20230508

 ミレールはラカン中期をセミネール第一一巻(『精神分析の四基本概念』)からセミネール第二一巻(『欺かれぬ者たちは彷徨う』)までの時間(一九六四 - 一九七四)とし、この時期に対応するラカン第二臨床を「幻想の臨床」と呼んでいる(…)。
 それは端的に言えば、幻想を横断し、欲動に直面することを指している。幻想とは、主体において主体の分割を覆い、自分の欲望が何であるかを知っていると想像させるものである。しかし、幻想の横断(traversée du fantasme)において、主体は空の対象aとの出会いを通して、大文字の他者とは欠如においてしか関係を持たないことを体験し、彼の欲望に関する確信は揺らぎ、この経験によって、幻想は失墜し、主体は解任されるのである。
 「その作用において精神分析主体を支えてきた欲望が解消されてしまうと、彼は最後にはもはや欲望の選択、すなわち欲望の残余[対象a]を格上げしたいとは望まなくなる。この残余とは、彼の分割を決定づけているものであり、彼の幻想を失墜させ、主体である彼の地位を解任する」(…)
 これがミレールが述べる幻想の臨床の理論的な説明である。それでは、こうしたミレールの議論を援用して、ラカン中期理論を臨床に使える形に変形していこう。その際の理論的基盤は、父の名[φ]の代わりに対象aシニフィアンの集合[A]を支え、真理をとりあえず保証しているということである。そして、この対象aの機能がラカン前期における臨床的アプローチをいくぶん変更させる。つまり、真理の場である大文字の他者[A]は対象aという空の対象によって見せかけとなり、真理はフィクションとなるのである。
パロールパロールは真理と呼ばれるものの位置を規定します。私が強調するのは(…)真理のフィクションの構造、つまりは虚構の構造です。実のところまさにそう言えるのです。真理が『私は嘘をつく』と言うとき、その場合にのみ、真理は半分ではなく真理を言うのです」(…)。
 ラカン中期における想定された知である無意識あるいは幻想である無意識においては、真理は確定されず、シニフィアン連鎖上には真理が複数存在することができるという意味で、嘘としていくつもの真理が存在することになる。それは、分析主体の側から述べれば、いくつものシニフィアンを数え上げるということに対応している。つまり「それが私の真理だ」は何度も繰り返されるのである。このような分析主体の行為が中期の臨床形態の骨格である。要するに、前期のアプローチと同様に分析主体と分析家はシニフィアン連鎖を追っていくのであるが、中期ではそれを数え切れないほど繰り返すのである。
 こうした無数のシニフィアンを数え上げるという方法をより具体化するために、幻想の臨床における終わりの部分の理論をもう少し詳しく見ていこう。
 シニフィアンを数え上げその連鎖を追っていくという作業はあるとき終わりを迎える。分析の終わりとは、主体が幻想を反覆し横断していき、エディプス的な布置をもつ根源的幻想(fantasme fondamental)を構成する地点に位置づけられる。この根源的幻想の構成とは「シニフィアンの配列にすぎない」(…)幻想が反覆されることによって享楽が締めつけられ、対象aが浮かび上がる事態を指している。もう少し言葉を足そう。数え上げられていくシニフィアンが幻想を構成し、それによってシニフィアンが享楽を埋めていくかぎりで、埋められないものとしての「享楽の点(…)と呼ぶことができるもの以外に何の地位も持たない」(…)対象a象徴界において実質的な(substantiel)一要素として露わになるのである。極めて単純にいえば、象徴的な諸シニフィアンが現実的な対象aを取り囲み浮かび上がらせるのである。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第四章 ラカン第二臨床あるいは幻想の臨床」 p.86-88)



 正午過ぎ起床。食堂に出向くのがめんどうなので白湯と飴だけで朝昼兼用の食事とする。きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年5月8日づけの記事を読み返す。「実弾(仮)」の資料収集のために2012年3月後半の記事を読み返していた日。以下はロベルト・ムージル『特性のない男』第五巻からの抜き書き。

「(…)なぜなら、健康人と精神病者との相違とは、健康人はあらゆる種類の精神病をもっているが、精神病患者はただ一種類のそれしかもっていない、ということなのですから」

 さて周知のように、腹が立つときに、自分の怒りを誰かにぶちまけるということは、たとえその誰かに責任がない場合でも、じつに大きな慰めとなりうる。しかし同様のことが愛についてもいえるということは、あまり知られていない。だが知られていなくても、それはまさしくそうなのである。愛も、ほかに捌け口が見つからなければ、なんの責任もない誰かに、しばしば吐露しなければならなくなる。

だが疑いもなくわれわれは、何のために生きているのかと、いつでも思い出したがる。これが世界のあらゆる権力(暴力)行為の根源です。

 続けて、ミシェル・フーコー『これはパイプではない』の抜き書き。

マグリットは類似から相似を切り離した上で、後者を前者に対立させているように思われる。類似には一個の「母型(パトロン)」というものがある。すなわちオリジナルとなる要素であって、それから取り得る、だんだんに薄められてゆくコピーのすべてを、自己から発して順序づけ、序列化するものだ。類似しているということは、処方し分類する原初の照合基準(レフェランス)を前提するのである。相似したものは、始まりも終りもなくどちら向きにも踏破し得るような系列、いかなる序列にも従わず、僅かな差異から僅かな差異へと拡がってゆく系列をなして展開される。類似はそれに君臨する再現=表象(ルプレザンタシオン)に役立ち、相似はそれを貫いて走る反復に役立つ。類似はそれが連れ戻し再認させることを任とする原型(モデル)に照らして秩序づけられ、相似は相似したものから相似したものへの無際限かつ可逆的な関係として模像(シミュラクル)を循環させる。

 さらに、ドゥルーズ『記号と事件』からの抜き書き。この時期はやたらと硬派なものばかり読んでいるな。

私たちはプロセスとしての精神分裂病と、病院向けの臨床的実体としてのスキゾの生産を区別する。このふたつはどちらかというと反比例の関係にあるからです。病院のスキゾとは、何かをこころみてそれに失敗し、身をもちくずした人間のことです。私たちは、革命的なものがスキゾだと主張しているのではありません。脱コード化と脱領土化によって成り立つスキゾのプロセスがある、そしてこのプロセスが精神分裂病の生産に変質するのをさまたげることができるものは革命につながる活動をおいてほかにない、そう言いたいのです。私たちは一方で資本主義と精神分析の緊密な関係をめぐる問題提起をおこない、もう一方では革命運動とスキゾ分析の緊密な関係について問題を提起しているのです。資本主義のパラノイアと革命のスキゾフレニー。そんな言い方ができるのは、私たちがこうした用語の精神医学的意味をもとにして考えているからではなく、逆にこれらの用語が社会的にも政治的にも限定を受けるところから出発しているからです。そうしてみてはじめて、これらの用語を特定の条件のもとで精神医学に適応させることができるようになるのです。スキゾ分析の目標はただひとつだけです。それは革命機械や芸術機械や分析機械が、たがいに相手の部品や歯車となりながら組み合わされるということです。もう一度、妄想を例にとるなら、妄想にはふたつの極があるように思われる。ひとつはパラノイアファシズムの極で、もうひとつがスキゾ革命の極。そして妄想はこの両極のあいだを絶えず揺れ動いているのです。私たちの関心をひくことは、結局、専制君主シニフィアンと対立する革命的分裂なのです。
(「フェリックス・ガタリとともに『アンチ・オイディプス』を語る」*ドゥルーズ発言)

開放性はリルケが好んだ詩作上の概念としてよく知られています。しかし、これはベルクソンの哲学概念でもあるのです。重要なのは集合と全体の区別です。このふたつを混同すると、「全体」はまったく意味をなさなくなるし、全集合の集合という有名な逆説におちいってしまうからです。個々の集合は多様きわまりない要素を結びつけることができます。しかし、それでもなお集合は閉じている。相対的に見て閉じられていたり、人為的に閉じられたりするわけです。「人為的に」閉じられると言わざるをえないのは、集合には本来一筋の糸があって、それがどんなに細くても、かならず当該の集合をより広範な集合に結びつけ、結局は集合が際限なくつながっていくことになるからです。全体のほうはまったく違う性質をもっている。時間の序列に属しているからです。全体はすべての集合を横断する。集合が集合に特有の傾向を完全に実現するにいたるのをさまたげるのが、この全体にほかならない。つまり全体は、集合が完全に閉じてしまうのをさまたげるわけです。ベルクソンはことあるごとに注意をうながしている。時間とは開放性であり、変化をくりかえすものだ。時々刻々と性質を変えていくのが時間なのだ、とね。つまり時間とは、集合のことではなく、ひとつの集合からべつの集合への移行をくりかえし、ひとつの集合を別の集合のなかで変形させていく全体のことなのです。

 その後、ニュースをチェックしたり、今日づけの記事もここまで書いたりすると、時刻は14時半だった。

 明日の授業準備をする。はやめに片付いたのでGrim Tidesをちょっとだけすすめる。それから第五食堂でメシを打包し、食し、20分の仮眠をとる。夜食のパンを切らしていたが、(…)まで出向くのがうっとうしいので、第五食堂近くに先日オープンしたばかりのパン屋で菓子パンをふたつ買う。パン屋に向かう道中、「実弾(仮)」リリースのタイミングで個人ウェブサイトを十数年ぶりにたちあげ、そこで『A』と『S』のEPUBとPDFを無料でダウンロードできるようにしようと決めた(『S&T』はたぶん絶版にする)。EPUBでのレイアウトなどもついでに勉強すればいい。BCCKSは不具合がちょくちょくあるしメールの返事もなくて頼りない。Amazonは大資本であるからそこにのっかるのはなんとなく癪だ。もともとろくに金にならない営みをしているのであるし、そもそも文章を書きはじめるきっかけとなったブログだってこうして15年以上無料でばらまきつづけているのだから(しかしそれが大規模言語モデルで一儲けしている連中の餌になっている!)、初心にかえるというか、そもそも大学入学後はじめてインターネットに触れたときのあの驚きと興奮、それはディグればディグるほどおもしろいものがどんどん見つかるあのおもちゃ箱感だったはずだから、そのおもちゃ箱のクソ端っこのほうにじぶんの書いたテキストもやっぱりしのびこませておくのがいい。仮に日本に本帰国することがあれば、紙の本も作ることになるかもしれないが、まあそれは追々考える。じぶんの城が完成したあとは、短編作家として、季節に一本くらいのペースで、その城の本棚に新作を収蔵していくのだ。
 シャワーを浴びる。ストレッチをし、コーヒーを入れ、「実弾(仮)」第四稿執筆。0時前まで。プラス31枚で計497/1007枚。シーン25をいちおうケツまで通したが、まだ弱い、もっとガシガシ書き直す必要がある。シーン24とシーン25とシーン26は前半の山場。ここが折り返し点になる。狙ったわけではないのだが、枚数的にもちょうどそうなっている。
 その後はベッドに移動し、延々とGrim Tidesをプレイしてしまう。ただのアホやね。こういうやつがおるから世の中どんどん悪なんねん。

20230507

 ラカン前期では「大文字の他者大文字の他者は存在する」のであり、後者の大文字の他者は父の名[φ]であることは先に述べた。ラカン中期においては、シニフィアンの集合を中心で支えていた、この後者の大文字の他者は存在しないのである。つまり、父の名が一般的に排除されているのである。そして、この排除された父の名の代わりにシニフィアンの集合[A]を支えるものは、「存在の見せかけ(semblant)」(…)としての対象aである。
 「排除の一般化された様態が含むこと、φxの機能が含むこととは、主体にとっては精神病においてだけでなく、すべての場合において、ある名のないもの、言語を絶するもの[現実的なもの]が存在しているということです」(…)
 「もし大文字の他者において真理と呼ばれるものの一貫性が、いかなる方法でも保証され得ずにどこにもないなら、それはどこにあるのでしょう。あるとすれば、真理延いては一貫性は、小文字の他者[対象a]のこの機能がそれを請け合うもののところにあるのです」(…)。
 この後者の引用をもう少し噛み砕いてみよう。シニフィアンではない「おそらく実質的なもの(substantiel)としての享楽の一要素である」(…)対象aが、シニフィアン連鎖としての大文字の他者[A]に組み込まれていることで、ラカン前期においては大文字の他者の中に見出されていた真理や意味は、保証されなくなる。しかしながら、対象aが存在の見せかけとして機能して、シニフィアン上で論理的一貫性を支えることによって、真理や意味はあたかも大文字の他者の中にしっかりと存在しているようなものとして見出される。また、対象aがこのように見せかけとして機能することで、無意識はあたかも一つの幻想のように提示されるのである。
 このことは換言すれば、大文字の他者[A]は知を想定された主体(sujet supposé savoir)であるということであり、ラカン中期においては「無意識は想定された知である」と定式化できよう。つまり、この時期のラカンにとっては、無意識に書き込まれているはずの真理や意味、さらには無意識自体が想定されたものでしかなく、もっと言えば、それらは幻想なのである。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第四章 ラカン第二臨床あるいは幻想の臨床」 p.84-86)



 何時に起きたかもう忘れた。どうでもええわ。第五食堂で炒面を打包して食す。その後は延々ときのうづけの記事の続き。17時になったところで作業を中断し、ふたたび第五食堂で打包。日曜夜であるのでスタバに行こうかどうか迷ったが、きのう友阿のスタバでコーヒーを打包したばかりであるし、それに腹の調子もきのうにひきつづきちょっとあやしい感じがするので、今日はおとなしく自室待機することに。しかし日曜夜は日本語の本を読むと決めているので、ソファに移動して『ネオリベラリズム精神分析――なぜ伝統や文化が求められるのか』(樫村愛子)を小一時間ほど読む。
 本当はがっつり三時間ほど読みたいところであるが、きのうづけの記事がまだ完成していなかったので、途中でデスクに移動。ようやく完成して投稿したのだが、過去記事からの引用も多く、全部で30000字ほどに達していたので、マジかよ、一年後の今日読み返すときクソめんどうやんけ、最悪や、と思った。
 投稿して、ウェブ各所を巡回し、2022年5月7日づけの記事の読み返し。以下は2021年5月7日づけの記事からの孫引き。

 ここで一つ補足しておかなくてはならないのが、ディスアビリティとインペアメントは一対一対応しないという点です。このことが、私たちが二番めにこだわった、「ASDに関する研究ではなく、綾屋さん個人に関する研究を行う」という方針を導きます。
 例えば、先ほど私のケースとしてお話しした「移動障害」というディスアビリティがありますけれど、移動障害という一つのディスアビリティが発生し得るインペアメントには複数のものがあります。例を挙げるなら、足が動かないというインペアメント、あるいは目が見えないというインペアメントがそうです。「盲ろう」といって、目も耳も不自由な場合、また認知症の場合などにも移動障害は起き得るでしょう。これらインペアメントとしては互いにまったく異なるのに、多数派向けの環境で移動障害が生じ得るという点では共通しています。ディスアビリティとしては一つの同障害ですが、複数のインペアメントが対応する。いっぽうでまた、一つのインペアメントに対して生じ得るディスアビリティの種類もまた多様です。例えば私は移動障害だけではなく、服を着替えるとき、お風呂に入るときのディスアビリティも経験しています。
 しかるにもしASDという概念自体が、純粋なインペアメントを記述する概念ではなく、ディスアビリティが混入したものであるとするならば、十人ほどASDと診断される人に集まってもらったら、インペアメントは十人十色になる可能性がありますよね。ここが私たちが罠だと考えたところです。これが、私たちが当事者研究をすることを決めた際に、「ASDのインペアメントはなんなのか」という問いには答えない、ということを宣言した理由であり、これが綾屋さんと私が強くこだわろうと考えた二点めです。ASDのなかにディスアビリティが混入している現状にあって、ASDと診断される人々に共通のインペアメントを探求するというチャレンジは、論理的に失敗が運命づけられていると考えたのです。じっさい世界中のASD研究で、多様なASD者に共通するインペアメントが探求されていますが、その試みはうまくいかないのではないかと指摘している研究者も少なからずいます。これは概念上の問題であって、いくら経験的な研究を重ねたとしても、そもそもスタートが間違っているのかもしれません。
國分功一郎/熊谷晋一郎『〈責任〉の生成——中動態と当事者研究』 p.54-56 熊谷発言)

 一年前の今日はやはり「実弾(仮)」資料収集のため、過去記事をまとめて読み返している。この日読んだのは2012年3月上旬の記事らしい。『マイルス・デイビス自叙伝』からの引用がどれもこれもクソおもしろかったので引いておく。

オレを追っかけまわしてニガー(黒んぼ)呼ばわりした奴を、おやじは許さなかった。本物のショットガンを持って探しにいったこともある。見つからなかったが、とっつかまえていたらどうなっていたか、考えたくもない。おやじは、とてつもなく強かったが、物事の見方も変わっていた。たとえば、東セントルイスからセントルイスに行く時に、絶対に渡らない橋があった。おやじの説明によるとこうだ。「あの橋は、盗っ人が材料や金をくすねて造ったんだ。頑丈な橋が造れるわけがない。いつかミシシッピ川に落ちるぞ」。おやじは真剣で、死ぬ時まで、この橋がまだ落ちないことに頭を悩ませていたくらいだ。

他におやじが本気で怒ったのは、物置か車庫で火を出して、家まで燃やしそうになった時だ。何も言わなかったが、もし睨むだけで人を殺せるんなら、オレはあの時、死んでただろう。

オレは、自分を自信家だとは思うが、傲慢だとはちっとも思っていない。いつも自分が欲しいものはわかっていたし、自分が求めているものを理解していた。

デトロイトには、半年ほどいたと思う。ヒモみたいなこともやっていたし、オレの周りには、たしか二、三人の女がいた。前みたいにセックスも楽しんでいた。そのうちの一人はデザイナーで、オレのためにはなんでもやってくれようとした。彼女は今、ちょっとばかり有名になっているから、名前は言いたくない。ある日その彼女が、オレを精神科医の所に連れていってくれたことがある。その医者はオレに「オナニーをしたことがあるか」と聞くから、「ない」と答えた。すると、そいつは信じられないという表情をして「ヤクを打つ代わりに、毎日オナニーしろ」と言いやがった。それが唯一の助言だというんだから、オレはそいつこそ精神病院に入るべきだと思った。ヘロインの常習癖を直すのにオナニーだって? まったく、あの野郎は馬鹿としか言いようがない。

カリフォルニアにいた時のことだ。奴が歯医者に行くと言い出して、オレを心配させたことがある。トレーンは二つの音を同時に吹いたが、オレは、それは歯が抜けてるからできるんだと信じていた。あのサウンドも、抜けた歯のせいじゃないかと思っていた。だから、歯医者に行くと聞いた時には、本当に慌てた。で、歯医者の時間にむりやりリハーサルすることにして、延期できないかと聞いた。だが答は「いや、ダメだ。リハーサルには行けない、歯医者に行くんだから」だった。どんな歯を入れるんだと聞くと、「固定するヤツだ」と言うから、オレは、演奏の時に取り外せる差し込み式にするよう、なんとか説得しようとした。奴は「お前は馬鹿か」とでも言いたげな目つきでオレを見ていた。で、歯医者に行くと、ニヤニヤ笑って、まるでピアノの鍵盤みたいに綺麗に並んだ歯を見せながら帰ってきた。『ブラック・ホーク』だったと思うが、その夜のステージでオレは最初のソロを吹き終えると、フィリー・ジョーの脇に行き、トレーンが吹きはじめるのを待っていた。もう奴は前みたいに吹けないと信じきっていたから、オレはほとんど涙ぐんでいた。だが奴はいつものように、あのものすごいフレーズを吹きまくってたんだ。ステージの上には、トランペットを持った馬鹿野郎が胸をなでおろして立っていたってわけだ。

 オレ達が時々モー(Moe)と呼んでいたビル・エバンスがバンドに入ってきた時は、あまりに静かなんで驚いた。ある日、どれだけできる奴か試してみようと、言ってみた。
「ビル、このバンドにいるためには、どうしたらいいか、わかってるんだろうな?」

 奴は困ったような顔をして、頭を振りながら言った。
「いいや、マイルス。どうしたらいいんだろう?」
「ビル、オレ達は兄弟みたいなもんで、一緒にこうしているんだ。だから、オレが言いたいのは、つまり、みんなとうまくヤらなくちゃということさ。わかるか? バンドとうまくヤらなくちゃ」
 もちろん、オレは冗談のつもりで言ったんだが、ビルはコルトレーンのように真剣そのものだった。で、一五分ぐらい考えた後、戻ってきて言った。
「マイルス、言われたことを考えてみたけど、ボクにはできないよ。どうしても、それだけはできないよ。みんなに喜ばれたいし、みんなをハッピーにしたいけど、それだけはダメだよ」
「おい、お前なあ!」。オレは笑って言った。で、奴にも、やっとからかわれてることがわかったんだ。ビル・エバンス、いい奴じゃないか。

