20240202

 思考と決断は緊張関係にある。だが、両立できないわけではない。実現する可能性がほぼないと分かっていても、チャレンジはできる。だから、悲観的に考えて、楽観的に行動する、というのがベストである。しかしどうも楽観的な空理空論で騒ぐ人々に囲まれてきたせいか、悲観的なことばかりを強調するクセがついてしまった。そういう意味ではぼくも「冷笑系」かもしれない。
(綿野恵太『「逆張り」の研究』)



 12時半起床。母がパン屋で買ってきたというパンを食う。「(…)の森」((…)山の入り口にそのような名称を記した看板が設けられているのだが、ふざけた名前だと思う、実際ロマンもクソもない、弟が自殺者の遺品を見つけた実家そばの山も(…)山の一部であることを踏まえるとますますロマンなどない)の入り口にある店。むかしは弁当屋があったのだがすぐに潰れ、そのあとに開店した店だというのだが、最悪の立地といってもさしつかえのない場所であるにもかかわらず人気で、はやい時間帯におとずれないとすぐに売り切れになってしまうらしい。実際うまかった。
 食後、コーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の日記を読み返す。作業の合間、(…)を庭に出したり部屋に連れもどしたりの介助をいつものようにするわけだが、庭で「ワン!」とひと鳴きしてこちらを呼ぶ(…)の腰を抱きかかえて部屋に連れもどそうとしたところ、たぶんこちらの手が腹を圧迫するかたちになったからだろう、抱きかかえられながらうんこをぽろりぽろりぽろりと三つ連続で落としたので、母とそろってクソ笑った。ほんまにおじいちゃんや。

