20240327

また会おう。リチャードは裏口から外に出ると、雨のせいですべる道を慎重に歩いていった。大気は冷えていた。アリスは体の前で腕を交差し、両肘を手で抱えるようにして、戸口のところに佇んでいた。女たちは何世紀もこの姿勢をして案じてきたのだ。
(イーディス・パールマン/古尾美登里・訳『蜜のように甘く』より「蜜のように甘く」)



 8時15分起床。きのうは寝るまえにマスクを装着してベッドにもぐりこんだ。おかげで入眠は容易であったが、起き抜けはやっぱり熱っぽい。鼻水も出るし、のどにも違和感があるし、なにより全身だるい。朝食はトーストとインスタントコーヒー。
 10時から一年生2班の日語会話(一)。第14課&第15課。先週の反省を踏まえて例文音読の時間を増やしたが、これはこれでやっぱりやりすぎると単調になってしまうなと反省。いい塩梅というのを見つけるのは毎回むずかしい。授業の最初に花粉症について説明したのだが、第一声がじぶんでもわかるほど荒れていたので、のどの具合かなりまずいなと思った。外出前には龍角散を舐めていた。
 休憩時間中、廊下にC.N先生が姿をあらわした。出ていくと、卓球はできるかというので、中学時代は卓球部に所属していたけれどもだれひとり卓球などしておらず、顧問の教員からRとそろってがん細胞呼ばわりされていた——などというエピソードはどうでもいいので、したことがありませんと応じた。大学内で各学院対抗の運動会があるとC.N先生はいった。卓球のほかにバスケ、バレーボール、バドミントンがあるという。めんどうくさいので、全部したことがないと嘘をついた。
 授業後、C.Kくんが教壇にやってきてスマホの画面をこちらに差し出した。日本でいうジャージみたいな制服を着た男子高校生らの集団がトイレで喫煙している動画。授業中の例文としてたばこの年齢制限の話を出したのだが、それを踏まえてのこと。じぶんが高校生だった時分と変わらんなと思った。スマホはC.KくんのものではなくK.Uくんのものだったようす。じぶんの後輩だと動画のなかの高校生を指してK.Uくんは言った。
 帰宅。冷食の餃子をこしらえて食す。その後、ベッドに移動して昼寝。30分ほどのつもりだったが、ひさしぶりにやらかした、一時間以上眠ってしまった。
 身体がだるい。自律神経のイカれていた日々をちょっとおもいだす。経験的に花粉症で微熱だの倦怠感だのが出るのは症状が急激に出はじめた最初の数日間のみであり、その後はそうした症状がいったんおさまるのか、あるいはそのしんどさに身体が慣れてしまうのか、どっちかわからんけれども、いずれにせよ風邪の諸症状みたいなのは鼻水だの目のかゆみだのいう花粉症の代表的な症状に収束していく。だからこの数日が山場なんだろうというつもりで気張っているのだが、でもしんどいな、明日授業サボっちゃおうかな、いやサボりはもうすこし後半にとっておきたいな、今週をのりこえたら来週はいちおう連休なわけであるし——などなど考えてしまう。このコンディションで金曜日の食事会をむかえるのはなかなかしんどいなというあたまも当然ある。明日以降最高気温が30度近い日々が続くので、花粉の悲惨も相当えげつないことになりそう。
 コーヒーを淹れる。きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の日記を読みかえす。以下、2023年3月27日づけの記事より。

 読み返しの最中、一年生のR.Gさんから微信が届いた。「中国語の「心花怒放」は日本語で何と言いますか」という。これは成語であるから文脈に応じて意訳するしかないと受けたのち、辞書の意味は「(心の中に花がぱっと咲くように)喜びに満ちあふれる、うれしくてたまらない」になっていると続けると、もっと簡単な表現はないかという。いや、これ以上簡単となると、もはや「とてもうれしい」くらいしかないでしょうという感じなのだが、ほかにも「顾名思义」は日本語でどういうかという同様の質問が続き、これもやっぱり他者の不在のヴァリエーションだよなと思う。成語という中国語に固有の表現をどう外国語に移し替えるか、これについては文脈次第でさまざまに意訳するしかないとちょっと考えれば理解できると思うのだが、おそらくR.Gさんは中国語の成語ひとつひとつに、いわば一対一で対応した日本語の訳語が存在すると考えている、そこまででなかったとしてもそれに近い考えをぼんやりと有している、だからこんなふうな質問を連続でするわけだ。R.Gさんは作文を修正してほしいといった。ほかの授業の宿題や翻訳のアルバイトで引き受けている文章は直せないよと釘をさすと、スピーチコンテストの作文だというので、え? もうそんな時期なの? とびっくりした。はっきりした日程はまだわからないが、校内予選はおそらく来月上旬にあるだろうとのこと。

