20240405

 ルーセルの小説は全体としてひとつの意味を醸し出すような書き方ではなくて、書かれている事物のひとつひとつを押さえていくことを読者に要求する書き方だ。
 小説というのはふつう、全体としての意味が背後にあって、それが読者全員に共有されるようになっている、つまり著者によってあらかじめ加工された世界が読者に受け渡しされるようになっているのだが、ルーセルの場合には作中の「私」「私たち」の視線がそのまま読者の視線となっている。だから読者は、「私」によって加工された光景を読むのではなくて、「私」と同じ立場で光景に立ち合わなければならない。
保坂和志『小説の誕生』 p.127)



 10時起床。歯磨きをして洗濯機をまわす。外へ。寮の入り口で見慣れない外国人の姿を見かける。たぶん新入りの外教だ、きのうグループチャットでLから紹介されていた人物だ。連休二日目なのでキャンパスは全体的に閑散としている。第五食堂は通常通り営業している。おかずはいつもより多かった。利用者が少ないからだろう、ほとんど手付かずのまま盛られているものもけっこうある。
 食事。ちょっと前に千葉雄喜名義でカムバックしたKOHHであるが、引退理由というのが「絶頂期に引退する」という約束を318(高橋良)なるプロデューサーと(デビュー前にプロデュースの条件として)交わしていたからであるというのを知って、なんか『幽遊白書』の飛影と時雨みたいやなと思った。邪眼を得るための手術を請け負ってくれた時雨の要求した手術料というのが、その邪眼を使って見つけ出すつもりでいる(飛影の)妹・雪菜にじぶんが兄であることを告げてはならないという約束だったというエピソード。
 12時半から16時過ぎまで「実弾(仮)」第五稿。シーン31は無事片付いた。シーン32もあたまからケツまで通したが、ほぼ問題なし。
 三年生のK.Kさんに微信を送る。今日の夜から会うという話になっていたが、具体的な予定はどんな具合なのか、と。
 ケッタに乗って后街へ。連休中であるのでどうかなと思ったが、一部の商店はシャッターをおろしているものの、屋台はいつもどおりがっつり出ていたし、歩行者の数もかなり多かった(もっとも、学生よりも地元民らしい姿のほうが目立ったが!)。薬局へ。アレグラの成分であるフェキソフェナジン塩酸塩の中国語訳「非索非那定」を表示したスマホをみせたうえで、これがほしい、花粉のアレルギーなんだと、受付にいる白衣の男性に告げると、この薬はないという返事。しかし別の薬ならあるといって点鼻薬を棚から取り出してみせるので、そうじゃなくて飲む薬がほしいんだと伝えると、じゃあこれはと別の薬が取り出される。成分を見てもわからないし、もしかしたら中药かもしれないので、ほかの店をちょっと見てくると伝えて店を出た。で、后街の出口付近にある、もっと大きい薬局にはしご。白衣のおばちゃんにさっきとおなじように事情を伝えると、だったらこの薬にすればいいと棚の上に陳列されている飲み薬を指差してみせる。中药かとたずねると、西药だという返事。「非索非那定」の文字こそなかったものの、漢字の並びにざっと目を通した感じ、アレルギーに対応している薬らしい。すぐそばにはドイツ製の飲み薬があったが、見覚えのあるパッケージで、これ去年か一昨年か忘れたがたぶん淘宝で買ったやつだ、成分はアレグラとほぼおなじものではなかったかとなった。で、そのドイツ製の薬のパッケージに記載されている成分らしき単語とおなじ単語が、白衣のおばちゃんが教えてくれたほうの薬のパッケージにも記載されているようだったので、いちおう両方レジにもっていき、これはおなじ成分なのか? とたずねると、おなじだという返事。しかし一方は外国製なので高い。じゃあこの安いほうを買うと告げたのち、服用回数をたずねると、一日一回一錠とのこと。一箱12粒入りだったので二箱購入。あんたどこのひとなのと白衣のおばちゃんがいうので、日本だよと応じると、なんだ日本人か! よそから来た中国人だと思った! と笑っていうので、そこの大学の外教だよとこちらも笑って受けると、となりにいた客のおばあちゃんが(…)话でer4ben3ren2とつぶやいた。アレルギーだったらこれも服用したほうがいいといって、こちらの背後にある棚からビタミンCのタブレットも手にとってみせたが、それはいいよと断った。
 これを書いているいま、薬の成分を調べてみたのだが、Loratadineとあって、これはカタカナ表記するとロラタジン、アレグラの成分であるフェキソフェナジンと同じ抗ヒスタミン剤の第二世代にあたるものらしい。説明書によると、副作用として口の渇きがあるというのだが、これは実際にいま出ている。それにくわえてのどの痛みもあるのだが、これは副作用なのかどうか不明。とりあえずこいつはつなぎとして服用しつつ、淘宝でフェキソフェナジンを購入するのがベターかも。
 (…)で食パン二袋を買って帰宅。K.Kさんから返信がとどいている。あとで夕飯をいっしょに食べましょう、と。彼女からふたたび連絡がとどくまでの時間を利用してきのうづけの記事の続きを書く。書きおわったタイミングでC.Rくんから(…)で合流しましょうととどく。

