20241124

 10時起床。第五食堂で炒面を打包。なんとなく書見したい気分だったので作文はお休みすることにし、まずはきのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読み返す。以下、2014年11月24日づけの記事より。こんなことがあったこと、すっかり失念していた。

客室から控え室にもどってくるなりBさんが、Mくんお客さんが救急車呼んでくれっていうてるよ、といった。冗談かと思ったが、こちらにかわってすでに電話機のまえに腰かけてどこかに電話をかけているEさんの姿があった。後ろからのぞきこむとたしかに119という番号が表示されていた。職場の名称と住所を告げるEさんにむけて、患者の容態を具体的にたずねる言葉がかかったらしかったので、すぐにEさんのとなりについてもう一台の電話機でくだんの客室にコールした。そこから救急隊員→Eさん→じぶん→客(患者)の伝言ゲームがはじまった。倒れたのは三十代の男、意識はある、たちくらみがしてそのまま倒れたとのことだった。救急車の手配がすんだことを告げてから電話をきった。電話にでた女のようすからしてそれほど大事でもないような気がすると告げると、おれがでたときはもう完全にパニくってたでとEさんがいった。まもなく救急車が到着し、なかから担架といっしょに救急隊員がおりてきた。むかえにでていったEさんの指示どおり、ふたたび客室のほうに電話をして、まもなく救急隊員のほうがむかいますのでと告げた。部屋のなかに入っていくEさんと隊員らの姿を廊下の監視カメラを介してじっとながめていた。なかからぞろぞろと出てくる人影があった。一階ロビーを映し出すカメラをながめていると、無人の担架を運ぶ救急隊員ふたりの姿とその後ろからティッシュのようなもので鼻のあたりをおさえている若い男があらわれた。こいつ立っとるやんけ、ぜんぜん平気なんちゃうんこれ、などと同僚らとひそかにはやしたてていると、女のほうがフロントのほうにやってきたので、対応に出た。女はかなり動揺しているようだった。部屋代を支払うというので料金を告げると、あの、どこか座らせてもらってもいいですか、わたしもこんなのはじめてで、ちょっといますごく動揺していて、というので、あわてて奥にひっこんで、一同の休憩している控え室に彼女を入れてやってもいいかEさんにたずねた。たずねたそばからなにも従業員の控え室などに来ずとも待ち合いブースのソファに腰をおろしえもらえばいいだけではないかと気づき、そちらをすすめるべくふたたび彼女のまえに姿をあらわしたが、女は中身のぱんぱんにつまったバッグのなかから財布を取り出すと、もうだいじょうぶです、ちょっとこれなかなか見つからなくて、それで座りたいっていっただけです、でも見つかったんでもうだいじょうぶです、と吐息まじりのいくらか仰々しいようすでいった。女の去ったあと、ハーブかなんかすかとEさんにたずねると、バイアグラだという返事があった。服用してから風呂に入った結果ぐるんぐるんになってしまったとのことだった。アルコールとちゃんぽんした結果泡吹いてぶっ倒れたみたいな話はMさんから 何度か聞いたことがあるけれども、風呂でのぼせてアウトというのははじめて耳にするパターンだった。もともとが強心剤であることを考えるとたしかに風呂との相性はよくない。救急車が去ってしばらくたつと今度はパトカーが来た。裏口から出て様子をみていると初老の警察官がひとりやってきたのでEさんを呼んだ。あのひとなにも悪いことしてませんでしたのでどうのこうのするつもりないですし、ただ救急車がでたってことで報告だけしないといけないんで、とEさんをまえにして警察官は説明した。職場に警察がやってくるのはここ半年で四度目か五度目である。夜には九州のほうから例の団体客がやってくることになっていた。警察もなんか嗅ぎつけたんちゃうの、とだれかが笑っていった。

 最後の「例の団体客」というのは社長の知り合いのヤクザ。花見シーズンと紅葉シーズンにはきまって三階フロアを貸し切るかたちでやってきたのだ。ヤクザはけっこう早起きで、宿泊した翌朝はきまって全員で近所に散歩に出かけていた。ロビーでたむろされると一般客がびびるのでそれは避けてほしいと社長のほうから事前に伝えてあるにもかかわらず、毎回毎回ロビーにたむろしたり、たがいの部屋を行き来したり、駐車場で長々とだべったりするので、けっこう鬱陶しがられていた。
 『万人のための哲学入門——この死を謳歌する』(佐々木中)をポチった。リリースされていることを昨日たまたま知った。かなり短かったし、内容にしても『夜戦と永遠』や『切りとれ、あの祈る手を』をすでに読んでいるのであればそれで十分といえそうなものだったのだが、そのわりに値段が1400円で、こちらは普段本を買って高いとか安いとかいう感想を抱くことがないのだが(たぶん今まで一度もそういう感想をもったことがないと思う)、この一冊については、あれ? ちょっと高くない? と思ってしまった。
 『阿Q正伝狂人日記』(魯迅竹内好・訳)の続きもぽつぽつ読み進める。おもしろい。
 17時前になったところで第五食堂二階で打包。食事中は『海辺のポーリーヌ』(エリック・ロメール)の続き。
 食後20分ほど仮眠をとったのち、シャワーを浴び、まだこの時間だったら迷惑でもないだろうと洗濯機をまわす。きのうおとついから暖房を入れるようになったので、部屋の空気が乾燥するのを防ぐために、洗濯物は寝室に干すようにする。それから写作の課題をまとめて添削。作業中は『les failles cachées (halloween version)』(Pomme)を流す。