 ここを読んで、「え? もうそんな時期なの?」と一年越しにふたたびびっくりした。それで「スピーチコンテストの予選」で過去ログを検索してみたところ、5月18日づけの記事に「歯磨きしながらモーメンツをのぞいていると、K先生が二度目の感染報告をしており、えー! となった。明日スピーチコンテストの予選でひさしぶりに顔を合わせることになるのを楽しみにしていたのに!」とあり、校内予選はなるほど5月19日に実施されたらしい。今年もおそらく同様だろう。いちおう2023年5月19日づけの記事もざっと斜め読みしてみたのだが、スピーチコンテストの校内予選のほかに(…)四年生との卒業写真撮影にも参加しているようだったので、あ、もうそんな時期なのかと思った。毎年卒業生には手紙を書いているので、そろそろそのあたりの用意もしておかないといけない。今年はなに書こうかな。なんもネタあらへん。
 以下は2014年3月27日づけの記事より。「私には彼女を恨む権利はないのですが、それでも、いくらかは恨んでいます。ときどき、彼女の食いぶちを出すのがいやになったりするのです!」に笑った。

そして私が観客のことを考えるようになったのは、たとえば『カラビニエ』の場合のように、自分がつくった映画が興行的に大失敗におわったとき……とてつもない失敗におわったときです。『カラビニエ』は、二週間で十八人の観客しか入らなかったのです! 私はそのとき……十八人といえば数えることができるわけで、だから私はそのとき、《その十八人というのはいったいどういう人たちなんだろう? ぼくはどうしてもその人たちのことが知りたい! ぼくはこの映画を見にきたその十八人の人にどうしても会ってみたい。あるいは、その人たちの写真を見てみたい》と考えました。私が本当に観客のことを考えたのはそれが最初です。そのときの私には、観客のことを考えることができたのです。私が思うに、スピルバーグには観客のことを考えることはできません。どうすれば千二百万の観客のことを考えることができるでしょう? 彼のプロデューサーには、千二百万ドルのことを考えることはできます。でも千二百万の観客のことを考えるとなると……それは完全に不可能なことなのです! だからなかには、観客のことを観客一般として考えようとする連中もいますが、でも実際は、観客というのは個々の人間として考えるべきなのです。それに私は、私の娘が私がつくった映画を五分間見るのにも我慢できなかったり、そのくせ、コマーシャルとかアメリカのシリーズものなら何時間でも見ていたりするのを見ると、なにかを考えさせられます。《あんなものを見てもまったくなんの役にも立たないのに》などと考えます。私には彼女を恨む権利はないのですが、それでも、いくらかは恨んでいます。ときどき、彼女の食いぶちを出すのがいやになったりするのです! だから私はそのとき、観客のことを考えているわけです。私は観客と現実的な関係を結んでいるのです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)

 作業中、Lから着信があった。permanent resident permitがほしいかという問い合わせだった。そんなものを手にいれることができるのかとたずねると、政府のほうからそういうものを求めている人間が現状どれほどいるのかという質問があった、うちの教員でpermanent resident permitを欲している人間が合計何人いるのかリストにして提出する必要があるのだという。それがあることでいったいどういうメリットがあるのかと思ったが、たぶん毎年のビザ更新が必要なくなるとか余計なペーパーワークや手続きなどが簡略化されるとか、そういうアレだろう。しかしそいつをゲットするために結局七面倒な手続きがまた必要になるのだろうし、身辺調査みたいなのも厳しくなる可能性もあるわけだから、いや別にそんなもんいらんか、仮に必要だと思われる場面がおとずれたらそのときまた相談すればいいかというわけで、必要ないやと応じた。

 今日づけの記事もここまで書いた。作業中は『風呼ぶカモメ』(句潤)を流した。花粉症のせいでとにかくしんどいので、その後はベッドでごろごろして過ごした。17時をまわったところで第五食堂に移動して打包。食後もやっぱりだらだらした。しんどいのひとことに尽きる。
 チェンマイのシャワーを浴びた。ここで気分が多少切り替わった。しんどいなりにちゃんとやるべきことをやろうと思い、明日の授業で使用する資料を印刷したりデータをUSBメモリにインポートしたりした。DJ KRUTCHの「ひとつひとつPt.2 (feat. LIBRO, DAG FORCE, 鎮座DOPENESS & 句潤)」でまた踊った。それで若干もちなおした感があった。
 「実弾(仮)」第五稿のエピグラフとして、ジャン・ルノワール『自由への闘い』のセリフを引用するのもいいのではないかとひらめいた。ただ、ひらめいたときはジャン・ルノワール『自由への闘い』という固有名詞を思いだすことがまったくできず、だれのなんという映画だっけあれはとなったので、過去ログをそれっぽいキーワードで検索した。すると2019年4月3日づけの記事がヒットした。以下、「思想・哲学をビジネスにするにあたって「ゲンロンがしないこと」は何だったか。東浩紀が振り返る『ゲンロン』の3年間」よりを読んだうえでの感想。

