20230515

 治療に効果的な転移である意識的な陽性転移に目を移そう。フロイトはそれを「友好的な、あるいは優しい親愛的感情」のものと述べている。
 この転移は一般には治療状況を好転させる転移、つまり転移性治癒をもたらす陽性転移と見なされている。しかし、フロイトが述べた言葉の表面的な意味だけから、分析家がこの陽性転移を「友好的で優しい感情」だけに還元して、この感情を引き出すことばかりに専念するなら、対象a[a]と自我理想[I]との隔たりは維持されず、分析状況は愛によって想像的な同一化で終わってしまうだろう。また、このような意識的な陽性転移を強めていこうとする立場には、陽性転移を強めるために分析家の分析主体を治したいという欲望や情熱が大切であるという議論がある。しかしながら、そうした情熱だけで分析に臨むなら、この陽性転移は強化され、分析を停滞へと導く愛に変化していくだろう。要するに、分析家が「友好的で優しい感情」を持続発展させようとしたり、分析主体を治癒させたいという熱意をあまりにも持って治療に向かうことは、ともに抵抗的な転移が前面化する結果となるのである。フロイトに倣えば、それは意識的な陽性転移ではなく、無意識的な陽性転移である。このように考えると、転移性治癒とは「友好的で優しい感情」を適度に維持することで実現されるものであると言えるかもしれない。
 しかし、治癒を好転させる転移においては、こうした感情が重要なのだろうか。転移性治癒が分析的な治癒のすべてなのであろうか。
 ここで、ラカンにおいては効果的な転移とは幻想であることを思い出してもらいたい。それが効果的と言いうるのは、この幻想という転移が欲動との出会いを可能にして分析の出口を提供する転移であるからである。フロイトは意識的な陽性転移に関して、感情に力点をおき、いわば「分析家に対する感情的な信頼」が重要であると言っている感もあるが、おそらくこの陽性転移で大切なのは「分析家の知への信仰(croyance au savoir de l’analyste)」と呼びうるものである。ラカンを引こう。
 「陽性転移、それは私が知を想定された主体(sujet supposé savoir)の名のもとに定義を試みたものです。誰が知を想定されているのでしょうが。それは分析家です。それは一つの割当て、想定されたという語がすでに示しているように一つの割当てなのです」(…)。
 ここで「割当て」という言葉に十分注意を払うなら、「分析家の知への信仰」とは厳密には分析家に割り当てられた知の位置への信仰であることがわかる。
 「想定されているのが知であるということは明らかです。それを間違えた人は今まで誰もいません。誰に対して想定されているのでしょうか。もちろん分析家に対してではなく、分析家の位置に対してです」(…)
 以上の議論から、意識的な陽性転移はラカンにおいては「分析家の位置における知への信仰」に基づく幻想、簡略化して言えば「分析家の知への信仰」に基づく幻想であることがわかるだろう。
 そして、この幻想という観点から、ラカン派の臨床を、とりわけ幻想の臨床を考えてみると、それは、意識的な陽性転移を基礎として、沈黙とスカンシオンという「空白をもつ解釈」で具現される「私は知らない」という知の拒絶の態度を維持しつつ、分析家が無意識的な陽性転移と陰性転移という二つの抵抗的な転移(享楽的残余への固着の反復)を分析主体に展開させることである。もう少し言葉を足そう。まず分析家は知を想定された主体というその位置のために、〝あなたの問題の解答を知っている〟や〝あなたの本当のことを知っている〟というような「私は知っている」存在として分析主体に見なされる。そして、そのために分析主体は愛や攻撃性を使って分析状況を揺さぶることによって分析家に解釈を求める。こうした状況に対して分析家が通常の解釈で応えてしまうと、解釈への同一化によって、分析主体が自らが好む人物や嫌いな人物に分析家をより重ねることで、愛や攻撃性が強まったり、逆に解釈への反発によって、愛と攻撃性が互いに転化したりして、抵抗が強まる状況に陥る可能性がある。そこで分析家は「私は知っている」と見なされつつも、意味内容を持たない解釈で応えることによって、「私は知らない」という態度を表明して抵抗的な転移に対応することで、分析主体に自ら思うところ幻想を展開させるのである。無意識的な陽性転移という愛や陰性転移という攻撃性の過程を含んで、幻想という意識的な陽性転移を展開することを通して、分析主体はシニフィアンを数え上げていくのである(抵抗→真理的効果)。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第六章 共時的なものとして存在する二つの臨床形態」 p.142-145)



 13時起床。夏休み気分になるにはまだはやすぎる。后街の快递でケッタの鍵を回収。ついでに(…)で食パン三つ買う。第三食堂で遅めの朝昼兼用の食事として牛肉のハンバーガーをひとつだけ打包。二年生の(…)さんから写真が届く。ケッタに乗ったこちらの後ろ姿が映りこんでいるキャンパス内の写真。食堂に向かう途中、ピンクのTシャツを着ている女子を追い越したのだが、そのとき後ろから「先生!」と聞こえなくもない声を耳にした記憶がたしかにあった。
 帰宅。ハンバーガーを食し、冬服をまとめて洗濯し、きのうづけの記事の続きを書く。16時前になったところで、四年生の(…)さんに連絡をとる。いまから図書館前に行けばいいか、と。わたしたちもいま向かっているところですという返信がすぐに届いたので出発。寮を出てすぐの交差点で男子学生らとばったり出くわす。(…)くんと(…)くんと(…)くんと(…)くん。(…)くんはクソ暑いにもかかわらずスーツ姿(日本人のコスプレだ)。(…)くんは持病の皮膚病を隠すためにマスクを装着している(詳しく聞いたことはないのだが、あざのようなものが消えたり現れたりするようだ)。(…)くんは最近車の免許をとるために忙しくしており、就職活動を中断していたとのこと。6月になったら広州の日系企業を受けてみるつもりだという。(…)くんは上海に、(…)くんは浙江省にいく。(…)くんはどうするか未定。男の子はみんな顔と名前が一致するけど、女の子はむずかしいんだよね、写真撮影となるとふだん化粧をしない子もバッチリしてくるからさ、去年もそれでとまどったんだよというと、みんな笑った。後ろにも女子がいますよと王くんがいうので、ふりかえると、(…)さんと(…)さんと(…)さんがいた。全員顔と名前が一致したのでひと安心。
 図書館前には学生とカメラマンが集まっている。アカデミックドレスを着た他学部の学生が図書館前の大階段上で列になっている。日本語学科はその学生たちに続く格好らしい。(…)さんと(…)さんをはじめとする女子学生が複数いるので声をかける。みんな日本の女子高生みたいな服——いわゆるjkファッション——を着用している。レンタルしたのかとたずねると、そうだという返事。うちを出る前に、学生らの顔写真と名前をチェックし、いつだれに話しかけられても対応できるように準備しておいたのだが、実際にはそんな必要はまったくなかった。というのも、このクラスで日本語をまともにあやつることができる学生なんてほとんどいないからだ。(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんなど見知った顔を続々見かける。(…)さんとは何度か目が会って、おたがい微笑みあったりしたのだが、おめでとうございますのひと言くらい言っておけばよかったかもしれない、というかそういうお別れのあいさつをする機会が例年どおりのちのちあるだろうと考え、集合写真の撮影前はあまり学生たち個々とは言葉を交わさなかったのだ。(…)くんもいた。ディベート大会で同じチームだったという他学部の学生から花束をもらっていた。
 学生たちがアカデミックドレスを着はじめる。例によってクッソチープなてらってらの生地のやつ。学生らにまじってふざけてこちらも着用すると、そばにいた(…)先生ともうひとり、たぶん他学部の女性教諭とおぼしき人物が笑った。なんだったらそのまま集合写真にもまじってやろうかなと思ったが、さすがにそれはアレかというわけで途中で脱いだ。
 ほどなくして撮影の時間になった。驚いたことに参加する教師はこちらと(…)先生だけだった。例年必ずいる(…)先生もいなければ、(…)学院長もいない。時間帯が時間帯だからかもしれない。これまで卒業写真の撮影といえば、だいたい午前中だった。学生たちが階段上に四列くらいに分かれて立ち並ぶ。最前列の中央に空いたスペースにこちらと(…)先生が入る。こちらの右となりは(…)さんだった。先生こんにちはというので、こんにちはと返す。花束を持っていたので、それは彼氏にもらったの? とたずねると、ちょっと言葉に迷ったあげく、後輩からですという返事。
 撮影が終わる。教師ふたりは離脱し、学生たちだけでさまざまなポーズをとる。(…)先生はここではやくも去った。えー! となった。例年ならば集合写真の撮影後、学生らと順次スマホでプライベートな写真を撮る流れであるのに、そこに参加しないんだ、と。学生のみの集合写真、最後の一枚は、博士帽というのか、アカデミックドレスとセットになったあの帽子を、毕业快乐! のかけ声とともにぶん投げる瞬間をおさめるものなのだが、(…)さんがわざわざその帽子を脱いですぐに自前のブルーのキャップをかぶりなおしたのを見て、うん? と思った。彼女は夏も冬もつねに帽子をかぶっている。だからといってこちらと同様、ハゲているわけではなくそこそこ長く髪をのばしているのだが、しかし完全に帽子を脱いだところをこちらはまだ一度も見たことない。もしかしたらちょっと薄毛に悩んでいるのかなと思った(少なくともこちらの知るかぎり、中国の女子の多くは薄毛に悩んでいるし、髪の分け目など「薄毛」というよりもはっきり「ハゲ」といわざるをえないほど薄くなっている子もよく見る)。
 それで集合写真の撮影は終わり。その後は例年どおり個別撮影になるのだろうと思っていたのだが、驚いたことに、(…)さん、(…)さん、(…)さんあたりが——全員おなじ部屋のルームメイトだ——すたこらさっさと去った。えー! となった。さらには男子学生も(…)くんを残していつのまにか全員いなくなっており、おいおいおい今年はなんやこれ! となったのだが、アレか、すでに午前中ほかの場所で死ぬほど写真を撮っており、それでみんな疲れているということだろうか? や、それにしても普通、先生いっしょに写真を撮りましょう! みたいな流れになるのに、それがマジで全然なくて、いやいや、じゃあわざわざおれここに来なくてもよかったんじゃないの? とちょっと思った。とはいえ、この学年はコロナの影響をもっとも受けた学年であるし、こちらとの対面の付き合いも半年+αに過ぎず、対面を果たした時点ですでに三年生前期の終盤、つまり、大半の学生がすでに日本語学習に対する意欲を失っていたわけで、だから授業外で交流した学生も実際数えるほどしかいないのだった(そういう話を先日(…)さんとサシでメシを食ったときにもした)。(…)先生が来なかったのも、もしかしたらこういう流れになることを予想してのことだったのかもしれない。(…)くんによれば、学生も全員がそろっていたわけではないらしい。こちらの観察がたしかなら、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんはいなかったと思う。
 そういえば、撮影の場には二年生の(…)くん、(…)さん、(…)くんの三人も来ていた。彼らのクラスの班导である(…)さんと記念撮影を撮りに来ているようだったが、見事に四人全員が劣等生で、やっぱり勉強しない子たちはこうして先輩後輩の垣根なしに固まるもんなんだなと思った。ひるがえって、仮に(…)さんが彼女の希望どおり来学期班导をすることになれば、彼女になつくのはやはり優秀で勉強熱心な学生らになるのだろうか?
 それでひとつ思い出したが、学生らのみで集合写真を撮っているとき、(…)先生に新入生が二クラスになるという話の詳細を聞いたのだった。こちらとしては新入生の数が40人オーバーになるので、さすがにそれを一クラスで処理するのはむずかしいだろうというアレから、20人×2クラスに分けるくらいの話かなと、つまり、例年より10人ちょっと新入生の数が増えるだけかなと思っていたのだが、がっつり30人×2クラスらしいので、これにはさすがに、は? マジで? となった。いや、これ写作の授業とかかなりきつくないか? 毎週60人分の文章を添削するの? マジで?
 集合写真を撮影するだけしてなかば解散状態になったわけだが、(…)くんとその後ふたりでしばらく立ち話した。明日は卒論の口頭試問がある、たぶんだいじょうぶだろうとのこと(という話を聞いて思ったのだが、学生らがはやばやと去ったのは、例年とは異なり、いまだに口頭試問が終わっていなかったからなのかもしれない)。明後日いっしょに夕飯を食いにいかないかというので了承。それからこれは来月の話だったかもしれないが、(…)くんがここを去る前に彼女が(…)に遊びにくるという計画もあるらしい。それでその彼女がこちらにたいそう興味をもっているので——というのも(…)くんがいつも電話でこちらの話をしていたかららしいのだが——、そのときもいっしょに食事しませんかというので、これももちろん了承した。彼女はたしか日本に留学経験があるので、スピーキングは苦手だがリスニングは可能という話だったはず。(…)くんは大学卒業後、故郷の上海にもどって、いったん996——午前九時から午後九時まで週六日という労働条件のこと——の職場で働くつもりらしい。仕事漬けになるのは嫌だが、給料は8000元あるし、社宅もあるので家賃を支払う必要もない。ひとまずそこで彼女が大学院を卒業するまでの一年間働き、その後は同棲を開始するつもりであるとのこと。
 ディベートチームで一緒だったという他学部の女子にたのんで写真を撮ってもらう。ディベートチームは四人組みだったはずだが、(…)くんといっしょにこのあと食事に行くことになっているのは二人だけ。あとの一人は問題児だというので、なにか揉めたのかとたずねると、その問題児というのは男子学生らしいのだが、最近とある女子学生を好きになった、それで積極的にアプローチしているというのだが、そのアプローチの仕方がたいそう気持ち悪いのだという。具体的にいえば、きみはかわいすぎる! 誘拐してしまいたい! みたいなメッセージを毎日のように送りつけているみたいなアレで、どうやらきっしょいストーカーみたいになっているらしい。
 別れる。第五食堂まで歩く。夕飯を打包して帰宅すると、(…)から微信が届いている。さっき自室のbalconyから(…)が歩いているのを見かけた、とてもrelaxedしているようすだったのでわざわざ声はかけなかった、夏休みは日本に帰るつもりか、帰るつもりであったとしてもなかったとしても今学期中に一度また一緒に食事をしないか、(…)も(…)も(…)に会いたがっているというもので、まあたしかに帰国前に一度メシでも食っておくのも悪くないなと思ったので、四年生の卒業写真を撮った帰り道だった、食事会にはもちろん参加したい、こちらも帰国前に一度いっしょに食事ができればと考えていたのだ(大嘘)、(…)のxiang cai foodを楽しみにしていると応じる。(…)は卒業写真の撮影の段取りについて知りたいといった。英語学科の学生から水曜日に図書館前にくるようにといわれているのだが、あるクラスは14時、別のクラスは15時、さらに別のクラスは16時というふうになっている、1クラスの撮影に一時間もかかるものだろうか、実は先週(…)にenvironmental videoしに行っていたのだが、その際にひどい日焼けをしてしまった、そのせいでstanding still just makes my back acheなのだというので、そういえば昨日だったか一昨日だったか、外教のグループチャット上で(…)が(…)に日焼けに効く薬はないかと質問していたなと思い出しつつ、撮影そのものはすぐに終わる、図書館前は卒業写真の撮影スポットとして人気があるので一時間ごとの予約になっているだけだと思う、ただ学生が着替えをしたりカメラマンが機材のチェックをしたりという待ち時間は多少あるかもしれない、とはいえいちおう周囲には日陰もあるしそこに隠れていれば問題ないと思う、日差しが強いようであればいちおう日傘は持っていったほうがいいと思うけどと返信。
 メシ食う。仮眠はとらない。まだはやいかなと思ったが、去年もやっぱり記念撮影の日に卒業生への手紙を送っているようだったので、じゃあ今年もそうしようというわけで、学習委員の(…)さんにPDFにした手紙を送る。内容は以下のとおり。