ある日一人の女性が、引退した闘牛士を訪れた時の話をしてくれた。その闘牛士は、今は闘牛用の牛を育てているってことだった。彼女が、アメリカの黒人ミュージシャンが作った「スケッチ・オブ・スペイン」のことを話すと、その闘牛士は「外国人であるアメリカ人、特に黒人がそんなレコードを作るのは不可能だ。フラメンコやスペイン文化の知識が少ないからな」と言ったそうだ。ところが、彼女がレコードをかけると、彼は静かに座って聴き入った。終ると、椅子から立ち上がり、久しぶりに闘牛士の服を着た。そして引退してから初めて、自分が飼っていた牛と闘い、殺してしまったという。で、彼女が、なぜそんなことをしたのかと聞くと、「音楽に感動して、闘わずにはいられなくなった」と答えたそうだ。オレには、出来すぎた話で信じられなかったが、彼女は誓って真実だと言っていた。

ウェインは、音楽の規則に従うことに対して、一種の好奇心を持っていた。規則どおりにやってうまくいかなければ、音楽的なセンスで、規則を破ることだって平気でやった。音楽における自由というのは、自分の好みや気持ちに合わせて、規則を破れるように規則を知っている能力だってことをちゃんと理解していた。

ハービーは電気製品が大好きで、ツアーに出ると新しい電気製品を買うのにいつも大忙しだった。すべての演奏を録音したがって、いつも小さなテープ・レコーダーを持ってくるほどだった。そして彼は、ヤクとかそういう理由じゃなかったが、いつも遅刻して、最初の曲の最初のダウンビートから入ってくることが多かった。で、野郎をちょっときつく睨むんだが、なんと彼が最初にやることというのは、ピアノの下に潜って、いい音で録れるようにテープ・レコーダーを調整することだった。調整が終る頃には、オレ達はその曲の四分の三くらいまで行ってるというのに、彼はまだピアノを弾いてすらいない。それが、レコードにもなったオレ達のライブ・レコーディングの初めでピアノの音が聞こえない理由だ。ハービーが遅れるかどうかというのは、いつもバンドのジョークにまでなっていた。

あの頃は白人女の売人がいて、誰も家にいない時なんかに彼女の家までコカインを買いに行っていた。ある日、まるっきり金がなくて、後払いでもいいかと聞いたことがあった。ところが、彼女からはたくさん買っていたし、いつだってちゃんと払っていたのに、「金がなければコカインも無しよ、マイルス」なんて言いやがった。なんとか説得しようとしたが、譲らない。そんな最中にドアマンから連絡があって、彼女のボーイフレンドが上がってくると言う。もう一度だけ頼んでみたが、答は同じだった。で、オレは、ベッドに横になって服を脱ぎはじめた。ボーイフレンドだって、オレが女に手が早いという評判は知っているだろうから、そうしているオレを見て、思うことは、アレ一つしかないはずだった。今度は彼女が帰ってくれと拝まんばかりになった。だが、オレは横になったまま、片手でアレを握り、もう一方の手をヤクのほうに差し出して、ニヤニヤ笑っていた。彼女がヤクを渡すことは間違いなかった。で、まんまとせしめたんだが、ヤクを受け取って出ていくオレを、彼女はさんざん罵っていた。エレベーターのドアが開いて、彼女のボーイフレンドが横をすり抜けたとき、男は「この黒んぼはオレの女と一緒だったのかな?」という、ちょっと不審げな目つきをしていた。あれ以来、二度とあそこには行っていない。

 それから、これは手元にデータとして残っている最古の日記になるかもしれないのだが、2004年の5〜6月にかけての出来事と記されているものも引かれている。大学一年生。鴨川でのできごと。ブログをやりはじめてほどない頃だろう。本を読む習慣はたぶんまだない。

初老の男性が一枚の紙を持ってやって来る。その紙には鉛筆で描かれた女性の似顔絵が。
おじさん「こいつを君の手で完成させてくれ。」
口に含んでいた茶を派手にブチ撒いた。意味が分からず事情を訊ねた。
おじさん「この間、急にこれを預かってくれって言われて、すごく高そうなダイヤをいきなり渡されたのよ。全くの初対面の人にいきなりだよ?○○さんって言うらしいんだけどね、名前だけ告げてすぐに去っていったんだ。それで連絡先に●●っていう会社を教えてもらったんだけど、そこに連絡しても、そんな社員はいませんって言うんだよ。仕方ないからその人の顔を思い出して、こうやって似顔絵描いて聞き込んでるんだけど、ぼく絵下手だからね。だから君に描いて欲しいの。」
嫌な予感を全身に感じながら、おじさんの指示に従って、徐々に似顔絵を仕上げていく。完成したものは明らかに東南アジア風の女性だった。予感が確信に変わる。
おじさんは千円札を置いて、去っていった。どうかあのおじさんが事件に巻き込まれていませんように。

 このレベルからはじめたんだなァと思う。ほんま継続は力なりや。しかしこの時点ですでにわけのわからんできごとや人間に遭遇しやすい体質ができあがったとったわけか。なんでこんな星のもとに生まれてもうたんや。
 それから2013年5月7日づけの記事も読み返して、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。シャワーを浴び、ストレッチをし、ヨーグルトとトーストを食し、今日づけの記事もここまで書くと、時刻は1時をまわっていた。

 歯磨きをして寝床に移動。その後は朝方までひたすらだらだらした。日記にほぼ一日もっていかれた日の夜って、きまってこんなふうにだらだら過ごしてしまう気がする。しんどいねん。

20230506

 対象aについては、一般的にはそれは失われた対象であり、ウィニコットの移行対象と似た概念であると言われており(…)、その具体的な現れは乳房、糞便、声、眼差しであるとされる。こうした対象aが象徴化の残余であると言われるとき、重要なのはこの対象が「穴の現前、空の現前にすぎない」(…)ということである。このことは対象aは意味や中身のない空虚な対象であるということを端的に示しており、それはこの対象が「享楽(jouissance)の等価物として機能することができる」(…)現実的なものであるからである。ラカンの理論においては、シニフィカシオン(signification:意味作用)はシニフィアンの連接によって隠喩的に産み出されるということからわかるように、意味は象徴界によって保証されているが、現実的なものである対象aは意味が付与されない対象であって、象徴化という分析過程において主体が象徴界でいくら意味を見出しても意味づけできない点として残るものなのである。ラカンを引こう。

 「シニフィアンの場としての大文字の他者にしたがっているので、主体は割り算の商として印づけられます。主体は大文字の他者の領野においてシニフィアンの一なる印(trait unarie)によって印づけられるのです。(…)ある残余があり、それは割り算・分割の意味における残滓です。この残余、(…)それは「a」なのです」(…)。

 このように対象aは象徴化の分析における残余という地位を持っている。ラカンにとって、パロールの効果によって大文字の他者の中で実現される主体は「自身の半分に過ぎない」(…)。主体の残りの半分は象徴化の分析ではなく、「自分自身から永久に失われてしまった部分の探究」(…)、すなわち対象aの分析によって実現されるのである。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第四章 ラカン第二臨床あるいは幻想の臨床」 p.83-84)



 正午前後に起床。一年生の(…)くんから昨日買ったアスカの置物の写真が届く。かなり気に入っている模様。今日の夜は(…)さんと(…)さんのふたりと(…)の名物である擂茶なるものを食いにいく約束になっていたのだが、同行者がいるらしくそのためのグループチャットが形成された。メンバーは先のふたりのほかに、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん。のちほど(…)くんも加わったので、こちらを含めて13人の大所帯になる。前回参加しそびれたピクニックメンバーより人数は多いのだが、そのときいたはずの(…)さんは今回参加しておらず、これは元カレである(…)くんがメンバーにいるからなのかもしれないし、単純に主催の(…)さんと(…)さんのふたりが彼女のことをあまりよく思っていないからなのかもしれない(これは完全にこちらの推測であるが、これまでの言葉の端々からなんとなくそういう印象を受けていたし、のちほど書くが、今夜またあらたにひとつこの疑惑を裏打ちするできごともあった)。こちらは(…)さんを高く買っているし、彼女もしばしばこちらとコミュニケーションをとりたがっている、というかなんだったら重大な何かを相談しようとしているという気配が見え隠れしているので、カフェかどこかで一度ゆっくり話す機会を設けたほうがいいのではないかという思いがずっとあるのだが、これまで授業外でろくすっぽ交流がないところで突然こちらとふたりきりで会うというのは緊張するだろうし、まずはこういう場からはじめてステップバイステップでと思っていたのだが、うーん、どうしたもんか。やっぱり相手が女子学生ということもあり、こちらからサシで会いましょうともちかけるのは、たとえそれがどのような文脈にある提案であったとしても、ちょっとおっかなびっくりになってしまう、というかこれはじぶんに禁じている。先日瑞幸咖啡でだべった二年生の(…)さんのように、サシでの約束というのがあくまでも相手のほうからの要望である場合は問題ないのだが。

 第五食堂で炒面を打包する。食したのち、きのうづけの記事はあとまわしにすることにして、「実弾(仮)」第四稿執筆。13時半過ぎから17時過ぎまで。シーン25をちょろっと加筆修正。麻痺を解除するためにフォントを明朝体からヒラギノに変更した。
 作業中、(…)くんと引き続きちょくちょくやりとり。(…)大学で院生をしている(…)さんからは翻訳に関する質問。成語をはじめとする中国語に固有の表現については、無理に逐語訳するのではなく、ときには思い切ってバッサリと意訳する勇気も大切だということを解説しがてら伝える。名門大学にもかかわらず日本人教師がいないためだろう、(…)さんは(…)((…)のこと)に帰りたいと言った。
 17時をいくらかまわったところで出発。外はあるかなしかの小雨。気温はひさしぶりにかなり低下しており、この時点でたしか16度ほどしかなかったのではなかったか、こちらはヒートテックにセーターという格好で出たわけだが、帰路ではそれでも寒い寒いとなった、せめてヒートテックを極暖にしておくべきだと悔やんだ。フリースタイルしながら南門まで歩く。男子学生らが先着している。(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、そして先のグループチャット結成時のメンバーには加入していなかった(…)くん。(…)くんと(…)くんのふたりはキャンパスで何度かすれちがっているが、あとの面々は今学期初顔合わせということになるか。先生かっこいいですねとこちらの服装を見ただれかがいうので、いつもかっこいいよと応じる。(…)くんの着ているadidasのナイロンジャケットがかっこよかった。黒字に蛍光緑と蛍光紫のラインが走っている、ちょっとvapor waveっぽいテイストのもの。
 ほどなくして女子らもやってくる。(…)さんと(…)さんのふたりはしょっちゅう会っている。(…)さんと(…)さんのふたりは今学期初。(…)さんと(…)さんのふたりはキャンパスですれちがったことがあるような、と、書いたところで思い出した、以前いっしょに東北式の火鍋を食べに行っている。
 目的地まではバスで移動するとのこと。(…)に通うときに乗るいつものバス停からいつも乗るのとは別のバスに乗っていつものように最後尾の窓際を陣取る。となりには(…)くんが来る。連休中はどうしていたのかとたずねると、南昌を旅行していたというので、うちの学生みんなあそこに旅行に行っているねと応じる。南昌市は浙江省の都市。(…)くんの故郷はおなじ浙江省の温州市であるので、ついでに帰省したのかとたずねると、連休は五日間しかなかったので故郷には寄らなかったとの返事。以前はもっと連休が長かったのにねというと、調休が導入されてから短くなってしまったというので、あれはでも割と最近の仕組みだよね、ぼくが中国にきた当初は国慶節も労働節ももっと長かった、だから中国は祝日が多くていいなと思ったけどいまでは日本より休みが少ない、あれはやっぱり経済的な理由で導入されたものなのとたずねると、主な理由としてはそうだと思うという返事。(…)くんは今学期祖父を亡くしたという(モーメンツの投稿でいちおうこちらは知っていた)。それで故郷に帰省した折、家族から大学院を目指すようにいわれたのでいまは勉強をしているというので、え? マジで? とびっくりした。先学期だったと思うが、自分の下にはまだ妹がいるしこれから学費も必要になってくるから、大学院には進学せずに働くことに決めたという報告があって、そのときは都市部出身のわりにはけっこう貧しい家庭なのかもしれない、両親からそうするようにほのめかされたのかなと思ったのだったが、もともと両親は(…)くんの大学院進学については特に意見を持っていなかったらしい、ただ彼自身の意思で進学はせず働くことにしようと決めていたという。(…)くんは高校一年生から英語の代わりに日本語を勉強している。院試には英語が必要じゃないのかとたずねると、(…)さんのいる(…)大学には入試に英語の必要ないコースがあるというので、あ、去年(…)くんが狙ったコースだなと思った。しかし死ぬほど勉強熱心であった(…)さんで口利き含めてのぎりぎり合格、将来は東大に進学すると勇みまくっていた(…)くんでは箸にも棒にもひっかからなかった(…)大学に、これまで決して熱心に勉強してきたわけではない(…)くんで太刀打ちできるかといえば、これは実際かなり厳しいだろう。というか毎年のように書いているが、うちの学生たちは院試に挑戦するのであれば、それ相応に事前調査をしろよと思う、志望校の絞り込みにはほとんど時間をかけずろくに調査もせず、ただ先輩が進学したという理由だけでおなじ大学院を受ける学生がマジで多すぎる、なんなんだろこれはと思う。(…)くんはいま日本語を勉強している。受験科目はほかに百科と政治。政治については最後の二ヶ月間取り組むだけでいいというので、それで間に合うのとたずねると、いま政治を勉強したところでそのあとになにか政治上の大きな動きがあって変更点など出てきた場合すでに勉強した分が無駄になってしまう、だから政治の勉強というのは受験勉強期間の後半に詰め込むのが一般的なのだという返事があり、あ、そんなリアルタイムな話題が出題されるんだ、とおどろいた。ま、学校で使う政治の教科書に、故人でも過去の偉人でもない現役の国家主席である「習近平思想」にそれ相応の紙幅が割かれている、そういう社会のそういう科目であるのだから、テストも当然そういうふうになるわけだ。
 会話中、(…)くんは何度もじぶんの「くちことば」能力が落ちたと嘆いた。こちらとしては特にそういう印象はおぼえなかった。彼はクラスのなかではたしかに口語能力の高い学生であるが、だからといって元々流暢というレベルでは全然なかったし、今日にしたところで、つまりながらどもりながら話すその口ぶりに、なんかなつかしいな、(…)くんってこういう不器用で優しい語り口の持ち主だったよなと思ったのだった。口語能力については、一度しっかり身につけたものであれば、錆びついたとしてもすぐにまた磨きなおすことができると受けあった。実際、そういうもんだ。実家で一年半ちょっとオンライン授業をしていたあいだ、英語なんてまったく使わなかったそのせいで、中国に再入国した直後は(…)とのやりとりになかなかけっこう苦労した、いまでこそ簡単な用件であればおたがい電話ですませるわけだが、上海の隔離ホテルにいるあいだにかかってきた電話になんてまともに対応できなかったのをおぼえている(あれはマジで凹んだし、じぶんのアホっぷりが情けなくなった!)。
 夏休みには日本旅行に行くという。友人が今年大学を卒業する、それで卒業旅行として日本に行くというのでじぶんも一年はやいが同行することにしたというので、あれ? (…)くんってもしかして浪人しているのかな? と思った。単純に年上の友人がいるというだけの話かもしれないが。滞在先は東京。一週間ほどの予定。本当は関西にも行きたかったのだが、新幹線代が思っていたよりも高かったので、東京や横浜などを中心にめぐることに決めたという。いっしょに旅行する友人たちはみんな高校時代から日本語を勉強しているオタク仲間だという。秋葉原は絶対にいくというので、中野ブロードウェイという場所もいいらしいよとすすめる。すすめておきながらアレだが、こちらはその中野ブロードウェイのことをよく知らない、ビルなのかモールなのかわからんが、サブカル的な店舗が密集しているそういう場所だというぼんやりしたイメージしかないので、その場でスマホVPNをかませてググり、あ、こういう商業施設みたいだねと彼に説明する。(…)くんは絶対にここに行くといった。一日中ここにいてもいいという。ウェブサイトのフロアマップを見ていたら、中国整体の店があったので、ちょっと笑った。
 スピーチコンテストの話にもなる。三年生はだれが出場するのだろうというと、じぶんの知っているかぎりは(…)くんと(…)くんだという。(…)くんはわかるけれども(…)くんは意外だと口にすると、だれも参加したがらない行事や催し事にたいしては学籍番号順にもちまわりで参加しなければならないというクラスのルールがあるのだと、(…)くんはかなりつっかえつっかえの言葉で説明した。だから校内予選にはいちおうそのふたりが出場することになっているが(だれも参加しないわけにはいかない)、本戦に出場することになるかどうかはわからないという。こちらとしてはそれこそ、このタイミングで(…)さんが参加してくれればいいのにと思わないこともないが、彼女はおそらく院試に挑戦するだろうからコンテストには参加しないだろう。
 バスの車窓外に友阿を認める。ということはあるんじゃないかと目を凝らすと、あった、セブンイレブンの看板がたしかに見つかったので、(…)さんと(…)さんのふたりにセブンイレブンがあるよと伝える。バスは次第に郊外に向かった。「老年大学」の門があったので、あれ、なんかこの言葉知っている気がするぞと思いつつ、学生らにたずねると、定年を迎えた老人らが勉強したり運動したりするようなところだという。それで、あ、市政府の依頼でやっていたニュース記事の翻訳でここの話題が一度出てきたなと思い出した。
 移動時間はかなり長かった。たぶん40分ほどバスに乗っていたことになるのではないか。始点から終点まで移動したかたちらしい。さらに終点は(…)のわりと近くだった。そこから目的地まで歩く。ひなびて荒れ果てた一帯。背の低い建物が舗装のぼろぼろになった道路沿いに点在している。風景に色味がとぼしい。自然の緑もなければ、人工物のあざやかかつカラフルな色彩もない、ただただ殺風景であるなかを小雨に降られて歩いている最中、いまでこそこのほとんど不吉に荒廃した印象すらもたらす郊外の風景に慣れたものの、はじめての入国後、(…)から(…)まで車で移動する最中に窓外に認めたこの手の風景にはけっこうびっくりしたよな、没落した社会主義国家の廃虚という印象を受けたんだよなと思いだした。
 歩いている最中、(…)さんが例によってスマホで動画を撮影しはじめた。あとでまたまとめてネットに投稿するつもりなのだろう。(…)さんからは、かなりいまさらであるが、おひさしぶりですとあったので、ひさしぶりだねと笑って対応。彼氏は今年卒業でしょうというと、そうですというので、どこに行くのとたずねると、浙江省という返事。じゃあ(…)さんも卒業したら浙江省に行くのとたずねると、たぶん(…)に行くという返事。だから遠距離恋愛になるわけだ。
 店の場所はだれも知らないわけだが、アプリを頼りにして歩いたところ、たぶん10分もかからなかったのではないか、無事に到着した。擂茶の看板はまずまず新しかったが、店そのものはかなりボロい。車の全然通らない道路の対岸にもやはり擂茶の看板を出している店が二軒ある。われわれの入った店には先客もけっこういた。13人の大所帯であるしだいじょうぶだろうかとちょっと心配したが、問題なかった、一階には大きめの中華テーブルが四つほどあり、そのうちの二つはすでに地元の老人らによって占められていたが、残ったひとつに椅子を追加してぎゅうぎゅう詰めになって座った。二階は店の人間の住居スペースらしい。
 いつ注文したのかはわからないが、店の女将さんがすぐに菓子類を盆にのせてあらわれた。前菜ということなのだろうか。それから複数のおかずが次々に運ばれてきたのだが、肝心の擂茶というのはどろどろのおかゆみたいな食い物だった。保温のきくピッチャーみたいなものに入っているそのどろどろのやつを碗にそそぐ。で、塩を入れるなり、砂糖を入れるなり、あるいは同時に運ばれてきたよくわからん調味料を入れるなりして食べる。もちろんおかずをそこにぶちこんでもいい。まずは調味料なしで食ってみたのだが、生姜の強烈な味がするほかはほぼ無味無臭(ちょっと甘酒っぽい香りがしたかもしれない)。その後、(…)くんのすすめで砂糖を入れて食ってみたが、これはなかなかうまかった。運ばれてきたおかずの大半は唐辛子まみれだったので、砂糖の甘さに助けられたというのもある。こちらの大好きなきゅうりとパクチーをにんにくとごま油と唐辛子であえたやつも出てきたのでバクバク食った。
 ちなみに、これを書いているいま、あらためて擂茶ってなんやねんと思ってググってみたのだが、日本語では台湾の情報がメインでヒットする。「たびこふれ」というウェブサイトの「【台湾】食べる健康茶「擂茶(れいちゃ)」とは?体験するなら客家文化の息づく集落へ」という記事(https://tabicoffret.com/article/75805/)には以下のようにある。

「擂茶(れいちゃ)」とは、その名の通り雑穀や豆などを擂(す)ったものにお湯を注ぎ、レンゲでいただくお茶のこと。中国大陸から、アジア各地への移住を繰り返してきた民族である客家民族の間では、お客様をおもてなしする時に用いられ、古くは薬として飲まれていたこともある伝統的な飲みものです。
薬と言うと、何となく苦いものをイメージしがちですが、ほんのりとした甘みがあり食物繊維も豊富に含まれています。うれしいことに身体のほてりを冷ましたり、美容効果があるとも言われてる擂茶は、女性にうれしい、いいことずくめなお茶なのです。

 以下は英語版のWikipediaによる説明。popular areasとして“Hunan, Jiangxi, Guangdong, Guangxi, Fujian and Taiwan.”が挙げられている。

The custom of lei cha began in the Three Kingdoms period or even Han Dynasty. It is very common among Hakka people in Hakka regions of Taiwan. It is brought by Hakka people to Taiwan, Indonesia, Malaysia, and any locales with a substantial Hakka diaspora population. Besides Hakka lei cha, lei cha is also traditional among Hunanese people in northern Hunan.
Lei cha is not the same as Taiwanese tea because there are always other ingredients. Ground tea consists of a mix of tea leaves and herbs that are ground together with various roasted nuts, seeds, grains, and flavorings.

