20231224

 ギデンズの再帰性の議論は、どこまでも再帰性の論理だけで社会と主体を組み立てようというものではなく、その核に「存在論的安心」という精神分析的概念を用いている。
 ギデンズは、英精神分析ウィニコットの概念を流用した、米精神分析エリクソンの議論に依拠して、「存在論的安心」とは早期の養育者からの愛情ある世話を通して無意識的に形成されるものであるとする。養育者の不在を情緒的に受容し、幼児の前に存在しないとしても養育者が戻って来るという信仰によって生まれるとする。
 フロイトのいうように、現実は「fort=いない」と「da=いた」という離散的要素しかなく、私たち人間は、「fort=いない」を指し示す言語を獲得することで、「fort=いない」と「da=いた」を結合し恒常性を得ることができる。
 フロイトは、自分の孫が糸巻き遊びを「fort=いない」といって投げ、「da=いた」といってたぐりよせて遊んでいたのを観察しながら次のことに気づいた。赤ちゃんにとってお母さんがいないとき自分の存在はないに等しいほど危機的である(何一つできずすべてを他者に頼っているため)が、いないときも「いないおかあさん」(fort——いない)という表象を形成することで、お母さんは眼前にいないときもどこかにおり、世界が自分にとって同一であり、持続しているという情況を、主観的に維持し、思考しうる。
 そして、それは単に主観的な思いこみ(快感原則)ではなく、現実に機能する世界(現実原則)であると検証される。
 快感原則では、自分の快不快を中心に、子どもは妄想に近いことも想像する(子供の頭の中ではお母さんが神に等しい)。その多くは修正されるが、目の前にいないお母さんは見えないところでも存在するという信念は現実にも正しいことが検証され、この想像は子供の現実となる。このように現実における有効性を通して、人間的主観的世界は、現実の人間を支え、その中で科学的世界が形成されていく。
 人間的現実とは、ラカンがいう想像界象徴界が織り合わさったもの——人間の想像力によって構成されるフィクションと、それが現実に科学的に構成されていく象徴界が、コンビネーションできて存在しているもの——である。
 両者はぴったりとは重ならない(科学や実践知が弱い宗教的社会などでは、かなり重なっていただろうが)。人間が認識を向上させていくときのジャンピングボードとして想像界は機能するからである。
 ギデンズは、基本的信頼が、「未知なるもへの飛躍」というコミットメント、つまり、新しい種類の経験を受け入れる準備を可能にするとし、基本的信頼と創造性の結びつきを指摘する。カストリアディスのいう、新しいものを生む力は、こうして、基本的信頼という恒常性に依拠している。
樫村愛子ネオリベラリズム精神分析――なぜ伝統や文化が求められるのか』より「第三章 なぜ恒常性が必要なのか」 p.116-118)


  • 10時過ぎ起床。朝昼兼用で第五食堂の炒面。今日も快晴なので阳台で作業。昨夜はベッドに移動後、Christmas activityなんてサボっちまって部屋でゆっくり書見でもして過ごそうかなというふうにあたまがかたむきつつあったのだが、いやもしかしたらなんらかのおもしろイベントが発生するかもしれん、ゲームだと思え、ゲームでサブイベントが発生した場合ふつうそのイベントに寄り道するだろう、無視することはないだろうと考えなおした。
  • コーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、一年前と十年前の記事をよみかえす。きのうづけの記事で『S&T』に触れたその流れで、ふと、ほぼ休眠状態になっているブログ「塵と光線」のほうで、『S&T』をリメイクしようかなと思った。「塵と光線」自体がもともと『S&T』の失敗を踏まえてやりはじめたブログであるのだが、『S&T』に収録されている断片群のなかでもまだこちらが許せるとおもえるものだけピックアップして、「塵と光線」式の文章に書き直して投稿するという形式。いいかもしれない。代わりに『S&T』は公開停止にする。
  • 以下は2022年12月24日づけの記事より。

 彫刻家の若林奮とⅠ章でも紹介した前田英樹が対談した『対論・彫刻空間 物質と思考』(書肆山田)という本の中に、なぜ画家の描く線と濃淡だけの模様ないし汚れであるところのデッサンが他人に「絵」として伝わるのか、という話が出てくる。たとえば、画家が石をデッサンしたとして、どうして紙の上に書かれた線と濃淡だけの汚れが、私たちに石だと理解されるのか。つまり、三次元空間である外界を、絵という二次元の紙の上に変換したとき、なぜそれが私たちには三次元空間の再現だとわかるのか、という疑問である。
