20231112

 フロイトラカン精神分析理論は、幼児期に形成されその後も主体を支えている、全能の自己への欲望は、他者を全能の存在とし他者に依存することから構成されるものであることを指摘している(Lacan, 1975)。それゆえ自己幻想は常に他者を支えとする。例えば神経症者においては、現実の他者が否定され、愛情が放棄されることがあっても、他者は世界の背後で、世界を見る視線として無意識裡に措定され、自己はその視線と一体となることによって、他者の場を生き続ける。幻想的他者は、幼児期に主体が他者を通じて欲求を充足し、欲求の迂回と遅延、すなわち文化を通じて世界との現実的関係を構築して以来、世界を操作しうる能動的自己の現実的相関物として、常に自己の幻想と一体のものとして存在する。
 自己啓発セミナーでは、このような、自己の存立にとって基底的な他者という存在を、徹底的に自己の支配の下におこうとするが、それは自己が退行することで幼児的な全能感に回帰し、そこで得られる原初的他者の感触を、現実の他者と短絡させることによって遂行される。セミナーは、一方では、自己幻想を構成する欲求の遅延——文化構成システムに由来する人間的・文化的欲望を成就すること、つまり自己実現をめざし、他方、その実現のために退行を通じて、現在の他者を幼児期の他者とすり代え、その他者を克服して自己に従属させ、自己実現の手段とするのである。確かに心理療法でも、問題ある関係は幼児期にまで遡って操作し、 現在の葛藤を修正するのであり、このとき現在の自己が幼児期の他者よりも強靭であることを利用して、幼児期の他者への病的な怖れなどを取り除く。しかしこの他者は幼児期の他者であり、あくまで自己の構造内の変数であって現実の他者でなく、現在の他者とすり代えられるものではない。これに対し自己啓発セミナーでは、認識のために退行するのではなく、自己実現欲望の倒錯的成就のために退行し、自己実現を退行的次元で、しかし現実に他者を克服することで試みるため、現在の他者は自己と同様、むりやり退行を強制され、主体に従属するものとなってしまう。確かに、病的な対象関係においては他者そのものに問題があり、他者が退行して治癒することが必要なケースもある。例えば母親という他者が、彼女自身にとっての他者(祖母)への怖れから、その他者(母)にとっての子供であった自己に対して十分な愛情を注げなかった場合、その他者(母)を自己の想像・幻想内部で退行させ、他者(母)に癒しと許しを与えることで、他者(母)と自己の和解の契機が開かれることもある。とはいえこの場合も、真の治療は他者(母)との現実のコミュニケーションを要請し、両者が現実に治療的退行を経験した後、それを意識的に対象化して、検証・共有する必要があり、それがないと、他者は自己の幻想内部で都合よく操作され、結局他者への怖れや敵意は、無意識に残ってしまう。
つまり主体の存立は、常に他者の支えを経ており、その他者を疑似心理療法的に、安易に自己に包摂・回収しようとしても、自己を支える(あるいは支えてくれない)他者と、その他者への葛藤は、必ずその外部に存続する。精神分析では、分析家が現実的他者として自己認識の支えとなり、理想的他者を失墜させ、理想的なものに向かう力動、つまり神経症的「禁止」として構造化された欲望を解体して、行為を「禁止する理想的他者」との間にではなく、「限定された現実的他者」との間に再構築する。そもそも、幼児期の幸福な関係においても、すでに原理的に他者との間に亀裂は存在し、そこに亀裂がないと考えることは幻想でしかなく、精神分析は、この亀裂を認識させると同時に現実的な他者の支えを再度発見させる。しかし自己啓発セミナーは、倒錯的退行によって他者との亀裂をなし崩しにしようとし、他者との融合が主体からの他者征服によって目指される。他者は失墜し、他者への怖れは他者のために克服されなければいけないものとされ、他者を救済して自己と融合させることで自己実現を可能にしようとする。幼児期、すべての自己実現は他者を介してなされたため、他者との意思疎通と融合さえ叶えば、すべては可能となるとされるのである。つまりここには固有の意識をもった現実の他者はいないゆえ、他者と自己が融合可能であるなら、互いの意思疎通は無前提に可能となり、私の側の他者への怖れのみ克服すれば、他者とは完全に了解し合って、亀裂はなくなり、両者の幸福は直結することになる。
