20240702

 原初的な構造形成がなされていない自閉症から見えてくることは、第一に自閉症には世界の同一性がないこと、そして同一性は通常、自己へと中心化されているため自己がないことであり、第二に彼らの同一性の欠如は汎化(一般化・抽象化)作用という人間的フィクションがないゆえであり、それは幼児期に遡る他者への同化を欠いているからだということである。
 まず一つ目から見よう。第2節で自己言及のパラドクスについてみたが、茂木(2004)は、脳科学の最初の前提として、脳の中にホムンクルス(小人)がいないことを指摘する。脳のある部位に小人がいて各部位の神経運動をモニターすることによって私たちの認識が生じると考えた場合、ここでも自己言及の無限のパラドクスが生じてしまうのだが、これに対し茂木は、私たちがこころの中で感じる「クオリア qualia」の最大の機能は、それが同一性を保証していることであると述べる、クオリアとはラテン語で質感を表す単語であり、一九九〇年代の半ばから、物質である脳内の神経細胞の活動から意識が生み出されることの不思議さを象徴する言葉として脳研究者の間で広く使われるようになったとされる。クオリアは、客観的な性質である数等と対照的に、私たちが意識の中で体験する、赤い色の感じや水の冷たい感じなどがもつ独自の質感のことである。茂木は、赤いバラの例を挙げて、目の前のバラの花びらの赤い色のクオリアを生み出している脳内の神経細胞は、入力した刺激と関係なく刻々と変化するノイズに満ちており、離散的であるのに、いったん目を閉じた後また目を開けてバラを見るとき、前に見たバラとは違うバラに対し、前に見たバラと同じ完璧な赤のクオリアを生み出しうるとする。そしてこの同一性は私の同一性に中心化されているとする。自閉症においては(さらに精神病者においても)この同一性が失格している。精神病者は常に無数のバラの差異にこだわりこれと格闘して苦しめられ、自閉症者も昨日見たバラと今日見たバラを同一のものとして汎化することができないため、逆に、自分の生の状況をできるだけ限定して固定しなくては、不安で暮らせないのである。
 どうして自閉症者ではこのようなことになり、私たちは身体や自己を難なく獲得してしまうのか。これが第二の問題である。それは、自閉症者が被っているような脳の損傷のない人間には他者への同化運動がビルトインされているからである。自閉症の要因には、辺縁系および小脳と呼ばれる脳の部位が関係しており、出生前からの異常があり、それゆえ感覚を通じて入力されるすべての情報の処理が妨げられているとされる(Wing 1996)。自閉症では、最初の他者との相互行為において他者の運動を内化できず、それがひいては続く構造の生成を妨げてしまうのである。自閉症がつねに無数の出来事を汎化できないため情報は洪水の中で失速しており、その困難は自閉症者が他者を内化できないことと通底している(…)。
樫村愛子『臨床社会学ならこう考える――生き延びるための理論と実践』より「第3章 現代社会における構築主義の困難」 117-118)



