8時起床。トースト二枚の食事をとってから国際交流処へ。会議室にはJとLが先着している。Jと軽くあいさつを交わしていると、会議で読みあげる英語原稿の練習をしているLからとなりでコーヒーでも淹れてくればと言われる。それで隣室に移動。コーヒーメーカーの前には国際交流処の中国人女性スタッフ——アルバイトの学生かもしれない——がいて、コーヒーをいっぱいずつ準備してくれたが、なぜかやたらと時間がかかった。パキスタン人のEとロシア人のTも加わる。JとTは例によって陰謀論に満ち満ちた政治談義をはじめた。Tの英語はマジでひとことも理解できないレベルなのでアレだが、ロシアがどうのこうのウクライナがどうのこうの言ってから世界の経済状況についてあれこれ批評してみせたのち、ロシアがいちばんすばらしいと続けた(そこだけ聞きとれた)。それからこちらの肩にポンと手を置き、Japanもまずまずいい、Americaのbabyではあるが状況は悪くないみたいなことをにやにやしながら続けるので、日本がアメリカのポチであることは否定しないが、わざわざアメリカ国籍を捨ててロシア人になり(という背景をおそらく彼はもっているらしい)、プーチンの偉大さを語るような人種に堕した愚者に上から目線で四の五の言われたくはないものだと強い反感を抱いた。
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ヒジャブをかぶった女性と黒人女性も遅れてやってきた。どちらもはじめてみる顔だった。さらに韓国人のK先生もやってきた。そばには通訳らしい若い女性もいた。
コーヒーメーカーは信じられないくらい挙動が遅かった。結局こちらの分が配布されるよりも先に会議が開始されることになった。会議室にもどってから、こんなところで会うのははじめてですねとK先生と言葉を交わした。K先生はテーブルの上にスマホを出し、こちらとのツーショットをその場で撮影した。最初に自己紹介の時間があった。でっぷりとした黒人女性はDという名前だった。外国語学院所属の英語教師。たしかカリフォルニア出身だったと言っていたと思う。中国に来たのは今回がはじめて。ヒジャブの女性はパキスタン出身らしかった。名前は忘れた(と、これを書いているいま、グループチャットを確認してみたところ、Sであることが判明)。なにを教えているのかも忘れてしまった。K先生も英語で自己紹介をするようにうながされたが、かなりぎりぎりだった、というかさすが日本語が達者なだけあって、発音が完全にカタカナ英語だった。そのあと全員が簡単に自己紹介した。こちらの番になったとき、ここで七年ほど働いているというと、周囲からちょっとした嘆息が漏れた。いつのまにかJに続く二番手の古株なのだ。
学期はじめの会議で毎回読みあげられる注意事項を、新顔もいるからという理由でLが読みあげた。それから本題として、監査に関する説明が、LではなくボスであるところのLからあった。今回の監査は非常に重要なものであるという前置きに続き、来週からだったか19日からだったか忘れたが、オンライン上でのチェックがあるという話があった。たぶん録画してある授業中のようすや使用教材をチェックするのだと思う。来月1日から4日までのあいだは専門家が教室に入ってきて授業のようすをチェックするという話が続いた。2日(月)と3日(火)はどちらもこちらの担当する授業がある。二年生の会話である。二年生の会話では現状教科書を使わない授業を実践しているわけであるが、その日だけでも事前に学生に事情を話し、教科書をもってきてもらうようにしたほうがいいかもしれない。
