20241019

(…)欲望は〈法〉に従います。ところで《もの》は本質的に「失われたもの」であり、〈法〉の領域(象徴界)から排除されることで初めて成立します(267頁)。このような〈法〉の領域からの排除が《もの》を《もの》にするのであり、つまり〈法〉がなければ《もの》もないわけです。ある意味で《もの》を生み出すのは〈法〉であり、また反対に言えば、〈法〉が〈法〉であるのはそこで《もの》が排除されているからです。だから人が欲望の〈法〉に譲歩せず(後述281頁)従っていくと、〈法〉の起源にある《もの》に突き当たらざるをえないのです。
(片岡一竹『ゼロから始めるジャック・ラカン』より「第六章 不可能なものに賭ければよいと思ったら大間違いである」 279)


  • 11時過ぎにおのずと目が覚めた。きのうはシャワーを浴びずに寝てしまった。こんなことは一年に二回か三回しかないと思う。今日はかなりすずしい。最高気温は20度しかない。明日以降はもっと冷えこむらしい。第五食堂で鴨肉を打包し、売店で紅茶を買った。飲み食いしたのち、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読み返した。2014年10月19日づけの記事に、2009年1月に書いた短い小説が転載されていた。「十二星座をモチーフに12本の掌編を書くという試み」のひとつで、“Taurus”というタイトルのもの。「この物語の存在なんてほんとうにいまのいままでまったく思い出せなかったのだが、いくつかの点で「A」を先取りするものだったので、率直にいってたまげた」とある。

■牛頭変身譚
 実家が酪農を営んでいるTから、奇妙な乳牛がいるのだ、と最初に聞かされたのがいつだったか、はっきりとは覚えていないが、その奇妙な乳牛とやらの様子については、会うたび会うたびしつこく聞かされていたので、一度も実物を見たことがないにも関わらず、ふしぎと親近感のようなものを抱いてきたのであり、それだから、いざ、実際に、Tの実家を訪問する日取りが決まったときには、いささか滑稽な感覚におそわれたというか、友人の交際相手にはじめて引き合わされるときのような緊張に、少しばかりそわそわしたものだった。自分が、その乳牛について知っていることといえば、ミノという名前をつけられているということ、今年で六歳になるということ、オスなのに乳が出るということの、その三点であって、そうやって箇条書き風に考えてみると、長年その存在について聞かされてきたわりには、案外なにも知らないものだなと、自分でもおどろき、親しみを感じるにはいささか遠すぎる距離感のようなものさえ覚えるのだったが、しかし、実際に、Tの実家をおとずれ、牛舎に寝そべっている実物のミノを目の当たりにすると、そのような距離感などはまたたく間に払拭され、自分はこの牛のことをよく知っている、という天啓じみた確信によって、しばらくはひざの震えがとまらないくらいに、戦慄を覚えたのだった。Tは、こいつはひまがあるとすぐ寝そべるんだよ、と言いながら、柵で区切られた個室の中に入っていき、ミノのでっぷりとしたお腹を、靴のつま先で軽く蹴飛ばすようにして、にやり、としたかと思うと、おい見ろよ、と言って、ぱんぱんに張った乳房を指さしたあと、その指をすーっと下腹部のほうにずらしていき、やがて、肉のひだにうずもれたペニスらしきものの手前にまできたところで、手を止め、残酷な笑みを浮かべながら、なにかしらいやらしいことを毒づいた。それはどこか、平生のTらしくない、非常に邪悪なふるまいのように見え、自分は、少しばかり動揺したのだったが、Tは、そのようなこちらの戸惑いにはまるで無頓着な様子で、は虫類のように不気味に目を細めながら、しげしげとミノを眺めてばかりいた。ミノは、そうした視線をうとましく思っているかのように、寝そべった姿勢のまま、首から上だけを大儀そうにもちあげると、顔をおおきく横にふるった。その拍子に、耳にぶらさげた黄色いプレートが揺れ、そこには、666という個体識別番号のようなものが記されており、それを眺める自分の視線に気づいたのか、ミノは、妙にグロテスクなその瞳をこちらに向けると、ゆっくりと、子馬のように弱々しく、その場に立ち上がった。立ち上がると、でっぷりとして見えたその腹が、けっきょくはすべて乳房であったことがよくわかり、それを見たTは、やや驚いた様子で、けさ搾乳してやったばかりなのにもうこんなに、と言い、自分も、うん、とうなずきながら、けれど視線は、乳房とはまたちがった重量感でぶらさがった、その睾丸に引きつけられ、釘付けにされていたのだった。