 要するに、精神分析では、幼児期の対他関係が対象化され他者の新たな構造化がなされるのに対し、セミナーでは、幼児期の対他関係が幻想的に加工・利用され他者は自己の幼児的・退行的全能感に無条件に従属すべきものとなる。これは先に述べたような、自己幻想と他者幻想の一体性という点から、本質的困難を主体に生み出す。すなわちセミナーでは、他者は自己の退行的充足を直接、無前提に満たすものとなるので、それは象徴的に分節された他者固有の力能をもつ理想的審級ではなくなって、主体に従属するだけのいわば「無」となり、通常の意味での幻想的他者=理想的他者は消失する。その結果、他者幻想の解体によって、最終的には自己幻想も同時に解体してしまう。この解体は、セミナーの特殊な空間内では全員が退行して、互いの退行と全能感を支え合い、現実的他者が幻想的他者の役割をなすので、表面には現れない。しかしいったんセミナーの外に出れば、主体の支えとしての他者は、幻想ではなく現実的他者の側に担保されているので、主体は自己を保持するために、まず最初に、現実的他者を幻想的他者に近づける強迫的運動に支配される。これは後で見るセミナー終了直後の勧誘実践に現れる。しかし現実には、現実的他者を完全に支配し幻想として用いることは不可能なので、この試みはすぐ破綻する。その結果、他者の完全な喪失と自己幻想の解離によって、現実には主体は行為と欲望の不能に陥り、またはセミナーで味わった幻想的光景へと固着することとなる。逆に言えば現実との結合の困難ゆえ、この幻想的光景は外傷のように記憶の中のみに留まり続け、時間がたち興奮が冷めれば現実に回帰しやすいともいえるが、この光景を外傷のように囲いこめない場合は自己解体と心的疾患の危機に見舞われるだろう。つまりセミナーにおいて、退行的な絶対充足が欲望の遅延や抑制の文化システムを破壊した結果、幻想的・理想的他者は現実の他者と短絡されて、主体はまず最初に、理想的他者に支配されたヒステリー神経症的体勢から、現実的他者を強迫的に支配する(=強迫的に支配される)強迫的体勢にいったん移動し、しかし現実的他者への支配の挫折と共に、最終的には他者を完全に喪失したいわば精神病的ともいえるイネルシアに落ち込む危険性すらもつのである。
樫村愛子『「心理学化する社会」の臨床社会学』より「自己啓発セミナーの困難」 p.187-190)


  • 9時半ごろ起床。11時に第五食堂で打包。食後はひたすら「(…)」の添削。あまりに寒いので暖房をいれた。添削をすませて文集をこしらえたところで、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。そのままウェブ各所を巡回する。
  • 16時半に南門で待ち合わせ。小雨の降るなかを歩いて向かう。道中、四年生の(…)さんから声をかけられる。快递で荷物を回収したあとらしい。どこへ行くのかというので、学生らと(…)街へ火鍋を食べにいくのだと答えると、ついてこようとするので、スピーチの打ち上げだからと制す。いまは職業研修の時期ではないかというと、働いていないという。働く必要もないというので、どういうカラクリか知らないが、たぶん研修済みの判子だけうまいこともらったのだろう。いまは教師の資格試験に向けて勉強中。来年は大学院試験を受けるつもりだというので、なんで現役での受験をハナから諦めとんねんとちょっと笑ってしまった。
  • 学生三人と合流後タクシーで店の前まで移動。(…)。三人ともはじめての来店だという。中華風の内装に(…)くんが反応する。(…)くんは古代中国の文化が好きなので(なんせKindle四書五経を読んでいるようなタイプなのだ)、がっつりそういうコンセプトでこしらえられている店の造りがツボだったようす。注文は学生にまかせる。金のことは気にしなくていいので好きだけ食べまくれ、と。
  • (…)くんに来年もスピーチコンテストに出場するつもりなのかと問うと、リベンジしたい気持ちがあるという返事。しかし日本の大学院受験を本気で目指しているのであれば、そんなことをしている時間はないのではないか、日本の大学院に進学するとなると日本語ができるのはまず当然であり、そのうえで専門知識を院生レベルまで学習する必要があるのだぞ、それはスピーチコンテストで一等賞をとることよりもはるかに難しいのだぞと、往々にして甘すぎる彼の見通しをまっすぐ刺す。(…)くんは来月のN1が終わったら英語を勉強しはじめるつもりだという。日本の大学院に進学するのであればおそらく必要になるだろうから、と。しかし高校一年生の時点で英語を捨てて日本語を勉強しはじめた彼にとって、英語学習の壁はなかなか高いという。だったらなおさらスピーチコンテストごときにうつつを抜かしているひまはないのでは?
