20240105

 儀礼でなぜ相手を敬うことがわざわざ示される必要があるかといえば、逆にその裏に不信や敵意があるからである。もし最初から不信や敵意が一切なければ、儀礼というシステムは必要ない。どれほど仲の良い相手との間でも、人と人の間には不信があり、それがないことを示すことで、互いの友好関係を確認しなければならないから、必要なのである(「親しき中にも礼儀あり」である)。
 精神分析は、母子のような最初の絶対的な依存関係において、先述した糸巻きの例のように、母が子どもに完全に寄り添っているわけではないため、子どもの側の不信や不安を生むことを指摘している。子どもにとって母は全能であり、母を通じて自分は全能であると思うため、逆に現実が思い通りにならないと、それは母の悪意であるととる。英国の子どもの精神分析家であるクラインは、子どもの親への攻撃の激しさを指摘した。このように、人が人を愛することの裏側には攻撃や憎しみが張り付いている。
 幼児の場合、最初、愛と憎しみのそれぞれが投影される「良い母親」と「悪い母親」を分離して表象する(「スプリッティング」と呼ばれる)。しかし、現実には、「良い母親」と「悪い母親」という二人の存在があるわけではなく(童話ではよく「継母」のような形で「悪い母親」は別人格化されるが)一人の母親しかいない。それゆえ、現実認識を伴う中で、幼児は、両者が同じ人間であることを認め両者を統合するようになる。クラインは、幼児の中で母親が分裂している段階を「妄想・分裂態勢」、統合された次の段階を「抑うつ態勢」(なぜ抑うつかといえば、母親を攻撃して母親が死んでしまったのではないかとうつ状態になるからである。その後、子どもは死んだ母親に対して償おうとする。そして世界を統合し成長していく)と呼んで、区別している。
 儀礼は、このような、人が人ともつ関係における感情の両義性を宙吊りにする機能がある。
 挨拶というものを考えてみればよい。ある人と道で出会ったとき、必ずしも、相手に対して好意的な感情をもっているわけでもなかったり、自分のコンディションが悪かったりするときもあるだろう。それでも「こんにちは」「こんにちは」という言語交換は、自分が相手に敵意がなく好意があることを演出しうる。
 もし挨拶の言葉がなければ、わざわざ何かを語らなければならない労働が必要となる。その中で、自分の敵意や無関心を抑圧するのはなかなかの困難だろう。儀礼は、そういった困難をとりあえず留保する。そうすることにより関係の共同性や恒常性をフィクションとして維持する。しかもそれが、慣習として共同化され社会的に共有されていれば、互いの勘ぐりはしないことを互いにあらかじめ確認できる。
 そしてそれは、単に両義的感情を留保し思考や感情を切断し思考を麻痺させるだけではない。他者をとりあえず信頼する行為へと人々を向かわせることで、現実に信頼感情を交換させ関係を作っていくというイマジナリーの機能をもっている。
 このように、儀礼とは優れて社会的な制度であり、象徴的な意味をはらんでいる。
樫村愛子ネオリベラリズム精神分析――なぜ伝統や文化が求められるのか』より「第三章 なぜ恒常性が必要なのか」 p.149-151)


  • 10時過ぎ起床。朝昼兼用で第五食堂の二階で打包(いつも夕飯に利用する店であるが、今日の夕飯は(…)のところでいただく約束になっているので、昼間っからここのメシを食うことにした)。食後は阳台に移動し、コーヒーを飲みながら成績表の記入。
  • 15時前になったところで寮を出た。ケッタのタイヤに空気を入れようとしたのだが、前輪は問題なかったものの後輪の虫ゴムがどれだけ指先でひねってもはずれなかった。どうすりゃええねん。前輪だけ補充して寮の敷地外に出たところで、スクーターにのった(…)とばったり遭遇。18時ごろには夕飯の準備ができると思う、そのちょっと前に来てくれればいいというので、礼をいう。
  • 国語学院の教務室へ。見覚えのあるおばちゃんがデスクで頬杖をついている。あいさつしてもそっけなく、ほとんど返事をよこさない。教務室の人間はいちおう中国語では老师と呼ばれる存在であるはずなのだが、いくらなんでも態度が悪すぎるだろと思う。物陰から見慣れない女性がひとりあらわれる。態度の悪いおばちゃんよりも若いし愛想もいい。(…)先生が以前、教務室にあたらしい先生が配属されたといっていたが、おそらくこの女性なのだろう。教学手冊を四冊渡す。
