20240414

 時間の中での出来事というと、ひとつに因果関係がある。しかし私は因果関係というのがどうも胡散臭くて仕方ない。ニーチェもどこかで「なぜ、原因と結果に分けて考えたがるのか。原因-結果はひとまとまりの出来事である」という意味のことを書いていた。
 人間は大きな連鎖の中から、自分の理屈で把握できるものを都合よく抜き出して、因果関係という方便を作っているだけなのではないか。
 小説のストーリーは因果関係によって作られる。ある犯罪や事故が起きたときも、因果関係が問題にされる。しかし、同じ境遇に育った人間の中で、実際にその犯罪を起こすのはその人ひとりだけだ。現実の行動とそれ以前の過去や状況との間にはその人だけが飛び越えた深い溝があり、そこは絶対に説明されえない。どれだけすべての条件がその人を追い詰めても、その人は最後の最後まで「それをしない」選択権を持っている。
 ……いや、今はそんなストーリー批判をしたいわけではなくて、因果関係を抜き出した途端に〝時間〟が消えるのではないか、ということを私は言いたいのだ。因果関係も時間の一側面であることは間違いないけれど、人間にとって説明しきれない、不可解なものとしてあらわれてくるものであるところの時間とは違うものになってしまっている。
保坂和志『小説の誕生』 p.172-173)



