20231110

 自己啓発セミナーは、「自己啓発」という名により行動的強迫的性格を感じさせるが、実際の商品名は、例えば「ライフダイナミクス」から分かれた「Be You」や「iBD」(= It’s a beautiful day)など、むしろ「存在」的な趣をもつ。「自分の人生は自分に責任があり全て自己選択で決めてきた」というメッセージは自己啓発セミナーの中でくり返されるもので、自己啓発セミナーは、過去も現在の無意識も「全存在」を自己支配のもとに回収しようとする。それは自己決定を倒錯的/強迫的症候とするものだが、その中身は企業の「地獄のトレーニング」のような体育会系実践ではなく、心理療法の技法を用いて集団的な退行状態を誘導し、その中での退行的充足を完全な自己支配という倒錯的充足感に高めあげ、それをばねに現実的・世俗的な目標達成も自らの意思次第でなしうるという信念を受講者に与えるものである。セミナーでの退行的享楽と充足感は非常に強いものであり、この退行的充足と他方での目標達成・現実的実践という二つの異質物の結合が、自己啓発セミナーの奇妙な性格を形作っている。いうなれば宗教と資本主義・近代システムの奇怪な結合といえなくもない。
 この結合のメカニズムは後に見ていくとしてここでもう一つ歴史的な問題を確認しておこう。存在論と強迫的自己実現の強度をもった結合は、多分に偶然の歴史的産物でもあるからである。もともとアメリカのヒューマン・ポテンシャル・ムーヴメントの流れの中では、存在論的な自己確立は元来共同体の中で現実的に他者と共にあった自己に、種々の心理療法の技法などを通じて、いったんその共同体の外側で、最も退行的な水準で世界と他者の存在を確認させ、それによって自己を支え、自己を既存の共同性から自立させていく過程であった(Ferry, L. et. Renaut, A., 1987)。これは当時のアメリカ社会で既存の共同体が揺らぎ始め、したがってそこから一定距離をもって自己を再確立し、それを通じて共同性をも構築し直す必要があったからである この共同性はネットワーク的な共同性として想像されたものであったが、結果的には、その後この共同性は新しい社会運動のような形で保持された部分はあるにせよ、むしろ、社会の共同性は資本主義的な(消費主義的な)システムに回収され、消失していった。そして日本で自己啓発セミナーが隆盛した八〇年代には、すでに社会的共同体は完全に失われてナルシシズム個人主義が確立しており、セミナーの技法が照準する存在論は、共同性——社会性の再構築というより、まったく新しい退行的な共同性を人工空間に生み出して、そこに自己を幻想的に囲い込むことになった。七〇年代には残存する社会的共同性を支えに自己確立と社会再編をめざした同じ技法が、八〇年代には共同体の完全な不在の下で、「全能の」自己の力能に幻想的に従属するセミナーの擬似共同体を生み出し、主体はその非日常的な擬似的・倒錯的共同性を宗教的な真実と錯覚し、しかも真の自己がそこにあると思い込むのである。
 自己啓発セミナーが心理療法の技法を使用しながら心理療法ではなく宗教であるのはどの点においてだろうか。ここで自己啓発セミナーは宗教だといえば、自己啓発セミナー会社や成員は否定するだろう。自己啓発セミナー供給者は宗教法人ではなく株式会社であり、またここには宗教を規定するような超越的なもの信仰や体系・儀礼は見られない。同じように心理療法を使用して昨今新しい宗教として着目されているニューエイジが、前世やハイアーセルフのような超越的な存在を措定し、オカルト的な固有の観念をもっているのに対し、自己啓発セミナーにはそういった点は見られない。しかし自己啓発セミナーは宗教のようだとさんざんいわれてきたように、自己啓発セミナーを受講した人は宗教的といえるような倒錯的な充足を経験し、直後に妄想的・躁的に元気になり、ある種の現実認識の麻痺を起こす。この自己啓発セミナーの倒錯的な充足と現実感の麻痺は、心理療法の技法の利用によって起こる退行的経験を、特殊な体験として相対化してそれを現実認識のための一手段とするのではなく、退行的経験の方を転倒して「真実」ととらえることで構成される。こうして自己啓発セミナーは、これまでの宗教のような超越的意味空間はもたないにせよ、やはりある種の絶対性・宗教性を形作っているといえるだろう。