  • 帰宅。一般教員は学生の成績をデータベースにじぶんで打ち込む仕組みになっているのだが、われわれ外教の担当する授業の分だけは教務室のスタッフが担当することになっている。しかし新人の彼女がその事実を知っているかどうかこころもとなかったので、(…)先生にその件だけ確認をお願いしていただけませんかと微信を送った。新人の彼女は(…)先生というらしい。以前いた(…)先生は旦那さんがほかの大学に移ったのについていったとのこと。
  • teaching planについて(…)からの返信もあった。過去一年間提出していないのだが、今回本当に提出する必要があるのだろうかという微信を送ってあったのだが、毎学期最初の会議で提出するようにもとめているはずだとの返事。え? マジで? となった。そのわりにはしかし、先学期にしても先々学期にしても未提出のまま看過されているというか、学期末にあらためて提出をうながされたおぼえがない。たぶんこれも形式主义なのだろう。提出する必要はあるのだが、だれも中身をチェックなどしないのだ。明日と明後日の二日かけてゆっくり作成しよう。
  • きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、一年前と十年前の記事の読み返し。十年前はまだ猫も祖父も健在。その祖父からまた戦争の経験談ヒアリングしている。以下、2014年1月5日づけの記事より(5日づけの記事に投稿されているが、実際は同年同月2日のできごとである)。

(…)満州での経験については以前聴取してしっかり記録してあるので、今回は敗戦後の混乱を中心にいろいろと語ってもらった。まさに立て板に水だった。増援部隊をむかえにいくために上官についていって満州を去り九州にむかったその途中で敗戦が決定し、満州にのこった仲間たちはみんなシベリア送りになったという話は前回聞いていたので、その後九州から故郷までどうやって帰ったのかをたずねると、軍のトラックに乗ってひとまず駅までむかったのだという。その道のりの途中、熊本の飛行場でドラム缶をごろごろと転がして運び出そうとしているひとびとを目撃した。ドラム缶の中身はガソリンである。兵隊に見つかったぞとあせったひとびとはあわてて逃げ出そうとしたらしいが、とっつかまえる気なんてさらさらない、好きなだけ運び出してしまえばいいと祖父が告げると、見逃してくれたお礼にとトラックにドラム缶をいくつかわけてくれた。それで駅前まで無事にトラックでたどりついたところで、あまったガソリンを汽車で運ぶわけにもいくまじ、たまたま近くにいた地元民がガソリンを欲しがっていたので無料であげることにしたらしいのだけれど、さすがにそんな高価なものをただでもらうわけにはいかないと金を支払ってくれたという。ただいざドラム缶をゆずりわたす段になって中身がガソリンでないことが判明したらしく、モービルオイルで、それじゃあやっぱりこの金を受け取るわけにはいかないと返金しようとしたところ、いやいやあんたガソリンよりモービルオイルのほうがもっと高価だからと返答があり、ゆえに志願兵としての給料とあわせてこの時点で4000円祖父は手元に有しており、これはとんでもなくでかい金額で、このときの祖父はじつにリッチであった。それで本州のほうにいざ戻る段になったのだけれど駅は半端ない混雑っぷりでとてもじゃないけれど汽車になど乗れそうにない、さてどうしたものかと思っていると上官がこれを持っていけと「公用」と記された腕章をゆずってくれ、はたしてそれを装備して改札にむかえば楽々とショートカット、楽々と優先みたいなアレで苦もなく汽車に乗ることができた。汽車のなかには予科練の若者が大量にいた。彼らの大半は眠りほうけていた。祖父の道連れが中身のいっぱいにつまった彼らの鞄の口をあけて中からパンを盗んだ。ふたりでくすくす笑いながら食べた(この挿話を語るときの祖父のいたずらっぽい表情はほとんど中学生のようだった)。汽車をおりた。腹が減っていた。もうずっと何も口にしていなかった。我慢のならなかった祖父は駅のホームで飯盒をセットし、満州で手に入れた白米を炊き、やはり満州で手に入れた牛肉の缶詰といっしょに食べた。白米はむろんのこと牛肉など当時だれも口にすることのできるものではなかった。祖父の周囲にはわらわらとひとだかりができはじめた。そのなかのひとりが祖父に声をかけた。同郷の人間だった。米を食わしてくれないかというので、半分ほどわけてやった。