(…)

 シャワーを浴びる。二年生の(…)さんからスピーチ原稿の添削依頼が届く。のちほど相棒の(…)さんからも同様の依頼が届いた。ストレッチをし、コーヒーを淹れ、きのうづけの記事の続きを書く。投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年5月15日づけの記事を読み返す。やはり卒業間近の(…)さんや(…)くんたちといっしょに火鍋を食った日。

(…)くんから日本人はアメリカのことをどう思っているのかとたずねられたのでそれはひとそれぞれというほかないと返事。文化的な印象と政治的な印象とはまた別の話になってくるしというと、ロシアの戦争に関してはどうなのだろうかという突っ込んだ質問があり、というのはそれ以前に外教がどんどん仕事をやめて帰国しているという話をしたときにその理由としてコロナとウクライナ侵攻を挙げたわけだが、(…)くんは田舎の純朴な青年なのでたぶんウクライナ侵攻にしてもロシアに非がないものとひとまず見ていたのだろう。そもそもウクライナ侵攻についての意見を問う質問であったのに、ロシアとアメリカのどちらを支持しているのかみたいな問いかけだった時点でアレで、つまり、中国共産党によるガチガチのプロパガンダ、すなわち、今回の侵攻はアメリカが引き起こしたものでありロシア側はむしろ被害者であるというアレを素朴にインストールしているのだと思う。対応するのが難しい。日本とアメリカの関係を中国人に説明するときにおぼえる困難というか面倒くささというのは、文学をまったく嗜まないひとを前にして村上春樹を評価することの面倒くささと通じるところがある。つまり、村上春樹の小説をそもそもまったく受け付けず「なにこれ? 意味わからん! どういう意味?」的な態度で批判するひとと、村上春樹の作風を受け入れその試みもある程度理解した上で批判するひととは、同じ批判者であってもまったく水準が異なるわけだが、素朴な中国人に日本とアメリカの関係を語るときにもこの水準の隔たりが邪魔をするのだ。こちらとしてはアメリカも当然批判対象としてみているわけだが、それは政府主導のプロパガンダにたきつけられるようにしてアメリカを批判する中国人民のそれとはやはり別物だろう。というか中国の場合、(話題が政治になると、ことさら)「正義」と「悪」というわかりやすい構図でしか物事をとらえようとしないひとがやはりかなり多いし、悪しき相対主義を批判する以前にそもそも素朴な相対主義を理解していないひとも多いし、なにより「人権」や「自由」や「プライバシー」というものに関する考え方が西側とは完全に異なる。であるから西側の論理をもって西側の問題点を突くというような論法がなかなか通用しないし、通用させるためにはそもそもの大前提である西側の論理を(中国共産党的な独裁主義・全体主義を暗に批判するかたちで)理解させなければならない。村上春樹のベタな批判者に対して、村上春樹のどこが革新的であることをまず理解させた上で、それに対するメタな批判をレクチャーするのと同じ七面倒臭さ。

 それから2013年5月15日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。モーメンツをのぞくと、元日本語学科の二年生女子がコロナ陽性を投稿していて、うわマジで第二波来たなと思ったし、コメント欄には「あなたも?」みたいな泣き顔の絵文字付きのコメントまであって、これはさすがにちょっとやばいかも、今回ばかりはもう逃げきれんかも。というか、先週どうでもいい腹痛で授業を休まなくても、このままいけば来週か再来週おれはふつうにコロナ感染して授業を休むことになるんではないでしょうか? そもそもいま体調が悪くなっても検査をしない人間が大多数だと思うし、学生らは8人部屋ないしは4人部屋の寮生活であるし、こんなもん爆発的流行も時間の問題では? いよいよ年貢の納め時か。年貢とか庄屋とかそういう単語を目に耳にするたびに『カムイ伝』の伝説の台詞「蔵屋はドル箱だからな」を思い出す。

 今日づけの記事をここまで書くと時刻は0時だった。トースト二枚を食し、ジャンプ+の更新をチェックし、(…)さんと(…)さんのスピーチコンテスト用の原稿を添削して送る。ひとつ書き忘れていたが、夕方、航空券のことについて(…)にひとつ確認したのだった。以前寮でばったり出会したとき、チケットを買う前にまず彼女に連絡するようにという話があった気がしたのだが、例年はそんなことなかったはずなので、そのあたりはどうなっているのだろうと確認するための微信を送った。やはりチケット購入前に確認のスクショを送る必要がある模様。管理社会。
 歯磨きする。1時過ぎから2時半まで『本気で学ぶ中国語』。ずいぶんひさしぶりにやった。毎日30分ずつでもいいからやっぱりやったほうがいいいなと思った。
 歯磨きをすませて寝床に移動。モーメンツをのぞいても、四年生のだれひとりとして卒業写真を投稿していない、やっぱり明日の口頭試問が終わるまではまだまだ毕业快乐という気分ではないのかもしれない。

20230514

 無意識的な陽性転移は、ラカンでは愛という転移に対応する。というのも、これまでに見てきたように、愛は分析を停滞に導くものであるからである。そして、陰性転移とは、愛が逆方向に転換した攻撃性に特徴づけられていることから、それも愛という転移の一側面であると考えられる。これらの抵抗的な転移は、ともに解釈を通して愛を要求していると言えよう。無意識的な陽性転移は「いつでも全面的に解釈を受け入れます。早く解釈して下さい」といういわば誘惑の形をとった解釈の要求であり、陰性転移は「この状態を解釈しないと分析は終わることになりますよ」という脅しの形をとった解釈の要求と考えられる。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第六章 共時的なものとして存在する二つの臨床形態」 p.142)



 正午前後起床。第五食堂で炒面を打包して朝昼兼用のメシとする。コーヒー飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、2022年5月14日づけの記事を読み返す。卒業生への手紙を書きはじめている日。こうして一年が経ったわけだ。また、この日は2012年5月分の記事をまとめて読み返している。12日づけの記事には当時のバイト先の常連客とのやりとり。この話もやっぱりいつ読んでもおもしろい。

ひさびさにこのとき(…)のお客さんがやって来た。むろん例のごとく長時間にわたる立ち話がはじまるわけで、今日は二時間ほどまた色々と濃密でディープであやしい話を聞かせてもらったのだけれどその皮切りはたしか(…)さんの交通事故の話題で、前歯もなくしてしまってえらく気落ちしているようだったから幸福と不幸は表裏一体、ピンチとチャンスも表裏一体、前歯がないんだったらたとえば前歯のない顔を活かして営業職に就けばいい、インパクト大だから絶対に取引先に覚えてもらうことができるぞ、このあいだ会ったときそんなふうに励ましてやったのだ、みたいな無茶ななぐさめエピソードからはじまって、だが死んでもおかしくない事故で死ななかったということはこれはやはりまだ死んではないけないという上からのメッセージだったのだろう、と二歩目には早くもスピリチュアルな領域に突入し、それでどういう経緯だったかは忘れてしまったけれど、これはいかなるメディアも報じていない情報なのだがアメリカが内戦の準備をはじめている、アメリカ政府は大量の戦車と猛獣ハント用の銃弾を4億発購入しそれらを各州の警察に配備した、軍隊にではなく警察にだ、アメリカはこれらの兵器を用いてみずから内戦を起こす手筈をすでに整えている、なぜなら戦争は儲かるから、というようなアレがはじまり、ウォール街デモの真相はイルミナティアノニマスの対立であると断言するのに、あのそれって何情報ですか、とたずねると、ウィキリークスだ、とあって、と、ここまで書いたところで関連ワードで検索をかけてみたところ、見事に情報源らしいウェブサイトがヒットした(…)。この手のウェブサイトにありがちな一目瞭然の胡散臭さっていったい何に由来しているんだろう? フォントサイズ? フォントカラー? 段組み? ぜひともバルトに構造分析していただきたいと思うのだけれど、それはそれとして、お話はイルミナティだのフリーメーソンだのに加えて日月神示の予言とかヒトラーの予言とかどんどんどんどん危ない方向に傾きだし、終末世界を描く古今東西の伝承や宗教や神話に共通するのは世界が崩壊する最後の最後のところで半神半人あるいは半霊半人の存在が地上にあらわれて救いをもたらすという展開である、という総括にとどまらず、どういう筋立てだったか、とにかく『マトリックス』は「気づいているやつ」が制作したに違いない、主人公の名称「ネオ」は日月神示の予言に登場する「根尾」と同音、さらにヒロインの名称「トリニティ」の「トリ」は「トリオ」や「トライアングル」という言葉からもわかるとおり数字の3という意味がある、数字の3といえばやはり日月神示の予言の中で重視される数であるし、それをいえば『マトリックス』はまぎれもない三部作である、と最後のは悪ノリしていまじぶんが勝手に追加したものだけれどとにかくそんな感じで、なんか改めてスピリチュアルやら陰謀論やらヒッピーやらロハスやらって相性良いよなぁと思った。ただこのお客さんの面白いところは、前回も書いたかもしれないけれども、ヒッピーかつスピリチュアルな側面が多分にあるにもかかわらず、日本は徴兵制を取り入れるべきだと考えているらしいというところで、それは幸福の科学が政治的にあそこまでthe保守estだと知ったときの驚きとよく似ていたりするのだけれど大川隆法についてはひとまずこの動画ですべて片付けておくとして(…)、なんというか、ラヴ&ピースなカルチャーを愛好しつつも日本は軍隊を持つべき、あるいは核武装すべき、みたいな、そういう組み合わせというのはよくよく考えてたら不自然ではないというか不自然かもしれないけれどありえてしまうんだという事実がじぶんにはとても新鮮に感じられるというのがすごくあって、あれは辛酸なめ子だったか、たしか護憲派の皇族ファンみたいなそのキャラをはじめて知ったときにも目を見開かれる思いがしたのだけれど、じぶんをまず右だの左だの大枠で規定した上でなにか事が起こったときに同類の人間がどう動くのか観察しそれに追従するみたいなありかたを大多数のひとはたぶんとっていて、とっているのだと思うけれど、そうではなくて、あくまでも個別の事例ごとにその都度判断を下す、じぶんの所属する集団や階層の空気を読んだりじぶんという持続する文脈を意識したりすることなく、個別の判断を律儀に下していく、下し続けていく、そういうふうに生きることができればいい、政治的な事柄にたいするじぶんの倫理はもうこれしかないんではないか、と、前々から感じていたこのありようを、まさに体現している、といえばいくらなんでも褒めすぎというか、差別感情と切り離せない陰謀論も戦争まっしぐらな徴兵制もじぶんはクソ喰らえだと思ってやまないわけだしそういうものをたやすく称揚してみせる浅はかな身振りには端的に嫌悪感を覚えるのだけれど、でもま、向かう先は大いに間違っているとはいえこのひとはこのひとなりにその都度の判断をある程度は実践できているんでないか、と、ヒッピーでスピリチュアルな改憲派・徴兵制論者みたいな組み合わせを前にして思う、そういう意味でじぶんの目には魅力的にうつる瞬間もあったりする。ただこのひとが徴兵制を設けたほうがいいかもしれないと主張する理由というのがまた、命を失うすんでのところまでいくぎりぎりの体験を男子たるとも一度は通過すべきである、そうすることで生の力を実感することができる、そのような経験には軍隊生活が打ってつけである、みたいな論法に基づくもので、要するに、グランドキャニオンに子供を置き去りにするネイティヴアメリカンやライオンをひとりで狩りにいかせるマサイの通過儀礼みたいな、そういう面からの徴兵制支持という、政治的意図うんぬんとはまた遠く離れたものだったりするのがアレといえば滅法アレである。
世界を思うがままに操作している特権的な黒幕がいる、という陰謀論を好む主体にありがちな発想というのは、一神教に通じるものがある。と、そんなふうにまとめることで陰謀論の話はいったんやめることにして、じぶんとしてはここから先の話のほうがむしろとても印象に残ったのだけれど、ただこれどこまで固有名詞を明らかにしてしまっていいのかよくわからないので、とある大学、ということにしておくけれど、震災があって二ヶ月ほど経ったときだったか、とある大学が福島から疎開してくる母子を無料で受け入れますみたいなかたちで留学生用の寮を解放したことがあったようで、いや、そもそも事の発端は福島の母子を西へ逃がす活動をしている福島の男性が街頭演説みたいなかたちで援助をもとめた結果、そのとある大学の女生徒が手をあげてそこから話が大学側にも伝わってトントン拍子に、という経緯だったか、なんせまあはっきりとは覚えていないのだけれどとにかくそういうプランがあって、で、そのお客さんも震災以降、原発の勉強会やら内部被曝にかんする講演会だとかに積極的に参加していたらしくてどうにかしなきゃといてもたってもいられないと思っていたその矢先に、とある大学のプランを知って、ボランティアというかチームメンバー募集みたいなのに手をあげたらしい。ただ、そこでいっしょに活動した学生が腐りきっていた、汚れきっていた、日本の政治家以上だ、最悪だった、とえらく語気を荒くするので、いったい何があったんですか、とことの次第をたずねてみると、なんでも最初に手をあげてくれた女子大生、彼女はプロジェクリーダーにあたるわけなのだけれど、その彼女は福島の男性から最初現金で30万円だかをあずかり、それでこっちに避難してきている福島の母子の面倒をひとまず見てほしいと、そういうふうに頼まれたらしいのだけれど、その30万円をあろうことか学生ボランティアたちはじぶんたちの飲み食いの費用にばかばかと費やしてしまったらしく、解放された留学生寮には連日二十人だか三十人だかのボランティア学生、とはいうものの実際はパーティ気分でだべりたいだけの学生どもがたむろし、大半が何をするわけでもなしに飯くって菓子くって酒のむだけみたいな、そんな体たらくだったらしい。で、このままだと30万円が底をついてしまうとプロジェクトリーダーの女の子から電話がかかってきたときにはじめて、今まで黙っていたけれど手伝いひとつせずにただだべる目的できている連中の食事代まで出しているのはなぜか、その費用は彼らにじぶんで出させるべきではないか、とそのひとは軽く叱ったらしいのだけれど、すると、だってうちの学生は目の前の食べ物はみんな食べちゃう習性があるんです、みたいなワケのわからん返事があったとかなんとか。で、そのひとはだいたい仕事上がりにいつもくだんの寮に立ち寄ることにしていたらしいのだけれど、寮の中に入るとだいたいいつも学生たちはこたつに入って寝そべりながらポテチ食って雑談しているだけみたいな、で、子供たちに食事は作ってあげたのかとたずねるといつも決まって誰も作っていない、仕方がないのでじぶんひとりで料理をはじめることになる、むろん誰も手伝いに来ようとはしない、頼みこんだところで十数人いる中からようやくひとりやってくるみたいな、そんな状況がずっと続いたとかいうことで、まあおそらく学生連中から煙たがれていたんだろうな、年上のいかついおっさんが張り切ってるのが疎ましかったんだろうな、それも陰謀論とかスピリチュアルとかそういうあれこれを頻繁に口にされたらそりゃまあ引いてしまうのも無理はないわな、と、学生諸君に同情するところがないわけでもないし、この話にしたところで学生の側からの言い分を聞いていないのであまりどうのこうの断言するわけにはいかないのだけれど、それにしたところでたとえば、新しく清潔な留学生寮を避難してきたひとびとにあてがい学生は古いほうの寮に泊まり込む、という当初の予定を悪びれもせずに逆さまにしたり、避難してきたひとびとを駅までむかえにいって大学まで送りとどける目的でそのお客さんが知人を頼ってわざわざ借りてきた車を、福島から◯◯人の母子がこの日に到着しますよとあらかじめ知らされていた日に私用に用いてしかも事故を起こす、さらにその事故についての報告はいっさいなし、詰め寄ると修理代を根切りはじめる、事故当時の車にはあずかっていた子供が同席、運転手は運転免許こそいちおう持っているものの運転経験はほとんどなし、みたいな、もうどこからどうつっこんでいいものやらさっぱりな状況なんかを聞いているとそれはいくらなんでもちょっとひどすぎるだろと思わざるをえないわけで、とにかくこのままではいけない、こいつらに任せておいたらいずれ大きな事故がおきるに違いない、ということで、友人知人の中からボランティアやらNGOやらそのあたりの経験豊富なひとたちにSOSを出して、それでちょいちょい様子を見てもらったりもしたらしい。その友人知人の中のひとりがいちど学生たちのあまりの体たらくにキレて声を荒げた場面があったらしいのだけれど、そのときもプロジェクトリーダーの女性は、ああわたしそういうの無理ですー、とまるで反省するふうでもなしにひょうひょうと場を立ち去ろうとしたりしたというし、被曝した母子用にとわざわざなんとか玄米みたいなのを無料で差し入れたりしてくれた有機栽培の農業をしている友人さんもいたみたいなのだけれど、その差し入れも結局、大半は学生がかっ喰らってしまったらしく、挙げ句の果てには、「なんとか玄米おいしい、そろそろなくなるから新しいのお願いしまーす」みたいな電話までかかってくる始末だったみたいなことも言っていて、こちらのことを思いきり見くびった態度をとったり小生意気な発言ばかり口にするそうした委細諸々、大小問わず山のように降り積もる毎日だったらしい。とにかくキレたら負けだ、ぶん殴ったら終わりだ、そうしたらもう二度とここに出入りできなくなる、そうなってしまえばだれが子供らの世話をするのだ、と、そういう一心で諸々こらえにこらえたというのだけれど、それでもやはり我慢にも限度があるというもので、あのな、おれこういう仕事してるやろ、やから◯◯人とか●●人なんかもよお知ってるわけよ、つながりあんのよ、そんでな、50万でひと殺すやつとかおるわけ、中にはな、頼んだら50万で殺るようなんがおるわけよ、三人一組でローテーション組んで請け負うてんのやけど、おれな、正直このときばかりはな、封筒に詰めたわ50万円、京都銀行の封筒に、それでその封筒を机の引き出しに入れたまんまにしてな、こらえにこらえた、とかなんとかまあサラッとこわい話が混じっていたりもしたのだけれど、最終的には、おれがこの経験で得たものがあるとしたら忍耐力やな、辛抱の力、子供らのためやと思うたらこらえることができた、みたいなことも言っていた。あのな、いちばん最初にな、福島からこっちに避難してきた小学校低学年の女の子、その子おれに最初におうたとき何て言うたと思う? 放射能もってきてごめんなさい、そんなん言うたんやで、ちっちゃい女の子が、おれもうほんまに胸にぐっとささってな、なんとかしたらなあかんて思うた、ほんまに、まあただおれがなんとかしようと踏ん張ったところで、日月神示の予言によると6月に世界が破滅するらしいからどうしようもないんやけどな……。
で、そのプロジェクトは結局テレビやら新聞やらの取材がわんさか受けるくらい注目を浴びることになって、例のプロジェクトリーダーの女の子なんかもまるで英雄みたいに持ち上げられることになったらしいのだけれど、色々と奔走したそのお客さんや彼の友人知人は完全無視みたいな、女の子も取材の中でいっさい触れないみたいな、だいたいそういう扱いだったらしい。これさっきも書いたことであるけれど、一方の側から聞いた話だけを参照にしてもう一方をこいつら屑だわと断罪するのはちょっと浅はかだし、それに小説でいえばこのお客さんというのはある意味「信用できない語り手」みたいなところもないこともないので余計にそうなのだけれど、ただじぶんが唯一、いっさいの抑制や配慮なんかを取っ払って全面的にその怒りと罵詈雑言にもろ手をあげて参入する気になったエピソードがあって、それは子供たちに焼き物を教えるワークショップ中のこと、そのときに講師役をした女生徒が夜、火をつけたかまどの前に座りこんで酒をのみながら「あたしに出来るのはコレだけだ」みたいなことを言っているのを見たときにはさすがに「じゃがいもの皮剥くくらいは出来るやろが!」と怒鳴りつけたくなったという話なのだけれど、これにはマジで胸糞悪い思いがしたというか、自己陶酔型の似非アーティストないしはさっぶい芸術家気取りほどぶち殺したくなるやつはいない、そういう連中の浅はかさというのは心底吐き気を催す、こういう勘違いしたパチモンどもが寄り添い合って形成した集団ほどサブイボの立つものはない、とこれは心底思う。まあ、そんな話はどうでもいい。総括するに、思い込みの激しくやかましい年長の正義感とボランティアを大義名分にした仲良し学生らの合宿気分が最悪のかたちで衝突したとか、実状はだいたいそんなところなのかもしんないなと無責任に思っている。
あと、ほかにも震災のある二ヶ月ほど前から首から上が毎日カッカッカッカしてやまず、これは近いうちに何かあるぞと周囲に言い触らしていたところ、じっさいそのとおりになった、というような話もあったけれど、いい加減長くなってきたのでもういいや。

