これはもう日記を長らく書きつづけているとどうしてもそうなってしまうというところがあるというか要するにモノローグが書き言葉になってしまう現象の帰結としてある無意識の一人遊びであるわけなのだけれど(このあたりの現象については「偶景」に書きとめた)、こういうときたとえば小説のアイディアなんかも浮かびあがったりするのだけれど今日はそうでなくて、「底無しの枯れ井戸に水をもとめて落下しつづける」という短いフレーズが不意にあらわれた。それでひと呼吸置いてから、これはちょっとすごいなと戦慄した。なにかやばいものを掘り当ててしまったと思った。いまもそう思う。この一文にはなにかしらひとをハッとさせるものがある。強力すぎてうかつに小説に使うこともできない。ゆえにここに置いておく。

  • 今日づけの記事もここまで書く。明日は健康診断で朝から水も食事もとることができないので、夜食のトーストをいつもより多めに食っておく。寝床に移動後はBliss and Other Stories(Katherine Mansfield)の続き。