20231121

 集団・権力・依存を嫌う彼女たちの性向そのものがどのように生まれてきたのかを詳しく分析することはこの論文の範囲を上回ることである。しかし、個人の自由性が増し、ある個人・集団・場に拘束されることがメリットであるよりはデメリットとなっていくような社会の中で、個人が個人のみを最終的なエージェンシーとしようとする傾向が促進されることは推測可能である。特にそれは、彼女たちが女性として日本のシステムの周辺においてやられている事とも関係しているだろう。とりわけ日本では、中心において従来の日本的システムが維持されており周辺において構成される傾向をもつ能力主義もその発揮には限界がある。国家を越えた個人というエージェンシーへの志向は高くなるだろう。インタビューの中で、日本批判が多く見られ、渡航者による欧米諸国の評価が見られている。こうして日本では、建前としての教育や文化言説における近代的な能力主義・自由・平等が本音としては排除されており、そこでは女性は排除され、また一方従来の家族・地域等の共同性が弱体化して女性のアイデンティティ・クライシスを引き起しやすい。日本国家が女性の再統合に失敗しているのは、先進国の中での日本の少子率の高さにも顕著に現れている。ニューエイジはこのような日本の女性のアイデンティティ・クライシスに対し、脱国民国家な抽象的共同性を与えているだろう。
樫村愛子『「心理学化する社会」の臨床社会学』より「グローバリゼーションとニューエイジ」 p.311)


  • 8時起床。10時から二年生の日語基礎写作(一)。前半は「(…)」の清書。後半は「(…)」。谷川俊太郎の『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』という詩集のタイトルが好きなので、この一文がもたらす感傷的な詩情について説明してみたのだが、学生らは理解するのにちょっと苦しんでいるふうだった。二年生にはまだはやいか。「(…)」の答案もけっこう普通。単純に文学的なセンスがない子らが多いクラスということなのかもしれないが、言語の壁もあるだろうし、やっぱり本来は三年生や四年生でやる授業なのかもしれない。要検討。
  • (…)くんから例によって昼飯の誘い。(…)さん、(…)さん、(…)さんの三人が授業後も教室に残っていたので、たぶん彼女らもこちらを誘おうとしていたのだと思うが、おなじように教室に残っている(…)くんの姿を認めるなり、すごすごと去っていった。なんなんそのルール? (…)くんとふたりになったところで、例によって政治と歴史の話にしかならない。それもVPNを噛ませて得た玉石混合の情報をいわゆる「真実」の口調で口にする彼をいちいち諭す時間を過ごすことになるのでけっこう面倒。さらにいえば、(…)くんはめちゃくちゃ偏食なのでメシといってもハンバーガーだけであるし、そのハンバーガーをわざわざ大混雑の第四食堂に出向いて打包する必要がある。さらにさらにいえば、第四食堂二階にあるハンバーガー店で買い物したのは今日が二度目なのだが、帰宅して口に入れてみたところ、ポテトから妙なにおいがするしハンバーガーは冷たいしで、もう二度と行かないという気持ちになった。最悪。たぶん今日の運勢、天秤座のB型は奈落やな。
  • 昼寝はせず、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、一年前と十年前の記事を読み返す。以下、2013年11月21日づけの記事より。

サミュエル・バトラーの辛辣な冗談に、もし頭痛が陶酔のあとじゃなくて先にきてたら、アル中は一種の美徳になって、厳格な神秘家たちが一生けんめいそれに精進するだろうっていうのもあるぞ。
グレゴリー・ベイトソン+メアリー・キャサリンベイトソン星川淳吉福伸逸・訳『天使のおそれ』より「メタローグ:中毒」)