周囲のひとびとにもできればわけてやりたかったが、ひとりにやればおれもおれもとなることは明白だったので、祖父は黙々とひとりで食事をとりつづけた。米をわけてやった男は牛車を持っていた(あるいは彼とはまた別の同郷の人間であったかもしれない)。家までのせていってやってもいいというので、祖父は巨大な荷物をすべて牛車に運びこんで、牛の歩みで故郷にもどった。汽車に乗っているあいだも駅で食事をとっているあいだも祖父の荷物が盗まれることはなかった。荷物にもやはり「公用」のしるしが施されていたからである。牛の歩みはのろかった。大量の荷物と祖父をのせた牛車が吊り橋をのろのろとわたると、ぎしぎしとうなりをたててなにかがちぎれるような音をたてた。牛車の男の家で白米をごちそうになった。祖父はそこから歩いて実家にもどるつもりだったが、牛車の男は祖父を家まで送るといって聞かなかった。のこされた家路をふたたび牛の歩みでたどった。帰宅するころには23時をまわっていた。家は寝静まっていた。
親類の子の話だったように思う。帰郷した祖父は一歳になる幼子が飢え死にしたのを知った。死ぬまえの床で一歳の子は「まんま、まんま」とくりかえしつぶやいたという。その話を聞いたときに祖父はたえきれず泣いた(この話を思い出すといまでも泣けてきてしかたがないと祖父を半世紀以上経ったいまもなお瞳をわずかにうるませるのだった)。その子の家の障子紙は、下から数えて二番目か三番目の桟より下のものだけがぼろぼろに破れていて新聞紙でつぎはぎにされていたという。幼子がつかまり立ちした痕跡だった。その挿話がいちばんこたえた。あまりに痛々しい偶景だと思った。
祖父の家はひどく貧しかった(貧乏にまつわる挿話にかんしてはこれまでたくさん耳にしてきた)。祖父はなによりもまず多額の借金を返済したかった。いまなら4000円ある。農協をおとずれて借金を返済したいと告げた。村長に調べてもらうと元金よりも利子のほうがふくれあがっている始末だった。おまえは長男でもないのに家の借金を返しにきたのかという質問にそうだと祖父は応じた。しばらく奥の間で相談する気配があった。それからふたたび村長がやってきた。利子は帳消しにする、支払いは元金だけでいい、とあった。とどのつまりは、見上げた根性だ、というわけだった。祖父は金を支払った。それから関連する書類をすべて受け取り、司法書士のところにいってすべてあずけた。借金はそれだけでなかった。農協ではないどこかの組織団体にかなりの額を返済しなければならなかった。こちらは農協とは異なり人情話の通ずる相手ではなかった。祖父はふくれあがった利子ふくめてすべて支払った。そうして書類を受けとり司法書士にすべてあずけた。これでチャラだった。手元にのこった金はわずかだった。
なにせ食べるものがなかった。祖父はしばしばイナゴを餌にしてトノサマガエルを釣った。それを煮て食べた。うまいうまいといって家族みんながこぞって食べた。
(…)の闇市で質の悪い石けんを2円で購入した。それを紀伊長島に出向いて10円で売った。その利ざやで魚を買って地元に帰り、村でほかの食料や必需品と交換した。

  • 今日づけの記事もここまで書くと時刻は16時だった。「実弾(仮)」第五稿に着手。シーン15を加筆する。17時半に中断。
  • 着替えてとなりの棟へ。棟の入り口にいる(…)に(…)の部屋はどこだっけとたずねると三楼という返事。それで三階まで移動してドアをノックする。すぐに(…)がアホみたいに吠えるのがきこえる。ほどなくして(…)が扉をひらいて迎えてくれる。新年快乐! とあらためてあいさつ。(…)はキッチンでもう少し奮闘するという。それで(…)の部屋に移動。ベッドの上では(…)がタブレットでゲームをしている。デスクの前にあるチェアに座るようにうながされたが、こっちでいいよといってベッドの端に腰かける。それで(…)がチェアに着席し、そこからひととき雑談。今年のfreshmanはどうだったかとたずねる。ちょっとレベルが低いように感じたのだがと続けると、授業そのものはいつもどおりだった、しかしfinal examのスコアは例年より低いという反応。英語学科でもやはりそうなのか。