 だが他方で、自己啓発セミナーが宗教だといえるかというと、本来の宗教は非日常的空間を経由して、共同性・社会性を再構築し主体を再措定する機能をもつのに対し、セミナーは特殊な人工空間を受講者に現実と混同させ、日常空間に帰ったときにトラブルや心的疾患を生み出すことなどから、それは宗教もどきではあっても宗教ではないと考えうる。セミナーの倒錯的な経験の快楽は、少ない場合は数日しか持続せず、また現実の中でその固有な体験を意味付けし記憶として持続させることが困難であり、結局倒錯的体験は外傷のように本人に刻印される体験として残り、むしろ人格統合的には困難をはらむ。自己啓発セミナーは、宗教から意味論的超越性を排除しより純粋な幻想を構成しようとして宗教的進化を遂げながら、結果的には、超越空間と現実世界を混同した中途半端な性格ゆえに、聖性を日常の外部にあって日常世界を支える準拠点として用いる本来の宗教的安定性を失い、宗教もどきになってしまったシステムなのである。もちろん一方では、自己啓発セミナーは、従来の宗教からの離脱の程度において、心理療法的な科学的認識を得させる経験をもっているかもしれないし、セミナー体験の科学的な対象化と再構成が可能なら、それは、宗教的経験を通じた科学的認識への道を構成する可能性もある。通常の人間は、心的疾患に由来する苦痛か、自己啓発セミナーのような倒錯的快楽を得るのでなければ、主体の幻想を解体するような現実認識など受容したがらないからである。しかし例えば、精神分析の真の習得は非常に長い時間を要し、科学的認識の蓄積と幻想の解体を要求する容易ならぬプロセスであるため、現実にはセミナー参加者がその体験を対象化する可能性は少なく、自己啓発セミナーは、その文化破壊力の方が社会的に見て問題あるといえるだろう。
 また、先に、自己啓発セミナーがもつ自己決定性への強迫について、資本主義・近代システムとの類似性を示唆したが、しかし一方、ここで資本主義や近代システムは、未来へ向かう時間という他者性をやはり構成して、主体の行為を可能にしていることに注意したい。これに対し自己啓発セミナーは、宗教としての倒錯性において時間を停止し、この他者性を回収してしまう。しかも従来の宗教は同じように時間を停止して幻想的充足を与えつつも、その領域を超越的他者として意味的に措定し他者性を最終的に確保するのに対し、自己啓発セミナーはその超越性を欠いてナルシシズム的な理想的自己という形式で倒錯的に超越領域を囲いこむため、その絶対的な場と自己との距離の不在によって他者性は構成されず、他者は意識からまったく排除されて、結局他者によって/他者に向かって行為を可能とする主体に対し、行為不能を帰結させる。
樫村愛子『「心理学化する社会」の臨床社会学』より「自己啓発セミナーの困難」 p.177-180)


  • 7時半起床。健康診断ゆえに飲み食い禁止だが、歯磨きをすませたのち、ちょっとだけ白湯をのむ。
  • 徒歩で国際交流処へ。officeには(…)の姿。コーヒーを飲むかというので、これから健康診断を受けにいくところだから飲むわけにはいかないと返事。(…)がやってきたところで外へ。近くに停めてある車の後部座席に乗りこんで病院まで移動。10分ほどの道のり。
  • 今回の契約更新にあたって(…)はleaderからはじめてこちらについて色々たずねられたという。学生からの評判は非常に高い、作文コンクールでも毎年教え子が賞を獲得している、そもそも(…)省には現在日本人教師が三人しかいないと答えると、丁重に扱うようにといわれたとのこと。しかし現在(…)省にはそれ相応の数の日本人——といっても10人にも満たないが——がいるらしいことをこちらは前回のスピーチコンテストで知ったばかりだ。その点告げると、わたしはleaderに嘘をついてしまったかもしれないと笑う。