20240326

エミリーは昆虫の標本のあいだで三本のにんじんのスティックを食べながら、キチン質の昆虫の表皮を愛でた。キチンは哺乳類の生理機能にはなかった。もっとも、人の死後、まだ腐敗が始まらないうちに皮膚が革のように硬くなり——それがキチン状と呼ばれる——その硬さはある甲虫に似ているということを本で読んだ。その甲虫は腐敗していく仲間の死骸を食べながら脱糞し、死骸を堆肥に変えていく。虫の糞の使い道はたくさんあった。もっとも喜ばしいものはマナだ。エミリーは、イスラエルの民を砂漠へと率いていくモーゼの物語が好きだった。昆虫たちが彼らを救いにやってくる。もちろんマナは、「出エジプト記」によれば、大地の恵みの霜で、蜜のように甘く、神から贈られた奇跡の食料だと考えられていたが、実はカイガラムシの排泄物だった。カイガラムシは植物の樹液を食べる。甘い液体が体内を通り、肛門から排出される。一匹のカイガラムシは一時間ごとに、自分の体重の何倍もの食料を食べては排出する。糞は後ろ脚で弾くようにして捨てられるので、それが自分に浮かぶ。遊牧民はいまもそれを美味しく食べている。大事にされているその糞は、甘露と呼ばれている。
(イーディス・パールマン/古尾美登里・訳『蜜のように甘く』より「蜜のように甘く」)



 6時半起床。8時から二年生の日語基礎写作(二)。O.Sさんから風邪で欠席すると連絡あり。前半で「よくある間違い」の解説と「◯◯の日記」清書。「よくある間違い」はやってよかった。学生たち、かなり真剣に考えていたし、ノートをとっている子も多かった。後半で「キャッチコピー」のクイズその二。
 休憩時間中だったと思うが、R.Kさんが教壇にやってきて、今週の金曜日先生の部屋に料理を作りに行ってもいいですかとあった。了承。いつものようにO.GさんとK.Dさんがいっしょなのだろうと思ったが、四人いるというので、あとひとりはだれだとたずねたところ、R.Hさんとの返事。K先生を交えた交流経験から彼女もこちらとのやりとりに緊張しなくなりつつあるということだろう。
 出席をとるとき、このクラスの学生たちはよくスペシウム光線を撃つときのウルトラマンみたいなポーズをとる。つまり、単純に片手をあげるのではなく、右手をあげるのだとすれば、左手を胸の前で地面と水平にのばし、その手のひらに右肘をのせるようにする。それが前々から気になっていたので、それってなんなのとたずねると、小学生のときに教えてもらう挙手の仕方なのだという。知らなかった。なんかウルトラマンみたいだねというと、最前列に座っていたR.UくんとS.Sさんのふたりがスペシウム光線はこうでしょうと正しいポーズをとってみせた(両腕でちょっとずれた十字架みたいなかたちをつくる)。
 授業後はR.Hくんがやってくる。次の授業は四階の教室であるのに、こちらと話すためにわざわざ一階の駐輪場までついてきたのだが、いったいなんの話をしたのだったか、ちょっとおぼえていない。政治の話題ではなかった。と、書いたところで思い出した、歌舞伎町の話だ。歌舞伎町はこわいですかというので、奥まった路地のほうにいけばいろいろトラブルはあるのかもしれないけど、ふつうにでかい店で飲み食いするだけだったら別になんでもないんじゃないのと応じたのだった。こちらは上京時はいつも歌舞伎町の近く、区役所のすぐそばにあるカプセルホテルに連泊するのがならいになっているわけだが、あそこもいまはやっぱりインバウンドの影響で値上がりしていたりするんだろうか?
 (…)で食パンを三袋買う。第四食堂で猪脚饭を打包する。こちらの存在をすでに認知したようすの店のおばちゃんからあんたどこのひとなのとたずねられたので、日本人だよと応じる。先生か? 学生か? というので、先生だよと重ねて応じると、だったら給料がいいだろうという。それがそんなこと全然ないんだよなァ! おばちゃん相手であるが、阿姨とは呼ばずに姐姐と呼んだ。日記に書いたかどうかちょっとおぼえていないが、以前二年生らと(…)をおとずれた際、R.Uくんから店員さんのことを阿姨と呼ぶのは失礼だと指摘されたのだ。こちらが中国に来たばかりのときはおばちゃんのことを阿姨と呼ぶのはふつうだったし、というか店の店員さんをなんて呼べばいいのと学生にたずねたところ、阿姨と呼べばいいという返事があって以降こちらはそう呼び続けていたわけだが、むかしはどうか知らないけれども少なくともいまはそうではない、年上の女性であれば姐姐と呼ぶほうがいいと注意されたのだった。それはつまりこちらが歳をとったからなのか? もはや三十代前半ではなく三十代後半である、店のおばちゃんらともそう年齢差がない、だから阿姨とは呼ばずに姐姐と呼ぶべきであるのかと確認したところ、それもあるけれども一般的にいってやはり姐姐と呼ぶほうがいいという返事があった。だから今日はあきらかに五十代のおばちゃん相手に姐姐と呼びかけてみた。なんかやっぱりちょっと変な感じがしないでもないが。売店でペットボトルの紅茶も買う。
 帰宅後、とっとと昼飯を食す。その後ベッドに移動して一時間以上昼寝。13時半から17時まで「実弾(仮)」第五稿作文。シーン29、終わらせる。シーン30もあたまから尻まで通す。
 夕飯は第五食堂で打包。二年生のR.Kさんから微信。金曜日の夕食会について、R.UくんとS.Sさんのふたりも参加してもいいか、と。部屋にそんなにたくさんのひとが入りきるかどうかわからないというので、こちらをふくめて合計七人、椅子は四脚あるしソファは三人座れるし、まあぎりぎりだいじょうぶでしょうと受けたのだが、よくよく考えてみると、現四年生が一昨年の正月にうちに餃子を作りにきたときは、C.Iさん、G.Tさん、B.Sさん、S.Eさん、R.Eさん、S.Iさん、R.Mさん、R.Sさんの大所帯で、こちらを含めて合計九人いたのだった。金曜日の予定としてはひとり一品ずつおかずを作ってみんなでいっしょに食べるというので、クッキングヒーターはひとつしかないし鍋の数もそれほど多くないしそもそも元々の計画としてはこちらがカレーをふるまうというアレではないかというと、先生はカレーを作る、わたしたちはみんな一品ずつ料理を作るというので、いや、カレー+おかず6品はどう考えても多すぎるでしょというアレであるし、時間もアホみたいにかかるだろうし、いろいろ見通しがあますぎる気がしたので、こちらが最初にカレーを作る、で、そのあとに学生がおかずを二品か三品作る、その後カレーの鍋を温めなおしておかずといっしょに食う、そういう流れでいいのではないかと提案した。結果、R.KさんとK.Dさんが一品、O.GさんとがR.Hさんが一品、R.UくんとS.Sさんが一品作ることになった。当日は授業後にみんなでいっしょに昼食、その後(…)に移動して食材を購入し、そのままこちらの部屋になだれこむという流れになるようだった。となるとまるっと一日潰れるのを覚悟しておいたほうがいいし、土曜日も半日は前日の日記で潰れることになるだろう。まあ、しゃあないわな。
 今日は花粉がかなりきつく、薬もちゃんと服用しているし花粉ブロッカー的なあれも鼻の穴まわりに塗っているのだが、マジで鼻水が止まらず、一日でトイレットペーパーを一ロール使い切ってしまうほどで、体もだるいしあたまも熱っぽいし、まずまずの地獄やなという感じであるのだけれども、部屋にたまっているほこりもきっと悪影響だろうと思われたし、学生らがやってくる金曜日までにある程度掃除をしておいたほうがいいというあたまもあったので、ひとまず寝室と阳台だけ掃除機をかけることにした。で、それにくわえて、布団のシーツも洗濯し、中身のほこりも掃除機でざっと吸っておいた。
 チェンマイのシャワーを浴び、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読みかえした。2023年3月26日づけの記事には2013年3月26日づけの記事冒頭にかかげられている『その男ゾルバ』の抜き書きが引かれているが、これはやっぱりすばらしい。