 きのう買った梨を半分食い(高いだけあってめちゃくちゃ甘くてみずみずしかった)、目玉焼きトーストを食い、歯磨きをした。そのあいだに『海辺のポーリーヌ』(エリック・ロメール)を最後まで観た。マリオンとアンリという年長者のカップルと、ポーリーヌとシルヴァンという年少者のカップルが存在する。マリオンとポーリーヌは従姉妹同士である。遊び人のアンリは海辺のキャンディ売りと自宅で浮気をする。アンリの自宅にはシルヴァンもいる。マリオンが予定よりもずっとはやくうちにもどってきたことを知ったシルヴァンは、アンリとキャンディ売りに彼女の帰宅を告げる。アンリは咄嗟にキャンディ売りとシルヴァンのふたりを寝室に隠れるように告げる。そうすることでマリオンには、キャンディ売りとシルヴァンが関係を持ったものと思わせる。シルヴァンが浮気をしたと誤解したポーリーヌは傷つくが、紆余曲折あって、それが誤解であることを、つまり、キャンディ売りと浮気していたのはアンリであることを知る。マリオンはその事実を最後まで知らない。キャンディ売りと浮気をしていたのはシルヴァンであると誤解したままでいる。やがてアンリは書き置きひとつ残して海辺の別荘を去る。捨てられた格好になったマリオンにポーリーヌは(予定よりもはやく)じぶんたちも別荘を去ることを提案する。マリオンはそんなポーリーヌの提案をおそらくはシルヴァンに浮気された彼女の傷心に由来するものと勘違いしている。だからこそ別荘を去るために乗りこんだ車のなかで、キャンディ売りの浮気相手がアンリだった可能性もあるかもしれない、じぶんはそう信じたくないけれどもそういう可能性はゼロではない、だからあなた(ポーリーヌ)はそうであったと信じなさい、じぶんはその逆を(キャンディ売りと浮気していたのはアンリではなくシルヴァンだったと)信じてみる、それでいいじゃないかという。
 映画はこのふたりのやりとりで終わる。マリオンはアンリにうらぎられたままであるし、ポーリーヌとのシルヴァンの関係はあいまいなままであるし、マリオンとアンリとそろって三角関係を演じるピエールの末路もあきらかではない。そもそもクリシェクリシェに重ねたような愛についての議論を序盤で交わしていた大人三人(マリオンとアンリとピエール)も、作中の出来事(時間)を通して、なんらかの変化をこうむった(そのクリシェ=物語に亀裂が入った)ようにはほとんどみえない(ただし、ポーリーヌが一種のトリックスターめいた批判者としての役回りをいくらかは担っている)。夏目漱石の『坑夫』について語る村上春樹ではないけれども、少なくとも大人三人はこの夏の入り口に立った時点と出口に立った時点で、ほとんど変化しているようにはみえない(少なくともそういう大雑把な断言が許される余地はある)。なにも解決していないし、なにも変化していない。しかし最後の最後で、マリオンとポーリーヌが車内で交わすくだんのやりとりが置かれることで、作品がきゅっと引き締まる。終えるとすればここしかないというタイミングというか手応えというかそういう瞬間がおとずれる。それがすごい。いや、いちおうは、おたがいの恋愛に口出ししあう、じぶんの価値観ばかりを押し付け合う(主張しあう)、そういう不毛なやりとりがくりかえされてきた作品の最後に、おたがいの「信」を尊重するという態度が提示されたというきれいな終わり方だったとまとめることもできるのかもしれないが、しかしマリオンとポーリーヌは浮気の一件の真相(事実)を知らない人間と知っている人間という非対称性があるわけで、だから先に述べたようなきれいでわかりやすい構図になっているわけでは全然ない。それでも終わってみれば、うん、これしかないんだよなという結末になっている。チェーホフマンスフィールドの系譜に連なる作家だ。こういうしみじみとした味わいの作品をじぶんも書いてみたい。
 寝床に移動後は『阿Q正伝狂人日記』(魯迅竹内好・訳)の続き。やっぱりおもしろい。