20231228

 例えば、庭にきれいな桜が咲いていて、母親が「きれいな桜だね」「桜」とくり返し、子どもが指さされる目の前の映像に「桜」という音声を記憶において結合させていくとしよう。
 次に子どもは、目の前をひらひら飛んでいく蝶を見て、花びらとの類似性から「桜」というかもしれない。このとき母親は、「あれは桜じゃなくて蝶だよ」と訂正するだろう。こうやって言葉は獲得されていく。
 すなわち、このとき子どもは、桜の映像に対し、桜は「ひらひらしたもの」であり「蝶ではない」という情報をつけ加えていく。しかしこうやって追加情報をつけ加えられるのは、桜は「ひらひらした」「蝶ではない」「X(何か)」と措定できる、「X(何か)」という空項があるからである。
 これに対し、ある種の統合失調症者はこの空項が作れない。彼らは、「桜は蝶ではない」とするか、「桜はひらひらしている、蝶はひらひらしている、桜は蝶だ」という三段論法をとってしまう。「X」という空項がなければ「桜は蝶のようである」という「留保的な措定」ができない。
 何かが真実であるといきなり決定的な形で措定されるのではなく、試行錯誤の中で間違いが否定され、その中で真実が成立していくのが人間の言葉や情報の獲得過程である。ここでこの否定はいきなり外に現れるのではなくて潜在的なものであることに意味がある。
 ところが、ある種の統合失調症者では否定が顕在化する。これに対し健常者では、先に見た留保的措定があるので、「桜は蝶ではない」という顕在的否定にはならず、「桜は蝶ではない」という潜在的否定に留まり、何か別のものという留保、存在の肯定と保持がなされる。
 人間において言葉が何とでも結合し、驚くほどの可塑性をもつのは、カストリアディスも示唆していたように、このXという留保的措定ができるからである。留保的措定は、他者によって支えられる(今はわからなくてもすべてを知っている母がいつか教えてくれるという期待において)。また、現実的には時間によって支えられる。未来とは他者であり、だからこそ他者が解体すると時間が解体するのである(時間とはフィクションであるから)。
 このように恒常性とは、原理主義の夢想するレベルにあるユートピア的な蒙昧な幻想なのではなく、人間の生物学的条件において、人間が言語を中心とする認識機能を発展させていくために不可欠な唯物論的構造であることがわかる。
 そして、それは幼児期だけでなく、大人になっても新しい意味や認識を獲得していくときの支えとなっている。
 曖昧さを留保し、新しい現実との結合や認識の変更を創造的に可能にするホームペースが恒常性である。だからこそ精神的な恒常性が破綻してしまった統合失調症者では、言語の意味と認識が解体していく。
樫村愛子ネオリベラリズム精神分析――なぜ伝統や文化が求められるのか』より「第三章 なぜ恒常性が必要なのか」 p.129-131)


  • 10時過ぎ起床。饭卡にチャージするために第四食堂へ。駐輪スペースで二年生の(…)さんから声をかけられる。これから自習しにいくという。食堂外にある受付で100元札を4枚渡す。いつもチャージするのは300元であるのだが、きのう宝くじ売り場でもらった100元も追加で渡した格好。そのまま第四食堂に移動してハンバーガーを購入したのだが、支払いの段になって残高が380元になっていることに気づき、あれ? となった。こちらの記憶が正しければ残高はもともと100元弱だった、そこに400元チャージしたうえでハンバーガー2個20元マイナスであるのだから、残高は400元弱でないとおかしい。チャージミスだと判断。注文したものができあがるまで時間がかかるので第四食堂にひきかえす。受付のおばちゃんに中国語で事情を伝える。おばちゃんはさっそく今日受けとった金を数えなおしはじめたが、こちらが渡したのは300元で間違いないという。そんなはずはない。こちらが金を渡したときおばちゃんは電話をしていた、さらに紙幣を数える機械に400という数字が表示されるのをこちらは見ていたと訴えるが、おばちゃんは手元の金を数えなおすばかり。最初はポケットにないないされたのかなと思ったが、かなり混乱しているようだったので、いやこれはマジなのか? と思った。そうこうするうちに二年生の(…)さんが姿をみせた。かたわらには見慣れない女子学生。たぶんルームメイトの英語学科の学生だろう。事情を告げる。(…)さんが中国語であらためて訴えるが、おばちゃんの返答はおなじ。紙幣を一枚手落としているのかもしれないと机の下や床を探るそぶりをみせる。らちがあかない。もし100元札が見つかったらそれを必ずとっておいて次回こちらに渡すようにと伝えて去る。
