20240122

「世の中にはね、女同士を分断する価値観みたいなものが、あまりにも普通にまかり通ってて、しかも実は、誰よりも女の子自身が、そういう考え方に染まっちゃってるの。だから女の敵は女だって、みんな訳知り顔で言ったりするんだよ。若い女の子とおばさんは、分断されてる。専業主婦と働く女性は、対立するように仕向けられる。ママ友は怖いぞーって、子供産んでもいないのに脅かされる。嫁と姑は絶対に仲が悪いってことになってる。そうじゃない例だってあるはずなのに。男の人はみんな無意識に、女を分断するようなことばかり言う。ついでに言うと幸一郎は、あたしとその婚約者の子をもう分断しちゃってる。もしかしたら男の人って、女同士に、あんまり仲良くしてほしくないのかもしれないね。だって女同士で仲良くされたら、自分たちのことはそっちのけにされちゃうから。それって彼らにしてみれば、面白くないことなんでしょ」
山内マリコ『あのこは貴族』)



 二年生の(…)くんと三年生の(…)さんからN1合格の報告がとどく。150点を目標としていた(…)くんは119点という結果に満足していなくて再受験を考えているという。文法および単語のスコアが低い。(…)さんは110点で林宇くんとは逆に文法および単語のスコアは高いのだが、読解とリスニングがまずい。(…)省では雪が積もったらしく学生らがみんな雪景色をモーメンツに投稿している。投稿はこの日一日ほぼ途切れることがなかった。
 日中は階下の食卓にて作業。19日づけの記事を投稿し、2023年1月19日づけの記事および同年同月20日づけの記事を読み返す。一年前は『わたしは真悟』(楳図かずお)を再読している時期であり感想をいろいろ書きつけていてなかにはおもしろいものもある。

美紀登場以前の、すべての謎がすべての意味(答え)に簡単に還元されうる様相を、仮に(指し示すものと指し示されるものが一対一で対応する)記号的な世界観であるとすると、それ以降の、謎が謎のまま宙吊りの状態でほかの謎とその都度関係を結び、意味(隠喩)のための余白を拡大し続ける展開は、まさしく言語的な世界観であるから、真悟の機械から人間へという進化の道筋にともない、『わたしは真悟』という作品における意味の体系自体もそれに並走して(記号から言語へ)変容しているというふうにいうことも、これもまあおおざっぱといえばおおざっぱな見立てであるが、いちおうはできるかもしれない。

 その真悟の進化(成長)について。「そこに意識はなかったといいます」と語られるコンピューターは「ただの四角」であるのに対し、「すべてのコンピューターにつなが」ったあとの真悟は「三角になった」とされる。ちょっと気になるのは、意識のないコンピューターを四角であると語る真悟自体、すでに意識をもつ存在としてそれまでさんざん描写されているにもかかわらずその目は四角として表象されており、すべてのコンピューターとつながってはじめて三角になるとされている点(三角といえば、やはり第5巻の145ページの、親子の三角形をどうしても想起せずにはいられないわけだが)。ここについては、三角になったあとの真悟の台詞「わたしが組み立てた毒のおもちゃが、世界にばらまかれる!!」「わ、わたしだったのだ!!」「毒のおもちゃを組み立てたのは…!!」「わたしの組み立てたおもちゃで!」「まりんが!!」が興味深い。たとえば、三角になることを意識を持つこととして読んだ場合、真悟はここで意識を有することによってはじめて(意識を有する以前の)罪を自覚したということになるのであり、これを物語が展開するにつれて濃厚になっていく神学的モチーフ群を先取りする「原罪」と重ねることも可能だろう。
 というか、いま書いていて気づいたのだが、三角になる前に真悟が接触したのは宇宙空間にある通信衛星なわけで、通信衛星は当然地球上にいる真悟を俯瞰する位置にある、だから真悟はここではじめてみずから(の来歴)を俯瞰するそのようなパースペクティヴを得たというふうに読んだほうがいいのかもしれない。あとは三角になることではじめて、意識だけではない、人間を人間たらしめる原罪のほかに、無意識や欲望あるいは享楽も生じたという読み筋に即して解釈することもいろいろできるかもしれないと思ったのだが、これは検討するのに時間がかかりそうなのでパス。精読しとる暇はあらへん。
 ところで、「なぜ、わたしは毒のおもちゃを組み立てたのでしょう?」のあと、三度の「なぜ」に続けて、真悟は「マリン!! イマモキミヲ、アイシテイマス!!」(とカタカナで表記される)さとるの「ゆいごん」を唱える。そして「なんとすばらしいことばだろう……」「このことばを唱えると、苦しみも消える……」という言葉とともに、「さとるのことばを持って、まりんのところへ行きます」と活動を再開するのだが、これは第5巻の、たっちゃんの死を理解できず「ナゼ」と疑問を抱いてフリーズしてしまう真悟が、「まりん/ぼくはいまも/きみを/あいしています」と記された紙をしずかにみせられた途端にそのフリーズ(疑問)をひとまず解除して動きはじめる展開の反復だろう。真悟は「なぜ」でフリーズするたびに、しずかのいうところの「ゆいごん」であり、真悟がのちほどいうところの「呪文」であり、また第6巻で真悟がそれをまりんに伝えることが「生まれてきた目的」だったとする言葉によって、「なぜ」——その疑問の究極は「死」という現象に向けられるものだ——をその都度括弧に入れる(目をそむける)ことができる(あるいは、フリーズを余儀なくするフレーム問題をキャンセルすることができる)。
 しかしこの言葉をどう位置づけるのかもかなりむずかしい。これこそが真悟の欲望と読む筋も当然あるのだろうが、そもそもこの言葉はさとるによってインプットされた言葉であり、真悟に外挿された基底プログラムでしかないともいえるわけであるし、うーん、やはり仮構された生の意味として読んだほうがいいのだろうか。真悟にとっての物語であり、ファンタスムである、それがこの「マリン!! イマモキミヲ、アイシテイマス!!」という言葉であり、その言葉をまりんに届けることであるのだ、と。たとえば、宗教などを例にとればわかりやすいが、物語とはあらゆる「なぜ」に対する回答、あるいは「なぜ」に対する目の逸らし方の技法であるわけだし(ヒトの実存的フレーム問題を解決する知の集結としての宗教)。あと、いま書いていて気づいたのだが、しずかの持っていた「ゆいごん」には、「まりん/ぼくはいまも/きみを/あいしています」と「ぼく」という一人称すなわちさとるが残っているのだが、真悟がここでとなえる言葉には「マリン!! イマモキミヲ、アイシテイマス!!」と一人称が抜けているんだな。うーん、これも取りようによってはクソデカいフックだ。まいったな、マジで。

