20240415

 たとえば能や狂言などの伝統芸能は、個人の個性ではなくて、伝統芸能としての動きを継承することが優先される。連綿と受け継がれてきた動きが最初にあって、それによって精神が生まれてくるその世界にあっては、個人は伝統芸能を形あるものとする媒介のようなものになるのではないか。「個性」「個性」と言われている現代人には自分が〝媒介〟のようなものになるなんて、とうてい受け入れられないと思われるかもしれないが、伝統芸能から見たら個性なんて、伝統という根を持たない者による苦しまぎれの悪あがきでしかないのかもしれない。
保坂和志『小説の誕生』 p.179)



 12時半起床。やっちまった。アラームで一度10時に起床したはずなのだが二度寝。あしたは早八だというのに……!
 だるい。食堂まで出向くのもめんどうなのでトースト二枚で食事をすませる。コーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読みかえす。以下は2014年4月15日づけの記事より。

 彼は自分をひとつの「類」と見なしていたが、それに属しているのは彼ひとりきりだった
(残雪/近藤直子・訳「素性の知れないふたり」)

こうして旅先の記録を日記としてつけていると思うのだが、たとえば一年後でも三年後でも五年後でもいいのだけれど、これら旅先の日々をふと思い返すことがあったとしても、じっさいに彼の地で過ごした記憶をそのまま想起するというよりはむしろそれらの日々を記録した日記の文章のほうを優先的に思い出すことになるんではないか、たとえ記憶そのものの想起にいたることがあったとしてもあくまでもそれらの文章を起点とすることではじめてそこにいたるというふうになるんではないか、それくらいじぶんのなかでは文として整列された体験のほうが五感で受容されたなまものの記憶よりもずっと幅をきかせているようなところがあるような気がしてやまない。職業病というのは世の中にたくさんあるけれど、こうした記憶のたくわえ方というのは毎日飽きもせずに日記を書きつけているここ数年のこちらにおける一種の職業病(というよりは生活習慣病といったほうが適切かもしれないけど)みたいなものともいえるかもしれない。

 一年生2班のK.Kさんから微信。今週の授業で印刷する資料があるのであれば17時までに送ってほしい、と。ちょっと待ってと返信したのち、さっそく第18課の資料を詰めなおして送信。ついでに第14課&第15課の資料も詰めなおして1班のY.Tさんに送信。さらに日語文章選読用に「卒業生のみなさんへ(2019年)」も軽く詰める。
 部屋に掃除機をかける。湿気のせいなのかなんなのかわからんが、黒くてねちょねちょしたほこりが寝室のフローリングのいたるところに転がっていたのだが、全部吸いとってやった。必要な資料をすべて印刷し、明日の授業で使うデータをUSBメモリにインポートする。それにしてもなんかベタベタするなと思ってスマホで天気予報をチェックしてみたところ、今日の最高気温は32度! マジか! 部屋のなかにずっとおるから気づかんかったわ! 室内はそれほど暑くない、しかしベタベタする。そういうわけでエアコンをつけて除湿。予報によると今日の夜から一週間ずっと雨降りの模様。(…)の典型的な天気。
 17時になったところで寮を出る。門前でCとすれちがう。第五食堂で打包した帰り道らしい。全食堂のなかで第五食堂がもっとも売り上げがいいという。さもありなん。食堂にむかう道中、背後から「先生!」と呼びかけられる。二年生のR.Hさん。めずらしくママチャリに乗っている。じぶんで買ったものだという。さっきまで図書館で勉強していた、これから快递で荷物を回収するとのこと。なにを買ったのとたずねると、服という返事。夕飯は第四食堂のハンバーガーを買ったとのこと。
 第五食堂の二階でいつものように打包。ついでに一階の売店で袋麺をふた袋購入。寮にもどる。むかいの部屋からちょうどナイジェリア人のHが出てくるところだったので、Helloとあいさつ。食事をとり、ベッドでひとときだらだらし、チェンマイのシャワーを浴びる。
 「実弾(仮)」第五稿作文。19時45分から22時45分まで。シーン33をもういちど通す。それからシーン34の前半を大幅に加筆。以下はシーン28。以前マキロンのくだりを加筆したシーン。ホテルのシーンは基本的にどれもこれもよく書けているという印象。モデルが非常に明確だからだろうか。

28
 
 受話器を置いて、モニターを見あげる。二〇五号室の扉がひらいて、メイク道具一式が入ったプラスチックの籠を手に提げた木村さんが出てくる。ドアストッパーをはずして、扉の内側にくっつける。扉を閉める。がちゃんという音が階下のフロントにまで響いてくる。
 モニターの下に視線をずらす。全部で二十一室ある部屋番号の記されたボタンが横一列にならんでおり、各部屋番号の下にはその部屋の扉や精算機と連動したボタンが三つ縦にならんでいる。二〇五号室のボタンに目をとめる。扉の施錠と開錠に対応している下からふたつ目の赤く点灯しているボタンが、扉の閉まる音にほんの少し遅れて消える。消えたのを確認したところで、いちばん下のこちらもまた赤く点灯したままのボタンを押す。部屋番号のボタンが緑色に点灯し、コンピューターの操作履歴を記録するジャーナルが、電話機の横においてある機器の内部でガリガリと音をたてる。ロビーの壁面に埋めこんである客室パネルの一部がぱっと光るのを、画質の粗いモニター越しにながめる。
「もう完璧やな」
 機械の操作をする景人の後ろに立ち、煙草を吸いながらそのようすを見ていた塩崎さんが、むかしのドラえもんのような声で言った。景人はふりかえる代わりに、ふたりの姿を斜めから俯瞰する監視カメラの映像がリアルタイムで映しだされているモニターのほうを見た。五分刈りにした塩崎さんの頭頂部は、年相応に薄くまばらになっている。昨日が誕生日で、ちょうど五十歳になった。背が低く、顔が大きく、全体的に丸くぽっちゃりしているために、なんとなく三段重ねの雪だるまのようにみえる。
「完璧や完璧や、もう教えることはなんもない」
 塩崎さんはそう口にしながらマネージャーのデスクにもどった。サブマネージャーとして景人のフロント研修を担当することになったものの、ほとんどの時間はマネージャーのデスクで煙草を吸いながら携帯をいじくっているだけだ。ときどき思いだしたように景人のそばにやってきて、機械を操作したり電話対応したりノートに必要事項を記入したりするようすをながめるが、景人がミスをしてもしなくても「もう完璧や」と決まり文句のように口にする。やさしさや気づかいからではない。さっさと景人を独り立ちさせて、これまでどおり夜勤の長丁場をひとりで自由に過ごしたいのだ。
「おつかれさまです」
 ロビーに面した扉がひらき、バケツを手にした原田さんがメイクの控え室に入ってくる。景人は椅子を回転させてそちらに対して半身になり、おつかれさまです、と応じた。
「二部屋連続で風呂ラッキーでしたわ」
 原田さんはバケツを足元に置くと、そのまま流しに行って手を洗いはじめた。
「おつかれさん!」
 マネージャーの椅子に腰かけた塩崎さんが、くわえ煙草のまま顔もあげず、そこからは姿のみえない相手にむけて壁越しに返事をする。右手の親指で携帯のボタンを連打しながら、黒縁めがねの奥の柔和な瞳でスクロールする画面を追いつづけている。また海外のグロ画像サイトを巡回しているのだ。ビン・ラディンの死亡写真だとうわさされるものを景人も先ほど見せられたばかりだった。
 階段をおりてくる軽い足音がする。扉がふたたびひらく。足音の主である木村さんではなく、山盛りの食器をのせた三段重ねのトレイを胸の高さで慎重に運ぶ馬場さんの長身が、二本足でおもむろに立ちあがった熊のようにぬっとあらわれる。トレイのせいで足元がみえない馬場さんは、原田さんがさっき床に置いたばかりのバケツを派手に蹴飛ばしてしまう。その衝撃でハイボール用のジョッキがトレイの上で横倒しになる。馬場さんはいったんその場に立ちどまり、けわしい表情をこしらえたまま、山盛りの食器が安定するのを待った。ふつうの人間だったらまず浮かべるはずのひやりとした表情を、馬場さんはこれっぽっちも浮かべない。
「なんでこんなとこバケツあんじゃ」
 いまいましげにそう漏らしてから、ふたたび慎重に歩みを進める。扉を開けて馬場さんが先に控え室に入るのを待っていた木村さんは、足元に転がっているバケツを中腰になってひろいあげると、隣室の景人のほうに視線をむけてからおどけたように顔をしかめ、口パクでなにか言った。え? という目顔でたずねかえすと、小走りで近くにやってきて、流しのそばにあるカウンターの上に食器を置いた馬場さんのほうを指さしながら、ジイジまたはじめるで、と言う。自分が風呂ちゃうときにかぎってラッキー続いたからな、お怒りです。
「原田さん! あんなとこバケツ置いとったらあかんやろが!」
 ロビーにまでとどきかねない大声で馬場さんが吠えた。蛇口をひねって水を止めた原田さんがふりかえり、「え?」と言う。
「あんなとこにの! バケツおいてあったらワシ! 蹴飛ばしておめえ! 食器割るど!」
「でも、吉森さんからぼく、バケツはあそこに置いとけって言われたんですよ」
「でももクソもあるかい!」
 馬場さんは怒鳴った。相手の言い分を洒落くさいものとして門前払いしたわけではない。単純に返事がうまく聞きとれなかったのを力ずくでごまかしたのだ。
「吉森さんからな! あそこに! バケツ置いとくように! 言われたんやって!」
 木村さんが割って入る。馬場さんに話しかけるときは、大きな声でゆっくりと、文節ごとに区切るようにして語りかけなければならないことを木村さんは熟知している。まるで通訳みたいだとなにかの拍子に景人が漏らしたとき、通訳ちごて介護やろとマネージャーは半笑いで口にした。景人はそのときうまく笑えなかった。
「だれやて?」
 馬場さんがふりかえってたずねる。表情はけわしいままだが、木村さんを目の前にしたことで口調が少しやわらいでいる。馬場さんは死ぬまでに一度木村さんと寝たいと公言してはばからない。
「吉森さん!」馬場さんとおなじくらい声を張って木村さんが答える。
「吉森ィ?」馬場さんは眉間をむちゃくちゃにしかめて言った。残り少ない歯が口の中からぬるりとのぞく。血色が悪く灰色っぽくなっている歯茎のせいもあって、ほとんど鍾乳洞のようだ。「あんなもんおめえ! もうおらへん人間やんけ!」
「死んだみたいに言うたらんとき!」
 ぴしゃりと打ちつけるような木村さんの言葉に、景人はおもわずふふっと鼻を鳴らした。そのようすを遠目に認めたらしい馬場さんもつられてにやりとする。馬場さんの怒りは熱しやすく冷めやすい。
「ポリん世話なったら死んだようなもんじゃ!」
 景人と木村さんを交互にながめながら馬場さんは吠えた。声の調子はすでに完全におどけたふうになっている。
「ほんなら馬場さんこれまで三回死んだことになりますね」
 孝奈ならきっとそう切りかえすにちがいないだろう言葉を、景人は椅子に座ったまま口にした。馬場さんのとなりで木村さんがほほほほほと笑った。流しにいる原田さんも笑いだしたが、当の馬場さんにはきこえていない。きこえていないが、きこえているふりをして周囲の反応に同調し、なんとなくあいまいな笑みを浮かべながら、白髪に覆われた後頭部をぼりぼりと掻いている。年齢不相応に豊かな総白髪は、十円玉みたいな色をした肌とのきついコントラストもあって、ほとんど作りものみたいにみえる。
「それはそれとして景人くんよ、おめえフロントは慣れたんか?」
「ぼちぼちです」
 景人はそう応じてから立ちあがり、流しのほうにむかった。食器類を部屋から回収するのは本来フロントの仕事だが、景人の足を気づかってか、同僚たちはみんななにもいわず食器をさげてくれる。そのことが少し申し訳ない。どうせひまそうにしているのであれば、せめて食器の回収にだけは行けばいいのにと塩崎さんに対して思うところもあるが、それを言えるような立場でもない。
「ちょっと慣れてきたからいうて景人くんよ、レジの金抜いたらあかんどおめえ!」
 馬場さんはでこぼこの歯茎をむきだしにして笑いながら景人の肩をポンとたたいた。馬場さんの手は大きい。景人のあたまをそのままバスケットボールのようにひっつかみ、身体ごと持ちあげることすらできるんじゃないかと思う。
「もう完璧や!」フロントの奥から姿のみえない塩崎さんが声をあげた。「もう完璧! いつでも独り立ちできる!」
「完璧やったらコップ一日におめえ、三つも割るかい!」
「いつの話しとんの!」
 木村さんはそう割って入るなり、景人のほうをちらりと横目でうかがった。景人はその視線に気づいていないふりをしたままカウンターのむこうにまわった。カウンターの上に置かれているトレイをシンク脇に移し、汚れた食器を一枚ずつ取りあげてシンクの底に置き、蛇口をひねって湯を出す。景人に場所をゆずる格好でシンクから一歩退いた原田さんは、それでいてその場を立ちさろうとしなかった。ハンドタオルで手を拭いたついでに、剃りあげたあたまから垂れ落ちる汗もぬぐいながら、景人の一挙手一投足をながめている。景人はあえてそちらに目をむけなかった。
「おれ、やろか?」
 高田さんは、案の定、そう切りだした。
「いやいや、これフロントの仕事ですし」
 景人は内心うっとうしく思いながら返事をした。ボロネーゼの盛られていた皿から順に、湯で汚れをざっと洗い落としていく。部屋に長いあいだ置いたままになっていたせいで、こまかい肉片がこびりついていてなかなかとれない。
「傷まだあるやろ? バイキン入って化膿するかもしれんで」
 景人の右手の親指には絆創膏が巻いてある。グラスを割ったさいにできた切り傷はそれほど深くはないし、すでにほとんど癒えているのだが、勤務中はリネンに触れることも多いので、血がつかないようにするために巻いているのだった。
「あとで消毒しとくからだいじょうぶですよ」
マキロンないってこないだマネージャー言うとったけど。ちっちゃいのは売っとるみたいやけど、おっきいのは薬局でも売ってへんかったって。おっきいやつはあれ、東北の工場で生産しとるらしくて」
 景人は顔もそちらにむけず、ただ「へえ」と低く漏らした。そうすることでやりとりに句点を打ったつもりだったが、「フロントはおぼえることよっけあるやろ。やるで」と原田さんは食いさがった。景人が断ることをわかりきったうえで食いさがってみせる、その姿勢がいちいち癪にさわった。景人は内心かなりイライラしながら、「いやいや」ともう一度句点を打ちなおした。
「食器まわりはメイクの仕事ってことで」
 原田さんはなおも続けた。あいかわらず空気が読めない。そのしつこさのせいで嫌われているのだということが、四十年以上生きてきてどうして理解できないのだろうと思う。
「どの道さげるついでやし」
 景人は反射的に舌打ちをした。相手にきこえるかもしれないし、きこえないかもしれない、微妙な大きさの舌打ちだった。おなじ言葉を木村さんや馬場さんが口にしたのであれば、悪意のない気づかいとして受けとめることもむずかしくはなかっただろうが、相手が原田さんとなると、そういうふうにはいかない、うっすらと嫌味な皮肉のようにきこえる。
「そういや緊急地震速報の音あったで」
 原田さんが言った。唐突すぎる話題の転換に、景人は思わず「え?」と原田さんのほうを見た。
「ネットにあった。どんな音か知りたいってこのあいだ馬場さんと話しとったやろ? 聞いたことないんやんな?」
 前掛けのポケットから携帯電話を取りだしながらそう続ける。以前アルバイトをしていた別のホテルで支給されたという腰に巻くタイプの前掛けを、原田さんは便利だからという理由でビーチでも使っていた。
「鳴らしてみよか?」
 スポンジに洗剤をしみこませてから、ハイボール用のグラスとビールジョッキの内側をすばやく洗う。湯で流すついでに、その洗剤がシンクの底に置いてあるボロネーゼの皿に垂れ落ちるようにする。それから、洗剤を落としたグラスとジョッキを、シンクの右となりに置いてある乾燥機の中にひとつずつならべた。
 原田さんは小声で、じゃあおねがいします、とだけ言い残して、カウンターのむこう側に去った。
 原田さんが去ったのと入れ替わるようにして、空のグラスを手にした木村さんがやってくる。洗いものをする景人の左斜め後ろにあるディスペンサーの前に立ち、グラスに冷水をそそぐと、テーブルにはもどらずその場に突っ立ったまま、日本酒でもなめるみたいにちびちびと口をつけはじめる。馬場さんと原田さんがそろって煙草を吸いはじめたので、副流煙を避けて換気扇に近いこちらに逃げてきたのだ。
 木村さんはそのままあとずさりする格好で洗いものをする景人の脇にそっと立つと、「福島いつ行くの」と小声でたずねた。
 マネージャーと最近またふたりで会ったのだろうと景人は思った。福島の件はマネージャーと孝奈しか知らない。ただでさえ吉森さんが抜けて人手不足におちいっているときに、またひとり抜けるということになったら、従業員のあいだできっと不満も生じるだろうから、ぎりぎりまで黙っておけとマネージャーに口止めされていた。
「わからんけどたぶん、はやくて来月やと思います」
 ホットコーヒー用のティーカップとスプーンを洗いながら景人は答えた。木村さんは体の向きを反転させて、景人と横ならびになってシンクをのぞきこむような姿勢になると、せっかくフロントの仕事おぼえたのになあ、とさらに声をひそめて言った。
「社長に言われたらしいすよ、ひとり若いの寄越せって」
「社長?」
「社長の知り合いが、まあそっち系のひとでしょうけど、ひとおらんからとにかくひとりでも送ってほしいって、ほんでジャーにビーチからだれかひとり送りだせへんかって話あったみたいで」
「じゃあ塩崎さんでええやん」
 木村さんはさも当然のように言った。横目でその表情をたしかめるが、きまじめな顔つきをしている。本気の発言なのだ。景人はちょっと笑った。
「いちおうここのサブマネージャーですよ」
「まあ、ほやけどさ」
「そもそも絶対役立たんでしょ、社長のツラに泥塗ることになりますよ。若くもないし」
 食器を洗ったついでに、食べかすで汚れているチョコレート色のランチョンマットも湯でざっと洗い流す。マットの表面は防水仕様になっている。弾かれた水滴が布地にしみこまず、水滴のままばらばらと鈴なりになってシンクの底に落ち、降りはじめの雨みたいな音をたてる。
「ひとり送ったとこでまあ焼け石に水やろって感じっすけど、でもまあこういうのはメンツの問題なんちゃいます? 若い男ってぼくと孝奈しかおらんでしょここに」
「井端さんじゃいかんの?」木村さんは深夜のメイクの名前を出した。
「ジャー頼んでもないんちゃいます? そもそも面接のとき以外まともに顔合わしたことないって」
「ほやからって景人くん、せっかく仕事おぼえたとこやのに」
 だからこそ自分が選ばれたという側面もないことはないと景人はひそかに思った。マネージャーには塩崎さんに徒労を味わわせたいという意地悪な気持ちも少なからずあるはずだった。
 蛇口をひねって湯を止める。ハンドタオルで手を拭き、頭上の収納棚から乾いたグラスをひとつ取りだす。ディスペンサーのほうにむきなおって冷水をそそぐ。木村さんも景人の動きに合わせて体の向きをふたたび転じた。
「景人くんが納得しとんのやったらうちもごちゃごちゃ言うことちゃうけど」
 カウンターの上に置かれたディスペンサー、コーヒーマシーン、ビールサーバーの陰に隠れながら、木村さんが低い声で言った。水音でごまかせない分、声をさらにひそめて続ける。
「二、三ヶ月の話らしいし、金もええみたいやからまあええかなって。ジャーにも世話なってますし」
 そう答えてからグラスの中身を半分ほど飲む。水がキンキンに冷えているせいで、あたまがツーンと痛くなる。木村さんは片手にグラスを手にしたまま、シンクの角に腰骨をあててもたれかかっている。自分がいなくなることをさみしがってくれているのだろうかと、景人はその横顔をながめながら考えた。少しだけ猫背になっているが、制服の胸はつんとふくらんでいる。その胸に触れたマネージャーの手のひらを想像する。股間が少しだけ疼く。
 ふうは来月、帰省する。そのあいだに会おうと言われた。福島に行くことに決めたのにはそういう事情もあった。最初は留学が決まったから会えないといってごまかすつもりだったが、現地の写真を送ってほしいと頼まれでもすれば一巻の終わりだ。それでなくてもボロの出てしまう可能性があるとためらっていたところ、マネージャーから福島行きの誘いがあった。ふうにはあくまでも医学部生のボランティアとして現地入りすると話した。
「消毒しときや」
 ふやけた絆創膏でぐるぐる巻きになっている景人の親指を見つめながら木村さんが言った。
「だいじょうぶでしょ」
「マネージャーこないだ買い出し行ったとき、マキロンおっきいやつ売ってへんかったって言うとったで。工場が東北なんてやって」
「ああ、なんかさっき聞きました」
「ほやし、うちもお姉ちゃんに言うといたん。姪っ子がな、ほら、またこれするかもしれんし」そう言いながら、グラスをつかんだ右手の小指だけをまっすぐにのばし、カミソリの刃に見立てたそれで手首を切るまねをしてみせる。
「それマキロンでどうにかなるようなもんなんですか」
「えらいことや! えらいことや!」
 塩崎さんがおおげさに騒ぎながら控え室のほうにやってくる。なにを言うとんのとあきれたようにつぶやきながら、木村さんは景人の前を横切り、カウンターに沿って左に、目隠しになるもののないところまで移動した。景人もそのあとに続く。
「さっきのお客さん募金してった! それも五千円!」
 メイクの控え室とフロントの控え室のあいだ、扉の取りはずされて枠だけになっているそこに突っ立ちながら、塩崎さんは煙草をはさんだ右手でロビーのほうを指さした。ロビーにあるカウンターはふだん無人で、呼びだしベルを鳴らされたときだけフロントスタッフが出ることになっている。カウンターの上には震災用の募金箱が置かれているが、部屋代の支払いは各部屋にある自動精算機ですませる仕組みになっているので、釣り銭などが投じられる機会はまずない。プラスチック製の透明な立方体の中に入っているわずかな小銭はすべて、ロビーに落ちていたものを掃除中にひろった従業員が入れたものだ。
「塩崎さんそれどんな客や?」
 テーブルの上座をいつものように陣どり、椅子の前脚二本を宙に軽く浮かせてロッキングチェアのようにぐらぐらさせている馬場さんが、くわえ煙草のままたずねた。
「若い姉ちゃんとおっさん。常連ちゃうと思う」
 塩崎さんはそう答えてから馬場さんのそばにやってくると、テーブルの上に置かれている灰皿に煙草の灰を落とした。木村さんと変わらないくらい背の低い塩崎さんは、座ったままの馬場さんとならんでも目線の高さがそれほど変わらない。
「ほんならおめえ、デリの前でかっこつけとるだけのの、まあしょうもないやつや!」
「おれも見てましたけどモニター、あれデリじゃないですよたぶん」
 ロビーに面した扉を背にして突っ立ちながら煙草を吸っていた原田さんが割って入る。馬場さんの言葉を受けての発言であるが、その目線は椅子をぎったんばったんさせている相手の横顔を通過し、カウンターのむこうにいる景人と木村さんのほうにむけられている。
「募金なんかする金あるんやったらおめえ、ワシらにおつかれさまです言うて置いてけバカタレ!」
 馬場さんが大声で吠えた。吠えたあとに景人と木村さんのほうを横目で見てにやりと笑ってみせる。原田さんの声はまったくきこえていない。
「デリやったら荷物もっと多いでしょ? ちっさいポシェットひとつだけでしたから、あれはデリちゃいますよ」
 返事をしてもらえなかった原田さんは、わざわざカウンターのほうにいる景人と木村さんのそばにまでやってきてそう続けた。木村さんは返事をせず、原田さんの手にした煙草の先端からただよってくる煙を顔の前でさっと払った。

