20231205

“Hans, move these tables into the smoking-room, and bring a sweeper to take these marks off the carpet and—one moment, Hans—” Jose loved giving orders to the servants, and they loved obeying her. She always made them feel they were taking part in some drama.
(Katherine Mansfield, The Garden Party)



 8時15分に起きた。朝っぱらから上の部屋が騒がしかった。きのう階段で追い越した男女がまたケンカしているのだった。特に女のほうの声が信じられないほど大きい。ただ大きいというだけではない、ひとの神経に障るタイプの発声および声色なので、天井越しにかすかに響いてくるだけでもイライラする。世の中にはすばらしい歌声の持ち主、やすっぽい言い回しになるが天性の歌声の持ち主としかいいようのないそういう人物がいる一方で、隣人の生活にデバフをまき散らすことに特化したクソいまいましい声の持ち主もいるということだ。そんなふうにしてこの世は釣り合いをとっているのだ。それが仕組みだ。
 歯磨きしながら(…)に体調は回復したかと微信を送った。朝食はトースト一枚とコーヒーのみ。(…)くんから昨日頼まれたN1の問題についてざっと解説を書き送った。
 10時から二年生の日語基礎写作(一)だった。今日から三週にわたって期末試験を実施する。各品詞の過去形と現在形、丁寧体と普通体の置換を問うもの。去年オンラインで試したときは思っていたよりもずっと時間がかかった。その去年よりも今年のほうが一回あたりにさばく学生の数も多いし、学生ひとりにつき問う問題数も増やしているので、もしかしたら時間内に終えることができないかもしれないという懸念があった。だから教室に到着後、始業のベルが鳴るよりもはやくテストを開始することにした。今日は(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんの合計12人。(…)くんの順番になったところで機材トラブルが発生し、教卓のコンピューターを再起動するはめになったが(これがまた地味に時間を要するのだ)、休み時間もなしでぶっとおした甲斐あり、テストは予定時刻よりも10分ほどはやく終わった。最高得点は(…)さんと(…)さんのふたり。その旨告げると、(…)さんは経済学のテストにもパスしたばかりだと興奮して口にした。(…)さんは韓国留学の夢のために韓国語と英語をメインに勉強しているにもかかわらず、日本語でも毎回試験ではかなり良いスコアを残すし、経済学の授業も別にとってそちらでもいいスコアをとっているようであるし、本当に努力家だ。全面的に応援したい。男子学生についていえば、意外なことに(…)くんがボロボロだった。同じくらいボロボロだろうと思っていた(…)くんと(…)くんはしっかり準備してきたらしく問題なし。(…)くんは油断して準備をおこたっていたのか、けっこう微妙な出来映えであり、ほかのクラスメイトの結果次第では「優」ではなく「良」をつけることになるかもしれない。(…)さんは予想通り最低スコア。しかし彼女とさほと変わらないレベルだろうと思われた(…)さんが、日頃はまったくやる気がないわけだが、このテストのためにしっかり準備してきたのだろう、「優」を射程圏におさめた見事な結果を出したので、テストが終わったあとにサムズアップして「すばらしい!」と伝えた。(…)さんは小躍りしていた。
 テストが終わったあと、(…)さんが教室にもどってきた。テストを終えたばかりの(…)さんに通訳を依頼するかたちで、今度韓国語の先生といっしょにみんなで食事会をしないかと言うので、でもぼくと韓国語の先生はどうやってコミュニケーションをとればいいの? 英語でもいいのかな? と応じたところ、韓国語の先生ではなく韓国人の先生であることが判明した。つまり、美術学院の(…)先生のことだ。教室内にはこちらを昼飯に誘うつもりらしい(…)くんも(…)くんももどってきたが、(…)さんは彼らふたりにも通訳として同席してほしいと言った。ふたりは彼女に確認をとらなければならないみたいなことを中国語で言った。