 以下は、『彼自身によるロラン・バルト』より。

 見たところ虚辞的なひとつの表現(「周知のとおり」、「ご存じのように……」)が、ある種の言述展開の冒頭に置かれる。彼は、自分がこれから出発点にしようとする命題を、世間の通念、共有の常識に属するものとして設定しておく。すなわち彼が自分の課題とするのは、平凡さに対して反作用をおこすことである。そして多くの場合、彼が鼻をあかしてやらなければならぬ相手は、世間の通念の平凡さではなく彼自身のそれなのだ。まず彼が最初に思いつく言述は平凡であり、その発端の平凡さと争うことによってのみ、ようやく彼は少しずつ書き進める。(…)
 けっきょく、彼の書くものは、《訂正された》平凡さから生まれるのかもしれない。

 この本の中を、アフォリズム風の口調がうろつきまわっている(《私たちは》、《人は》、《つねに》)。ところでマクシム[箴言、格言]は、人間の本性についての本質主義的な観念と抜き差しならぬかかわり合いにあり、古典的イデオロギーに結びついている。それはことばづかいの諸形式のうちで、もっとも横柄な(しばしばもっとも愚かしい)ものだ。それなら、なぜそれを捨てないのか。その理由はあいもかわらず、情緒的である。私がマクシムを書く(あるいはマクシム的な動きを示す)のは、《自分を安心させるため》なのだ。ある不安が生じたとき、私を越えている固定性に自分自身をゆだねることによって、私はそれを軽減する。つまり、「《本当は、それはいつだってそんなものなのさ》」。そうしてマクシムが生まれた。マクシムとは一種の《文=名詞[名前としての文]》である。そして命名するとは、鎮め和らげることである。やれやれこれがまたもひとつのマクシムだ。このマクシムが、マクシムを書くことによって場ちがいな立ち場に見えはしまいかという私の恐怖を軽減してくれる。

 18日づけの記事。カフカに関する記述。

カフカ『ミレナへの手紙』が面白い。一日に三通の手紙+電報みたいな、どうしようもないキチガイストーカーっぷりを発揮していたりして、あーやっぱりこのひとだいぶアレだわと思う。カフカをユーモアのひととして、あるいは分裂症的な性質の持ち主としてとらえるというのは、たぶん、それまでの病のひと、実存のひとみたいなカフカ解釈にたいして反旗をひるがえすべく企てられた戦略としての面が強くて、実際その戦略によってきりひらかれた地平は甚大なんだろうけれど、しかしこういうのを読んでいるとやはり、少なくともカフカ当人にかんしていうならば、大いに神経症的な、パラノイアックなところがあったことは否定できないと思う。たとえば『城』の中盤から後半にかけての破綻にしたって、あれは分裂症的な感性が一方的に生み出したものというよりは、言葉に導かれて、ほとんど筆がすべるようにして、たいした考慮もなく衝動的に書き進められてしまった展開に対して、どうにかそれまでの辻褄をあわせようと、あらかじめぼんやりと想定してあった意味の体系に何とかおとしこもうと、そう試みる必死の、とりあえず手を動かしているうちに何とかならないだろうか方式の、量にものいわせた悪戦苦闘の痕跡のように見えなくもないというか、意味の体系におとしこむにはもうとっくに手遅れで、ボツにするなりさかのぼって書きなおすなりしなければどうにもならない、完全に引き際を見失ってしまったその状態にあってなお、いやいやまだどうにかなるのではないかと執拗に粘ってみせる、まとまりをつけようと偏執狂的にこだわってみせる、そんな闇雲な悪あがきからうまれた奇形のテクストという印象を受ける(そしてそんな『城』の「こだわり」とはほとんど無縁の、行き当たりばったりのエピソードをただまっすぐにつなげるというきわめて単純無垢な、もっとも力の抜けた作品として『アメリカ』があるんじゃないだろうか。『アメリカ』第一部の「火夫」はたしかにまとまっているが、それは正確には、偶々まとまってしまったものであるというべきだ。作品の感触がその成り立ちをはっきりと物語っている)。やけくその行き当たりばったりで書きすすめる一息の衝動と、それでもなおひとつの体系におさめてみせようとする舵取りの、そこで生じる摩擦熱の度合いによって、『城』から『アメリカ』への振れ幅が生まれる、みたいな。

 以下はグスタフ・ヤノーホ『カフカとの対話』より。

 別の機会に――私がドクトル・カフカに青少年犯罪のあるケースを話したとき、話題はふたたび小篇『火夫』のことに及んだ。
 私は、十六歳のカルル・ロスマンの姿には、なにかモデルがあったものかどうかをたずねた。
 フランツ・カフカは言った。「モデルは多いといえば多かったし、ないといえば、まったくありませんでした。しかし、もうすべては古い話ですからね」
「若いロスマンの姿も、火夫の姿も、じつに生きいきとしています」と私は言った。
 カフカの顔付きは曇った。
「それは副産物にすぎません。私が描いたのは人間ではない。私はひとつの出来事を物語ったのです。これは一連の形象です。それだけです」
「でも、やはりモデルがなければなりません。形象は見ることが前提です」
 カフカは微笑んだ。
「人が写真を撮るのは、ものを意味の外に追っ払うためなのです。私の書く物語は、一種肉眼を閉じることです」

「絵をお描きなのですね」
 ドクトル・カフカは微笑って言訳をした。「いや、これはいい加減ながらくたです」
「見せていただけますか。僕は――ご存知のように――絵に興味があるんです」
「しかしこれは、人に見せられるような絵ではありません。まったく個人的な、だから読み取ることのできぬ象形文字にすぎないのです」
 彼は用紙をつかむと、両手でくしゃくしゃに丸めてしまい、机の脇の屑篭に投げ込んだ。
「私の図形には正しい空間の比例がない。それ自身の水平線というものがない。私が輪郭に捉えようとする形象のパースペクティヴは、紙の一歩手前に、鉛筆の削ってないほうの端に――つまり私の内部にあるのです」
 彼は屑篭に手を入れ、つい今しがた投げ込んだ紙玉を取り出し、皺を伸ばすと細かく切れぎれに破って、烈しい勢で屑篭に捨ててしまった。

「予期しない訪問を邪魔だと感じるのは、どう見ても弱さのしるしです。予期されぬものを怖れて逃げることです。いわゆる私生活の枠に閉じこもるのは、世界を統御する力に欠けているからです。奇蹟を逃れて自己限定に走る――これは退却です。生活とは、とりわけものとともにあること、つまりひとつの対話といっていい。これを避けてはいけない。あなたはいつでもお好きなときに来ていいのです」

「それほどあなたは孤独なのですか」と私はたずねた。
 カフカはうなずいた。
カスパル・ハウザーのように?」
 カフカは笑った。「カスパル・ハウザーよりもはるかに惨めです。私は孤独です――フランツ・カフカのように」

 その後、2013年5月14日づけの記事も読み返して「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲し、今日づけの記事もここまで書くと、時刻は16時半だった。