(…)大学の給料がうちとほとんど変わらないらしいという話や(…)学院の給料がとても高いらしいという話をする。省内にある大学の国際交流処には横のつながりがあるのでそのあたりの事情について(…)も知っているという。(…)学院の給料が高いのは予算が(…)市から出ているからだという。そういえば、(…)先生もなにかそんな感じのことを言っていたな。(…)が(…)大学でかつて働いていたか、あるいはこれからmoveするか、ちょっとどちらかわからなかったが、そういうことも(…)は口にした。金はいいのだが、授業数はとても多い。(…)には(…)にgirl friendがいるという(という話から察して、おそらく来学期moveするのだろう)。
  • 病院の地下駐車場に車を停める。前回おとずれた病院とは異なる。指摘すると、前回の病院をおぼえていないというので、もっと小さくてたしかpublicではなくprivateだったと受ける。police stationのleaderが変わった影響だという。現在は(…)市内にあるトップ3の病院で受けたmedical checkの結果しかpolice stationは受理しなくなった、と。(…)自身はこの変化を良いものと捉えているという。privateの病院のなかには金のことしか考えていないところもあるからといったのち、(…)さんがHIV検査で偽陽性になった件について言及するので、そんなこともあったな! となった。privateの病院は検査の手続きもいろいろ雑である、その結果として二度手間になることもある、だから(…)としてもstrictに対応してくれる機関におもむくほうがいいのだとのこと。
  • 受付へ。日本人の到来に看護師らがややざわつく。(…)は総合受付に支払いにいく。そのあいだ受付にいたもっとも若い看護師——顔立ちがちょっと三年生の(…)さんに似ている、黒いジャージの上に白衣をはおっている女子だ——のガイドで、採血室→血圧測定→肺のレントゲン→身長と体重測定→耳と鼻と喉の検査→歯の検査→視力検査→心電図とめぐる(順番は一部忘れてしまった)。去年はこちらの記憶にあるかぎり、採血と検尿とレントゲン検査と心電図のみだったと思うのだが、やはり市内トップ3に入る病院だけあっていろいろしっかりしているし、病院自体もとても清潔だった。今回おとずれたのは(…)市第一中医医院で、以前気胸をわずらったときにおとずれたのは(…)市第一人民医院だったと思うが、今回のほうがはるかに清潔で機器もあたらしかった((…)によれば最近リニューアルしたばかりらしい)。血圧測定の機会がOMRONだったので担当してくれた男性医がこれ日本製だぞと笑いながらいった。歯の検査をしてくれた男性医もこちらが日本人であると知ると変にテンションがあがってこちらにはまったくききとれない中国語でいろいろ説明してくれたが(口内の状態はおおむねよしらしい)、身長と体重を測定する部屋にいた男性医だけはこちらが日本人であると知るなり、日本人……?(ギロリ)みたいな反応をていした。視力検査をするころには(…)も合流していたのだが、専用の一室があたえられるのではなくほかの患者らがふつうにいきかう廊下で「上!」とか「下!」とかやる形式で、めがねをかけたままやったのだが、なかなかむずかしかった。(…)はこちらの少し後ろでおなじようにじぶんの手のひらで片目を隠して挑戦したというのだが、裸眼にもかかわらずこちらより視力がよかったというので、マジで? とびっくりした。色盲チェックもあった。点描された模様のなかに浮かびあがってみえる数字を答えるやつ。中国語で答えたら、あなたの発音はきれいねと女医に褒められた。
