20240421

 次の引用は『ゴダール全評論・全発言Ⅰ 1950-1967』(奥村昭夫訳)の中で、ゴダールが『勝手にしやがれ』(一九五九年)を撮影する前後ぐらいの一九五八年に、アレクサンドル・アストリュックという監督が撮った『女の一生』という映画について書いた文章の一節だ。
 
つまり私が言おうとしているのは、大部分の映画作家は、たとえかれらの映画の物語がどんなに大きい広がりのなかで展開されるものであっても、自分の演出を自分のセットの広がりのなかでしか考えていないということである。それに対してアストリュックはどうかと言えば、彼は反対に、シナリオが必要としている地域の全域、それより広くも狭くもない全域において自分の映画を考えたという印象を与えている。たしかに、『女の一生』ではノルマンディーの風景は三つか四つしか見ることができない。それでもこの映画は、ノルマンディーの現実的規模において構想されたという途方もない印象を与えるのである。(略)事実、困難なのは林を見せるということではなく、ある居間を、その目と鼻の先に林があることがわかるように見せるということである。そしてさらに困難なのは、海を見せるということではなく、ある寝室を、そこから七百メートルのところに海があることがわかるように見せるということなのだ。大部分の映画は、ファインダーを通して見ることのできる、数平方メートルの舞台背景のなかで組み立てられている。それに対して『女の一生』は、二万平方キロメートルのなかで構想され、書かれ、演出されているのだ。
保坂和志『小説の誕生』 p.252-253)



 11時半過ぎ起床。ちょっと寝過ぎた。朝方にいちど小便がしたくなって目が覚めたのだが、いったいいつからだろう、尿意によってたびたび目が覚めるようになったのは? たびたびといっても一週間に一日か二日程度だと思うのだが、それでも若いころはそんなことなかった、寝る直前によほどたっぷり飲みものを飲んでいた場合は別として、朝方に小便がしたくなっていちいち目が覚めるなんてことは滅多になかったと思うのだが。それでいうと実家に滞在中、深夜の2時か3時ごろになると、階下の母親がきまって一度寝床から抜けだしてトイレに行く物音が聞こえてきて、やっぱり年を食うと便所が近くなるのか、眠りが浅くなるのかと思ったりもしたものだったが、こちらはこちらで順調にそうなりつつあるというわけか。年を食うというのはなかなか情けないもんだな。
 食堂に出向くのがめんどうでたまらないので朝昼兼用をトーストですませることに。その分夕飯ははやめにとればいいやというあたまでいたのだが、三年生のC.Mさんから微信。夕飯を作りにいっていいですかと泣き顔の絵文字付きでの懇願。過去に二度か三度連続で断っているので、さすがに今回も断るのはアレかというわけで了承したのだが、これで予定が狂った。夕飯はいつもより遅くなるし、日曜夜のスタバも中止になるだろうし、なにより今日中に進めておきたい授業準備に支障が出る。C.Mさんは17時ごろに寮に来るという。授業準備をしなければならないので料理は手伝えないけれどもかまわないかといちおう確認をとっておく。
 母からLINEがとどいている。胸椎を骨折して絶対安静状態にあるという。(…)を抱きかかえたまま尻餅をついて転んだのが原因らしい。なんやそれ! どういう状況やねん! と思って返信すると、折り返しの着信がある。9日の朝方に(…)が小便をするため庭に出たがった、それで庭に面した窓をあけてみたのだが大雨だった、これはさすがに庭に出すわけにはいかないと判断、おむつだけあたらしいものに交換すればいいと母は考えたのだが、(…)はそれでも庭に出たがった、それで庭に出たがる(…)を中腰の状態で抱えてひきとめようとしたところそのまま尻餅をついて転んだ、ひどい痛みが走った、(…)は(…)で室内でそのまま小便を漏らした、しばらく痛みにもだえたがその後ずいぶんよくなった、しかし朝出勤前の弟が母の顔色を見て土気色になっているではないかと仰天、仕事を休んで整形外科に連れていった、レントゲンをとったところ異常なしとの結果だったが、それから数日経っても痛みはひかない、むしろ痛みのあまり仰向けになっても横向きになっても眠れない、それでもういちど病院にいってレントゲン撮影、するとちょっとあやしいところがあるということになってMRIを撮ることに、MRIのあの個室に40分間横になって撮影した結果胸椎が骨折していることが判明、それで絶対安静ということになったのだという。