 第五食堂で買った袋麺を食す。歯磨きをすませたのち、寝床に移動し、Katherine Mansfield and Virginia Woolf (Katherine Mansfield Studies)の続きを読み進めて就寝。

20240414

 時間の中での出来事というと、ひとつに因果関係がある。しかし私は因果関係というのがどうも胡散臭くて仕方ない。ニーチェもどこかで「なぜ、原因と結果に分けて考えたがるのか。原因-結果はひとまとまりの出来事である」という意味のことを書いていた。
 人間は大きな連鎖の中から、自分の理屈で把握できるものを都合よく抜き出して、因果関係という方便を作っているだけなのではないか。
 小説のストーリーは因果関係によって作られる。ある犯罪や事故が起きたときも、因果関係が問題にされる。しかし、同じ境遇に育った人間の中で、実際にその犯罪を起こすのはその人ひとりだけだ。現実の行動とそれ以前の過去や状況との間にはその人だけが飛び越えた深い溝があり、そこは絶対に説明されえない。どれだけすべての条件がその人を追い詰めても、その人は最後の最後まで「それをしない」選択権を持っている。
 ……いや、今はそんなストーリー批判をしたいわけではなくて、因果関係を抜き出した途端に〝時間〟が消えるのではないか、ということを私は言いたいのだ。因果関係も時間の一側面であることは間違いないけれど、人間にとって説明しきれない、不可解なものとしてあらわれてくるものであるところの時間とは違うものになってしまっている。
保坂和志『小説の誕生』 p.172-173)