 徒歩で(…)へ。K.KさんとC.Rくんのふたりがいる。日中はR.Sさんとその彼氏、S.Sさんとその彼氏、それにC.Sさんをくわえた大所帯でカフェに入り、そこでまたゲームブック(?)をしていたという。サスペンス要素のある物語なのだが、最後の最後で父親と息子の関係にかかわる感動的なオチがあり、みんな涙していたが、じぶんたちふたりだけはまったく泣かなかったので、冷たい人間だと指摘されたという。
 麺を注文する。食しながら話し、食後も話す。薬局で買ったばかりの薬を服用する。その薬はアレルギーの薬として有名だとパッケージを見たふたりがいう。K.Kさんは鼻炎持ち。たしかにいつも鼻声であるしアレルギーがあるだろうとは思っていたが、本人曰く、暑い日と寒い日に症状が出るという。ふるさとの大連は相当寒いから大変ではないかというと、大連のほうが空気がきれいだからだいじょうぶという返事。大気汚染に反応しているということだろう。C.Rくんの父親は養蜂家。だから蜂に刺されることがたびたびあるわけだが、そのときはいつもこの薬をのんでいるとのこと。
 きのうはダブルデートだったという。K.Kさんのルームメイトである後輩が最近四年付き合っていた彼氏と別れた、それでかなり落ちこんでいるふうだったので、失恋の病はあたらしい恋で癒すっきゃないとK.KさんがC.Rくんに打診、友人の男子学生を紹介してもらったという。友人の男子学生は医学部。ダブルデートの感触は上々で、おたがいに相手に対して好印象を抱いているとのことだったが、K.Kさんのルームメイトのほうはそれでも現状やっぱり元カレのことが多少は意識に残っているらしい(別れてからまだ二週間ほどしか経過していないのだ)。
 そのルームメイトとは別のルームメイト、こちらはたしかK.Kさんの先輩、ビジネス英語を専攻する女子学生だったと思うが、その先輩には長く付き合ってきた彼氏がいる。彼氏はすでに就職済み、彼女のほうもまもなく卒業というわけで、ふたりは結婚を考えているのだが、彼女のほうの故郷が(…)省であるのに対して彼氏のほうは成都出身、それで彼女の親のほうが結婚に反対しているとのこと。両家の出身地が異なるというだけの理由で結婚が難しくなるという話はときどききくが、現代でもそういうことはよくあることなのかとたずねると、よくあることだという返事。中国ではやはり家族関係が密であるというか親と子の距離が異様に近い、というより一部の親はいまだに子のことをみずからの所有物であり財産であると考えている節があり、それは農村のほうでは特にそうなんだろうが、それにくわえてひとりっこ政策の影響もあるのだろう、ひとりしかいない子が遠方で生活をはじめたらだれがじぶんの世話をしてくれるのだという親の側の言い分もあり、それでいえばもう四年ほど前になるのかもしれないが、たしかスピーチコンテストの会場にむかう電車の車内で交わした会話だったと思う、Kさんが中国では子どもが親の面倒をみなければならないという法律があると話していたが、あれはマジなんだろうか? いずれにせよ、とにかく、そういうくびきのようなものが強烈な社会であるので、故郷が(…)にある女子学生の母君は、娘の彼氏の出身地が成都であることをこころよく思っておらず結婚には反対しているらしい。しかし成都出身であれば(…)出身の家庭よりもよほど裕福であるわけだし、実際彼氏はかなりいい条件の企業に勤めているという話であるし、それに高铁を使えば(…)と成都だってそれほど離れているともいえない、別にそれほど気にすることじゃないではないか。恋人ふたりもいまは反対されているけれども結婚するつもりでいるらしいので、それでいいよ、結婚するしないは当事者が決めることだよと受けたところ、日本ではこういうことはありますかとたずねられたので、うーんとなった。むかしはどうだったか知らないけれども、少なくとも現代でこれに似た話を身近にきいたことはない、それこそ北海道出身のひとと沖縄出身のひとが結婚するとなったとしても両家の距離を理由に反対するという家庭は少数派なんではないだろうかと受けたが、どうなんだろ、そういうのやっぱりいまでもあるのかな?
