- 8時30分からスピーチ練習。きのうホールでやった即興スピーチの撮影動画を確認。その後テーマスピーチを通す。即興スピーチについては、だいたいどんなテーマがきてもある程度対応できるレベルになったと思うわけだが、それでももしかしたら抜けがあるんではないかと考えていたところ、「共同富裕」というワードがあたまをよぎったので、これってでも最近の言葉だからまだ教科書に載っているわけではないよねと学生らにたずねると、もう載っていますという返事。ほんの一年か二年前にキンペーの旦那が公に発表したヴィジョンがすでに教科書に掲載され、中国全土の大学で学部関係なしに受講を義務づけられている習近平思想の講義でとりあげられている——この速度こそが独裁以外のなにものでもないよなと思う。もう五、六年前になるが、そもそも現役政治家の思想が教科書に掲載されている時点でこちらの感覚すればふつうではないと口にしたところ、ガチガチの精日分子であるOさんから、そうか、外国からすればそういう感覚なのか、いまはじめて気づいた! と驚かれたことがあった。
- それで残る時間は「共同富裕」「小康社会」「貧困脱却」あたりのテーマに対応できる原稿を書くように指示。C.KさんとR.Sさんのふたりは既存の原稿の組み合わせ+加筆修正でうまくこしらえた。K.Kさんはまったくあらたに書きおろした。作文の苦手なS.Sくんは結局午前中に原稿を書きあげることができず、それどころか午後いっぱい使っても半分ほどしか進んでいないありさまで、結局、帰宅後の夜、彼から送られてきた半端な原稿をこちらがほぼ全面的に書きなおすはめになった。
- 便所にたった際、廊下でR学院長とばったり遭遇した。日本語スピーチコンテストの指導をしているのかというので、そうだ、毎週水曜日と木曜日は朝から夕方まで指導している、なかなか疲れると受ける。日程をたずねられたので、今週末にreadingとwritingとtranslatingの試験がある、speechは来週末だと受けると、今週末の試験のスコア次第でspeechに参加できるかどうかが決まるのか、それとも全員が参加できるのかというので、全員が参加できると受けた。で、教室にもどって学生らにいまさっき学院長と会ってこれこれこういう話をしたよと伝えると、英語のスピーチコンテストに出場できるのは事前の閲読と作文と翻訳の試験で上位60%に残った学生(あるいは大学)だけであるという話があって、えー! となった。だから、昨日図書館のホールで英語学科の学生たちがスピーチの練習をしていたわけだが、テーマスピーチもけっこうあやしかったし、即興のほうにいたってはほとんどなにも答えられていなかったという。つまり、スピーチの練習をする前に、まずは読解、作文、翻訳の練習のほうに時間を割いているということだろう。ちなみに英語のほうの即興は、スピーチという形式ではなく、その場であたえられた質問に対して即座に受け答えするという形式らしい。日本語のコンテストもいずれそうなるかもしれない。
- 昼飯は四人全員で東北料理店へ。焼きそばみたいな特色料理を食った。うまかったし、安かった。道中、三年生のC.Eさんと女子寮前ですれちがったので、手にさげているメシを横取りしようとした(しかし事前に警戒されていたようで逃げられた)。帰路は小雨。第三食堂付近で今度は二年生1班のY.Eさんの姿を見かけた(快递で回収した小さな段ボールを片手にわれわれのそばを通過しざまニコリと笑ってみせた)。K.Kさんの友人女性にひとりモーメンツにいつもセクシーな写真を投稿している子がいるという話があった。実際に見せてもらったのだが、胸元の写真をアップにした写真があって、いやこれくらいの写真だったら卒業生のK.KさんやC.Bさんのほうがずっと過激やんけと思ったがそれについては言わなかった。女性はしょっちゅう彼氏を取っ替え引っ替えしているらしい。最近投稿したものかどうかはわからないが、彼氏らしい男がじぶんの足の指を口にふくんでなめている写真まであって、これにはさすがに笑ってしまった。学生たちはみんなきもちわるいきもちわるいといった。続けて中国語でなにやら口にしたが、どうやらそれが足フェチを意味する単語らしかったので、あ! となった。それでこれはちょっとエロい話になるけどと前置きしたのち、インターネット上にあるエロサイトで各国のユーザーがどんなキーワードで検索をかけているかの結果が公開されているのを見たことがあるけど、中国はほかの国にくらべると圧倒的に足が多いんだよというと、それは中国の伝統ですという返事。纏足のことを言っているのかどうかちょっとわからなかったが、いずれにせよ中国では(脚ではなく)足はセクシーなものであるという認識が古い時代からあるらしかった。女子寮で三人と別れたのち、S.Sくんとふたりでいつものように库迪咖啡とセブンイレブンに立ち寄って外国語学院にもどった。恋人同士がふたりでなにをしていようがそんなものは当人らの勝手であるが、その行為をわざわざモーメンツで公開するのが理解できない、というようなことをS.Sくんは言った。