 10時起床。四年生のT.Sさんから微信がとどいている。今年の10月から日本に留学することに決まったという。(…)大学。C.N先生が博士号を取得した大学だ。どうやら彼と相談して進学することに決めた模様。もともと志望していた天津外国語大学の院試にはやはり失敗したらしい。選考は経済学になるという。そもそもの日本語能力自体に難アリなのに、いきなりなんの知識もない経済学に選考変更してだいじょうぶだろうかと心配になる。しかし研究生から院生にそのままスライドできる確率はおおよそ80パーセント。最短で来年四月から修士一年で、学費は全額免除になるとのこと。現状選択できるコースは四つで、「経済史」「行政法」「観光論」「医療マネジメント」がある。どれかおすすめはあるだろうかというので、やっぱりこの認識このレベルなんだよなとげんなりした。大学院生になるということはじぶんで研究目標を決めて主体的に研究を進めていく必要がある、当然じぶんの興味のない分野を選択すれば非常に苦労するはめになる、そういうものを他人に決めさせるのはおかしいでしょうと諭す。というかこの四択であれば、正直いって、「観光論」以外考えられないではないか? 「経済史」も「行政法」も「医療マネジメント」もどう考えても日本語学科と無関係である。いや、無関係といえば「観光論」もそうであるけれども、ただ「観光論」はまだほかの三つにくらべると外国語学院に所属していた彼女の興味関心に近いだろうし、卒業後もそこで得た知識+日本語能力を駆使するかたちで中国国内での(日本語に関連した)仕事を得ることのできる可能性が高い——ということはほとんど考えなくても理解できるだろうに、いったいどこに迷う余地があるというのか? なぜもうすこしじぶんであたまを使おうとしないのか?
 第五食堂の一階で炒面を打包。寝不足気味だったので食後ふたたびベッドに移動して小一時間ほど二度寝。13時にあらためて起床。卒業生のY.Eくんから微信西安にある新エネルギー関連の大企業に去年就職した彼であるが、先月リストラされたらしい。モーメンツに転職や引っ越しをにおわす投稿をちょくちょくしていたし、仕事が合わずに辞めたのかなとなんとなく思っていたのだが、まさかリストラとは! 大企業は厳しいなぁ、簡単にリストラされるんだなと応じると、「無情な資本家だよー」とのこと。で、もともとその会社では日本語を使う機会もほとんどなかったし、Y.Eくんとしてはその点にも不満があったので、今回転職するにあたってやはり日本語を使う仕事という条件を第一にして仕事を探したらしい。結果、「(…)大学の日本語教師に受かりました」とのこと。「(…)」でググってみたところ、これはどうやら江西省らしい。江西省だったら西安より故郷に近いし家族もよろこんでいるんじゃないのというと、「はい、そうです。家族のみんなは凄く喜んでくれました。」とのこと。これから博士号取得にむけてまた動く必要があるというので、あ、そっか、大学教員になるためには修士では不十分だもんな、博士が必要だもんなとなったが、ではなぜ現状教員として採用されたのかは不明。そのへんはいわゆる关系でごにょごにょっとごまかすことができたのか、あるいは正規教員ではない別の立場として採用されたのか、ま、なんらかのカラクリがあるのだろう。(…)大学に外教はいるのかとたずねると、面接のときに日本人らしい人物からの質問があったとのこと。
 13時半から16時半まで「実弾(仮)」第五稿作文。シーン33、終わる。なんかまだちょっと弱い気がするが、とりあえずこれでよしとする。
 ケッタにのって后街の中通快递へ。倉庫の棚に荷物が見つからなかったので、スタッフのおばちゃんにこれはないのかとスマホに表示された商品の番号を見せる。あんた長いあいだ取りに来てなかっただろ? 長いあいだ放りっぱなしだったのはここにあるんだ、とおばちゃんはいいながら棚の端っこに手をのばした。然り。病気でぶっ倒れているあいだに到着したものを一週間近く放置していたのだ。回収した荷物は夏用のTシャツ。
 (…)食パンを三袋買う。第五食堂で夕飯を打包する。帰宅して食す。食後腹いっぱいだったので寝床に横たわったのだが、咳がとまらず難儀した。熱はすっかりひいたし、咽喉の痛みもないのだが、痰だけがからむ。特に横になったときはひどく、夜など咳止めシロップなしではたぶん眠れないんではないかというくらいからんでゴホゴホするはめになる。このときも咳止めシロップをのんだ。
 咳がおさまったところで万达のスタバへ。レジに到着すると男性スタッフから美式咖啡吗? と先手を打たれた。田舎で外人やっとると店の人間から一瞬で顔をおぼえられる。アイスコーヒーをオーダーし、いつものようにカウンター近くのソファ席に着席。今日はいつもよりちょっと客が多かった。『新しい小説のために』(アラン・ロブ=グリエ平岡篤頼・訳)の続きを読みすすめる。
 店には一時間ほどしか滞在しなかった。途中で小便をしたくなったのだが、店のトイレは例によって使用不可なのかなんなのか入り口に黄色いプラスチックのコーンみたいなものが置かれており、いったん店の外に出て別のトイレまで行けばいいのだが、なんとなくめんどうくさくなり、だったらもういっそのことこのまま帰宅すればいいんではないかという気分になったのだ。ちょっとだけ眠気をもよおしていたという事情もある。それですたこらさっさと退却。代わりに帰宅後、リビングのソファに腰かけて書見の続き。
 途中、三年生のK.Kさんから着信。どうせまたC.Rくんとのデート(散歩)にこちらを巻きこもうという魂胆だろう。ふたりでしっぽりやってくれというわけで電話には出ずそのまま本を読み進めていたのだが、ほどなくして外の階段を踏みしめてのぼってくる足音がたちはじめた。ま、まさか……! となってあわててスマホからじかで垂れ流していた音楽を停止すると、案の定、扉をノックする音が続いた。息を殺した。こんなふうに居留守をするのはNHKの集金を回避し続けたありし日以来ではないか?
 足音が階下に去っていったところで書見の続き。しばらく経ったところで今度はC.Rくんから着信。めんどうくさいので出る。先生いま暇ですかというので、いまは寮で作文の添削をしていますと純度100%の嘘をつく。わたしたちは先生と散歩したいというので、ごめんね、いまはちょっと忙しいのでと断ると、先生! とK.Kさんの声がした。わたしたちは8時から散歩しています、それでね、Cくんは最初先生といっしょに散歩したいと言いましたが、わたしは先生は忙しいと思います、こう言いました、でもね、でもね、Cくんは嘘! 先生がいそがしいと信じません、だから先生! 今度二年生の授業があるとき、Cくんはバカ! クラスメイトのみんなにこう言ってください!
 きりのよいところで書見を中断。チェンマイのシャワーを浴び、ストレッチをし、きのうづけの記事にとりかかる。投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の日記を読みかえす。

 以下、2014年4月14日づけの記事より。

 ゆっくりと晩酌をして夕食を食べ終ると、いつも妻は、
「何にしますか?」
 と訊く。デザートの甘いもののご註文をきいてくれる。それから手もとにあるものを何と何と並べる。こちらが何がいいと答える。「そうだと思った」と妻はいい、用意してくれる。これがわが家のきまりである。
庄野潤三メジロの来る庭』)

 「「そうだと思った」と妻はい」うところまでが「わが家のきまり」であるというのがなんともしみじみとする。なんだったらちょっと泣けるくらい。
 10年前の今日は『ここは退屈迎えに来て』(山内マリコ)をはじめて読んだ日らしい。絶賛している。その後何度も読みかえすことになる。「実弾(仮)」にも間接的に影響をあたえている。

 この町に暮らす人々はみな善良で、自分の生まれ育った町を心底愛していた。なぜこんなに住みやすい快適な土地を離れて、東京や大阪などのごみごみした都会に若者が流出するのか解せないでいるし、かつて出て行きたいと思ったことがあったとしても、この平和な町でのんびり暮らしているうちに、いつしかその理由をきれいさっぱり忘れてしまうのだった。
 この町では若い感性はあっとういう間に年老いてしまう。野心に溢れた若者も、二十歳を過ぎれば溶接工に落ち着き、運命の恋を夢見ていた若い女は、二十四歳になるころには溶接工と結婚し家庭におさまった。

 二十四時間営業のファミレスは、あたしたちと似たような境遇の暇な若者でいっぱいだ。ナイロンジャージにスウェットパンツの、引くほど行儀が悪いヤンキーカップル。ときめきを探している女の子、携帯をいじってばかりの男の子、テンションの低い倦怠期カップル。そんなくすぶった人々。若さがフツフツと発酵している男が聞こえる。
 フロアの通路を歩くときは毎回、品定めするような尖った視線を浴びる。知ってる奴じゃないかチェックしてるのだ。みんな誰かに会いたくて、何かが起こるのを期待してるんだと思う。あたしだってそう。

 この引用部を一読しただけでもわかると思うのだけれど、この作家はたとえば島田雅彦が一時期こだわっていた抽象概念としての「郊外」なんて目じゃない、語のひらたい意味におけるリアリズム文学の手つきで「郊外」を完璧にえぐりつくしている。読み進めていると、ファスト風土文学とでもいえばいいのか、完全にあたらしいジャンルを開拓している印象すらしばしば受ける。この印象はたとえばはじめて岡田利規の『三月の5日間』を読んだときのものに似ているともいえるかもしれない。それを語るための完全に正しい語りが探り当てられたことによってはじめて表象可能となったものがここに十全に表象されているという驚き。言葉をもたぬひとびとに言葉が与えられたような、光のささぬ一画に光がさしこまれたような、あるいは言葉をもち光もさしこむ一画に住まうひとびとのそれらがすべてしょせんは作り事(文学史的な暗黙の了解)にすぎなかったことを暴露してみせるような、そのような達成によって無自覚に見過ごしていたものが「(再)発見」されるにいたるその衝撃、そしてそこにともなうみずみずしくも強烈なリアリティとアクチュアリティ。「風俗」を描く小説というのはこのようなものでなければいけない。あるいはこのような認識の更新をもたらすものだけが風俗小説と呼ばれるべきだろう。たとえば「ファスト風土」という言葉の発明と浸透によってあれら郊外の風景をひとつの典型として理解することがたやすくなったように、山内マリコの小説を読むことによってひとは「大都市」でもなければ(森や山や川といった豊かな自然に恵まれた旧き良き)「ド田舎」でもない、日本中あちこちにあふれかえっている「ふつうの田舎」を認識し語ることが可能になる。岡田利規のほうがあくまでも東京に生きる若者に焦点をあてていたのにたいして、山内マリコは田舎の「あっという間に年老いてしまう」「若い感性」をとりあげる。それはむろん東京のネガである。文学の、というかフィクションの歴史としてどちらが黙殺の憂き目にあってきたかはいうまでもない。この作家はこれまで語られることのなかった(あるいは語り損じられてきた)場とひとびとを語るためのまなざしと語りを発明した。偉業と呼ぶにあたいする。

 夜食のトースト二枚を食しながら今日づけの記事も途中まで書いた。歯磨きをしていると卒業生のR.Kくんから微信。明後日火曜日の午後に(…)にいくので会えないか、と。了承。大学内の瑞幸咖啡でコーヒーを飲みながら駄弁ることに。
 寝床に移動後、『新しい小説のために』(アラン・ロブ=グリエ平岡篤頼・訳)の続き。最後まで読み終えた。

20240413

 小説と彫刻は「同じではない」とか「いや、それでもやっぱり同じところはある」とか、そういうこと以前に、小説と彫刻を同じ基盤に置いて問いを立ててみる人が、文章に関係している人にはほとんどいないみたいなのだ。小説は文章=文字によってできていて、文字には他の芸術にある形や音のような直接性がなく、いきなり抽象として与えられるために、美術や音楽と同列に考えにくいということだと思うのだが、小説もまた芸術の一様式であるかぎり何らかの直接性によって受け手に訴えかけるようにできているはずではないか? 私の出発点はいつもそこなのだ。
保坂和志『小説の誕生』 p.167)



 11時起床。昼メシは第五食堂一階の炒面。13時過ぎから「実弾(仮)」第五稿に着手するも、15時にはやばやと中断。全然集中できない。あたまがろくに回転していないのを感じる。ブレインフォグちゃうやろなと内心ひそかにビビる。
 切り替える。きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読みかえす。以下、2023年4月13日づけの記事より。

 その存続危機について、日本語学科の教員からなるグループチャット内で新情報らしいものが共有されていた。詳しいことはよくわからんのだが、大学レベルではなく政府レベルの話だと思う、教育部とか国家発展改革委員会とかそういう文字が認められるニュース記事のスクショをK先生が投稿していたのだが、2025年までに学科の改革がおこなわれるというもの。文面をざっと見た感じ、これからの社会でますます必要となる理系分野の学科新設をおしすすめるともに、経済や社会発展に対する良い影響の認められない学科を淘汰していくという方針が語られている模様。外国語に関しては、主要なものについてのみひきつづき力をいれるみたいな文言があることにはあるのだが、そこに日本語が含まれているのかどうかはさだかでないし、仮に含まれているのだとしても、現状ほど多くの日本語学科は必要ないだろうK先生もS先生も考えている様子。つまり、うちの大学の日本語学科が取り潰しになる可能性がこれでますます高くなったというわけだ。

 「2025年までに学科の改革がおこなわれる」というのがたしかであれば、ぼちぼちうちの大学にも動きがあっていいんじゃないかと思うのだが、やっぱりこの方針よりも学生の受け皿を増やすという方針のほうが重視されているのが現状なのだろうか? だからうちの日本語学科もいましばらくは延命されるということなのだろうか? こちらとしてむしろこの改革をきっかけにうちの日本語学科も閉鎖、結果大手をふって本帰国という流れになってくれたほうが、本帰国のタイミングを自分で決めるというコストをかけないですむ分楽でありがたいし、これまでにかかわってきた職場が最終的にはすべて破産なり閉鎖なりして終わるという「死神」の面目躍如にもなるしで、いろいろ助かるんだがなァというのが率直なところだ。
 以下は2014年4月13日づけの記事より。

 夜、一日の仕事が終り、あとは、風呂に入って寝るだけというときに、妻は書斎からハーモニカの箱を取って来て居間のこたつに置く。私が二人の好きな昔の唱歌、童謡を吹き、妻が歌う。二曲目はいつも歌なしハーモニカだけの「カプリ」ときまっている。「カプリ」は亡くなった私の友人の小沼丹の好きな曲であった。小沼は軽快で明るい曲が気に入っていた。
 さて何を吹くか。季節の歌をいつもとり上げる、まだ二月にならないので、「早春賦」には早いねという。「早春賦」は「夜のハーモニカ」の中でも私たち二人の特別お気に入りの歌である。谷のうぐいすの気持になり切って歌うので、歌い終ったときに妻はいつも、「ほーほけきょ」という。
 小学唱歌の「冬の夜」を吹き、妻が歌う。「春の遊びの楽しさ語る」というところがいい。
 一日の終りに妻がハーモニカを持ち出し、昔の唱歌や童謡を私が吹き、妻が歌うのがわが家の大事な日課となってから、どのくらいたったろう? 十年近くたったかも知れない。
庄野潤三メジロの来る庭』)

 長女来る。
 昼前の一回目の散歩から帰ると、足柄から長女が来ていた。例によって、私は、
「こにゃにち」
 と長女に声をかける。長女は、
「こにゃにちは」
 とこたえる。
 これは昔、長女がみていたテレビの漫画の主人公のあいさつのことばなのである。長女からそのあいさつことばを聞いて私は気に入り、長女が来たときだけいうことにしている。
庄野潤三メジロの来る庭』)

 晩年の庄野潤三の著作は万事こんな調子で、なんでもないできごとがなんの工夫もない文章で重複をおそれずつらつらつづられているだけで、ブログよりもずっとブログみたいなアレであって独特の味わい深さがあるのだが、これらの著作の特異性については青木淳悟経由で知ったのだった。
 あと、以下のくだりには腹がちぎれそうになるほど笑った。バイト先での一幕。

 休憩時間中、新聞のテレビ欄をながめていたJさんが、なんやこいつビッグダディって、ワシこいつ大嫌いやわ、京都きたらどついたるどバカタレが、とひとりで毒づいていたので笑った。