  • すべてとんとん拍子で進んだので、おもっていたよりもはやく帰宅できるだろうと期待していたが、腹部エコーだけ時間がかかった。廊下で30分以上待ったと思う。(…)によれば、この病院で唯一の問題点はこのエコーの待ち時間なのだという(以前(…)と(…)のふたりを連れてきたときもずいぶん待ったとのこと)。それでひととき雑談。中国の教育環境について。小学生はまだマシであるが、中学生も高校生も信じられないくらいの量のhomeworkに苦しんでいるという。優秀な学生であったとしてもすべて終わらせるころには夜の10時半になっているというので、双减政策はどうなったんだとたずねると、少なくとも(…)においてはまったくworkしていないという返事。とにかくcompetitonがharshだというので、内卷かと受ける。驚いたことに(…)は中国における出生率の低下を歓迎すると口にした。子どもが少なくなればその分競争率が低下する、子どもらにとってもうすこし人間らしい社会になるというので、たしかにうちの学生からも似たような話を聞いたことがある、少子化がどんどん進んだほうがむしろいい社会になるといっていたと受けたのち、もちろんこれはprivateな会話で出た話題だよ、授業中に話したことではないと冗談めかしてつけくわえると、わたしたちのこの会話もprivateだから問題ないと(…)は笑っていったのち、出生率のrapidlyな低下をあらわすグラフを指先で宙に描いたのち、Great! といいながら拍手してみせた。こういう反応をみると、ゼロコロナ対策をきっかけにしてそれまでそういうことを考えもしなかった一部の人民らのあいだに政府や社会を疑う傾向が出てきているというのはマジかもしれんなと思う。(…)なんてどちらかといえばけっこう愛国的なところのある人物だったはずなのに。
  • (…)自身は娘の意思を尊重したいという。じぶん個人としては仮に娘がpainterやmusicianになりたいといったら賛成はできない、反対したい気持ちがある、でも仮に本当に娘がそう望むのであればsupportするつもりだというので、でもきみみたいな考え方の親や教師は中国では全然一般的ではないでしょうとたずねると、わたしもそう思うとの返事。学生からけっこう両親に対する不満をきくことがある、中国の両親たちは子どもをじぶんの持ち物であるかのように考えているという話をきくというと、でも仮にじぶんにpowerがあればやっぱり子どもにはいろいろ高いレベルの教育を受けるように命じると思うと(…)はいった。じぶんにはそういうpowerがない、だから子どもらには好きにさせているが、仮にもしそういうことができる環境であれば、子どもらにいろいろ習いごとを強いるだろうと思う、competitonがharshなこの社会ではそれが子どものためになるから、と。
  • 上の娘が本好きであるという話は以前もきいていたが、どれくらい好きかというと、同じ本を30回以上読み返すほどらしい。本を与えると本当にずっと読み続けてしまうので、むしろ制限しているほどだと(…)はいった。
  • それから子ども時代の話として、夏休み中はお金を節約するために安物の靴がぼろぼろになってしまったあとは裸足で過ごしたとか、当時は英語を教えることのできる教師がいなかったのでgeographyの男性教員がしかたなく英語を担当していたのだが、いちどopen classがあり、他校の英語教員からまちがいをバンバン指摘されまくっていて非常に同情したとか、通っていた中学校は山の中腹にあって景色がきれいだったために学生らはみんな窓際の席に座りたがり授業中もしょっちゅう外をながめて過ごしていたとか、いまの中国の中学生にはきっと考えられないのんびりした当時の思い出が披露された。
  • (…)はとにかくいまの詰め込み教育に反対のようすだった。日本や韓国も受験戦争がすごいときいているというので、多くの中国人はそういうふうに思っているようだけれども中国とくらべたら全然だよ、たとえ高校三年生でも朝や夜の自習はないし、授業は午後の16時ごろには終わる、そのあとはどう過ごしても自由だというと、それはgreatだという反応。(…)の兄は広州でtechnologyに関係する仕事をしている。それで最近はよくAIの話にもなるのだが、これほどまでにインターネットやAIが発展した時代にどこの国がいつ成立したか年号をおぼえたりするのは完全に無意味だと兄がよく口にしているという。(…)も同意するというのだが、この点についてこちらは素朴に賛成できない。たしかに過度な暗記は不要だろうが、暗記をすることで脳のキャパを鍛えるという訓練はやはりある程度必要だろうし、暗記したもののストックがあたまのなかにあってこそなにかあたらしいものが生み出されるのではないかというアレもある。