  • 例によって英語のやりとりなので会話の筋道が記憶に定着しにくく、いったいどういう流れでそうなったのか忘れたが、いつものように(…)は陰謀論を丸出しにして世界情勢を語りはじめた。いや、その前に学生のスコア低下の話から飛躍してAIの話になったのだった。違う、その前にまず教育システムの話になったのだったと思うが、そこのところの話がかなり聞き取りにくく三分の一くらいしか理解できず、相手から話をふられた瞬間にまるで理解できていないこと丸出しのリアクションをとってしまうという、最近はたえてなかった恥ずかしい失態をさらしてしまった。反省。話についていけないときはちゃんとそう口にしてゆっくり言い直してもらったほうがいい。こちらが日本語を話す学生らに対して常にそうしてほしいと考えていることを自分自身外国語を話しているときにはしていないという愚かさ。
  • 思い出せる順に書いていく。例によってテクノロジーの話が多かった。しかし(…)の語るテクノロジーの話はどこまでがマジでどこまでが陰謀論混じりのアレであるのかよくわからない。free energyとかガン細胞を利用した不老不死化とかそういう話がどんどん出る。何歳まで生きたいと思うかというので、正直にいうとかなり長く生きたいと思っている、この世界が今後どうなっていくのかに興味があるからというと、(…)はhigh fiveをもとめた。彼もおなじ意見だったのだ。おなじ質問を学生らにすることがある。しかし多くの学生らは40歳や50歳と答える。信じられないと(…)はいった。
  • こりゃ陰謀論やなという話では、アメリカのテキサス州の水道水に微量のアンフェタミンやヘロインなどが混入されているみたいな馬鹿馬鹿しいストーリーがあった。それがきっかけでADHDの子どもの数が上昇し、製薬会社がウハウハになっているみたいな筋書き。トランプについてはどう思うというので、嫌いだ、common senseをもちあわせている人間であれば好きになれないだろうと応じると、彼のpersonalityにはたしかに問題がある、しかしもしじぶんが大統領選に投票する資格があるとするなら彼に投票するだろう、なぜならもういっぽうがひどいからだといったのち、Bidenとはちがって少なくともTrumpは戦争を起こさなかったと続けるので、本当に典型的な言い分だなァと思った。
  • (…)自身がconspiracy theoryと口にする瞬間も何度かあった。これはconspiracy theoryではなくあくまでも物事をcynicalに見ての意見であるがと断ったのち、Covidによって大多数の老人が死んだことを結果的によかったと考えている国もあるだろう、特にItalyなどはそうに違いないというのだった。それについては言いたいことも理解できるが、cynicalに見ての意見であるがというその断りはおそらくとってつけたものであり、彼はやはりそういう陰謀を信じているのだろうなというのが率直な印象だった。
  • 途中でたばこを吸いたいという(…)とそろって阳台に出た。阳台にはたくさんの植木鉢が置かれていた。(…)のhobbyだと(…)は笑った。学生と普段どんな会話をするのかというので、学生の大半は大学入学後に日本語を学びはじめた子たちだ、だからいま話しているような話をすることはほぼできない、授業もトークを楽しむという感じではないというと、Where is the bus? とかそういうやつかと笑っていうので、そうそうと応じた。ただなかには非常に流暢な学生もいる、そういう学生とは授業外でもうちょっとむずかしい話をすることもあるというと、なにに興味があるかとかそういう話かというので、the meaning of lifeとかねとちょっとふざけて応じると、number 8! と指を中国語の八のかたちにしていうので、なにそれ? とたずねたところ、The Hitchhiker's Guide to the Galaxyを知っているかとあったので、ああ、そういうことか! となった。『銀河ヒッチハイク・ガイド』は読んだことないが、そのエピソードについては聞いたことがある。AIだかスーパーコンピューターだかに人生の意味について質問したところ、なんでもない数字が返事としてよこされるというやつだ。(…)はeightといっていたが、これを書いているいま調べてみたところ、「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」(Answer to the Ultimate Question of Life, the Universe, and Everything)について、「全時代および全世界において2番目に凄いコンピュータ、ディープ・ソート」が「750万年かけて出した答え」として「42」という数字が導きだされたというのだった。