きのう病院でコルセットの型取りをしたので今後はそれを装着して生活することになるというので、全治どんだけなんとたずねると、三ヶ月ほどという返事。しかし絶対安静が三ヶ月続くというわけではなく、おそらく一ヶ月ほどで日常的な家事はできるようになるだろうとのことで、いまは父と弟が交代で家事を担当しているらしい。尻餅をついただけで胸椎骨折というのはさすがに弱すぎるだろうと思ったが、(…)の体重は24キロあるし母は小柄であるし年齢もたしか今年で七十歳であるし、まあそういうこともありうるか。夏休みに一時帰国した際にエアロバイクを買ってやるから身体が治ったら運動したほうがいいといった。骨を強くするのはむずかしいにしても筋肉をつけることは年がいってからでもできる。父は毎日アホみたいにはたらいているからまだだいじょうぶだろうが、母は仕事をやめて以降体をほとんどまったく動かしていない、これは絶対によくないと思う。エアロバイクを置くスペースがないと母は前回こちらが一時帰国中に同様の提案をしたときに渋ってみせたが、スペースうんぬんよりも健康のほうがずっと大切だろう。たぶんいまどきのエアロバイクだったらタブレットスマホをセットすることのできる備品みたいなものもあるだろうし、それで動画でも観ながら毎日小一時間自転車を漕ぎつづければいいのだ。
 コーヒーを二杯たてつづけに飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の日記を読みかえす。以下、2014年4月21日づけの記事より。この記述はなかなかかっこいい。ちょっと『族長の秋』みたいだ。

(…)古い文献によれば、この地方の吟遊詩人は小鳥の鳴き声を真似できることで有名で、その結果、鳥の渡りの習慣を変えてしまった可能性があるのだという。
マイケル・オンダーチェ村松潔・訳『ディビザデロ通り』)

 今日づけの記事をここまで書くと時刻は15時。キッチンと阳台の窓をひらいて風を通す。シンクをみがき、リビングと寝室に掃除機をかける。いろいろ買いたいものがあったので、うちに来る前にスーパーで食材を買い出しするつもりでいるだろうC.Mさんに連絡をして、いっしょに(…)で買い物しましょうと提案する。明後日の日語基礎写作(二)で配布する資料「ニュースの原稿」を37人分印刷する。
 16時半をまわったところで寮を出る。徒歩で(…)にむかう。西門経由と北門経由どちらのほうが近いのかわからないが、前回は西門経由でおとずれたので今日は北門経由でむかってみることにする。到着したところで、テナントとして入っているケンタッキーの入り口にあるベンチに腰かけ、Katherine Mansfield and Virginia Woolfの続きを読む。1ページも読まないうちに半袖Tシャツ一枚きりのC.Mさんがあらわれる。今日はずっと寮でごろごろしていたという。
 買い物をする。のどが渇いていたのでC.Mさんおすすめのココナッツミルクを買う。C.Mさんが作ってくれるのは重慶料理。必要なものは鶏もも肉とセロリと玉ねぎと娃娃菜(白菜の小さいやつ)のみ。こちらはココナッツミルクのほか、キッチン用の布巾と红枣のヨーグルトとトマトスープのインスタントラーメンを買い物かごにぶちこんだ。レジにならんだところで、野菜に値段をつけてもらうのを忘れていることに気づいたので、C.Mさんにたのんで野菜売り場に野菜をもっていってもらった。野菜以外の商品だけ先にレジでバーコードを読み取ってもらう。C.Mさんはなかなかもどってこなかった。買い物中もずっとスマホでだれかとやりとりしているようすだったが、清算をすませて店の外に出たところで、スマホばかりいじっていて申し訳ないみたいなことを口にした。友人が最近ボーダーコリーの幼犬を飼いはじめたのだが、(…)とおなじ病気にかかっていろいろ苦労しているので、いろいろアドバイスを送っているのだという。