 10時ごろ起床。ひさしぶりの晴れだった。教学手冊を外国語学院にもっていくのにうってつけの日だ。ケッタの空気を入れるために空気入れと布巾をもって外に出た。後輪の虫ゴムが熱で癒着してしまったのか、どれだけひっぱっても抜けないという状況にずいぶん前からなっていたので、より指先に力をこめることができるように布巾をもっていったかたち。虫ゴムは無事抜けた。ひさしぶりにタイヤがパンパンになったケッタにのると、目線がいつもより高かった。
 教務室にて教学手冊を提出。問題なしとのこと。老校区の出口で一年生2班のH.KくんとT.Sくんを見かける。政治のテストを終えた帰りであるとのこと。楽勝だったという。今学期のテストはこれですべて終わったらしい。夏休み中、T.Sくんはアルバイトをする予定。Jで食パンを買って帰宅。Lからtax recordが手に入ったので16時にofficeに来てくれとのメッセージ。
 12時から15時半まで作文。「実弾(仮)」第六稿。シーン8を最後まで詰める。そのいきおいでシーン9とシーン10もかたづける。いいね。こういうペースでガシガシやっていきたい。
 国際交流処のオフィスへ。二年生のR.HくんとR.UくんとS.Bくんの三人がソファに腰かけていたのでびっくり。インターンシップに参加するために必要な書類の記入にやってきたらしい。たしか10日の便で関空に到着するという話だったと思う。空港近くのゲストハウスも無事予約できたというので、いくらだったかとたずねると、三人で500元という返事。たぶんドミトリーだろう。
 Lからtax recordを受け取る。電話する用事があるのでちょっと待っていてくれと言われる。パックに入ったカットスイカがデスクの上にある。自由に食べていいとのことだったので、きみらも出国前にスイカを食いだめしておけよ、日本に行ったら高くて食えたもんじゃないぞと学生らに話す。
 Lがもどってきたところで寮について相談があると切りだされる。こちらの部屋の浴室から階下に水漏れが発生している、しかるがゆえに工事をしたい、しかし工事をするとなると部屋がずいぶん汚れることになる、そのあいだ当然浴室も使えない、そうであるから空き部屋に引っ越してもらったほうがいいかもしれない、と。浴室の工事といったら最近したばかりではないかというと、最近ではない、pandemic以前に一度たしかにしたけれどというので、いや半年ほど前だったか一年ほど前だったかにしたばかりだ、数日かけてfloorもすべてdigした、そのあいだじぶんは隣室のトイレや風呂を使っていたと伝えるも、どうやらおぼえていないらしい。いずれにせよあの工事は不完全だったということだろう。引っ越しするとなると荷物をすべてじぶんの手で運ぶことになる。それは正直かなりめんどうだ。しかしほかの部屋に移動すれば、チェンマイのシャワーを使わずにすむというメリットもある。その点を伝えると、じぶんの部屋もおなじだ、じぶんの部屋は6階であるのだがシャワーのいきおいが全然ない、下の階に移動すればその問題も解決するだろうとの返事。ちなみに湯の出が悪い問題について、最近は洪水の影響でさらにひどいことになっている、20時以降はほぼ出ないはずなのでシャワーを浴びるのであればそれ以前にしたほうがいいという話があって、そういうのはちゃんと通知してくれよと内心ひそかに思ったわけだが、いずれにせよ、風呂好き日本人としてはやっぱりシャワーの水量というのは大切であるし、クソやかましい上の部屋の連中と距離を置くことができるのもなかなかいいと思うので、だったら引っ越しするかとなった。空き部屋は現在4階と3階に一室ずつあるとのこと。今月はスピーチコンテストのための特別授業があるので忙しいというと、来学期でもかまわないという返事。緊急の用件ではない。工事はこちらの引っ越しが済み次第開始という段取りとのことだったので、来月中国にもどってきてから授業がはじまるまでのあいだに新居を掃除して不要な品を捨てて、で、学生らがもどってきたタイミングでメシおごってやるから荷物運び手伝ってくれとグループチャットで募集をかければいいかなと思った。
 学生三人に日本で困ったことがあったら連絡するようにと告げてオフィスをあとに。第五食堂で閑古鳥の広州料理を打包。Lに確認したところ、夏休み中は第三食堂のみ営業するらしい。例年は第四食堂だったと思うのだが、ちょっとめずらしい。
 メシ食いながら『ケイコ 目を澄ませて』(三宅唱)を最後まで観る。手前の部屋から(ときに扉越しに)奥の部屋をとらえるショットが何度かあったのだが、そのすべてがヴィルヘルム・ハンマースホイみたいですばらしかった。ところで、ハンマースホイっていつからハンマースホイになったんだ? こちらがはじめてこの画家の存在を知ったとき(松浦寿輝『半島』の表紙がきっかけだったはず)、ハメルショイ表記だったように記憶しているのだが。ついでにいえば、最近ではカート・コバーンではなくカート・コベイン表記もちょくちょく見かける。「実弾(仮)」は2011年の話なので、カート・コバーン表記を採用しているし、イオンもかたくなにジャスコ表記で通している(2011年時点ではすでにイオン呼びのほうが一般的であったが、田舎ではかつての慣習が残っており、2024年現在でもなおジャスコ呼びすることがあるのだ)。
 仮眠とる。チェンマイのシャワーを浴び、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読みかえす。10年前はパクられた同僚ふたりの分の埋め合わせをするために連日臨時出勤をしている。結果、健全な週五日労働をするはめになっているのだが、そうしたかつての状況がスピーチコンテストのための特別授業をふたり分いきおいで担当してしまうことになった現在のじぶんの状況と少しだけダブる。

 三年生のK.Kさんから微信。失恋のショック、かなり大きいようす。明日も試験であるのに復習にまったく手がつかない。C.Rくんと今もまだ友人として連絡をとりあってしまっている。どうすればいいかわからない、と。勉強のことはいったん考えなくてもいいと返信。ただ彼とはできるかぎり連絡をとらないようにしたほうがいい、彼のことがいまでも好きだという気持ちを否定する必要はないが、ずるずると連絡をとりつづけてしまうとその分だけ傷口がひろがるだけだし、結果的に失恋を克服するのに余分な時間がかかってしまう、つらいかもしれないがなるべく自分から連絡はとらないようにしたほうがいいと続けた。残酷だが、わざと「失恋」という言葉を使った。たぶん彼女のなかにはまだ、こうした曖昧な関係を続けているうちに自然と復縁することになるのでは? という期待のようなものがある。でも、たぶん、その期待が報われることはない。
 WISEの設定をする。tax recordは無事認証されたが、実際に送金を試してみたところ、銀行送金とさほど手数料変わらんなという感じ。セブン銀行のATMで金をおろす場合、3380元おろすのに手数料が46元で、これは割合でいうと73分の1になる。いっぽう、WISEで3659元送金する場合、手数料は151元で、これは割合でいうと24分の1だ。つまり、ATM経由の三倍手数料がかかる計算になる。WISEを経由せず銀行間で送金する場合、これはどこで得たのかちょっとよくわからんデータなのだが、100万円の送金で手数料が5万円というメモ書きが残っている。割合でいえば20分の1。銀行間での送金には毎回必要書類を提出する必要があるわけだし、それを考えるとやっぱりWISEのほうがはるかに便利で時間も金も節約できることになるわけだが、だからといって決して安い手数料ではない。今回は試しに実際に送金してみたわけだが、基本的には年間限度額ぎりぎりまでATMでおろし、突発的に日本の口座に金が必要になった場合のみWISEで送金するという方針にしたほうがよさそう。しかしいろいろ情報を集めている最中、Gigazineがほかでもない今日づけの記事として「銀行へのランサムウェア攻撃により提携するWise・Affirm・Mercuryなどフィンテック各社の個人情報も流出した可能性」というものを配信しているのを見つけ、おれいくらなんでもタイミング悪すぎやろと笑ってしまった。
 Lにもらったすいかを食し、寝床に移動後、The Habit of Being(Flannery O’Connor)の続きを読みすすめて就寝。