20240527

実際には、数えられるもの、手に取れるものはすべて、われわれにとってほとんど価値のないものである。「概念化」によってはうまく行かないものこそわれわれにとって「高等」なのである。論理学や機械論的力学は、最も表面的なものにのみ適用することができるのであって、本当のところは、シェーマ化と省略の技術にすぎないのであり、多様性を表現技術によって押さえ込んだだけのものであり——「理解」と言える代物ではない。意思疎通のための名付けでしかない。世界を表面へと矮小化するのは、ともかく世界を「概念把握なもの」にすることである。
保坂和志『小説、世界の奏でる音楽』 p.336 ニーチェ『遺された断想』より)



 10時起床。トースト二枚とコーヒー。12時前から16時過ぎまで「実弾(仮)」第五稿。シーン46は片付いた。シーン47は前半三分の一のみ。ここはちょっと苦戦しそう。
 作業中、Lから航空券について連絡。flight agencyはまだticketを購入するにいたっていない模様。だらだらしているうちに売り切れてしまうのではないかと心配。そもそもフライトがキャンセルになったり遅延したりした場合、そうした緊急の連絡を先方はちゃんとこちらに寄越してくれるのか、あるいは航空券変更の手続きなどスムーズに可能なのかという疑問もあったので、その点ぶつけてみたところ、that's a very good questionという反応に続けて、先方に問い合わせてみるというメッセージが続いたわけだが、いやどんだけ待たせんねんというのが率直なところ。もういつもどおりTrip.comでこっちがじぶんで買ったほうが早いやんけ。
 K先生からも連絡。四年生のK.Kさんの追試採点はもう済んだかと教務室から問い合わせがあったというのだが、そもそも追試がすでに済んだという事実すら知らされていない。明日教務室で答案を回収して採点することに。ついでに審査用に提出をもとめられていた書類などをまとめて送る。クソめんどうくさい仕事もとりあえずこれで終わった。あとは作文コンクールの応募のみ。
 17時をまわったところで寮を出る。棟の階段で上半身裸のまま買い物袋をさげて上階に移動するおっさんとすれちがう。こちらの部屋の上に住んでいる住人だ。最近気づいたのだが、階段をドシドシ踏み鳴らしながら下品な声でわめきちらすババア(といいつつもおそらくこちらより年下)とその夫がこちらの真上の一室に住んでいるいっぽうで、そのむかいにある一室におそらくこの上半身裸のおっさんとその妻とおぼしき女性が住んでおり、この二組はたぶん親族だ。玄関のとびらを開きっぱなしにしたままおたがいの部屋を行き来したり声をかけあったりしているようすがたびたび察せられるのだ。
 第五食堂で打包。寮にもどったところでCと遭遇。第四食堂にも第五食堂の二階と同様、じぶんの好きなおかずをピックアップすることのできる店があるという話は以前聞いたばかりだが、そこのザリガニがとてもおいしいという。でも辛いでしょとたずねると、そうでもないという返事。夏休みは日本に帰るのかというので肯定すると、チケットはいくらかというので、往復でだいたい4000元ちょっとかなと応じると、やっぱり安いなという反応。一家はこの夏Jの故国Englandに里帰りする予定でいるらしいのだが、旅費は三人で40000元ほどだという。日本円にして80万円以上。さすがにきついなァ。
 帰宅後、メシ喰うないや喰う。明日は早八なので食後の仮眠はとらず、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読み返す。それから図書館をおとずれていつものように三階のホールで『ムージル日記』(ロベルト・ムージル/円子修平・訳)を読みはじめることにしたのだが、むしむしするし食後の眠気がこびりついているしでどもならんわという感じだったので滞在は小一時間で切りあげた。帰宅してチェンマイのシャワーを浴び、明日の授業で必要な資料をまとめて印刷。S.Sさんから作文コンクール用の原稿のタイトルについて「(…)」はどうですかという提案があったので、部分的に修正し、「(…)」とすることに。

 今日づけの記事をここまで書き、The Habit of Being(Flannery O’Connor)をKindleストアでポチり、K.Kさんの原稿をいくらか添削した。寝床に移動後、The Habit of Being(Flannery O’Connor)を読む。Sally FitzgeraldによるIntroductionを半分ほど読んだだけが、興味深い情報があった。

Once her inviolable three-hour morning stint writing was done, she looked for, and throve on, companionship.

 そう、オコナーも毎日の執筆時間はだいたい3時間だったのだ! だよな? そうなるよな? それ以上は麻痺ってしまってどうにもならなくなってしまうよな!? と興奮した。毎日10時間書いている作家は本当にどうかしていると思う。それで手癖だけになってしまわないのだろうか? 手癖を全面展開するような書き方、つまり、ブログを書くときのモードで小説を書くのであれば、こちらでもたぶん10時間作業することはできるかもしれないが、したいとは全然思えない。

One thing she had little interest in learning, however, was how to spell. In the ragged little journal mentioned above, she complained, “Teacher said I dident know how to spell what of it?” Well, what of it? Possibly because her ear was so fine, it was enough for her to get things down more or less as they sounded. In any event, she was what she described as “a very innocent speller.”

 これについてはPrayer Journalのほうでも指摘されていた。オコナーはスペルミスがかなり多かったらしい。こちらも授業中、しょっちゅう漢字が思い出せず学生らに助けてもらっているので(うちの学生は当然ながら全員漢字のプロフェッショナルだ!)、共感する!