 北門経由で大学にもどる。もうすぐ労働節だし(…)と再会できるでしょうというと、切符を買うことができなかったので帰省しないという返事。C.Mさんとおなじく江西省出身のC.KさんとE.Sさんのふたりも切符が買えなかったと言っていたなと思い出し、その点告げてみたところ、最近中国の有名な网红がC.Mさんの故郷をおとずれた影響で江西省行きの高铁の切符が全然手に入らなくなったのだという。なるほど。故郷の写真を見せてもらったが、山間に伝統的な建築物があるその風景がちょっと京都っぽかった。もともと観光地として有名だったのとたずねると、最近くだんの网红が紹介するまでほぼ無名であったとのこと。その网红もいわゆる「案件」で彼の地をおとずれたのかもしれない。
 寮に到着。管理人のMr.Gのところで客人はサインをする必要があるのだが、しょっちゅうひとりでこちらの寮をおとずれる彼女を見て、Mr.Gは内心どう思っているんだろうなと思う。ま、それでいえば、そもそもC.Mさん自身なにを考えているのかよくわからんというか、日本語にはさほど興味はないようであるし、こちらの授業中にしたってだいたいいつも辺獄のベラックワみたいな無の表情を浮かべて机にべったり突っ伏しているのだが、それでいてなぜか日頃の交流はもとめる、それもだいたいタイマンでこちらと会いたがる。かといって深々と交わすなにかがあるのかといえば全然そんなふうでもなく、だいたいメシだけ作って満足みたいなアレで、実際今日にしたところで、先学期にくらべて5キロも太ってしまったのでいまはダイエット中、だからメシは作るけれどもじぶんでは食べないといってこちらのメシのみ作り、かつ、その調理もこちらの手伝いを不要とする、それについては授業準備をしたいこちらとしてもありがたいし、実際、彼女がキッチンとあれこれたちはらいてくれているあいだ、こちらは印刷した資料をホッチキスで綴じたり、「わたしのアイドル」の採点表を作成して印刷したりしたわけだが、メシができあがったらできあがったで、やはりじぶんはひと口も食わず、ただこちらが食うようすをながめていたりスマホをいじったりするだけ、それでしばらく経ったところで、ルームメイトといっしょに(ダイエット用の)食事に行くといって部屋を出ていったのだった。本当にただ料理をするだけ! なんともつかみどころがないというか、C.Mさんはたぶんマジでただ単に料理を作るのが好きなのだろう、だれかにふるまうのが好きというのですらない、本当にただキッチンでガチャガチャやるのが好き、そうするのがなによりも気分転換になる、そういうタイプの人間なのだ。
 しかし、ま、長々と滞在されるよりはありがたい。そういうわけで彼女が去ったあとは予定どおり授業準備を再開。日語会話(二)の第19課を詰める。続けて第17課の資料も前回の失敗を踏まえて改稿。途中で完全に集中力が切れたので気分転換をかねてチェンマイのシャワーを浴びる。あがったところでコーヒーをいれたのだが、前々から接触のあやしくなっていた電気ケトルがいよいよ本格的にぶっこわれつつあり、これはいちおう寮の備品扱いであるはずだからLに報告すれば大学持ちで新品を購入することができる、というかそれでいえばコピー機のカートリッジにしてもコピー用紙にしてもそうであるはずなのだが、いちいち請求するのがめんどうなので結局自腹を切っている。電気ケトルだけはいちおう明日打診してみようかなと思う。淘宝をざっとチェックしてみたのだが、コーヒーをいれるのに特化したタイプの、注ぎ口の細くなっているやつがそれほど高くない値段であったので、スクショを撮って明日Lに送ってみるか。