  • ようやく腹部エコーの順番がまわってくる。それが終わったあとは、あれはたぶん薬物検査ということだろう、髪の毛を切って提出する必要があるというのだが、当然こちらはスキンヘッドである。ひげでいいでしょうというと、ひげじゃダメだと女医がいう。去年だったか、大学内で受けた同様の検査ではひげでも問題なかったと(…)がねばるも、やはりダメだという。代わりにすね毛ということになるので、イージーパンツをまくってみせるが、短すぎるのでダメ。脇毛ということになるが、セーターを半分脱いで腕をあげると、短すぎるのでダメだという。結果、まさかのチン毛提出! 女医が中国語でなにか口にした瞬間、(…)が「インマオ!」みたいな単語を発したのでピンときて、爆笑しながらAre you serious? というと、(…)も爆笑。女医からはさみと小さな封筒のようなものを二種類渡される。どれぐらいの長さが必要なのか? 何本必要なんだ? と(…)にたずねる。(…)、ゲラゲラ笑いながら女医に質問。こちらのひげと同じくらいの長さのものを10本ずつ封筒に入れろとの指令。それで便所に移動。10本といわず30本ずつくらい入れてやったわ!
  • 最後に検尿。それで健康診断は終わり。来週にはresident permitの更新をするためにpolice stationにいきましょうとのこと。好的!
  • 大学にもどる車内で、(…)はこちらの生活がうらやましいといった。授業が少ないからというので、でも授業外の付き合いでけっこう忙しくしているんだよと応じる。それから車内でめずらしく(…)は音楽を流した。very famousなsingerだという男性。年齢はover fortyであるが、すでに五度も結婚しているらしく、ちかぢか六度目の結婚をするとのこと。あなたもgirl friendを作れば中国語をわざわざlearnせずとも自然と話せるようになるというので、(…)老师がそういうprojectを練っているらしい、日本語学科にあらたな女性教師を雇って彼女とこちらを結婚させれば、こちらはこれから先もずっと(…)に残り続けることになるだろうから、と。
  • 第五食堂で打包して帰宅。食して14時過ぎまで寝る。(…)さんからスピーチコンテストの集合写真が届く。洗濯機をまわし、コーヒーを淹れる。(…)くんがブログを更新しなくなってずいぶん経っているし、スピーチコンテストも終わってちょっと一息つけるようになった現状、だいじょうぶなのかどうかちょっとコンタクトをとってみようとLINEを送ろうとしたのだが、そのまえにいちおうブログをのぞいてみたところ、ちょうどあたらしい記事が更新されていたので、なんちゅう偶然やねんとびっくりした。体調は徐々に上向きになっているらしい。
  • きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、2022年11月10日づけの記事を読み返す。2013年11月10日づけの記事も読み返して「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。そのまま今日づけの記事も書く。
  • 語学塾で日本語を教えている(…)さんから微信。またうちの塾に遊びにきてくださいという頼みかと思ったが、めずらしくふつうに質問だった。「引用」と「援用」の違いについて。(…)先生には食事会の件について、来週の水木金いずれかの午後であればいまのところ空いているとメッセージを送る。
  • シャワーを浴びてから「実弾(仮)」第四稿執筆。19時半から23時まで。プラス2枚で計1027/1064枚。シーン52、片付く。
  • 日語会話(一)の第4課のアクティビティが弱いのでちょっとだけ作りなおしてからベッドに移動。Bliss and Other Stories(Katherine Mansfield)の続きを読み進めて就寝。