 その晩は、Tやそのご家族の好意に甘えるかたちで、おそろしくひろびろとした家の、そのあまった一室に宿泊させてもらったのだが、予想通り、寝台に寝そべってみても、眠気はまったくもっておとずれず、いろいろと考え事などをしてみても、気づけばふと、牛舎のほうにむけて耳をそばだてている自分がいたりして、そのたびに何度も苦笑し、結局、眠りについたのはほとんど明け方近かった。おかげで、朝の早い農家の生活におおきく出遅れてしまい、自分が目覚めたころにはもう、午前の仕事はのきなみ終了しているという有様であり、宿泊の恩に一仕事手伝わせてもらうと、前夜、Tとそのご家族を前にして張り切っていた手前、昼食を囲む一家の前に姿をあらわすときには、なんともいたたまれなかったというか、平身低頭に徹するほかなかったのであるが、ご家族はみな笑って、うちの生活が特殊なんだから、などと言い、自分の面子を保ってくれ、Tだけが、茶化すようにして、午後からはしっかり頼むぜ、などと皮肉るものだから、自分も、いっちょう任せてみてくれ、などと調子にのった発言をし、場をわかせた。
 だが、実際に、午後から牛舎のほうへいき、Tの命ずるがまま、雑夫のように働いてみると、それはもう思いのほか忙しく、とてもじゃないが毎日続けられるような仕事ではない、とつくづく痛感し、平生はちゃらけてばかりいるTに、ある種の敬意さえ覚えたほどであった。日頃、体を動かすような生活を送っていないためか、その日の晩はもう、疲れのあまり食事すら喉をとおらない有様で、また、帰宅しようにも、山を下る必要があることを思うと、どうにも足が出ず、これもまた情けないことに、もう一晩泊まっていきなさい、というご家族の好意に、おおいに甘える体たらくとなってしまった。Tは、風呂からあがるとすぐさま寝台に横になってしまった自分のほうを見て、ちょっと働かせすぎたかな、などと、いくぶん申し訳なさそうな顔をしてみせたが、すぐさま、ま、身体の底から健康になるための鍛錬だと思ってくれ、といって笑い、その笑いは、例の、ミノの定かならぬ性器を指さしたときに浮かべた邪悪な笑みとはちがって、ふだんのTらしく、とても好ましいものであり、自分も、それにあわせて滑稽な自嘲のひとつやふたつ放り投げてやろうかと思ったものの、疲れのあまり言葉が出てこず、結局、Tが部屋を出ていって五分もしないうちに、夢見の世界へと、あたかも足を踏み外したかのように、すとん、と落ちたのだった。
 夢の中で、自分は牛舎の中にいた。片手に飼料の入ったバケツをぶらさげたまま、大きな声で、ミノ、ミノ、とさけび、前も後ろもわからずに歩きまわるのだが、てんでその姿は見当たらず、それどころか、他の乳牛の姿さえ皆無で、牛舎はまったくもってもぬけの殻といったふうである。のみならず、その牛舎自体が、ある瞬間を境に、異様なひろがりをもって感じられ、不審に思ってよくよく周囲を見渡してみると、通路と個室を区切るための柵が、秩序を失ったかのように縦横無尽に入り組んでおり、さながら牛舎全体が迷宮のようにして渾沌している。自分はその迷宮の中を、あれこれ言いながらさまよい歩くのだが、しかしミノのもとへはいっこうにたどり着けず、不安は次第に募り、とうとう飼料の入ったバケツも放り投げて、騙し絵のように入り組んだ通路を駆け出すものの、それでも結果は変わらない。そうして、さんざん走りまわったあげく、とうとう疲れ果てて、その場に座り込んでしまい、ぜえぜえと息を荒げながら、ふと顔を上げたところへ、いつの間にか、ミノを従えたTの姿がある。ミノは、初めて会ったときのように、Tのそばに寝そべっており、その耳には、999と記された、黄色いプレートが揺れており、自分は、起き上がってその側へ駆け寄ろうとするのだが、体は金縛りにあったようにして動かず、そうしたこちらの状況をあざわらうようにして、Tは、ミノの真っ平らな乳房に指先を這わせると、その手をじょじょに下腹部のほうにもっていき、やがて、女陰らしきものの入り口に到達せしめて、例の、あのいやらしく邪悪な笑みを浮かべたのち、ミノもろとも霞のように宙に消え入る。自分は、ミノの消失を目の当たりにし、その不在に耐えきれず、慟哭し、その悲嘆は飢餓のようにさしせまった感情として喉元をせりあがり、心臓を締めあげるような切なさに、おもわず目が覚めてしまうほどだった。