 食事がすんだところで写真撮影。トイレに行っている(…)さんを待っているあいだ、(…)くんが店で飼われているやつっぽい灰色の猫を見つけてなでまわしていたので、こちらもくわわったのだが、こいつがもう信じられないくらいのデブ猫だった。しかし人間慣れしていておとなしく、みずから腹をなでろとその場にごろんとしてみせる始末で、なかなかふてぶてしい。それでせっかくなのでそいつを抱っこして写真撮影にのぞもうと思ったのだが、(…)さんがその猫は妊娠しているみたいなことをいうので、あわてて解放した。しかしこれは事実ではなく、(…)さんの勘違いだった、あまりにデブだったのでてっきり妊娠していると思ったらしい。
 店の外に出る。出た先で今度は(…)さんと(…)さんとこちらといういつもの三人でも撮影(撮影係は(…)さん)。会計は(…)さんが払ってくれたので、グループチャット上で割り勘機能を使って支払う。ひとり16元ほど。外はおそろしく寒かった。気温が低いだけではなく、風がびゅうびゅう吹いていたのだ。あまりに寒いので、みんなして風を背中で受けるべく後ろ向きで歩きながらバス停に向かう。バス停でバスを待っているあいだ、脳内ビートにあわせて小声でフリースタイルしていると、指をパチパチやっているこちらがダンスでもするものと思ったらしい(…)さんがとなりにやってきて、くねくねとふざけてダンスのまねごとをしはじめるので、それにあわせてこちらもくねくねやる。(…)さんはスマホの画面をこちらにみせた。英語の辞書アプリ。extrovertという単語が表示されている。先生はこれですというので、外向的であり社交的であるという意味だなと察する。学生のほとんど全員はこちらがそういうタイプの人間だと思っている。授業中は、というか学生と接するときはなるべくそういうふうによそおっているのだから、その印象は絶対に間違ってなどいないのだが、しかし彼女らはこちらが他人から誘われでもしないかぎり、一ヶ月でも二ヶ月でもひとりで部屋にとじこもり続けるようなタイプであることを知らない。コロナのせいで実家に滞在していたおよそ一年半の間、弟はこちらが全然外に出ないことにびっくりしていた。自分も相当出不精だと思っていたが、(…)ちゃんがまさかここまで出不精だとは思ってもみなかったと、ニート暦15年の男に言わせたほどの実力者である。社交は得意だが、だからといってことさら好きではない。いつだったか(…)さんに、(…)ちゃんはひとのたくさん集まるところに出かけたら主役になれる能力があるのに、そういうことを好んでしようとしない、それがじぶんのような人見知りでコミュニケーションの苦手な人間からすると信じられない、宝の持ち腐れにしか見えない、みたいなことを言われたこともあった。好きなことと得意なこととの食い違い、それは当人にとっての悲劇であり、他者にとっての喜劇である。
 バス停は始点。時間が時間であったので車内は貸し切り。しかるがゆえにみんなわーわー騒ぐ。このメンツで大所帯となると、毎度かならずそうなるわけだが、学生らは次第に中国語でしか会話しなくなる、というかこのクラスで日本語でまともに意思疎通できるのは(…)くんと(…)さんくらいである。で、女子学生でいちばんおしゃべりな(…)さんと男子学生でいちばんおしゃべりな(…)くんの会話にいったん火がつきはじめるともう止まらなくなり、だからといってそのやりとりをいちいち日本語訳してもらうのもアレであるし、それができる学生もかぎられているしというわけで、次第に置いてけぼりになる。(…)さんは空気を読むのに長けているので、そういうときに先生がつまらなくなってしまうみたいなことを言って気をつかうのだが、こちらとしては別にもうそれはそれでいい、こうしたお出かけが以前のように頻繁にあるのであればさすがにしんどいが(おれの時間を奪っておいておれを置物扱いするな!)、集団での会食なんていまはそれほど頻繁にあるわけでもないのだから、学生同士自由に楽しめばいいというわけで、今日は放っておく構えに。それに、食後に乗り物にのるとこちらはきまって眠くなるのだ。
 そういうわけで眠たい目つきで窓外の景色をしばらくながめて過ごした。友阿の前に到着したところでバスをおりる。セブンイレブンをのぞく計画だったのだ。(…)くんと(…)くんのふたりは先に帰るということでここでお別れ。セブンの店舗は以前おとずれたローソンの店舗よりは広かった。それでも日本のコンビニに比べると半分以下のスペースしかない。飲み物はほとんど中国メーカーのものなのだが、お菓子のコーナーには日本メーカーのものもちらほら。アイスのコーナーにはピノや抹茶モナカなどもあったが、当然すべて割高。おにぎりもあった。サイズは日本のものよりひとまわり小さいが、値段は4元ほどと安い。具材はやっぱりローカライズされており、肉入りのものが目立つ。そのなかでもまだ日本テイストの残っている海老マヨっぽいやつをせっかくなので夜食に買うことにした。あとはチョコレートのケーキ。レジ前にはホットスナックもおでんもある。こちらの前に並んでいる若い女子が会計を現金ですませていたので、ちょっとぎょっとした。中国人が現金で支払いをするところを見るなんて何年ぶりだろう。
 店の外に出る。(…)くんはこちらを真似ておにぎりをふたつ買っていた。その場で食べるために電子レンジで温めてもらったというので、日本では一般的におにぎりを温めることはないんだよと応じた。応じたところで、いやでもそうじゃないのかな、たまたまじぶんのまわりがそうしないというだけでコンビニでおにぎりを温めてもらうひとも一定数いるのかなと思った。ちなみに中国人にとって冷たいメシというのはありえないという話を聞いたことがある。だから日本旅行時、駅弁を買ったのに中身が冷たかったという理由でトラブルになったとかなんとか、そういう記事をずっと以前ネットで見かけた記憶もある。
 (…)くんはいちご味のハイチュウ、(…)さんはチロルチョコをひとつ買っていた。チロルチョコはいちばんベーシックなあのホルスタイン柄のミルクチョコのほか、きなこ味、すいか味など複数あり、先生どれがおいしいですか? とたずねられたのだが、チロルチョコなんて最後に食ったのは中学生のころではないか? いや、もしかしたら京都時代に食っているかもしれないが、仮に食っていたとしてもこちらが食う機会があるとすればそれは(…)で(…)になっているときに決まっているので、うまいもクソもない、味の違いなんてろくにジャッジできない。
 (…)でミルクティーを買っているという(…)さんが戻ってくるのをおもての広場で待つ。カートゥーンテイストのクマのオブジェに(…)くんがひとりもたれかかっている。その彼にむけて、(…)さんをはじめとする女子学生何人かが、やたらと甘ったるい、ちょっとぶりっこじみた声で彼の名前を呼びかける。(…)さんがその後中国語でほかの面々にその声の由来みたいなものを説明したが、そのなかに(…)さんの名前が聞き取れた。同時に出てきたほかの単語から推測するに、どうやら前回みんなでピクニックした際、(…)さんが(…)くんに写真を撮ってほしいとお願いした、そのときの悪意たっぷりの声真似らしい。それで、やっぱり(…)さんらと彼女との関係はあんまりよろしくないんだなと察したのだった。
 寒いので友阿の中に入る。(…)さんと合流し、すぐそばにある雑貨屋をのぞく。入浴具、洗面具、室内雑貨のほか、菓子類などが陳列されているのだが、日本製のものがかなり多い。ここでは(…)さんが大量に買い物した。ガラス張りの壁際にソファがあったので、買い物した学生らが会計をすませるあいだ、ほかの学生らとそこに座って待った。窓の向こうにあるビルに「武道」の二文字を含む赤いネオンが灯っていたので、あれはなんの道場かとたずねると、韓国のという返事があったので、あ、テコンドーかと察する。
 店を出る。大学までバスで向かうか、歩いて向かうかと問われる。正直バスに乗ってさっさと帰りたい気分であったが、学生らはまだまだ楽しみたい感じだったので、どちらでもいいと応じる。案の定、大学まで小一時間歩いて帰ることになる。だったら給油が必要だというわけで、すぐそばにあるスタバに立ち寄ってコーヒーを買う。唐辛子たっぷりのメシを食った直後であるし、今日は朝からちょっと腹の具合があやしかったしで、だいじょうぶかなという不安もあるにはあったのだが、長い帰路をコーヒーなしで歩くのはしんどい。そういうわけでホットコーヒー片手に歩き出したのだが、10分と経たないうちに、やばいきざしに見舞われた。(…)くんとならんで歩きながら、本当はインターンシップに参加したかったのだが、両親の反対があってうんぬんかんぬんと語る彼の言葉をさえぎり、(…)くん! ちょっとやばい! うんこしたい! トイレどこ? と言った。ほかの学生におなじようにたずねると、みんな周囲をのんびりしたようすで見渡すのみ。これはやばいと思ったので、(…)さんに通訳をお願いして近くにあるコンビニに駆け込む。レジに入っている若い女性から奥へ行くようにとうながされたのだが、扉をあけようとすると、別の年長の女性店員からなにやら声をかけられる。トイレはないといっているのか、貸せないといっているのか、どちらかわからないが、とにかくここはダメらしい。それで(…)くんといっしょに小走りになってトイレのありそうな店を探すことに。ほかの学生らは後ろからのんびりついてくる。(…)さんが後ろから「どうしよーかなー先生ー!」とこちらの窮地を茶化すような言葉を口にするのが聞こえる。いやただうんこしたいだけちゃうねん! 下痢やねん! マジですぐにでも漏れそうやねん! と心中で抗議する。レストランが目につく。カウンターに飛び込む。(…)くんが通訳してくれる。無事奥にあるトイレを借りることができる。小走りでそっちに向かうこちらに対して、先生! 紙ある? と(…)くんがいうので、ある! と応じる。便所の扉はふたつある。男女のマークがない。どっちがどっちがわからんが、とりあえず中に入る。個室がふたつある。そのうちのひとつに入ると、使用済みのトイレットペーパーが捨ててある屑籠のなかに血のついたものが混じっていて、女子トイレやんけ! と思うが、もうそんなことを考えている余裕などない。中国のトイレとしてはめずらしいことに、ここはトイレットペーパーが備え付きだった。
 なんとか助かった、ぎりぎりだった、危なかった。マジでもう唐辛子を食ったあとにコーヒーを飲むのはやめたい。先学期の終わり頃、(…)さんといっしょにカフェでメシを食った夜も、唐辛子たっぷりパスタにコーヒーのコンボでマジで死にかけたのだったし、とにかく唐辛子とコーヒーの相性は最悪だ。マジでやばい。ほぼ100%腹を下すことになる。
 店を出る。(…)さんにあずけていたコーヒーを受けとる。(…)さんもトイレを借りているとのことだったので、彼女がもどってくるのを待つ。合流したところで帰路の続きをふたたびたどる。歩道橋を渡る。階段をあがった先に小学生らしい男女が数人いる。日本語で会話するわれわれのほうを見て、外国人だと声をひそめて話すのが聞き取れたので、对啊! 我们是外国人! と言ってやると、学生らはみんな笑った。小学生らはちょっとびっくりしているようすだった。ぼくのこと鬼子だと思っているのかなというと、学生たちはまた笑った。
 残る帰路は(…)さんと(…)さんとならんで歩く。(…)さんはもしかしたらいちばん日本語能力が高いかもしれない学生なのだが、他人と交流するのが苦手で、こういう集団での場となると毎回かならず(…)さんもしくは(…)さんのそばにぴったりはりついて離れない。日本語もほぼ話さない。もったいないよなと思う。そのせいで、一年生当時はまず間違いなくいちばんだった会話能力も、今日話してみた感じ、(…)くんに劣るレベルになっている。(…)さんは反対に、日本語はクラス最下位レベルのからっきしだが、コミュニケーション能力自体は高く、こちらに対してもまったく物怖じする気配がない。友人からビデオ電話がかかってきた彼女の背後にまわりこみ、後ろから中国語で彼女の悪口をふざけて口にしたりすると、げらげら笑いながらもこちらにおもいきり肩パンしてみせるくらいアグレッシブなところもある。
 道中、(…)さんはかなり疲れているようだった。信号待ちになるたびにその場にしゃがみこんでしまうくらい。けれども周囲の学生らはあまり気にしない。ここからでもバスかタクシーに乗ればいいのにとこちらなどは思うのだが。それでもどうにか大学にたどりつく。南門の前で老校区に寮がある男子学生らとは別れる。残った一同で新校区へ。日本語の悪口を教えてほしいみたいなことを(…)さんと(…)さんがいうので、いまどんな言葉を知っているのとたずねると、「バカ」「アホ」「てめえ」「ゴミ」「クソ」という返事。「ボケ」「カス」「クズ」「ハゲ」をレクチャーする。それに続けて、日本人女性はみんなやさしいですか? と一年生みたいな質問をしてみせるので、やさしいひともいればそうでないひともいる、それは日本でも中国でも韓国でもアメリカでもイギリスでもおなじでしょうと諭す。こういう質問にはある種の社会的病理が見え隠れする。
 女子寮前に到着したところで別れる。ひとり寮にもどる。帰宅。どっと疲れた。ひとまずフリースタイルしてあたまのなかを洗濯することにするが、出てくる言葉にいきおいもないし意外性もないし、あーWPが枯渇しているなという感じ。
 シャワーを浴びる。ストレッチをする。二年生の(…)さんから微信が届いている。はやくも作文コンクール用の原稿を書きあげたらしい。作文のテーマは結局、日中友好条約うんぬんかんぬんという政治的な方面のものに変更したらしかったが、ざっと斜め読みしてみた感じ、一年前に類似のテーマで書いた作文よりもはるかに構成がしっかりしていたので、これはいいな、文章のミスだけ直したらそれだけで応募できるわ、と思った。内容にかんしてはテーマがテーマだけに当たり障りのないものにならざるをえない、だからこそ構成力がものをいうわけであり、一年前の作文はちょっとそこに難アリだったわけだが、今回はマジで手を加える必要がないほどしっかりしていたし、あとは単語のセレクトや表現なども一年前のものにくらべるとそれほど直接的ではない、ある種玉虫色ともとれるようなニュアンスが散りばめられていたので(一年前のものはいかにも愛国少女的な、日本を一方的に糾弾しまくるだけの内容だった)、うーん、大人になったな、とちょっと思った。
 きのうづけの記事の続きを書いて投稿する。"Look here, darling," he said. "The third and the ninth as usual. Twig?”の件について、(…)くんに続き、(…)さんがブログのほうにコメントしてくれていた。安藤一郎訳のものを写真に撮ってメールで送ったとのことだったので、確認してみると、やはり(…)くんの解釈と同じで、これはダンスのプログラムについての言及らしい。ちなみに(…)さんはChatGPTでも試しに質問してくれたらしく、その経緯は以下の通り。

ちなみに翻訳に続けて以下のように質問してみました。


先ほどの小説の一部である"Look here, darling," he said. "The third and the ninth as usual. Twig?"とはどういう意味でしょうか。当時のイギリスのBallの文化的背景に関わるものだと思われますが、教えてください。
ChatGPT
「Look here, darling," he said. "The third and the ninth as usual. Twig?"というフレーズは、Katherine Mansfieldの小説「Her First Ball」の一場面で、イギリスの上流社会におけるダンスパーティーの習慣に関係しています。
「The third and the ninth as usual」とは、ワルツのステップ指示の一つで、基本的なステップである「左足、右足、右足、左足、右足、右足」という順序を指しています。「Twig?」は、「理解した?」という意味で、ラウリーがローラにこのステップを踏むように誘っていることを問いかけています。
19世紀から20世紀初頭にかけてのイギリスの上流社会では、ダンスパーティーが一般的な社交の場とされており、ワルツは主流のダンスの一つでした。ダンスは、社交的なスキルやマナーを身につける重要な機会とされ、ダンスパーティーでは踊り方やマナーが厳密に規定されていました。そのため、このようなステップ指示は、上流社会で共通の言語として使われていました。小説「Her First Ball」では、ローラが初めてダンスパーティーに参加する若い女性として、このような文化的背景が描かれています。


安藤一郎の翻訳における解釈とは異なりますね。
ご存じのようにChatGPTは知らないことを知らないと言わないので、どこまで信用できるのか不明ですが、三拍子のダンスのステップ指示なら三番目と九番目というのも理解できますし、膝に手を置いていること点と符合しますね。
ただ三拍子目と九拍子目にしか足を動かさないとすると、動きが少なすぎますね。片方の足のステップのみ伝えているのか?でもそれだと上記のChatGPTの回答と一致しない。細かいところはよくわかりません。

 おもしろいなと思った。これが単にいわゆるhallucinationでしかないのか、あるいはそういう読みも実際に可能であるのか、こちらにはそれを判断する力量はないのだが(なんとなくだが、そういうふうに読めないこともないが、ややこじつけに近い感じになるというのが実際のラインではないかという気がする)、いずれにせよ、このくだりをどう解釈すればいいのかわからずに困ってしまったという経験が、Mansfieldモダニズムの作家であるという文学史的な事実をちょっとこちらに意識させるきっかけになったことは確かだ。ひとところに落ち着かず、浮遊し、風景をながめ、登場人物らの内面をときにすりぬけながら、あちらこちらに漂いだしていく語り。読者に対する説明ではない、浮遊する目(カメラ)と口(言葉)によって、風景と内面が権利上ひとしいものとして、ほとんど機械的に描写されていく、その出力の蓄積が、結果として、小説というかたちをとってしまっている、そういう印象をMansfieldの小説の一部から受けることがある。ただ、“Her First Ball”の語りはそこまでふらふらしておらず、むしろ特定の少女のもとに付き従い、その内面にとどまりがちである。それでもおそらく、説明を必須とするモダニズム以前の作家であれば、この場面ではプログラムの記載された紙切れにきっと言及しただろう。こうした気づきは、すでに解釈のほどこされてある——というより、英語と日本語の言語的差異のために、どのように訳してもある程度の解釈が含まれざるをえない——和訳を読んでいては得ることのできないものだ。翻訳ではどうしても死んでしまわざるをえないMansfieldのひそかなテクニックをここでひとつ発見した気がする。
 それからウェブ各所を巡回し、2022年5月6日づけの記事の読み返し。以下は2021年5月6日づけの記事より引かれていたもの。

 ASDの診断基準を見ると、「社会的コミュニケーションの障害」と書いてあります。コミュニケーション障害というのは、例えば誰かと私とのあいだに発生するトラブルや誤解、すれ違いのことですが、それが診断基準の中核にある。では、このコミュニケーション障害というのは、皮膚の内側にある障害なのか、それとも外側にある障害なのか、どちらなんだろうと考えました。
 私の場合に置き換えて考えてみれば、「私は移動障害をもっている」と表現することがあります。移動に困難があるという意味ですね。でも、スロープがあったりエレベーターがあったりすれば、移動の障害は発生しません。つまり私の移動障害は、私の皮膚の内側に常時存在し続けている障害ではなくて、環境と私との相互作用によって発生したりしなかったりするものです。簡単に言えば、環境との相性ということですね。そして社会モデルでは、そのような環境との相互作用で発生したり消えたりする障害のことを「ディスアビリティ」と表現します。
 それに対して、皮膚の内側にある障害、例えば足が動かない、とか手が曲がっているといったような、どんな環境に身を置いてもあいかわらず私の身体の特徴として存在し続けている障害、環境からは独立して存在している障害は、「インペアメント」と表現されます。ディスアビリティとインペアメント、日本語にするとどちらも「障害」になってしまうのですが、まったく異なるものなのです。
 では、コミュニケーション障害は、インペアメントなのかそれともディスアビリティなのか。素朴に考えてディスアビリティですよね。なぜなら、気心の知れた相手なら発生しにくいけれど、相性の悪い人とならコミュニケーション障害は発生しやすいからです。あるいは共通前提がない人や、文化的背景が異なる人であれば発生しやすく、そうでなければ発生しづらい。他者は私にとっての環境の一部です。そして、環境である他者と私の間に発生する相性の悪さであるコミュニケーション障害は、先ほどしめした移動障害と同じく、ディスアビリティだと考えられます。
 しかし身体障害と違ってASDの場合、その診断基準に「コミュニケーション障害」と明記されているわけですね。ここで注意しなくてはならないのが、一般的に、診断基準というのは建前としてインペアメントを記載するはずの文章だということです。なぜなら環境とは関係なく、本人の特徴を表すのが、診断基準という文章が果たすべき役割だからです。実際、ASDの診断基準はあたかもインペアメントを表しているものとして世界中で解釈され、使われています。しかし、何かがおかしいと思いませんか。
 私たちはこうした状況を、「ディスアビリティのインペアメント化」と呼び、批判をしてきました。本来はディスアビリティ次元の現象が診断基準に混入しているにもかかわらず、それがインペアメント次元の身体的特徴であるかのように解釈されている。これは非常に怖いことです。例えば、横暴な上司との間にコミュニケーション障害があるとか、問題のある職場のなかで周囲とのコミュニケーションがうまくいかないとか、家父長的でDV傾向のある夫とのコミュニケーションが取りづらいなど、コミュニケーション障害といっても、本人より環境の側にこそ変わるべき責任がある場合はあります。にもかかわらず、コミュニケーション障害を永続的に私の側に帰属される性質だとしてしまうと、そうした状況における周囲とのうまくいかなさがすべて私の責任になってしまいかねません。言うまでもなく、そんな解釈をされたらたまったものではないわけで、医学モデルに逆戻りしていると言わざるを得ません。ディスアビリティのインペアメント化とは、社会モデルで対応すべき範囲を医学モデルで対応するという過ちを導きます。これがASDの現場で起き続けていることなのです。これが綾屋さんと私が行ってきた研究の大前提の一つめです。
國分功一郎/熊谷晋一郎『〈責任〉の生成——中動態と当事者研究』 p.51-54 熊谷発言)