  • alienについてどう思うかというので、こいつレプリカントがうんぬんとか言い出すんじゃないだろうなと思いつつ、いてくれたらいいなとは思うよといった。Star Trekは知っているかと(…)はいった。見たことはないけど知っていると応じると、あの作品にはいろいろなタイプのalienが出てくるだろう、でも大半は人間っぽい外見をしている、それで思うのだがいずれわれわれは自分自身で自分の遺伝子や肉体を改造することができるようになる、そしてあらゆる惑星の環境に適応できるようになる、たとえば地球にいるときはこのモードに自身の肉体をdesignしているが火星に移るときは別のモードに肉体をdesignするというふうになる、alienとはそんなふうにわれわれが自身の肉体をおのおのの居住環境にあわせてdesignした姿なのではないか——(…)はそんなふうなことをいった。
  • 学生の話にもどった。何歳まで生きたいかという質問のほかに、たとえばなにに興味があるのかと質問をすることがある。しかし返ってくる返事はsleepingだったりするというので、中国の学生は本当に毎日疲れているようにみえると応じると、education systemが学生たちはkillingしているのだと(…)はいった。これについては諸手をあげて賛成するところであるが、(…)はその際にアメリカはkilledでChinaはkillingだと補足した。ほんまどんだけアメリカ嫌いやねん! アメリカの教育システムと中国の教育システムなんてむしろ正反対やろとも思ったが、この話題は(…)の夕飯の準備ができたよのひと声で中断。
  • それで食卓に移動。テーブルの上にはたくさんの料理がならんだ。こちらの大好きな野菜(名前を忘れた葉物)、パクチー山盛りの牛肉、さらに一家のだれも普段は食べないだろう茹でたエビまであった(わざわざこちらのために用意してくれたのだ!)。ほかにうすぎりにしたジャガイモをピリ辛に味付けしたやつ、カリフラワーの炒め物、大根みたいなやつと豚肉を煮込んだもの、そしてなによりも皮蛋があった。皮蛋は第五食堂で食うやつよりもはるかにうまかった。(…)も皮蛋が大好物らしい。外国人がこれを好んで食べていると知ると学生たちはみんな驚くでしょうというと、そうそうみんなびっくりするという反応。(…)は臭豆腐も好きらしい。おまえがナンバーワンだ。
  • 食事中も食後もいろいろな話が出た。宗教の話になった。アニメかなにかで見たのだが、日本にはmore than millionの神がいるというのは本当かというので、本当だ、animismみたいなものだ、すべての物体に固有の神がいるという考え方があるというと、じゃあたとえばこれにもといいながらtableを指差すので、tableのgodもいるしchairのgodもいるしwallのgodもいる、でもそれはgodというよりもspiritに近いかもしれないといった。(…)は無神論者である。いつからなのかとたずねると、生まれてからずっとそうだという返事。阳台で話していたとき、(…)はもともとものすごく保守的で伝統的な学校に通っていたという話をきいていた。only boysだった、ヘンリー王子が通うようなところだというので、ギムナジウムみたいなところかとなんとなく見当をつけていたのだが、そういう学校に通っていたのであれば無神論者なんてほぼいないのではないかというと、たしかに学校ではキリスト教にかかわるイベントや行事が多かった、毎日祈りの時間もあった、しかしそういうのは一種の文化としてとらえていたみたいなことをいうので、日本人と仏教および神道との関係みたいなもんかと思った。
  • 祖父の話だったと思う。ドイツ人で、スパイの機関に所属していた。大戦前ではあるが国内ではすでにヒトラーが台頭しつつある時期、祖父は娘((…)のauntにあたる人物)を連れて、キリスト教の教会、ユダヤ教シナゴーグイスラム教のモスクなどをめぐったという。それらすべてを見学したうえで、じぶんの好きな信仰を生きろと説いたらしい。さらにふたりはヒトラーにも会ったことがあるという。当時すでにヒトラーの姿を見かけたら、ひとびとはハイルヒトラー! とあいさつするような時代だったというのだが、祖父は娘にそれを強制することもなかった。娘は最終的に無宗教を選んだ。娘の姉妹、つまり、(…)の母親も同様だったのだろう。それで(…)も物心ついたときから無神論者だったわけだ。しかしクリスマス文化やあの時期の雰囲気、教会の讃美歌、サンタクロースからもらえるプレゼントなどは当然大好きだったという。