 枕元のスタンドライトを点け、壁にかかった時計を見ると、深夜で、耳をすますと、気流のわずかな流れさえ聞き分けられそうなほどに、あたりは静まりかえっており、カーテンの隙間から窓の外をながめれば、寝ている間に雨が降っていたのか、月明かりにしっとりと濡れる牧草のひろがりがあり、そのさらに奥には、明かりのついた牛舎を認めるができる。自分は、こんな夜間に牛舎の明かりが点いていることを、不思議に思った。そして、その不思議さはやがて怪しさとなり、怪しさはじきに胸騒ぎをひきおこした。枕元の水差しから湯のみいっぱいの水を飲み、息を落ち着けたところで、自分はゆっくりと寝台から降り、極力足音をたてないようにしながら部屋をあとにし、長い廊下をひたひたと歩きながら、Tや、その家族の寝室の周辺は避けるようにして、遠回りしながら玄関へ出ようとした。だが、たった二日ほど滞在しただけではとても把握できぬほど、Tの住む家は広大で、なおかつ入り組んでおり、加えて、夜の闇の中とあっては、自分の進行方向さえ不分明で、やがては、元来た道をたどることさえままならず、自分がいま、いったい何階にいるのかさえ分からなくなってしまった。
 暗闇の中を手探りでさまよい歩きながら、自分は、その日、牛舎で雑夫仕事に身を費やしながら、なんどとなくミノの様子が変だと感じていたことを、思い出した。ミノは他の乳牛とはちがい、飼料になど目もくれず、自分のほうばかりを見つめていた。自分が鋤で牛糞を片付けているときも、熊手で刺草を片寄せたり、平らにならしたりしているときも、ミノはじっと、そのグロテスクな瞳で、自分のことばかりを眺めていた。Tは、そんなミノの様子にはまるで気づいていないふうであったが、自分には、その視線が痛いほど感じられた。その視線を正面から受けとるのは、たいへん気がひけたので、自分は何も知らないふりをして作業に勤しんでいたのだが、ミノは、そうした自分の意図さえ見抜いているといわんばかりに、鳴き声ひとつあげずに、ただひたすらに自分のほうを見ていた。それは、好意にみちた女の目配せのようでもあり、捕虜にされた仲間からの静かな暗号のようでもあり、また、合わせ鏡の最奥から注がれる自身のまなざしのようでもあった。自分は、次々と湧き出る胸騒ぎを踏み殺すようにして、暗闇の中で足を早めながら、次こそはあのグロテスクな瞳を真正面から受け止めよう、と固く決意した。そして、いよいよミノのあの瞳の奥に隠されていた意味と、自分がはじめて実物のミノと対面したときに覚えた戦慄とが、この世の論理の外で接近したというふうに感じた。自分は、暗闇の迷宮に一筋の光明を発見し、それとほぼ同時に、陰にこもった空気中にひそむ原始の気配が、自分の身体をとりかこみ、もぞもぞと這い回るのを感じた。自分は、細胞のひとつひとつが騒がしく動きまわるのを感じた。自分は、自分の体がそれにふさわしく形づくられていくままにした。ひどい頭痛がしたが、自分は構わずに歩き続けた。迷うことも躊躇うこともなかった。自分には、迷宮の道筋はすでに解けたも同然だった。玄関の扉をうちひらき、牧草地帯に足を踏み入れたときには、裸足の足裏はひづめのように硬化しはじめていた。自分は、少々迷ったあげく、二足で駆け出し、ほとんど衝動にうながされるまま、明かりのついた牛舎へと飛び込んだ。
 牛舎に入って、最初に目の前にとびこんできたのは、むきだしになったTの、裸の尻だった。Tは、一頭の乳牛の背後にまわり、その下腹部に、自らの腰を強く、そして激しく打ちつけていた。ときどきうめき声をあげながら、その手で乳牛の背をはたいたり、脇腹を拳でうったりしており、足音を忍ばせもせずに堂々とやってきた自分の気配にさえ気づかぬほど、快楽に身をよじらせているふうであった。自分は、行為に没頭しているTの背後へとせまった。一歩進むごとに、金剛石のように硬化した足裏がごつごつと足音をたて、熱い鼻息が規則的に吹き出し、水っぽいよだれが糸も引かずに垂れ落ちるのがわかった。額が、内側から鈍く、そして外側から鋭く、痛んだ。三メートルほどのところにまで迫ったところで、Tの陵辱相手が、ミノであるということに確信が持てた。自分は、大声で吠えた。Tは、反射的に驚きの声をあげると、足首にまでずりさげた寝間着に足をとられ、つらつらと光るペニスの先から精液をこぼしながら、滑稽な仕方でその場に倒れ込んだ。そうして、自分のほうを一目見たのち、化け物、と叫んで、続けざまに失禁した。自分はゆっくりと、そちらのほうへ歩みよった。Tは、ミノ、ミノ、助けてくれ、と叫びながら、半陰陽の乳牛に泣きすがるようにして、その陰にまわりこんだ。ミノは、平静だった。後ろ足のあたりに、白濁した液体を滴らせながら、ミノはしかし、この後におよんで自分を盾にしようとしか考えていない主人にむけて、一声もあげようとはせず、ただ、自分が歩み寄るのをじっと、静かに眺めていた。