  • 第四食堂にもどる。ハンバーガーを受けとって寮にもどる道中、三年生の(…)さんと彼氏と遭遇する。先ほどの経緯を伝えるが、どうも聞き取りできていないようす。帰宅後、さっきの話があまり理解できなかったと微信が届いたので、これこれこういう事情でと伝えると、じぶんがもう一度受付にいって訴えてみるという。もしかしたら400元渡したというのはこちらの勘違いで、実際に渡したのは300元かもしれないという考えがよぎりもしたが、いやしかし寮を出る前にたしかにいつもは300元であるけれども今日は400元ぶっこもうと考えたはずなのだ、そして受付にある紙幣を読み取る機械の小さな画面に400という数字が表示されるのを認めたはずなのだ。(…)さんからはのちほど連絡があった。受付の女性に入金一覧表を見せてもらったと写真付きの報告。300元になっている。しかしそれは問題ではない。こちらが400元渡したのち、彼女が手動でパソコンを操作して饭卡にチャージする金額を設定する、そのあいだに100元が消えたのだ。だから入金一覧表はなんの証拠にもならない。きのうの宝くじ売り場でのできごとがあったばかりなので、こっちが日本鬼子やからっちゅう理由でふざけたマネしとんちゃうやろなと疑心暗鬼にもなるわけだが、いかんせんどうしようもない。(…)さんからは破财免灾という成語(?)を教えてもらった。字面のとおり、損した分災いを免れることができるという意味。先日のChristmas activityではじめて知ったbreak a legというイディオムと通じる意味合いだ。陰陽とゼロサム
  • 阳台に出て、きのうづけの記事の続きを長々と書き記す。時間になったところで外国語学院に移動。14時半から一年生2班の日語会話(一)期末テストその二。今日は(…)くん、(…)くん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんの10人。(…)くん。高二からの既習組であるがカス。途中で打ち切るレベル。(…)くん。「優」間違いなし。しかし高一からの既習組であるのでもっとがんばれたと思う。(…)さん。最高。終わったあとに最高スコアである旨を中国語で伝えると小躍りしてよろこんでいた。しかし彼女は「転籍」希望者なのだ。もったいない。(…)さん。まずまず。もともとはたぶんやる気のない学生だったと思うのだが、コナンの映画をいっしょに観にいったのがよかったのかもしれない、「良」圏内のスコアだった。(…)さんもまずまずいい。(…)さん。(…)さんとならぶ最高スコア。当然褒めまくる。彼女は授業中も最前列に着席している。しかしちょっとクラスから浮いているようにみえるし、微妙に鬱っ気を感じることもあるので、そのあたりがちょっと心配。(…)さん。まずまず。(…)さん。かなり厳しいかなという印象。彼女からはのちほど練習のときは問題なく答えることができたのにテストではものすごく緊張してしまったという微信が届いた(テストで使用したPPTを送ってほしいとも頼まれたが、期末試験がまだ全部終わっていない現状、練習用のPPTがいまこのタイミングで学生間に広まると不公平が生じることになるので、それはできないと断った)。(…)さん。まあまあ。(…)さん。まあまあ。
  • (…)先生から微信が届いている。「重修費」の200元を送るというもの。Excelのスクショ付きだったのだが、2023年度重修课课时工作量なんちゃらと表示されている。規定時間より多く働いた分の給料みたいなアレだと思うのだが、これまでそんなものをもらったことは一度もないし、もっというなら、これまででもっとも授業数の少ない学期であるにもかかわらずなぜそんなものが出るのだという話であるのだが、とりあえずもらえるものはもらっておくこととする。ひょっとしたらスピーチの分だろうか?