 これについて前田さんは、「画家が自分の体とそれによる運動を使って、三次元空間にある対象を二次元に強引に押し込んだからだ」という意味のことを言っている。子どもはみんな絵を描くけれど、それは子どもがこの世の中に絵というものがあることを知っているからだ。たとえば、花の絵を描く子どもは、花そのものを描いているのではなく、花の絵を見て花の絵を描いているだけだ。自分の前に絵がなくても、絵を立ち上げることができるのは、本当の画家しかいない。
 同じことは、小説についても言えると思う。小説の読み手が目にするのは文字だけなのに、風景描写を読めば、読み手なりにそこに描かれた風景を思い浮かべることができる。これは不思議であり、驚くべきことでもあって、小説の書き手もまた、画家が三次元を平面に押し込んだように、三次元の風景を文字に変換しているということで、そこには強引なまでの力が加わっているはずだ。
 風景を書くのが難しい理由の本質はここにある。三次元である風景を文字に変換する(押し込める)ということは、別な言い方をすると、視覚という同時に広がる(つまり並列的な)ものを、一本の流れで読まれる文字という直列の形態に変換するということでもある。
 風景描写の大変さを痛感しているとき偶然、養老孟司さんが芭蕉の「古池や〜」の句にふれて、同じ主旨のことを言っているのを読んだ。論理的な思考というのは難しいと思われがちだが、論理も言語もどちらも線的(直列的)な構造であるため、人間の脳にとっては同じ質の作業に属するのでさほど難しいことではない。しかし、知覚全般は一挙的(並列的)なため、それを線的(直列的)な言語に置き換えるのは脳にとって負担が大きく、それゆえ感動も大きくなる。「古池や蛙飛び込む水の音」は、たったこれだけの長さしかないのに、視覚と聴覚の両方にまたがってイメージが駆けめぐるところが素晴らしいのだ、と。
保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』)

  • 以下は2013年12月24日づけの記事より。『A』の推敲も大詰め。

文章の流れのなかで引っかかるとても些細な違和感、ほんのかすかなあるかなしかのとどこおりの気配をいちいちおおげさにとりあげて執拗に首をひねりつづけるのはもうやめようと思った。おそらく現時点でじぶんが難所として把握しているいくつかの瑕疵は、傍目からみればいったい何がどうだめなのかさっぱりわからないものだろう。じぶんに固有の理想、固有のリズムともいうべきものに、配置した言葉の連鎖がカチっとはまりこんでくれない、ただそれだけのことにもう三ヶ月もこだわりつづけているのだ。だれもが異なる心音をもつように、だれもが異なる理想のリズムをおそらくは持っている。直接耳にすることのかなわぬそのリズムにのっとった文章をうみだすには、なんでもいいからとにかく語を組み合わせて一文を形成し、できあがったその一文がしっくりくるかこないかを事後的に判断するという、ただひたすらに具体的な手作業をつづけるほかない。とにかく球を投げる。そうして打ちかえされてきたものの響きに耳をかたむける。あとは、「これだ!」というものが確信が得られるまで地道に延々とそれらの作業をくりかえすだけである。理想とはつねに不可視であり、適当にでっちあげたものの反響からその輪郭がうっすらとのぞく程度にすぎない。そのかすかな気配だけをたよりに誤差を修正し確信に接近していくこと。試行錯誤とはまさしくこのようにきわめて具体的な営みをいう。

  • 15時になったところで寮の入り口へ。(…)と(…)と外国人教師らが複数いる。(…)が車の後部座席からクリスマス仕様の紙袋をふたつ取り出してこちらに渡す。ケーキとお菓子。ケーキはhand madeだというので、You made this? とおもわずたずねる。そんなわけがない。荷物をもっていったん部屋にもどる。それからふたたび輪の中に合流。(…)一家、(…)と奥さん、(…)と奥さん、(…)、(…)(インド人の外教)、みんなそろっている。(…)のあとについてまずは北門に移動。道中は(…)と話す。インド訛りの英語を相手にするのは初めてなので、リスニングにはやはり難儀したが、中国には10年ほど住んでいるという。(…)に来る前は南昌にいた(その前はどこだったか忘れた)。中国はdisciplineがあるから好きだという。日本もそうだろうというので、中国以上にstrictだと思うがその点には触れず、まあそうだねと受ける。インドは全然だという。それが嫌だと続ける。インド人はマジで全然働かない、勤勉にはほど遠いという話はちょくちょく耳にする(現地の日系企業などはその点でめちゃくちゃ苦労するらしい)。