「当事者の言説に凝り固まっていてはダメで、福島を観光のように訪れる中途半端なコミットメントが大事なんだ」という考え方はすごい。これを言い切ってしまうところがいい。東北の震災を思い出す。これは当時の日記にも書きつけたことだが、あの日、京都はほとんど揺れなかった。体感でいえば震度2程度でしかなかった、これは当然のことであるのだが日本各地、世界各地での揺れはあのときバラバラであったはずであるし、その揺れを受けとめた個人の受け止め方もそれぞれバラバラだったはずで、揺れというものを一種のリズムであると見立てた場合、あのときひとはそれぞれじぶんの位置(震源との外的な距離)とその受け止め方(震災との内的な距離)に応じる固有のダンスを踊ったはずだった。でもそれは一瞬のことですぐにだれもがおなじダンスを踊りはじめて、と、ここまで書いたところで過去ログを検索してみたのだが、うまくヒットさせることができなかった。ただ2012年6月5日づけの記事(ちょうど宇治行脚の真っ最中だ)に、《震災以降の芸術はうんぬんと恥知らずな言説をまきちらす大馬鹿者どもに対する、震災という巨大で(あるがゆえに)一義的揺れにたいして誰もが画一的に揺さぶられてしまうのではなく、それぞれがそれぞれの「距離」に固有のリズム、周期、震動に応じて「揺さぶられる」なり、あるいは「揺れてみせる」なり、あるいは不動を保つなりして、ヒステリックな一致団結(それはファシズムにほかならない)とは無縁のまま、出来事にたいする多様で多義的な様相を確保すべきだという持論》というくだりがあって、まあ、そういうことだ。当事者の震度に想像力を及ばせつつ、しかしその震度に同期して踊り散らかさないこと、みずからの踊りを踊ることで確保される視点があることを知ること。あるいはこれは『S&T』に採用したのであったかどうか忘れたが、ジャン・ルノワール『自由への闘い』を観たときのこちらの感想。

ジャン・ルノワール『自由への闘い』観た。傑作。生徒らとともに防空壕に避難したモーリン・オハラ演じる女教師が、空襲の爆撃音に抵抗すべく指揮をとって生徒らに合唱させるシーンが序盤にあるのだけれど、合唱のみならずその歌のリズムにあわせて上体を大きく揺らすよう(身振りをともなうよう)さりげなく導くところになにか光るものを感じた。外部(=戦争)に「同期しない」というかたちでの抵抗。社会の大きなリズムから自らの身体のリズムを逸脱してみせるということ(…)。
(2012年2月1日の日記)

極端な例をあげれば、震災後、当時のバイト先である(…)のFさんは、震災のせいでテレビが全然おもしろくないと文句ばかり言っていた。その言葉をはじめて耳にしたとき、こちらは心底驚き、ほとんど腰を抜かしそうになったのだが、後年、(…)で震災当時をふりかえった会話になったときも、従業員のほとんど全員がまったくおなじことを口にしていたのだった。極端に聞こえるかもしれないが、それもまた彼らのダンスだったのだ。
(2019年4月3日の日記)

 で、ここで言及されている「モーリン・オハラ演じる女教師」のセリフをエピグラフにもってくるのがいいのではないかと考えたわけだ。ルノワールは当然フランス人であるけれども、『自由への闘い』の原題はThis Land Is Mineでセリフもすべて英語、これは第二次世界大戦の戦火を避けてアメリカに渡ってから製作した作品だからだ(芸術家の亡命エピソードを目にするたびに、亡命することのかなわなかった無名の大多数のことを考えてしまう)。それでscriptを検索してみたところすぐに見つかった。さらにそのscriptを“sing”で検索したところ、以下のセリフがヒットした。これだ。

Let's all sing.
If we sing loud enough, we won't hear the guns.
I know that Julian Lamont has a good strong voice.
Girls, we don't want the boys to sing louder than us.
Now, are you all ready? One, two.
# Ting-a-ling, ring-o-ring
# Two bells in the steeple
# Ting-a-ling, ring-o-ring
# Calling all the people
# Guide you on our way from play
# Work begins another day
# Ting-a-ling, ring-o-ring,
# Welcoming another day
# Ting-a-ling, ring-o-ring
# Two bells in the steeple
# Slowly swing, another ring
# Calling all the people
# Here the pealing clear and high
# Like those angels in the sky
# Ting-a-ling, ring-o-ring
# High in the steeple... #

 動画もあったので確認したが、教室(だと思う、たぶん防空壕ではない)で「モーリン・オハラ演じる女教師が、爆撃音に抵抗すべく指揮をとって生徒らに合唱させる」シーンはたしかにあるものの、体をゆさぶるようにうながすだけでそれを指示するセリフはなかった。ト書きをこちらの手で補足したうえでエピグラフに採用する手もあるにはあるのだが、うーん、どうかな。
 その後は寝床に移動。昼にたっぷり寝たのできっとなかなか寝つけないだろうし、この体のだるさであるし、明日の授業はやっぱりサボろうかなと考えているうちに、おもいのほかはやく寝ついてしまった。