 第17課の続きを最後まで詰める。きのうから『sentiment』(claire rousay)をくりかえし流しているのだが、これはかなりいい。前作の『A Softer Focus』は正直それほどピンとこなかったのだが、『sentiment』はすばらしい。あと、『Śisei』(arauchi yu)もすごくいい。現代音楽やミニマルの要素がちょこちょこ差し込まれていてその響きにいちいちおっと思う。おなじceroのメンバーのソロ作でいうと、『Triptych』(Shohei Takagi Parallela Botanica)もあるわけだが、『Śisei』のほうがじぶんにはなじむ気がする。高城晶平といえば、『The Secret Life of VIDEOTAPEMUSIC』(VIDEOTAPEMUSIC)のなかに“PINBALL (feat. 高城晶平)”という楽曲があるけれども、ここで披露しているラップが、たとえば『My Lost City』のころとは全然違う調子になっていて、それで、お! と思ったのだった。
 音楽といえば、C.Mさんがこしらえてくれたメシを食っているあいだ、スピーカーからシュトックハウゼンの“ヘリコプター弦楽四重奏曲”を流していたところ、「先生、この音楽は気持ち悪いです」と言われたのだった。学生らがうちに来るときは比較的ポップな音楽を流すようにしているというか、少なくともメロディのある曲をBGMとして採用するようにしているのだが(現代音楽とかノイズとかストイックなミニマルミュージックとか流していると学生らが居心地悪そうにそわそわしだす)、今日はすっかり油断しており、いつものようにじぶんの好きなものを流していたのだった。
 夜食はスーパーで買ったトマトスープのインスタントラーメンを野菜といっしょに炒面風に炒めたもの。食し、歯磨きをすませ、今日づけの記事の続きをここまで書くと、時刻は0時だった。

 寝床に移動後、『ムージル日記』(ロベルト・ムージル/円子修平・訳)の続き。
 どのタイミングでそう考えたのか忘れてしまったが、「実弾(仮)」脱稿後、ひさしぶりに新人賞にでも応募してみようかなと思った。じぶんが書きたいものを書いた結果、応募条件にたまたまあてはまるものにとりあえず送ってみるというこれまでのやりかたではなく、本気で獲りにいってみようかなと思ったのだ。そこらの作家よりはじぶんのほうがはるかに書けるという自覚はとっくにあるし、いまさら新人賞なんてというアレもなくはないのだが、と、書いていて思いだしたのだが母親だ、母親が骨折したという話をきいたときにいずれそう遠くない未来におとずれるかもしれない死を連想してしまい、その前に門外漢にもわかりやすい成果としての新人賞をとってやってもいいかもしれないなとふと思ったのだ。
 あと、もうひとつ書き忘れていたのだが、日中モーメンツをのぞいたところ、四年生のS.JさんとK.Eくんが日本の観光地の写真をあげており、それで、あ、あのふたりもいまインターンシップで日本にいるんだと驚いたのだった。てっきり処理水の一件でキャンセルしたものとばかり思っていたわけだが、それでいうとS.Jさんは海鮮丼の写真まで堂々と投稿していて、ということはおそらく現地で中国政府による主張とはまったく異なる主張を目に耳にしたのだろう、そして海鮮類を口にしてもまったく問題ないと判断したのだと思われるわけだが、それにしたってこうしてモーメンツに海鮮類の写真を投稿するのはかなりめずらしい、というか勇気のいる行動ではないか? 実際、去年の夏にインターンシップで長野に行き、処理水に関する壁の外の主張を知って納得したR.SさんとC.Rさんにしても、わざわざ海鮮類の写真をSNSにあげるようなことはしなかった。S.Jさん、もしかしたらいろいろ思うところがあるのかもしれない。彼女とはプライベートで交流した経験がほぼないので、どういう思想の持ちぬしであるのか、こちらは全然知らないわけだが。