  • タクシーに分乗する。(…)が助手席、後部座席にこちらと(…)のふたりという組み合わせになる。冬休みは帰国するのかとたずねると、香港経由で帰国するとのこと。(…)から高鉄で香港に移動、一泊して翌朝のフライトでインドへ。香港からインドまでは7時間。一日だけの滞在とはいえ、現金を使う機会もおそらくあるので、出発前に香港ドルに両替する必要があるという。ほか香港で使用可能なSIMカードも買うみたいな話をしていた。(…)の食事はどうだ? インドとどちらが辛い? とたずねると、インドのほうが辛いという返事。しかし(…)料理の辛さとインド料理の辛さは種類が全然違うという。インド料理のほうがsmoothらしい。(…)はインドのカレーが大好きだという。おいしい店はないだろうかと(…)にたずねると、(…)はわからないが(…)にはおいしいグリーンカレーの店が二軒あるとのこと。(…)からはのちほど、おやつ代わりに緑色の唐辛子を生のままかじる少年の動画を見せてもらった。やばいな!
  • 目的地は(…)だった。昼間におとずれるのははじめて。先着している(…)一家のあとに続いて店に向かう。道中、(…)から万达の近くにあるおいしい店を教えてもらった(しかしなんの料理だったか忘れてしまった、英語で交わした会話は日本語で交わした会話にくらべると圧倒的に記憶の定着率が低い)。店は混雑している。テラス席はほぼすべてが埋まっている。クリスマスイヴの日曜日なのだ。円卓の上に置かれた小さな七輪を囲んでいるひとびとが突然あらわれた外国人の集団にびっくりして顔をあげる。
  • 別の一角にあるテラス席に長机がふたつある。それをくっつけることにする。女性スタッフが運んできてくれた予備の椅子に腰かける。こちらが上座(あるいは下座)になる。左手前から(…)、(…)、(…)、(…)夫婦、(…)、右手前から(…)の奥さん、(…)、(…)、(…)、(…)、そしてこちらの対面の下座(上座)に(…)という並び。こちらは主に(…)夫妻と(…)夫妻と会話する流れに。(…)は本当によくしゃべる人物。ロシア訛りかつ早口の英語なのでかなり聞き取りにくい。妻はモロッコ人だという。それでわかった、(…)は再婚したのだ。コロナ前のクリスマスパーティーで会話したときにロシア人とアメリカ人夫婦であると聞いていた、だから肌の黒い(…)のほうがアメリカ人で奥さんがロシア人だろうと思っていたのだが、今日の会話で(…)がロシア人であることははっきりした。食事や料理の話題が主に交わされたのだが(これがもっとも罪がない話題だ)、(…)はロシアの料理を紹介するときにいちいちロシア語でその名前を発音した。ロシア料理といえばボルシチくらいしか知らないのだが、あれはじつはウクライナの料理なのだという話があった。知らんかった。モロッコ人の妻は料理がたいそう上手らしく、クスクスやクッキー、手作りのパンの写真などをいろいろ見せてくれたが、ぜんぶめちゃくちゃうまそうだった。白茶を飲み、落花生、栗、餅、さとうきび、ひまわりの種、さつまいもなどを食べながら、いろいろに話したはずであるのだが、くりかえしになるけれども英語で交わした会話は記憶に定着しにくいので(そもそも会話にも100%ついていくことができるわけではない、特に(…)の発言は半分ほどしか聞き取れないので隙間だらけなのだ)、ここに書き記すことはできない。イギリス、日本、ロシアでそれぞれなにが安くて何が高いか、どんな料理がうまいか、そういう話がいろいろに出たのはたしかである。それにくわえて(…)からは、これはpoliticalな話であるがという前置きとともに、案の定処理水の話が出た。だから海産物は避けているのだ、prime ministerがsushiを食べていたが、じぶんはあんな情報信じないというので、まあ(…)だったらそうなるわなと思った。(…)にしても同様だろう。しかしこの話題については深入りせず適当に流した。(…)も(…)も深く追求してくることはなかった。