 この日は2012年2月の記事をまとめて読み返しているらしい。『S』の元ネタになった戦争体験談もたくさん引かれている。まずは2012年2月8日づけの記事より。

11時半起床。朝食をとっていたところ(…)さんから電話があり、行きつけのお店からいまさっき連絡があって戦争体験を語ってくれる方が来店中だと報せてくれたのだけれど、行ってみればどう? とのこと。夜からバイトがあるし何より執筆する気満々だったものだから正直少し戸惑ってしまったのだけれど、でもまあじぶんからお願いしたことであるし、このチャンスを逃すとうんぬんと悪い予感のしないこともないので、ひとまずお店のほうに電話を入れて、(…)さんから紹介していただいた例の者ですけれど今から三十分後くらいにうかがってもいいですかと許可をとり、それで急いで支度をして家を出た。店はわりと近所にあって、中に入るとカウンター席におじいさんがひとりいたので、あ、きっとこのひとだと思って声をかけ、自己紹介し、それで当時のことを教えてほしいのですがとお願いしたのだけれど、なにをしゃべっていいかわからないからとりあえずきみの質問に答えるよみたいな流れになって、まさかのインタビュー形式にこれだと色々とりこぼしてしまいそうだと懸念を抱きながらも、しかし色々とおたずねした。
で、お話のお相手は(…)さんという方で、生まれも育ちも京都、19歳のときに赤紙ならぬ白紙で召集されて、これwikipediaによると訓練招集命令書というやつらしいのだけれど、当時軍事工場だかに勤めていたものだからこれはきっと機械の整備士みたいなかたちで配属になるのだろうと思っていたところが実際は工兵で、すでにその当時たいそうな物資不足だったらしく兵隊なのに銃も持たされないわ飯を食うための飯盒すら支給されないわで、かわりにスコップを持ち、それで四国の太平洋側の海岸でひたすら穴を掘りつづける土方のような日々を送ったのだという。その穴というのはもちろん塹壕で、敵軍が海岸から上陸するのに備えてその穴にもぐりこみ、頭上を通過する戦車にむけて先端に爆雷を設けた竹槍を突き刺す、そういう作戦の予定で作られたものらしいのだけれど、当然のことながら実際にそんなことをすればまず間違いなく穴の中の人間も死ぬ。幸い、作戦が実行されることなく終戦を迎えたのだけれど、玉音放送にまつわるエピソードがすごくて、その日(…)さんの部隊は12時間歩きづめでどこかの集落にむかっていたらしいのだけれど、いざ到着してみると村人たちがみんな万歳を連呼している。けれど訛りがひどいものだから何を言っているのかぜんぜんわからない。四国出身者の兵士が村人らの話をヒアリングしてみるに、どうやら日本が戦争に勝ったらしいと、さきほどラジオで特別な放送があった、ノイズではっきりとは聞こえなかったもののどうやら戦勝記念らしく聞こえた、そういう話になって、それでもうそこからは村をあげての宴会となり、白米はなかったから稗と粟で、ありったけのお酒をみんなで夜通し飲んで騒いだらしいのだけれど、おそらく当時の戦況にある程度通じていたのだろう部隊の上官はやはりなにかおかしいと感づいていたらしく、宴会にも参加せずにすぐさま正確な情報を取得しに元来た道を引き返し、それで翌日ふたたび戻ってきたときに、勝ってねーよ! 負けちゃったよ! と、真相が明るみに出たという話で、これいくらなんでもできすぎだろというくらい面白い話なのだけれど、そのときどんな感じだったんですか、と問うてみると、いやそりゃもうね、ワーってなってたのがシーンてね、ということで、(…)さん自身、戦時中は日本が勝つと思ってましたかという質問には、思ってた、僕みたいな小学校しか出てないようなのはね、やっぱりそういうのが行き届いていたね、日本が勝つだろうって、でもおそらく上のほうのひとたちは知ってたんだろうね、いま思い返せば思い当たる節がいくつか、と返答があった。かといって敗戦が判明したときにショックを受けたかといえば存外そういうものでもないらしく、号泣する者なんてひとりもいなかった、ただもう唖然としただけだ、とあった。
で、戦争も終わっちまったしとりあえず京都に戻ろうかということになったのだけれど、汽船が停止しているものだから本州に渡れず、一ヶ月ほど四国にとどまることになったらしい。部隊では緊急時の食料として牛を一頭引き連れて移動していたのだけれど、それはこの一ヶ月の待機期間に食った。それでも食料はやっぱり足りない。だから近くの村へ徴発に出かけることになったのだけれど、男はみんな兵隊にとられているものだからだいたい玄関に出てくるのは若い娘さんになる、だから気をつけろよ、惚れちゃ駄目だぞ、むこうも跡取りがいなくて困ってる、いちど関係結んじまえばもう京都には戻れなくなるからな、と上官からたっぷりと言いきかせられたということで、もらうものだけもらうと、みんな大急ぎで逃げるように部隊のもとに帰ったらしい。徴発にいくのは立場の上のひとたちの役目だったのだけれど、(…)さんの部隊にいた下士官というのが(…)さんの父親の実家の近所に住んでいたとかなんとかで、(…)さんの部隊配属が決定した直後にご両親が早速そのあたりのところに根回ししてくれたおかげでずいぶん助かった、優遇してもらえた、徴発にも同行させてもらったし寝泊まりも下士官らにまじって少しいいところでできた、とのこと。上官が四国出身だったらしく、その関係から一ヶ月の四国滞在期間中には防空壕を埋めるなど勤労奉仕に励むことになったとも言っていた。
それでいざ汽船で本州に向かうことになったのだけれど、その日は船の揺れがけっこうすさまじかったらしい。それでいちど大きな揺れが起きたときなんか部隊にいた誰かがその機に乗じて上官の荷物を海に捨てたりしたようで、上官の理不尽なふるまいをこらえにこらえてきたのが終戦をむかえて爆発したみたいなアレなのだろうけれど、本州に到着してから今度は汽車で京都にまでむかうその道中も、途中の駅で上官をひきずりおろして便所にでも連れていってそれでボコボコにやっちまおうかみたいな物騒な話が持ち上がりかけたらしい。ところで(…)さんはその部隊の任務で四国にいく以前にもいちど四国をおとずれていて、そのときはひとりだったのだけれど、というのも(…)さんが勤めていた軍事工場というのは全寮制の軍事訓練付きのアレだったものだからたいそうきびしく、それにたえられずいちど脱走したことがあり、そのときの避難先というのが叔父だったかの住む四国だったということで、このあたりもやっぱりちょっと出来すぎているというか、軍事訓練が嫌で逃げたその果てにたどりついた四国に、それから数年後、ひとりの正式な工兵の訓練ではない任務としてふたたびおとずれると、この構図は正直ちょっと使えるなと思った。寮生活時代は外部と連絡をとることができなかったのだけれどそれでもやっぱりみんな色々と考えたもので、たとえばじぶんの親とどうにかして会いたくなったとき、その旨と実家の電話番号か住所を記しておいたメモをお札でぐるぐる巻きにして寮の窓から近くの道路にむけて投げる、するとお金が落ちているぞと思って拾った通行人が中のメモに気づいて、(…)さんの場合は三度試みて一度成功したという話であったけれど、そのメモをきちんと実家のほうまで届けてくれると、そういう抜け道みたいなのはあったらしい。ほかにも違反をして営倉にぶちこまれた仲間を励ますため、夕飯に出た米を仲間たちみんながちょっとずつ出し合っておにぎりをひとつ作って内緒で差し入れしたり、あとはなんだっけな、どういう基準なのかよくわからないのだけれどたとえば江戸川乱歩の小説なんかは読んでいけないことになっていたみたいで、見つかったら没収されるものだからみんな部屋の屋根裏とか畳の下に隠していたみたいな話もあった。あとこれ書いていいのかどうかという気がせんでもないというかまあいちおうどこに書こうが誰に言おうがけっこうですよという許可を最初にいただいているので書くけど、(二度目となる)四国行きが決まったとき、(…)さんはもちろんもうじぶんが死ぬもんだと思っていたから、それで最後の記念にというか上官に引っ張られてやむなくみたいな言い方はしていたけれど、とりあえず風俗で筆下ろしをしてもらったらしいのだけれど、その最初の一回でいきなり性病をうつされたということだった。淋病に罹っているのは部隊の中にも数人いたらしい。
とまあだいたいそんなとこかな。なんかお話の後半は戦争体験というよりかは道徳の授業めいた訓話というか若者批判みたいな話になって、とくに最近の子はみんな楽ばかりしようとしてる、まったく苦労をしてない、わしらは違った、わしらはとにかく働いた、文句ひとつ言わずに黙々と働いたものだ、みたいなのが続くものだからとても週三日労働ですとか言えない雰囲気でちょっと気まずかったけれど、玉音放送のくだりとかお札ぐるぐる巻きの手紙のくだりとか徴発のくだりとか、このあたりが聞けただけでも満足、十分な収穫だった。玉音放送のエピソードの突き抜けた感じというかこの力強くて巨視ののぞけるユーモアというのはどこか希望に通ずる感触さえあるし、徴発のエピソードに認められる「女」たちの強さなんかはラテンアメリカ文学を思わせないでもない。

 以下は2012年2月9日づけ記事より。『特性のない男』第三巻の一節。

ところで目標と目的という名詞は、元来射手や猟師の用語である。それゆえ、目標や目的がないということは、その大本をたずねれば、殺害者ではないということと同じではなかろうか?

「それにはまず、習慣とは何かをはっきりつかんでおかなければね、アガーテ」とウルリヒは、たちまちにして人の心を奪うこの考えを、冗談をいって制動しようとつとめながら説明した。「習慣とは、この牛の群れが草をはむ牛肉としか写らないということさ。あるいは、牛の群れが背景のある画題だということ、あるいは、ほとんどそれに気づきさえもしないということだ。山の道の脇にいる牛の群れは、その光景の一部と化している。だから、それを見て経験することは、牛の群れの代わりに、そこに電気時計とかアパートとかがあったとすれば、はじめて気づくようなものだ。いずれ習慣からすれば、この場合、人は立ちあがるべきか、それともこのまま坐っているべきかと考える。牛どものまわりにたかる蠅を、人はやりきれないと感ずる。牛どものなかに牡牛がいはしまいかと、人は調べる。道はどこに向かっているのかと、人は考える。こんなふうに、無数の細かな意識、不安、計算、認識が行われる。そsてこれらが、いわば牛の絵が描かれている紙を構成する。人は、この紙については何も意識していない。人はただこの紙の上の牛の群れのことしか意識していない……」
「そして突然、その紙が破れるのね!」とアガーテが口をさし挟んだ。
「そうだ。つまり、ぼくたちのなかにある習慣の織物が、破れるんだ。すると、もう食べられるものが、草をはんでいるのではなくなる。画題となるものでもなくなる。きみの道を阻むものでもなくなる。きみはもう『草をはむ』だの『放牧する』だのという言葉をまるで想像できない――なぜなら、こういう言葉は、いまきみが突然なくしてしまった多数の有益で目的にかなった観念の一つなのだから。ではまず画面に何が残るのかといえば、高まっては沈む感情の大波、あるいは、生き生きと光り輝やく感情の大波が、まるで輪郭もつかめないほどに全視界にみなぎるかのようだとでも言わなければならないだろう。もちろん、この画面のなかにはまだ、なお無数の個々の知覚が含まれている。色、動き、角、匂い、そして現実に属しているすべてのものが。だが、これらはまだ認識されているとはいえ、すでに承認されることはないのだ。ぼくはこういいたい――個々のものが、もはやぼくたちの注意をあくまで引こうとするエゴイズムをもたず、兄妹のようになり、文字どおり『衷心から』たがいに結び合っている、と。そしてもちろんもう『画面』なぞというものはなくなり、ともかく何もかもが、際限なくきみのなかに流れこんでくるのだ」

 2012年2月18日づけの記事。別の戦争体験談。

そんなこんなでお話をしているうちにも何人か来店客があったりしたのだけれど途中でひとり、なんかアラン・シルヴァみたいな白髭におしゃれな民族衣裳みたいなのを羽織ったおじいさんがやって来て、すると(…)さんがまたもやここでこのひとが前言ってた小説書いてて戦争体験を聞きたがっているってひとなんですけどと紹介してくれて、というかじぶんの知らないところでじぶんについての話が少なからずどこかで交わされていたのだという事実のたびたびにわたる開陳にちょっと自意識のくすぐられるようなところがあるのだけれど、それでそのひとは(…)さんという方でパッと見からしてあきらかに何らかの物作りにたずさわっていることに違いはないのだけれど結局最後の最後まで正体を明かしてくれなくて、タクシーに乗って帰っていった後になってはじめて(…)さんの口からデザイナーだと教えられてなるほどと思った。それでひとまず自己紹介などしてよろしければ当時のお話を聞かせていただきたいんですけれどと切り出し、すんなり了承していただけたので、では早速と耳を持つものは聞けモードに入ったのだけれど(…)さんのお話はけっこうむごいというか生々しいところがあって、静岡の磐田出身らしいのだけれど終戦をむかえたのは6歳だったかで、その前年か前々年、病気の母親が病院から無事に退院したその快方祝いに赤飯を炊いて、というのも(…)さんの母親方だったと思うけれど実家が農家で食べ物にはそれほど困らなかったからそんなことができたらしいのだけれどその赤飯を親戚に配るべく浜松のほうに父親とふたり汽車に乗って出かけたその日に(…)さんは空襲に遭遇したのだという。当時は浜松くらい大きな街だと駅前の広場なんかにはきまって防空壕が設えられていて、ただ防空壕といっても地下に掘った穴なんかではなくてむしろ掘り出した土を盛って固めたでかいかまくらのようなものらしいのだけれど、空襲警報が鳴ったのですぐさま父親とふたりその防空壕の中に駆け込んだ。中はぎゅうぎゅうのすし詰めだったものだから父親が手にしていたこうもり傘を握ってはぐれないように必死で、それで空襲が過ぎて外に出てみると、焼夷弾のためにあちこちに火の手があがり何が焼けているのかわからないなんともいえないにおいがして、今でも嗅いだら絶対にわかる、あのときのにおいと一緒だと確実に言える、と語っていたのが印象的だった。駅そのものは無事だったらしいのだけれど途中の鉄橋が崩れたり線路に瓦礫が積もったりで通常ならば15分もあれば到着する浜松から磐田までの帰路に何時間もかかって帰宅すると、磐田もまた焼夷弾によってものすごい被害を受けていて(…)さんの実家を含めてその周囲の住宅すべてが全焼していたらしい。元々はアルコール工場だったかを狙っての米軍による爆撃だったらしいのだけれど軌道が少し逸れてしまった結果としての住宅区域全滅で、助かったひとたちにたずねまわってもだれひとり母親の行方を知るひとはおらず、病み上がりの身体のことだからおそらくはもう無理だろうと覚悟を決めながらそれでも被災者の集まる場所を探しまわり、結局その日は駅前だったかに当時あった見知らぬ乾物屋の中で一泊させてもらった。それで翌日焼け落ちてしまった家から一里ほどのところにある母親の実家をたずねてみることにしたところ、幸いなことにそこで母親と無事に再会できたということで、安否を心配した親戚だかが駆けつけて実家まで連れてきてくれたらしいのだけれど、いずれにせよ住む場所もなし、その日から終戦後しばらくにいたるまでは母親方の実家の鶏小屋に一家で住むことになったのだという。鶏小屋といっても粗末の代物なんかでは全然なくてとても立派で、広い敷地を半分にくぎってその片方に鶏たちを集めてもう片方にて一家が寝起きすると、だいたいそういう案配だったらしいのだけれど、その鶏小屋から見た夜景だったかそれとも焼け落ちる前の家から見た光景だったか、いちど隣町に空襲があって焼夷弾がどんどんどんどん落とされて火の手が燃えあがりそこに敵機の姿を探す探照灯が地上から幾筋も走る、それらすべてが遠い距離ゆえに無音で展開されるのを目にした記憶が(…)さんにはわりとはっきりと残っているらしく、とてもきれいだった、美しかった、ナイアガラの滝の花火のようだった、と語っていた。鶏小屋の前にあったおおきなおおきな木蓮の樹の美しさもはっきり目に焼き付いている、とも。焼夷弾といえばこれはじめて聞くようなアレなのだけれど、当時は軍部からの命令で民家の屋根は瓦だけ残してあの屋根裏の地にあたる天井の板みたいなのはぜんぶ取り外すように言われていたらしい。民家に直撃した焼夷弾が屋根裏に引っかかるなどして手の届かないところに残ってしまうとそこからたちまち火の手があがって家が全焼してしまうからだと、だから屋根は瓦だけの最低限度の構えにしておいて直撃した焼夷弾が居住スペースに落下するようにせよと、それでいざ焼夷弾が落ちた場合にはすぐに箒で叩くなりして被害のひどくならないうちに火を消し止めろと、そういうことであったらしい。そして事実、(…)さんの母親はその空襲の際にも病み上がりの身ながらじぶんの家に落下した焼夷弾の火をすべて自らの手で消し止めたということでこれすごすぎだろという話なのだけれど、ただやっぱり誰もがみんなそんなに強気でいられるわけもなくて空襲となった途端に家など構わずに逃げ去ったひとたちもたくさんいたらしく、そういうところからあがった火の手によって結局そのあたりの一帯の民家がすべて焼け落ちるということになってしまった、皮肉なものだけれどよその家からあがった火の手を消すべく助けにむかったひとたちの家のほうが結局全焼してしまうみたいなこともたくさんあった、ということだった。得体の知れないにおいの漂う焼け野原を歩いていると、ところどころ焼け残った廃材とか電柱なんかに人間の髪の毛だけがぐるぐるに巻き付いて残っているのを目にしたと、これがいちばんビジュアル的に強烈な話だったかもしれない。あと、(…)さんはもともとよそのお宅からもらわれてきた子だったらしく、というのも当時はよくあったこととそれはじぶんも色んなところでよく目にし耳にするけれど、子宝にめぐまれない夫婦が近所に住んでいた仲良し子だくさんの夫婦から産まれたばかりの(…)さんを引き取ったとかなんとかいう話で、それで(…)さんの産みの親は子供が十人以上いるような大家族の長だったようなのだけれど東京のほうに出かけていた長女ひとりだけを残して二度にわたる空襲でその一家はみな焼け死んでしまったらしい。(…)さんの母親は防空壕の中で幼い子供をひっしと抱きかかえながら死んでいたのだという。たまたまよその家に出されていたから助かったのだと考えると妙な気持ちになると(…)さんは語っていて、たとえばじぶんの祖父にしても満州に滞在していたとき当時は死の病だった結核に罹ってしまったもののたまたま同じ部隊にいた軍医が日本でも有数の結核のエキスパートで日本ではまだそのひとしか扱うことのできない治療法のおかげでどうにか一命をとりとめることができたり、あるいは上官に付きそうかたちで日本に新兵をむかえにいったそのときに終戦を迎えたものだからシベリア抑留をぎりぎり免れることができたとかそういう奇跡としかいいようのない偶然の綱渡りで助かったのだと身体感覚で納得のされる命みたいなのがあるわけで、やっぱり戦争を実地で経験している人間とそうでない人間とではかなり死生観みたいなのが変わるのも無理はないと思ったけれどそれら先の世代からやはり偶然の綱渡りで継承されるじぶんのこの命、いまここにあること、ここでこうして書いていること、そういうことを考えているとなんなんだいったいこれはと変な気持ちにもなってくる。むごい話もたくさんあったようだけれど当時の生活に関する愉快で美しい挿話もいくつかあって、たとえば(…)さんの家は鰻屋だったらしいのだけれどその関係から遊女らとも顔をあわせる機会なんかがよくあったという。今ではとても考えられないことだけれど(…)さんの通学路にも遊郭がいくつかあって、はなばなしいその建物の前を通るたびに赤い襦袢や布団なんかが干してあるのが目につき、幼心ながらになにかエロティックで美しいものを感じたとかなんとか、なかでもひとりの遊女が(…)さんをかわいがってくれたらしく、母親の身に着けているのとはぜんぜん違う着物の懐からがま口を取り出し、細くて白い指先で小銭をつまみだしてそれを紙にひょいひょいと包んで小遣いをたびたびくれたという話なんてとても素敵で、あと(…)さんの家には123部隊みたいな数字は忘れちゃったけれどそういう部隊の軍人が三人下宿していて、夜なんかその軍人の腰に下げたサーベルのかちゃかちゃと鳴る音と連れ立って歩く遊女のからんころんがよく響いて、そのたびに家のひとたちはまーた◯◯さんったら遊んでるわとか口にして、幼い(…)さんにはその意味こそよくわからないもののやっぱりなにかしら官能的な気配を敏感に察知していたといっていて、なんかこんなふうに書いていると中勘助銀の匙』みたい。あと、これは当時よくあった話として聞いたのだけれど、兵隊にとられた夫の戦死の通知が送られてきたものだから家を継ぐために新たな婿をとらなければならないとなって実際にとって暮らしはじめたところ当の夫が帰ってきて死んでなかったのかよみたいな、そういう話は少なからずあったみたいで、(…)さんの聞いた話ではけっきょく戦地から帰ってきた夫に家を継がせて別の嫁をあてがり、元の嫁とその二番目の夫には別の家を用意してそこに住ませたという処理がなされたらしいのだけれど、これが通例なのか特例なのかはわからない。(…)さんの同級生の父親に兵隊として家族を日本に残して満州に渡りもう日本に戻ることはできないだろうからと現地で新たに別の嫁さんをむかえたはいいものの命を落とすこともなく終戦、しかたなく二番目の嫁さんを連れて日本に戻ってきたという事件があったらしくそのときはわりと大変な騒ぎになったらしい。結局その一件については満州からひきあげてきた旦那さんと二番目の嫁さんに別の家をあてがい、本家は元の奥さんとそのひとり娘((…)さんの同級生)、それに奥さんの兄の三人で継ぐことになったという。