  • 14時半から一年生2班の日語会話(一)。第5課&第6課。第5課も第6課もボリューム不足かつ簡単にすぎる課なのでふたつくっつけてみることにしたのだが、しかしそうするとそれはそれでかえってボリューム過多になるかもしれない。そういうアレもあって全体的にやや急ぎ足でやってみたのだが、うーん、どうなんだろ。これまでの授業は復唱メインと全体に対する問いかけをメインにやっていたが、現二年生のようにモチベーションの高いクラスであればそれでも十分に成立するものが現一年生ではやや厳しいなという印象を受けていたので、もうちょっと緊張感をもってもらう意味も込めてまずは既習組を中心に個人に質問をぶつけてみることにしたのだが、高校一年生や二年生のころから日本語を勉強している学生ですら、「◯◯へ行きましたか?」という質問に対して「行きます」ないしは「行きません」で答える始末(過去形にたいして過去形で答えることができない)。ペーパーテストでは簡単とみなしているあれこれが、咄嗟には口を全然突いて出てこないという自己認識をまずをもってもらいたいわけだが、そうした認識をおのずともつことのできるタイプの学生であればそもそもうちのようなレベルの低い大学には進学してこないだろう。アクティビティはまずまず。いろいろ改善の余地のある教案なので、来週にひかえている1班の授業にそなえて要推敲。
  • (…)で食パン買う。夕飯の時間(17時)まで一時間を切っていたので、五階にある寮までいったんもどるのも時間の無駄。最高気温が25度近い温暖な一日の夕刻であったこともあり、南門に入ってすぐのところにある(…)に面した広場で段差に腰かけ、そこで書見することに。Bliss and Other Stories(Katherine Mansfield)の続き。Revelationsを読み終わる。なんとなく内容をおぼえていた。日本語で読んだおぼえは一度もないので、新潮や岩波の文庫には収録されていないものなのだろう。いかにもこちら向きのタイトルだな、ムージルやオコナーっぽいなと思いながら読んでいたのだが、読了して、あ、ダブルミーニングだったのかもしれないと気づいた。revelationといえばこちらはすぐに「啓示」と反応してしまうわけだが、この単語にはたしかもうすこし俗っぽく地上的な意味、つまり、なにか隠されていたことが発覚する、暴露するみたいな意味があったはず。Revelationsの前半では主人公の女性(Monica)がじぶんを理解してくれない恋人の男との約束をほっぽりだしてひとりうちの外に飛び出すくだりがある。その出奔を決意するくだりはいかにもrevelation=啓示っぽい書き方がしてある。

A wild white morning, a tearing, rocking wind. Monica sat down before the mirror. She was pale. The maid combed back her dark hair–combed it all back–and her face was like a mask, with pointed eyelids and dark red lips. As she stared at herself in the blueish shadowy glass she suddenly felt—oh, the strangest, most tremendous excitement filling her slowly, slowly, until she wanted to fling out her arms, to laugh, to scatter everything, to shock Marie, to cry: "I'm free. I'm free. I'm free as the wind." And now all this vibrating, trembling, exciting, flying world was hers. It was her kingdom. No, no, she belonged to nobody but Life.