 教室をあとにした。今日はめずらしく(…)くんのみならず(…)くんもいっしょに昼飯をとりたいということだった。后街に行きましょうと言われたが、午後に授業をひかえていたし、授業がはやめに終わったこともあって食堂もまだ混雑していないようすだったので、第四食堂の二階に向かった。北京炸酱面を注文した。味はごくごく普通。(…)くんもおなじ店で麺を注文した。(…)くんは腹が減っていないからといってなにも注文しなかった。N1の手応えはどうだったかとたずねると、ふたりとも時間が足りなかったと言った。合格はおそらくしているだろうが、高得点獲得はならずだと思うという反応。結果は来月末に出るとのこと。N1の問題の配点はあらかじめ決まっているものではなく、受験者の正答率に応じて分配される仕組みになっているらしい。(…)くんはその分配率の関係上、じぶんがもしかしたら不合格になるんではないかと心配しているようすだった。
 その(…)くんは以前、課題の作文の余白に「先生は『葬送のフリーレン』を見てる?」と書いてよこしたことがあった。漫画の連載がはじまった頃、初期の話を何話かまとめて読んだことがあるが、アニメのほうは見ていない。(…)くんは『葬送のフリーレン』はとても絵がきれいだと言った。アニメといえば、『ラーメン赤猫』のアニメ化が最近発表されたばかりだったので、アニメの出来映えはどうなるかわからないけれども、少なくとも漫画のほうはおもしろいよとふたりに伝えた。
 食堂を出て、库迪咖啡に向かった。店では一年生2班の(…)さんと遭遇した。以前店長がおすすめしてくれた五常米なんちゃらとかいうコーヒーを注文して受けとった。店を出ると、ふたりともこちらの寮までついてくるようすだったので、あまったるいだけで全然うまくないものをすすりながら歩いた。今日は暖かかった。バスケットボールのコートではユニフォームを着た学生たちが試合前のウォーミングアップをしていた。中国に修学旅行はあるのかとたずねた。ありますとふたりはいった。しかしよくよくきいてみると、日帰りの遠足のようなものにすぎなかった。一泊するということはまずないらしい。先生は修学旅行でどこに行きましたかというので、小学生のときは奈良と京都、中学生のときは東京、高校生のときはサボったと返事した。
 寮の前でふたりと別れた。部屋にもどってベッドに腰かけ、あまったるいコーヒーをちびちび飲みながら、三年生の(…)さんからの微信に返信を書き送った。きのうこちらが(…)さんといっしょに行動しているのを見てひらめいたのだろう、(…)さんを含む三人でいっしょに夕飯を食べませんかという誘いが先の授業中に届いていたのだ。今週は居住許可証の関係で(…)と警察署に出向く用事があるし、一年生2班との食事会もあるし、もしかしたら韓国人の(…)先生を含む食事会もあるかもしれないしで、先延ばしするとスケジュールがバッティングしかねないおそれがあったので、今晩であれば空いているよと返信したのだったが、今晩は(…)さんがダメだという(そう伝える(…)さんは彼女は本当にバカですと怒った顔の絵文字をいくつも添えてこちらに訴えた)。相談した結果、明日ということになった。店についてはまたのちほど話し合ったのだが、以前(…)さんが教えてくれた新疆烤肉の店について彼女が偶然言及したので、ちょうど食べてみたいと思っていたところであるしそこにしましょうということになった。しかしこの店については二年生の女子らと以前今度また行きましょうと約束しているので、あとで「うらぎりもの!」と罵られるかもしれない。特に独占欲の強い(…)さんの反応が怖い。
 先ほど库迪咖啡でばったり遭遇したばかりの(…)さんからも微信が届いた。午後の授業に四人欠席者が出るということだった。「転籍」の面接があるからだという。証拠のスクショも送られてきたが、「転籍」を希望する学生の筆記試験および面接試験の日程をまとめたエクセルで、それによると「転籍」希望者は合計13人いるらしかった。クラスのほぼ半数だ。比較的やる気のある2班のほうでこれなのかと思った。ちょっと気持ちが暗くなった。しかしこれについて責任を感じる必要などこちらにはないはずだと背筋をのばした。彼女らはもともとよその学部で勉強をしたがっていたのだ。「転籍」希望者のうち、男子学生は(…)くんと(…)くんと(…)くんの3人。(…)くんはいつも最前列で授業を受けてくれている子なので、ああ、彼がよそに移ってしまうのか、それはちょっと残念だなと思った。前々から歴史学部に移ると公言していた(…)くんの名前はなぜか一覧になかった。女子学生は(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんの13人。どちらかといえば後列に座っている学生たちなので、妥当といえば妥当なラインナップだ。しかしこの13人のうち、実際に「転籍」に成功する学生が何人いるのかはわからない。できれば全員成功してほしい。そのほうが授業をするこちらにとっても授業を受ける彼女らにとってもいい。
 (…)からは体調が回復したという返信が届いていたので、それはよかった、ところで警察署にはいつ行こうかとたずねた。午後schduleを確認してからまた返事をするというメッセージがじきに届いた。