 (…)くんと(…)さんのスピーチコンテスト用原稿をチェックして返却。それから卒業生に送る手紙の続き。17時半前に中断。ほぼほぼ完成した。あとはちょくちょく細部を修正するのみ。夕飯は第五食堂で打包。食したのち、ベッドで15分ほど仮眠をとる。日曜日の夜なのでスタバであるが、ケッタの鍵が壊れたままであるので、万达の駐輪場に停めておいたらパクられるかもしれないという懸念もあり、先週にひきつづき今日もまた在宅することに。とはいえ、ずっと部屋にこもるのもなんか違うなというわけで、瑞幸咖啡に出向いてアイスコーヒーを買うことにした(今日はけっこう蒸し蒸しするのでアイスコーヒーが飲みたい気分だったのだ)。
 それで店まで出向いた。カフェというよりは単なるドリンク店という間取りの店内なので(入り口の窓に面したカウンター席が6つあるきり)、ここで書見するのはやっぱりちょっと違うかなと思いながらも、いちおう『ネオリベラリズム精神分析――なぜ伝統や文化が求められるのか』(樫村愛子)は持ってきていたので、オーダーしたものができあがるまでのあいだスツールに腰かけて読むことに。先客は男女カップルのみ。女のほうが注文したものを飲みながら、ブリッブリに甘えた作り声で“好喝〜♪”だの“好好喝〜♪”だの狂った九官鳥のようにくりかえしているので、先祖に謝れ馬鹿野郎がとイライラした。ココナッツミルク入りのアイスコーヒーが用意されたところで、そのまま店内に居座り書見を続けてみることにしたのだが、以前(…)さんとサシでだべったときも思った、ここのスツールはテーブルの高さと全然合ってない、とにかく低すぎる、客が長居できないよう悪しきアフォーダンスを施すにしてももうちょっと加減があるだろと言いたくなるくらいにひどい、そういうわけで15分ともたずに退散した。
 で、寮にもどる。リビングのソファに座って書見の続き。『ネオリベラリズム精神分析――なぜ伝統や文化が求められるのか』、やっぱりめっちゃおもろい。あと、新書ということもあってか、かなり読みやすいと思う。

 スティグレールは、マクドナルド的主体の問題を、「象徴の貧困」の概念で記述する。
 スティグレールによれば、「象徴の貧困」は、「シンボル(象徴)」の生産に参加できなくなったことに由来する「固体化の衰退」を意味する。スティグレールによれば、「シンボル」とは、知的な生の成果(概念、思想、定理、知識)と感覚的な生の成果(芸術、熟練、風俗)の双方を指す。
「ハイパーインダストリアル時代」とされる情報化が進んだ社会において、計算という営みは生産の分野を超えて拡大している。マクドナルドの労働者のように、サービス労働まで計算され、管理されるようになり、何もかも計算可能性の中に放り込まれる。そして、それに相関して産業の領域は拡大していく。それは、今までなら考えられなかった領域にまで拡大し、例えば、ちゃちな心理学的計算は、人事管理や教育の領域にまで拡大する。
 スティグレールはそのことにより、以下のようなプロセスが起こると指摘する。

 人間の注意は、未来把持(現象学の用語で、未来が現在に先取りされている状態。過去把持と対。樫村注)によって前に向かって張りつめられている。対象への先行する期待が、対象を注意の対象として構成している。(略)が、ハイパーインダストリアル時代のハイパーシンクロニゼーションは、期待を過去把持の装置によって計算された結果に変えてしまう。その装置は、原則として唯一、特異なものであるはずの過去把持の蓄えを規格統一し、画一化してしまう。本来ならば、その蓄えが唯一の特異なものであるというまさにそのことによって、注意深い意識は自分について何かを学ぶ。意識が他に向ける注意とは、自身のもつ他性、他のものに変化する可能性、自分の個体化が未完成で開かれた状態でいることを映し出す鏡である。

 例えば、自分が読んできた読書歴の記憶は、その人にとって唯一無二の経験であり、その人のアイデンティティを形作るものである。が、ウェブ書店のアマゾンは、この個人の記憶を規格化された情報として扱い、同じ本を読んできた人たちの情報と形式的同一性をもつものとして、彼らが他にも読んだ本を推薦する。
 そのリストは、確かにある種の蓋然性をもつ情報を提供するかもしれない。が、むしろそのリストにない次の本の選択が、創造性や固有性を生むだろう。
 スティグレールのいうように、予測不能性をはらんだ未来への期待こそが、個人の実存性を支える。すなわち、不確実な未来に対して、計算可能性を超えて想像し、行為することが、個人の生の固有性を形作る。が、情報の氾濫は、主体のこのような労働を節約しようとするあまり、主体にとって創造性を意味する行為そのものも奪ってしまう。
 アマゾンが単純なリストの提示でしかないのに比べ、SNSミクシィなど)に入って、日記検索やコミュニティ検索をすれば、同じ本を読んできた多数の人々の、より私的で固有の経験に出会えると思われるかもしれない。
 しかし、結果は同じである。もしそこで提供される情報を分析して自己の経験と関係づける作業を放棄し、ただ大多数の意見に同化してしまったら、「固体化」はやはりなくなってしまう。
 どんなに大多数の他者の経験が指し示されたとしても、「自身のもつ他性、他のものに変化する可能性」による選択は、固有のものである。なぜなら、人間の記憶や経験の多様性と複雑性により、一つとして同じ経験を生きた人生がないように、一人の人の生はいかに情報社会になっても固有のものだからである。
 また、たとえ、ある人の選択が結果的に多数の人々の選択と一致したとしても、選択に至るプロセスが、その人の行為にとって重要である。
 これに対し、現在の商品戦略は、この個人的な行為や知的行為そのものを面倒な労働として捉え、この労働を節約し商品化する。「動物化」する主体とは、この労働の節約にのってしまう主体であり、資本にとって都合のいい消費者である。しかし、その便利さにのることは、もっと重要なものを失うこととなる。
(92-95)

 このくだりを読んでいて、まずはものすごく単純に、やっぱりほかのひとがあんまり読んでいないような本を読んだほうがいいよなと思った。いや、そんな簡単な話でもないのだが、でも、だれも読まないような本ばかりずっと読み続けている人間というのは、やっぱりそれだけでちょっと別種の力をもっていると思う。YouTubeなんかもアルゴリズムでガンガンおすすめ動画が表示されるようになっているから、実際、YouTubeのトップ画面に飛ぶたびにものすごく窮屈な印象を受ける、じぶんの体臭でいっぱいになっているような風通しの悪さを毎回感じることになる。一時期それがたいそう嫌で、なにかの都合でキャッシュを全消ししたタイミングだったろうか、わざと全然興味のないような動画や再生回数の少ない動画ばかりをザッピングしまくっていたことがあり、結果、本当にわけのわからん、どこの国のだれがなんの目的で撮ったのかマジで不明なものばかりがトップに表示されるようになって、あれはいまおもえばけっこう面白かった。本でいえば、大学生を卒業するまではなぞのブックオフ縛り——本はブックオフで売っている100円のものしか買ってはいけないというルール——をしていたわけだが(当時は図書館を利用するという発想がなかった)、ブックオフの100円コーナーというある意味では大衆性の極地みたいなスペースだけを根城にしていたあのいとなみは、大衆の最大公約数的なものの摂取を強いるアルゴリズムにのっとっていたといえると同時に、それでもなんらかのバグやエラーのような出会いがいちおうはあった。というか、それをいえばそもそも、じぶんにとって重要な作家であるムージルもオコナーもマンスフィールド梶井基次郎も、全員、出会いはブックオフの100円コーナーだったんではないか。
 そんな話はどうでもいい。とにかくここでスティグレール樫村愛子が語っている個体化の議論——特異的な生成変化の道筋を維持し続けること——というのはよくわかる。こちらがたびたび「外圧」や「受動性」という言葉を使って語ってきたことと根本はおなじだ。ほかでもない自分自身の身体、つまり、この生を実験的に生きること、生を管理しすぎないように、計画しすぎないように、外圧が招き寄せられる余地をつねに設けておくこと、外部から機会がおとずれるのをじっと待つこと、そしてその機会がおとずれたら、それをいわば「啓示」としてでっちあげ、それがフィクションであることを自覚しながらあえて倒錯的にのっかること。(…)と円町のあばら屋で二人暮らしをはじめたのも、そこに(…)さんが加わって三人暮らしになったのも、タイ・カンボジア旅行をすることに決めたのも、英語の勉強をはじめたのも、(…)で働くことになったのも、中国に渡ることになったのも、とどのつまり、19歳以降の人生はほぼすべてといっていいほど外からやってきた流れに乗っただけでしかない。じぶんから主体的に動いたことといえば読み書きだけで、あとはもうおまけだからどうでもいいとうっちゃっておくがままにしておいた、その結果としていまのこのでたらめな来歴があるわけであり、二十代の半ばごろ、読み書きをたしなむひとびとの界隈に属したほうがいいのではないか、バイトをするにしても就職するにしてもそういうのと関係のあるところに行ったほうがいいのではないかと周囲から言われたことがたびたびあったし、じぶんでもそうかなと考えたこともあった、しかし三十代になるころには、これはこれでよかった、こんなふざけた経験ばかりできる人生だとは思わなかった、と「すべて、よし!」(大江健三郎)の肯定感を得るにいたった、そういう認識の変化もあり、だからいまも、この外圧、換言すれば、偶然性やランダムネスということになると思うのだが、そういうものが生じる余地、そういうものがおとずれるスペースを確保しておくことが大切だという、ほとんど直感に近いアレがある。(…)さんが将来を見据えて日本語学を専門とする大学院に進学すると決断したとき、(…)くんもそうしておいたほうがのちのちのためになるんじゃないかと、当の(…)さんからだったかあるいは別の人物だったかもしれないが、そういうことを言われたこともあったが、そのときこちらのあたまによぎったのは、そんなことをしてしまえばそっち方面に可能性がしぼられてしまうという危機感だったし、レベルの高い有名大学からの誘いに食指が動かないのもやっぱりおなじかもしれない、そんな深いところにまでもぐりこんでしまえば外に出れなくなってしまう、ぴかぴか光るキャリアがあったらおそらくこの業界でずっと余生を過ごすこともできるだろうが、それは逆にいえば、ある日いきなりフロント企業でヤクザといっしょに働きはじめる、ある日いきなり中国にわたって大学で働きはじめる、そういうとっぴな出来事が今後の人生で生じる可能性が低くなってしまうことにほかならず、それはやっぱり嫌なのだ。なんせこちらは基本的に腰の重い人間なので、いちど腰をおろしてしまうとそこに延々といすわってしまう(実際、これまでの職場は三つとも閉店および閉館をきっかけに辞めているわけであり、自発的に辞めたわけではない)、そういう自覚があるからこそ、下手に有名大学になどいってしまうとマジでずっとそこで働き続けることになってしまいかねない、それはやっぱりダメでしょ、いつ取り潰しの憂き目にあうかわからんようなレベルのところにいたほうが「移動」を強いる外圧と隣り合わせになっていいでしょうという計算が実際マジであるのだ。何重にもまどろっこしいことを言ってるなと思われるかもしれんが、じぶんの行動原理は実際こういう感じだ。自発的には決してあちこち動きたくない、しかし外圧によってあちこち動くよう強いられることを受け入れる覚悟はあるし、むしろ適度にそうなることを望んでいる。これはつまり責任をとりたくないということなのだろうか? 自発的な行動の結果おとずれる事態をじぶんの選択に起因するものとして引き受けたくない? あるいは真逆かもしれない。なにもしない、ただただそのときが来るのを待つ、その結果おとずれたものをそれがどういうものであろうといわば運命——これは選択の対義語だ——としてあますところなく引き受ける、そういういわば寝たきりの——あるいは寝そべりの——勇気だろうか? 運命愛を知ったバートルビー



 ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理」がこの「移行対象」であったことを、米マルクス主義批評家ジェイムソン、スロヴェニアラカン派哲学者ジジェク社会学者の上野俊哉が「消滅する媒介装置 vanishing mediator」という議論により指摘している。
 ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理」とは、マルクスの「下部構造が上部構造を決定する」というテーゼに対するアンチテーゼとして、社会変動にむしろ上部構造であるイデオロギーが強く関与することを示唆した議論である。ウェーバーは、西洋に唯一起きた近代化は、一見近代化や資本主義とは相反する、宗教である「プロテスタンティズムの倫理」の思想が準備したと議論した。
 近代初期の資本家たちは、これまで卑しい行為とされていた金銭獲得に励んだ。なぜこれまでと一八〇度反対の思想や信条をもてたのだろうか。それはプロテスタンティズムの生み出した「神のための利得行為」という思想(=移行対象)のもとで、現実に利得行為に励むことができたのである。「神のための利得行為」という橋渡しが必要だったのである。
 その隠れ蓑のもとで、利得行為は習得され習慣化され、それが身体化され社会化されれば(マルクスのいう物質的無意識的レベル、唯物論的レベルで)、もはやプロテスタンティズムの倫理は形骸化し必要ではなくなり、捨てられていく。
 このように、移行空間の議論は、単に幼児の発達過程の問題としてだけでなく、「消滅する媒介装置」という議論として広く論じられる。そして人や社会が大きく変容するとき、主体の解体を防ぎ、ラディカルな変容を支えるものとして議論できる。
 中国において、共産主義というイデオロギーが、人々が思想的な崩壊やアノミー(信念や規範が崩壊し混乱すること)、アパシー(無気力)に陥らず資本主義に移行するために必要であったように(マフィアなどがはびこり、より社会が不安定化したロシアの困難と比較すれば了解できる)。
 人の信念や思想や主観的な考えの変更には時間がかかる(マルクスが、上部構造の変容は下部構造に遅れ、時間がかかると指摘したように)。新しい現実(母のいない現実)に対応するために、前のイデオロギーと連続性をもつイデオロギーが必要となるのである。
 イスラム原理主義は、イスラムの近代化におけるプロテスタンティズムの倫理であるという指摘もある。
 あとで見るように、一九六八年のイデオロギーは、古い共同性や禁欲的・神経症的主体を解体して、消費社会と消費主体を構成する移行空間となった。六八年のイデオロギーは、古い共同性を解体するために、「セラピー的な新しい共同性」というイデオロギー(移行対象)を動員した。そしてそれは、今は消失してしまった。資本主義への本格的な移行の中で、当時、理念として掲げられた共同性は、現代社会においては全くその影を失ってしまった。
(120-122)

 マックス・ウェーバーってまったく読んだことないんだが、こんなにおもしろいことを言っているのかと驚いた。あと、ここで語られている消失する移行対象(イデオロギー)の議論を見て、もしかして最近出版された王寺賢太の『消え去る立法者』もこの議論と併走するような内容だったりするのかなと思った。いや、タイトルから受けた印象だけのアレにすぎんけど。『消え去る立法者』は一時帰国した際に買おう。