その後、おもてに出て記念撮影。Lが通りすがりの女子学生に撮影をお願いしたのだが、three, two, one, smile! といったつもりの女子学生の発音が完全にsmellになっていたので、みんなゲラゲラ笑った。ナイジェリア人のHが真っ白なカンフー着のようなものを着ていたので、なにそれ! 超クールじゃん! と伝えた。今日は朝から運動会の開会式があったのだが、HはどうやらLたちといっしょに開会式に参加していたらしく、そこで着用したという(大学からの贈呈品であるかどうかは不明)。カナダ人のPがまた話しかけてきたのだが、このおっさん本当にボケているんではないかと思った。こちらを前にすると毎回おなじ話をするのだ。話というのは2パターンしかない。「(A)日本が世界一の経済大国だったバブル時代の話」と「(B)谷村新司をはじめとする日本の歌謡曲の話」のふたつで、今日は(A)のほうだったのだが、これまでもう何度聞いたかわからない話をここでもまたくりかえして、つまり、日本はかつて世界一の経済大国だった、アメリカの一般家庭にある家電はすべて日本製だったしだれもがウォークマンをもっていた、IBMのコンピューターも日本の産業なしにはどうしようもなかった、それがアメリカからの圧力で抑圧されてしまった(プラザ合意のことだろう)、結果として落ちぶれてしまった、日本には米軍基地がある、あれのせいでそういうことになってしまったのだろう、中国もまた現在おなじような状況に陥っている、しかし中国は国土も広いし人口も多い、だからこれから先どういうふうに転ぶかわからない——と、だいたいにしてそういうアレで、Pが本当にボケているかどうかはわからない。さすがにボケていたらengineeringの教師として大学の教壇に立つのはむずかしいだろうから、あれはたぶんこちらを前にしていったいどんな会話をすればいいかわからないだけなのだと思う。それでじぶんが知っているかぎりの日本についての知識、それが先にあげた(A)と(B)なんだろうが、それを毎回披露しようとするわけだ。
その後は懇親会だった。Lの通知にはdinnerと記されていたが、やはりlunchのことだったようす。タクシーで会場となるカフェまで移動することになった。K先生もいることだし、lunchだったらそれほど長くなることもないだろうし、仮病を使って休むほどでもないなと判断。タクシーにはこちらとK先生と通訳の女性の三人がのった。女性の名前はC.Eといった。最初は韓国語の達者な学生をバイトとして雇っているのかと思ったが、そうではなく、国際交流処のスタッフとして正式に雇われた人物らしかった。韓国には七年か八年滞在していたらしい。当然韓国語はペラペラ。むこうの大学院に通っていたようであるからおそらく英語もできるのだろうが、たぶんほかのスタッフにくらべるとそれほど上手でもないだろうから、彼女との会話は基本的に中国語で交わした。これはのちほどカフェできいたことだが、出身は河南省らしかった。
会場となるカフェは万达の近くだった。コロナ流行時、当時はこちらとJとGとBしか外国人教師がいなかったわけだが、そのさびしいメンツでランチをとったときに利用したカフェ(こちらはその後そのカフェを何度か個人的に利用した)がある通りにある別のカフェ——おそらく最近オープンしたばかりの店——だった。店内には長机がひとつあった。そこにK先生、C.Eさん、こちらの順にならんだ。ほどなくしてほかの面々もやってきた。こちらの右となりにTが着席した。そのむかいにP(彼は着席してほどなくノートパソコンをひらいてカタカタやりはじめた)。K先生の左となりにH、その対面にE、むかってその右となりにヒジャブのS、Dがならんで座った。SはK-POP好きらしかった。Eも韓国にはいつか行ってみたいと思っているが、sisterは日本に行きたいと行っており、それでときおり議論になるのだという。Sのほうは簡単な中国語であればあやつることができるようだった。少なくともJよりは発音がきれいだった。そう、Jとインド人のJはこの会に出席していなかった。Jがいないと政治談義のできないTはこちらの右となりで終始退屈そうにしていたが、さきほどの一室でのことをちょっと根にもっていたのでこちらからは一切話しかけなかった(そもそも話しかけたところで、彼の英語はほとんどまったく聞きとれない)。無聊をかこってろバカが! というのが率直なアレだ。Jはこの手のイベントによく欠席する。性格的にもどちらかというまでもなくintrovertな感じのする人物であるし、記念写真撮影の際に本人は体調が悪いからと理由をつけて去っていたが、実際はたぶんめんどうくさかっただけなんだと思う。