 デスクに向かってきのうづけの記事の続きを書いた。14時15分をまわったところで寮を出た。14時半から一年生2班の日語会話(一)第8課。前半の反復基礎練習がやや面白みに欠ける内容になってしまったが、中盤以降は笑いどころもたくさんあったし(『名探偵コナン』の蘭姉ちゃんのクソコラをスクリーンに映したところ、(…)さんがクソデカい声で「我的老婆!」と叫んだのはなかなかおもしろかった、(…)さんはこのクラスのなかではけっこう派手目の学生であるのだが、高校時代から日本語を勉強しているし中身はどうやらけっこうアニオタっぽい)、アクティビティはかなり盛りあがった。こちらが単語をひとつセレクト、それについてグループにわかれた学生らが順次「それは(名詞)(い形容詞)(な形容詞)ですか?」と質問し、こちらがそれに対して「はい/いいえ」で応答、その単語が何であるのかを当てるという単純なゲームであるのだが(これくらいのゲームができる程度に学生らの基礎知識が固まってくると、今後の授業もずいぶん楽になるというか、ある程度幅をもたせた内容であれこれ工夫できるようになる)、はじめのうちは「火鍋」とか「図書館」とか無害な単語でやりつつ、ゲームが進むにつれて隠し玉「うんこ」を導入したりするわけだが、まだろくにヒントも出揃っていない状態であるにもかかわらず、(…)くんがその「うんこ」を的中させた。さらに答えを「(…)くん」に設定したゲームでも、彼自身が「それは私ですか?」とやはり的中させた。そのおかげで教室はわーわー盛りあがった。よかった、よかった。
 授業が終わったところでいつものように湖のそばにある広場に移動し、ひなたぼっこしながら17時までKindleで『ノルウェイの森』(村上春樹)の続きを読み進めた。作中の主人公も大学生であるし、夕日を背中に感じながらキャンパス内で書見しているじぶんのふるまいも学生当時と全然変わらないしで、17時になったところでたちあがり、ケッタにのって第五食堂に向かう途中、じぶんが学生ではないことに、というかそもそもその学生らを指導する立場である教員であることに、ちょっとめまいをともなうような混乱をおぼえる一幕があった。
 第五食堂で打包して帰宅した。(…)から明後日7日(木)の15時にofficeに待ち合わせしましょうというメッセージが届いていた。一日で一気に警察署と役所をめぐるスケジュールらしかった。しかし7日には一年生2班との食事会がある。食事会は14時開始。しかし終わるのはだいたい20時ごろという話であったと思うし、もろもろ片付けてから途中参加すれば問題ないだろう。(…)さんからは8日(金)の夜に食事会を開催したいというメッセージが届いていた。となると、明日の夜は(…)さんと(…)さんと食事、明後日の夜は一年生2班と食事、明々後日の夜は(…)先生をはじめとする面々と食事というスケジュールになるわけで、そうそう、学期末ってだいたいなぜかこんな感じになるんだよなと思った。
 食後はベッドで30分ほど仮眠をとった。覚めたところでシャワーを浴び、コーヒーを淹れ、きのうづけの記事の続きを書いて投稿した。それからウェブ各所を巡回し、一年前と十年前の日記を読み返した。以下の引用、ひとつめは2022年12月5日づけの記事で、ふたつめは2013年12月5日づけの記事。

 帰宅。YouTubeにアクセスしたところ、『がんばれゴエモン ゆき姫救出絵巻』のプレイ動画みたいなのがアルゴリズムによって表示されたので、メシを食いながら視聴した。これ、冷静に考えるまでもなく、マジでありえん状況だなと思った。いまこの時期の中国、それも外国人の全然いない僻地で、わざわざVPNを噛ませてクソしょうもないレトロゲームのプレイ動画を視聴しながらメシを食っている狂った日本人がいったいどれほどいる? 断言できるが、この大陸でいま、『がんばれゴエモン ゆき姫救出絵巻』のプレイ動画をみているのはじぶんひとりだけだろう。そのことを考えると、少し愉快になるし、風通しの良さを感じる。中原昌也が対談集『サクセスの秘密』の中で語ったシュールレアリスムの定義、すなわち「突拍子もないことがシュールレアリズムなんじゃなくて、嘘っぽいんだけど現実として存在するっていう違和感みたいなところがシュールレアリズムだと、僕は思うんです。」を、まさにじぶんのこのクソ馬鹿馬鹿しいふるまいが体現していると思うからだ。中原昌也はたしかこの対談のなかで、CDショップでじぶんの作ったCDが売れ線のCDと同じ棚に並んでいるその状況がまずおもしろいしそれこそがシュールレアリスムだというようなことを語っていたと思うのだが、たとえばそんなふうに普通ありえないだろうと思われるような出来事や状況をじぶんが作り上げることで——あるいは、いつのまにか作り上げてしまっていることを自覚し、それとして認識することで——、ありえない出来事が現実にはありえるし起こりうるのだということをひとは信じることができるようになる。ちんけな想像力ではカバーすることの決してできない余白をこの世界にみずから作り出すことで、自由と革命可能性を担保する。他人のために祈ることによって他人から祈られているじぶんに気づくというアレと同じ構図だ。