 読みかえしのすんだところで今日づけの記事もここまで書いた。時刻は16時半前だった。

 一週間授業を休みっぱなしだったので今後の授業計画を調整する。17時になったところで第五食堂で打包。食後、三年生のC.Mさんから明日食事を作りにいっていいかと微信がとどいたが、たまっている仕事を片付けたかったし日曜夜はスタバで書見と決めていたので、味覚障害を理由にこれは断った。
 30分の仮眠をとる。チェンマイのシャワーを浴びたのち、20時半から授業準備にとりかかる。日語基礎写作(二)用に「村上春樹の比喩」、日語会話(二)用に第14課&第15課、日語文章選読用に「キラキラする義務などない」の資料をそれぞれ詰めなおす。作業中は『The Zoo Is Far』(Christian Wallumrød Ensemble)と『14』(Supersilent)を流した。
 22時前からもういちど「実弾(仮)」第五稿。シーン32、無事片付く。シーン33もいちおうあたまから尻まで通したが、全体的にのっぺりとしていて弱い。ここはけっこうがっつり加筆修正が必要かもしれない。
 その後、書見。『新しい小説のために』(アラン・ロブ=グリエ平岡篤頼・訳)の続き。「ぼくは同時に、ぼくの意志の主体でもあれば客体でもある…… 人間は、出来ごとにたいする彼の密着、それらをとおして、彼自身がなるものとして出来ごとを達成する彼のやり方によってしか存在しない。」というジョー・ブスケの言葉が引かれている。ドゥルーズがジョー・ブスケを評価していたのはやはりこのあたりの思考なのだろう。あと、「木の十字架と十字のしるしがあるなどといってはいけない。そうすれば、非現実的なしるし[シーニュ]と、意味されたものとがあり、あとのほうが現実的であるということになろう。どちらのほうも、同時に、現実であり、またしるしなのだ」というくだりも非常にしっくりくる。
 それから、ロベール・パンジェというフランスの作家をはじめて知った。ベケットと親交があったらしい(ベケットみたいな作風の小説も残しているという)。和訳されているのは『パッサカリア』(堀千晶・訳)一冊きりっぽい。ちょっと気になる。
 1時になったところで書見は中断。夜食のパンを食し、歯磨きをし、寝床に移動後Katherine Mansfield and Virginia Woolfの続きを読み進めて就寝。

20240412

「純文学」「エンタテインメント小説」という区別はおかしいとか意味がないとか言う人がいるけれど、「文学とは何か」という問いのある・なしで、二つは厳然と区別される。
保坂和志『小説の誕生』 p.155)



 8時半起床。寝不足であるはずなのだがふしぎと疲労感はない。歯磨きをすませてクリームパンを食す。Tシャツを重ね着したうえにテーラードジャケットをはおって部屋を出たが、微妙に肌寒いようなそうでないような、いや健康体であればちょうどいいと判断するところであるのだろうけれども、なんせここ数日間発熱して寒気をおぼえたり就寝中に汗だくになったりをずっとくりかえしていたので、たとえば「涼しさ」の感覚ひとつとっても、それを心地よいものとしてそのまま享受していいものか、それとも発熱に由来する寒気に近しいものとして理解すべきなのか、体感でうまく処理できないところがあり、それは授業中に軽く発汗したときも同様で、教壇に立って大きな声で話しているのだから全身にうっすらと汗を掻くのは当然であるしいつものことであるのだけれども、それがときおり発熱に由来する発汗であったり体調不良に由来する脂汗であったりに誤認される瞬間があり、こういう感覚ははじめてだ、こんなことはこれまで経験したことがない。起き抜けに体温は測ったが、微熱ですらなかった。ただ、嗅覚障害は昨日よりきつくなっている。それでも手首にふった香水はぎりぎり嗅ぎとれた。コーヒーの味はほぼしない。
 10時から二年生の日語会話(四)。ここ一週間のことを軽く話す。それから「発表:わたしのアイドル」について説明&実演。先学期やった「発表:食レポ」はみんながんばりすぎだった、もっと気軽にやっていい、あんなにみっちり準備する必要はないと言っておく。くじ引きをこしらえて発表順を決定する。ここまでで授業前半。後半は自由。「わたしはアイドル」でとりあげるアイドルを決めて、中国語で軽く構成だけでもこしらえておきなさいと指示。ついでに学生のところをまわってだれをとりあげることに決めたかと質問していく。けっこうみんなバラバラ。重複は確認できたかぎり、R.HさんとS.Gさんのみ。ふたりは中国の有名な女優さんをチョイスしていた。あと、G.Kさんが『ハウルの動く城』のハウルにする、すごくかっこいいからというのをきいて、あ、Gさんはやっぱレズビアンではなくてバイセクシャルなんだなと思った。
 ちょっと気になったのがR.Kさん。彼女は今日は相棒であるO.GさんとK.Dさんとは離れた席にひとり着席しており、それ自体はときどきあることなのだが、あきらかに機嫌が悪かった、口数も少なくむっつりとした表情をずっと浮かべていた。なにがあったんだろう?
 そのR.KさんとT.UさんとS.Kさんの三人は明日から二日間会計学の試験。さらに、こちらは初耳だったのだが、C.Eさんも明日は小学校教師の試験をひかえているとのこと。R.Kさんをのぞく三人は授業後も教室に残るようすだった。混雑する食堂を避けるのも兼ねて教室で試験勉強をするつもりなのだろう。
 授業後は例によってR.Hくんがひとりでやってきた。いや、休憩時間中にもやってきて、先生いまコンビニ弁当が炎上していますねと、またどこで仕入れてきたのかわからんネタをもちだしてきたのだった。そんな話知らないけどと受けると、VPNを噛ませたスマホであれこれ検索したのち、これですといいながら短い動画をこちらに差し出してみせたが、通常のたまごとコンビニ弁当に入っているたまごを比較したもので、ちょっと見ただけでああはいはいこの手のやつねとどうでもよくなったので詳細は知らないが、たぶん、なにかしらの処置をくわえたところ、通常のたまごはAという結果になったのに対して、そうでないほうはBという結果になった、これはつまり保存料や添加物のためである! みたいなやつだと思うのだが、別にそんなもん炎上していないだろというか、コンビニ弁当が健康によくないことなんて別にだれだって知っていることであるし、同時に、健康によくないといったところでそれを食べた瞬間に体調が悪くなるなんてこともまずありえないのもだれだって知っていることである。この手の動画をヒステリックになって拡散しているのはきっとその動画でおこなわれている実験(?)とその帰結が科学的になにを意味しているのかについてなどいちいち調べるわけでもなくただAとBという異なる帰結が生じたというその事実を災厄Xと見なしてワーワー騒いでいる連中にすぎないのだろうし、そもそも動画のソースだってどこのアレなのか知れたもんじゃない。化学調味料にしても農薬にしても保存料にしてもそれらの文字を目の当たりにするだけでヒステリックに反応してしまう人種というのは残念ながら一定数存在しているわけで、そしてそういう界隈のなかにいるのであればなるほどたしかにそうしたもろもろはつねに「炎上」しているといえるのかもしれないが、そんなもんこちらからすればクソほどどうでもいいし、それよりもこちらはR.Hくんがまたしてもネットでたまたま見かけたコンテンツについて「真実」を手に入れたとばかりに目をギラギラさせて報告しにやってきたことのほうが心配だったし、正直げんなりもした。
 休憩時間中にやってきたといえば、C.Rくんも教壇にやってきて夕飯に誘われたのだったが、これは体調がまだ万全ではないからという理由で断った。たぶんK.Kさんといっしょにということなんだろうが、いいかげんあのふたりもデートにこちらを巻き込まないでほしい、メシくらいふたりで食べればいい。C.Rくんの日本語能力を向上させるためにこちらと食事をいっしょにとる機会をなるべく多く設けようというあたまがもしかしたらK.Kさんにはあるのかもしれないが。C.Rくんはこちらの咽喉のために養蜂家の父君がこしらえたハチミツを送るといった。ありがたい。
 R.Hくんとそろって教室を出る。食堂に行きましょうと言われたが、大混雑の食堂には行きたくないと応じると、じゃあセブンイレブンはどうですかとあった。それでセブンイレブンで弁当を買うことに。野菜と肉の入っているカレーが売っていたので夜食用のおにぎりといっしょに買った。店の入り口ではT.SさんとG.Gさんと遭遇した。
 南門から新校区に入る。もしかして彼女と別れたのとR.Hくんにたずねた。以前は授業が終わったらいつもいっしょにごはんを食べていたでしょというと、別れていないという返事。しかし気持ちはさめてしまっている、実は先日別れを告げたが、相手に泣かれてしまった、だからそこでちょっと妥協してしまったと続ける。なんで別れようと思ったのとたずねると、相性がよくないという返事。いまの彼女とは200日付き合っている、過去最長記録だというので、きみこれまでに5人以上と付き合っているでしょ? それで最長記録が200日なの? とたずねると、そうですという返事。中国の大学生でここまで短期交際ばかりくりかえしているのはけっこうめずらしいパターンだと思う、少なくともこちらはこれまで一度も出会ったことがない、そりゃR.Uくんから「恋愛に全然まじめじゃない」と苦言を呈されるわ。そのR.Uくんらと『君たちはどう生きるか』を観に行きましたよねと言われたので、行ってきたよと応じると、どうでしたかという質問。これまでの宮崎駿作品のなかではベスト3に入るかなと答える。どういうところがいいですかというので、表層的な細部をあれこれ指摘するような話が通じる相手でもなし、むしろ表層とは真逆の話になるしものすごくありきたりでつまらない言い方になるが、いろいろ解釈することができるからねと、こうして書いているとあらためてつまらない答えだなと思うのだが、もう仕方ないのだ、うちの学生相手に「解釈の多義性」というものがそもそもクリシェであるというところからはじめる作品分析の仕方であれこれ語っても意味がないのだ、なぜなら「解釈の多義性」そのものが彼らにとってはいちじるしく目新しくまったく理解のできないものであるからで、映画や本の話を学生からもちだされるたびに、言語の壁以上に分厚くていかんともしがたいこの種の壁の存在にコミュニケーションをあきらめてしまう、妥協してしまう、いやこれについては日本にいても同様であるのだが。本来なら批判すべき凡庸なクリシェでしかないものを暫定的な正解として差し出すしかない状況にはなかなかけっこう疲れてしまうが、それ以外に対処のしようがない。たとえば、村上春樹の小説について、彼の狙いや手法についてある程度理解したうえでその問題点や弱点を批判しているのではなく、そもそも「全然意味がわかりません」という批判で閉じてしまっているタイプの相手に、ムージルカフカやオコナーやマンスフィールド梶井基次郎の魅力をどう説明すればいいのかという話だ。R.Hくんはなにをどう勘違いしたのか、先生はきっとサスペンス小説が好きでしょうといった。色々と解釈して考えることができるみたいなこちらの発言を、推理小説のトリックをあれこれ考えるみたいな意味合いで理解したのかもしれないが、さすがにちょっと見当はずれすぎる、これまでこれだけ密に付き合ってきたわけであるのにいまだにこういうわけのわからん誤解が生じるのかとややがっくりくる。それでちょっと思ったのだが、出会ったばかりのころはR.Uくんのほうがずっと俗っぽく、R.Hくんのほうが抽象度の高い話ができる相手だという印象を抱いたものだが、いつのまにかその印象が逆転している、きのうの夜に微信で交わしたやりとりもふくめてそうであるが、R.Uくんのほうがずっと抽象度の高い話が通じる。
 帰宅。カレーを温めて食う。その後ベッドに移動。横になるとやっぱり激しく咳が出る。花粉症の薬との併用は禁忌であるが、知ったこっちゃねえわというわけで、咳止めシロップを服用。ブロンで遊んだことは一度もない。30分ほど仮眠をとるつもりだったのだが、3時間寝てしまった、気づけば16時をまわっていた。扉をノックする音がした。C.Rくんから着信があった。たぶんK.Kさんといっしょに部屋までハチミツを持ってきてくれたんだろう。しかしここで出ると、そのままふたりを室内に招くことになりかねないし、それでまた時間を奪われることになるのもうっとうしいので、電話には出なかった。C.Rくんからはのちほど部屋の前にハチミツを置いておきましたというメッセージがとどいた。
 13舍近くの快递でコーヒーミルを回収。いま使っているやつのハンドルがぶっこわれたのであたらしいのをずいぶん前にポチったのだが、寝込んでいたせいでずっと回収できずにいた。第五食堂で夕飯も打包。帰宅して食し、ひとときだらけたのち、チェンマイのシャワーを浴びた。それからコーヒーをたてつづけに二杯のみながら、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回、1年前と10年前の記事を読みかえした。以下、2022年4月12日づけの記事より。梶井基次郎のこの文章を読むたびに、雨の降らないかぎり毎日里山をのぼっていた保育園時代を思いだす。

 吊橋を渡ったところから径は杉林のなかへ入ってゆく。杉の梢が日を遮り、この径にはいつも冷たい湿っぽさがあった。ゴチック建築のなかを辿ってゆくときのような、犇ひしと迫って来る静寂と孤独とが感じられた。私の眼はひとりでに下へ落ちた。径の傍らには種々の実生や蘚苔、羊歯の類がはえていた。この径ではそういった矮小な自然がなんとなく親しく――彼らが陰湿な会話をはじめるお伽噺のなかでのように、眺められた。また径の縁には赤土の露出が雨滴にたたかれて、ちょうど風化作用に骨立った岩石そっくりの恰好になっているところがあった。その削り立った峰の頂にはみな一つ宛小石が載っかっていた。ここへは、しかし、日がまったく射して来ないのではなかった。梢の隙間を洩れて来る日光が、径のそこここや杉の幹へ、蝋燭で照らしたような弱い日なたを作っていた。歩いてゆく私の頭の影や肩先の影がそんななかへ現われては消えた。なかには「まさかこれまでが」と思うほど淡いのが草の葉などに染まっていた。試しに杖をあげて見るとささくれまでがはっきりと写った。
梶井基次郎「筧の話」)

 そのまま今日づけの記事もここまで書くと時刻は23時半をまわっていた。

 寝床に移動後、Katherine Mansfield and Virginia Woolf (Katherine Mansfield Studies)の続きを読み進めて就寝。