 例えば、庭にきれいな桜が咲いていて、母親が「きれいな桜だね」「桜」とくり返し、子どもが指さされる目の前の映像に「桜」という音声を記憶において結合させていくとしよう。
 次に子どもは、目の前をひらひら飛んでいく蝶を見て、花びらとの類似性から「桜」というかもしれない。このとき母親は、「あれは桜じゃなくて蝶だよ」と訂正するだろう。こうやって言葉は獲得されていく。
 すなわち、このとき子どもは、桜の映像に対し、桜は「ひらひらしたもの」であり「蝶ではない」という情報をつけ加えていく。しかしこうやって追加情報をつけ加えられるのは、桜は「ひらひらした」「蝶ではない」「X(何か)」と措定できる、「X(何か)」という空項があるからである。
 これに対し、ある種の統合失調者はこの空項が作れない。彼らは、「桜は蝶でない」とするか、「桜はひらひらしている、蝶はひらひらしている、桜は蝶だ」という三段論法をとってしまう。「X」という空項がなければ「桜は蝶のようである」という「留保的な措定」ができない。
 何かが真実であるといきなり決定的な形で措定されるのではなく、試行錯誤の中で間違いが否定され、その中で真実が成立していくのが人間の言葉や情報の獲得過程である。ここでこの否定はいきなり外に現れるのではなくて潜在的なものであることに意味がある。
 ところが、ある種の統合失調症者では否定が顕在化する。これに対し健常者では、先に見た留保的措定があるので、「桜は蝶ではない」という顕在的否定にはならず、「桜は蝶ではない」という潜在的否定に留まり、何か別のものという留保、存在の肯定と保持がなされる。
 人間において言葉が何とでも結合し、驚くほどの可塑性をもつのは、カストリアディスも示唆していたように、このXという留保的措定ができるからである。留保的措定は、他者によって支えられる(今はわからなくてもすべてを知っている母がいつか教えてくれるという期待において)。また、現実的には時間によって支えられる。未来とは他者であり、だからこそ他者が解体すると時間が解体するのである(時間とはフィクションであるから)。
(129-130)

 ここでは、留保的措定能力の失われている人間として一部の統合失調症者があげられているけれど、度を超えた、ほとんど荒唐無稽なことを口にしている、エクストリームな陰謀論者たちもある意味にこれに当てはまるよなと思う。「何かが真実であるといきなり決定的な形で措定されるのではなく、試行錯誤の中で間違いが否定され、その中で真実が成立していく」「人間の言葉や情報の獲得過程」がほとんど失効しているというか、留保的措定能力そのものは残っているにしてもごくごくわずかにすぎず、全然辛抱が足らんことになっとるというか。わからないということに耐えられない。判断の宙吊り、結論の先延ばしに耐えられない。白と黒のコントラストに目を奪われ、グレーゾーンとグラデーションを審美することができない。
 書見を中断してシャワーを浴びる。ストレッチと懸垂をし、プロテインを飲んでトーストを食し、今日づけの記事を途中まで書いたところで、歯磨きをしながらジャンプ+の更新をチェック。その後、寝床に移動。

20230513

 次に、対象aのもう一つの機能である幻想という転移を同じく分析家の欲望との関係で考えていこう。
(…)
 「転移が要求を欲動から遠ざけるものだとすれば、分析家の欲望は要求を再び欲動へと連れ戻すものです。この道を介して、分析家は「a」を切り離し、それを、彼がその具現者になるべく主体から求められているもの、すなわち「I」から可能なかぎり離れたところに置くのです。「a」を分離する支えとなるためには、分析家はこの「I」との同一化という理想化から失墜しなくてはならないのです」(…)。
(…)
 「精神分析家の欲望——これは一つのxとして留まっているのですが——が同一化とはまさに逆の方向に向かう限りでこそ、分析経験の中での主体の分離を介して、同一化という平面の乗り越えが可能になるのです。こうして主体の経験は、無意識の現実によって、欲動がその姿を示しうるような平面に再び連れ戻されます」(…)。
 ここで分析家の欲望に注意を向けよう。上記の二つの引用からはともに、分析家の欲望が主体を欲動へと導くのに重要視されていることがわかる。そして、後者の引用からわかるのは分析家の欲望はxでなければならないということである。分析家の欲望が「x=謎」であるには分析家の欲望が非明示的である必要があるだろう。つまり、それは分析家の意図や意志が分析主体側にはっきりとは伝わらない形を取ることである。このことは第四章での「幻想の臨床」の議論や前章での考察で見たように、分析家がスカンシオンや沈黙という「空白をもつ解釈」をすることで実現される。そのような分析家の行為によって、分析主体は同一化する対象を失い困惑するものの、分析家側の幻想が混ぜ合わされることなく、自ら思うところのシニフィアンを数え上げていくことが可能となる。こうした脱同一化に基づく幻想の反覆(itération)を経て、主体は最後に欲動と関わるのである。
 「対象aとの関係による主体の標識づけの後には、根源的幻想(fantasme fondamental)の経験が欲動になります。それでは、根本的に不透明な欲動とのこの関係を経験した人は何になるのでしょう。根元的な幻想を通り抜けた主体は欲動をどのように生きるのでしょうか。分析の彼岸とはこのことなのです」(…)。
 主体が対象aとの出会いにおいて根源的幻想を構成することで欲動と関わるこの地点は、「分析の彼岸」として語られる分析の一つの出口となる。この意味で幻想という転移は効果的な転移なのであり、幻想とは精神分析の根幹に関わる重要なものである。ラカンは「精神分析の価値、それは幻想に作用することである」(…)と述べている。
 以上より、幻想という転移と分析家の欲望の関係をまとめると、対象aが幻想として機能するには、分析家の欲望が謎のままに留まることが必要であり、そのためには分析家はスカンシオンや沈黙という「空白をもつ解釈」によって分析家の欲望を非明示的なものとしなければならない。それによって、対象a[a]と自我理想[I]との隔たりが維持され、脱同一化を通して、主体は根源的幻想の構成へと向かうことになる。
 繰り返しになるが、最後にもう一度、対象aは愛という囮・ルアー——同一化の臨床における問題点——として機能して分析を停滞に導き、分析家の欲望が非明示的であれば、対象aは欲望を支える幻想——幻想の臨床において中心的な役割を演じる無意識の派生物——として機能して分析の一つの出口を提供するのである。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第六章 共時的なものとして存在する二つの臨床形態」 p.139-141)



 正午過ぎ起床。食堂に出向くのが面倒なので食パン一枚でメシ誤魔化す。洗濯。さすがにボチボチ衣替えしてもいいかもしれない。明日か明後日か、時間のあるときに冬服をまとめて洗って、クローゼットにしまおう。
 Ovalの新譜『ROMANTIQ』をくりかえし流しながら、きのうづけの記事の続きを書く。卒業生であり現在(…)大学で院生をしている(…)さんから翻訳コンクール用の作文を添削してほしいという依頼が昨日届いていたのだが、指導教師にすでにチェックしてもらったものを重ねてこちらに訂正してほしいという話だったので、応募時の指導教師の欄に別人の名前が記載してあるものにこちらがさらに手を加えるのは気がすすまないと断る。指導教師の許可はすでに得ているという返信があったので、そもそもこの手のコンクールには指導教師の名前を記入する欄があるはず、その欄に別人の名前が記載・登録されている仕事にこちらが関与するのはおかしいでしょうというと、今回のコンクールにはそうした欄が存在しないという。ほんまかよと思いつつ、それだったらと引き受けるが、まあめんどうくさくて仕方ない。進学先の教師にお願いしてほしいというのが正直なところだ。(…)くんの修論修正でもうこりごり。学外の学生からの依頼はあまり引き受けたくない。
 きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、2022年5月13日づけの記事を読み返す。2013年5月13日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。車にはねられた件で病院だの警察署だのあれこれ移動しまくっている日であるが、「面倒なことはさっさとすませてしまってはやいところ紋切り型の日常にもどりたい。代わり映えのしない日々にそれでも鮮度を求める性根こそが認識の解像度を鍛えあげる。日記というのは書かなければ忘れてしまいそうな事柄を書いてこそ光るものだ。思想も箴言も批評も分析も必要ない。天気と景色と取るに足らない出来事となんでもない会話、それにささやかな思い出話を添えればそれでいい。」とあって、わかるでその気持ち。
 作業中、四年生の(…)さんから卒業写真の件について連絡。月曜日の午後に図書館前に来てください、わたしたちはみんな先生が来ることを期待していますというので、きのう(…)さんから聞きました、かならず向かいますと応じる。さらに二年生の(…)くんからスピーチコンテストの原稿修正依頼が届く。彼はクラスでもっとも日本語学習にやる気のない、しかしムードメーカーという意味では貴重な存在である学生なのだが、なぜスピーチコンテストに参加しようと思ったのか? 去年もやっぱり参加していた記憶があるのだが、これも持ちまわり制のアレだろうか? それともただ単にお祭り男的なノリか?

 卒業生への手紙をちょっとだけ書く。17時過ぎになったところで中断し、第五食堂でメシを打包。食し、寝床で仮眠をとろうとするも、四年生の(…)さんと卒業生の(…)さんからたてつづけに質問が届き、冴えてしまう。(…)さんからは日本語に関する四択問題の解説依頼(「お目にかかれて」という表現について)。(…)さんからは中沢臨川の「愛は、力は土より」という文章の翻訳をしているのだが、一部わからないところがあるという相談。まったく聞いたことのない作家だが、Wikipediaによると、明治の文芸評論家らしく、小説もただひとつ「嵐の前」というのをものしているらしい。質問は「更に驚くべきはその醜き堆積の中より育て上げられしし今宵の清き華よ」という一節の「育て上げられしし」という箇所について。ここの「しし」はどういう意味なのかというので、「育て上げられし」であれば「育て上げられた」と過去形で理解すればいいだけだが、たしかにこれは文法的にはどういう理解になるのだろうと思い、それで先日日本語版が公開されたBardでさっそく質問してみることにしたところ、「この「育て上げられしし」というフレーズは、ラ行変格活用の未然形「育て上げられ」に、尊敬語の接尾辞「し」と、過去の助動詞「き」の連用形「し」が付いたものです」との説明がある。で、「尊敬語の接尾辞」ってなんやねんと思ってググってみたところ、現代でいう「様」「さん」「殿」などがこれに当たるという情報が出てくる。うん? となって、「古語+し」みたいなかたちでさらにググってみたところ、接尾語の「し」として、孔子孟子などの「子」が紹介されており、なるほど、クソAIがまた知ったかぶりやがったな、hallucinationだと思った。ちなみに質問の方法や角度をいろいろに変えてみたのだが、どれもこれもやはりしっくりこない返事ばかりだったので、「育て上げられしし」はおそらく誤記であるだろうと返事した。ただ、じぶんが仮にこの文章を読んでいてもつまずかなかったと思う、なんとなく違和感なしでスルーしてしまっただろうという感じもあるので、もしかしたら(小説というよりは漫画やゲームに頻出する)擬古文調の文章でこうした誤用が案外たくさんあったりするのかもしれない、こちらもそれに慣れてしまっているのかもしれないとも思った。
 シャワーを浴びる。軽くフリースタイルする。「実弾(仮)」の続きを書きたい気分だったが、さすがに先にやるべきことをやっておいたほうがいいかというわけで、まずは卒業生への手紙を書きはじめた。なんとなくの絵図はあったつもりなのだが、書き出してみるとけっこう右往左往し、できあがったものはなかなかの長文になってしまったのだが、その後、冒頭から整形手術をほどこしてぐっとスリムにした。後半の論旨がまだちょっとあやしいが、ひとまずかたちにはなったので、あとは二日か三日ほどかけてチマチマ修正する。
 0時半過ぎに作業を中断。途中、二年生の(…)さんからスピーチコンテスト用原稿の添削依頼があった。彼女が参加するのであれば、代表は彼女に決まりになるかもしれない。シャイで緊張しやすいという弱点はあるが、文章はそれほどまずくない。高校時代から日本語を勉強しているというアドバンテージもある。
 トースト食す。筋トレはしていないがプロテインも飲む。歯磨きし、部屋の照明を落としてフリースタイルを30分ほど楽しみ、その後、スピーチ用原稿の添削を二人分ちゃちゃっと片付ける。返却は明日する。それだけで時刻が2時半をまわっていることに絶望する。マジでなんで毎日こんなに時間がないんや。授業準備もしていない! 執筆も語学もしていない! それなのに一日がこれほどはやく過ぎ去ってしまう! なにものかに騙されている気がする!

20230512

 ラカン対象aは愛という囮・ルアーか欲望を支える幻想として機能すると述べている(…)。これらは転移の二つの側面に対応しており、その二側面とはよく知られた抵抗的な転移と効果的な転移のことである。ラカンにとって前者は欲動を遠ざける愛という欺瞞が展開する暗示的な転移のことであり、後者は欲動との出会いを可能にする分析的な転移と言えるだろう。そして、この転移の二面性に関してラカンは「転移というこの両刃の斧の軸となり、共有点となるのは分析家の欲望(désir de l’analyste)である」(…)と述べている。つまり、分析においては分析家の欲望のあり方によって転移は吉とも凶ともなるのである。
 まずは凶の方である愛という転移を分析家の欲望との関係で検討していこう。愛という転移についてラカンは次のように述べている。
 「転移が私たちにはっきりと見せてくれるのは、愛の次元の基礎的構造ではないでしょうか。私たちを補完することができるものをあなたは持っているのです、と他者を説得する際に、私たちはまさに自分たちに欠けているものを無視しつづけることができると確信するのです」(…)。
 これを理論的な形のまま分析状況の会話にすると、分析家が「あなたは私を補完することのできるものを持っているのです」と患者を説得して、患者が「わかりました。私はあなたを補完します。だから愛して下さい」と分析家に返答する、という場面を想定することができるだろう。分析家は患者の愛によって欠如を埋めることになり、患者も同様に分析家の愛によって欠如を埋めることになる。それがここで問題になっている転移である。
 それでは、こうした転移に分析家の欲望はどのように関わっているのだろうか。再びラカンを引こう。
 「主体は分析家の欲望に従属するものとして、分析家に自身を愛させて、愛という本質的には虚偽であるものを自ら提供することで、この従属によって分析家を騙そうと欲望するのです。転移の結果、それは現在、今ここで反復されるものである限りでのこの騙しの効果です。
(…)
 そういう訳で、私たちは、いわゆる転移性の愛の裏側にあるものは、分析家の欲望と患者の欲望の間に結びつきがあるという確証である、と言うことができるのです」(…)。
 この愛という転移においては分析家の欲望と患者の欲望は結びついている。それは第三章の「愛と分析家の欲望」で示したラカン第一臨床(同一化の臨床)の問題の構造である。同一化の臨床においては、分析家の欲望、卑近な言い方をすれば分析家の意図や意志が分析主体にそれとはっきりわかる場合、換言すれば、分析家側の解釈が一つのシニフィアンとなり、意味を産出させた場合、欲望を欲望する分析主体は、明示的な形で表現されたその意味を分析家の欲望と捉えて、愛のためにそれに想像的に同一化する傾向がある。この構造の観点のみから言えば、分析家の欲望が陽画化されているかぎり、その内容にかかわらず、分析家の欲望を欲望する分析主体がそれに同一化していくことは避けられない。そして、無意識は閉鎖してしまうのである。
(…)
(…)
 以上より、愛という転移と分析家の欲望の関係をまとめると、対象aが愛という転移として機能するのは、シニフィアン解釈などの「内容のある解釈」によって分析家の欲望が陽画化され明示された場合である。それによって、対象a[a]と自我理想[I]とが重なり、同一化によって欲動的無意識は閉じてしまうのである。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第六章 共時的なものとして存在する二つの臨床形態」 p.135-139)