  • けっこう長いあいだそこで飲み食いしていたのだが(一時間半くらいだべっていたのではないか?)、日が暮れてからは室内に移動することに。ちなみに今日は日差しがかなりするどく、テラス席のそばを流れる川のおもてに反射する西日を避けるため、サングラスを装着しなければならないほどだった。テラスには鳥籠が置かれていた。なかにはセキセイインコが二羽いた。小鳥のオスとメスの見分けかたを知っているかと(…)がいうので、知らないと応じると、beakのcolorでわかるというので、何色がオスで何色がメスなのかとたずねると、I don’t know which is whichというので、なんやそれと笑った。テラス席にはクリスマスツリーもあったし、roseのarchもあった(後者はEnglandに典型的なものだと(…)はいった)。
  • 店に入る。階段で二階の個室に移動する。巨大な中華テーブルがひとつある。エアコンはあまりきいておらず肌寒い。そこにみんな腰かける。これから夕飯であるわけだが、茶をけっこうたくさん飲んでいたので、I’m almost fullと(…)に伝えると、(…)も同意した。出入り口にもっとも近い席に着席。こちらから時計回りに(…)、(…)、(…)、(…)、(…)、モロッコ人の彼女、(…)、(…)、(…)、(…)の奥さん、(…)、(…)という並び。こちらの左となりは(…)で、右となりは(…)ということになるわけだが、(…)は例によって寡黙で、世の中にこんな寡黙なアメリカ人男性が存在するのかと毎回驚くのだが、今日の移動中もだれかと会話しているようすはなかったし、テラス席では(…)のとなりに腰かけていたがふたりともずっとスマホをいじっていたようであるし、二階席に移動後は(…)がいろいろ話しかけていたものの相槌以上の返事を打っているようにはみえなかったし、後半はやっぱりずっとスマホをいじっていた。そういうわけでこちらは気心のある程度知れた(…)と会話するわけだが、耳寄りの情報があった。大学食堂で毎週火曜日魚料理がふるまわれているというのだった。毎週月曜日に(…)湖にいる魚を捕獲する、それを調理して翌日に食堂でふるまうというのだが、以前はそんな催しなどなかった。魚を捕まえるために現在わざわざ湖の水位を低くしているという。全然知らんかった。のちほど(…)がこの話をあらためて全員に告げる一幕があったので、どうして突然魚を捕まえるなんてことをはじめたのかとたずねたのだが、わからないという返事。地方政府の予算不足がとうとううちの大学にまで影響をおよぼしたということかなと一瞬思ったが、そうだったらとれた魚を無料でふるまうということはないだろう。しかし(…)湖の魚……正直あまり食べたいとは思わない……。
  • 料理はまずまず。一品をのぞいてすべて唐辛子抜きだった。シェフがひとりしかいない関係上、配膳はゆったりとしたペースだったが、相応に腹がふくれていたのでちょうどよかった。(…)と(…)のふたりはベジタリアンなのでちょっと苦労しているようす。(…)はテラス席にいたときもそうだったが、ずっとスマホでゲームをしていた。彼にしてみれば、せっかくゲームをたっぷりできるはずの休日を、大人の集まりに無理やり連れてこられて退屈で仕方ないのだろう。
  • なにかの拍子に(…)が歌をうたうことになった。(…)だったか(…)だったかが(…)はとても歌が上手なのだと口にしたのをきっかけに、歌え歌えと周囲がはやしたてはじめたのだが、そのはやしたてかたのなかに手にした箸で食器をチンチンチンチン叩くものがまじっていて、これはもちろん中国の様式ではない(こうしたふるまいは日本と同様、中国ではけっこう行儀が悪いものと見なされるはず)、(…)とモロッコ人の彼女がやっていたように記憶している。(…)は(…)がスマホで流しはじめた音楽にあわせて中国語の歌を歌った。たしかに上手だった、ピッチがめちゃくちゃ安定していた。(…)が(…)にあなたも歌えとやりかえした。(…)はLast Christmasを歌った。KTV Queenを名乗るわりにはまあまあ。(…)が(…)といっしょにフランス語の歌を歌った。ついで(…)夫妻が広東語の古い歌を歌った。このあたりでもしかしたらと思っていたが、案の定、Japanの歌も歌えよとうながされることになった。romanticなものにしろとだれかが言った。(…)はたぶん歌が上手だと思うと(…)がいった。曲を選ぶふりをして時間を稼いでいるうちに、モロッコ人の彼女が音楽にあわせてArabic danceを踊ることになったのだが、(…)がそれにつきあうかたちでたちあがり、ふたりそろってこちらの背にある広いスペースでよくわからないダンスを踊りはじめ、その輪のなかに(…)も加わった。当然(…)もたちあがる、(…)もたちあがる、(…)も立ちあがる、(…)も立ちあがる、(…)夫妻も立ちあがる。