 しかしそれでいえばK.Kさんは遼寧省出身でC.Rくんは(…)省出身、(…)と成都なんてくらべたものにならないほど両者の出身地はへだてられているわけで、それについてくだんの先輩からは、いまはそんなことを深く考える必要はない、ただ付き合いが長くなればおのずと大きな問題としてふたりのまえにたちはだかるだろうという助言(?)があったという。C.Rくんは将来大連に移ってもいいと考えている。K.Kさんはむしろ大連以外は考えられない、彼女曰く、将来大連で生活する確率は90%、日本で生活をする確率は10%、南方で生活をする確率は0%とのことで、これはもちろん彼女の地元愛が強烈であるという事情もあるし、将来日本語を使う仕事をするのであれば大連ほどふさわしい地域もないという事情もあるし、なにより彼女自身がひとりっこであるのにくわえて父親は離婚後再婚しておらずひとり暮らし、その父親の面倒を見るのはじぶんしかいないという事情がある(ひるがえって、C.Rくんの両親も離婚しているが、父親は再婚しているし、彼には姉もいる)。ただ仮にC.Rくんが大連に移るとなるとひとつ問題があるらしく、C.Rくんは将来公務員になるつもりでいるのだが、地元(…)省であれば关系つまりコネがあるので公務員になったあともいろいろ動きやすい、それに対して遼寧省にはまったくコネがないしじぶんは完全によそものになってしまうので出世がむずかしくなるんではないかというのがそれで、というような話をきくたびにつくづく思うのだが、中国ではコネ社会そのものを批判する声がほとんどきかれない、むしろコネ社会がデフォルトでありその「ゲームの規則」にしたがっていかにサヴァイヴするかその方法ばかりが語られているという印象を受ける。もちろんコネ社会の不公平っぷりにたいして思うところもあるのだろうが、マーク・フィッシャーのいうところの「再帰的無能感」に憑かれている、つまり、そこを批判してもどうせ社会は変わらないというのが自明の理として完全に内面化されている、そういうタイプの諦念のうえに巻き起こっているのがたとえば内卷つまり苛烈な競争の正体ではないかと思うこともちょくちょくある。
 仮にふたりが結婚するとなる。そしてそろって大連で暮らすとする。しかしその場合、せめて春節は地元(…)省で過ごしたいとC.Rくんがいった。なるほど、たしかに一理ある。しかしK.Kさんはそれにも反対した。わたしも春節は父や祖父母や親戚といっしょに過ごしたいと言い張った。じゃあ今年の春節は(…)省、来年の春節遼寧省……みたいに交代すればいいんじゃないのというと、それもだめです! とK.Kさんは言い張った。前途多難。
 店を出る。外はあるかなしかの小雨。C.Rくんがローソンにたちよって折り畳み傘を買う。こちらも夜食のおにぎりをふたつ買う。三人ならんで歩いていると、後ろから「M先生!」と呼びかけられる。レインコートを着てスクーターにのったK先生だった。見てください、このふたりを! といいながら手をつないでいるふたりのほうを指し示すと、え? とK先生はおどろいた。全然知りませんでしたと笑って続けるので、最近ですと応じる。残念ながらKさんは大学院に合格できません、完全に恋爱脑ですというと、K先生は笑った。
 ふたりはこちらを寮の前まで送りとどけてくれた。さよならして帰宅。おにぎりを食し、チェンマイのシャワーを浴び、きのうづけの記事を投稿。ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読みかえす。1年前すなわち2023年4月5日はKさんとRさん(English nameはA)の三人で火鍋を食った日だった。そうか、あれは清明節の連休だったのか。以下のくだり、さすがに笑った。実に危なっかしい!