 2014年1月19日づけの記事および同年同月20日づけの記事も読み返す。(…)を(…)川に連れていく。後部座席で(…)の体を抱きかかえていると、尻尾が垂直にもちあがりはじめる。駐車場に到着して車からおろしておむつの中身を確認すると案の定うんこがしっかり入っている。(…)ちゃんと(…)&(…)と会う。(…)は(…)&(…)にむけて何度か喉をグルルルルと鳴らして威嚇した。うちにもどったところで、おなじ団地の住人が連れている黒のポメラニアンともう一匹、犬種は忘れてしまったけれども中型犬とも出会った。こちらと(…)の相性はまずまず。
 食後はまたソファで一時間ほど寝た。弟からiPadを買ってもらったと母が言う。今日とどいたのだが、保護フィルムのほうがまだとどいていないので開封していない。父にはmont-bellのジャケットを買った。母は遠慮したが、弟は押し切った。合計で五万円ちょっと。弟が半額こちらに出してもらえないかと考えていたという。そういう話をこちらにしてみせる時点で、母が弟の負担を軽くしてやってほしいと考えていることは明白だ。弟は15年以上穀潰しとして生活していたわけだが、一年の半分ほどは働くようになったいま、ようやく親孝行らしい親孝行をはじめたということだ。
 入浴後は間借りの一室で日記の続き。実家では日記を書くことと犬の世話以外なにもしていない。20日づけの記事を書いて投稿する。2023年1月21日づけの記事と2014年1月21日づけの記事を読み返す。後者にはかつてこしらえた漫画の原案が転載されている。(…)さんのブログに『手のひらたちの蜂起/法規』(笹野真)に対する言及があった。
 そのまま22日づけの記事も書く。合間に三年生の(…)さんとやりとりする。帰国後ほぼ毎日のように(…)さんから微信がとどくが、だいたい(…)の写真だ。それに対してこちらも(…)の写真を返信する。やりとりは2〜3ターンで終わる。そして翌日になるとまた犬の写真がとどく。完全に犬友だ。
 夜食は冷食のチャーハン。電子レンジでチンしたついでに母と協力して(…)におむつをはかせる。おむつをはかせる前に母の布団で居眠りをはじめてしまったのを起こす。体をもちあげてほどなくうんこのにおいがしはじめる。とても臭い。布団の上にうんこがひとつ転がっているのを見つける。母が気づかずその端を靴下で踏んづけてしまっている。うんこを回収して(…)におむつをはかせる。カーペットにファブリーズを吹きつけてトイレットペーパーでゴシゴシする。敷布団のシーツの端っこも汚れてしまう。明日洗濯すると母が言う。おむつをはいてふたたび横たわった(…)が今度は自力で起きあがる。尻尾が垂直にもちあがる。庭に面した窓のほうに行こうとする。庭にはスロープがこしらえてあるが、いまやそのスロープをおりることすらひとりではままならない。そのままでかまわないと(…)に言う。(…)はおむつをはいたままうんこをするときのポーズをとる。後ろ足を曲げて、腰を落とす。落ち着いたところではかせたばかりのおむつをふたたび脱がす。母が大笑いする。とんでもない量のうんこをしていたのだ。もういちどあたらしいおむつをはかせる。