20240320

 小説の想像力とは、犯罪者の内面で起こったことを逐一トレースすることではなく、現実から逃避したり息抜きしたりするための空想や妄想でもなく、日常と地続きの思考からは絶対に理解できない断絶や飛躍を持った想像力のことで、それがなければ文学なしに生きる人生が相対化されることはない。
保坂和志『小説の自由』 p.261-262)



 8時過ぎにドリルの音で目が覚めた。朝の8時からドリルで部屋の工事をするという発想が理解できない。来世はモグラかミミズにでもなっていればいい。時間にやや余裕があったので、朝食をとったあとにインスタントコーヒーを飲み、授業のシミュレーションを軽くした。いつもミネラルウォーターを買う売店のおばちゃんから、あごひげについて突っ込まれた。編んでいるのかと思ったがそうではないのか、ゴムで結んでいるのか——たぶんそういうことを言っていたのだと思う。かわいいだろ? とふざけると、かわいいという返事。
 10時から一年生2班の日語会話(二)。第13課。まずまずの手応え。しかし音読復唱パートをもうすこししっかり取り入れたほうがいいかなという印象は受けた。教科書をもうちょっととりいれてみようかな。「問題」として使うのではなく、音読用の「例文」として使う。K.Uくんがめずらしくほかの男子学生たちからひとり離れた位置に腰かけていたので、揉めたのかな、ケンカしたのかなと思ったが、不用意に指摘するのもアレだろうと静観。授業の最後5分ほど時間があまったので、めずらしくマスクを装着しているその点について風邪でもひいたのかとたずねると、病気になったという返事。身体が痛いというので、新冠? とたずねると、首を横にふってみせる。ということは流感か? 授業が終わったところで、いつも仲良くしているH.Kくんがやってきて、K.Uくんの額に手を触れた。やはり熱があるようだという。そのようすを見て、K.Uくんがひとり離れた席に着席していたのは、仲間に病気を移すのは悪いという考えからであることがわかった。しかし寮で共同生活をしているのだから、そんな配慮はなくてもいいのではないか、端的に無駄ではないか? H.KくんはK.Uくんの額にじぶんの額を直接くっつけて熱をたしかめた。ちょっとびっくりした。H.Kくんには彼女がいるし、K.Uくんには彼女がいた。そしてふたりともこちらが見るところ、がっつりヘテロの特徴を兼ね備えているのであるが、いや、そんなふるまいをするの? BL大好き女子が見たらみんなきゃーきゃー言うんでないの? と、わが内なる乙女がまさにきゃーきゃー言いそうになった。H.KくんなんてまさにBL漫画に出てきそうな外見である。K.Uくんはこのあと会議があるらしかった。かなり辛そうにしていたので、今日はもう休んだほうがいい、寮でゆっくり寝なさいと告げた。
 あと、今日の授業では「(名詞)がほしい」「(動詞ます形)たいです」を扱ったのだが、その過程で、「あなたは恋人がいますか?」「恋人がほしいですか?」「どんな恋人がほしいですか?」という質問をする流れがあり、女子学生らはみんな「いません」からの「ほしくないです」で応じるわけだが、四人か五人連続で指名したなかでただひとりR.Tさんだけが「います」と答えて、教室は当然アホみたいに盛りあがった。授業の脱線で盛りあがるのはだいたい恋愛トーク。去年の6月から付き合っている。相手はほかの省の大学に通っている。遠距離恋愛だ。
 授業後、キャンパス内の混雑を避けてひとりケッタで(…)へ。店内はかなり混んでいた。テーブル席は全部埋まっており、カウンター席も三分の一が埋まっている。牛肉担担面をオーダーしてとっとと食す。他人のことをとやかくいえた義理ではまったくないのだが、めずらしく耳にピアスをつけたおっさんを見かけた。いや、おっさんと便宜的に表現したが、あれで案外二十代だったりするのかもしれない。仲間たちとテーブル席につき、煙草を吸いはじめたそのようすをみて(というよりそのかおりを嗅いで)、そういえば中国でも飲食店の店内で煙草を吸うひとってあんまり見ないなと思った。
 瑞幸咖啡のアプリでアイスコーヒーを注文しておいてから店を出る。ケッタにのって大学にもどる。第五食堂近くの瑞幸咖啡に立ちより、すでにできあがっているアイスコーヒーを受けとり、そのまま寮にもどる。アイスコーヒーは冷蔵庫にしまっておき、ベッドに移動して30分ほど昼寝。
 目が覚めたところでデスクに移動し、アイスコーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読みかえす。そのまま今日づけの記事もここまで書くと、時刻はぴったり15時だった。

 明日の授業で使う資料をチェックする。「キラキラする義務などない」の資料を確認しながら授業のシミュレーションを行う。これは1コマで終わらない。最低でも2コマ、雑談&脱線の度合いによって3コマ費やすことになるかもしれない。
 夕飯は第五食堂で打包。食後、チェンマイのシャワーを浴び、そのまま「実弾(仮)」第五稿にとりかかるも、全然集中できず。21時過ぎに中断。今日はそういう日なのだ、書けない日なのだ、だったら書見すればいいのだと割りきる。それでKindleで『生きる演技』(町屋良平)をポチる。先日Twitterをながめていたら鳥羽和久の「もうこの際はっきり言うと、町屋良平『生きる演技』は過去15年に読んだ長編小説の中で1位。」というつぶやきが流れてきて、そこまで? マジ? と気になったのだ。それにくわえて現代の日本が舞台であるようであるし、だったら「実弾(仮)」の風景描写の参考になるかもしれないという下心もあった(文章そのものを参考にするという意味ではなく、たとえば春の場面でミツバチが飛んでいるようすが描写されているのを見て、あ、そうだ、春先の日中はミツバチがよく飛んでいるんだった、よし、そのようすを風景描写に組みこんでおこう、みたいな参考の仕方)。
 で、寝床に移動後、読みはじめた。文章の崩し方がけっこうわざとらしく、ハマっているのか滑っているのか、正直どうにも微妙な感じがするところも多いのだが、それでもいまのところけっこうおもしろく読めている。「演技」というテーマが、柴崎友香の『寝ても覚めても』が「分身」というテーマの百科全書的な側面を有していたのとおなじように、けっこうくどいくらいに、場合によっては図式的となるのを厭わぬいきおいで詰めこまれているように現状みえるのだけれども、それがどう組み立てられていき、どう突破されていくのか。