 Kさんは「中国スゴイ!」系の网红らについても言及した。このひと知っていますかといいながらスマホの検索バーに表示されている「矢野浩二」という文字をみせるので、あ、中国に来てから知りました、日本にいたときはまったく知りませんでしたけどといった。日本では有名ではないですかというので、たぶんほとんどの日本人は知らないんじゃないですかねというと、中国ではいちばん有名な日本人です、彼は「中国スゴイ! 中国スゴイ!」といって成金になりましたというので、笑った。そこからRさんとKさんの悪ふざけがはじまった。たぶんビリビリ動画や抖音上にいる「中国スゴイ!」系の外国人の物真似だと思うのだが、こんな大きな建物東京では見たことない! とか、なんて便利なシステム、なんて優れたテクノロジーなんだ! とか、中国は世界でもっとも偉大な国だ! とか、そういう紋切り型のセリフを日本語と中国語と英語でそれぞれ口にしまくったあげく、われらが国家主席は偉大だ! 世界でもっとも優れた指導者だ! 彼のような人物のいる国に生まれたことを感謝している! などと言及の対象がしだいにやばい方向にずれこみ、最終的に、Xi is the gift from God! とRさんがクソニヤニヤしながらぶちあげたので、これには爆笑してしまった。と同時に、日本語であればまだしも、英語はけっこう周囲にも理解できる人間がいるかもしれないので、こんな冗談言っててだいじょうぶなのかよとちょっと心配にもなった。KさんもRさんもこちらと同世代、ということはK先生とも同世代、ということは改革開放の恩恵をもっとも受けていた世代のひとであり、かつ、大学で外国語を勉強し留学もしていた人物であるから、やはり現政権にたいしてはかなり批判的なようす。現政権を批判する暗号としてKさんが簡単な中国語のフレーズを教えてくれた。簡単といいながらこちらには理解できなかったのだが、彼の説明から察するに、日本語でいうところの「バックします、ご注意ください」というトラック音声のようなものらしい。政治体制が皇帝時代に逆行していることを揶揄する言葉として地下で流通しているとのこと。なるほど。