20240411

 作者体調不良により、本日の「レプティリアンMのアイアムゴム人間」初回はお休みさせていただきます。ご了承ください。



 11時起床。きのうは寝たのが6時をまわっていたと思うのだが、全然眠気がなかった、自然とこの時間に目が覚めた。睡眠中も鼻詰まりのせいで息が苦しかったり、汗だくになったり、何度か目を覚ましており、だから全然熟睡などできていないはずなのに、やっぱり眠くない。たぶんここ数日、本当にアホみたいに眠り続けていたせいで、もう身体が睡眠をさほど欲していないのだと思う。体温を測ってみたらやっぱり37度。でもその自覚は全然ない。自律神経失調症で謎の微熱が数ヶ月間にわたって続いた十数年前、当時の日記に毎日のように書きつけていた伝説のフレーズ「微熱の王」の再来だ!
 三年生のR.Kくんから微信。「日本で結婚式に出席するときは、礼金を相手の口座に振り込むのが一般的ですか」と。ご祝儀のことなんだろうが、口座に振り込むなんて話は聞いたことがないので、祝儀袋に包んで渡すのが普通だと答える。先生も西安に行きましたか? とあったので、S先生やK先生がなんらかの用事で西安をおとずれているという話は以前二年生のO.Sさんからきいたわけだが、今日こちらの授業が休講になったのもこちらがその用事に参加してのことだと勘違いしているのだなと察し、そうではない、体調不良で寝込んでいるだけだと返信。
 歯磨きをする。白湯を飲んでみる。あ、甘みが消えている……! 甘露モードはたった一日かぎりのボーナスデーだったのか? 街着に着替えて外に出る。文具屋でゴミ袋を買い、パン屋でパンを買い、第五食堂の一階で炒面を打包する。味覚と嗅覚、やっぱりかなり衰えている。前回コロナになったときはマジで両方とも0%まで低下したが、今回は10〜15%まで低下している感じ。香水の容器に鼻を近づけたらにおいはかぎとれるし、食事も味の大雑把な傾向くらいならわかる。あと、これはきのうからちょくちょくあった症状なのだが、状況を問わず不意に、マヨネーズみたいなマスタードみたいなにおいがすることがある。
 食後、あんまり香りの感じられないコーヒーをたてつづけに飲みながら、きのうづけの記事の続きを書いた。投稿し、ウェブ各所を巡回。Sさんがブログでアルノー・デプレシャンに言及しているのをみて、ひさしぶりに作品を観たくなった。『二十歳の死』は実家にDVDがあるはず。あれを下敷きにした小説を書くという計画もかれこれ15年ほど前からある。
 1年前と10年前の記事の読み返し。以下は2022年4月11日づけの記事より。何度読んでもすばらしい。こんなにシンプルに風景をたちあげることができるのかと惚れ惚れとする。

海の静かさは山から来る。町の後ろの山へ廻った陽がその影を徐々に海へ拡げてゆく。町も磯も今は休息のなかにある。その色はだんだん遠く海を染め分けてゆく。沖へ出てゆく漁船がその影の領分のなかから、日向のなかへ出て行くのをじっと待っているのも楽しみなものだ。オレンジの混った弱い日光がさっと船を漁師を染める。見ている自分もほーっと染まる。
梶井基次郎「海 断片」)

 以下は2011年4月11日づけの記事より。

たぶんわたしは最初から、無頓着な筆づかいを恐れる心が足りなかった――いまだにそうだ――オウムもどきの繰り返し――陳腐な言いまわしや平凡な表現も気にしなかった。おそらくわたしは、こういう配慮をするには少々民衆的(デモクラティック)にすぎるのだ。
ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(下)』より「追補第二への序の言葉」)

 文をものするにあたって「無頓着な筆づかい」や「陳腐な言いまわしや平凡な表現」を気にしないみずからのスタイルを「民衆的(デモクラティック)」とするのはなかなか筋が通っていてかっこいい。

 分離戦争のとき、一八六三年から四年にかけて、ワシントンに点在する陸軍病院を訪れているうちに、日の暮れがた引き潮か満ち潮が始まると、苦しんでいる患者たちが当時大勢はいっていた病棟を、いつもきちょうめんに訪れる習慣ができて、それが終わりまでつづいた。なぜか(それともわたしの気のせいか)その時刻の効目は歴然としていた。重傷者もある程度は楽になり、話したい、話しかけられたいと、少しは思うようになった。知的な性質の人も、感情的な性質の人も、それぞれに最高の状態になり、死はいつも何かもっと楽なものになり、薬はその時刻に与えられると効目を増すように思え、なごやかな雰囲気が病棟中に広がったものだ。
 激戦が終わって日が暮れると、いろいろと恐ろしいことがあったのに、同様の影響、同様の状況と時間が訪れる。わたしは倒れた者、死んだ者たちに覆われた戦場でも、一度ならず同じ経験を味わった。
ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(下)』原注より)

 以下は2014年4月11日づけの記事より。

 幸いなことに、私は高等映画学院の入学試験に落ちました。このことは今でもまだ、私の人生の幸運な出来事のひとつとなっています。映画の世界のなかでの私のもうひとつの幸運な出来事は、私が第二作から現在に至るまで、ずっと[興行的]失敗ばかりつづけてきたということです――私はこのことを自慢しようとしているわけじゃ少しもありません。というのも、私のような人がほかにもいればいいのにと思っているからです――。私は失敗ばかり……経済的失敗ばかりくりかえしながら生きつづけることのできた数少ない社長の一人なのです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)

 この日は香川旅行最終日。以下は鳴門の渦潮をはじめて見たときのこと。

 下道を延々と走った。香川から淡路島にむけて架かる橋をわたっている途中、車窓越しにのぞむことのできる海面がまるでくしゃくしゃに丸めてからふたたびひきのばした新聞紙のようにちいさな皺だらけになっていることに気がついた。あれってひょっとして鳴門のうずしおではないかと思ってTに声をかけてみると、うわなんやこれ! と驚きの声があがった。うずしおはたしか一日二回しか出現しなかったはずである。眼下のそれはうずまきのていなど全然なしてはいなかったのでおそらくはうずのくだけたあとかあるいはこれから形成されることになるかのいずれかの過渡期であるようにおもわれたが、それでもやはりふつうの海面ではぜんぜんなく、潮の流れの複雑に入り組んで狂っていることのありありと視認されるふしぎな絵模様だった。「A」の序盤でおおうずの出現するシーンを書いたけれど、うずのおさまったあとの凪というのはあるいはこういうものであったのかと、想定していたものとよく似ているようでもあれば全然ちがうようでもあるのに、そもそもイメージとして、図像として、画像として、脳内にくりひろげられたうずしおを描写するという方式で書いたわけではぜんぜんなかったことにいまさらながら気づいた。図像があってそれをなぞる言葉があるのではない。まず言葉があった。いつもそのようにして小説を書いているのがじぶんのやりかただった。言葉を尽くして言葉を描く。

 「図像があってそれをなぞる言葉があるのではない。まず言葉があった。いつもそのようにして小説を書いているのがじぶんのやりかただった。言葉を尽くして言葉を描く。」というその「じぶんのやりかた」をはじめてひっくりかえして書きはじめたのが「実弾(仮)」だ。だからじぶんもけっこう楽しみながら書けているのだと思う。おなじ小説といってもあたまのなかの全然別の領域を使って書いている気がする。
 作業中、二年生のR.Hさんから具合をたずねる微信。熱はなかなか下がらないが、明日の授業は問題ないと応じる。三年生のC.Mさんからは夕飯を差し入れしましょうかとあったが、いませっかくメシを作ってもらったところで味わうことがほとんどできないわけであるし、いちおうはまだ病人であるのだからなんであれば食べることができるかじぶんの体調と相談してじぶんで決めたいというあたまがあったので、これは断った。あと、Lにこちらから微信を送った。先学期健康診断を受けるために病院をおとずれたおり、この四月にこちらの保険が切れるので更新しなければならない、そのremindをお願いしてもいいかとたのまれていたことをおぼえていたので、その約束を果たしたかたち。Lのほうでもおぼえていたらしく、保険屋とはちょうど昨日コンタクトをとったところだという返事があった。

 第五食堂で夕飯を打包。卒業生のR.Kくんから微信。(…)大学院試の面接に合格したという。びっくりした。(…)大学というのはかなりの名門ではないかと思ったが、たぶん日本語学科のレベル自体はさほど高くないのだろう(それにくわえて日本語専攻の人気が急激に低下しているというここ数年の事情もあるはず)、現役時のときからずっと目標にしていた(…)大学には今年も受からなかったというのだが、十分だ、十分健闘したと思う。とりあえず今後は生活の拠点を上海に移し、そこでまずは仕事を探すとのこと(「仕事」というのはたぶん「バイト」のことだろう)。
 チェンマイのシャワーを浴びる。煮沸して覚ましておいた水道水を使って鼻うがいをする。コーヒーを淹れる。母からLINEがとどく。(…)川でまた新たな犬と知り合ったという写真付きの報告。ブルーマリーのボーダーコリー。名前は(…)で、生後八ヶ月。こちらが中国にもどって以降は弟がこちらに代わって(…)川へのドライブに付き添うようになっており、そのためにわざわざHやんのところの仕事も16時で上がらせてもらっているとのこと。明日の日語会話(四)を軽くシミュレーションする。
 21時から「実弾(仮)」第五稿作文のつもりだったが、開始五分でどうもチューニングの合わない感じがしたので中断し、代わりに書見することに。『新しい小説のために』(アラン・ロブ=グリエ平岡篤頼・訳)を読みはじめる。『SCIENCE FICTION』(宇多田ヒカル)を流す。
 その書見もしかし中断を余儀なくされた。学生らとの微信でのやりとりが続いたのだ。まず二年生のR.Uくんから体調を気遣う連絡があった。風邪かコロナかインフルエンザかわからんがやたらと長引いた、味覚障害と嗅覚障害があるのでコロナの可能性が高いが、体調は回復したとの実感があるので明日の授業は通常どおり実行できると受ける。R.Uくんはお見舞いを計画していたのだが、こちらに迷惑がかかるかもしれないと思ってとりやめたといった。こちらとしてもお見舞いに来てもらった結果、学生らに病気をうつしてしまうという展開がいちばんしんどいので、そういうのは必要ない。寝こんでいるあいだの話になる。いろいろ考えごとをしていたよというと、「先生は何を考えたんですか」「僕も、人生は一体何をすべきとか、どう過ぎるとか結構考えたんです。こんな年頃だけどね(w)」「なかなか分からないです」「それどころか、大学1年の時、ずっと人生を無意味だと思っていた。何もやりたくなくなった。」とあったので、残された時間であとどれだけ小説が書けるか、そろそろ日本に本帰国するべきじゃないか、この仕事をするまえにそうしていたようにまた極貧暮らしをしながら読み書きに集中するべきではないか、そういうことを考える時間がけっこうあったよと受ける。R.Uくんは「考えば考えほど人生は無意味だと確信します」「そして、何もやりたくない。当然、何もかも『無』に帰るでしょう」「宇宙の大きさと自分の小さい」「やる気全然なくなったよ、あの時」といった。気持ちはわかる。じぶんがどれほどすばらしい小説を書きあげたところで、それは最長でも人類の文明の終わりとともに消えさえることを運命づけられているのであり、巨視的にみれば無意味でしかない——そんなふうな認知の罠にかかってしまった経験はこちらにもある。でもそれは「宇宙」を基準に考えているからそうなってしまうのであって、「じぶんの生」をいったん中心に据えてみることである程度相対化できる妄念でしかないのではないか。R.Uくんは一年生のときに『涼宮ハルヒの憂鬱』のアニメをみてこうした考えから解放されることができたといった。動画の一部が送られてきたので再生してみたが、早送りになっていたのでセリフこそしっかり聞きとれなかったものの、ハルヒが幼少時代東京ドームかどこかにいってその会場にいる客の数が全部で何万人で日本の人口は一億何千万人だからその客の数の何百倍何千倍でじぶんはその中の一人でみたいなことを語っているシーンだった。「ニーバーの祈り」は知っているかとたずねると、知らないという返事があったので、ちょうど三年生の授業で使う予定だったこともあるし、「ニーバーの祈り」を引いている「卒業生への手紙(2019年)」のPDFを送った。
 (…)大学の面々を含むグループチャット上では、こちらが寝込んでいるあいだにMさんがポテトチップスの話題をふってくれていたわけだが、うちの学生らがろくに返信をしないままやりとりがとだえていたので、それに対して中国ではきゅうり味のポテトチップスというめずらしいやつがあるよと夕方に一度介入をしておいたのだが、というかK.KさんとC.Rさんが付き合った結果Mさんふくむ三人がちょっとぎくしゃくしてしまっているのかもしれない、いやMさんはあの性格あのキャラだから特にそういうこだわりなどないのかもしれないが、K.KさんとC.Rくんのふたりについてはこのグループチャットでやりとりするのがちょっと気まずいみたいなアレがあるのかもしれず(そもそもC.Rくんは日本語でのやりとりに参加できるほど能力も高くないわけだが!)、そうしたふたりの気まずさが伝染するかたちでほかの面々も積極的にやりとりするのがむずかしくなっている、そういうアレはおそらくある、だからといってMさんがせっかく積極的にコミュニケーションをはかってくれているのに無視するわけにもいかんやろというわけでこちらは介入したのだったが、その介入をきっかけに、おめーらふだんどこかにひっこんどったんやといういきおいで、C.Sさん、R.Sさん、S.Sさん、S.Sくんらがわらわらと集まりだしてポテチについて語りだし、(…)大学組のほうでもOくんやYくんが日本でお気に入りのポテチの写真などを投稿してくれ、それでひととき「あきわいわい」(Jさん)と過ごすことになったのだった。しかし思ったのだが、日中両国(の言語と文化)のあいだに生きているじぶんが介入したほうがやっぱり両国の学生らは安心してやりとりしやすいというのがあるのかもしれない、それこそ本当にこういう場面では「調停者」としてのじぶんがもとめられているのかもしれない。
 そういうわけで書見はほとんどはかどらず、夜の貴重な時間をチャットに費やすはめになった。しゃあない。『新しい小説のために』で言及されていた『ゼーノの意識』(イタロ・ズヴェーヴォ)がちょっと気になった。自費出版で発表した当初はイタリア文学界からほぼ黙殺されていたものの、のちにジョイスによって見出され激賞されたらしい。
 寝床に移動後、『Katherine Mansfield and Virginia Woolf (Katherine Mansfield Studies)』(Christine Froula, Gerri Kimber, Todd Martin)の続きを少し読んだ。横になると咳が出て困る。それでちょくちょく目が覚めるのだ。のども腫れている感じがする。おかげで4時ごろまで眠れなかった。