 自分は、そのグロテスクな瞳から目をそらさなかった。真正面から、しっかりと受け止めた。頭痛がおさまると、入れ替わるようにして、額に二対の重みを感じた。重心の変化に多少よろけもしたが、じきに慣れた。ミノの瞳にうつりこんだ異形の姿を見ても、自分は、とくに動揺や感慨を覚えはしなかった。Tは、いよいよ眼前にまでせまった自分を見て、ミノ、噛みつけ、ミノ、蹴飛ばすんだ、と半狂乱めいた声をあげながら、静物のように穏やかな乳牛の脇腹をたたき、けしかけようとしたが、それも無駄だった。自分は、それが真っ当な人声として発音されたのかどうかは定かでないが、ミノはおれだ、と言った。そうして、そばの柵にたてかけてあった鋤を手にとると、眼球がこぼれおちかねないほどに目を見開けたTの、その頭頂部めがけて力任せにふりおろした。

  • 文章のリズムがやっぱりいまと全然違うなと思う。読点の打ち方とか、一人称「自分」のさしはさみ方とか、近代日本文学が露骨に背骨となっている感じ。上にも書いてあるとおり、これは2009年1月に(おそらくは一日でぱぱぱっと)書きあげたものだが、「A」の脱稿が2011年10月だから、両作品にはおよそ三年のひらきがある。三年でここからあそこまでいったのだったら、まずまず上々といえるのではないか。
  • 14時から17時まで授業準備。日語会話(一)の資料を発音重視のものに作りなおす。途中、スピーチメンバーのグループチャットでテストが終わったとの報告がとどいた。読解問題と翻訳問題は予想どおりかなりむずかしかったというのだが、作文問題についてはこちらが事前に準備するように命じておいた即興スピーチ用の原稿で対応できるものだったらしい。曰く、テーマは「(…)」。スピーチのほうがバリバリに政治的な内容であることであるし、作文のテーマはそこを外してくるかなと警戒していたのだが、全然そんなことなかった。
  • 夕飯は第五食堂で打包。仮眠をとり、シャワーを浴び、日語会話(一)の残りをかたづけた。そのまま「実弾(仮)」にとりかかったのだが、どうも集中できないようだったのではやばやと中断し、代わりに写作の添削をちゃちゃちゃっとかたづけた。
  • 夜、ベッドから落下した。就寝時はまずベッドサイドにあるスタンドライトをつけておいてから部屋の電気を消すわけだが、今日は部屋の電気を消してから真っ暗闇のなかベッドに移動し、ベッドの上をはいはいするように進んでからスタンドライトのあるあたりに手をのばしたのだが、のばした手が何度も何度も空を切り、そうこうしているうちに右膝から落下したのだった。強烈な痛みを感じた。これはもしかすると痛みのあまり吐き気をもよおすパターンかもしれないともだえながら考えたが、さいわいその手前にどうにかとどまることができた。しかしまちがいなく、今後二日間か三日間は階段ののぼりおりが苦痛になるパターンだ。ベッドから落下した拍子に、ナイトテーブルの上に置いてある湯の入ったコップや化粧水のボトルや香水などが全部床に落ちて、それでかなり派手な音がたったのだが、割れたものはひとつもなかったのでよかった。
  • めずらしくとなりの部屋がうるさかった。最初はとなりの部屋かどうかよくわからなかったのだが、男の声で、それも中国語ではなくおそらく英語で、部屋に呼んだだれかと会話しているのかそれとも通話しているのか、すでに1時をまわっているにもかかわらずその声がかなりやかましかったので、何度か吠え、壁を殴りつけた。となりの部屋には以前ナイジェリア人のHが住んでいたはずだが、いまはどうなっているのか知らない。もしかしたらいまもHが住んでいるのかもしれない。あるいは留学生か。日中は好きにすればいいが、夜中に平気ででかい声で騒ぐ連中の気が知れん。Hは寮の階段をあがりながら全身全霊で熱唱していることもときどきある。
  • 「愚かで勤勉な私たちは」(コガッツオ)を読んだ(https://rookie.shonenjump.com/series/zGZPbQ8IN-I)。この作家が描かずとも、いずれだれかが漫画なり小説なりにはしただろう、手堅くまとまった筋書きの話ではあるが(このテーマこの構成をその内側から突き破るような「異物」は動員されていない)、おもしろく読んだ。意地悪な言い方をすると、この作品は現状(現代)のまとめであり、ゆえにそこからさらに一歩、フィクションとしてどう踏みこむかという課題があるはず。その課題の手前の領域を、洗練したかたちで結晶化させた作品という印象。