 以下は10年前すなわち2014年4月5日づけの記事より。笑った。

せわしなく動きまわっていくつものタスクを並行してこなしているところにかかってきた電話にやれやれと思いながらでると「無料フード&ドリンクってあるんですけど、これって無料ですか?」という問い合わせがあったりして、こういうの心底げんなりするし、それ以上に腹がたつ。おまえいまじぶんの口で読んだやろが! と受話器越しにつっこみたくなるのを必死にこらえなければならない。なんのための張り紙・チラシ・ポップなんだろうか!

 滞在人数ひとりとして引き継いでいたはずの部屋からひとりだけ外に出たいのだけれどという電話があったのはたしか9時前で、現在おひとりさまのはずですがと応じると、いやいやツレがいる、起こしてかわろうかというので、わざわざ起こしてもらうのもアレだと思ったので、おそらくは単なる引き継ぎミスにすぎないだろうと判断し、ドアロックを解除しておもてに出てもらったのだけれど、部屋を出て階段をおりた大柄な男の後ろ姿がえらい駆け足で、というかほとんど全力疾走といっていいようすで外に出ていったので、これなんかいやな予感がすると思っていたのだけれど、その予感は見事にあたった。逃げられた。ツレがいるなんて嘘だった。夕刻前になっても部屋を出てこないもうひとりの客の存在がいい加減あやしまれてきたのでためしに電話をかけてみたところ出ない、ドアロックを解除して部屋の扉をそっとあけてなかをのぞいてみると靴はない、やられたと思ってふみこめば散らかし放題の部屋に湯の出しっぱなしになっている風呂場があって、ちくしょう! おれのミスだ! 油断した! してやられた! と奥歯をぎりぎり噛みならしながらひきかえすはめになった。Eさんに事情を話すと、関係者の犯行だろうという仮説が提示された。あれだけ部屋を散らかし放題に散らかしてみせたり湯を出しっぱなしにしてみせたりするあたりなにをどうすれば嫌がらせとして有効であるかよくわかっているもののやりくちとしか思えない、それにおまえとFくんの引き継ぎ時間をあらかじめ心得ていたかのようなどんぴしゃのタイミングでドアロック解除の要請があったのもあまりに出来すぎている、そうつぶやいてみせたのち本社の人間に電話してことの次第を報告しはじめたEさんは何度かおなじ名字をくりかえして口にした。こちらの知らない名前だった。あとでたずねてみるとふるい従業員らしかった。大柄な背中、というこちらの目撃談を耳にして最初に浮かんだ顔がその男だったのだ、とEさんは続けた。くだんの部屋からは注射器とストローが見つかった。Yさんが気づかないあいだに針を踏んでしまったらしく、気持ちよくなるんだったらいっこうにかまわないんだが傷口が痺れてしかたないと洩らしていた。Jさんはストローの先端をちゅーちゅー吸ったのち、ぜんぜん残ってないやんけ、と歯のない口でにやりと笑ってみせた。

 そのJさんが昼休憩中、うとうとしているこちらの眼前にいつのまにか置き手紙をそっと残しており、なんだこれと思ってねぼけまなこをゴシゴシやりながら見てみると、「Mくん、昼寝ばかりしていてはいけませんよ。それと、Jさんに五千円貸してあげてくださいね」とあって、小学校教師の口調めいたその文体が起きぬけのやわなこころにはまってクソ笑った。Eさんはすでに先日三千円Jさんに貸したところらしい。つぎはこちらの番というわけだった。財布のなかの一万円札を二枚に割って、そのうちの一枚をにやにやしているJさんの足元にひらりと落としてやり、「ひろえよJ!」と言ってやった。なんかむかし『家なき子』でこんな場面観たわ、と笑いながらYさんがいった。給料日に千円多めに返すさかい、とJさんは喜色満面で樋口一葉を頭上にかかげた。

 読みかえしのすんだところで、コーヒーを飲みながら今日づけの記事を書いた。それから『センスの哲学』(千葉雅也)をKindleでポチった。作業の途中、二年生のR.Uくんから微信がとどいた。さっそく『パプリカ』(今敏)を視聴したらしく、たいそうおもしろかったといった。それから『君たちはどう生きるか』の眞人について、『エヴァンゲリオン』のシンジに似ている、「逃げちゃダメだ」という有名なセリフのとおり眞人も現実を直視したと思うというような感想がとどいたので、両者の共通点でいえば、母の分身(綾波レイと火見)との出会いを通じて幼児的万能感を拒絶する(人類補完計画および塔の後継者になることの拒絶=去勢)にいたるという点もあるよと答えた。もちろんこれはもっともベタな読み筋であるというか、読み筋を練りあげていくにあたっての大前提みたいなものであり、むしろこの筋を逸脱するものを指摘しそこをふくらませて読んでいったほうが絶対におもしろいことは言うまでもない。
 喉が痛みつつあった。咳も出はじめていた。最初は抗ヒスタミン薬の副作用かなと思ったが、いやこれどうも風邪をひいたっぽい。最高気温が30度もあった日々からいきなりまた冬服を要するほど冷えこんだ、その急転にどうもやられてしまったようす。寝床にもぐりこんだあと、『センスの哲学』(千葉雅也)を読みはじめたが、あたまが全然まわってくれなかった。こりゃあ明日は使いものにならんパターンかもと思いつつ就寝。