introvertといえばDからもなんとなくそんな印象を受けた。最初はこちらが英語をあやつることができないと思いこんであまり話をふってこないのかなと思ったが、カフェに移動して先着したわれわれと女性陣だけでワイワイやっているあいだもぽつりぽつりと言葉を口にするだけで、それがなかなか流れにのらない感じ。たとえばこちらにアニメをよく見るのかとたずねてみせるので、アニメはあまりよく見ないが漫画はよく読むよと応じた流れで、きみはアニメを見るの? とたずねると、セーラームーンをよく見たという返事があって、あれは日本ではぼくが小学生のときによく流行していた、大多数の女子はみんなあのアニメを見ていたよと応じたところ、それ以上反応を示さない。発音が悪かったのかなと思ったが、その後もよく似たようなことが何度かあったのでたぶんそうではない、デカい目がときどきちょっとガンギマリ風になっていることもあったが、間近で言葉を交わしているうちに、あ、このひときっと人見知りだわ、となんとなくわかった。ほかの面々もちょっと距離をはかりかねている感じがあった。
K先生と日本語で会話しているのを見たHだったかEだったかが、おまえたちはいまKoreanを話しているのかというので、いやJapaneseだよと応じた。こちらとK先生とC.Eさんの国籍と使用言語がどうもかなりの混乱をまねいているようだったので、三人のなかでは英語のいちばん達者なこちらがひとりずつ紹介した。まずこちらは日本人であり、使用言語は日本語とある程度の英語、それと多少の中国語である。そしてC.Eさんは韓国留学歴のある中国人であり、使用言語は中国語と韓国語、それと多少の英語である。最後にK先生は日本留学歴のある韓国人であり、使用言語は韓国語と日本語である。C.EさんはじぶんのことをI’m Chinese from Koreaといい、K先生のことをHe is Korean from Japanといった。笑った。たしかにそうだった。EはK先生に仮に日本語をまったく勉強していない状態でも韓国人は日本語を理解できるのかとたずねた。K先生もC.Eさんも聞きとれていないふうだったので、こちらが通訳してあげてから、質問にもそのまま答えた(「理解できない」)。Hは漢字について知りたがった。日本でも漢字を使うだろう? でもそれはtraditionalなほうなのか、それともsimplifiedされたほうなのかというので、あ、Hもそれ相応に中国語を学んでいる最中なのかなと思いつつ、前者であると答えた。
追加メンバーがあらわれた。白人男性とアジア人男性だった。白人男性はこちらの階下に住んでいると以前Lが言っていたドイツ人らしかった。アジア人男性は韓国人だった。K先生の友人らしい。ふたりそろって美術学院で授業を担当しているとのこと。名前がおなじKさんだったのでまぎらわしいが(仮にK先生(B)としておく)、彼はある程度英語ができるようすだった。ドイツ人がこちらの正面、K先生(B)がむかってその右手に座った。それでしばらく三人で雑談を楽しんだ。ドイツ人は韓国に留学経験があるらしかった。韓国語もできるとのことだったが、K先生やC.Eさんとの会話を聞くかぎり、こちらの中国語以下である。これまでに世界各地をいろいろめぐるような生活を送ってきたらしく、何ヶ国語あやつることができるのというEの質問に四ヵ国語できると答えていて、その四つのうちに先の韓国語も含まれているわけで、西洋人らのこの堂々たる「できる!」の態度はやっぱり気持ちいいもんだなと思った。去年の忘年会だったか、あのときもHが習得言語に中国語を普通に数えていて、いやいやあいさつに毛が生えた程度のアレで「できる」あつかいしちゃうのと驚いたのだが、たぶんそれでいいのだ。あの基準でいえば、こちらの中国語はかなりできるということになるし、英語なんて完璧ということになるのかもしれないが、心持ちとしてはそんなふうできっといいのだろう。ドイツ人の留学していたのは女子大らしかった。留学生だから男子学生でもオッケーだったらしい。韓国人の彼女もいたというので、外国語を学ぶには最適の環境だなと茶化した。