20240325

 「除去が終わりました」と、ペイジが落ち着いた声で言った。ボビーは目を開けた。ペイジは畳んだタオルを持ち上げた。そこには半透明の皮膚の欠片が山のように積まれ、ところどころから切られた爪が顔を出し、山のてっぺんには大きな胼胝[たこ]が載っていた。ボビーの気づかないうちに彼女はそれを削り取っていたのだ。そのでき物の大きさに驚いた。幼子が自分のうんちを自慢する気持ちに似ていた。
(イーディス・パールマン/古尾美登里・訳『蜜のように甘く』より「初心」)



 9時半起床。体がなんとなくだるい。熱っぽいし、咽喉もほんのちょっと痛い。花粉だ。それにくわえて急な冷え込みのせいもある。おとついは30度近くあったのに、今日の最高気温は12度。自律神経狂うで。
 第五食堂で朝昼兼用のメシを打包。食後のコーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読み返す。2023年3月25日づけの記事に「途中、四年生のO.Cくんから誘いがあるが、この週末は忙しいと断る。土日はなるべくひとりで過ごすと決めたのだ。」とあり、一年前はまだO.Cくんが大学にいたころなのかとちょっと驚いた。もっとずっと前のできごとのような印象をおぼえる。
 食事から作業中にかけて、おなじ棟のおそらく踊り場か階段にいるだろう謎のババアが、ひたすら咳き込んでは痰を切るというのを、誇張でもなんでもなくマジで一時間以上くりかえしていて、あたまがおかしくなりかけた。たのむから共有スペースに痰を吐かないでくれ。中国政府があれだけ「文明(的たれ!)」というスローガンをいたるところで連呼しているのに。人民、実はかなり反政府的ではないか?

 13時から16時まで「実弾(仮)」第五稿作文。スマホにメモしておいた風景描写を加筆したのち、難所として手こずりまくっていたシーン27をあらためて通す。ひとまず問題なし。シーン28もオッケー。そのいきおいでシーン29もあたまから尻まで通したが、ここはちょっと早足になってしまったので、明日もういちど通してチェックしたい。