- 午後は模擬練習。学生四人が201号室に集合。正面にパソコン、斜め後ろに三脚にセットしたスマホ、そのふたつのカメラで前後をはさまれるかたちで席につく。週末の閲読&作文&翻訳のオンライン試験はそのような状態で実施されるのだ。試験時間は130分。その結果が全体スコアの60%を占める(残る40%がスピーチとなる)。模擬試験ということで、実際にオンライン上で出された例題を学生らは軽く解いているようだったが、どれもこれもむずかしいという。こちらも問題を見せてもらったが、日本語の試験ではない、完全に政治の試験だ。習近平思想をはじめとする愛国系のあれこれについて日本語で書かれた文章を読み、日本語で書かれた選択肢の中から正しいものを選ぶという趣向。ほんまいよいよやなと思う。模擬練習の場にはC.N先生もあらわれた。どこの大学かは不明であるが、申し込みに失敗した大学があるらしい(結果、その大学はスピーチコンテストにのみ参加することになったとのこと)。(…)大学だったらありがたいなと、省内でもっともレベルの高い大学の名前を出すと、学生らは笑った。(…)大学や(…)大学よりも(…)師範大学や(…)学院のほうが強敵だとC.N先生は言った。(…)大学はわかるけれども(…)学院もそんなにレベルが高いのかとおどろいていると、うちの外国語学院の以前のボス? 教員? がそっちでいまボスをやっているという話があった。
- 模擬練習が終わったところでいつもの教室にもどる。午前中に準備したばかりのテーマ「共同富裕」でさっそく即興スピーチをやってみたが、C.KさんもR.SさんもK.Kさんも十分対応できていた。残る時間、R.Sさんはひとり廊下に出て暗唱にはげんでいたが、残る三人はおしゃべりに精を出していて、こういうところでやっぱり完全に差が出るよなと思った。教室にもどったR.Sさんに即興スピーチの原稿を三つか四つほど連続で暗唱させたが、ほぼ完璧だった。危機感を抱かせるのであればここだなと思ったので、おなじことをC.Kさんにもこころみた。たくさん詰まった。それでわざと、はあーーーーっ! とおおきなため息をつき、首をふり、手にしていた原稿を卓上に放り出すというふるまいに出ると、みんな笑った。先生! 今日、優しくない! わたしは泣きます! とC.Kさんは抗議したが、三年生の代表はやっぱりS.Kさんにお願いしようかなとさらに意地悪を続けた。
- 練習後、外国語学院の入口で立ち話をしていると、一年生2班のT.Eさんが通りがかったので、来年はきみだぞ! と発破をかけた。学生らと別れてひとりケッタにのって新校区にもどったのだが、これまではなんの不都合もなくgusetとして通り抜けることのできたゲートが閉鎖されてひらかなかったので、なんでやねん! となった。これじゃあ(…)学院とおなじだ。警備員を呼んでひらいてもらったが、いちいちこんなことをしなければならないのはうっとうしすぎる。
- 第五食堂で打包して帰宅。食事をとり、シャワーを浴びる。C.Kさんから明日はがんばるというメッセージがとどいていたので、即興スピーチを全種類まちがえずに言い切ることができたら1000元やるよと軽口をたたいた。S.Sくんから送られてきた「共同富裕」の原稿を書き直して録音する。R.Sさんからたのまれた「わたしの尊敬するひと」の録音も送る。ついでに、きみは少なくともスピーチだけならば一等賞を狙うことのできる位置にいると激励する。これまでこちらが担当した学生のなかでもっとも完成度が高い、と。R.Sさんはそんな高評価であるとは思ってもみなかったといった。ずっと自信がないのだという。なぜ中国の学生は自信のない子ほど優秀なのか? 一年生のS.Iくんから友人ふたりの名前の日本語読みを教えてほしいという微信がとどいたので、ちゃちゃっと調べてすぐに返信。
- きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読み返す。2023年10月16日づけの記事には、新入生1班(現二年生1班)の学生の授業態度の悪さに対する言及がさっそくあり、特に今日出禁の解除されたK.Sくん&S.Hくんカップル(いまも付き合っているのかどうかは知らない)、それにY.KさんとS.Bさんのことが要注意人物として挙げられている。S.Bさんの態度の悪さはものすごく印象に残っている。椅子に浅く腰かけて両足を前に投げ出すようにして座り、既習組であるから退屈するのはわかるのだが、五十音の発音練習をするにあたって、ものすごく嫌な顔をしてデカいため息をついてみせたのだ。それで、なんやこいつ!? 男やったらボコっとるとこやぞ! となったのだった。で、そんななか、S.Bさんに対する言及もあったのだが、それが意外なほどの高評価だったので、え! マジで? とびっくりした。
逆に良い印象をもった女子学生はS.Bさんで、この子は初学者にもかかわらずアクティビティの際も既習組よりも率先して発言していたし、なにより授業中ずっと目がキラキラ輝いていたので、あ、この子ぜったいのびるわ、三年生でいうR.SさんやC.Rさんと同じだと確信した(と、あえて強い断言調で学生らの印象を書き残しておく、これも毎年書いていることであるが一年後の読み返しの際に答え合わせをするのがクソ楽しいのだ!)。
- とはいえ、S.Bさんはたしかに現在日本留学を考えているし、こちらに対して授業外にときおりメッセージをよこすこともあるわけだが、決してR.SさんやC.Rさんのような優等生ではない。教室の席順から察するに、ルームメイトとの関係もあまりよろしくないようである。新参者のK.Sくんとつるんでいるあたり、実際のところかなり浮いてしまっているのではないか。
- 2014年10月16日づけの記事には以下のような記述があった。
エボラのニュースを見るとときどき悲惨な想像が頭のなかをめぐってたとえばヨーロッパで爆発的に流行してSの身になにかあってとなったときそういうつらさをおれはシラフで耐えられるのだろうかと思うしこれはいつもそうなのだけれどなぜパンデミックにせよカタストロフィにせよじぶんがその被害者になる恐怖よりも先んじて愛しい友人知人たちが犠牲になるのをただ手をこまねいてながめるだけのじぶんの像が浮かんでしまうのだろう(まるで熱病患者をまえにした大佐だ!)。
- 妙な話だが、パンデミックという語がコロナ以前から存在していたことにちょっと違和感をおぼえてしまう。それくらいやっぱり、コロナの流行とそれに対する社会の、というか世界の反応が人間社会にもたらしたものは、大きかったのだ。
- あと、以下も2014年10月16日づけの記事より。
夕飯を作っているときにRPGの脚本というかぼんやりした大枠の設定みたいなのが思い浮かんだのだった。ゆえにメモしておくけれどまずこの現実世界を模した世界とゲーム内ゲームの世界のふたつがあって、前者の主人公は不良でもいいし不良じゃないけど格闘技とかやっててケンカはそこそこするみたいやつにする、なぜならそうでもしないとエンカウントバトルでヤンキーや酔っぱらいや野良犬やヤクザとたたかえないから。じっさいにエンカウントバトルにするかどうかはわからない。ひょっとしたらイベントバトルだけですませるかもしれないし、エンカウントバトルを採用するにしても一定の確率で戦闘終了後には留置所に連れていかれてそこからの再スタートになるとかでもいいかもしれない。とにかくこの現実世界を忠実に模す(マザーシリーズどころではない)。そういう制限もあるから内容的にはRPGの体裁をとったアドベンチャーゲームになるのかもしれない。で、それとは別にその主人公がプレイしているゲーム内ゲームがあって、これは旧き良きJRPGすなわちスーファミ時代のFF・DQに全身全霊で敬意をささげたこてこてのオマージュで進めていくことにする。剣と魔法、勇者、魔王、お姫様(ヒロイン)みたいな。こちらにかんしては通常のエンカウントバトルもあるし敵もスライムとかゴブリンとかもうその手のものでグイグイいく。ただ序盤の時点ですでにいくらか中盤以降の展開をにおわせる要素はいれておいてもいいかもしれない。あとになってその正体、その意味するところに気づく「違和感」みたいなものはテキスト・キャラクター・フィールド・システムすべての領域において忍びこませておきたい。で、これはいったい物語の中盤で起きるイベントなのか終盤なのかあるいは序盤なのかわからないけれども、現実版の主人公が死ぬ。現実世界でヤクザに刺されて死ぬでもいいしハーブを吸った車にはねられて死ぬでもいい。