  • Monicaはその後、恋人との約束を破ってhairdresserのところにいく(彼女はほかにいくところがないとき、やるべきことがほかにないとき、そのhairdresserのところに行くのが習慣になっている)。で、そこでなじみのhairdresserの態度がいつもと違うことに気づき、もともと情緒不安定気味であった彼女はそんなhairdresserにやや厳しく当たってしまう。するとそのhairdresserが、じつは幼い娘を亡くしたばかりであることが判明する——というエピソードが後半の中核にあるのだが、このhairdresserの告白もまたrevelation=発覚ということなのだろう。だから、この小説では意味の異なる二種類のrevelation(天上的な啓示と地上的な発覚)が前半と後半にそれぞれ配置されている。しかるがゆえにタイトルも複数形のRevelationsになっている。自分自身に直接おとずれた(妄想と紙一重にある、なかば神的な、理由なき)revelationにうながされた行為が、どこまでも形而下的で現実的な、つまり、明確な理由のある悲劇を抱えた他者(hairdresser)のrevelationによって挫かれる(hairdresserのもとをあとにした彼女は結局じぶんのうちにもどる)。めぐまれた階級の女性がめぐまれていない階級に属する人の死を目の当たりにしてショックを受けるという筋書き自体はGarden partyとおなじだが、Revelationsというタイトル、二種類のrevelationの配置とその混淆(「啓示」は啓示でありながら軽く浅はかで、「発覚」は地上的でありながらどこまでも重々しい)などを見ていると、こちらのほうが優れているんではないかと思う。
  • 広場にはこちらと同様、日向ぼっこしている女子学生やデート中の男女などがいた。ソロプレイヤーはだいたいみんなスマホをながめているふうだったが、こちらのもっとも近くにいた金髪の女子がふと立ちあがるなり、あれはテスト勉強かなにかだろうか、よく図書館で見かける姿のように、そのへんを左右にぶらぶら歩きながらノートの内容をぶつくさ口にしはじめたので、こりゃあかんとなって退散。予定よりすこしはやくなったが、第五食堂で打包。
  • メシ食ってベッドに移動。横になってスマホをのぞくと、ダ・ヴィンチwebの「ギャグ満載の『同時代ゲーム』は「失敗作であることさえ度外視すれば傑作」文学界最後の巨匠・筒井康隆さんの【私の愛読書】」という記事がなんとなく目についた。筒井康隆大江健三郎について軽く語っているもの。筒井康隆ハイデガーに影響を受けているという事実をはじめて知ったのだが(そもそもこちらは筒井康隆をほとんど読んだことがないので当然だが)、そのくだりのなかに、これは筒井康隆本人ではなくこの記事の書き手による文章だろうが、「ハイデガーが提唱したのは、一言でいえば、“メメント・モリ”、「死を想え」という哲学だ。人間(=現存在)は、死ぬ運命にある。だが、死があるからこそ、生の意味を認識できる」というくだりがあり、いくらなんでもこの要約はひどくないかと思った。ただ、「死があるからこそ、生の意味を認識できる」という、いまどきジャンプ漫画のキャラですら口にしないだろうこのクリシェは、ラカンの短時間セッションに重ねて理解することもできるなとふと思った。(知を想定された主体によってもたらされる、いわば「意味深な」)切れ目によって、思考がそこを中心に一度ほどかれてむすびなおされる、すなわち、意味が産出される。死をもたらすものを運命(神)と擬人化した場合、その運命(神)とはもちろん知を想定された主体としての資格を兼ね備えているのだから、それによってもたらされた切れ目(=死)は非常に「意味深な」ものになる。ただ、そこから生じるあらたな意味について、死に見舞われた当事者は決して認識できない。だからこれは、共同性や継承の話になるのかもしれない。
  • 寝る。シャワーを浴びる。出る。上の部屋かとなりの部屋かわからないが、トンカチのようなもので床だか壁だかをコンコンコンコンする音がやまず、マジでうるさくて猛烈にイライラする。ひととおり叫んだあと、イヤホンを耳の穴にぶっさす。そして20時から23時まで「実弾(仮)」第五稿執筆。以下、今日片付けたシーン3。いい感じになっている。