20240410

 作者体調不良により、本日の「荒俣・M・宏のめくるめく偽書の世界〜オノレ・ド・チョコザップ『ゴリ子婆さん』編(4)」はお休みさせていただきます。ご了承ください。



 汗だくになって目を覚まし、もうろうとしたあたまで服を着替えてからふたたび寝床にもぐるというのを、朝方、たしか三度ほどくりかえした。最終的に覚醒したのは12時半だったが、ベッドから身体を起こすと、鼻をかんだあとの大量のトイレットペーパーと汗だくのヒートテックが三着とここ数日出すことのできていない小さなゴミ袋が三つ四つフローリングの上を占拠しており、ゴミ屋敷みてえやなと思った。
 体温測定。37度前後。あるかなしかの微熱だが、体感的にはほぼ問題ない。というかいま使っている体温計というのも、コロナの時期に大学から配布された、額にかざしてバーコードを読み取るみたいにピッとやるやつで、正直どこまでの精度のものなのかわからんので、ちゃんと脇にはさむやつがやっぱりほしい。症状が出はじめたときもおなじく37度前後だったが、あのときはかなりしんどかった。これでおなじ37度は無理があるんちゃうか?
 熱よりも身体の凝り張りのほうがしんどかった。特に腰と背中がまずい。いきなりストレッチすると吐き気をともなうかもしれないというレベルのアレだったので、歯磨きをすませたあと、ゆっくりと、あまり負荷をかけずに身体をほぐした。洗濯機をまわし、クリームパンを食べ、風邪薬の服用はもう必要ないだろうというあたまがあったので花粉症の薬を服用し、コーヒーを飲んだ。今朝の時点で完全に平熱になっていたら明日の授業には行くつもりでいたのだが、まだ平熱になっていないのであれば、明日もやっぱり休んだほうがいいかなと考えた。清明节の連休がこうして期せずして一週間に延長されたわけだが、これはしかしひょっとすると、しっかりとした連休がほしいというこちらの無意識のなしたおそるべき業かもしれない(という話をのちほどTにLINEで語ったところ、そんなもん無意識でもなんでもねえやろ! というもっともな返事があった)。
 微熱はある。痰が多少からむせいで咳も出る。喉もわずかに痛む。しかし体のだるさみたいなものはほぼ消えた。筋肉の凝り張りはもちろんあるが、これは今日一日あまり横たわらずに過ごすことによって、おそらく解消されるだろう。
 というわけでなるべく通常どおり過ごそうと、まずはデスクにむかってきのうづけの記事の続きを書いた。投稿し、ウェブ各所を巡回したのち、第五食堂に出向いたが、冬物のセーターを着用してなお肌寒いという印象をおぼえたこちらに反し、キャンパスですれちがう学生らはみなけっこう薄着だったので、あ、やっぱり熱はあるんだな、まだ完全回復はしていないんだなと思った。歩いていても浮遊感をともなう。浮遊感自体はもちろんきのうもおとついもあったのだが、症状がもっとしんどかったそれらの期間は意識もかなりぼうっとしていたため、肉体(運動機能)の失調に由来する浮遊感と意識の浮遊感が妙にマッチしており、それでかえって違和感はなかったのかもしれない、肉体(運動機能)は失調しているものの意識のフォーカスははるかにくっきりしている今日のほうが、そのギャップに由来する浮遊感みたいなものをよりなまなましく感じとってしまう気がする。きのうおとついの外出時におぼえたものが浮遊感であるとすれば、今日の外出時におぼえたのは離人感といったほうが近しいかも。挙手のひとつひとつに「(他人の肉体を)あやつっている」みたいな感覚がともなうのだ。
 打包して帰宅。メシを食っている最中、というかより正確にはメシを食いはじめる前に白湯を飲んだ直後だが、あれ? おれ味覚障害なっとるんちゃうか? と思った。白湯が死ぬほど甘いのだ。このように感じるのは実は今日がはじめてではなく、たしか昨日か一昨日にもおなじような所感をおぼえた瞬間があったのだが、そのときはポカリスエットの後味が口の中に残っていたのかなくらいにしか思わなかった。しかし今日このとき、起床後ポカリなどまったく飲んでいないにもかかわらず、ウォーターサーバーからコップにそそいだものでしかない白湯がやたらと甘く、というのはいわゆる「この水にはほのかに甘味がある」的な甘さではなく、「甘い水!」という感じのまっすぐな甘さであり、それで、あれ? これもしかして味覚障害ちゃうか? と思い、そして一度そう疑いはじめると、きのうおとついあたりからメシの味が全般的に薄く感じられていたのも、ただの鼻詰まりに由来するものではなく味覚障害に由来するものではないかというふうになってきて、これでまたコロナ疑惑が深まった。いや、こちらはかつてコロナ以前、通常の風邪で味覚および嗅覚障害に見舞われたことがあるわけだし、今回もそのパターンである可能性も否定できないわけだが、いずれにせよ鼻うがいを再開したほうがよさそうだ、というかコロナ以降一日に一度は鼻うがいをしようと決めていたのにその習慣がすっかりとだえてしまっていた! これを書いているいまも白湯を飲んでいるのだが、マジで甘い! めちゃくちゃ甘い! こんなもん毎日飲んどったら糖尿病になるわ! 思ったんやが、イエスが水を葡萄酒に変えたという新約の有名な奇蹟、あれその場におった全員がたまたまおんなじ病気で味覚障害になっとったんちゃうか?
 翌日の授業も休むことに正式に決めた。後遺症の免罪符ゲットや。とことん休んだる。一年生1班と三年生に通知。その後チェンマイのシャワーを浴びたが、ついでにここ半年以上(?)伸ばしっぱなしだったあごひげをハサミでぶったぎった。したらハサミのあの持ち手の部分がバキっと折れた。ふ、不吉な……! あごひげはかなり長くなっており、垂直にもちあげると鼻の穴を塞いでなおあまるほどの長さに達していて、ヘアゴムでたばねることなしには外出できないほど汚く、女性からの好意を得たいのであれば「清潔感」が大事みたいなヘテロ男性向けの恋愛指南書的な言説をよく目に耳にするけれども、それに即していえばこれほど清潔感の欠けているカスもおらんやろいう見映えであり、しかしそれを言い出せばこちらの人生そのものがまず清潔感とは無縁の冥府魔道なのであっていまさらだれがそんなもん気にすんねんというアレなのだが、外出するたびにヘアゴムでたばねるのがいい加減めんどうくさくなってきたし、あと病気は今日でおしまい! という意味のケジメというか区切りというかもしかしたら願掛けなのかもしれないが、そういうのもあってバッサリ切った。あごに生えていた稲が苔にデジモン逆ワープ進化した。
 三年生のC.Mさんから微信。またうちの寮で料理をふるまってくれるという。いまは体調がよろしくないのでまた今度お願いしますと返信。
 1年前の記事と10年前の記事を読みかえす。2023年4月10日づけの記事にKatherine Mansfieldについていろいろ書いてあるのを読んで、あーやっぱりMansfieldはいいなァと思った。記事には『Katherine Mansfield and Virginia Woolf (Katherine Mansfield Studies)』(Christine Froula, Gerri Kimber, Todd Martin)なる書物に対する言及もあったが、これは結局ポチらずにいまにいたっている。で、せっかくなので一年越しにKindleでポチったのだが、3579円もして、それでふと、これ去年の時点で買っておけばいまほど円安ではなかったしもっとずっと安く買えたのか! となった。ところで、洋書のタイトルと作家名をこうして日記に書きつけるとき、あえて日本語の表記をそのまま踏襲するかたち、つまり、上に書いたように『Katherine Mansfield and Virginia Woolf』(Christine Froula, Gerri Kimber, Todd Martin)と記すときと、なんとなくこっちのほうが英語っぽいかなというあたまで“Katherine Mansfield and Virginia Woolf”(Christine Froula, Gerri Kimber, Todd Martin)と記すときがあるのだが、実際の英文では作家名と作品名ってどういうふうに記すんだっけ? なんかずっと以前いちどだけ調べてみたところ、基本的には引用符は使わず、そのかわりに作家名か作品名か忘れたけれどもどちらかをイタリックにするみたいなルールがあるみたいな話だった気がするのだけど、まあなんでもええわ!
 しかしこうして電子書籍までどんどん平気で積読するようになってしまった。まあ、電子書籍はいくら積読しても場所をとらないし、それに洋書を読むにあたっては辞書機能がある分紙の本よりずっと助かるので別にかまわないのだが、しかし現在ある積読だけでももしかしたら残り人生すべてをかけても読みきれないほどの量があるんではないか? 京都のアパートをひきはらったときにかなりの数処分したはずだが(引っ越しをくりかえす過程でたしか700冊ほど減らしたのではなかったか?)、結局あれからまたガンガン増え続けている。
 10年前の記事、すなわち、2014年4月10日づけの記事はおもしろかった。Tといっしょに出かけた香川旅行二日目で、ボリュームもたっぷりであるし、文章もしっかり書けている。読み返していて楽しかった。必読。迷走神経反射に見舞われた以下のくだりは特によく書けていた。そうそう、この感じなんだよ! となった。