 2012年2月22日づけの記事。(…)の常連客から聞いた話。このひとの話はいつもおもしろかった。

店に到着してわりとすぐこの日((…))のお客さんがやって来た。ちょこちょこ店のほうには来てくれていたらしいのだけれどどうもじぶんのシフトに入っていない時間帯や曜日ばかりであったらしい。ひさしぶりの再会となったそのためなのかどうかはわからないけれど今日はたっぷり一時間半にわたって立ち話をした。強烈な話を山ほど聞いたのでひととおりメモしておきたいのだけれどまずそのひとの友人知人まわりがぜんぶ面白すぎて、たとえば新聞や雑誌の片隅に募集広告の載っているようなエッセイであったりコラムであったり作文であったり川柳であったりポエムであったりするさまざまな公募のその賞金だけを稼ぎとして生活しているひとがいるらしいのだけれどこんなのは序の口で、そのひととは別にクラブやディスコの店内装飾というかデザインというかデコレーションというかその界隈では知らないひとなんていないというくらいとても有名なひとと一緒にタッグを組んで同じ業界で若いころから活躍していた芸大上がりの友人というのがいて、むろん将来超有望だったのだけれど仕事をやっていくうちに何かしら人間関係でトラブルがあったりやりたいようにできない葛藤があったりで早々と引退してしまって以来十数年間ずっとパチプロとして生活しているらしいのだけれど、何年か前の夏にとうとうお金が底をついてしまっていよいよどうしようもなく、ちょうど祇園祭の時期だったらしいのだけれどひょっとするとあれだけ多くのひとが行き交うのだから財布のひとつやふたつ落ちているかもしれないと思いそれで祭の中を何時間も歩き回ってみたものの収穫はなし、あきらめて鴨川の河川敷をひたすら北上し続けていたところ暗闇の中に黒光りするものがあり近づいてみるとなんとそれが見事に財布で、この時点でもう出来すぎているような話ではあるのだけれどそれで拾って中身を確かめると現金6000円とキャッシュカードがあって、けれど6000円じゃどうにもならない、生活費に充てるにしてもパチンコの軍資金にするにしてもとにかく少なすぎる、というわけでこれはもうカードを使うしかないとニット帽にサングラスとマスクを装着してATMの機械の前に立つこと三度、しかし結局犯罪に手を染める最後の踏ん切りがつかず結局その6000円を片手に一世一代の大勝負という感じでパチンコ屋へ行ったらしいのだけれど、そこから三日で50万円稼いだ。息を吹き返した。流れを呼び込んだ。それで最終的に貯金を200万近くまで増やしたらしいのだけれどそこから流れが変わって、たった二、三ヶ月の間にものの見事にどん底へUターン、数日前にひさしぶりに会ってみたところとにかくもう悪事を働くしかない、犯罪に手を染めるしかないとぶつぶつ言い続けていたらしい。で、そのひとと最近よくつるんでいるひとというのがいてもちろん現在ギャンブル三昧でやはりどん底という点では同じ、何かの慰めのように銀行強盗の計画ばかり建てているひとらしいのだけれどそのひとの経歴というのがもう無茶苦茶で、元々ヤクザだったらしいのだけれどあいつは頭がおかしいということで破門か何かされてしまって、頭おかしいってクスリか何かのやりすぎか何かですかとたずねると、そういうのにもそれ相応に手を出してはいただろうけれど根本的にぶっとびまくっているのだという返事があって具体的なエピソードを幾つか教えてくれたのだけれど、たとえば30歳のときそのひとは毎日着流しに木刀を差して町中をうろつきながらすれちがう通行人ことごとくにケンカを売りまくっていたらしい。それでいちど50歳くらいのおっさんにケンカなら買ってやる、けれどここじゃ人目につく、うちに庭があるからそこでなら相手してやる、さっさとついてこいと言われて、まんまとついていったところ現場に到着するなりものの数分で足腰のたたなくなるほどボッコボコにされまくったらしく、というのもそのおっさんというのが空手と少林寺拳法の師範だったらしいのだけれど、そこでまたすごいのが木刀を杖がわりにしてふらっふらになりながらどうにかして立ち上がったその元ヤクザのひとが立ち去るまぎわに言い残した台詞というのが「い、一年後……もう一度、ここで……」だったという奇跡のようなエピソードで、ていうかなんすかそのひと、漫画か何かにかぶれまくってたんすかとたずねると、うん確かにそいつその当時むちゃくちゃ『バガボンド』にはまってたなぁとあって絶対それじゃん! 間違いないじゃん! と死ぬほど笑った。それでそのひとはそれ以降はたけぞうスタイルのライフをやめたようで一時期はヒッピーにかぶれ、たけぞう時代とは打って変わりいつもニコニコしてラヴ&ピースだったらしいのだけれどそういうキャラにも行き詰まってしまったのか、40歳になったのを契機に総合格闘技パンクラスをはじめて、元々体格はいいほうだし根性は座ってるしケンカ慣れしてるしという利点はあるものだからそんな歳からはじめたにもかかわらずけっこうすんなりとプロデビューしてしまって、けれどいざ実際にリングにあがってみるとやっぱり若いころから英才教育みたいなのを受けている連中には勝てず、それでそちらの方面も諦めてしまっていまではギャンブラー、先に紹介した芸大上がりのギャンブラーとつるんでひたすら悪事を企む毎日を送っているらしい。で、そのふたりとはまた別に、世界中を渡り歩きありとあらゆるドラッグをキメまくったひとというのがいて、ネイティヴアメリカンの儀式なんかにも参加したことがあるとかなんとか、どこの国の部族だったか忘れてしまったけれどフックのようなものを胸の一部に引っかけてそれを思い切り引っ張って肉の一部をぶちっとひきちぎるみたいなハードSMな通過儀礼まで体験済みで、でもそのひとはただのジャンキーではないらしくて「壁を突き破りたい」「悟りを開きたい」が口癖のインテリらしい。知覚の隅々まで味わいつくしたい、それによって次元を上昇させたいみたいなことも言っていたというその伝聞から察するにどうもニューエイジの嫡子らしい。現在は日本で生活しておりダウン症自閉症の子供たち相手に絵を教えているとのこと。

 その後、2013年5月6日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。今日づけの記事も途中まで書いたのち、残りは明日ということで、記憶を辿りながらだいたいのあらましを下書きとして殴り書きしておく。作業の合間にはおにぎりを食し、チョコレートケーキを食し、ジャンプ+の更新をチェックした。(…)さんに作文の感想を書き送ってベッドに移動。

20230505

 ミレールはラカン前期をセミネール第一巻(『フロイトの技法論』)からセミネール第一〇巻(『不安』)までの時期(一九五三-一九六三)として、この時期に対応するラカンの臨床を理論的に示している。彼はラカン第一臨床を「同一化の臨床」と呼んでいる(…)。その骨子は以下のようなものである。
 同一化の臨床とは、分析主体が分析において自分の歴史を真理的な方法で語ることである。つまり、主体は過去の現在における統合としての歴史を再構築することを学び、真理として存在することを可能にする同一化を練り上げる。換言すれば、この臨床とは、象徴界に書き込まれた症状を解読しこの意味に同一化することであり、新しい満足のいく同一化を練り上げることで主体の真理を実現することである。それによって、主体は欲望の主体となり、自らを拘束していた様々な所与から離れることができ、治癒へと導かれることになる。
 「歴史と承認という視点だけが主体にとって何が重要なのかを決定し得る、と言ったとしても、(…)フロイトの思想を曲解することにはならないと思います」(…)。
 それでは、こうしたラカンの前期理論を臨床に使える形に少し変形してみよう。上記のミレールの議論を拠り所として、先に述べた無意識と症状の定義を考慮すると、次のようなアプローチが考えられる。それは、分析主体とは自らの歴史を語り、分析家とともにパロールを積み重ねていくことでシニフィアンを連鎖させ、その連鎖に句読点を入れて事後的に意味を産出させていく、というものである。
 そうした作業によって自らの歴史が再構築され、抑圧されていた症状の意味が解放される。そして、そこで分析主体は「それが私の真理だ」と感じ、それまで自ら知らずにいた症状の意味を受け入れることができるだろう。それは新しい満足のいく同一化の練り上げであり、そのことは、享楽(jouissance)とともにあった想像的ファルスである主体が、シニフィアンシニフィアンの関係で規定される主体へと象徴化されて、或る享楽を諦めたことを意味する。欲望の観点から述べれば、それまでに或るシニフィアンに固着していた欲望は、次のシニフィアンへと移動し、主体は大文字の他者の中でこれまでとは違った欲望を持つに至るのである。
 同一化の臨床とはこのような行程を辿るものであり、それは症状に応用された精神分析(psychanalyse appliquée au symptôme)あるいは単に応用精神分析(psychanalyse appliquée)と呼ばれ、症状に対する治癒という出口を提供する(…)。
 この過程において、分析家は真理を知る者という大文字の他者の場に位置し、主体が解釈したものに応答する解釈的な位置を占めている。この位置で分析家は「うん」という相槌から意味が意味として明瞭である解釈までの幅で様々に応答する。こうした応答が主体に新しい同一化を練り上げさせる一要因となるものの、重要なのは先にも述べたように、分析家と分析主体が共同としてパロールを積み重ねることでシニフィアンを連鎖させることである。そのためには、分析家は無意識の形成物の中にとりわけ認められやすいシニフィアンに注目して、それに解釈的に応答し、それに対する主体の反応から、自らが接ぎ木したシニフィアンが連鎖されうるのかを判断するという過程を繰り返す。それがシニフィアン連鎖を追っていくという作業である。
 ところで、この章で述べてきた、分析主体と分析家の共同作業によってシニフィアンを連鎖させることで主体の歴史を再構築するという臨床形態は、「真のパロールによる事後的な主体の歴史の再構築」という言葉で端的に言い表すことができる。ラカンによれば、真のパロール(満たされたパロール)とは「過去の偶然事に来るべき必然性の意味を与えることによりそれらの偶然事を改めて整理し」、「現実ではなく真理」(…)をもたらすものである。それは分析過程において重要な機能を果たしている。
 「分析は真のパロールを通過させることを目標としなければなりません。この真のパロールは、主体を、他の主体に、ランガージュの壁の向こう側に結びつけるのです。分析の最終点を規定するのは、主体と真の大文字の他者、予期せぬ答をもたらす大文字の他者との究極の関係なのです」(…)。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第三章 ラカン第一臨床あるいは同一化の臨床」 p.63-65)



 11時半ごろ起床。第五食堂の一階で炒面を打包。帰宅して食し、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。14時をいくらかまわったところで出発。予報では雨になっていたが、まあだいじょうぶだろう、最悪降られたところでたいしたことあるまいというわけで、ケッタで外国語学院まで出向くことにしたのだが、出発して10秒でまずまず降りはじめて、ありゃ、マジか、となった。ピドナ旧市街入り口の売店でミネラルウォーターを買う。
 教室に到着するころには、濡れ鼠とまではいかないが、まずまずぶざまな姿に。緑色のカットソーに斑点が散らされている。14時半から(…)一年生の日語会話(一)。まずはひさしぶりーとあいさつし、連休中のあれこれを話したり、「蒸し暑い」「むしむしする」という言葉を説明したり、出席をとるにあたって髪の毛を染めている女子を見つけるたびに「不良少女」と黒板に書きつけたりした。(…)の一年生にくらべると、とにかく明るい。なにやってもみんなーギャーギャー騒ぐ。例年と(…)が逆だ。出席をとっている最中、(…)さんが「先生!」と言って相棒の(…)さんのほうを指す一幕もあった。なになに? とたずねかえすと、彼女のTシャツを指さしてから前方に座っている(…)くんのほうを指さす。で、よくよく見てみると、ふたりは色違いのTシャツを着ている。ペアルック(死語)やんけ! 中国の恋人たち、そういえばたしかにペアルックを着ているのをちょくちょく見かける。例によって中指を突き立て、ファック! という(学生らはこちらがファックとかクソとかバカヤロウとか中国人教諭が担当する授業ではまず口に出されることのない汚い言葉を口にするのを毎回期待している)。
 授業は「道案内」。これ、元々は二年生でやっていた授業で、一年生相手にやるのは今日がはじめてだったのだが、期末テストの内容であると事前に予告しておいた効果もあったのだろう、みんなしっかり集中していたためか、後半にさしかかるころには前列組などほぼ全員がしっかりリスニングできていたし、練習時間などほぼなかったにもかかわらずスピーキングもまずまずできていたので、ちょっと驚いた。今週と来週の二週にわけてやるつもりだったのだが、今週だけでもなんだったら十分だったかもしれない。もしかして現一年生、かなりレベルが高いのだろうか? ちなみにスピーキングは(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)さんの順番でやったのだが、男子三人の場合はまったく生じなかった拍手が(…)さんのあとにのみ巻き起こったのには笑った。日本語学科の男子って、クラスの少数派というアレもあるんだろうが、基本的に立場が弱い。
 授業後、(…)くんと(…)くんのふたりからメシの誘い。マクドナルドへ行こうという。以前建設中だった店舗がすでに開店しているという。さらにその店舗にほぼ直通するキャンパスの西門も開通されたということ。すばらしい。しかし外はなかなかの雨降り。ひとまず地下道の手前に自転車を停めておき、そこから歩いて西門のほうに向かった。西門はたしかに開通していた。開通しているにもかかわらず、今日はなぜかゲートが閉まっていた。きのうは自由に通り抜けることができたとふたりがいう。われわれの前方にもやはりここから外に出ようと考えていたらしい女子学生らがおり、みんなしてなんでゲートが閉まっているんだとふしぎな顔をしていた。無理やり乗り越えていこうかとなったが、監視カメラもあったし、教師がそんなことしたらまた問題になるかもしれないので、おとなしく、めちゃくちゃおおまわりになるが、北門のほうからキャンパスの外に出ることに。こちらは傘を持っていなかったので、ふたりがこちらはあいだにはさむかっこうで二本の傘の下にいれてくれたのだが、両肩がぴったりひっつくかたちになるし、傘の先端がときどきあたまに当たるし、その先端から垂れ落ちる重いしずくのせいでかえって濡れるしで、途中で傘はいいよと断った。
 マクドナルドの店舗はけっこう小さかった。レジには緑色の風船でできた猫耳みたいなのをつけた女性がいる。おばちゃんのようにみえたが、おねえさんかもしれない、あれでまだ二十代だったりするのかもしれない、農村出身らしくみえる肌の浅黒い女性だった。(…)くんは自分がVIPだといった。だから安く購入することができるみたいなことを言ったが、結局これは勘違いかなにかだったらしい、詳細はよくわからんが当初の当ては外れたようだ。ハンバーガー三種類、太いポテト、細いポテトと骨付き唐揚げとナゲットがバケツにつめこんであるやつ、それにコーラが三つのセットで、たしか100元を切るくらいだったか? それを注文するというので、なんでもいいよと任せた。ハンバーガーは一番デカい二段重ねみたいなやつをもらったが、うまかった。骨付き唐揚げはアホみたいに辛かったが、ふたりは全然平気だといった。
 食事中はふたりがそれぞれ別の話をのべつまくなし繰り出してくるのをひたすら相手する。(…)くんは主にアニメの話。これは知っていますか? これは知っていますか? と次々とbilibili動画にアップロードされているアニメのサムネイルをこちらに見せる。アニメに関していえば、(…)くんよりも(…)くんのほうがよっぽど詳しいみたいだ。『シュタインズ・ゲート』の話で盛りあがる。(…)くんがいま楽しみにしているのは『推しの子』と『地獄楽』と『鬼滅の刃』。全部(アニメではないが)漫画のほうでチェック済みであるので話を合わせることができる。あと、彼はゲームも大好きで、最近『原神』を製作した会社があらたにリリースしたゲームにハマっているとのこと。ちなみに恋人の(…)さんはアニメやゲームにはさほど興味がないらしい。
 (…)くんはアニメよりも特撮のほうが好き。仮面ライダーだのウルトラマンだのゴジラだのの映像をVPNをかませたYouTubeでこちらにしきりに見せようとする。『シン・仮面ライダー』や『シン・ウルトラマン』の監督が庵野秀明であることを知らないようだった、というか庵野秀明がだれであるかもわかっていないようだったので、『エヴァンゲリオン』を作ったひとだよというと、ふたりともびっくりしていた。特に(…)くんのほうはエヴァが大好きで、微信のアイコンもわざわざシンジにしているほど(そして恋人である邹莎燕さんにはアスカのアイコンを使わせているのだった)。宮崎駿庵野秀明が指定関係であることも続けて教えると、(…)くんはかなり感動したようす。
 (…)くんは特撮のほかに日本の歴史の話もやたらとしたがった。先生、日本の歴史は長いです、石器時代を知っていますか? 古墳時代を知っていますか? 先生、源氏と平氏を知っていますか? 先生、藤原道長を知っていますか? 先生、『古事記』を読んだことがありますか? 『日本書紀』を読んだことがありますか? と、隙あらばそれまでの文脈ぶちこわしでそっち関連の質問を放り投げてくるので、さすがにちょっと疲れた。もうちょっと文脈を意識したエレガントな会話をしてほしいもんだが、語学力的にそれもまあむずかしいか——と、考えたところで、いやこれ語学力うんぬんではなく、ひとむかし前のオタクの特徴として揶揄の対象となっていたじぶんの好きな話題や話したい事柄ばかりを一方的に話し続けるというアレなのかもしれん。
 ネコドナルドでだべっている最中、(…)くんがスマホを見て爆笑する一幕があった。クラス内のグループチャットでまた先生の顔写真が出回っているというので、見せてもらうと、まさに先の授業中に盗撮されたばかりのものらしいこちらの顔が表情包として流通しているようだった。中国の学生はすぐに教師を盗撮してそいつで表情包をこしらえる。犯人は(…)くんと(…)くんのふたりだというので、(…)くんのスマホを借りてボイスメッセージでふたりに不合格通知をし、さらにその場で両手の中指を突き立てている写真を(…)くんに撮らせておなじグループに投稿するよう命じた。
 (…)くんと(…)さんのふたりはデートの約束がある。いっしょに映画を観に行くことになっているというので、待ち合わせの時刻であるらしい18時前になったところで店を出た。にもかかわらず、ふたりはネコドナルドのすぐそばにある日本アニメのグッズを主に扱うおもちゃ店にまた立ち寄りたいといった。それで入店することに。このあいだ買ったばかりであるし、さすがに今日は何も買わないだろうと思ったのだが、入店するなり(…)くんが『エヴァンゲリオン』の、あれはいったいなんというブツになるのだろう、透明なプレートにイラストがはさまっている置物みたいなやつを見つけて、アスカと綾波とシンジとカヲル君とあと最近の映画版のあの新キャラの女子のやつがあり、みんなけっこうお洒落な私服を着ていて特にシンジのがよかったので、微信のアカウントにしているくらいであるしこのシンジのを買えばいいじゃんと(…)くんにすすめたのだが、彼はアスカのやつを買った。残りひとつだったからだ。たぶんまた金ができたらシンジのほうも買うのだろう。(…)くんは(…)くんで、前回フシギダネの置物を買ったばかりであるが、今日はゼニガメのやつを買っていて、次回はピカチュウを買うといった。彼の好きな仮面ライダーウルトラマンの小さなフィギュアみたいなのもあり、それがけっこういい感じだったので、これを買ってもいいんじゃないのというと、小さいからいやだという返事があって、それで、あ、これってちょっと中国的感性かも、と思った。大きいものは正義! 的な。いや、でもフィギュアをコレクションするひとたちにとっては、中国だろうと日本だろうと関係なく、やっぱりデカくて高級なものほどよいとする価値観みたいなものが一般的だったりするのだろうか? こちらが仮にそういうものを集めるのだとすれば、手のひらサイズの小さいやつばかりをむしろ好んで買って愛でると思うのだが。
 北門に戻る。道中、(…)くんから、先生、新撰組は警察ですか? とたずねられたので、どんだけ歴史好きやねんと思いながら、幕府と皇室についてなるべく簡単な言葉で説明する。そこで天皇という単語が出たからだろう、日本の教科書では明治以降のできごとが記載されていませんかという質問が続けて出たので、またむずかしい話を持ってきたなと思った。慰安婦南京事件を見据えての質問だろう。日本の社会科の教科書に近代以降の記述が少ないという指摘は実際正しいし、さらにいわゆる教科書問題なるものがあるのも事実である、しかし中国で流通している情報はまずまちがいなくそれらの問題を過度にデフォルメしたものであることは間違いない。実際、ふたりの口ぶりからは、日本史の教科書には第二次世界大戦に関する情報がほとんどまったく掲載されていないというレベルのアレ——天安門事件が中国国内ではタブーであるというのとおなじレベルの認識——があるように察せられたので、そもそも教科書には複数種類があることを断ったうえで、ぼくが小学生だったころは普通に授業で日本の侵略についても学んだ、南京のことだって当然授業でやったよと応じると、ふたりはかなりびっくりしたようすだった。日本の中高生に関するアンケートで南京の出来事を知らないと答えた人間の割合だったか、あるいは否定論者の意味だったのかもしれないが、それらが◯◯%だったというのを見たみたいなことを(…)くんがいうので、そういう数値には気をつけたほうがいい、対象がだれであるのか、調査機関がどこであるのか、母数がどうなっているのか、質問文とそれに答える回答の形式はどうなっているか、そういうところを見逃してはいけない、統計なんてとりようによっていくらでも数値をいじることができてしまえるからといった。そういう流れからもう少し踏みこんで、日本と中国の関係がいいときは中国のメディアで日本を褒める報道が増えるでしょう? たとえば武漢でコロナが流行したとき日本の団体がマスクを無料で送った、そのあと中国では一時期抗日ドラマの放映が禁止されたりしたでしょう? その逆に、両国の関係が悪いときは悪い報道がガンガン増えるでしょう? といってみたところ、なんのためにそんなことをするんですかとさらに踏みこんできたので、まあVPNの使用を公言しているような子であるからだいじょうぶだろうと判断、そりゃまあね、やっぱり情報をコントロールしたいんじゃないかな、中国はインターネットに壁があるでしょう? VPNを使わないと壁を越えることはできないでしょ? というと、ふたりは『進撃の巨人』になぞらえたセリフらしかったが、壁の向こうには自由がある! と口にした。
 寮の前でふたりと別れた。帰宅し、フリースタイルをいくらかやったのち、ケッタの回収に出かけた。イヤホンを耳の穴にぶっさし、ビートを流してボソボソひとりでフリースタイルしながら、雨の中をてくてく外国語学院まで歩いた。地下道の入り口に停めてあったケッタを回収し、傘をさして片手運転しながらひきつづきフリースタイルしつつ寮までもどった。傘を持った手も頭も口も耳も全部自転車の運転以外のところにむけられている。こういうバカはいつ交通事故で死んでもおかしくない。
 シャワーを浴びる。ストレッチをする。二年生の(…)さんから微信が届いている。「先生、最近少し崩壊しました。四級試験の焦りです。たくさんの問題をやりましたが、間違っていることが多いです。勉強ができないような気がします」とのことで、なんでうちの学生は優秀な子ほど自信があらへんのや? ひとまず長文ではげました。「実は先生と友達はいつも私に大きな期待を持っています。これは私がすべてのことをうまくやりたいと思っています。みんなの期待に応えたくないからです。私はおそらく悲観主義者でしょう。(…)そして私は自分が褒められる必要がある人だと気づきました。他人の考えを気にする人です」「そして私はずっと根気がありません。(…)焦って成功したいです。努力したのに成功しなかったら怒ります。ただ自分の自信のあることだけをするのが好きです。自分の興味があることには情熱がありますが、興味のないことは全くだめです」とあったので、彼女は電子書籍で自作の推理小説を複数リリースしているほどであるし、「自分の興味があることには情熱があります」というのはそれのことだろうと推測したうえで、「ここはちょっと考え方を変えてみて、外国語の勉強も小説の修行だと思ってみればどうかな? 実際、優れた小説家というのは、みんな外国語が一つか二つできるでしょう? 母語の特性をよく理解するためには、やっぱり外国語を学ぶ必要があると思うんだよね。」「中国語をよく理解するためには、比較対象として、中国語ではない別の言語を学んで使ってみることが重要でしょう? だから、日本語学科の学生だから日本語を勉強するというだけではなく、小説家としての君がより優れた文章を書くことができるようになるため、日本語を勉強しているという意識を持ってみたらどうかな?」と応じた。(…)さんは同室の先輩たちからいま大学院に進学するのはすごく難しいと聞かされて、以前はそんなことなかったのに、だんだん不安になってきたといった。まあたしかに内卷の影響で院試のレベルがどんどん高くなっているとは聞く。自分が将来なにをしたいかすらわからないと嘆いてみせるので、二年生の時点でそういう悩みを持つことができるという時点ですばらしい、一年以上じっくり考えじっくり悩むことができるのだから、ほとんどの学生は卒業直前になってどうしようとあせっている、だから考える時間も準備する時間もなにもない、それを思えばいまの時点でそうやって悩むことができるのはいいことだ、すぐに結論や答えが出ることはないだろうけれども何度も何度も自問自答しているうちにわかってくるはずだから安心しなさいといった。
 ウェブ各所を巡回し、2022年5月5日づけの記事を読み返した。2013年5月5日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。以下のくだりを読んで、あー! そんなこともあったな! とびっくりした。(…)さんの趣味、2ちゃんねるの荒らしって普通にイタすぎやな。