 昼前起床。朝昼兼用で第三食堂のハンバーガーを打包する。いつもどおり海老のやつと牛肉のやつ。食堂を出たところで、彼女といっしょに突っ立ってスマホをのぞきこんでいる二年生の(…)くんの姿を見つけたので、そのとなりに無言のまま突っ立ってみたのだが、パーソナルスペースが日本人とくらべてせまいからだろうか、日本人であれば違和感をもつほど近くまで寄って立っているこちらのほうを見向きもしない(単純にあたまのおかしいやつが近くに来たという認識だったのかもしれないが)。それで肩と肩がひっつくくらい近づいたところ、ようやくこちらに顔を向けたので、軽くあいさつ。一年生でコロナに再感染した子がいるから気をつけたほうがいいよと伝える。

 帰宅して食す。きのうづけの記事の続きを書く。時間になったところで寮をあとにする。第五食堂の一階でミネラルウォーターを買ってから外国語学院へ。教室に入る。教卓のパソコンでまた日本語のよくわからない音楽が再生されていたので、たぶん(…)くんの仕業であると思うのだが、ちょっとうっとうしかったので始業時間を待たずに再生を停止した。コンディションによるのだが、しょうもないポップスを耳にするのがしんどい、きいているだけでイライラしてくるという状態があり、今日はちょっとそういう感じだったのだ(砂糖の味しかしないミルクティーを何杯も飲まされているような気分)。
 14時半になったところで授業開始。(…)一年生の日語会話(二)。期末試験についてのあれこれをまとめたPDFは作成していたし、グループチャット上で配布できるようにもしてあったのだが、スクリーンに映すためにデータをUSBメモリにインポートしてくるのを忘れてしまった。そういうわけで口頭と板書でざっと説明する。それがすんだところで前半いっぱいを使ってリスニングを中心に練習。
 休憩時間中にめずらしく(…)先生が教室にやってきた。そのまま学生ら全体に向けてあれこれ言いはじめる。説教なのかなと思ったが、ときおりさしはさまれる学生らの相槌がぶーぶー言うものだったり、あるいはちょっとした笑いだったりしたので、どうもそういうわけでもないらしい。やりとりは長く、休憩時間がすぎてなおしばらく続いた。途中でこちらは最前列の空いている席に座った((…)さんがすすめてくれたのだ)。やりとりを見物しながら、ぜんぜんわからんわ、と途中でぼそっと漏らすと、(…)さんと相棒の(…)さんが笑った。
 (…)先生の話が終わったところで、教室から出ようとする彼のそばに近づき、スピーチコンテストの校内予選が一週間後の金曜日にあると聞いたのだがとたずねると、肯定の返事。19日の午後に実施とのこと。指導教員はどうなったのかという質問には、こちらと(…)先生と(…)先生と(…)先生の四人でやることになったというので、あ、今年は(…)先生が参加するのかと驚いた。去年は三人でまわしたところを今年は四人でやるわけだから、多少は負担が減ることになるのかもしれない。いや、そんな変わらんか。
 (…)先生が去ったところで授業の続き。むずかしい問題を出しますと前置きしたあと、さっきの(…)先生とのやりとりを通訳してくださいという。みんな口々にぎゃーぎゃーいう。実際のやりとりから聞き取れた断片と学生らのぎゃーぎゃーを総合するに、韓国語の試験がやりなおしになったらしい。韓国語の授業は先週すでに試験を終わらせた。しかしそれがダメだということで、来週か再来週かわからんが、もう一度試験を受けることになったのだという。やりなおしになった理由としては、ここだけちょっとよくわからなかったのだが、授業を規定回数きちんとすませていなかったみたいなアレが聞かれた。ただ、(…)先生の発言のなかに考试だの考查だのいう言葉が聞き取れたので、今学期の韓国語の授業は16回ある授業とは別にテストを実施する必要がある考试形式であるところを、担当教諭が試験そのものも16回のうちに含む考查形式と勘違いしていたのではないか、それが判明してやりなおしということになったのではないかと勝手に推測もしたのだが、実際のところはどうかわからない。それから、新入生は韓国語ではなく英語を勉強するという話もあった。それについても学生らはぶーぶー言った。英語よりも韓国語のほうを勉強したい学生のほうが多いのではないかと思っていたのだが、どうもそういうわけではないらしい、みんな英語のほうが簡単だという。そもそも元々日本語学科の学生は日本語とは別に二年生の前期までだったか後期までだったか、英語の授業もいちおうあるにはあったはずなのだが、現二年生が新入生として入学した年からだったろうか、希望者は英語の代わりに韓国語をセレクトすることもできるようになり、そして現一年生にいたっては全員が英語ではなく韓国語を勉強するという仕組みになっていたわけだが、そうした制度変更がさっそくキャンセルされることになったわけで、これも教育改革うんぬんのアレなんだろうか?
 残った時間について、テストの練習をしたいか、それともゲームをしたいかとたずねると、当然ゲームという返事がある。先週もずっと「道案内」の練習でゲームをしていないことであるし、やっぱり準備してきてよかったなというわけで、「心理テスト」をおこなう。下ネタテイストの問題も多少あるのだが、それに関しては男子学生だけを指名して答えさせる。まあ、わいた、わいた。これはどのクラスでやってもわく。
 (…)くんからKFCに行きましょうと誘われたが、四年生との約束があるからと断る。約束は何時からですかと、わずかな隙間時間にまで身をねじこんでこようとするので、この子どんだけおれのこと好きやねんと思いつつ、授業が終わったらすぐに合流する約束だからと答える。(…)くんはやっぱりバイなんだろうなと思う。これまで何人かの女性と付き合ってはいるものの、服装や髪型のテイストがほかの男子学生よりもはるかに洗練されているし、自撮りもちょくちょくモーメンツに投稿するし、こちらに対する距離が近いし、これまでこちらが中国で出会ったゲイに共通するポイントをいまのところすべて押さえている。さらにいえば、本人には女装趣味もあるし、男の娘のAVを見るとも言っていたし、もしかしたら学部生時代の(…)くんみたいに性的アイデンティティがぐらぐらしている時期であるということなのかもしれないが、とにかく、ヘテロではないよなと思う。そんな(…)くんは今日も日本の歴史について語りたがっていたわけだが、南開大学を知っていますかという。知らないと答えると、天津でいちばん有名な大学だというので、じゃあ超一流校ということか、全然知らんかったわ、と思いながらふんふんと受けると、大学院生としてそこに進学すれば日本史を研究することができるという。というか、日本史を研究できる大学院というのはそこくらいしかないらしい(そんなこともないと思うが!)。それでそこを目指すというので、一年生にしてはやくも大学院進学について考えているなんてはやいなァとびっくりした。
 教室の外で別れる。ケッタにのって女子寮に移動する。道中、また(…)くんと彼女が手をつないで歩いているのを見かけたので、ワン! ワン! ワン! と犬の鳴き真似をしながら近づく(周囲の学生らが怪訝な目つきでこちらをふりかえる)。おいコラ! 勉強しろ! と威嚇すると、先生授業だったのというので、一年生の授業だったと応じる。来学期の新入生は2クラスらしいよというと、(…)先生から聞いたという。以前は2クラスだったというので、ぼくがここで働く前だね、ずっと以前はそうだったらしいねと受ける。
 女子寮の前には(…)さんがひとりで立っていた。相棒の(…)さんもいっしょにいるのだろうと事前に予測していたので、あ、サシなんだ、とちょっとびっくりした。(…)さんはバッチリメイクだった。まずは大学院合格についてあらためておめでとうと告げる。それでケッタを近くに停めておいて麻辣香锅の店へ。結局クラスで大学院に合格したのはきみだけだったのとたずねると、肯定の返事。あとは全滅だったらしい。(…)さんや(…)さんあたりはもしかしたらなんとかなるんじゃないかと思っていたのだが。この話を学生にするのも今日で三度目だが、新入生は2クラスらしいよと伝えると、(…)さんはびっくりしていた。先生いそがしくなりますねというので、そうなんだよーと応じた。
 店に入る。野菜と肉を適当に選ぶ。時間帯が時間帯なので、客の姿はまだ全然ない。貸し切り状態の二階に移動。そこから一時間ほどだろうか、ゆっくりと食事を進めながら、かなりたくさん話した。正直ふたりきりでここまでスムーズに会話できるとは思ってもなかったので、びっくりした。一年生の男子学生が二度目のコロナに感染したというと、流感ではないですかというので、もしかして中国ではいま二度目の感染についてはあまり報道しないようにする微妙な圧力があったりするのかなとちょっと思った。もう一ヶ月ほど前だったと思うが、(…)からグループチャットに送られてきた文書も、手洗いやうがいを続けよとする文面であるにもかかわらずそのなかには新冠の文字は一切なく、春はインフルエンザの流行するシーズンであるからという、ちょっとよくわからんとってつけたようなエクスキューズがあったのだった、それで「うん?」と思ったのだが、その「うん?」が今日の(…)さんの言葉でさらに濃く太くなぞられた感じ。とはいえ、ごっつい圧力があるというのではない、実際微博では二度目の感染が一時期トレンドになっていたというし、中国各地の大学でふたたびマスクを必須にしているところが出はじめているみたいな情報もVPNを噛ませて壁の内側の情報をTwitterに放流しているいくつかの中国人アカウント経由で確認している(こちらにとってTwitterは現状ほぼその手の情報を確認するためだけのツールになっている)。(…)さんは大学院試験の二日目に発熱したらしい。二日目はいちばん大事な心理学のテストの日だったというので、よくそれで合格できたねと驚いた。(…)さんは夏休み中マジで一日12時間は勉強していたはず。そのことを指摘すると、何度も何度も暗記しなおしたので内容があたまに入っていた、だから体調が悪くてもなんとかなったとのこと。ちなみに(…)さんはその後一ヶ月近く体調不良が続いたらしい。二週間ほどはほぼベッドに寝たきりで、風呂にも入れなかった。症状はかなり重いほうだったようだ。
 進学先はハルピン。南方生まれで雪をろくに見ずに過ごしてきた彼女にとって、やはりハルピンの雪景色はかなり楽しみらしい。二次試験の面接はオンラインではなく現地であり、飛行機で向かったらしいのだが、(…)から片道四時間だったか五時間だったかかかるらしくて、大阪より遠いやんけ! と笑った。機内でたまたまいっしょになった男性がいて、そのひとはかなり日本贔屓だったらしく、彼女が日本語を専攻している大学生だと知ると、将来は家族をひきつれて日本に移住したほうがいいとけっこう熱心にすすめたという。もしかしたらひそかな反体制派だったのかもしれない。面接の先生はかなりこわい顔をしていたという。(…)さんといっしょに面接を受けた学生らもみんなこわかったこわかったと言っていたらしいのだが、彼女は幸いなことに面接の場にめがねを忘れてしまっていて、そのおかげで相手の顔を見ずにすんだというのだが、それでも本番ではめちゃくちゃに緊張し、足がガタガタと震えたとのこと。ちなみに面接にまで進んだ学生は彼女を含めて10人いたらしいが、今年はその10人が全員合格したとのこと。全員女性だというので、心理学科も外国語学科とおなじで女性ばかりなのかと驚いた。そのうち、(…)さんとおなじで元々は日本語を専攻していたにもかかわらず、その専攻を変更して今回入学が決まった学生がひとりいるというのだが、その子は卒業後しばらく日本語教師として働いていた、しかし仕事をやめて今回一念発起し大学院受験をしたという履歴の持ち主。さらにその子とは別に、40歳の女性もひとりいるというので、すばらしい、やっぱりそういう年になってから大学や大学院に進学するというのは良い話だよと応じた。
 (…)さんは博士になるつもりだという。ただしハルピンの進学先は決してレベルの高い学校ではない、それだから修士をとったあとは別の大学院に移ることになると思うという。大学は日本語専攻で心理学の知識がろくに身についていない、だから最初からレベルの高い大学院に入学するのは無理だと思った、そこでひとまず修士はそこそこの大学院で過ごしそのあいだに知識を身につけ、博士をとるにあたって本格的に良い大学院に移ることにしたのだという。感動した。大学院進学についてノリとかなんとなくではなくはじめてまともに論理立てて考えている学生に出会った気がした。だからそう伝えた。うちの学生たちって大学院に進学すると決めた場合でもみんな全然進学先を調べないでしょう? ただ先輩が進学したという理由だけで大学院を選んだりしているでしょう? ぼくはあれが本当に信じられないんだけど! いつもびっくりするんだけど! というと、大学院に進学するのであれば勉強そのものよりもどこかの大学院に進学するか情報を調べることのほうがずっと大事ですと至極まっとうなことを言ってみせるので、ようやくまともに話のできる相手に出会えた! とやはり感動した。ルームメイトが院試に挑戦するからじゃあじぶんもやるかなみたいな学生もすごく多いでしょうというと、(…)さんはうんうんといいながら、みんなただ仕事をしたくないだけです、だから大学院の勉強をします、でもそこに理由はないです、情熱もないです、といった。博士号をとることについては親に伝えてあるのとたずねると、一度言ったことがある、じぶんの親は基本的にじぶんのやりたいことをすべて支持してくれるというので、内陸の農村育ちであるのになかなか話のわかる親だなァと思った。父はすでに定年をむかえて退職金がある、だから生活費もしばらくはなんとかなるというので、お父さんは何歳なのと驚いてたずねると、61歳という返事。あ、けっこう遅い子どもだったんだ、となった。
 心理学の話からカウンセラーの話になる。中国ではカウンセラーのことを詐欺師扱いする声がたくさんあるという。どうしてとたずねると、中国の心理カウンセラー、日本でいう臨床心理士ということになるのか、そういうひとたちは全然専門的でないし役に立たないと(…)さんは言った。それでちょっと思い出したのだが、(…)さんの双極性障害が悪化したとき、大学のカウンセラーに相談するようにいわれてそこに通ったものの、そもそもそのカウンセラーは双極性障害の基礎的な知識をもちあわせているかどうかすらあやういような相手であった、そのことを彼女はうんざりしたようすで語っていたのだった。さらに中国における心理学——と(…)さんはいつも口にするので便宜的にそう表記しているが、実際は臨床心理学といったほうが正確だろう——のレベル自体が低いという話も続いた。学問(医学)として根付いたのがここ何十年だったか、アメリカやヨーロッパ、あるいは日本などにくらべるとはるかに歴史が浅く、本気で研究するのであれば留学は必須というので、なるほどなと思った。(…)先生や(…)先生のような、いちおうは大学で教鞭をとっている、そこそこ高度の教育を受けているはずの人物ですら、いまだにうつ病をはじめとする精神疾患を気の持ちようの問題であると本気で考えている、ああいう無理解を目の当たりにしてきた身としては、たしかにこの社会ではまだまだ全然そういうものが理解されていないよなという感じ。そういうわけで(…)さんの指導教授も、そのひとはかなり優秀な人物らしいのだが、いずれ日本に留学——というか研究員として赴任するということか——するという計画があるらしい。
 長々と話していたためか、途中で店員から声がかかった。それで店を出ることに。ちなみに会計は合格祝いということでこちらがもった。ついでに(…)に寄って食パンを三袋買う。浪人してもう一度大学院試験を受けるクラスメイトはいないのかとたずねると、いないという返事。ただし、(…)さんは研究生として日本に渡るかもしれないというので、えー! あの子そんなにマジなんだ! とちょっと驚いた。まずは日本の語学学校に籍を置き、そこで勉強しながら日本の大学院進学を目指すというコースなのだろうが、彼女はたしか少数民族であったはずであるし、実家はそれほど太くないと思うのだが、だいじょうぶなんだろうか?
 (…)さんはいま女子寮に住んでいないらしい。万达の近くにある部屋を借りてそこでひとり暮らししているという。ということはわざわざ今日女子寮前で待ち合わせする必要はなかったのだ。ちなみに万达の近くでケッタに乗っているこちらの姿を見かけたこともあるらしい。夜だったというので、もしかして日曜日じゃない? ぼくは日曜夜にいつもあそこのスタバに行くからというと、わたしは「先生!」と呼びました、でも先生はすごいはやさで去っていきましたというので、あ、じゃああの日だな、小便をしたいのにわざとスタバの便所を使用せず、寮にたどりつくまで膀胱がもつかどうかチャレンジした孤独なチキンレースの夜だなと思った。あのときはケッタのペダルがちぎれるんじゃないかというくらいぶっ飛ばしたもんだ。
 (…)さんはこちらの寮までついてきた。バスケットコートにはこれまでなかったバレーボールのネットが用意されていた。学院対抗のバスケの試合が終わったあとはバレーボールの試合という趣向らしい。卒業写真の撮影はいつなのとたずねると、15日(月)の午後だというので、えー! もうすぐじゃん! となった。たしか16時から17時までのあいだという話だったと思う。図書館の前だというので、じゃあそのときまた会いましょうと約束する。となると、例年通り、卒業生への手紙も書かなければならん。なんとなくこんな内容にしようという絵図みたいなものはすでにあたまのなかにあるので、仕上げるまでにそれほどの時間は要しないと思うが。この週末でちゃちゃっと片付けるか。