 食卓にて授業準備。「(…)」の続き。これは1コマでは終わらんな。2コマ、場合によっては3コマ要するかもしれない。作業中、(…)さんからグループチャット経由で関西で集まらないかと提案。(…)さんは今月10日に中国に一時帰国する(おそらく家族にはじめて奥さんを会わせるのではないか?)。で、20日にまた日本にもどってくる。20日以降であれば問題なしと(…)さんが受ける。こちらは21日が出国日なのでパス。
 (…)を連れて(…)川へ。父がいないので代わりに弟がついてくる。庭から駐車場にいたる一段分の段差もいまの(…)にとっては大きな障害であるので、腹を抱きかかえるようにして介助するわけだが、その刺激がきっかけとなってか、駐車場にまたうんこをぽろぽろした。本日二回目。若くて元気なころは一日に三度四度とうんこをすることもまったくめずらしくなかったが、いまはそういうこともなかなかない——と思っていたら、(…)川に到着後しばらくしてから三度目のうんこをして、それもなかなかけっこう大量だったので、母とそろってびっくりした。(…)川ではフレンチブルの(…)ちゃんとポメラニアンの(…)ちゃんを見かけた(遠目に認めただけであいさつなどはなし)。直接言葉を交わしたのはじいさんの連れた(…)と(…)さんのところの(…)。母は(…)のところの旦那さんがのっている車の車種とナンバーをおぼえているので、(…)川に到着後すぐに(…)のとこおるわと口にした。旦那さんと(…)の姿は周囲に見当たらなかったが、そのうちわれわれの姿に気づいてくれるだろうというのをあてにして、(…)とゆっくり芝生の上を歩いていたところ、(…)を連れたいつものじいさんがやってきて、その後(…)も遅れて合流したのだった。(…)は例によってこちらを無視し、(…)のところに直行した。じいさんは(…)のリードを離した。母はじいさんが飼い犬のリードを外すことをよく思っていない。じいさんはそんな母の内心に気づかず、じぶんのところの犬は絶対によその犬にケンカを売らない、脱走もしない、じぶんが呼びかけたらすぐにもどってくると自信満々のようすで口にしていたが、その(…)が突然あさっての方向にむけて駆け出す一幕があった。脱走のいきおいだった。われわれから十メートルほど離れたところまでひとりで駆けていき、立ち止まり、ツツジの植え込みのにおいを嗅ぎはじめたその(…)にむけて、じいさんは「コリャ!」みたいなすっとんきょうな声をあげた。(…)は見向きもしなかった。じいさんは「コリャ! コリャ! コリャ!」と何度も吠えた。格ゲーでおなじ必殺技を連チャンで入力しているみたいだった。(…)はやはり見向きもしなかった。爆笑。(…)のところの旦那さんはまた(…)のためのドッグフードだのお菓子だのをくれた。高級品。(…)が食べないのでもらってくれというのだ。(…)はほかの犬や飼い主らが集まって交流しているあいだ、いつもならば途中で疲れてその場にぺたんと座りこんでしまうのだが、今日はずっと立ちっぱなしだった。
 帰路は(…)の(…)に立ち寄った。夕飯はそこのカツ丼ですませた。Amazonでポチった冬用の作務衣がとどいた。中国で着用している冬用の寝巻きがいいかげんボロボロなので(襟元だるんだるんになったスウェットのその襟元をはさみでジョキジョキしたやつ)、こっちにいるあいだに買っておこうと思ってなんとなく作務衣をポチってみたわけだが、え? 作務衣ってこんなにあったかいの? とびっくりした。いや、もともとが作業着であるしそれにくわえて冬用の断り書きがついているブツであるのだから、そりゃ相応にはあたたかいだろうとは思っていたものの、中綿が入っているからなのか、ヒートテックとこれだけで外出れるやんという代物だった。しかしハゲ+ヒゲ+作務衣って、じぶんもいよいよ来るところまで来てしまった感がある。弟には武道家みたいやなと言われた。しかしこの格好で中国の街中を歩いていたら愛国者にからまれてぶっ殺されるやろな。キャンパス内やったらギリだいじょうぶか。
 入浴。母がiPadでトゥーンブラストをプレイしているのを見て、いつまでやっとんねんとちょっと笑ってしまった。これはたしかコロナが流行しはじめた時期、ちょうど仕事をやめて暇そうにしている母に、当時バンバン宣伝を打っていたこのアプリを、たぶんパズルゲームだろうしそれだったら母でも楽しめるだろうと思い、まずじぶんで一晩プレイしてみたのち、母のiPhoneにインストールしてやったのがきっかけだったと記憶しているのだが、あれから二年? 三年? 四年? いまでも毎日のようにプレイしている。コロナのおかげでうるおったゲーム開発会社、死ぬほどたくさんあるんだろうなと思う。いつまでもトゥーンブラストばかりじゃおもしろくないだろうと思ったので、ZOO KEEPERをインストールしてやった。
 背中痛と腰痛がちょっと無視できないレベルに達しつつあったので、こりゃ完全に運動不足やな、デスクワーク一辺倒の弊害やな、いつものアレやわなとなり、対策としてひさしぶりに腹筋を酷使した。カーペットの上にあおむけになって天井を見上げて息をついていると、空中に舞いあがっている(…)の白い螺旋形の巻き毛が、まさに螺旋を描くようにくるくるくるくると、まるで床屋の三色ポールのように回転しながらゆっくりと落下するようすが目につき、もろもろのコンディション、というのはつまり英語原義のcondition、いわゆるカタカナ表記のコンディションの意味のみならず条件や前提というニュアンスも含めてのことであるのだが、そういうconditionさえ整っていたら、この光景に啓示を見出すこともおそらくあったんだろうなと思った。
 それからまた授業準備。「(…)」の続き。いちおう最後まで詰めたが、けっこう踏みこんだ内容になったかも。というか毎年書いている卒業生への手紙自体が、読むひとが読めば中国社会に対する批判的視点をもちあわせた内容——とはいえそれは同時に、日本社会批判でもある——になっていることがわかるアレになっているのだが、「感受性」の一語をフックにして、茨木のり子の「自分の感受性くらい」を紹介し、その詩の書かれた背景に触れる流れで第二次世界大戦中の日本の情報および教育環境、すなわち検閲と愛国教育を、あくまでも現代中国には触れずに激烈批判するというアレであるのだが、まあ、優秀な学生らはこちらのいわんとするところをまちがいなく察するだろうな。
 授業準備にはいまひとつ集中できなかった。ちょっと飽きてきたのかもしれない。いちおう終わりも見えてきたことであるし、ここらでぼちぼち「実弾(仮)」執筆再開するのもアリかもしれん。
 夜食のパスタを食ったあとは『シンセミア』(阿部和重)の続き。中山正の少女愛趣味に言及するタイミングがうまいなと思った。友人である会沢光一の自動車事故の瞬間を目撃していたにもかかわらず、自分らの楽しみを優先して警察に通報しなかった仲間たちを指弾する田宮博徳という人物がいる。このエピソードを読んだ時点では、田宮博徳はほかの仲間たちよりも「倫理的」であるという印象を読者はもつ。さらにその田宮博徳と友人であり、かつ、現役の警察官である中山正が、田宮に対して事故の真相を知っているのではないかと疑うようなエピソードが挿入される。すると、読者の中では中山>田宮>田宮の悪友らという順に「倫理的」であるという印象を抱いてしまうのだが、その構図が定着しかけたタイミングで、中山のロリコン趣味および暴力性があきらかになるエピソードが矢継ぎ早にくりだされる——この情報の開示順が非常にすばらしい。相当練られているんだろうなと思う。あと、社会的にデカいニュースをラブホのテレビで見るというシチュエーションが『シンセミア』にもあることを今回の再読で思いだした。「シンセミア」、「三月の5日間」、そして「実弾(仮)」だ。