昼休み中、(…)さんがパソコンに向っている(…)さん相手にたいしてなにやら指示らしきものを出していたので何やってんすかとたずねると、(…)くんニコニコ動画とか観る?と(…)さんがいうので、YouTubeの補完って程度ですねと答えると、配信とか生放送とかできんの知ってる?とあるものだから、知ってますけどじっさいに観たことはまだないっす、おもろいんですか?とたずねかえすと、ときどきものすごいおもろいのあるでー、DJやってるやつとかじぶんの演奏生放送してたりするしな、とあって、そうこうしているうちにアカウントを取得した(…)さんがさっそくR-18みたいなカテゴリ−を光速でクリックしだして、でもメンバー限定とかなんとかでほとんど見れないみたいなことをいっているうちにたぶんR-18とかではなくてふつうのアレだと思うのだけれど、やたらとギャルギャルしい女の子が口元だけマスクで隠したうえで顔をさらしてなにやらひとりがたりしているところに行き着いて(そういうときの(…)さんはただギャルが大好きなだけの四十前のオッサン以外のなにものでもない表情を浮かべる)、画面上を流れゆくコメントをひとつひとつ拾っていってそれにたいして何やらどうでもいいことを答えるみたいなスタイルで、(…)さんがいうにはこの双方向性のやりとりみたいなのがごくごく一般的な配信スタイルらしいのだけれど、とりあえずなんかコメント送ってみましょうやとなったので、ほんじゃあとりあえずやればできる男(…)参上!みたいなアレでいきましょうよとこちらから提案し、それでじっさいにそう(…)さんが打ち込んだのだけれど、そしたらそのギャルギャルしい女の子が画面上を右から左にむけて流れゆくわれわれのメッセージを見るなり、「できる男サンタク……?」みたいなことを呟いたのでいちどう爆笑した。今日はもうこれが見れただけでお腹いっぱいだと(…)さんは腹を抱えていた。(…)さんこういうのちょくちょく見るんですかとたずねると、うんまあ一時期とか荒らしまくってたりしたしねみたいなことをいっていて、その返答にはまあ若干引くというか、イメージにないというか、いやイメージにないことはないな、むしろやっぱり!みたいに得心するところもあったのは、(…)さんがたびたび口にする極右的な発言がしばしば嫌韓系のまとめブログに転載されている発言そのままであったりするのにひそかに気づいていたからで、だから2ちゃんやニコニコ動画なんかにはわりとディープにはまっているんでないかと、これはもうずっと以前から思っていたことなのだけれど、今回の一件ではっきりと確証を得た気がする。(…)くんがここに来るまえに働いてたひとでこの配信をやってたひともおるしな、というひとことには、へえーと思った。じぶんの想像しているよりもずっとこの界隈のユーザーは多いのかもしれない。

 (…)くんからLINEが届いていることに気づく。きのうづけの記事に書いた“Her First Ball”の謎のくだり、"The third and the ninth as usual. Twig?”というのは「三番目と九番目の曲で踊ろうね。わかった?」という意味じゃないか、と。なるほど! ダンスのプログラムのことだったのか! すっきり!

 アンインストールしたGrim Tidesを結局またインストールしてしまう。それから朝方まで延々とプレイ。授業準備も大半を詰め終わり、今学期の終わりがみえてきたいま、脳みそが完全にだらだらモードに入りつつある。このだらだらモードに切り替わるときの独特の感じ、なんなんやろか。マジでスイッチで切り替えたちゃんかというくらい明瞭に、あ、いまだらだらしようとしとんな、怠惰にのんきにだらだらのんびり過ごすことを欲しとるな、というのがわかる。身体が糖分を欲するみたいなもんなんかもしれん。
 4時前に中断。歯磨きしようと思ったところ、例によって予告なしの断水。どもならんな。

20230504

 大文字の他者とは、すでに第一章で見てきたように、①ランガージュの場(シニフィアンの宝庫)、②両親、③父の名(大文字の他者を支える中心的なシニフィアン)といったいくつかの意味を併せ持つ概念である。ラカンの前期理論においてはこうした大文字の他者は存在している。より正確に言えば「大文字の他者大文字の他者は存在する」のである。このことが何を意味するのかは、次のラカンの引用から明らかとなろう。
 「私が父の名と呼ぶもの、すなわち象徴的な父とはまさにこれです。それはシニフィアンの水準にある一つの項であり、法の座としての大文字の他者において、大文字の他者を表象・代理している項です。それは法を支え、法を公布するシニフィアンです。それは大文字の他者における大文字の他者なのです」(…)
 「大文字の他者大文字の他者は存在する」という表現において、後者の大文字の他者は引用から明らかなように、父の名である。それは象徴的なものの構造の中心にまるで絶対的な支配者のように存在しており、意味を保証している特別なシニフィアンである。換言すれば、それはファルスのシニフィアン[φ]であって、前者の大文字の他者[A]、すなわちシニフィアンの集合として描かれる象徴的な無意識において、構造化の中心に位置しているシニフィアンなのである。
 このような理論的前提から「無意識は一つのランガージュとして構造化されている」という先のテーゼは導かれる。つまり、ラカンにおいてはシニフィアンの集合[A]が無意識なのであり、それは父の名という特別なシニフィアン[φ]に支えられて構造化されているものなのである。
 そして、症状とは「一つのシニフィカシオン(signification:意味作用)、一つのシニフィエ」(…)であり、さらに言えば、上述のような言語的な無意識における意味の空白であって、主体は大文字の他者、先行するランガージュ、出自の世代といった基本的な所与の欲望に従属しているが、そのことを知らないのである。分析によって分析主体は無意識に書き込まれたこうした解読可能な意味を徐々に受け入れていくことになる。
 「主体が症状の意味を拒絶することこそが問題を提起します。この意味は主体に明らかにされてはいけません。この意味は主体によって引き受けられなくてはならないのです」(…)
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第三章 ラカン第一臨床あるいは同一化の臨床」 p.62-63)



 11時前起床。第五食堂で打包。食後のコーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書く。
 13時20分をまわったところで寮を出る。ケッタで移動している最中、脳内ビートにあわせてフリースタイルする。南門の近くにケッタを置き、歩いてバス停に向かう。ルートが変更になってからというもの、体育館前から乗車するのが習慣になっていたが、今日はそのひとつ手前にある(…)前から乗車することにした。
 40分をまわったところでバスがやってくる。乗る。運転手は石原軍団がかけていそうなサングラス——デカくて、真っ黒で、フレームがほぼない——をかけている。次のバス停でビート博士が乗車する。やつがスマホから鳴らし続けるクソダサいビートにあわせて小声でフリースタイルしてみるが、すぐにやめる。その次のバス停だったか、次の次のバス停だったか忘れたが、運転手が急に運転席から離れて、乗客らのいる車内の窓を閉めはじめた。そのようすを見た乗客らもおなじように窓を閉めはじめる。どうやらエアコンを入れることにしたらしい。こちらもかたわらの窓を閉める。今日は最高気温が30度あるかないかくらいだったが、体感的にはけっこうきつかった。たぶん湿度が高かったからだと思う。予報では午後から雨降りだったが、結局晴れたままだった。
 移動中はThe Garden Party and Other Stories(Katherine Mansfield)の続き。終点でおりる。売店でミネラルウォーターを買って教室へ。14時半から(…)一年生の日語会話(二)。第19課。教室後方にはめちゃくちゃ古いエアコンがいちおう置かれているのだが(冷蔵庫みたいなかたちをしたもの)、たぶん壊れている。それで冷房といえば天井の扇風機しかないわけだが、全部で四つあるうちの一つが壊れており、スイッチを押しても動きださない。学生らはみんな動く扇風機の下に集まった。いつもと座席が少し異なる。暑さのせいもあってか、授業はいつもにくらべると多少間延びした空気に。基本的にやりにくいクラスであるのだが(一年生の時点ですでにやる気のない学生がかなり目立つのにくわえて、高校履修組のやる気があったり能力が高かったりする学生のほとんどがめちゃくちゃシャイでろくに発言しようとしない、さらにクラス内での対立やイジメの気配をひしひしと感じる)、今日はそのやりにくさがわりとけっこうデカめの障壁としてたちはだかった感じ。(…)でやったときもおなじ感想をもったが、挙手をもとめるタイプのアクティビティは今後やらないほうがよさそう。(…)さんと(…)さんのふたりはもうダメ。ゲームの時間ですら居眠りする始末。こんな学生いままで一人もいなかった。
 5分はやく授業を切りあげる。帰りのバスも運転手の指示で乗客らが窓を閉める。往路と帰路で“Her First Ball”を読み終え、ああ、これもやっぱりいい作品だったなとしみじみ思ったわけだが、ひとつどうしても理解できない箇所があった。序盤、ballに向かう車内でナーバスに興奮しているLeilaの描写に続いて、彼女のcousinであるLaurieが姉妹であるLauraに"The third and the ninth as usual. Twig?”と語りかける、この言葉の意味が全然よくわからん。以下にその前の部分から引く。

 Oh dear, how hard it was to be indifferent like the others! She tried not to smile too much; she tried not to care. But every single thing was so new and exciting… Meg’s tuberoses, Jose's long loop of amber, Laura's little dark head, pushing above her white fur like a flower through snow. She would remember for ever. It even gave her a pang to see her cousin Laurie throw away the wisps of tissue paper he pulled from the fastenings of his new gloves. She would like to have kept those wisps as a keepsake, as a remembrance. Laurie leaned forward and put his hand on Laura's knee.
"Look here, darling," he said. "The third and the ninth as usual. Twig?"

 Chat GPTにでも質問すればわかるのかもしれないが、そもそもChat GPTを利用するためにはアカウントを作成しなければならないし、その作成のためには(中国以外の)SMSを利用する必要がある。だから頼れない。だれかこのLaurieのセリフの意味がわかるひとがいれば教えてください。あるいは翻訳ではどうなっているか教えてください(マンスフィールドもオコナーも和訳はすべて日本に置いてきた)。クソ気になります。
 (…)前でおりる。道路の対岸に渡って(…)で食パンを買う。食パンとは別にチョコレートのケーキもひとつ買う。阿姨が今日はそれは買うのかと笑いながらいうので、今日は甘いものが食べたいと応じる。店を出る。イヤホンを装着し、きのうYouTubeでリコメンドされるがままにフリースタイルしてみたら気持ちのよかったharuka nakamuraの“Lamp(feat.Nujabes)”を流し、歩きながらケッタに乗りながらあるいは寮の階段をあがりながら小声でひたすらフリースタイルし続ける。
 帰宅後ひととき休憩したのち、第五食堂に出向いて打包。バスケコートではまた応援団勢揃いで試合をしている。学部対抗試合もぼちぼち決勝戦をむかえるころでは? メシ食ってベッドに移動して30分寝る。起きたところで、一年生の学習委員である(…)さんに明日の授業で使う資料を送る。
 シャワーを浴びる。夜であるがかまわず洗濯機をまわす。ストレッチをし、コーヒーを淹れ、きのうづけの記事を投稿する。ウェブ各所を巡回し、2022年5月4日づけの記事を読み返す。(…)の教卓に銭鍾書の妻である楊絳(ようこう)の本が一冊置いてあるのを見つけたと記録されている。楊絳の本はまだ一冊も読んだことがない。帰国したら図書館を当たってみるつもり。
 以下はオープンダイアローグについて。

 2020年5月4日づけの記事を読み返した。以下、斎藤環『オープンダイアローグとは何か』より。

 このほかに言語を絶した経験といえば、PTSDなどのトラウマがあります。あまりに過酷なストレス体験は、断片化され現在との連続性を失ったトラウマとして心に刻まれます。断片化ゆえに、トラウマは、自分自身の人生の一部として統合され物語化されることがありません。それは断片のままフラッシュバックしてきたり、悪夢に入り込んだり、身体症状に転換されたりします。
 断片化されたトラウマの記憶を、言葉の力を借りて自分の人生に再統合すること。トラウマの治療の多くが、そうした基本方針のもとで構築されてきました。
 たとえばナラティブ・セラピーは、トラウマに意味を見出し、言語化を促進することで、もう一度患者自身の人生に再統合するという側面を持っています。あるいはまたPE(持続暴露療法 Prolonged Exposure)は、繰り返しトラウマを語らせること(暴露すること)で、それによって生ずる不安を軽減し、断片化した体験の統合をはかります。
 私はPEについてはよく、精細度が高く情報量が多すぎて保存しきれない画像データを“圧縮”して、記録しやすい情報サイズに変換する作業になぞらえます。ここで情報量の圧縮に大きく貢献しているのが「言葉の力」ということになります。
 ここまでで言えることは、精神障害の原因が「体験を言語化できないこと」かどうかはともかくとして、多くの精神障害にとって「病的体験の言語化=物語化」は何らかの治療的な意義を持つ、ということです。この側面について、オープンダイアローグはナラティブ・セラピーから大きな影響を受けています。
斎藤環『オープンダイアローグとは何か』より「オープンダイアローグの理論」p.35-36)

 ここでいう「物語化」や「断片化した体験の統合」、「精細度が高く情報量が多すぎて保存しきれない画像データ」の「圧縮」としての「PE(持続暴露療法 Prolonged Exposure)」など、すべて予測の体系をはずれた出来事(現実的なもの)を予測の体系(象徴秩序)に埋め込み直す作業として理解できる。伝承される知(予測体系1)としての〈父の名〉と経験的に培われていく個人的(身体的)な知(予測体系2)の二段重ねとして主体を考える道筋をこちらは考えているわけだが、この方向性はうまく発展させればオープンダイアローグ理論とも十分接続可能であると思う。

 2013年5月4日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。(…)さんのアホっぷりにやっぱり笑う。ほんまにどもならんジジイやったわ。この件についてもマジでキレていたはず。

(…)さんが60歳からのhow to sexみたいな記事につられてなけなしの金で週刊ポストを購入していたのが笑えた。いぜん新聞の広告欄にその見出しが出ているのを見つけて(…)さんが(…)さんこれどうですかねとすすめてみたところ、んなもんダメや週刊誌なんて嘘ばっかりや、と一顧だにせずな態度であったのに、結局これである。しかも数件のコンビニと書店をめぐったあげくの購入だったらしい。肝心の中身については、おめーこれスワッピングパーティーいうたかてな!紹介しとるとこぜんぶ東京ばっかやないか!ワシちょっと編集部に電話したろかいなコレ!とお怒りであった。