 帰宅。仮眠とる。きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年5月12日づけの記事を読み返す。(…)さんとスタバでコーヒーを飲んでメシ食って駄弁った日。彼女はこのとき(…)さんと同様に専攻を心理学に変更して大学院を受けることにすると語っていたわけだが、その後どうなったのだろう?
 2013年5月12日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。そのまま今日づけの記事にとりかかったのだが、夕飯がはやくかつ少なかったこともあり、たしか時刻は20時過ぎだったと思う、猛烈に空腹を感じた。麺類を食いたい気分だった。第三食堂の鱼粉を長らく食っていない。いまから食いにいくかと思ったが、そもそもあの店は夜食の時間帯も開いていただろうか? それで一年生のグループチャットに質問を投げてみたところ、いままさに閉店したところだという返事があった。くそったれ。ほかにスープのついた麺類を食うことのできる場所といえば、第四食堂しかないので(第一食堂は遠すぎるので論外)、ケッタに乗って向かうことにしたのだが、週末の夜だからだろうか、キャンパスはかなりの人出で、特にバスケコート付近には人だかりができている。こんな遅くにまた試合でもやっているのかなと思ったが、そうではなかった、女子学生らがダンスをしていた。バスケコートのなかに楕円形の人垣ができており、その中央で音楽にあわせて、あれはたぶんK-POP風のものということになるのだろうか、わりとセクシー&パッショネイトなダンスをフォーメーションを組んだ数人の女子がパフォーマンスしており、彼女らが体を派手に動かすそのたびにギャラリーがキャーキャー盛りあがりまくって、こういう盛り上がり方もやっぱり中国とアメリカの共通点——というか中国と日本の相違点かもしれんなと思った。日本で同様のイベントがあったとしても、たぶん自然と拍手が巻き起こったり口笛が吹かれたり歓声があがったりするのは、パフォーマンスとパフォーマンスの合間(楽曲の切れ目)であったり、あるいはパフォーマンスのわかりやすい山場だけなんじゃないかと思うのだが、こっちではひとつのパートが終わって次のパートに移るたびにいちいちギャラリーがわーっと盛りあがる、ダンスの振り付けが大きく変化するそのたびごとにうわーっと巻き起こるものがある。それでちょっと思ったのだが、これってお偉いさんのスピーチの合間にさしはさまれる拍手とおんなじではないか? こっちでお偉いさんがスピーチしたり講演したりすると、ほとんど一段落ごとに、場合によっては一行ごとに、観衆らの拍手がさしはさまれるのがならいで、日本のようにはじまりと終わりだけ拍手する方式が世界共通だと思っていたこちらは最初びっくりしたのだが、と、書いていてさらに思ったのだが、乾杯もやはりおなじだ、日本のように最初に一度だけ乾杯して終わりではなく、中国では食事中に何度も何度も席を立ち中華テーブルに沿って歩きながら同席している人間全員と順次乾杯する必要がある。これ、全部共通のリズムだ。ここをフックにしてちょっとした文化論が書けるかもしれん。

 ギャラリーがコートの外にまではみだしてごった返している道をケッタでのろのろ移動していると、「先生!」と呼びかけられた。三年生の(…)くんと(…)くんのふたりだった。女子のダンスを見てんのか変態! とからかうと、いやいやいやと否定する。ジョギングを終えた帰り道だといいながら、ビニール袋に入っている果物を手にとってかぶりついてみせる。それでまた、これでもう本日四度目になるわけだが、来学期入ってくる新入生が2クラスであるという話をする。ふたりは初耳だったらしく、たいそう驚いていた。高校時代に日本語を勉強する子が増えているからだろうという。
 その先の交差点で別れる。ひとり第四食堂をおとずれる。食堂内はなぜか堆肥のようなにおいがした。螺蛳粉だろうか? 红烧牛肉面を打包する。帰宅して食す。さすがにちょっと辛い。頭頂部から汗がにじむ。食事中、一年生らのグループチャットでめずらしく雑談が進んだ。(…)さんが第三食堂にあるトマトの鱼粉は「あじだめ」と言ったり、(…)くんが豌杂面をすすめたり、(…)くんが炒黄面をすすめたり、以前学生からもらった中国の典型的なおばちゃんがヨガのポーズをしているステッカーを送りつけたこちらに対して彼女はじぶんの同郷の网红であると(…)さんが反応したり(郭老师という人物らしい)、あるいはそれとはまた別の网红のステッカーを送りつけてこのひとも网红でしょうとたずねてみたところほとんど全員がその人物のことを知らず、このステッカーをこちらに送って寄越したのはたしか(…)さんだったはずで、あれはまだコロナ以前の出来事であるから三年か四年くらい前になるのだろうか、だからいま一年生の彼女らはだれもこの人物のことを知らないわけかとちょっとぞっとするような認識を得つつ、三年か四年くらいまえに流行していた网红だと思うよと補足するとそれに対して「古すぎます」と(…)さんが言って、たった三四年前の出来事が「古すぎる」と感じられる生のスパンを彼女らは生きている! とやはりショックを受けたり、あるいは先のバスケコートでの女子のダンスについて(…)くんが自分も見たと言ったのち很骚と続けるのに(…)さんから表現を変更しろとたしなめられていたり、(…)さんが太極拳のテストが近いのだが不安だというのでこれを見て練習しろといってこちらがおばちゃんらに混じって广场舞を踊っている短い動画(2018年撮影!)を送ったりした。
 シャワーを浴びる。ストレッチをし、今日づけの記事の続きにとりかかる。1時前に中断し、トーストを一枚だけ食し、ジャンプ+の更新をチェックしたのち、フリースタイルで30分ほど遊ぶ。それから歯磨きだけすませてもう一度今日づけの記事の続きにとりかかる。途中で蚊にあたまを喰われて猛烈にイライラする。あいつらなんで毎度毎度ひとのあたまばっか狙いよんねん。そういうこっすいことばっかしよるから輪廻の罰ゲームで蚊みたいなしょうもないもんに生まれ変わんねん。(…)さんが2時ごろにグループチャットにステッカーを送ってよこしたので、この子も宵っ張りなんだなと思いながら反応すると、むこうはむこうでまさかこちらがそんな時間まで起きているとは思っていなかったらしく、びっくりしていた。寝床に移動して就寝。

20230511

無意識とは対象a大文字の他者の欠如に住まうという構造を示している。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第六章 共時的なものとして存在する二つの臨床形態」 p.135)



 10時半のアラームで起きれない。11時半前になったところでようやく起きる。一年生の(…)くんから微信が届いている。きのうクラスのグループチャットでコロナだかインフルエンザだかが流行していると訴えていた彼であるが、「先生、お元気ですか、新型コロナウイルスに感染して病院にいますので、マスクを着用してください」というメッセージとともに、陽性を示している検査キットの写真と、あれは病室であるのか、あるいは専門の隔離室であるのかちょっとわからんのだが、ベッドから周囲のようすを撮影した短い動画が送られてきて、ええー! マジで! となる。二度目の感染だという。中国がいきなりフルオープンにして、体感周囲の九割以上の人間が感染したのがクリスマスから年始にかけてのころだったはずだから、ぼちぼち免疫も弱まりつつあるころではある。しかしこの感染の波、このまま拡大するとして、その場合もしかしたらピークがこちらの一時帰国のタイミングに重なる可能性もなくはないのではないか? だとすれば、ちょっと鬱陶しいな。
 四年生の(…)さんからも微信。今日大学にもどってきたという。約束通りいっしょに食事しましょうというので、明日の夕飯を共にすることに。メシはなんでもいいというので、こちらのリクエストで麻辣香锅をチョイス。
 食堂に出向くのが面倒なので、メシの代わりにプロテインを飲み、ヨーグルトを食す。それだけではさすがにアレなのでトーストも食し、コーヒーを飲み、きのうづけの記事を途中まで書く。
 時間になったところで寮を出る。いつものようにケッタを南門のそばに停める。ロックしようとして鍵穴に鍵をぶっさすが、回転しない。これまでも何度かあったことなのだが、今日はマジでどれだけ力を入れても回転せず、しまいには鍵そのものが微妙に変形してしまう始末だったので、こりゃあかんわとなった。キャンパス内であるし、まあだいじょうぶだろうということで、鍵はせずそのまま放置することに。淘宝であたらしいやつを買うか。
 バス停に向かう。歩道の先をビート博士が歩いている。バス停のベンチでは小学校低学年くらいの男の子が座面に両足を放り出し、なかば寝そべるようにしてスマホでゲームしていたが、こちらがおなじベンチに座った途端、たぶん中国ではなかなか見かけない髭面のサングラスだったからだろう、行儀良く座りなおした。少年は先着したバスに乗る。こちらとビート博士とはそのあと到着したバスに乗る。こちらはいつものように最後尾に移動。
 ビート博士は今日もビートをきざんでいた。乗客の数はけっこう多かったのだが、おかまいなしに广场舞に使われていそうなダサい音楽をスマホで鳴らしているし、そのスマホを持った右手をリズムにあわせて上下にふっている。途中乗車した女性客がじぶんの右となりに座ったあともその手の動きを止めない、そのせいで女性客が通路のほうに身体を半分逃すように座っていて、おいおいマジかよ、ここまであからさまに嫌がられとんのにやめへんのか、おまえほんまに大学教員け、とまたしてもおどろかされた。さらに、ビート博士とは別に、途中乗車した赤いキャップをかぶった老人がこちらのすぐ前の座席に着席するなり、演歌のようなこぶしのきいた歌をやはりそこそこでかい声で歌いはじめたので、は? めずらしい鳴き声の動物ばっか集めたサファリパークけ? と絶望した。ほんならこっちもやったろやんけと、こちらもひとりでぶつぶつフリースタイルを開始。こういう呪われたバスはとっとと事故ったほうがいい。
 終点でおりる。バス停から大学に向けて歩くわけだが、その道中もビート博士はスマホの音楽にあわせて両手を左右にやわらかく、ほとんどフラダンスでもするみたいに科をつくるようにふりながら歩いていて、こいつほんまシラフけ? バケボンでたらふく吸ってもこんなんならんやろ! と唖然とした。
 売店でミネラルウォーターを買う。レジのおねえさんが「ありがと!」と日本語でいう。教室に移動。14時半から(…)一年生の日語会話(二)。「道案内」をする。期末試験の内容であると事前に告げたのもあり、いつもは最後部の座席で居眠りしているだけの(…)さんと(…)さんも最初のうちはめずらしく集中していた(それでも後半は結局居眠りをするわけだが)。このクラスとは今学期きりの付き合いかもしれないんだよなとひそかに思う瞬間もあった。まだどうなるかはわからんが。
 授業が終わる。地獄の便所で小便をすませてからバス停に移動する。バスが来るのをベンチに座って待っていると、シェア電動バイクを運転する(…)さんが後ろに女子学生をのせて、ものすごくゆっくりしたペース——まるで自転車の練習をする子どものようだ——で走っていく。シェア電動バイクに乗るときもヘルメットをかぶる必要があるというふうに交通ルールがたしか変更されたはずだが、ふたりともおかまいなしのノーヘルだったし、そもそもふつうの電動スクーターはともかく、シェア用の小さなやつは2ケツ自体ダメだったはず。「(…)さーん!」と声をかけると、「せんせー!」という返事。
 バスに乗る。The Garden Party and Other Stories(Katherine Mansfield)の続きを読む。“Bank Holiday”を読み終えたのだが、こんな作品あったことなんてすっかり忘れていた、これはちょっとびっくりした、描写だけの小説だ。主人公もいない、筋もない、マジでただholidayのようすを最初から最後まで描写しているだけ。こんな試みをしていたのかと驚いた。うまくいっているかどうかといえば、なかなかけっこう微妙な感じはするのだが、しかしやろうとしていることは実によくわかる。
 バスをおりて大学にもどる。ケッタはパクられていなかった。第五食堂に立ち寄ってメシを打包する。帰宅して食し、仮眠をとったのち、シャワーを浴びてきのうづけの記事の続きにとりかかる。投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年5月11日づけの記事を読み返す。この日は2012年4月後半の記事を読み返している。以下は『特性のない男』からの抜き書き。