 濃紺色をしたステンレス製の扉の脇には、使用済みリネンのぱんぱんにつめこまれた米俵のような赤い布袋が積みかさねられている。従業員用の裏口は南駐車場を利用する車が帰路として通りぬけるほそい通路に面している。ただでさえせまいその通路がリネン袋の山のせいでますます窮屈になっている。常連客が部屋置きのアンケート用紙に書き残していったクレームを気にしたマネージャーが、リネンを出すのはクリーニング業者が回収にやってくる早朝にしろと何度も注意しているのに、フロントはだれも言うことを聞かない。裏口の壁際には孝奈の原付もある。従業員の車やバイクはもともと北駐車場に停める決まりだったが、鈴の男があたりを徘徊するようになってからは、ほかの従業員もふくめて裏口付近や南駐車場に停めるようになっていた。
「おはようございます」
 扉を開けて、短くぶっきらぼうに口にする。馬鹿丁寧にならないよう、低くするどく、しかし気どりがすぎない程度には語尾をゆるめて、年齢も経歴もばらばらな同僚のだれに対してもひとしく受けとめられる口調で言葉を押しだす。入り口すぐ右手にあるシンクで洗いものをしている原田さんがすぐさま「おはようございます」と返す。剃りあげたあたまが少し汗ばんでいる。風呂掃除を終えて、下におりてきたばかりのところらしい。そこでまた吉森さんからフロントの仕事を押しつけられているのだ。
 壁にかかっている機器にタイムカードを通す。更衣室と備品置き場に続く左手の通路の頭上から、ダストシュートの金属蓋をたたきつけるガンガンという音が響く。合図にやや遅れて、シーツにくるまれたリネン一式がどさりと音をたてて落下する。まとめられたリネン一式を見るたびに、サンタクロースが背にかついでいるプレゼント袋のようだと景人は思う。汗と精子と小便のにおいがうっすらとしみついたプレゼント袋。
「景人くん、おはようございます」
 背筋をぴんとのばしたまま女性誌をながめていた小関さんが、メイクの控え室にひとつきりのテーブルからふりかえって言った。自分の子どもと年齢のさほど変わらない後輩相手でも敬語を崩さないが、そこだけやけに化粧の濃い目元は意地悪く据わっている。ヒキガエル——マネージャーがつけたあだ名だ。
 リネンを組むためのスペースとして床の上に直接二畳分だけ敷かれている畳では、くわえ煙草の孝奈がうつぶせになって写真週刊誌の袋とじを手刀で破いている。その畳をコの字型に縁どるようにして配置されているベージュ色のスチール棚には、掛け布団と敷布団用のシーツそれぞれ一枚、ハンドタオル二枚、バスマット一枚、枕カバー二枚を、しわにならないようにまとめて折りたたんだリネンのセットが積まれている。煙草のにおいがつくから吸うのであれば換気扇の近くに行けと以前マネージャーから注意されたばかりだが、まるで気にするそぶりはない。その孝奈の後頭部にちらりと目をやってから、フロントの控え室のほうにむかう。
「あいつまたおりましたよ」
「見とったわ。ケンカ売られとったやろ?」
 キャスターのついた安物の椅子に腰かけている吉森さんは、パチスロ実機アプリの表示されている携帯から目を離さずに返事をした。すでに私服に着替えている。緑色の革ジャンと薄いブルーのサングラス。
「おっぱらときましたけど」
 そうならないように咽喉をしぼったつもりだが、いくらか得意気な声色になってしまう。その印象が相手にとどかないうちに「マネージャーもう帰ったんですか」と続けて、壁際のスイッチをすべて押した。高い位置にならべられている古いモニターの一台、北駐車場付近をとらえた監視カメラの映像がパッと明るくなる。
「どついたったンか?」
 ふりかえると、孝奈が畳の上で腹這いになったまま、顔だけふたりのほうにむけていた。今日はフロントとして入るはずだが、シャツもスラックスも身につけず、職場から支給されたメイク用の紺色のハーフパンツの上に、私物の黒いヒートテックを腕まくりして着用している。
「乞食どついてなんになんね」
 ダウンジャケットを脱ぎながら景人は答えた。孝奈や吉森さんが変にこだわって着用をこばむ、ホテルのロゴがうなじのあたりにオレンジ色で小さくプリントされている黒のTシャツ一枚になる。