  • (…)に立ち寄って食パンを三袋買う。いいにおいがしていたので、好香! と伝えると、新商品のにおいだろうと店内の一画を指さしてみせる。茶色いもちもちした生地の丸いパンのなかにチョコレートが入っているもの。せっかくなのでそいつも購入することにする。17時まで例によって湖沿いの広場で書見していこうかなと思ったが、シャワーの修理業者がもしかしたら来るかもしれないし、なにより(…)さんから今日は大気汚染がひどいからマスクを装着したほうがいいという助言があったばかりなので(実際空はめちゃくちゃガスっていた)、おとなしく帰宅することにした。
  • 寝室で少々書見。『魂と体、脳 計算機とドゥルーズで考える心身問題』(西川アサキ)をちょっと読む。17時になったところで第五食堂をおとずれて打包。食後は30分ほど寝る。
  • 浴室でシャワーを浴びたのち、ひさびさの執筆というつもりでコーヒーを淹れたのだが、三年生の(…)さんから微信。冷蔵庫を貸していただけますか、と。了承。(…)のための肉をもってうちにやってくるつもりだろう。となると執筆を途中で中断せざるをえなくなる、だったら日記を先に片付けたほうがいいなというわけで、きのうづけの記事の続きにとりかかる。投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年12月28日づけの記事を読み返す。

 リハーサルをしてみると、この新しい音楽では、テープのためのものであれ楽器のためのものであれ、数台のスピーカーや数人の演奏家が、近くにまとまっているよりも、空間内で引き離されていた方がはっきり聞こえるということが分る。というのはこの音楽は、いくつかの要素の融合によって和声的な性質が生まれる場合のように、一般に理解されている調和性にかかわるものではないからである。この音楽で問題となるのは、異なるものの共存である。融合の起こる中心点は数多く、聞き手がどこにいようと、その耳の数だけ中心点がある。無秩序についてのベルグソンの言葉を言いかえるなら、この不調和はたんに、多くの人々がまだ慣れていない調和であるにすぎない。
ジョン・ケージ柿沼敏江・訳『サイレンス』より「実験音楽」 p.31)

  • 2013年12月28日づけの記事には当時推敲中だった『A』の難所が数パターン比較するかたちで投稿されていた。これはおぼえている。たしか出勤前、手こずりまくっていた難所をまとめて当時公開していたブログ「きのう生まれたわけじゃない」に非公開記事として投稿しておき、仕事中に(…)さんからもらったお古のスマホでアクセスしてああでもないこうでもないと手直ししたのだ。仕事中に推敲せざるをえないくらいこのときは切羽詰まっていた。なんとかして年内に出版してやるという気持ちでいたからだ。
  • (…)さんからあと5分で到着しますと連絡があったので身支度をととのえる。下まで迎えにいこうと玄関に出向いたところでノックの音。扉をひらくと、すでにそこにいる。管理人の(…)、たびたびこちらの部屋をひとりでおとずれる女子学生の姿を見て、いったいどんなふうに思っているのだろうなとちょっと気になる。牛肉を2キロ分買ったという。あずかって冷凍庫に収納する。それとは別にこちらに手土産としてヨーグルトをくれたのだが、きのう红枣のヨーグルトを買ったばかりである。
  • 女子寮まで送っていくいつもの流れになる。どうせ散歩になるのだろうなと思っていると、案の定、もういちど(…)に行きたいですと言い出す。さっき買い物したばかりでしょうというと、2キロでは足りない、もっとたくさん肉を買っておきたいとのこと。それで(…)に向かう。第四食堂のチャージの一件について話すと、先生が日本人だからかもしれないという。(…)さん、基本的に中国人のことを全然信用していないよなと思う。彼女の言葉遣いでいうと、中国社会は全然「進歩的」でない、中国人は全員「素質」が悪いということになる。
  • 道中、マンホールを前にしたこちらの腕を引っ張って踏まそうとしない場面が何度かあった。きのうも同じことがあった。危ないから? とたずねると、それもあるが運が逃げると言われているみたいな返答がある。知らんかった。ルームメイトである英語学科の学生は第二外国語として日本語の授業を受けている。いまは期末テストにそなえて猛勉強しており、(…)さんにいろいろ質問をよこすこともあるという。しかしなかには彼女にもわからない問題がある。そのうちのいくつかをうながされるがまま解説する。
  • (…)の入口に到着すると同時に店内放送が流れはじめる。閉店まで残り5分だという。いまから二階まで移動しても間に合わないでしょう、帰省までまだ時間があるのだし別の日に出直しましょうという。それで新校区にひきかえす。きのうに引き続き、第一グラウンドでは仮設ステージで年越しフェスのようなものが行われている模様。今日ステージにあがっているのはたぶん学生バンドだと思うのだが、明日が本番で「ちょっと有名な歌手」がやってくることになっている。
  • 女子寮前に彼女を送り届けて帰宅。今日づけの記事の続きを書いて夜食のトーストを食す。ベッドに移動して『魂と体、脳 計算機とドゥルーズで考える心身問題』(西川アサキ)の続き。
  • 今日は『Columbo』(Bruno Major)と 『What a Wonderful World』(Jake Sherman)と『GOLDEN DAYS』(Mamas Gun)と『HEAVEN』(UNCIVILIZED GIRLS MEMORY)と『unpeople』(蓮沼執太)と『呪詛告白初恋そして世界』(moreru)をききかえした。『unpeople』(蓮沼執太)、めっちゃいいな。