ドイツ人の英語はものすごいドイツ訛りだった。ドイツ語をまぢかで耳にしたことはほとんどないが、それでもこれぞドイツ訛りであるなとわかるくらいの訛りだった。K先生(B)の英語もかなり韓国訛りだったが、K先生(A)よりはずっと話せるようで、それでうちの学科にもK-POPファンがたくさんいるんだよという話をしたり、日本のCity Popやバブル時代のカルチャーが好きだという彼にNight Tempoについて教えたり、ハン・ガンがノーベル文学賞を受賞した話をしたりした(アジア人の女性作家がノーベル文学賞を受賞するのはすばらしいことだというこちらにK先生(B)は握手をもとめたのち、韓国では彼女がはじめてであるが日本にはすでにノーベル賞を受賞した人物がたくさんいると言った)。
メシはまずまず。しょせんはカフェのメシである。パン、サラダ、ソーセージ、ケーキなどを適当につまんだ(ドイツ人はまるで家畜のようにもりもりメシを食っていた)。店を出るまぎわ、LがC.Eさんをいたわっていたので、彼女はK先生だけではなくじぶんの面倒も見てくれたよと告げると、あなたはきれいな女の子とおしゃべりしてとても楽しそうだったねと茶化された。それから彼女がsingleかどうかきいてあげると言ったのち、いやいやそんな必要はないというこちらの制止をふりきって質問し、残念、singleじゃないと言っていたと笑って告げるので、このあいだ(…)の大学にスピーチコンテストにいったときもC.N先生がほかの大学の女性教師をこちらに紹介しようとして大変だったんだよと言った。
帰りのタクシーはチーム韓国に同乗した。助手席にC.Eさん、後部座席にふたりのK先生とこちらの三人という窮屈なポジション。明日の食事会について、K先生(B)は来週にも帰国することになっているので、できればせっかくの記念として彼も招待したいのだがいいだろうかとK先生(A)がいうので、もちろんです、みんなでいっしょに食事しましょう、学生らもそのほうがうれしいと思いますと応じたのち、K先生(B)のほうに英語で、日本語学科の学生でひとり韓国の大学院に進学したいと考えている女子がいる、明日はぜひその子に会ってやっていろいろ話してあげてほしいと伝えた。
Jでパンを買いたかったので南門でおろしてもらった。パンを買うついでに快递で化粧水も回収した。食事会用のグループチャットで明日もうひとり韓国人の先生が来るから会話をがんばりなさいとT.Uさんに伝えると、じぶんはまだ全然会話ができないからという泣き顔の絵文字付きの返事があった。
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帰宅。食事会があるという通知を受けとった昨日はめんどうくさいしサボるかというあたまでいたわけだが、こうして行ってみたらなんだかんだでけっこう楽しめてしまったわけで、毎回そうなんだよな、外教の集まりっていつも結局これだよなと思った。あと、トランプが大統領に再選してかなり気落ちしていたし、こんな情勢下でひきつづき中国にいてもいいもんだろうかと不安になっていたところもやはりあったのだが、そういう気持ちがいったん吹きとんだというアレもあった(それがいいことなのか悪いことなのかはわからない)。
きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読み返した。それからドラクエ5を起動し、一期一会パーティーでミルドラースに挑戦し見事にこれを打ち滅ぼしたのち、第五食堂の二階にある「(…)」という店で打包。二年生1班のY.Eさんに前回の授業中教えてもらったおすすめの店(というか店の名前を忘れてしまったので、出かける前に彼女に連絡をして確認した)。Y.Eさんたちは運動会の観覧席にいるようす。一年生と二年生は全員強制観覧の巻なのだ。
食後、シャワーを浴びたのち、写作の課題をまとめて添削。すべて片付けたのち、ふたたびドラクエ5を起動し、今度はエスタークに挑戦。無事ぶっ殺した。ガップリンのラリホーマが優秀すぎた。一期一会縛り、無事クリアだ!