何千年もの間、春になると若い男女が、ポプラ、もみ、かし、すずかけの木、細いしゅろなどの新緑の木々の下で踊りに興じてきたのだ。彼らはこれからさき、何千年もその顔を欲望でたぎらせながら、踊り続けるであろう。踊り手の顔は変化し、くずれて、やがては土に帰る。他の踊り手がそれに変わって現われるのだ。いや踊り手はただ一人なのだ。彼は何千という仮面をもっている。彼はいつも二十の若さだ。彼は不死なのだ。
ニコス・カザンザキス/秋山健・訳「その男ゾルバ」)

「わしゃ夢をみてました。奇妙な夢ですぜ。わしゃ近々旅に出掛けるか、何かするんじゃねえかと思いまさあ。まあ聞いて下せえ。おまえさん、きっと笑いだすだろうが。この港になあ、町ぐれえ大きな船がとまってましてな。そいつが汽笛をならしてるんでさあ。まさに出航の準備をしてるところでしょうな。そこへわしが、そいつに乗り込むってんで、村から走って行くんでさあ。わしゃ手におうむをもってましてな。船に着くと乗船しました。そこへ船長が走ってきて、『切符をみせろ!』と怒鳴りました。『一体いくらだ?』と、わしゃポケットから札束をひっぱり出しながら聞きますとな、船長は『千ドラクマだ』といいましたあ。わしゃ、『おいおい、まあ落ち着いてくれ! 八百ドラクマじゃどうだ?』といいますと、船長は『だめだ、千ドラクマだ』といいはりまさあ。そこでわしゃ、『わしゃ、たった八百ドラクマしかもってねえ。こいつ全部とってくれ!』というと、船長の奴『千ドラクマだ。それ以下じゃいけねえ! もし、おまえがそれだけもってなきゃ、船をすぐ下りるんだな!』わしゃ困ってしまってな、こういったんでさあ。『まあ、聞けよ、船長。わしゃおめえさんのことを思っていうんだが、わしの差し出す八百ドラクマは取った方がいいぜ。もし取らねえとすりゃ、わしゃ目をさますぜ。そうすりゃ、おまえ、そいつを失うことになるんだぞ!』とな」
ニコス・カザンザキス/秋山健・訳「その男ゾルバ」)