 土産物屋にふたたび足を踏み入れて食堂の前でいまかいまかとぶらぶらしているうちに、おなじく開店待ちらしいひとの姿もちらほらと目につきはじめた。観光客というよりもやはり地元民らしくみえた。やがて開店を告げる声があがった。トレイを手にとり、カウンターに陳列されている小鉢を端から端まで順にながめた。おふくろの手料理みたいな一品また一品だった。カウンターに沿うて移動していくとカマ焼きや天ぷら、それにとれたての魚をさばいたものらしい刺身らがあった。どれもこれも信じられないほどの安価だった。これが居酒屋だったら倍、あるいは三倍四倍の値がついていてもまったくもっておかしくない。われわれのお目当てはむろんハマチの漬け丼であったが、これほどまで美味そうな料理の数々を前にしておきながらどんぶりいっぱいでおわりというのも馬鹿らしいので、おのおの好みの一品をとってシェアしようということになった。Tはハマチのあら煮をとった。大皿に山盛りになって400円かそこらという破格だった。こちらはわかさぎの天ぷらをとった。それに味噌汁を二人前。肝心のハマチの漬け丼にかんしては両者ともに大盛りを注文した(漬け丼だけがセルフではなく注文式になっていた)。席に着いてから漬け丼の運ばれてくるまでのあいだに茶をそそぎ、あら煮を電子レンジで温めた。至福の一瞬がはじまろうとしていた。いただきますをしてから早速わかさぎの天ぷらに頭からがぶりと食いついた。美味かった。冷めているくせにたいそうな味わいだった。次いであら煮をつまんだ。当然のことながらこちらも美味であった( なによりいくらかアラとはいえこの量でこの価格かという驚きが尾をひいていた)。味噌汁をすすった。こちらはわりあいふつうの味だった。魚を食べるにあたってはやはりどうしても赤出しが欲しくなるのだが(というか名古屋文化圏で育ったものとして味噌汁は赤出し以外に考えられない)、合わせですらない純然たる白みそ仕様だった(四国は白みそを好むのだろうか?)。そうこうするうちに丼が運ばれてきた。ぷりっぷりのハマチの刺身がご飯のうえにしきならべられているのに刻み海苔がちらされ中央には生卵がひとつ落とされていた。まずひとくちハマチの刺身だけをかっ喰らった。死ぬほど美味かった。味噌汁を口に含み、さらに一口また一口とかっ喰らった。丼の中央に落とされてあった生卵を崩してからは、ほとんど口もきかずに黙々と、というかガシガシと食い続けた。天ぷらを食いつくし、あら煮をついばみ、味噌汁をのみほした。丼の具をすべてたいらげてあとはご飯三口分ほどとなったところで、少なくともこちらには大皿いっぱいに盛られたあら煮の残りを完食できるだけの余裕など到底ないことに気がついた。残りはすべて鉄の胃袋をもつTにまかせることにして、こちらはすでに若干戦場跡のような惨状をていしているようにもみえる丼の残りものだけを片付けてごちそうさまといくべきだろうと、腹の張り具合からそう判断した。判断したところで、きた。ん? と思った。これはひょっとして、と疑った。疑うそばからまたきた。気のせいではなかった。これは一時的なものではどうやらないらしい、だんだんと周期をせばめつつやってくるようなそんな気が、と考えているうちにもまたきた。おもわず、やばいかも、と洩らした。怪訝そうな顔つきでこちらに目をやるTにむけて、ちょっとこれやばい、気持ち悪い、気絶のパターンかも、と続けるこちらの脳裡ではすでに疑念は確信へと鋳直されていた。そこからはよくおぼえていない。激烈というほかない吐き気の襲来にそなえてひとまずキャスケットを脱ぎさり眼鏡をはずし、目の前の食い残しをテーブルの片端によせて顔をふせた。ほどなくして脂汗が全身からにじみではじめた。するとそこからは早かった。生きているのが苦痛でしかたのなくなるほどの強烈な吐き気、悪心、不快感、それにめまいが加わった。いまがどこにあるのかわからない混乱と混沌の万華鏡のめまぐるしい回転の渦中にあって、誠実なまでに執拗な吐き気だけがただただゆるぎなくいわば失調の北極星としてそこにあり、波打つような苦しさのなかでときおりおとずれる息継ぎの一瞬にだけ、おれはいま気絶しようとしているという俯瞰がさえわたった。息も荒く吐きながら、とにかく過ぎ去るのを待つほかなかったが、待つにしてもそもそもの時間感覚が狂っている。気をぬけばいまここの自明すら喪失しかねない浮遊感のなかでもみくちゃにされているこちらの故障した感覚からすれば、顔をふせてからほんの数秒後のことに思えたが、あとでTにきいてみたところじっさいは数分はあったという不透明ないっときののち、おいだいじょうぶかとゆさぶられる肩があった。ゆさぶらないでくれと強く思いながらそれを口にすることもできず、ただなんとかして顔をあげてみせたが、Tによるとそのときこちらの目は完全にイってしまっておりどこにも焦点が結ばれていなかったという。顔面蒼白で顔中汗だらけである。いったいどうすればいいのか対処に困っているTをまえにして、便所に行くと告げた。告げはしたものの食堂をぬけて公衆便所まで歩いてたどれる気がしなかった。だからといってこのままテーブルに突っ伏しているだけではなにも回復しない。とにかく変化をまねきよせなければならない。そうしてその変化にたいして身体がどのような反応をとるのかを調査し、じぶんがいまいったいどのような種類の不調にあるのか見極めなければならない。それになによりいつでも吐くことのできる状況に身をおいておいたほうが安全だ。すくなくとも食堂にいてはならない。そういう考えからどうにかこうにかして席を立ってみせた。立った瞬間やはりこれは無理だろうと思った。まともに歩けそうにない。でも歩かないわけにはいかない。なんたることだ! 荷物を置き去りにしたままふらふらと歩みだし、食堂に設置されたテーブルや手すりをつたいながら建物の入り口にむけて道のりをたどりはじめると、だんだんと視界がちらつきせばまり、画素数のいちじるしく低下していくのがわかった。ブラックアウトもホワイトアウトも過去に体験したことはある。しかしこのとき体験するにいたったのはグレーアウトであった。というかそんな語あるのかよとおもっていま検索してみたところブラックにせよホワイトにせよグレーにせよどうもこれらの語の正確な定義とじぶんのそれが食い違っているみたいでどうしたものかと思うのだけれども、そんなのはまあどうでもいい、要するに色の問題だ、目の前が真っ暗になるか、真っ白になるか、それとも(こんな表現が許されるのであれば)真っ灰色になるかの違いである。もともと立ちくらみのけっこうひどい体質で、長時間書き物をしていてたちあがると目の前がくらっとなってあわてて柱につかまるとか壁にもたれるとかあるいは畳や布団のうえに倒れこむとか、起き抜けなんかにも似たようなことはあってわりあい頻繁であるというかほぼ毎日なのだけれど、そういうときはただ視野がふにゃふにゃに、それこそバキの世界で猛者と猛者が対峙したときに空間がぐにゃりと変形するあれみたいな感じになってゆるく回転しそれに応じてよろめきたおれるみたいな、そういうのがいちばん身近なこの手の体験であるのだけれど、しかしこの場合はじっさいに失神するところまでいくことはないし吐き気をおぼえることも滅多にない。今度のはそれとはまったくの別物で、たとえば図書館やレンタルビデオ屋で本やDVDを物色するのにしゃがみこんで陳列棚の下段をあさっていてしばらく、次にとなりの棚の最上段へと目をうつすために足をのばすと視界が一気に白く遠ざかっていっていっしゅん気が遠くなりそうになる、まるで真正面から強烈なライトを浴びせられたかのように視界が真っ白になってその真っ白のところどころに銀色の光がチカチカまたたいて平衡をたもっていられなくなる、そういうこともやはりまたわりと頻繁にあるのだけれど、それのもっとずっとやばくて強烈で長時間にわたる視野の失調が今回のもので、ここで倒れたらだめだここで倒れたらだめだと気こそ張っているとはいえ一歩すすむごとにみるみるうちに視界が白く遠ざかりせばまっていって、足取りもまたガンガンに酩酊したときのようにおぼつかなくそんなつもりなどないのに身体は壁にぶつかるし両手はぶらぶらと揺れるし、もちろんその間吐き気はといえばおさまるどころか蓄積されてつのるばかりの尋常ならぬ苦しさで、せめて外で吐こう、芝生で倒れようとなぜか強迫観念のようにそればかり考えてどうにか食堂をぬけたのだけれど、そこから土産物の陳列されてあるコーナーをぬけて自動ドアを経由しおもてにでるまでのわずか数メートルのあいだ、ついに視界が完全にきかなくなるという未踏の域にさしかかることになった。真っ黒に遮蔽されたわけでもなければ真っ白に遠のいたわけでもなく、ただ灰色にのっぺりと塗りこめられただけの視界、妖怪ぬりかべに顔面をめりこませてでもいるかのように近くて厚くて奥行きのないべた塗りの灰色がそこにあって、あまりにも無機質で均質な灰色であるそのためにほとんどデジタルな質感さえおぼえたのだけれど、たとえばペイントでもイラストレーターでもフォトショップでもギンプでもいいのだけれどそれらのソフトを用いて灰色で画面一色をべた塗りしてみせたそのような灰色、そのような灰色によって完全に視界が奪われてしまい、なにかとてつもなくやばい事態がいまじぶんの身体におこっていると思った。思いながらも建物の外へと気ばかりが急いて、けれどそもそもの視界がきかないのだからどこに足をすすめればいいのかまったくもってわからない。なんとなくこちらのほうに入り口があったはずだとおもわれる方向にむけて歩みを進めていくそのそばからこちらの身体にぶつかってフロアに落下する物産の感触があったりもするのだけれどとてもかまっていられない、ただただ両手をキョンシーのように前にさしだしながら杖をなくした盲人のように歩いていると右手の指先につめたいものが触れて、それが自動ドアのガラスであることに気づいたのでたちどまり、その表面を指先でなぞっていくとふいにとぎれて宙を切る。ここだと思った。外につながってひらかれてあるらしいその宙にむけておそるおそる歩みをかさねていくと、すずしい外気の吹き込みが脂汗でひっついた前髪と額をはがしにかかる快さがあり、と同時に鮮度のよいその空気によって厚く上塗りされていた灰色の絵の具がぼろぼろとはがれ落ちていくようにして次第に視界のひらけていく感じがし、たとえばYouTubeなんかで試聴中の映像がPCの不具合からか回線の重さからかとにかくバグって灰色っぽく崩れることがあると思うけれどもそのときたいてい画面上には灰色のべた塗りだけではなく赤とも青とも緑とも黄色ともつかぬ糸くずのような線描がちらちらしている、ちょうどそんな具合にこちらの視界でもやはりまたちらちらする光の三原色めいた線描がはがれ落ちていく灰色のむこうがわでのたうちまわるみみずのように動きだし走りつつあって、どうやら峠は越えたらしい、灰色だったはずの視界もちょうど自動ドアをぬけて建物のおもてにはっきりと身をおいたあたりからしだいに白く薄らぎはじめ、まもなく激しい逆光のために画面の大半が白飛びした写真のような視界のなかに身をおくことになったのだけれども、そのような光かがやくまぶしい白さのなかにあっても例の線描だけはしぶとく残っていて、それが芝生と石畳の境界線、芝生につきささった毒キノコに注意の看板、ぜんぜんよいとはおもえない石の彫刻作品の輪郭線をなぞっているらしいことに気づいたところで、ああ大丈夫だ、たぶんあとはもう回復する一方だと、先におぼえた安堵の予感が確信に更新され、まだまだまともに機能していない視界と平衡感覚のなかでそれでもおおいに安堵した。歩くにつれてしだいに白飛びした世界のなかに色彩が復調していき、どうにかして公衆便所のそばにまでたどりついたときには吐き気もまたおさまりつつあった。公衆便所の入り口付近にあった縁石に尻餅をついて腰かけてはあはあと肩で息をしているとだんだんと汗のひいていく感じがあっていれちがいに寒気がたちはじめ、もう大丈夫だ、これでもう地獄はおわりだと、そのようにして回復の道のりを内向きのまなざしで慎重に見守っているところに頭上からかかる声があり、見あげれば老年の女性二人組だった。どういう表情をかたちづくるべきなのかわからず戸惑っているような顔つきを浮かべながらこちらをのぞきこむがいなや、開口一番、救急車を呼んだほうがいいかとあった。いやもうだいじょうぶです、さっきまでちょっとえらいしんどかったんすけど、もうおさまりましたから、ときどきあることだなんです、とあわてて応じると、ものすごくふらふらになって歩いているし顔色は真っ青だし大丈夫なのだろうかと遠目に心配していたのだとあって、いまだってやっぱりたいへんな顔色をしている、やはり救急車を呼んだほうがいいんでないかと念押ししてみせる。いや峠は越したんでだいじょうぶです、ちょくちょくあることですから、ほんとだいじょうぶなんで、と、そう応じながらも、こんなことがちょくちょくあってはたまったもんじゃないなと思った。
 もうたちあがってもだいじょうぶだろうとおもわれたところでトイレにいき鏡を見てみると真っ青どころではない真っ白な、血の気のない表情といえばまさしくこれだろうという蝋人形のような血色のわるさに出くわした。悪い夢のようだった。クインケ浮腫のせいでくちびるが信じられないほど腫れあがっているのを起き抜けの洗面台で認めた数年前、生まれてはじめて「これは夢ではないのか?」というほとんど慣用句と化してあるおきまりのフレーズを強烈なリアリティをともなって内心つぶやいたことがあったのだが、そのときとよく似た信じられなさをおぼえた。たとえば街を歩いていてたまたますれちがったひとがこの顔色だったら確実に二度見するだろうとおもわれる、そういうありえなさ、ありえない顔色だったのだ。

 ここを読んでいて、迷走神経反射に見舞われたのはこのときがはじめてじゃなかったことを思いだした。最初はアレか、W荘時代か。出勤前に共用便所の流しで歯磨きしている最中に視界がぐるぐる回転しはじめてそのまま気絶し額を割ったときか。おなじ階の住人に、だいじょうぶですか! だいじょうぶですか! あたまから血が出てます! と起こされたところまではいいのだが、朦朧とするあたまで、うーん、だいじょうぶです、みたいな受け答えをしたところ、ごめんなさい! ぼく期末試験があるんで! 行きますね! とその場にぶっ倒れた状態のまま去られてしまって、やっぱり家賃が一万円台のアパートに住んどる人間なんてエコフード毎晩食っとるおれ含めてカスばっかやなと思ったのだった。
 読み返しのすんだところで、TにLINEを送った。十年前の今日なにがあったか? とクイズ形式で問うたところ、「俺がフィリピン行く直前やろ?山田屋でも行ってんちゃう?」「漬け丼で気絶か!?笑」とマジですぐに返信があったので、なんやこいつきもちわる! なんで日記も書いとらんののにそんなすぐわかんねん! となった。肋骨の状態をたずねたところ、痛みは強度の筋肉痛程度だという。こちらの謎の気絶癖についに迷走神経反射なる回答があたえられた(かもしれない)件について報告すると、Tも最近めまいでぶっ倒れて吐いたことがあるという。事故の後遺症ちゃうやろなというと、ぶっ倒れたのは事故の前だ、事故のあとにMRIを撮って異常なしと出ているから問題ないとのこと。そりゃよかった。

 今日づけの記事をここまで書くと時刻は0時前だった。途中、二年生のR.Kさんから微信。教科書に掲載されているものだろうか、『ごんぎつね』本文にある「雨があがると、ごんは、ほっとして穴からはい出ました」という一文の「はい」がわからないというので、「這い出る(はいでる)」でひとつの動詞であると解説。
 寝込んでいるあいだはろくに本を読むこともできない。当然小説について考える余裕もない。それでうなされるほどしんどいわけでもないが、だからといってあたまがまわるというわけでもない、そんな煉獄的に気だるく退屈なひとときはおのずと物思いにふけってやり過ごすしかなくなるわけだが、そういうひとときのあいだ、うちの日本語学科が仮に閉鎖になったらどうしようかなということを何度か考えた。ちょくちょく書いていることだが、来年から新入生の受付を停止しますという通知があったとしてもこちらはまったく驚かない、それくらい状況は悪い(しかもこの状況の悪さはどうやら中国全土に共通の模様、中国の大学の日本語学科はこれから閉鎖ラッシュが続くに違いない)。ただ、あれは今学期ではなく先学期のことだったか、Lからきいた裏事情によれば、大学入学者数の年々増加し続けているこの社会で新入生を受け入れるためのパイがそもそも足りないという問題がある、だからといって経済状況が悪化しており雇用状況のよくない現状高考に失敗した若者をそのまま社会に出すことに政府も抵抗がある、しかるがゆえに暫定的な対策として不人気学科の定員数を増加してとりあえずそこに高考のスコアがあまりよろしくなかった学生を押し込むという政策が、少なくともうちの大学ではとられており、それゆえに就職率が芸術学院の学生に続くワースト二位である外国語学院日本語学科の新入生数が去年それまでと比較して倍増したという流れがあり、そこだけきりとってみればもうしばらくは閉鎖するということもなさそうであるのだけれど(Lもそう言っていた)、でもそれも本当に暫定的な処置にすぎないんではないかという印象をこちらはやっぱり受けるし、そういう処置の結果として日本語学科にやってきた学生たちは当然モチベーションも低いのでこちらも授業をするのがちょくちょく嫌になる。ま、それは「銭儲けは銭儲け」(Jさん)と割り切ってやればいいだけなのかもしれんが、ただ今回つらつらと考えている最中に思ったのは、以前であれば(…)の日本語学科が閉鎖となった場合、日本に本帰国するよりもほかの大学に移る可能性のほうが高かったのが、いまは逆転してしまっているかもしれないということで、それはもちろん国際情勢のきな臭さが第一の理由としてあるわけだが、それと同じくらいに、三年生のC.Sさんじゃないけれども、「あたまを使わない仕事」にもどりたいなァというアレもちょっとある。いや、セルビデオ店の店員もラブホのフロントやメイクも、それぞれ固有のあたまの使い方がもとめられることにちがいはないのだが、そういう厳密さは置いておいて、多数の人間を相手どってあれこれするのもいいかげんわずらしくなってきたのだ。それにくわえて、もうあと一年半で四十路になるわけであるし、残りの人生はなるべくいろいろなバイトをとっかえひっかえ経験しながら生きたほうがおもしろいんではないかというあたまもあり、これはもちろん先日の日記にも記したとおり、小説の「モデル」採集も兼ねた展望であるのだが、それでいえば、これは昨日であったか一昨日であったか、ふと、空港や港で働くのもおもしろそうだなと思い、なんとなくググってみたところ、停泊中のフェリーの掃除およびベッドメイキングみたいなバイトの募集が出ていて、うわ! めっちゃおもろそうやん! 物語の予感ぷんぷんするやんけ! となった。それでますます本帰国願望があおられたのだった。
 ベッドに移動後、川勝徳重がTwitterで紹介していた『豪雨を待つ』(えさしか)を読んだ(https://to-ti.in/product/go-u)。おもしろかった。おもしろかったけれど、SF的なオチ(回収)はなかったほうが、つまり、ひろがりをひろがりのまま丸投げして終えたほうが、少なくともこちらにとってはずっと魅力的な作品になっていただろうなと思った。
 『センスの哲学』(千葉雅也)も最後まで読んだ。予測誤差の話が出てきた。『予測する心』(ヤコブ・ホーヴィ)はずいぶん前に買ったし、中国にも持ってきているのだが、いまだに積読のままだ。あとはやっぱり全体的にラカン派の考え方が骨子をなしているよなと思う。「足りなさ」ベースで考えるのではなく「余り」ベースで考えるようにせよと発想の転換をうながすところなんて、前・中期ラカンから後期ラカンの理論的変遷を応用しているわけで、実際のところ、後期ラカンの理論をこんなふうにガンガン「使用」しているひとって千葉雅也くらいしかいないんではないかと思う。前・中期ラカン理論の「使用」は文学界隈でほとんどクリシェみたいになっている一方で、後期ラカン理論はその理論の研究や解説は専門家の手ですすめられているのだろうけれども、前・中期ラカン理論が(ときに大きな誤りを犯しながらも)そうされているようにはまったく「使用」されていないという印象をこちらは有しており、それはその理論が端的に使いにくい(他領域に越境させてアナロジカルに発展させるのが容易ではない)ということでもあるように思うのだが、『勉強の哲学』も『センスの哲学』も、入門書の体裁でありながらその後期ラカン理論をまぎれもなく「使用」している。
 全然眠気がおとずれなかったので、そのまま『Katherine Mansfield and Virginia Woolf (Katherine Mansfield Studies)』(Christine Froula, Gerri Kimber, Todd Martin)もちょっとだけ読んだ。以下のくだりでさっそくじんわりと感動してしまう。

‘You are the only woman with whom I long to talk work. There will never be another’, Mansfield declared in her last letter to Woolf. After her death, Woolf echoed, ‘Probably we had something in common which I shall never find in anyone else’; ‘K. & I had our relationship; & never again shall I have one like it.’