おいマジでこの西洋のノリやめてくれよと思っているこちらも(…)と(…)に無理やりひきずりこまれる。大麻さえくれたらなんぼでもダンスしたるわという話であるのだが、シラフでこれはなかなかきつい。暗黒卿(…)はしかし立ちあがらない。最後まで着席。しかしそれはそれでちょっと分が悪いと考えたのだろう、スマホをかまえて一同の姿を動画で撮影しはじめたので、こいつ考えたな! 撮影係という名目でダンスから逃げやがった! と思った。(…)も相当シャイだと思うのだが、最終的に彼もやっぱりひきずりだされた。インド人という理由だけで踊らされているようにみえたのはちょっと面白かったが!
  • それでもう終わったと思ったのだが、そうではなかった、曲は決まったか? と(…)から詰められたので、もう忘れたと思っていたのに! というと、みんな笑った。カラオケなんてもう10年くらい行っていないんだよというと、わたしだって全然行っていないという。カラオケで歌うラブソングなんてなんかあったかと考えた。とりあえずふと浮かんだのは、くるりの“BABY I LOVE YOU”と斉藤和義の“歌うたいのバラッド”で、これはカラオケに行く習慣がまだあった大学生時代に何度か歌ったことがあるはず。まあしゃあないわな、覚悟を決めるか、と思った。みんな思っていたよりも歌が上手ではなかったのでプレッシャーもなかった。“BABY I LOVE YOU”はサビが英語であるのでアレかなと思い、“歌うたいのバラッド”のほうをApple Musicで流しはじめたのだが、歌いだしの声が震えていることに気づき、うわ、こんな緊張するもんかとびっくりした。モロッコ人の彼女がこちらの声色をほめるのが聞こえた。声を張ったほうが安定するのはまちがいないので、Bメロからしっかり声を出した。中途半端にはずかしがるのが結局いちばんはずかしいことになる。だからそのまま全力で歌いきった。結果、大喝采。やったぜ! ずっとスマホでゲームばかりしていた(…)があなたが歌っているあいだずっとあなたのほうを見ていた! と(…)が笑っていった。のちほど撮影された動画がグループチャット内で投稿されていたが、緊張していたせいで伴奏と歌がちょっとずれていた。まあええわ。(…)のemotinalな歌を帰宅してからもう一度聞こうと(…)がいった。
  • その(…)がドイツ語の歌をうたった。(…)がhow many languages do you speak? とたずねると、GermanとFrenchとa little bit Chineseという返事。(…)の母親はドイツ人、父親はアイルランド人、しかし彼自身はイギリス人なのだと(…)が補足。以前本人から聞いたことがある。しかしこういうときに中国語も少し話すことができるといいきってしまえるメンタルはやっぱり日本人とちがうよなと思う。(…)の中国語は学部一年生レベルのこちらの中国語よりもはるかにまずい、たとえば(…)が中国語のみ使用という条件でスーパーで買い物をしたりホテルに宿泊したりする場面をこちらはまったく想像できないのだが、それでも少しはできるといいきってしまう、そういうメンタルはやっぱり見習ったほうがいいのかもしれない。(…)と同レベルの中国語能力を有した日本人が仮におなじ質問をされた場合、大半は全然できないと答えるだろう(しかしこれは日本語のちょっとできると英語のspeak a little bitのニュアンスの違いだったりするのかもしれない)。
  • その後は(…)と(…)が続く。ふたりとも歌は全然上手じゃない。音程すらろくにとれていない。しかし(…)が歌っているあいだはBollywoodばりにその周囲に座っている人間が踊る。最後に(…)が歌ったが、彼はめちゃくちゃうまかった、流し気味に軽く歌ってみせただけだが、音程も安定しているしリズム感もすばらしいしファルセットもきれいだった。おまえがナンバーワンだ。(…)はドラゴンクエストモンスターズでいうところの「だいぼうぎょ」、HUNTER×HUNTERでいうところの「絶」を使用していたし、周囲も彼のキャラを理解しているので歌えをうながすことはなかったが、唯一ちょっと空気の読めないところがある(…)が何度か歌え歌えと催促していた。しかしNoの一言で撃沈。(…)といえば、こちらがなにを歌うかという話になったとき、またしてもビスケット・オリバこと谷村新司の楽曲をスマホから流しはじめ、これを歌ってくれという一幕があった。毎回毎回おれと会うたびにオリバの話をするな! 知らん言うとるやろが!