「あのひと乞食なんですか?」小関さんが週刊誌から顔をあげて驚いたような口調で言った。「わたしお金持ちのとこのひとって聞いたことあります。名家やって。ほんとかどうか知りませんけど。うわさです。あくまでもうわさです。ほんとかどうか知りません」
「ンなわけないやろ」
 孝奈が鼻で笑った。嫌な感じの笑いではないが、母親ほど歳の離れている小関さん相手にタメ口で話すその図々しさを、景人はまねすることができない。孝奈はそのまま気だるげに立ちあがると、畳の外に脱ぎちらかしてあったクロックスのゴムサンダルを履いた。そのままテーブルのほうに近づき、小関さんの対面に位置する椅子にどさりと腰かける。
 景人はそのとなりの椅子の背もたれに脱いだばかりのダウンジャケットをかけた。明るい照明の下で目にするダウンジャケットは、むかしのゴミ袋みたいにてらてらと黒光りしている。ボディビルダーのシックスパックみたいにふくらんだその表面のところどころには、天井から降りそそぐ白い光が水たまりみたいにうつろっている。孝奈がときどき着ているダウンジャケットはそんな安っぽい光沢をやどさない。おなじ黒のダウンジャケットでも全然ちがう。
「うちの人間やと思われとるんでしょ。苦情入った言うてましたよマネージャー」
 そう言いながら椅子をひいて腰かける。ついでにダウンジャケットのポケットにしまいこんである携帯電話を取りだす。新着メールはない。確認を終えたものをスウェットのポケットにすべりこませる。従業員ちゃう、デリの運転手や、と孝奈が言う。
「苦情て。なにをいまさらっちゅう話やわ。はよつぶれろて近所みんな思とる」
 フロントのほうから吉森さんがのっそりと姿をあらわし、四十路であれはどうやなんやとマネージャーから陰で笑われている巻き舌で言った。そのせせら笑いを聞いてから、景人は「おはようございます」のトーンを一段ゆるめるようになった。
「近所にラブホなんてあってみい。かなわんやろ。地価下がるわ」
 吉森さんはそう言いながら、メイク用のテーブルの中央にある灰皿に煙草の灰を落とした。チカ? と小関さんが小声で口にする。
「そもそもラブホなんて国道沿いに建てるもんやろ。こんなとこにあること自体おかしいわ」
「むかしはこのへんほかにもようけあったンでしょ?」吉森さんに続けて煙草の灰を落としながら孝奈が言う。
「ようけ言うほどちゃう。ここ入れて二、三軒や」
「なんでこんなとこ建てたンすかね」
「アホやったんやろ」
「アホて」
「こんな商売するやつだいたいあたま悪いからな」
「うちが最後の一軒すか」
「じきゼロになるわ」
 吉森さんと孝奈の煙草の煙を吸いこむタイミングがそこで一致する。どちらかがふたたび口をひらくのを、景人は小関さんとそろってなんとなく待つ構えになった。
「あいつ、ミュージシャンでしょ。おれ、あいつがケッタのサドルたたいとるとこ見ましたよ」
 洗いものを終えた原田さんが布巾で手をぬぐいながらテーブルに近づいてくる。先ほどまで交わされていたやりとりにくらべて声のトーンが一段高い。話題もひとつ遅れている。それだけで空気を読むのが絶望的に下手なのがわかる。
「ドラムのスティックっていうんですか? あれ持ってそのへんに停めてあるケッタのサドル、アホみたいにたたきまくっとるんですよ。まわり、通行人もみんな、なんやあいつみたいになっとって」
 そこまで口にしたところで、原田さんはテーブルにあつまっている一同の顔を下手くそな司会者のように順番に見まわした。だれも返事をしない。その沈黙をきわだたせるような間合いで、ダストシュートの蓋をたたく合図が通路のほうでまた響いた。下にいる人間が避難できるだけの時間をたっぷり置いたのち、水気をふくんだべちゃりという落下音が続く。
「高校生とかみんな写メ撮っとって。しかもあいつ、英語しゃべれるんですよ。外人相手に英語でしゃべっとって」
「原田さん、どうでもええ話しとるひまあったらリネンひろっといてくれへんかな」
 語気こそ強くないものの有無を言わせない調子の吉森さんの言葉に、小関さんが体を硬直させるのがわかった。別れた旦那のことを思いだしたのかもしれない。原田さんは小声で「はい」と返事をすると、通路のほうに小走りでむかった。サンタクロースの袋をほどき、フェイスタオル、バスタオル、枕カバー、バスマット、パジャマをそれぞれ別々の赤い布袋に仕分ける音に耳をすませる格好になる。