 10時起床。四年生のT.Sさんから微信がとどいている。今年の10月から日本に留学することに決まったという。(…)大学。C.N先生が博士号を取得した大学だ。どうやら彼と相談して進学することに決めた模様。もともと志望していた天津外国語大学の院試にはやはり失敗したらしい。選考は経済学になるという。そもそもの日本語能力自体に難アリなのに、いきなりなんの知識もない経済学に選考変更してだいじょうぶだろうかと心配になる。しかし研究生から院生にそのままスライドできる確率はおおよそ80パーセント。最短で来年四月から修士一年で、学費は全額免除になるとのこと。現状選択できるコースは四つで、「経済史」「行政法」「観光論」「医療マネジメント」がある。どれかおすすめはあるだろうかというので、やっぱりこの認識このレベルなんだよなとげんなりした。大学院生になるということはじぶんで研究目標を決めて主体的に研究を進めていく必要がある、当然じぶんの興味のない分野を選択すれば非常に苦労するはめになる、そういうものを他人に決めさせるのはおかしいでしょうと諭す。というかこの四択であれば、正直いって、「観光論」以外考えられないではないか? 「経済史」も「行政法」も「医療マネジメント」もどう考えても日本語学科と無関係である。いや、無関係といえば「観光論」もそうであるけれども、ただ「観光論」はまだほかの三つにくらべると外国語学院に所属していた彼女の興味関心に近いだろうし、卒業後もそこで得た知識+日本語能力を駆使するかたちで中国国内での(日本語に関連した)仕事を得ることのできる可能性が高い——ということはほとんど考えなくても理解できるだろうに、いったいどこに迷う余地があるというのか? なぜもうすこしじぶんであたまを使おうとしないのか?
 第五食堂の一階で炒面を打包。寝不足気味だったので食後ふたたびベッドに移動して小一時間ほど二度寝。13時にあらためて起床。卒業生のY.Eくんから微信西安にある新エネルギー関連の大企業に去年就職した彼であるが、先月リストラされたらしい。モーメンツに転職や引っ越しをにおわす投稿をちょくちょくしていたし、仕事が合わずに辞めたのかなとなんとなく思っていたのだが、まさかリストラとは! 大企業は厳しいなぁ、簡単にリストラされるんだなと応じると、「無情な資本家だよー」とのこと。で、もともとその会社では日本語を使う機会もほとんどなかったし、Y.Eくんとしてはその点にも不満があったので、今回転職するにあたってやはり日本語を使う仕事という条件を第一にして仕事を探したらしい。結果、「(…)大学の日本語教師に受かりました」とのこと。「(…)」でググってみたところ、これはどうやら江西省らしい。江西省だったら西安より故郷に近いし家族もよろこんでいるんじゃないのというと、「はい、そうです。家族のみんなは凄く喜んでくれました。」とのこと。これから博士号取得にむけてまた動く必要があるというので、あ、そっか、大学教員になるためには修士では不十分だもんな、博士が必要だもんなとなったが、ではなぜ現状教員として採用されたのかは不明。そのへんはいわゆる关系でごにょごにょっとごまかすことができたのか、あるいは正規教員ではない別の立場として採用されたのか、ま、なんらかのカラクリがあるのだろう。(…)大学に外教はいるのかとたずねると、面接のときに日本人らしい人物からの質問があったとのこと。
 13時半から16時半まで「実弾(仮)」第五稿作文。シーン33、終わる。なんかまだちょっと弱い気がするが、とりあえずこれでよしとする。
 ケッタにのって后街の中通快递へ。倉庫の棚に荷物が見つからなかったので、スタッフのおばちゃんにこれはないのかとスマホに表示された商品の番号を見せる。あんた長いあいだ取りに来てなかっただろ? 長いあいだ放りっぱなしだったのはここにあるんだ、とおばちゃんはいいながら棚の端っこに手をのばした。然り。病気でぶっ倒れているあいだに到着したものを一週間近く放置していたのだ。回収した荷物は夏用のTシャツ。
 (…)食パンを三袋買う。第五食堂で夕飯を打包する。帰宅して食す。食後腹いっぱいだったので寝床に横たわったのだが、咳がとまらず難儀した。熱はすっかりひいたし、咽喉の痛みもないのだが、痰だけがからむ。特に横になったときはひどく、夜など咳止めシロップなしではたぶん眠れないんではないかというくらいからんでゴホゴホするはめになる。このときも咳止めシロップをのんだ。
 咳がおさまったところで万达のスタバへ。レジに到着すると男性スタッフから美式咖啡吗? と先手を打たれた。田舎で外人やっとると店の人間から一瞬で顔をおぼえられる。アイスコーヒーをオーダーし、いつものようにカウンター近くのソファ席に着席。今日はいつもよりちょっと客が多かった。『新しい小説のために』(アラン・ロブ=グリエ平岡篤頼・訳)の続きを読みすすめる。
 店には一時間ほどしか滞在しなかった。途中で小便をしたくなったのだが、店のトイレは例によって使用不可なのかなんなのか入り口に黄色いプラスチックのコーンみたいなものが置かれており、いったん店の外に出て別のトイレまで行けばいいのだが、なんとなくめんどうくさくなり、だったらもういっそのことこのまま帰宅すればいいんではないかという気分になったのだ。ちょっとだけ眠気をもよおしていたという事情もある。それですたこらさっさと退却。代わりに帰宅後、リビングのソファに腰かけて書見の続き。
 途中、三年生のK.Kさんから着信。どうせまたC.Rくんとのデート(散歩)にこちらを巻きこもうという魂胆だろう。ふたりでしっぽりやってくれというわけで電話には出ずそのまま本を読み進めていたのだが、ほどなくして外の階段を踏みしめてのぼってくる足音がたちはじめた。ま、まさか……! となってあわててスマホからじかで垂れ流していた音楽を停止すると、案の定、扉をノックする音が続いた。息を殺した。こんなふうに居留守をするのはNHKの集金を回避し続けたありし日以来ではないか?
 足音が階下に去っていったところで書見の続き。しばらく経ったところで今度はC.Rくんから着信。めんどうくさいので出る。先生いま暇ですかというので、いまは寮で作文の添削をしていますと純度100%の嘘をつく。わたしたちは先生と散歩したいというので、ごめんね、いまはちょっと忙しいのでと断ると、先生! とK.Kさんの声がした。わたしたちは8時から散歩しています、それでね、Cくんは最初先生といっしょに散歩したいと言いましたが、わたしは先生は忙しいと思います、こう言いました、でもね、でもね、Cくんは嘘! 先生がいそがしいと信じません、だから先生! 今度二年生の授業があるとき、Cくんはバカ! クラスメイトのみんなにこう言ってください!
 きりのよいところで書見を中断。チェンマイのシャワーを浴び、ストレッチをし、きのうづけの記事にとりかかる。投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の日記を読みかえす。

 以下、2014年4月14日づけの記事より。

 ゆっくりと晩酌をして夕食を食べ終ると、いつも妻は、
「何にしますか?」
 と訊く。デザートの甘いもののご註文をきいてくれる。それから手もとにあるものを何と何と並べる。こちらが何がいいと答える。「そうだと思った」と妻はいい、用意してくれる。これがわが家のきまりである。
庄野潤三メジロの来る庭』)