  • そこからキリスト教批判がはじまった。いや、キリスト教原理主義者批判か。たとえば、原理主義者のなかには、クリスマスの現状を嘆く人物も多いという。つまり、いまの時代のクリスマスはcommercialだというわけだ。しかしそれをいえばそもそもクリスマスという文化自体、もともとはキリストとはなんの関係もない、あれは作物のとれない厳しい冬のちょうど真ん中にあたる時期にみんなで集まってちょっといい食事をとり、この厳しい冬もいまが折り返し地点だ、残り半分がんばろうと決起する会だったのだ、それをキリスト教の連中がsteelしたのだというので、あ、もともとはそういうローカルな文化だったのかとびっくりした。もしかしたらケルトあたりの文化なのかもしれない。Wikipediaには「古代ローマの宗教のひとつミトラ教では、12月25日は「不滅の太陽が生まれる日」とされ、太陽神ミトラスを祝う冬至の祭であり、これから派生してローマ神話の太陽神ソル・インウィクトゥスの祭ともされていた。これが降誕祭の日付決定に影響したのではないかとも推察されている」とある。原理主義者のなかには、commercialismのsymbolともいうべきサンタクロースをサタンだという人間もいると(…)はあたまを抱えるようにしていった。笑った。
  • モーゼの話も出た。モーゼは出エジプトをはたしたのち、紅海を渡ったとされているが、あれは聖書のmistranslateだ、実際はもっと小さな川を渡ったということがあきらかになっている。最近の研究でその川の対岸にある大陸の一部が地震で崩壊したことがわかっている、その関係で一時的に水嵩が引いた、モーゼたちはそれを海が割れたと言っているにすぎないのだと、こちらのスマホとこちらが(…)に渡した红包(なかには100元札を一枚入れておいた)を大陸に見立てて動かしながら説明するので、変な話をよく知っているもんだなと感心した。しかしそれでいえば、もうかれこれ15年以上前になると思うが、聖書の内容が誤訳の積み重ねによっていかに誤解されてきたか、そしてそれが歴史にどのような影響をあたえてきたかについてまとめた翻訳書が出版されていなかったか? おもしろそうだと思ったまま結局読まずにいままできているが——と思ってググってみたが、それらしい本は見つからない。だれかこのあたりのことをまとめた本について思い当たる節のある方がいれば教えてください。
  • (…)は当然ノアの方舟も槍玉にあげた。あの当時はまだテレビもないし新聞もないしインターネットもない。印刷技術すらない。娯楽の少ない世界だったのだ。だからだれかのホラ話であったり豊かなイマジネーションであったりが大いに広まり影響をもちえたのだ。それだけのことにすぎない。そんなものをhistorical factとしてありがたがっているのはおかしい。そんなふうに続けた。
  • たしかアゼルバイジャンの話だったと思うが、無神論者が70%以上いるというデータがあると(…)はいった。ソ連編入されていた時期が長かったためにそういうことになっているというのだが、いっぽうそのおおもとであるロシアではいまでもロシア正教が盛んである。そのことを(…)は揶揄するような口調でいった。
  • そういう話をしているあいだ、(…)はいつものように別室に移動し、タブレットでずっとゲームをしていた(食事はまったくとらなかった、(…)は(…)とおなじくベジタリアンであり、かつ、米よりもパンを愛好するらしかった)。(…)は同席していたが、われわれの会話にあまり口をはさむことはなかった、というより話題についてくることができなかったのだと思う。(…)の英会話能力は当然こちらよりもはるかに上だと思うのだが、(…)の語るキリスト教文化圏の話に関する知見が圧倒的に足りないのだ。だから会話に参加することができない。(…)は(…)で、たしか食卓に移動する前に交わした会話だったと思うが、こちらが学生とは教科書的なやりとりしかできないことを知った流れだったか、じぶんはじぶんで本当はもうすこしdeepな話をしたいのだけれどもこの国にいるとなかなかそういう機会ももてないと愚痴っていて、それってつまり、こういうヨーロッパ的な一般教養を前提としたやりとりなのだろうなと思った。