 2023年3月26日づけの記事には、おとついづけの記事で言及したスタバ女子の存在が書きつけられていた。

 日曜日なのでスタバに向かう。美式咖啡の中杯をオーダーしてソファ席に着席。『ラカン入門』(向井雅明)の続きを読み進める。中国の、というか(…)のスタバではあまり見かけることのない姿であるが、Macをもちこんでなにやら作業をしている女子がひとりいた。見た目の雰囲気がどことなく四年生のK.Rさんによく似ていたので、彼女とおなじアニメオタクかな、イラストでも描いてんのかなと思った。

 あと、以下のくだりはアホすぎて笑った。でも、けっこういいアイディアだとわりと真剣に思う。

 ちなみにこちらは、仮にはやく死ぬことがあったら、そのときは火葬場で弱火で焼いてもらって髑髏をきれいなかたちのまま残してもらい、それを業者にたのんでさかずきに改造してもらったうえで、姪っ子の二十歳の誕生日にワインといっしょにプレゼントしてもらおうかなという計画があるのだが(金子光晴でいうところのどくろ杯だ)、以前それを姪っ子当人だったか母親だったかに伝えたところ、なに考えとん気色悪ッ! と一蹴された。身内から受け取り拒否されるとなると、自然、TかFくんにやるしかないわけだが、Tはけっこう迷信深いし幽霊とかふつうにビビるタイプなのでたぶんダメだと思う、ふつうにお寺で除霊とか封印とかお願いしそう。だからFくんしかいないわけだが、Fくんは酒もコーヒーも飲まない、そうなるとこちらの頭蓋骨にそそがれるものはほぼ白湯になるわけで、うーん、それはちょっとなァ、白湯かァ……という感じは正直ある。だったらいっそのこと、土でもいれてもらって朝顔でも植えてもらうか? ほんで「髑髏朝顔観察日記」とでも名付けて毎日観察日記をつけてもらい、朝顔と心霊現象を同時に観察する史上初の試みとしてゆくゆくは出版、表紙はジャポニカ学習帳のパロディで黒土の満たされたこちらのしゃれこうべの鼻の穴の部分や眼窩から朝顔のつるがのびている写真をど真ん中にドーンと置きつつ、書名と作者名だけはドラゴンボール神龍が話すときに使われるあのおどろおどろしいフォントにしてみればどうだろうか? 完璧やな。ベストセラー確定や。

 2014年3月26日づけの記事には以下のようなくだりがあった。

それからきのうSと通話しているときにすでに目を通していたWさんからのメールに返信した(これでひとまずブログの引っ越しを告げたひとたち全員から返信を受け取ったことになる)。Wさんは岡崎乾二郎の芸術理論の講義を受けていたらしい。たしかにこれまでいただいたメールの文面からして文章にたいして意識的にたずさわっているひとであるのはまず間違いないだろうとは推測していたのだけれど、芸術理論というのは意外だった。『A』を献本させてもらったときの記憶がたしかなら現在神奈川在住だったように思うのだけれど、実家が奈良にあるとのことで、ついては夏に帰省するそのついでにそちらで会えないかとあったので、もちろん了承した。

 ここを読んでちょっとおどろいたのだが、そうか、Wさんとはじめて会ったのはFくんとはじめて会ったそのあとだったんだ、これは意外だった。メールでのやりとりはそれ以前から続けていたし、そういう意味での「出会い」はFくんよりはやかったわけだが(というかそういう「出会い」でいえば、FくんよりもWさんよりも、ひょっとしたらH兄弟よりもAさんのほうがはやかったということになるわけだが!)。
 明日の授業にそなえて第14課&第15課の脚本を印刷し、必要なデータをUSBメモリにぶっこんだ。それからミルクパンをむしゃむしゃやりながら今日づけの記事もここまで一気呵成に書くと、時刻は23時前だった。鼻水止まらんくてうっとうしいので禁断のオーバードーズ(一日三度の服薬)をキメるぜ!

 そういえば、Tから交通事故の続報についてLINEがとどいたのだった。肋骨が折れていたらしい。全然無傷ちゃうやんけと笑う。今日は『Journey』(ゆるふわギャング)と『Blossom』(kiki vivi lily)と『なおらい』(LIBRO)と『AWAKENING』(鶴亀サウンド)をきいた。