 「「そうだと思った」と妻はい」うところまでが「わが家のきまり」であるというのがなんともしみじみとする。なんだったらちょっと泣けるくらい。
 10年前の今日は『ここは退屈迎えに来て』(山内マリコ)をはじめて読んだ日らしい。絶賛している。その後何度も読みかえすことになる。「実弾(仮)」にも間接的に影響をあたえている。

 この町に暮らす人々はみな善良で、自分の生まれ育った町を心底愛していた。なぜこんなに住みやすい快適な土地を離れて、東京や大阪などのごみごみした都会に若者が流出するのか解せないでいるし、かつて出て行きたいと思ったことがあったとしても、この平和な町でのんびり暮らしているうちに、いつしかその理由をきれいさっぱり忘れてしまうのだった。
 この町では若い感性はあっとういう間に年老いてしまう。野心に溢れた若者も、二十歳を過ぎれば溶接工に落ち着き、運命の恋を夢見ていた若い女は、二十四歳になるころには溶接工と結婚し家庭におさまった。

 二十四時間営業のファミレスは、あたしたちと似たような境遇の暇な若者でいっぱいだ。ナイロンジャージにスウェットパンツの、引くほど行儀が悪いヤンキーカップル。ときめきを探している女の子、携帯をいじってばかりの男の子、テンションの低い倦怠期カップル。そんなくすぶった人々。若さがフツフツと発酵している男が聞こえる。
 フロアの通路を歩くときは毎回、品定めするような尖った視線を浴びる。知ってる奴じゃないかチェックしてるのだ。みんな誰かに会いたくて、何かが起こるのを期待してるんだと思う。あたしだってそう。

 この引用部を一読しただけでもわかると思うのだけれど、この作家はたとえば島田雅彦が一時期こだわっていた抽象概念としての「郊外」なんて目じゃない、語のひらたい意味におけるリアリズム文学の手つきで「郊外」を完璧にえぐりつくしている。読み進めていると、ファスト風土文学とでもいえばいいのか、完全にあたらしいジャンルを開拓している印象すらしばしば受ける。この印象はたとえばはじめて岡田利規の『三月の5日間』を読んだときのものに似ているともいえるかもしれない。それを語るための完全に正しい語りが探り当てられたことによってはじめて表象可能となったものがここに十全に表象されているという驚き。言葉をもたぬひとびとに言葉が与えられたような、光のささぬ一画に光がさしこまれたような、あるいは言葉をもち光もさしこむ一画に住まうひとびとのそれらがすべてしょせんは作り事(文学史的な暗黙の了解)にすぎなかったことを暴露してみせるような、そのような達成によって無自覚に見過ごしていたものが「(再)発見」されるにいたるその衝撃、そしてそこにともなうみずみずしくも強烈なリアリティとアクチュアリティ。「風俗」を描く小説というのはこのようなものでなければいけない。あるいはこのような認識の更新をもたらすものだけが風俗小説と呼ばれるべきだろう。たとえば「ファスト風土」という言葉の発明と浸透によってあれら郊外の風景をひとつの典型として理解することがたやすくなったように、山内マリコの小説を読むことによってひとは「大都市」でもなければ(森や山や川といった豊かな自然に恵まれた旧き良き)「ド田舎」でもない、日本中あちこちにあふれかえっている「ふつうの田舎」を認識し語ることが可能になる。岡田利規のほうがあくまでも東京に生きる若者に焦点をあてていたのにたいして、山内マリコは田舎の「あっという間に年老いてしまう」「若い感性」をとりあげる。それはむろん東京のネガである。文学の、というかフィクションの歴史としてどちらが黙殺の憂き目にあってきたかはいうまでもない。この作家はこれまで語られることのなかった(あるいは語り損じられてきた)場とひとびとを語るためのまなざしと語りを発明した。偉業と呼ぶにあたいする。

 夜食のトースト二枚を食しながら今日づけの記事も途中まで書いた。歯磨きをしていると卒業生のR.Kくんから微信。明後日火曜日の午後に(…)にいくので会えないか、と。了承。大学内の瑞幸咖啡でコーヒーを飲みながら駄弁ることに。
 寝床に移動後、『新しい小説のために』(アラン・ロブ=グリエ平岡篤頼・訳)の続き。最後まで読み終えた。