  • (…)くんは来月の中旬には故郷に帰るつもりだという。その後は卒論の執筆にいそしむ。(…)くんも(…)くんと同様、来月N1を受験する予定。つまり、彼の学生生活に残された大きなイベントはいまやN1と卒論だけということだ。
  • (…)さんは来月、教師試験の面接。面接の現場ではくじをひく。そのくじに問題(日本語の文法)が記されている。その問題を制限時間内に模擬授業のかたちで解説するというのが面接内容らしい。模擬授業で要求される文法のレベルは決して高くない、大学一年生もしくは二年生レベルだというのだが、(…)さんは一年生前後期と二年生前期の知識がまるっと抜けている((…)くんと付き合っていたためだ)、そうであるから文法の基礎に苦手意識がある。しかしこれはむしろ良い機会だと思うと、こちらがフォローしないうちに言うので、まさにそのとおりだと受ける。文法の基礎を復習するために(…)さんは(…)くんが高校時代に使っていた日本語のテキストを四冊も借りた。
  • (…)くんのルームメイトらは元気にしているかとたずねる。日本語教師として模擬授業をしている連中はどうかというと、いまはみんなしっかりやれているという返事。(…)くんはこの三週間で大学三年間よりも勉強したと言っているという。クソ笑った。
  • 鍋の味が途中でおかしいと学生らが言い出した。底料が鍋の底でこげついておかしなにおいがするという。こちらはコロナでバグる前から味覚音痴であるので全然わからんかったが、(…)さんが店員に訴えて、鍋をまるっとあたらしいものに交換してもらった。わたしは社牛ですという。社は社交の意、牛は牛逼(すごい、すばらしい)の意。学生らがしょっちゅう口にする社交恐怖症の反対の意味だ。
  • 会計は336元。(…)さんはもともと少食、(…)くんは昼飯を多めに食ったのでそれほど腹が減っていない、こちらは火鍋は食べすぎると腹を下すことがあるからというアレで八分目、それでたいした額にならないだろうと思っていたのだが、日頃は少食のはずの(…)くんがとんでもない量の肉を食ったのだ。最初にオーダーしたものをひととおり食べ終えた段階で、彼を除く三人はそこそこ腹いっぱいになっており、追加注文は少量でいいだろうと思ったのだが、なにを思ったのか(…)くんは肉を三皿も注文。どう考えても食い切れないだろうと思ってげんなりしかけたのだが、蓋をあけてみたらひとりでぺろりとたいらげて、嘘やろ? (…)くんそんなにメシ食うキャラちゃうやんけ! となった。で、のちほど聞いたところによれば、今日にそなえて昨日の夜からろくにメシを食っていなかったとのことで、おまえ! マジでやってくれたな!