  • (…)が、もしかしたらこういう場ではおきまりのゲームみたいなものなのかもしれないが、2024年にのぞむことをひとことずつ口にしようと言い出した。(…)から反時計まわりにone wordでいう、しかしほかとかぶってはいけない、と。(…)はhealthといった。(…)はなにやら前置きしたのち、relax andといったが、one wordだと(…)から指摘され、結果、happinessになった。(…)はpeaceと答えた。(…)はhappyと答えたが、(…)とかぶっていると指定され(たぶん彼女もこちらと同様、(…)のロシア訛りがきつい英語があまり聞き取れていなかったんだと思う)、beautifulといった(正確にはbeautyだろう)。それでこちらの番になったので、これまで挙がった単語をひとつずつピックアップして復習してから、うーんどうしようとなったところで、knowledgeと口にすると、場が沸いた。さすがJapaneseだぜ! みたいなことを(…)か(…)が口にした。(…)はprosperity。それに続けて(…)がsmileといったのだが、その際にHow about smile? といって、ああそっか、こういうときにもHow aboutって使えるわけかと思った。(…)の奥さんはloveで(…)がwealthと中国人のステレオタイプを地でいく回答。(…)がbrilliantかなにかで、(…)はもうみんなに言われてしまったよ、みんなの願いがかなうのが一番だみたいなことをいったが、その後inner joyといって、あ、なるほど、そういう表現もあるのかと思った。(…)の奥さんのモロッコ人女性が最後だったが、彼女はたぶん英語がそれほど達者ではない、それでちょっと苦戦しているようだったが(healthやsmileなどほかと重複する回答を連発した)、最終的にtravelと口にした。
  • 似たようなゲームというか儀式がもう一度くりかえされた。今度は大学というかこの場にささげる言葉をone wordでという趣向。(…)はthank youをチョイス。その後(…)になったのだが、(…)がthank youといったのだからきみはno thank youでいいんじゃないのと(…)が横槍を入れて、ほう、これがEnglandのユーモアですか! (…)はgratefulといった。(…)はjoyful timeといった。(…)はappreciateといった。appreciateはまさにこちらが言おうとしていた単語だったので、Hey! と口にすると、みんな大笑いした。それはおれが言おうと思っていた単語だ、どうして言うんだよと抗議したのち、(…)にむけて、English teacher! Teach me some good words! というと、みんなゲラゲラ笑った(これはこちらの所感であるのだが、西洋人も中国人もそろって笑いの沸点が低い気がする)。(…)がgratitudeとこっそり教えてくれたので、あ、それがあったわとなり、そのままチョイス。(…)はrespect。そして(…)の番になったのだが、目の前にあるスペアリブの食い残しがたくさん残った皿をもちあげてbreak bones! といった。このギャグの意味が全然わからんかった、英語の慣用句とかけていたりするのかもしれないし、ただ今日食ったメシがうまかったのでそれでちょっとちょげただけなのかもしれないが、なんとなく周囲もノリで笑っているだけのようにみえた——と書いたところで、いま、このやりとりをおさめた動画((…)が撮影してグループチャット内でシェアしたもの)をあらためて確認してみたところ、(…)がちょげたあとに奥さんのほうがこの意味を確認するようなことを(…)にたずね、それに対して(…)が(…)かだれかと話しながらbreak a leg! と言っているのが確認できたのでググってみたところ、break a legはスラングで「がんばる、うまくやる」という意味になるらしい。「直訳すると「脚を折る」という意味。昔は誰かに幸運を祈ると反対のことが起こるという考えがあり、幸運と反対の不運を祈ることになったそう」とのこと。なるほど。(…)の奥さんはamazing、(…)はfriendship、(…)はlove you allで、(…)の奥さんはlove and happinessで、最後に(…)が全員が感謝の言葉を口にしていたのを踏まえてYou’re welcomeとボケて終了。