「自分ら、これいらへんか?」
 吉森さんはジーンズのポケットから折り目のついた紙切れを取りだした。
「なんすかそれ? チケット?」
「いまをときめくアイドルや」
 小馬鹿にしたような口調でそう言うなり、吉森さんは手にしていたチケットをテーブルの上にぽいっと放り投げてみせた。目の前にひらりとすべりこんできた長方形のつるつるとした紙に、小関さんがこころもち顔を近づける。しかし触れようとはしない。勝手に手に取れば叱られるかもしれないと考えているのだ。孝奈は投げだされたままのチケットを遠慮なしにひっつかむと、目が悪いわけでもないのに眉間にしわを寄せてじっとながめた。
「有名なンすかこいつ?」
「知らん」
 吉森さんはそう言いながら、ふたたび煙草を灰皿に近づけた。小関さんがあわてて灰皿をそちらに寄せる。ありがと、と吉森さんが言う。
「まおまお」
 孝奈がチケットから目を離さずに口にした。
「は?」
「こいつン名前や」
 孝奈から差しだされたチケットを景人も見た。長い黒髪をツインテールにしている女が、赤いエレキギターのネックを抱きかかえて体育座りをしている。黒いミニスカートを穿いたままひざを立てているせいで丸見えになりかねない下着が、ギターの赤いボディによってうまく隠されている。素足は不健康なほどに白いが、指先だけは真っ黒に塗られている。手のつめもおなじだ。右の鎖骨に立てかけているネックの、そのかたわらで顎をひいて真正面を見据える目つきはほんの少し切れ長で、顔立ちそのものの幼さに似合わず、やたらとするどい。そのするどさとどうしても折り合いがつかず場外に弾きだされでもしたかのように、綿菓子のようにまるまるとふくらんだ字体でかたどられている「まおまお」というカラフルな文字が、頭上でポップに踊っている。おなじロゴは、女の着用している黒いTシャツの胸元にも印刷されている。
「高校生くらいですか?」
 景人はチケットをながめたままたずねた。
「イタいやろ? ロリ系や。オタクをカモにしとんのや」
「どうしたンすかこれ?」
 孝奈はそう言いながら、景人の手からふたたびチケットを取りあげた。
「知り合いがここの箱ではたらいとってな」
「箱?」
「ライブハウス」吉森さんは言った。「きみらふたり行ってきたらどうや」
「ヤラせてくれるンやったら行きますけどね」
 孝奈はそう応じながらチケットを別の角度からのぞきこむようにした。「こいつでも全然乳ないな」
「これようけ客来るんですか」
「おって二十人くらいやろ」吉森さんは景人のほうを見て答えた。「しょせん田舎や。グッズで金とんのや。Tシャツとかステッカーとか、あとツーショット写真とかな。アホくさいやろ」
「小関さん行けば?」
 考奈は鼻で笑いながらチケットを小関さんに差しだした。小関さんはそこではじめてチケットを手にし、じっとながめながら、まおまお、と口にした。
「きみらもし行くんやったらおれの分のTシャツも一枚買うといて。ヤフオクでそのうち高値つくかもしれんからな」
「着替えてきますわ」
 景人はそう言って立ちあがると、椅子の背にかけていたダウンジャケットを手に取った。そのまま前に踏みだしたところで、左足が少しもつれて、テーブルの脚におもいのほか強く当たった。両手でチケットを手にしていた小関さんが肩をびくりとさせ、景人のほうをまじまじとながめるのがわかった。だいじょうぶですかと声をかけるのがかえって失礼になることを考えて、一度ひらきかけた口をふたたび閉じて言葉を飲みくだしたが、それでいて目線を逸らしはしない——そこにヒキガエルの悪意があった。
 景人はなんでもないふうをよそおいながら更衣室にむかった。リネンをぎゅうぎゅうにつめこんだ赤い布袋の口を中腰になったまま縛りつけている原田さんが、そのかたわらを通りぬけようとする景人にむけて、行くんですか? と言った。
「ライブ。アイドルの。行くんですか?」
 かたちだけのものでしかない問いかけに景人は鼻息で応じた。自分は決して仲間はずれになどされていないことを、少なくとも自分自身はそう認識していないことを、むなしく強調してみせるしかない原田さんのとぼけた虚勢を見ていると、景人はイライラしてしかたない。