 ケーキ食う。食パンも食う。グルテンフリーを実践している人間が卒倒するような夜食の食い方しとる。(…)さんからもらったびわもいくらか食う。ひとつひとつがライチ並みに小さいし、これほんまにびわけ? という疑いがあったのだが、皮をむいて食ってみたらたしかにびわの味がした。種もやたらとデカくて、あ、やっぱりびわだな、という感じ。
 明日の授業で必要な資料を印刷し、USBメモリにインポートする。ジャンプ+の更新をチェックし、歯磨きをすませ、0時半から2時半まで『本気で学ぶ中国語』。その後、ベッドに移動して就寝。

20230503

 まず第一に主体は想像的ファルスである。それはペニスを持たない母に対して主体が想像するペニスであり、母が持ちたいと望むペニスである。対象関係のそもそものスタートは、このことを考慮すると、ある対象ではなく、「対象の欠如」すなわち母のペニスの不在であると考えることができる。ラカンは「人間的世界において、対象の組織化の出発点としての構造は、対象の欠如なのです」(…)と明言している。つづいて、この想像的ファルスは父の名(Noms-du-Père)によって母の欲望が消去される象徴的去勢を通して、象徴的ファルスとして象徴界に登録される。欠如している想像的ファルスというものが象徴化される以上、この象徴的ファルスは欠如のシニフィアンとなる。またこの象徴化の際、想像的ファルスは抑圧され(想像的ファルスの陰画化)、欲望の原因である対象が産出される(想像的ファルスの陽画化)。この対象は対象aと呼ばれ、それは幻覚を配置し、欲望を支えることになる。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第三章 ラカン第一臨床あるいは同一化の臨床」)



 昼前起床。二年生の(…)さんから早朝微信が届いている。作文の清書は授業中に書いたのだが、提出し忘れていたという。ほんまかよ。朝昼兼用の炒面を第五食堂で打包。食し、コーヒーを淹れ、きのうづけの記事の続きを書く。途中、(…)くんから微信修論に一箇所誤字があると審査で指摘されたのだが、本当に間違っているだろうか、と。「(…)先行研究はそれほど多くではないが、(…)」の「多くではない」は「多くはない」の間違いだという指摘だったと該当箇所を引いていうので、確かに間違っている、ケアレスミスだなと応じる。
 きのうづけの記事を書き終わったところで、(…)一年生の(…)くんに明日の授業で使う資料を送る。なんとなくそんな気分だったので、今日は日中を執筆にあてることにする。そういうわけで14時過ぎから17時過ぎまで「実弾(仮)」第四稿。シーン24を片付け、シーン25の序盤をいろいろいじくる。結果、プラス8枚で計466/1007枚。レトリックを解禁することに決めた。初稿の段階ではほとんどコンセプチュアルといってもいいほど比喩をはじめとするいわゆる文学的レトリックに対する禁欲を貫いていたのだが、稿を重ねるにつれてその路線でこの内容を扱っても齟齬が生じるだけだということに気づき、それで基準をゆるめてきた現状、ここにいたって、むしろ時と場合によっては積極的にレトリックを用いたほうがいいという方向に方針転換することに決めた。もちろん、だからといってゴテゴテよそおうというわけではない。量より質。フラナリー・オコナーみたいに要所でごっついのをバシっと決めるのだ。単語のチョイスだけは注意しなければならない。作中の語りには登場人物らと独立した存在としての審級をいちおう与えているものの、『A』とは異なり、機能としての「語り」ではない存在としての「語り手」の様相をことさらきわだたせているわけでもないので、そのシーンに居合わせた登場人物らが決して使わないような言葉は、いわゆる地の文(語りの声)であってもひとまずは使わないようにする。比喩をおりまぜるにしても、そのときその場を共有する登場人物の思考と釣り合うものに限定する。とりあえずそういう規則でやってみる。
 第五食堂で打包する。メシ食う。部屋の電気を消してベッドに寝転がった状態でひとときフリースタイルして遊ぶ。それからシャワーを浴びる。あがると、三年生の(…)さんと(…)さんのふたりから微信が届いている。およそ一ヶ月ぶり。めずらしくずいぶん間があいたわけだが、(…)さんがびわを持ってきてくれるという。土産らしい。それで寝巻きではなく街着に着替えて待つ。今日は日中の気温も30度以上あったし、風呂あがりの室内もかなり蒸し蒸ししていて気持ち悪かったので、ひさしぶりにエアコンをつけた。
 もうすぐ着きますという連絡が届いたところで外に出る。寮の敷地外に出た先にふたりがいるのでひさしぶりとあいさつする。この一ヶ月なにをしていたのかとたずねると、なにもしていないという返事。勉強? というと、いえいえいえ! と手を横にふってみせる。びわの入ったビニール袋を受けとる。びわといっても日本で見るようなサイズではない、ひとつひとつはライチのように小さい。便宜的に「びわ」と言っているだけで、もしかしたら別の果物かもしれん。(…)さんは小さなうちわも持っていた。表面には男性アイドルの顔写真が二枚貼ってある。中国のアイドル? とたずねると、タイのアイドルだという返事。そう、中国の若者のあいだではタイの大衆文化も微妙に存在感を放ちつつあるんだよな。少なくとも観測範囲ではそういう印象を受ける。タイのドラマがおもしろいとか、タイの音楽をきいているとか、ちょくちょくそういう話をきく。
 (…)さんは連休中帰省しなかったらしい。車がいっぱいだったからというのだが、あれかな? 電車の切符がとれなかったとかそういうことかな? 日本に渡る準備はしているのかとたずねると、来週パスポートが手に入るという。このあいだチケットの値段を調べたら往復で10万円くらいだったというと、南京からの飛行機であればもっと安いという返事があったので、彼女のアプリで見せてもらうとたしかにかなり安い。しかしこれを書いているいま、ExpediaやTrip.comで調べてみたところ、上海を経由しようと南京を経由しようと廈門を経由しようとやはり往復では10万円弱であることが判明した、というか契約書をあらためて確認したところ、年一回の往復であれば最大15000元まで大学が出すとなっているので、別に細かい金額にこだわる必要はない。冬の帰国時にはいまより額が下がっていればいいな。そうすれば自腹でもたいして痛くない。
 散歩の流れになる。びわの入ったビニール袋だけ寮の敷地内にあるケッタのハンドルにさげておく。コーヒーが飲みたかったので瑞幸咖啡に向かうが、途中の果物屋のほうに目を奪われる。もうスイカを売っているのだ。みんなで買おうかとなるが、スイカよりも串に刺さったメロンのほうがうまそうだったので、そちらを購入することに。一本3元。スイカはけっこうデカくカットしたやつが4元で、女子ふたりはそっちを購入。夕飯は第一食堂の螺蛳粉を腹いっぱい食ったので、お腹がたぷたぷだという。メロンとコーヒーは合わない感じがしたので、そのまま適当にキャンパスをぶらつくことに。途中で雨が降りだしたが、あるかなしかの小雨以上にはひどくならず、じきにやんだ。
 図書館のそばを歩く。四級試験の話をする。(…)さんはわずか1点足りずに不合格になってしまったわけだが、次回は必ず合格するはず。(…)さんが(…)さんを下回る点数でクラス最下位をマークした件について、本人はマークシートのずれのせいだと言っているらしいが、ふたりはひそかにそうではないと思っているという。しかし相棒の(…)さんによれば、ふだんゲームばかりしているという印象の(…)さんも、あれはたぶん試験前にかぎってはということだと思うのだが、毎日二時間か三時間勉強していたらしい。
 セブンイレブンの話をする。友阿と万达にそれぞれ開店したみたいだよというと、ふたりは今日の昼間まさに友阿に出かけていたという。しかしセブンイレブンには気づかなかったらしい。友阿ではレストランで昼飯を食ったのだが、そのメニューというのが「デートコース」みたいな名称のものだったらしく、(…)さんはわざわざそのレシートの写真を撮ってモーメンツに投稿し、(もちろん冗談で)恋人がいるふりをしたとのこと。実際のふたりはといえば、あいかわらずフリーのまま。(…)さんは大分県で恋人ができるかもしれないと(…)さんがいうので、同僚はおじさんとおばさんばかりだと思うけどというと、金持ちであれば問題ないと(…)さんがいい、それに対して(…)さんが、ひとのことだからって好き放題言って! みたいな抗議を口にした。(…)さんは日本滞在中、映画館でかならず宮崎駿の新作『君たちはどう生きるか』を観るつもりだといった。
 かえるの住んでいる池をのぞく。以前もおなじようにふたりでキャンパスを散歩しながらこの池をのぞいたねと話す。あの頃ってまだきみたち一年生だったんじゃないというと、わたしたちが一年生のころ先生はまだ日本にいましたという反応がある。そうだった。土木関係の学部がある建物の前にちょっとした人だかりができていた。マイクを持って話している男性もいる。なんだなんだと近づいていったところ、どうやら晚会のリハーサルらしい。明日が本番の模様。外国語学院も以前は年に一度、ホールを貸し切り状態にして、学生たちがステージで歌を歌ったり、ダンスしたり、楽器を演奏したり、アフレコしたりするイベントがあったんだよというと、ふたりはびっくりしていた。ぼくは外国人の審査員として、日本語と英語だけならまだしも、聞いても全然理解できない韓国語のアフレコにまでなぜか点数をつけなければならなかったんだよ。
 女子寮のほうに向けて歩く。クラスメイトのみんなは元気にしているかとたずねる。あたらしいクラスメイトが増えたというので、三年生の後期から? とびっくりしていると、もともとは(…)さんのクラスメイトだった、軍隊に行っていて今年復学したというので、(…)くんか! となった(しかし女子ふたりは彼の名前をはっきりおぼえていないようす)。(…)さんから以前、彼は卒業後軍隊に行くという話を聞いていたが、あれは卒業後ではなく中途でということだったらしい。(…)くん、日本語は全然できない。日本語学科の学生らしくないシュッとした男の子で、(…)さんは彼はちょっと俳優みたいな雰囲気がある、きっと女子にモテモテだろうとしょっちゅう口にしていたものだが、彼についてはゲイであるという噂があった。たしか(…)さんからだったと思うが、彼のスマホにゲイ専用の出会い系アプリが入っているのを目撃したという話を聞いたことがあるし、もっと言うなら彼自身から受けとった作文のなかに、なかば冗談めかしたアレではあったものの、自分はゲイであると書かれていたのもおぼえている。もちろん、その話はふたりにしない。(…)くんは英語学科の後輩から最近告白されたと(…)さんはいった。付き合っているの? とたずねると、知らないという返事があったので、まあ断ったんだろうなと思う。
 その流れで一年生の(…)くんの話になる。というのも彼は英語学科の先輩と付き合っているからなのだが、彼の名前を出したところ、(…)さんの顔がゆがんだ。(…)さん相手に中国語でなにやらバババババっと口にするので、彼のことを知っているのかとたずねると、悪いひとですという返事がある。なんでまた? とたずねると、(…)さん相手にまた中国語でバババババっと口にする。その言葉のなかに(…)さんの名前が聞きとれたので、(…)さん? とツッコミをいれると、老师听得懂! といって笑う。で、詳しく説明してもらったところによると、(…)くんは彼らのクラスの班导である(…)さんと(…)さんのことを阿姨みたいだと言ったことがあるらしい。それは冗談じゃないのか、班导という立場であるから後輩らにいろいろ口やかましく言わなければならない、そのことに対する多少生意気な揶揄ではないのかというと、そういう意味ではなく外見に対する悪口だったみたいなことをいうので、あ、それはあかん、絶対アウトやわ、となった。で、これに続く話がちょっとおもしろかったのだが、(…)さんも(…)さんもだれから聞いた話であったか忘れた、真偽不明であるといちおう断っていたものの、その件について後日(…)くんは班导のふたりに泣きながら謝罪したらしい。これにはさすがに、えー! となった。いやしかし、ないとは言い切れない感じはちょっとする。女装趣味があり、自撮り趣味があり、変にロマンティックな言葉をやたらと愛する、そういう彼のふるまいを見ていると、ま、たしかにちょっと打たれ弱いところもありそうだなという感じがするのだ。
 女子寮付近で後ろから「先生!」と呼びかけられる。二年生の(…)さん。そばには(…)さんと(…)さんもいる(しかし(…)さんの相棒である(…)さんは今日もいない)。自習帰りだという。今日は連休の最後の一日。授業はなかったのだが、一年生と二年生は夜の自習があったらしい。(…)さんにセブンイレブンについてたずねる。日本の商品は置いていたか、と。(…)さん、例によってこちらに話しかけられると多少パニクってしまうようで、すぐにスマホで翻訳アプリをたちあげる。そして出てきた言葉は「あまりよく見ていないのでわかりません」。ふたりはすぐに去る。(…)さんだけはその場に残り、(…)さん相手にワー! と話しはじめて、そうだった、このふたりはいつもこうだった、話しはじめると止まらないのだった、というか(…)さんがやたらと(…)さんになついているのだった。
 で、ふたりがわーわー言っているあいだ、こちらと(…)さんは置いてけぼりになる。わたしが同時通訳します! みたいなことを(…)さんがいうが、こちらが直接リスニングしたほうがまだマシというレベルのアレしか出力されない。とりあえず日本語学科の置かれている状況について話しているのは間違いないようだった。そのまま女子寮まで移動したのだが、門前でもふたりはずっと話し続けており、(…)さんがあらためて解説してくれたところによると、日本語学科は大学から全然重視されていない、そのことにふたりはたいそう怒っているようす。まあこのまま潰れるみたいな話もあるしねというと、さすがにそれはないと思うという反応があったが、それだってどうだかわからない。教育改革の一画なのかもしれないが、ビジネスに関連する科目(ビジネス日本語と商法)は現二年生を最後に撤廃されるらしい。そのかわりに文学関係の授業が増えるというので、あれ? なんか改革の方向性が政府の意向と逆向きじゃない? むしろ政府としては少しでも経済的に役立つ方向でというアレでなかったっけ? と思ったが、どうしてそういうふうになるのかは不明。外教がひとりしか雇えなくなった現状、会話に関連する科目数を減らすという方針に主任の(…)先生のほうで切り替えたということなのかもしれない。ちなみに三年生は現在、(…)先生が担当する商法の授業を受けているというのだが、これが(…)先生に負けず劣らずひどい授業だとのこと。(…)先生が日本語を話しているところは一度も見たことがないと(…)さんは言った。
 三年生の恒例行事であるという、口語実践演習とかなんとかそういう名目の修学旅行的イベントについて、来週はじまることになったというのだが(そのはじまりが準備のはじまりであるのか、出発であるのかはちょっとわからない)、いまだに目的地が判明していないらしい。スピーチコンテストの校内予選についてもそうだが、今年はすべてのスケジュールが後ろに後ろにずれこみまくっている気がする。三年生のふたりは西安に行きたいといった。(…)は近すぎるから嫌だという。
 (…)さんがようやく話を終えて寮に先にもどった。ふたりはもう一度こちらを外国人寮のほうまで送っていくつもりらしかったが、すでに21時をまわっていたし、それに今週の土曜日の夕方いっしょに出かけようと誘われてもいたので、積もる話はまたそのときにということで、今日はめずらしく女子寮前でさよならした。喉が渇いていたので瑞幸咖啡に寄っていくことにした。店まで歩きながら、じぶんの歩行のリズムを一種のビートに見立てて、小声でフリースタイルし続けた。照明に照らされたバスケコートをショートカットのために横断する途中、男子学生のひとりがすれちがいざまこちらのほうをちらりと見た。その目つきから察するに、どうやら興が乗るにつれてけっこう大きな声になっていたようだ。
 瑞幸咖啡でココナッツミルク入りのアイスコーヒーを打包する。帰宅し、のどをうるおしながらひとときフリースタイルし、それからきのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年5月3日づけの記事を読み返した。2013年5月3日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。そのいきおいのまま今日づけの記事も一気呵成にここまで書くと、時刻はぴったり0時半だった。

 ひとつ書き忘れていた。女子寮の門前で立ち話しているあいだ、やはり自習終わりの学生たちとたくさん顔を合わせることになったのだった。しかしだれと言葉を交わしたのであったか、もはやあまりはっきり記憶していない。たしかなのは(…)さんと(…)さんのふたり。(…)さんについては、彼女は勉強はあまり好きじゃないけど明るい子でスケボーが好きなんだよとかたわらの(…)さんに説明したので印象に残っている。明るい金髪がなかなか目立つ(…)さんは、だれかの運転する電動スクーターからおりるなり小走りでこちらの正面にやってきて、先生こんばんは! と快活に口にしてぺこりをあたまを下げてみせた、そのふるまいを見た(…)さんが、日本語学科の学生らしい! と微笑ましそうにいうので、あ、そっか、中国ではそうカジュアルにお辞儀なんてしないもんな、といまさらなことを思ったのだった。しかし(…)さん、前々から思っていたけどちょっと雰囲気が卒業生の(…)さんに似ているんだよな。顔立ちそのものもそうであるし、タッパがあるところもそうであるし、それにくわえて今日のあのふるまい、ちょっとおどけた感じのちょこちょこした小走りでこちらの前にやってくるあのひとなつっこい感じが、なつかしい姿にやたらと重なってみえた。こうして同じ場所で同じ年頃の学生ばかり相手にしていると、たとえば初顔合わせとなる新入生を前にしてもその子自体の印象がせりだすよりも、それまでに出会った学生との類似のほうが先にせりだしてくる、そういう感覚は去年あたりからことさら頻繁におぼえるようになった。いや、もともと人間の認知のデフォルトとはそういうものであり、そしてそういうものであるそのありかたが、同じ性別(日本語学科の学生の大半は女子だ)・同じ年頃・同じ出身地と、複数の属性が重複しているがゆえに必然的にその(ささやかであるからこそきわだつ)差異が目につくことになる集団を相手にしつづけるこの環境においてはことさら強く対象化されるということなのかもしれない。
 それにしても「いつの日にかみんなどこかへ消えてしまう気がする」(ブランキー・ジェット・シティ「水色」)という感じだ。本当に卒業とともにみんな消えてしまう。ここは田舎だから。ほとんどすべての学生にとっての止まり木でしかないから。「伝えなくちゃその気持ちを」のかわりにただ日記を書く。
 夜食のトーストを食す。ジャンプ+の更新をチェックし、歯磨きをすませ、またフリースタイルして遊ぶ。その後、寝床に移動して就寝。

20230502

 「分析において私たちが関わっているのはシニフィカシオン(signification:意味作用)なのです。それ以外のところに準拠枠を求めても無駄骨を折るだけです」(…)。
 シニフィカシオンとは、単純には意味やシニフィエと言うことができるものであり、それはシニフィアンに支えられている。
 「シニフィアンとは、それ自体で何も意味しませんが、あらゆるシニフィカシオンの次元を確実に支えている何かなのです」(…)。
 こうしたシニフィアンとシニフィカシオンの関係について、ラカンは「転移」という言葉がフロイトの『夢判断』の第七章で登場することに注目して、さらに次のように述べる。
 「そこで示されているのは、夢の機能においては或る一つの素材となるシニフィアンに幾つかのシニフィカシオンが重なっているということです」(…)。
 フロイトは分析において、夢、機知、言い間違い、失策行為、反復行動といった無意識の形成物を重視したが、ラカンシニフィアンの水準を強調しながら、やはり無意識の形成物に注目する。こうした着眼点は分析主体が意味づけできないところに注目するということであり、それは彼が意味づけるものや彼の指向性、さらには彼の要求から分析家が一歩脇へ出ることを意味する。つまり、シニフィカシオンの重奏が響くシニフィアンを含んだ無意識の形成物に注目することは、分析家が自我と自我の関係から身を引くことと同義なのである。もっと単純化して言えば、分析家がシニフィアンに注目するということは自らの自我から離れることなのである。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第二章 三項関係および二項関係における分析症例」 p.58-59)



 12時半起床。昨日は寝床に入る直前、以前プレイしたことのあるGrim Questの新作らしいGrim Tidesがリリースされていることに気づき、ベッドにもぐりこんでからそいつをプレイしていたために寝入るのがかなり遅くなってしまった。それで目が覚めたあともまた少しプレイしてしまったのだが(日本語表記のないゲームなので英語の勉強になるというクソみたいな言い訳でついついプレイしてしまう)、このときははやめに切りあげた。二年生の(…)さんから(…)を芝生で遊ばせている写真が届いたので、元気そうでなによりと返信。
 ケッタに乗って(…)へ。食パン三袋購入。阿姨からあんた中国語できんのとたずねられたので、ちょっとだけと応じる。帰路、第四食堂前をのぞいてみたが、やはりハンガーガーの店は閉まっている。連休はたしか今日までで、明日から通常授業開始だったような気がするのだが、スーツケースをガラガラさせながらキャンパス内を歩く姿は全然見かけない。みんな夜にもどってくるのかな。
 帰宅。食パンを一枚だけそのまま食す。きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年5月2日づけの記事を読み返す。この日もやっぱり「実弾(資料)」のための資料収集として、2021年の記事を読み返している。以下は2011年12月16日づけの記事。なんべん読んでも狂っとる。ビデオインアメリ大徳寺店でDVDを借りた夜の出来事。