  • ちょっと思ったんだが、これ、もし英語のできない人間が同席していたら地獄だったのではないか? というかうちの歴代日本人教師はこちらの知るかぎり、(…)先生も(…)さんも(…)さんも(…)さんも英語はほぼできなかったはずで、仮にこういう場面になっていたらどうしていたのだろう。
  • その後は(…)夫妻が出会いのきっかけを周囲にせがまれて話すという流れ。ハロウィーンパーティーにゲストとして呼ばれて(…)が(…)に一目惚れしてうんぬんという、去年彼らのところで夕飯をごちそうになった際にきいた話をあらためてきく。(…)夫妻の馴れそめが続くが、あまりよくききとれなかった、奥さんのほうがラジオ番組の英語教師かなにかでそれをきいているときtraffic jamに巻き込まれていた(…)が連絡をうんぬんかんぬんみたいにいっていたと思うのだが(少なくとも、あのときtraffic jamに巻き込まれていなかったら出会っていなかったみたいな発言はあったはず)、それ以上はよくわからん。(…)夫妻の馴れそめはもっとわからん。宝石店でどうのこうのみたいな話があったが、それ以上は不明。
  • それで会はおひらき。(…)と(…)が打包しろ打包しろとうながすので、プラスチックの容器に餃子と野菜のおひたしを大量にぶちこんでもらった。それで店の外に出る。帰路は(…)一家とそろってタクシーに乗りこむ。こちらは助手席、一家三人は後部座席。今日はとても国際的だったなと(…)がいって参加者の国籍を数えあげていく。ChinaのほかにEngland, Japan, India, United states, Russia, Moroccoと続くのに、Canadaと漏れをこちらがひきうける。(…)はどこだと(…)がいうのに、(…)がわからないという。Africaだったはずだよとこちらが受ける。受けたところでナイジェリアだったと思いだしたので、should be Nigeriaという。
  • 北門でタクシーをおりる。こちらが日本に帰国するまえにまた食事会をしようというので、楽しみにしていると受ける。それで帰宅。シャワーを浴び、ストレッチをし、モーメンツに今日の食事会の写真を投稿する。テラス席で茶をのんでいるあいだに店のスタッフが撮影してくれた写真が、ちょうど上座に座るこちらを中央奥に据えた構図になっていたので、学生らから先生はC位ですねというコメントが届く。なんやC位ってと思ってググってみたところ、これはどうやらcenterの頭文字をとったものらしい。アイドルグループのセンターを意味する俗語。
  • 二年生の(…)くんからメリークリスマスのメッセージが届いていたので返信。三年生の(…)さんからもクリスマスを祝うメッセージとともに、先生は中国のインターネットで有名人かもしれませんという報告とスクショ。微博か抖音か小红书か知らんが、なんらかのSNSでユーモアのある外国人教師の授業動画が投稿されているそのコメント欄に、数年前にこしらえたボディビルダーの体とこちらの顔を合成した画像が投稿されており(日本でのオンライン授業期間中に、mRNAワクチンの副作用で最強の肉体を手に入れました! という文言とともに投稿したやつだ)、うちの外教もおもしろい、彼はいつもモーメンツに冗談を投稿することばかり考えているみたいな文言が添えられている、そしてそれにたいしてまた大量のコメントがツリーになっているのだった。勘弁してください。(…)さんからは以前参加した翻訳コンクールで優秀賞を受賞したという報告もあった。大学にも報告したほうがいい、もしかしたら奨学金がもらえるかもしれないから、と伝えた。
  • 今日は『ANGRY KID 2116』(Yoji & His Ghost Band)と『no public sounds』(君島大空)と『Distorted Rooms』(radian)をききかえした。