 明日の日語基礎写作(二)のために、一度はめんどくさいからもういいやと思ったわけであるけれども、やっぱりこういうのは大切だよなと思いなおし、「よくある間違い」をまとめた。それから日語会話(二)の第14課&第15課の資料を詰めなおす。
 17時になったところで寮を出る。食堂近くのパン屋でミルクパンとどら焼きを買う。どら焼きはパッケージにドラえもんがプリントされているわけだが、まずまちがいなく著作権を無視したブツだと思う。第五食堂で打包して帰宅。食後すぐにシャワーを浴びるつもりだったが、予告なしの断水なのでそれもかなわず、しかたないので日語会話(二)の第13課の資料も作りなおす。先週の失敗を踏まえて音読の要素をやや多めにする。
 浴室をのぞく。水は出る。しかし湯は出ない。もういいかと思う。(…)アパート末期時代は『グラップラー刃牙』の第一話みたいに毎日屋外にある水道からホースで水浴びしていたのだから、いまさら冷水シャワーに怯えるというのも情けない話ではないか? そういうわけで真水でシャワーを浴びることにしたのだが、冷たすぎてキンタマが痛くなった。え、なにこの現象? と思った。冷たい水を浴びたときにキンタマって痛くなるものだったか? そんな高機能なセンサーを搭載しているものだったか、われわれのキンタマは? 折れた。萎えた。負けた。真水シャワーを浴びるかわりに水に濡らして絞ったハンドタオルで身体中をゴシゴシした。
 あがる。『生きる演技』(町屋良平)の続きを読む。最後まで読み終えたが、これはなかなかの傑作やなと思った。フックがいたるところにある。分析しようとおもったらいくらでもできそう。読んでいる最中、どうしてかわからないが、「無関心シリーズ」の第二作(ロシアがウクライナに侵攻開始した翌日の夜、学生たちと大学内を散歩する(擬似)私小説)のことがあたまを何度もよぎった。もしかしたら案外はやい段階で着手することになるかもしれない。基本的に政治には無関心——実際はその手の話題を日本人であるこちらとのあいだでは棚上げしているだけで、なかにはいわゆる小粉红みたいな価値観の持ち主もいる——の学生らといつものように散歩しているようすを過去日記を参考にして書く。ただ、「私」はその散歩の途中、たびたびVPNを噛ませて情勢を追う。それにくわえて、卒業生のK.KさんやO.Cくんや二年生のR.Hくんのようないわゆる精日分子もパーティーに途中参加し、ほかの面々と少し距離を置いて腹を割った話もする(学生らはモデルありきで描写するが、学年や関係性には変化を加える、たとえばK.KさんとR.Hくんは現実には面識もないし歳の差も六歳か七歳あるわけだが、同学年のクラスメイトとして設定する、みたいな)。もちろん、(…)における抗日戦争の歴史に対する言及も必須だし、卒業生のC.Kくんだったと記憶しているが、祖父が抗日戦争時の負傷が原因で残る余生を障害とともに過ごした、そういう事実もしっかり書きとめておきたい——と、書いていると、「実弾(仮)」を片付けたあとは短編作家になるという決意があやしくなる。いや、その気でいるのだが、これらの要素を短編というフォーマットにコンパクトにまとめることがはたしてじぶんにできるのだろうか? 何度でも書くが、「実弾(仮)」は最初100枚くらい、長くても250枚ほどになるだろうというつもりで書きだしたのだが、いまや1100枚を超えてしまっているのだ!
 『シチュエーションズ 「以後」をめぐって』(佐々木敦)という著作を偶然知った。これは「実弾(仮)」のヒントになるかもしれないと思い、すぐにKindleでポチった。それでさっそく読みはじめた。和合亮一に対する評価が金井美恵子と正反対だった。
 (…)大学のMさんから微信がとどいた。二年生のC.Rくんと三年生のK.Kさんは付き合っているのかと問うものだった。とうとう来たかと思った。これは中国あるあるなのだが(あるいは日本あるあるでもあるのか?)、こっちの恋人たちは微信のアカウント画像をペアにすることが多い。たとえば二年生のR.UくんとS.Sさんは『エヴァンゲリオン』のシンジとアスカが手をつないでいる画像をふたつに割ってそれぞれで使用している。で、それとおなじノリで、C.RくんとK.Kさんのふたりはいま『名探偵コナン』の平次と和葉のツーショット画像を割って使っているのだ。まあそりゃバレるわな、すぐわかるわなという感じで、いずれこういうときがくるだろうとこちらもふたりのアイコンが変更されたタイミングで覚悟してはいたのだが、思っていたよりもはやかった。それですでにけっこう遅い時間帯だったが、K.Kさんに事情を伝える微信を送った。正直に言っていいか、と。K.Kさんからはすぐに返信があった。じぶんもMさんから直接問われた、正直に答えた、だから先生のほうでも本当のところを言ってもらってもかまわない、と。それでMさんに返信した。ふたりは付き合っている、おとついはじめて知った、いつから恋心があったのかは知らない、(…)大学のみんながいたときはまだ付き合っていなかった、いずれにせよこちらとしてはK.Kさんに対してもMさんに対しても少々複雑な感情をおぼえる、というかふたりに対して謝りたいくらいだ、煽るだけ煽ってしまって本当に申し訳なかった、と。MさんはすでにC.Rくんのことをあきらめているといった。そもそもこの遠距離ではどうしようもない、と。日本で次の相手を探す、「私、切り替えるのはめっちゃはやいので」というので、それが一番だよ、まだまだ若いんだしどんどん切り替えてどんどん恋愛すればいいよと、無責任なことをここでもまた口にしてしまった。
 そう、学生にこういうことを言うたびに無責任だなァと思う。そもそもおまえそんなに恋愛しとらんやんけ、と。ただじぶんはちょっと複雑な人間であるというか、恋愛関係だろうと友情関係だろうとあるいは親族関係だろうと、ある閾値をオーバーすると途端にうっとうしくなる、これ以上おれのプライベート(読み書きの時間)を奪うなとキレてしまう、Eさんの言葉を借りていえば「キャパオーバー」してしまう、そういうタイプの人間であり、かつ、そういうタイプの人間は世の中の多数派ではない——あるいは、だれにでもキャパは存在するのだが、じぶんほどそのキャパが小さい人間はあまりいない——という認識もここ十数年で得ているので、恋愛にまつわるなにかしらの助言が必要な場面では、そうしたじぶんの特異性を無視して一般論を述べてしまう——と、書いたところで、わかった、「無責任なことをまた口にしてしまった」というこの感情はたぶん一種の罪悪感だ。じぶんの欲望に対して譲歩してしまったときにひとがおぼえるという精神分析学的な罪悪感。
 明日は早八なのではやく寝床に移動する必要があるのだが、今日なんとなく流してみた『SOPHIC2 (DELUXE EDITION)』(DJ KRUTCH)に収録されている「ひとつひとつPt.2 (feat. LIBRO, DAG FORCE, 鎮座DOPENESS & 句潤」がものすごくツボにハマってしまい、どれくらいツボにハマったかというと冷水シャワー中わざわざ浴室にスピーカーを持ち込んで(去年買ったこのスピーカーが防水仕様であることをいまさら思いだした)リピート再生していたほどなのだが、そういうわけで寝床に移動するまえもわざわざ部屋の照明を落としてイヤホンのボリュームをあげ、まるで大麻でも吸っているときのように体をリズムにあわせてくねくねさせながらきいていて、あと一回で終わろう、いや次の一回で終わろう、いやいやこれこそ最後の最後だと、そんなふうに何度も執拗にねばってリピートし続けていたせいで、実際に寝床に就くのはずいぶん遅くなってしまった。YouTubeにMVもあがっている(https://www.youtube.com/watch?v=lBxP-Vwj-zc)。ライミングこそごくごくふつうであるもののフロウと声質でそれをおぎなってあまりある気持ちよさをうみだす冒頭のLIBROがよすぎる。