あるいは別の案としてむしろこの主人公がハーブを吸った結果、ゲーム内世界に迷いこんでそこのザコモンスター(それこそスライムとかゴブリンとか)に殺されるというのもいいかもしれない。主人公はその時点で現実世界ではほとんど敵なしのステータスとかレベルになってるようにできれば調整しておきたい。その主人公がファンタジーの世界のザコモンスターに一発で殺られる。ここは別にイベントバトルにする必要もない。ふつうにフィールド歩いてエンカウントした敵にふつうに勝てない。それで死ぬ。主人公は死ぬ。ここで視点がゲーム内ゲームのほうの主人公にいくどめかの移動を果たすわけであるけれど、それまで一本道だった物語がとつぜんサガシリーズも顔負けのフリーシナリオと化す(要するに主人公=プレイヤー=神の死のメタファーというわけだ)。これ以降はRPGという「ゲームの規則」に批評的に対峙していく。たとえば小さいものならそれまで「ここは○○の村だよ」といっていた村人Aに「なぜおれはわかりきったことばかり飽きもせずに口にしていたのか」と言わせるなどしてもいい(しかも同じ台詞をくりかえし聞けないようにするためいちど話をした村人はどこかに去っていくみたいなふうにしてもいい)。武器屋が武器を売らない、教会がセーブしてくれない、宿屋に泊まれない、そもそも民家に鍵がかかっている。ただしこういうのはやりようによってはさぶくなってしまうのでほどほどにしたほうがいいだろう。批評意識をいちゃもんや難癖の下品さに堕落させてしまってはだめだ。魔王・勇者・姫(ヒロイン)の物語をたとえばオイディプス的構図にあてはめたうえで脱構築しまくるような展開をその後の物語の大枠として構築できればいいのだけれどこのあたりにかんしてはまだわからない。現実世界の主人公がゲームの世界に迷いこむきっかけがドラッグというのもつまらないといえばつまらない発想であるし別の案のほうがいいかもしれない。ゲームの世界に迷い込ませる必要はないのかもしれないが、そうなると現実世界とゲーム世界がはっきりと分離されたまましかしつながっているという『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』式の構図におさまってしまうことになる(この手の構図はいかにもサブカルという感じがするのでできれば避けたい)。ラスボスをプレイヤー自身にするという案もありかもしれないが(つまりゲームをクリアするためには電源を切るほかない)、これはこれでやっぱりつまらない、そういう飛び道具でないところでなにか突破口があるしじぶんだったら楽勝でそれを見つけ出すことができると思う。今日も自信家だ。
- 今日づけの記事もここまで書くと時刻は22時だった。きのうのことだったか、今日のことだったか忘れてしまったが(もしかしたらおとといだったかもしれない)、T.Uさんのモーメンツの投稿に対してC.Gくんがコメントしているのを見かけた。その内容というのがしかし、「CはT.Uを応援する」「じゃあ、Gは?」「Gもきみを応援する!」みたいなやりとりで、え? え? できてんの? マジ? とちょっとびっくりしたのだった。もちろん、元カノのK.Kさんにこの話はできない。T.Uさんにはいっしょに韓国語を学ぶ意中の男子学生がいたはずであるから、これはもしかしたらC.Gくんの一方的なアプローチなのかもしれないが、それだとしたらなかなかけっこう露骨であるなとちょっとひいてしまった。
- 明後日の授業にそなえて資料を一部改稿。一年生のC.Sさんから微信。発音に自信がない、どう勉強すればいいだろうかという質問。新入生から発音に関する質問がとどくのはこれで三人目だ。こんなに反響があるんだったらもっとはやくから発音重視の教案を組み立てておけばよかったなと思った。とはいえ、三人とも大学入学後に日本語の勉強をはじめることになった初学者であるし、周囲は既習組ばかりであるという状況のなかでプレッシャーを感じての質問だったのかもしれない。実際、C.Sさんも周囲の既習組から発音がおかしいと指摘されて自信をなくしたようすだったので、授業中にも何度も語ったことであるけれどもあらためて、初学者のほうが発音の平均レベルは高い、最初から外教が発音を指導することができるからだとはげましたうえで、軍事訓練が終わり授業がはじまってまだ一ヶ月も経過していない、その段階で発音の完璧な学生なんて存在しない、発音練習はつまらないものだがこれから一ヶ月間毎日本気で練習すればかならず上手になるし、日本人のような発音を身につけることも全然不可能ではないと伝えた。C.Sさんはこちらの言葉に「安心感」を得たといった。