  • 齋藤なずなという漫画家の「遡る石」という漫画がバズっていた。読んでみたが、ああ、これはいいなと思った。それでついでにマンバというウェブサイトに掲載されていたインタビュー記事にも目を通してみたのだが、けっこうおもしろい発言があった。

──今日、先生にお会いすることを色んな人にいったら、ある人に「歳をとってからの方が、人生は長く感じるものか?」という質問をぜひぶつけてみてくれ、と頼まれたんです。いかがですか。
 
 歳をとってから? そりゃ短いんじゃないですか。もうほとんどない、先は。
 だからね、みんな普通の人はね、過去しか振り返らないんですよね、先がないから。
 ただ、わたしは描かなきゃいけないから、後ろなんか振り返っているひまがないんですよね。「幸い」というかね。
 誰かと話してると「あのころは…」とかなんとか、過去の話ばっかりなんですよ。でも、先を見ていかないと。過去はろくな過去じゃないしね。
 
──いやいやいや(笑)。
 
 ろくなもんじゃないから! 振り返りたくないんですよ。それはいいことね、言い換えるならば、「幸いなことに、振り返らずにいられる過去がある」んです。旦那が死ぬと、残された女は「恋しくてたまらない」とかやるでしょ。わたし、全然、恋しくない。

  • 「幸いなことに、振り返らずにいられる過去がある」というのはいい言葉だ。それから以下のくだりにもちょっとハッとした。

──自分が死ぬときをイメージしますか。
 
 ああ、んーっと、ちょっとはしますね。苦しんで死ぬだろうなあと。いままで、動物が死ぬところも、人が死ぬところも、何度も立ち会ってきたし、いっぱい見てきたんですよね。まあ、看取ってきたんですけれど、大体、みんな苦しんで死ぬんですよ。どの命も。そんなあっさり簡単にイケる人はいないですからね。
 
──死にも、産みの苦しみみたいなものがあるんですね。
 
 そうそうそう。ある。1週間か10日。猫だって、ヒーヒーしながら、…人間もそうですね。そう考えると、わたしもそうなるでしょうね。ヒーヒーしながら死んでいくのが普通だと思うんですよ。それはそれで、しょうがないな、と。
 死ぬことが解放になるからいいや、と思いますね。そういうイメージを持っていますけれどね。みんな、ポックリ逝きたいと口にするんだけれど、みーんな、そう簡単にはいかないですよ(笑)。わたしが見てきた感じでいいますとね。

  • 磯﨑憲一郎がどこかの対談だったかインタビューだったかで(たしか佐々木中との対談だったと思うが)、老人たちはなんだかんだでちゃんと死んでいく、ちゃんと死ぬことができるみたいなことを語っていた記憶がある。それとはちょっと違うかもしれないが、死のみならずその苦痛も含めてあっけらかんと語る超越的な口ぶりから受ける、酷薄でありながらもほがらかで健康的な楽観性に強い印象を受けたのだ。