実際、このときの(…)は本当に立板に水という感じで、すさまじいいきおいでしゃべりまくっていた、たまっていた鬱憤をすべて吐き出しているかのようだった。日本人はじぶんのことを東洋人ではなく西洋人だと思っている! みたいな指摘をたびたび中国人は口にするらしいが、キリスト教圏の文化や背景を前提とした一般教養ありきで交わされる会話をこうしてまがりなりにも交わすことのできるじぶんと傍観することしかできない(…)とを俯瞰すると((…)だけではない、仮にこの場にこちらよりもはるかに英語の流暢な国際交流処のスタッフがいたとしても、おそらく彼女らのひとりとしてこうした会話に参入できなかったと思う)、そういう東西の腑分けもあながちすっとんきょうなものでもないのかもしれんなとちょっと思った。
  • favorite writerについて質問された。EnglandではなくIrelandの作家であるが断ったのち、James Joyceは好きだと続けると、(…)は知っているのか知らないのか微妙な表情を浮かべたのち、(…)という名前がうんぬんと言いだしたので、エルロイはアメリカのノワール作家だよと指摘しようとしたところ、(…)が彼は冗談を言っているのよとあいだに入った。それで(…)の本名が(…)であることを思い出した。(…)はDickensが好きだといった。ディケンズが好きだというイギリス人が、ジョイスやエルロイを知っているとは思えない。
  • (…)はいつかtankを運転してみたいといった。両親は飛行機のlicenseをもっているという。それでいつだったかの誕生日プレゼントに、クアラルンプールで飛行機を操縦する機会をプレゼントしたらしかった。ふつうの飛行機ではない、biなんとかだというので、biは2の意味だからたぶん複葉機のことだろうなと見当をつけた。
  • (…)からは(…)の両親のもとをたずねたときの写真を見せてもらった。モーメンツをさかのぼるかたちでいろいろ見せてもらったのだが、最後にEnglandをおとずれたのはたしか17年か19年といっていたはず。当時(…)の母は存命だったが、その後ガンで亡くなった(ゼロコロナ全盛期だったので(…)は帰国することができなかった)。(…)の父親は白髭をたっぷりたくわえていた。サンタクロースみたいなのだと(…)は笑っていった。(…)はこの旅行中たくさん写真を撮った。(…)の母君はそんな彼女のようすをみて、こんなにたくさん写真を撮るひとを見たことがないと言ったという。
  • 21時になったところでぼちぼち去りますわとなった。(…)は最後の最後までこちらになついてくれなかった。別れぎわに手をのばしてなでようとすると、喉をぐるぐるぐる鳴らして威嚇しようとするので、(…)と(…)が叱った。(…)がジャーキーをくれたので、それをちぎって(…)にやったが、ものすごくおっかなびっくりで、警戒心マックスだった。(…),我不是日本鬼子! というと、(…)が吹きだした。このネタ、マジで鉄板やな!
  • 去りぎわに(…)と(…)と順番にハグした。帰国を楽しんでくれというので、ありがとう、本当にすてきなディナーだったよと受けた。teaching planはもう提出したかというので、まだだよというと、(…)から提出するように言われたのだがこの土日はゆっくりしたい、月曜日に提出することにするよと(…)はいった。
  • それで一家の部屋をあとにした。帰宅後、一年生1班の(…)くんから届いていた微信に返信。書き忘れていたが、彼からは昨日だったか一昨日だったか、日本語で俳句をこしらえたので見てほしいと頼まれたのだった。しかし送られてきたものは五・七・五の音数を完全に無視したものだったので、文字数と音数は異なることをまずレクチャーしたうえで(いちおう自由律についても補足したが!)、季語についても軽く説明したのだったが、今日送られてきたものは「焼き芋」のことを「炭さつまいも」と表現していたり季語がふたつ入っていたりしたものの音数は問題なかったので、これこれこういうふうにすればもっといい感じになるよと軽く添削した。彼はもともと写真の撮影が趣味で、けっこうセンスのいいものをたびたびモーメンツに投稿しているのだが、その写真に見合う俳句をじぶんでこしらえてそこに付すという試みに最近凝っているらしかった。高二からの既習組であるとはいえたいしたもんだ。ベタ褒めしておいた。今学期叱りつけた男子学生三人のなかで唯一覚醒した人物。