  • 帰りの車内で音楽の話になる。福禄寿について話してみると、やはり有名であるのか、三人とも知っているという返事。三つ子の三姉妹のうち一人が麻薬で逮捕されてしまったので、いまはふたりで活動しているとのこと。(…)くんは現代の中国には全然いい音楽がないといった。金目当ての作品ばかりだというので、先輩たちもよく同じようなことを言っていた、現代の中国で愛されている楽曲のほとんどは古い時代の歌か日本をはじめとする外国の楽曲のカバーだと言っていたというと、(…)くんも(…)くんも肯定した。こちらの観測範囲内では、男子サッカー代表とポピュラーミュージックの二点については、たとえ愛国愛国かまびすしい現代中国にあっても、外国と比較したうえで叩いても問題なしとされる対象のようにみえる。
  • 后街付近で車をおりる。(…)で食パンを三袋買う。老校区で(…)くんと別れる。外国語学院ではいままさに(…)くんらのクラスメイトが夜の自習をしている。(…)くんはサボったかたちになるわけだが、全然気にしていない。外教に誘われたという言い訳が立つからだろうかと思ったが、そもそも彼のルームメイト含めて朝の自習も夜の自習もしょっちゅうサボっているとのこと。
  • (…)さんは友人から紹介されたという黒竜江省の男の子といまも頻繁にやりとりを続けている。先方がものすごく積極的にアタックを仕掛けてくるらしい。具体的にいえば、彼女のもとにしょっちゅう贈り物を送ってくるとのこと。相手は二年生で年下であるが、性格は大人びているという。先日は自分の両親が離婚していることを打ち明けられたとのこと(それでいえば(…)さんの両親も離婚しているわけだが)。そういうことをガンガン打ち明けてくるその積極性にやや押され気味のようにみえるので、たぶん一ヶ月後にはもう付き合っているなと茶化す。仮に付き合うことになったとしても、遠距離恋愛というかたちになるので、(…)くんと付き合っていたときみたいにはならないとは本人の弁。
  • 女子寮で(…)さんと別れる。(…)くんはふたりきりになるなり例によって政治の話をはじめた。共産党の「下野」をずっと願っているという。2027年になにか起きるかもしれないと続ける。まだまだ話したりなさそうなのでコーヒーでも買うかと提案。瑞幸咖啡まで歩く。第二次世界大戦中の日本は東南アジア諸国にプラスの影響もおよぼした、独立の機運に影響を与えたとネトウヨみたいなことをいうので、そうした見方を丸ごと否定するつもりはないがそれはあくまでも結果論でしかなく、当時の日本軍が行ったことはまぎれもない侵略であるのだから、そこを見誤ってはいけないという。南京での出来事を否定する日本人はいるかというので、残念ながらいると応じる。日本にかぎった話ではない、そういう連中は世界中どこにでもいる、愛国愛国であたまがおかしくなっている中国でいう小粉红みたいなやつだというと、日本では多いですかというので、最近多くなってきているというと、(…)くんはけっこうショックを受けたようすだった。「多い」のニュアンスに誤解があるかもしれないと思ったので、中国の小粉红とはくらべものにならない、世間の多数派というわけではないというと、それでちょっと安心したようだった。日本に永住することを考えている彼としてはそのあたりやはりいろいろ気になるところなのだろう。
  • 瑞幸咖啡でホットコーヒーを打包。文具店で赤のボールペンを購入。今日の火鍋のために昨日の夜からメシをろくに食っていないという話を聞いたのはこのときだった。寮の前で別れる。帰宅してモーメンツに今日店で撮ったものをはじめとするスピーチコンテスト関係の写真をまとめて投稿。
  • シャワーを浴びたのち、2022年11月12日づけの記事を読み返す。2013年11月12日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。

 かなりよく知られた話にこんなのがある。茶色い紙でおおいをした大きな檻をもってバスに乗り込んだ男の話だ。男は相当酔っ払っており、その檻をどうしても自分の席のとなりに置くんだといって乗客を困らせた。乗客たちが「檻のなかに何がいるんだい?」と聞くと、彼は「マングースさ」と答える。何のためにマングースなんかもち歩いているのかという質問に、彼は、酔っ払いには振顫譫妄症(アルコール中毒による震え・幻覚などをともなう――訳注)のヘビよけにマングースが必要なのだと説明する。「しかし、そりゃ本物のヘビとちがうだろ」と乗客たち。
 すると、彼はわが意を得たりとばかり声を低めてこう答えた。「ああ……しかしね、これも本物のマングースじゃないのさ」。
グレゴリー・ベイトソン+メアリー・キャサリンベイトソン星川淳吉福伸逸・訳『天使のおそれ』より「汝の左手に知らしむべからず」)

  • 今日づけの記事を書く。こちらが投稿したモーメンツのコメント欄で一年生女子らが(…)くんのことをかっこいいと言っているのを見つける。(…)くんは自分では「ぼくはイケメンだから」とよく口にする。明日の授業にそなえて「(…)」の資料を作成。夜食はトースト二枚。