スコットランド語には、「運命 fate」とか「夢幻郷 faery」と同語源で、それまでわからなかった多くの真実が明らかになる高揚状態をさした「(死の直前の)神がかり fey」ということばがあって、民間伝承ではそのフェイにかかった人には超自然的な智や千里眼がそなわるとされている。これは、死の絶対的確信によって誘発される心の状態をあらわすことばとして、じつに的確なものといえる。死が間近に迫り百パーセント確実で、時間かせぎもかなわないようなとき、新しい鮮明さでもってものごとをみることが可能となって、心は高く舞い上がることができる。この状態は欲望衝動から解放された結果であり、仏教でいう「無執着」はほぼこれにあたると思われる。ウィリアム・ブレイクのことばをかりると、眼に邪魔されずにみることができるようになり、成功と失敗、恥辱と虚栄の幻想がかき消えるのだ。だれもが死の瀬戸際にいたとしたら、羨望などありえまい。
グレゴリー・ベイトソン+メアリー・キャサリンベイトソン星川淳吉福伸逸・訳『天使のおそれ』より「無垢と経験」)

 今日づけの記事もここまで書くと時刻は22時半だった。そういえば、朝、チバユウスケの訃報に触れたのだった。しかし特に思い入れはない。音楽についていえば、最近書き忘れていたが、ここ数日で、『Melanesia』(Roberto Musci)と『The Malady of Elegance』(Goldmund)と『Domicile』(Helios)と『The River』(Chihei Hatakeyama)と『Tomorrow Was the Golden Age』(Bing & Ruth)と『Species』(Bing & Ruth)と『Never Were the Way She Was』(Colin Stetson & Sarah Neufeld)をききかえした。この中では『Tomorrow Was the Golden Age』(Bing & Ruth)がいちばんよかった。
 夜食のトーストを食し、歯をみがいたのち、ベッドに移動して『ノルウェイの森』(村上春樹)を最後まで読んだ。永沢さんやハツミさんの行く末が先取りして記述される箇所、ポール・オースターの『ムーンパレス』に似たようなのがあったなと思った。学生時代の主人公がひきこもってボロボロになっているところを助けてくれた親友について、十数年後だか数十年後だかに街中で見かけたけれども目がちょっと合っただけでおたがいに気づかないふりをした、それくらい疎遠に知らず知らずなってしまったみたいな顛末が先取りして書かれている箇所——と書いたところで、Moon Palaceで過去ログを検索してみたのだが、該当箇所を抜書きした形跡はなかった。しかし2017年5月15日づけの記事に以下のような記述が残されていた。

(…)自転車にのって生鮮館に出向き、食材を買ってもどってから、今度は鴨川に出かけた。きのうとおなじ河川敷のベンチに腰かけて“The Heart Is a Lonely Hunter”の続きを読んだが、すぐそばで川底の工事をしており、さらった土砂を運ぶためなのかなんなのか、大型トラックが荷台そばでアイドリングしながら待機しているその排気ガスがだんだんとうっとうしくなってきたので、とちゅうで別の、もっと下流寄りのベンチに移動した。きのうにくらべるとずいぶん肌寒く、風もひっきりなしに吹いていた。MickとHarryがピクニックする場面がすごくよかった。“The Member of the Wedding”のFrankieもそうであるけれども、McCullersは思春期の、というか子どもとも大人ともつかない年齢の女の子を描くのがほんとうに巧い。たしかその場面の直前だったとおもうけれども、彼らふたりのその後、おそらくはこの小説で描かれている現在よりも先の未来のことをとつぜん説明しているそんな短い記述が挿入されていて(しかしそれはこちらの誤読かもしれない)、その唐突な未来の先取りの感触が、“Moon Palace”の、主人公の学生時代の親友といってもいい存在とのその後の関係についてやはり先取りして書かれていたところを想起させて、あれはけっこうよかった、こんなにすんなりそこを処理しちまうんだという技法上のおどろきもあったし、窮地におちいっている主人公をたすける命の恩人といってもさしつかえないそんなひとりがあっけなく物語からフェードアウトしていく、もっといえば特にこれといった理由もなくいつからか疎遠になっていくそんな事情があっさりと語られているそこにある種のリアリティ(というのはしかしあの小説にはまったく似つかわしくない一語だろうが)があった。