借りるものを借りてさて帰ろうかと駐輪場からケッタを出しかけたところでじぶんのケッタのとなりに駐車してある大型バイクの持ち主とおぼしきおっさんというかおじいさんというか実年齢はおじいさんなのだけれど心意気はおっさんみたいなアレであるのでその心意気を買って以下おっさんと表記することにするけれどそのおっさんがなにやら話しかけてきて、すみませんすみませんと言うものだからてっきりこっちのケッタを出すのに相手のバイクがちょっと妨げになっているのでそれを気にしてわざわざ一声かけてくれてんのかなと思ってふりむくと、あのあなたね、ミュージック、ミュージックに興味ない? と唐突にたずねられた。ああこれはもう絶対おもしろいことになるわとその時点で確信したので長期戦になるのを覚悟して、え、ミュージックって音楽ってことですか、と興味津々に問い直すと、そう音楽、あなた音楽やらない、というのはね、わたしね、曲をね、音楽をね、二曲、二曲いまあるんだけれど、あなたそれやってみない、ギターとか弾いてね、と言うので、え、ていうかなんでそもそも僕なんすか、と重ねて問うと、いや、もう一目見たときにね、このひとだと思ったんですわ、わかるから、もうミュージックやってるでしょ、わかるから、とアパートの下見におとずれたときの大家さんみたいなことを言う。ああ、バンドメンバー募集みたいなことですか、と答えると、いや、バンドとかじゃないんですわ、お兄さんにはね、歌ってくれないかなって、うんお兄さんにね、それでまあわたしはプロデューサーっていうかたちでね、と思ったんだけど、もちろん著作権はこっち持ちなんだけどね、どうかなと思って、そういうふうに考えてるんやけどね、と続けて、どんな音楽なんですか、と問えば、演歌、演歌やね、演歌、と即答し、ちなみにね、曲はね、いまのところ二曲、(ダウンジャケットのポケットに収納されているとおぼしきレコーダーか携帯電話を指し示しながら)これ、これ二曲までやったらふきこめるからね、ひとつはね、「明日は明日の風が吹く」って曲でね、まあこういう感じなんやけど、(※以下、90秒ほど歌唱)、これはね、むかしね、友人がなにかの拍子に口にした言葉でね、このあいだ酒飲んでたときにふと思い出して、それで広辞苑を調べてみたら、ほら、のってる、のってるからそこに、それでこれはもうええ言葉やとね、酒飲みながらね、紙に書いてみたらね、そしたらねあなた、続けてすらすらとね、次の一行が出てきますがなほんと、それで気ィついたらできてますやろ詩が、それでもうこれは歌になるわと、そう思ったんですわ、それでもうひとつ、もう一曲は「薔薇の花」というのでね、(※以下、60秒ほど歌唱。Bメロの歌詞を忘れるというトラブルも!)これはね、四ヶ月前にできた曲でね、きっかけは(※以下、友人宅に遊びにいった際に庭に咲いていた薔薇を刈り取ってくれと頼まれて刈り取ったはいいもののあまりの美しさに捨てられなかったという最近のエピソードが、友人とその奥さん(この奥さんはおっさんのことをとても嫌っているらしい)の声色をそれぞれ小器用に使い分けたうえでたっぷりのジェスチャーとともに演じられる)でね、まあそういう感じですわ、とここでようやくおさまる。いやもうじぶんで歌ったらいいんじゃないですか、そのほうがいいっすよ、歌だって上手じゃないっすか、と言うと、気恥ずかしそうに笑いながら、いやワシこんな指しとるから、とだらんとさげていた左手をつかのまパッと開けてみせて、はっきりは見えなかったのだけれど指が一本緑色っぽくなっていてそのときは痣か何かかなと思ったのだけれどとにかく、こんなんじゃね、(ギター)弾けんから、と続けて、それにね、ワシもう60、60で歌うってのはちょっとな、いまはほれ、大学生とかな、月にいっぺんくらいコンサートできるって言うから、知り合いがね、そやから大学生と仲良くなってね、その子に歌わせればええって、ワシは曲とね、あと詩、詩だけ書いてそれを提供する、それやからこうやってね、ワシ大学生の知り合いとかおらんからね、いやひとりもおらんことないですよ、おるにはおるけど、ほれ、こっちのほう(と言いながらギターを弾く仕草をしてみせる)できる大学生ってのがね、残念ながらおらんもんで、それでお兄さんどうかなって思ってね、お兄さん大学生? と問うので、や、もう卒業してフリーターっす、と答えると、そう、まあそんな感じでね、こうやってね、声をかけてるんやけどね、若い子のほうが、ほら、テレビにも出れるし、と言うので、なんでテレビ出たいんすか、と果敢につっこんでみると、とたんに顔色が変わって、そりゃワシ、テレビに出れると思ってるから! それくらいええ曲作ってるから! とよくわからんタイミングで若干キレ気味に言うので、ていうかね、そもそもぼくがあなたの立場やったらそこまでええ曲作っときながらひとに歌わすなんてこと絶対しないっすけどね、ほんなもんじぶんで歌いますよ、だいたいなんすかそのテレビどうのこうのって、若いの使わな駄目みたいなこと言うたの誰か知りませんけど、なんすかそれ、そいつ、ちょけとんすかねそいつ、ほんなもんいちいち耳貸しとってどうすんですか、ほんなもん知ったこっちゃないってくらいの心意気ないと駄目ですよそもそも、だいたい指がどうのとか年齢がどうのってなに逃げ腰になっとんすか、芸術ってのはアレっしょ、おもくそフェアな舞台でしょほんなん、年齢もクソもないっすよ、あのーあれあれ、ジャンゴ・ラインハルトみたいなひとやっておるんすから、ほんなもん関係ないっすわ、いっさい関係ない、しょうもない連中の言うことなんて耳貸す必要ないですよそんなの、クソ喰らえですよ、なにおとなしく言うこと聞いとんすか、ぼくやったら唾吐きかけたりますよほんと、ねえ、もっと突っ張ってくださいよ、だいたいテレビ出とんがええもんとは限らんでしょそもそも、いやほんとぼくの好きなミュージシャンなんてだれもテレビ出とりませんよ、と適当にホラを吹いてみると、いや! いや! いや、どうもすんまへん! あなたの言うとおり! やっぱりあなたはね、ほかと違う! 芸術家やと思うてたんですわ! そりゃ見たらわかる、もう一目見たらそれくらいのこと、ワシらくらいの年齢になるとね、わかるもんですから! 一目見たらわかる! だから声かけさせてもろたんですわ! とあって、とりあえずこの調子で今日交わした会話を書きつづけるとほんと原稿用紙50枚とかになりかねないので以下は端折って書くけれど、そのおっさんの本職は彫り師だった。脛を見せてもらったけれどびっしり蓮の花かなんかが咲いていた。指の痣と見えたのはたぶん彫り物で、あとたぶん小指がなかった。突っ込んでみると、いや不義理をしてもうてね、若いころはほんと酒癖が悪くてね、と照れていた(やくざもんにもっと突っ張れとか説教してしまったじぶんがはずかCが後の祭り!)。高校一年のときだか英語の授業中に弁当を食べていたところ教師に注意されたので腹がたって手近にあった何かをぶんなげてそれで退学になって、育ての親にもうこれ以上の面倒は見れんから働きなさいと親族の経営する会社を紹介されてそこで電気工事かなにかの仕事を数年して、徹夜で工事が当り前だったとか関西電力の偉いさんに袖の下がどうのとか面白いエピソードもいくつかあったのだけれどとにかく色々あって親方相手にぶちきれて喧嘩ふっかけたところボコボコにされて(ここで大笑いすると、いや、でもその後数年してからもう一回挑んだからね、出てこーい言うても出てこやへんもんやから窓ガラスぜんぶ蹴破ってね、それでそのときはまあ、勝ちましたわ、おかげで留置所で一泊しましたけど、でもね、そっからまた十数年経ってからね、ワシ酒おごりましたわ、わざわざ神戸まで会いにいってね、筋だけは通しましたわ、と激烈な反論があった)、それでそのあとはなんだったけな、友人五人で同居生活してたこやき屋経営したりキャバレーのボーイをしたり、でもどんな仕事も続かなくてどうしようというときに銭湯でやくざを見かけて、その刺青を目にしたときにじぶんにはこれしかないと思って彫り師の門を叩いたとかなんとか、結局師匠のもとで修行をしていた期間は一年にも満たず(「不義理をしてもうてね、不義理を!」)あとは独学だということだった。それでだいたい面白い話も聞かせてもらったし小一時間も屋外で突っ立ったままでいたものだからいい加減冷えてきたしそろそろお開きかなと思っていると、最後にええこと、ええこと教えましょか、最後にええこと、ええことでっせ、とどんだけ期待させんだよみたいな前フリをするので、ええぜひ、と応じると、あのね、と秘密を打ち明ける口調で言いながらほとんどキスができるくらいのパーソナルスペースガン無視な距離にまでこちらに接近したうえで、あのね、おてんとさんはみんな見てる、みんな見てるで、と口にしたあげくほとんど神々しいくらい満面のドヤ顔をしてみせて、で、なんかこのあといきなり守護神の話みたいなスピリチュアルな方向に話が急展開し、神社における二礼二拍手一礼の作法だとか神棚の作り方とか塩の盛り方とかそういう諸々をレクチャーされたのだけれどその前にアレだ、たしかじぶんが寅年だみたいなことを言い出して、寅年の守護神は文殊菩薩なのだけれどその文殊菩薩広辞苑で調べてみたところ釈迦のガーディアン(大意)みたいなことが書いてあり、ところで寅年の前後にあたる子年と丑年、それに卯年と辰年はそれぞれのペアにつきひとりずつ別のなんとか菩薩が守護神でそれらをやっぱり広辞苑で調べてみたところ、どちらの菩薩も「文殊菩薩とともに」釈迦を守るとかなんとかそういう書き方がしてあったものだから文殊菩薩やべえじゃん、超えらいさんじゃんとなって、それでじぶんの周囲の家族や友人知人の干支を調べてみるとなんとみんながみんな子年か丑年か卯年か辰年だったのだ! みたいな、だいたいそんなふうな話がくりひろげられたのだけれどこちらとしてはただおれの干支をきいてくれるなとその一念ばかりで、というのもこちらの干支はしょせんは文殊菩薩の脇役にすぎないなんとか菩薩を守護神とする丑だからなのだけれど、ま、案の定そこのところをたずねられたので、いやもうあんま言いたくないっすけど見事に丑ですね、と言うと、もう見たことのないようなすっごいしたり顔が出た。あとこれも別れ際だったように思うけれど、右目の下にほくろがあると異性から言い寄られるタイプ(「宮沢りえとかそうでっしゃろ?」)、左目の下にあると逆に言い寄るタイプらしいのだけれど、ワシは言い寄るほうなんやけどね、もういい加減言い寄られたい、言い寄られたいからね、ほれ、ここにほくろあるやろ、これね、ワシじぶんで刺青いれたったんですわ、とか言ってたのがクソ面白かった。効果はどうですか、とたずねてみたところ、さっぱりや、と歯切れの良い返事があったのがまた可笑しくてふたりしてゲラゲラ笑い、ほんならぼくもまあさびしなってきたらじぶんでペンかなんか突き刺してほくろ作りますわ、と言うと、とたんにきびしい顔つきになり、いやあかん、そんな簡単にするもんやないで、ワシなんかもうこの年やからアレやけど、ほんと一変するから、あんまり簡単にするもんやないで、となぜかいきなりたしなめるような感じになって、その態度というのがいかにもおふざけも軽口いいけどここはきっちり一線画すべき領域だぜ小僧みたいな格好つけたアレだったもんだから、なにいってんだこの煩悩のかたまりが、と思った。それで最後にかたく握手してバイナラした。菩薩さまの名前を口にするときや念じるときは必ず菩薩さまというふうに「さま」まできっちりつけること、呼び捨てもさん付けも駄目だと最後に忠告をくれたのだけれど、当のおっさん、ついさっきまで文殊菩薩文殊菩薩と呼び捨てにしまくりだったし、じぶんの守護神以外の菩薩については完全に名前失念していたりもした。

 以下は2011年12月18日づけの記事より。当時のバイト先であるAV店での一幕。

ちょくちょく見かけるような気もするおっさんというよりはおじいさんよりのお客さんから大学生かとたずねられた。もう卒業してフリーターをしていると答えると、諦念まじりの渋みある苦笑をふっと浮かべ、きみたち若い世代はこれから大変だ、それもこれもわれわれのせいかもしれないが、日本人もめっきり駄目になってしまった、と若干標準語じみたニュアンスで口にしてみせる。日本だけじゃなくてなんか世界的にキナ臭いですね昨今、どうにも嫌な感じがします、と受けてみると、悪徳が蔓延してしまっているんだよ、こうなれば世界はもう終わりさ、滅亡だよ、と言い、ふっと息を漏らしたのち、それじゃあと小さく片手をあげて去っていった。ちなみにそのひとが購入していったのは桃太郎映像の人気シリーズ「酔わせて犯る!」の最新作である。あ、悪徳の蔓延……。

 それから、2011年12月21日づけの記事より。

サルトルのクソみたいな問い掛けに代表される文学の無力さみたいなアレとは別の文脈で、とても素朴に芸術にはなんの力も影響力もないみたいなことを口にするひとがときどきいるけれども、んなわけないだろ、とやはり素朴に思わざるをえない。ちょっと周囲を見渡してみれば、小説でも映画でも絵画でも漫画でもアニメでも音楽でもなんでもいいけれど、でっかく大雑把にひとまず「芸術」と括れるようなあれこれを(その量や質はどうであれ)生産するなり消費するなりすることにうつつをぬかして人生を棒にふっているようなひとたちなんて無数にいる。これだけ多くの感染者を出しているものに力がないとか、いったい何を見てそんなふうに思うのか。ひとひとりの人生を狂わすだけの力を秘めたものに対して無力であると断じることができるわけなどない。
千人に読まれた書物があるとする。千人のうち九百九十九人は「無事」にその一冊を読了することができたものの、残るひとりはあえなく感染してしまった。熱にあてられてしまった。おおいにかぶれてしまった。それまでの人生計画をぜんぶほっぽり出しておれは小説家になると愚直な大志を抱きはじめてしまった、とする。「たった千分の一」では断乎としてない。感染のもたらす不可逆性、とりかえしのつかなさを思えば、千分の一というこの数字はかなりおそろしいものだろう。「芸術の瀕死」なんていうのは幻想であって、むしろこの旺盛な繁殖力、尋常ならざる感染力のほうにひとは畏怖の念を覚えるべきだ。

 そのまま10年前の記事、すなわち、2013年5月2日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。

関係の数だけ顔が増えていくという原理を前提として(じぶん探しの旅という紋切り型は「本当のじぶんの探究」ではなく「あたらしいじぶんの獲得」として読解すると正当性をおびる)、さて、いまこうやって対面しているあなたとわたしの関係と、あした別々の場所でたとえば電話しているあなたとわたしの関係は別物で、となるとごくごく素朴に同じものである(とされている)あなたとわたしの関係も、決してあなたをあなたとして束ねるのが無理であるように、わたしをわたしとして束ねるのが無理であるように、ひとつの関係として束ねるのは無理であり、たとえあなたとわたしだけしかいない無菌世界であっても、あなたもわたしも無数に無限にあらたな顔を獲得していくことになる。そしてもちろんこの世界は無菌ではない。時があり、記憶があり、歴史があり、文化があり、環境があり、文脈があり、教義があり、あなたとわたし以外の無数の存在があり、風は吹き、水は流れ、大地は腐り、炎はかたちを変え、それら刻一刻と更新されていく包括的なこの世界そのものの微細で巨大な流動性の影響を受けないわけにはいかぬものとして、やはりまたあなたがいて、わたしもいる。あなたの中にはあなたをとりまくすべての環境とあなたにいたるあらゆる因果律が内包されており、わたしの中にはわたしをとりまくすべての環境とわたしにいたるあらゆる因果律が内包されており、ゆえに「あなた」といま呼びかけたあなたとは呼びかけた瞬間の世界そのものの横顔であり、「わたし」といま呼びかけたわたしもまた呼びかけた瞬間の世界そのものの横顔である。いまや関係の数だけ顔があるのではない。任意の瞬間の数だけ顔があることになる。すべて世界の横顔。すべて。ひとしく。
たとえば、こういう話を英語でするのはむずかしいだろうなと思った。譬喩でも使わなければやってられない。けれど譬喩には精度の粗さという致命的な弱点がある。譬喩とは換言であるのだから。そして換言には(原理として!)誤差がつきものなのだから。むろん、その誤差を増殖させて収拾をつかなくさせていくところにテクストの快楽がある。それもまた疑いない。バルトならきっとそう言うだろう。

 夕飯は第五食堂で打包。食ったあとは仮眠をとらず、Grim Tidesをついついプレイしてしまう。一時間ほどプレイしたところで、いやこんなもんするためにある連休ちゃうやろ! となって切りあげる。で、全然そんな気分ではなかったのだが、あたまを切り替えるためにYouTubeで適当なビートを流してフリースタイルをやりはじめたところ、すぐに気持ちよくなってしまい、それで結局電気を消した状態で小一時間ひとりでべらべらやり続けたし、その過程でどうせ時間を無駄遣いするのであればやっぱこっちのほうがいいわというわけでGrim Tidesもアンインストールしてしまった。フリースタイルって最初の10分くらいがいちばん調子がよくて、30分を超えるとさすがにもうだらけてくるというか、言葉もやせほそってくるし、噛んだり詰まったり言い間違えたりする頻度も上昇するのだけど、そういうぐだぐだな状態におちいっているときにふと、あ、これってもしかしたら精神分析の代替手段になりえるかもしれんなと思った。知を想定された主体が不在の場であれば、どれだけ言葉を吐きだし連ねたところで意味などないのかもしれんが、それでもビートやリズムという外圧によって無理やり絞り出されることになる言葉には、その意外性とその凡庸さの両面において、あとになってほかでもないその言葉を口にしたこちら自身に、なんであんなこと言ったんや? と戸惑わせるものがときどきあるのだ。疲れが蓄積し、言葉が痩せほそり、それでも無理やり絞りださなければならないから絞りだした言葉が、ときどき自分をつまずかせるものであったりする——その言葉をたとえば無意識のあらわれであるとあえて俗流に解釈する前提に立つとき、フリースタイルという形式そのものが自身の無意識をあらわにする場であるという認識が成立するとともに、その場こそがほかでもない知を想定された主体として機能しはじめ(「この場はわたしの無意識の媒介となる」という思い込み=転移の出現)、アクロバティックな分析空間がたちあがる、そう言ってみることはできないだろうか? 楽曲の単位が(短時間)セッションを模し、小節が切れ目を模し、うまくつなげることができずどもるだけになってしまった箇所が、セッションを終えたあともなお残る秘密の暗示として、その後の時間を喉に刺さった小骨のように不愉快に刺激し続ける。
 シャワーを浴びる。ストレッチをする。四年生の(…)くんから卒論の一部をチェックしてほしいと微信が届く。コーヒーを淹れ、今日づけの記事を記事をここまで書く。

 時刻は22時半前だった。(…)くんからの依頼をちゃちゃっと片付ける。それから日語基礎写作(二)の添削。全員分を終えると1時になっている。(…)さんだけ未提出だったので、事情を問う微信を送っておく。授業態度のあまりよろしくない彼女のことであるし、意図して清書をサボったのではないかという疑念もなくはない。そうだとすれば、ここらで一発注意しておいたほうがいい。
 懸垂する。ジャンプ+の更新をチェックし、プロテインを飲み、トースト二枚食す。歯磨きをすませて寝床に移動するつもりだったが、寝る前にちょっとだけやるつもりだったフリースタイルが結局また小一時間続いてしまう。あかん。気持ち良すぎる。ずっとやってまう。
 寝床に移動。福間健二の訃報に触れる。先月26日に亡くなったらしい。なんといったって「きのう生まれたわけじゃない」のひとだ。映画作家としての福間健二の作品に触れたことはないが、詩集は何冊か読んでいる(『きみたちは美人だ 21 poems』、『秋の理由』、『侵入し、通過してゆく my favorite things』)。現代詩文庫に主として収録されている、血生臭いイメージが饒舌に羅列されている作品群よりも、たぶんそれより後の時代のものということになると思うのだが、平易に切りつめられた言葉が隠喩の体系を作りそうで作らない、見取り図が結ばれかけるそのぎりぎりのところで思いがけない言葉が配置されるせいでご破算になってしまう、意味との不思議な距離の取り方が達成されている作品が好きだった(それに影響を受けてふたつみっつそういう詩を書いたこともある)。マイケル・オンダーチェの訳書は結局まだ読んでいない。
 上の段落を書いている最中、はじめて知ったのだが、平易の読みって「へいえき」じゃなくて「へいい」なのか! ずっと「へいえき」って口にし続けてきたんやが!