20240409

 作者体調不良により、「カナビスMの『失われたパケを求めて』」第14回はお休みさせていただきます。ご了承ください。



 朝方、ぶっ倒れた。6時ごろだったろうか、一度目が覚めたので白湯だかポカリだかを飲んだのち、もう少しだけ眠っておいたほうがいいかなとベッドにもぐりこんだあと、気絶直前に特有の吐き気のきざし、全身の毛穴という毛穴がひらいて脂汗がにじみだす直前のじわりとした感じに見舞われたのだった。経験的にこの前兆が一度おとずれたらあとはどう抵抗しても無駄、むしろ下手に抵抗などせずにさっさと胃液を吐き出すなり下痢を垂れ流すなりしたほうがいいとわかっていたので、とりあえずベッドからおりた。で、フローリングに直接ひざをついて四つん這いになり、せりあがる横隔膜の動きにうながれるがまま、なにも出ないとわかっているのだがそれでも口をおおきくひらいて、ゲボッ! ゲボッ! とやった。直前に白湯を飲んでいたので、めずらしく胃液が多めに出た。いつものパターンであれば、吐き気の衝動こそおとずれるものの実際にはなにも吐きだすことなく終わり、代わりにその後便意に見舞われるのだったが、今日はその便意もなかった。全身に脂汗を掻いて服がベタベタになっていたので、すぐに着替えた。いちいち確認していないが、顔色も真っ青になっていたはずだ。
 それで一気に楽になった。口をすすぎ、もう一度白湯を飲み、ベッドにもどってから、それにしてもこいつの原因はいったいなんなんだろうと思った。はじめてこの症状に見舞われたのはTと香川旅行に出かけたとき、道の駅で食事をとった直後のことと記憶しているが、あれは徹夜でドライブしており睡眠時間も短く、それにくわえて道の駅内の食堂がオープンするまでのひとときを雲梯などして過ごした、その結果として見舞われたものだったんではないかと思う。その一件をきっかけに、こちらは年に一度か二度、こうした吐き気+脂汗(+下痢+視界不良)に見舞われることがあり、最近だったらゼロコロナ政策まっただなか、上海のホテルでの二週間にわたる隔離を終えたのち空港でひと晩過ごすはめになった、その翌朝早朝の搭乗口で見舞われたのだったし、それ以前となるといつだろう? ずいぶんむかしまでさかのぼってしまうが、コロナ以前、(…)での授業を終えて(…)にもどるバスの車内でやっぱりこの症状に見舞われたのだったが、あのときはたしか期末試験の時期で午後いっぱいをつかって補講をすべてこなした帰りだった、朝からろくに食事をとっておらずそのせいで——と書いたところで思ったのだが、空港で一晩過ごしたときもやっぱり激烈に空腹だったし、香川をおとずれたときもやっぱり空腹だったのではないか? ということは寝不足のみならず空腹もまたこの症状のトリガーになっているということだろうか? 実際、毎回強烈な吐き気に見舞われるのだが、胃液以外のなにかを吐いた覚えは一度もない、つまり、この症状に見舞われるときだいたい胃袋は空っぽなのだ。
 はじめてこの症状に見舞われたときはなにかおそろしい病気に関係するアレだったりするのだろうかと心配になっていろいろググってみたわけだが、メニエール病低血糖も迷走神経反射もどれもぴたりとこないなァという感じだった、しかし今日ひさしぶりにググってみたところ、いやこれ迷走神経反射やわ、確実にこれやわとなった。以下、「ユビー 病気のQ&A」というウェブサイトより。

迷走神経反射とは、様々な要因(ストレスや注射などのきっかけ)によって副交感神経が活発になることで、血圧の低下や脈拍の減少などを生じる病気です。一時的に脳への血流が落ち、失神や気分不快、血の気が引くような感じといった症状の原因となります。

以下のような症状が生じることがあります。

  • 失神(最もよくある失神の原因が迷走神経反射であるとされています)
  • 気分不快
  • 発汗、冷や汗
  • 視野異常(視界がかすむ、視野が狭くなる)
  • 周囲の音が聞こえなくなる(隔絶感)
  • 胃のムカムカ感、腹痛
  • 脱力感、ふらふら感
  • もうろうとする

以下のようなことが迷走神経反射の原因として挙げられます。

  • 長時間にわたる立ちっぱなし・座りっぱなし
  • 不眠、疲労、恐怖、緊張、痛み等の精神的・肉体的ストレス
  • 静脈穿刺(注射)
  • 排便、排尿
  • 人混みや閉鎖空間などの環境要因
  • 飲酒
  • 薬剤(血管拡張剤や利尿剤)

 あと、ほかのページでは原因として「空腹」「脱水」もあげられていたし、今朝のケースでいえば「空腹」「脱水」「長時間にわたるおなじ姿勢」あたりがたぶん原因だったんではないかと思われる。
 二度寝して、次に目が覚めたのが何時であったか、もはや忘れてしまったわけであるけれども、熱はいまだに少し残っていて、こんなにしつこい発熱やっぱりふつうの風邪じゃない。第五食堂に出向くのもしんどかったので、冷食の餃子を茹でて食い、そのあと薬を服用してまた寝床に移動し、といってもここ数日のように寝床に横たわれば自動的に就寝というほどの疲労を今日は感じていなかったし、なによりほぼ終日横たわっている日々が続いているせいで背中や腰が痛くてたまらなかったから、軽く休憩するにとどめよう——そういうつもりだったのだが、なんとなくYouTubeにあがっていた谷崎潤一郎「刺青」の朗読音源をスマホから流して目をつむってみたところ即落ち、はっとして目覚めると時刻は14時半だった。
 体調はだいぶよくなったと思う。明日の授業はなんとかなるかなという気がしないでもないのだが、いやもうここまできたのだったら明日もお休みでいいんじゃないか、なんだったら明後日もお休みでいいのでは? というあたまもある。というかこれを書いているいまは薬ががっつり効いているので、こうしてデスクにむかってパソコンをカタカタすることもできるわけだが、問題はこの薬の効果の切れ目なのだ(などという表現を用いていると、別方面の薬をどうしたって連想してしまう)。
 動けるうちに動いておきましょうというわけで、昼寝から覚めたあとはデスクにむかい、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読み返した。以下、2014年4月9日づけの記事より。

 私はいつも、映像をつくる人たちは音楽を必要としているのに、音楽家は映像を必要としていないという事実を、不思議なことと……おもしろいことと思ってきました。私はよく、アメリカ映画でであれ心理的映画でであれ、あるいは戦争シーンでであれラヴ・シーンでであれ、音楽が聞こえてくると、カメラがパンなり移動なりによってオーケストラをとらえてくれないものかと思ったものです。そしてしばらくして、カメラにまたもとの場面にもどってもらうわけです。つまり、映像を見る必要のない個所では、音楽は映像からバトンを受け取り、なにか別のものを表現することもできるはずだということです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)

 『カルメンという名の女』にまさにこんなシーンがなかったっけ? と思ったが、もうずっとむかしの記憶なのでよくおぼえていない。

 (…)すべてのものが動きを止めてしまうような重大な社会的出来事に際しては、多くの人が、明るい光のもとで自分をよりよく見つめたり、ものごとを観察するための時間を獲得したりすることができるのです。私が六八年五月のパリのことでよくおぼえているのは、通りを歩く人たちの足音が聞こえてきたときのことです。ガソリンが品切れになったために、みんなが歩かなければならなくなり、その足音が聞こえてきたのです。あれはまさに異様な感じでした。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)

 このくだりを読んでふと、世界中でロックダウンが実施されていたコロナ元年、飛行機が飛ばなくなったり外出するひとびとが少なくなったりしたおかげで(つまり、世界が過去数十年もっとも「静か」になったおかげで)、フィールド・レコーディング界隈が局地的に盛りあがっていたのを思いだした。世界各地でレコーディングされたそれらの音源を自由に聴くことのできるウェブサイトもあり、ブラウザに表示された世界地図上をクリック=拡大していった先に表示される都市名ごとにタグ付けされた音源すべてが無料で公開されていたあのサイトはなんという名前だっけ? 忘れてしまったが、実家でオンライン授業をやっていたあの期間中、けっこう楽しんで聴取していた記憶がある。そもそもあれはコロナにあわせて発足されたプロジェクトみたいなもんだったのだろうか?

 あと、ひとつ書き忘れていたが、2014年4月9日はほかでもない、こちらがTとふたりで香川旅行に出かけた日らしかった。夜通し車を走らせて香川県内の道の駅まで移動、そのまま車中泊をしたと記録されているので、はじめての「迷走神経反射」でぶっ倒れたのは翌日10日ということになるのだろう。日記の読み返しをおこなっているとこうしたシンクロがたびたび生じるのがおもしろい。
 第五食堂で夕飯を打包。食堂前の駐輪スペースにコロナワクチン接種の立て看板が出ていた。やっぱりそこそこ流行中だったりするんだろうか? 食後はまた寝床で居眠りしたが、これまでのように何時間も眠り続けるのではなく、数十分でおのずと目が覚めた。つまり、身体が自然と(健康時の)「仮眠」に眠りをとどめてくれた。体温計で測ってみるかぎり、熱はまだいくらかあるようだが、体感としては今日一日でぐっと楽になったように思う。代わりに、薬を飲めない日が続いたからだろう、花粉症の症状のほうが悪化しつつある。
 本調子とはいえないので明日の授業も休もうと思い、一年生2班のグループチャットに休講の通知を送った。シャワーを浴びたのち、風邪薬はもう服用しなくてもだいじょうぶだろうと思われたので、花粉症の薬の服用を再開することにしたが、とはいえ夜中にもしかしたらまた熱がぶりかえす可能性もなくはない。それなので一日一錠服用となっている錠剤を中華包丁で真っ二つにしてその半分だけを服用することにした。これだったら夜中にどうしても解熱剤(風邪薬)を服用したくなったとしても、それほど副作用は生じないはず。錠剤を半分に割るなんてずいぶんひさしぶりだなと思った。(…)や(…)のお供にデパスを使っていたとき以来だ。
 卒業生で現在は大学院にいるS.Kさんから微信がとどく。修士論文の添削をしてもらえないかという依頼だったが、例によって締め切りまでに時間がない、15日までに指導教官に提出しなければならないという。毎回毎回本当に心の底から思うのだが、どうしてそう急な依頼をよこすのか? 時間に余裕をもって行動するとか、実際に依頼をする前に相手の予定に空きがあるかどうか確認するとか、そういうちょっとした一手間をなぜこなすことができないのか? 15日に提出する必要があるというのだったら、13日までにこちらが添削→14日に彼女自身がもういちど内容をチェック→15日に提出という流れにおおよそなるわけで、とすると実質こちらにあたえられた猶予は三、四日間しかない。文法に大きな問題があると指導教官に言われた、このままでは卒業できないかもしれないというのだが、こちらはそもそも病に伏せっている状態であるわけで、そのように正直に伝えたところ、締め切りまでにどうにかしてくれればいいというような返事があって、いやいやちょっといい加減にしてくださいとなる。それで、体調が悪いので明日の授業も明後日の授業もおそらく欠席することになること、週末は伏せているあいだに放りっぱなしだった授業準備を進めなければならないこと、場合によっては補講を行う必要もあるかもしれないことなどをあらためて説明し、そのような状態であるから15日までに仕上げると安請け合いすることはできない、ほかの人間にあたってほしいと率直に伝えた。S.KさんはM先生にきいてみますといった。
 体調はほぼ元通りになったものと思っていたが、デスクにむかってカタカタしているうちに、またちょっと寒気が出てきた。本当にしつこい。この熱のぶりかえっしぷりは異常だ。やっぱりコロナなんだろうか? 大事をとって寝床に移動したが、さすがに眠気は遠かった。いちばんしんどい時期は横になると同時に眠りに落ちていた、何時間、何十時間でも眠れそうないきおいだったわけだから、その点を考慮すると回復していることは疑いないのだが、回復のバロメーターというとこの睡眠時間のほかに性欲というのがわかりやすくあって、簡単にいえば、体調不良時にはむらむらすることなんてまったくないし朝勃ちもいっさいしない、不安障害であたまがおかしくなっていた時期なんて数ヶ月単位で勃起することがなかったし、回復してひさしぶりに朝勃ちしていることに気づいたときはアルコールの抜けた中島らもみたいにびっくり仰天したわけだが、その性欲はいまだに回復していない。煩悩にまみれずにすむのはたいそう過ごしやすいし、もう一生このままでもいいんだがと思いもするわけだが、回復のバロメーターとしてチンコの具合を参照する癖がついてしまっている現状、そろそろ朝勃ちしてくれないかな、回復の確信をいい加減に与えてほしいなァというアレもなくはない。しかしおそらくこの分だと明日からは通常生活を送ることができるんじゃないか? 授業は明後日から復帰するか? しかし明後日は2コマ続けての日であるし、体力がもつかどうかあやしいので、明後日もやっぱりお休みにしちまって、金曜日から復帰するというのがベターか。鼻詰まりがひどくなっていたので、マスクを装着したまま就寝。