「一つのガラスの鉢に入っている二匹の金魚のことを、想像してくれ給え」(…)
「まあ、想像してごらんよ! よく客間で見かけるような丸くて大きなガラス鉢だ。序でに、この鉢はぼくらの家の地所ほどに広いものだと考えてごらん、さて、二匹の赤い金魚は薄いヴェールのようにひれを動かして、ゆっくりと上に下に揺れ動いている。金魚がほんとうに二匹なのか一匹なのかは無視することにしよう。お互いにとっては、金魚は差し当たりともかくも二匹なんだろうね。餌に対するねたみ心と性別があるだけでも、そういうことになるだろうね。だって、互いに近づき過ぎたりすると、避け合ったりするものね。しかしぼくには、金魚が一匹だと充分想像することができるんだ。そのためには、ゆっくりとひれや尾を閉じたり開いたりするその動きだけに注意を払いさえすればいい。そうすると、別々にちらちらしているものは、一緒になってゆらゆらしているこの動きの、独立性のない一部に化してしまう。で、ぼくは問うんだが、いつ彼ら自身もそんなふうに感じるようになるのだろうか……」(…)

「じつをいえば、すべての静物画は、神と世界とが水入らずの間柄にあって、まだ人間が存在していなかった天地創造の六日目の世界を描いているんだよ!」

狂気とは、誰もが妥協と中途半端な態度ですることを、妥協もなく限度もなくやるということだ。

青春時代の美とは、誰もが見て回るものに、それぞれの人にしか分からない一面があるかどうかで決まるのである。

アンダースは思い出した――たとえば、小さな写真機の暗箱のなかでのように何かを逆さまにして見るときには、これまで見過ごしていたものが、そこにあるのに気づくものだ。ふだんの気侭な目には動いていないように見えた木、茂み、人の頭などが左右に揺れている。あるいは、人の歩調の特色が意識されてきたりする。外部の物にある絶えざる動きに気づいて、人はびっくりする。また、知覚されない二重像が、人間の視野にはあるのである。というのも、一方の目は、他方の目とは別のものを見ているのだから。だが網膜上の残像が、ごく薄い色の霧のように、この瞬間写し取った映像を消してしまう。そして脳は抑制し、補足して、誤信された現実を作り上げるのである。また耳は、自分の体内の無数の音を聞き逃している。だが皮膚や関節、筋肉や最奥にある自我は、目も耳も口もない状態でいわば地下で徹夜のダンスをしている無数の感覚器官の入り乱れた動きを、送っているのである。

 それから2013年5月11日づけの記事も読み返そうとしたのだが、11日から13日までの日記がまとめて13日づけの記事に記録されていて、そういえばそうだった、むかしは記事の更新が遅れた場合そうやってまとめて投稿していたんだったなと思い出した。「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲するにあたっては、ちょっと迷ったが、1日ずつ分割することにした。そういうわけで今日は11日づけの記事だけ再掲した。この日は車にはねられた日だった。なつかしい。このときの慰謝料がなければ、(…)と沖縄旅行することもなかったわけだ。あと、「芸大卒」の「アルバイト志望の21歳女性」の採用が決まったとあるのだが、これ、だれだろう? 現役の芸大生は何人か、(…)さんとあとだれだっけ、顔は微妙におぼえているが名前は出てこない子が、同僚として入ってきたことがある、その記憶はたしかにあるのだが、というかそもそも21歳で卒業生というのはおかしいんじゃないか? これは単に誤記かな?
 ほか、「(…)さんが友人とデリヘルをはじめるらしく、事務所を構える場所を探しているといった。電話番が必要になったらいつでも言ってください、内職ができるなら最低賃金でもかまわないっすからと伝えると、軌道にのりはじめたら本当にたのむかもしれないのでよろしくとなった。これで次の職場は確保できた。」という記述もあったが、いまおもえば、これも(…)さんのホラだったのかもしれない。あと、「駐車場に車が入ってきたと思ったら運転席から女性がおりてくるなり、駐車中の車にカメラをむけて写真をぱちりとやり、すたこらさっさと立ち去っていく一部始終をカメラ越しに目撃した。あれぜったい不倫の証拠をつかみにきた奥さんだよ!とみんなで盛り上がった。」という記述もあって、これについてはよくおぼえている、(…)さんが監視カメラの映像を見ながらめちゃくちゃ興奮していたはずだ。

 そのまま今日づけの記事も書いた。書いているあいだ、THE POTIONSの「分かれ道」のことを不意に思い出し、なつかしくなったのできいた(https://www.nicovideo.jp/watch/sm11417086)。昔はYouTubeにMVがあったのだが、いまはニコニコ動画にしかない。これをはじめてきいたのは、まだ(…)に住んでいたころだから、地元を出て二年以内か。YouTubeがまだそれほど一般的ではなかったころ、というかインターネットそのものが、スマホ以前の時代の話であるのでそれほど一般的ではなかった、いやインターネットそのものは活用されていたのだが、GoogleやYahooの検索バーで検索するという行為がまだそれほど一般的ではなかった、少なくともあのころ地元で付き合いのあった友人らにとってはインターネットはiモードでありezwebであったはず。なつかしくなったついでに、Washed Outの“Don’t Give Up”のカバーもひさしぶりに流した(https://www.youtube.com/watch?v=UUBtRs_0DSw)。これ、見つけた当時はすごくいいなと思ったし、のびるだろうなとも思ったのだけど、『Paracosm』がリリースされて10年、いまだに全然のびとらん。
 今日づけの記事の作成を中断し、明日の授業準備をする。期末試験の説明用資料を作成し、試験問題の練習だけでは授業がだれる可能性があるのでそれにそなえて心理テストも用意しておく。モーメンツをのぞくと、一年生の女子らが複数名なにやらブチギレている。具体的な状況は全然わからんのだが、なかにはもう日本語学科をやめてほかの学部に移動するとか大学そのものを辞めてやるとか鼻息荒く息巻いている子たちもいて、大学側がまたなにかわけのわからんルールでも制定したのかなと思う。もしかしたらコロナ関連かもしれない。
 授業準備を終えると1時だった。トースト食し、ジャンプ+の更新をチェックし、歯磨きをすませる。その後、寝床に移動し、The Garden Party and Other Stories(Katherine Mansfield)の続きを読んだり、足の裏の皮を剥いたりして就寝。

20230510

 分析家の意図や欲望が謎であれば、分析主体は同一化する対象[a]を見出すことができず、分析家は一つの理想[I]として分析主体の前に姿を現すことはない。分析家の欲望が謎のxとして留まるためには、分析家は彼の考えや意図を分析主体に伝えないことが一つの方策となろう。それはつまり分析家が沈黙することを意味する。分析家の沈黙によって、分析主体は分析家を謎の対象として経験し、分析家に代表される大文字の他者を理想とすることなく、脱同一化へと向かうのである。
 Dは治療者の沈黙によって、まず自らのパロールを聴くという基本的な分析的体験をした。そして、この沈黙において、彼女は恐怖などの強否定的な感情によって治療から脱落することなく、抱えられる体験をし、さらに治療者からの解釈が少ないことで想像的な同一化が起こりにくくなり、転移幻想はより純粋に展開されていった。こうして最終的に、Dは諸々の大文字の他者(自我理想)から離れていったのである。それが、聴くことを可能にする沈黙、抱える効果をもつ沈黙、転移の前提となる沈黙という三つの沈黙の上に成り立つ、沈黙の脱同一化という機能である。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第五章 分析的経験の前面に位置する沈黙」 p.125-126)



 正午過ぎ起床。歯磨きして寮を出る。ケッタに乗って(…)へ。小雨が降っているせいで、めがねのレンズ表面に小粒の水滴がつく。店では食パンを三袋買う。店内では販促用の音声が流れていたのだが(以前はそんなものなかった)、いかにもラジオパーソナリティっぽい抑揚たっぷりの声で語る男性がしきりに“泰裤辣!”と繰り返しており、マジで流行ってんだなという感じ。
 店を出る。(…)のとなりには眼鏡屋があるのだが、ここではいつも白衣を着用した店員の女性が入り口に立って、店の前を通る通行人らを退屈そうにながめている。日本ほど接客業にもとめられる水準の高くない社会であるし、客のいないときくらい店の奥にひっこんで本でも読んでいればいいのにと思う。中国では基本的に店番をしている人間はずっとスマホをいじっているし、客がレジに来てもそのスマホから目を離さないまま対応することもざらにある。ああいうのを見るたびに、日本でおなじことが許されるのであれば、勤務中に読書できるバイトを求めてあくせくしたり、あるいはワンオペ勤務中に監視カメラの死角に隠れてこそこそ本を読んだり、これまでじぶんがずっとやってきた七面倒なあれこれの手間が省けるのになとうらやましく思う。とはいえ、その分こっちの店番は賃金が全然高くないだろうし、なにより文学だの芸術だのやる人間にとっては地獄のような社会であるから、そういう意味ではまったくうらやましくないわけだけど。
 第三食堂に立ち寄る。ちょうど昼休みどきだったので、食堂内の照明はすべて落ちている。しかし店自体は営業している。まっくらなホールのテーブルに腰かけている姿もいくらかあるが、その大半が休憩中のスタッフらしい。ハンバーガーの店にいく。こちらのことを完全に認知しているおっちゃんが、海老のハンバーガーと牛肉のハンバーガーでいいか? と先取りしていうので、今日は海老のやつだけでいいと応じる。海老のやつができあがるまでのあいだ、おっちゃんは例によって周囲にはばかりないようすで歌をうたう。もうひとり店に入っている若い男もやっぱり大きな声で歌をうたう。鼻歌というレベルではない。裏声までしっかり出すマジ歌。ふたりともかなり達者だと思う。店の前だけ照明がついていたので、そのあかりの下に突っ立って、樫村愛子の続きをちょっとだけ読む。
 帰宅。ハンバーガーを食し、洗濯機をまわす。きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年5月10日づけの記事を読み返す。以下の記述におどろく。また一年越しのシンクロを果たしてしまった。バイオリズムなるものの存在を信じてしまいそうになる。

その後寝床に移動したのだが、目が異常に冴えていることに気づいた。コーヒーをたっぷり400ccがぶ飲みしたためかもしれない。明日は朝一で(…)に向かう必要があるのにと考えたところで、あ、今学期まだいっぺんも仮病を使っていないぞ、と思った。デスクにもどりパソコンで今学期のスケジュールをあらためて確認する。(…)三年生の授業はまだ一度も休んでいない。このタイミングしかないなというわけで明日の午前はお休みすることに。

 2013年5月10日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。そのまま今日づけの記事もここまで一気に書くと、時刻は16時半近かった。

 (…)さんの作文コンクール用原稿と(…)さんのスピーチコンテスト用原稿を添削する。作業中はリリースされたばかりの『FINE LINE』(パソコン音楽クラブ)を流す。第五食堂で打包したものを食ったのち、仮眠はとらず、先の原稿をあらためてチェックしたのち、ふたりに返却する。(…)さんには録音も送る。
 シャワーを浴び、ストレッチをする。一年生のグループチャットで(…)さんがあたらしい表情包を送って寄越す。こちらの顔をゴムボールみたいにして巨大な手のひらが揉み揉みしているもの。自習の時間にバカなもん作ってんじゃない! (…)先生に密告するぞ! 許してほしければいますぐ10000元支払え! といつものように恐喝する。それをきっかけにグループチャット内でちょっとしたやりとりがあったのだが、(…)くんが「先生、最近コロナがあります。マスクをしっかり持ってきてください。気をつけてください。」「インフルエンザは恐ろしいものだ」という。精度の低い翻訳アプリを噛ませているためだろう、流行しているのがコロナであるのかインフルエンザであるのか、このやりとりだけではちょっと理解できない。コロナが流行しているのかとたずねかえしたが、結局、夜のあいだに返信はなかった。
 「実弾(仮)」第四稿にとりかかる。23時半までカタカタやった結果、プラス7枚で計504/1007枚。シーン25はひとまずオッケーということにする。ここは長いし重要なシーンであるので、一発でバッチリきめようとするのではなく、第五稿、第六稿と稿をかさねていく過程で、少しずつ修正していけばいい。シーン26も半分ほど確認。このシーンは弱いのでおもいきり加筆する必要がある。今日は筆が乗った。それでいまさら思ったのだが、やっぱり毎日書く必要がある。一日でも原稿から離れる時間ができてしまうと、積み重ねてきたボーナスのようなものがそれだけでいったんゼロにリセットされてしまう、そういうアレがあるような気がする。やったことがないのでわからんのだが、ソシャゲ界隈でよく目にする連続ログインボーナスみたいなものが、長い小説の執筆作業にはおそらくあるのだ。毎日原稿と向き合うことによって得られる特殊なバフのようなもの。
 以下はシーン25。前半の山場であり、この小説の折り返し地点である。

 ステージの上で大道芸人がジャグリングをはじめる。ボーリングのピンみたいなかたちをしたクラブを三本、くるくると回転させながら顔の高さに投げるシルクハットにワイシャツの立ち姿が、照明のついていない代わりに無数の蝋燭が灯されているだけの薄暗がりのなかで、おぼろげに浮かびあがっている。胸元を大きく開けたシャツと宙を舞うクラブだけが、日中にたくわえた光をほのかにたたえているかのように白い。
 蝋燭の炎だけではさすがに間に合わないとスタッフが判断したのか、ほどなくして青白いスポットライトが点灯し、ステージ中央を斜めから照らしだす。大道芸人はジャグリングをいったん停止する。バトンを握った手を抗議のかたちにひろげ、いかにもまぶしそうに目をほそめながら、フロアの後方にあるバーカウンターのほうを文句ありげにながめる。誇張されたその表情に、フロアから笑いが起こる。BGMが停止し、ソーリー! マーティン! とカウンターからスタッフが叫ぶ。それでまたひと笑い生じる。
 宙につりさげられたいくつものスピーカーからふたたびBGMが流れはじめる。停止前よりもボリュームが大きくなっている。先ほどのやりとりも大道芸人によってあらかじめ仕組まれていたものかもしれない。
 節電と祈りを兼ねたキャンドルナイトという趣向の店内には、いたるところに大小さまざまなグラスキャンドルが置かれており、回転するミラーボールの代わりに小さな炎をゆらめかせている。アロマキャンドルも混じっているらしく、店内には変にあまったるいにおいがただよっている。
 ステージの真ん前には、以前はなかった巨大なテーブルが置かれている。分厚い一枚板を天板にしたもので、優に十人は座ることができる。席には子連れの夫婦が二組同席している。幼い子ども三人のうち、二人は双子かもしれない、遠目の暗闇にも顔から背丈からそっくりにみえる。短く刈りあげた側頭部に稲妻のようなラインを走らせている幼い兄弟は、ステージの中央でふたたびクラブを構えはじめた大道芸人には見向きもせず、大皿の上に山盛りになったフライドポテトに次から次へと手をのばしている。
 そのほかのテーブル席はフロアの両端に追いやられている。ステージに向かって右端の壁際には、四人がけのテーブル席が三つならんでいる。真ん中のテーブル席には、浅黒い肌のアジア系の男がふたり、ステージに背を向ける格好で背もたれのない丸椅子に座り、テーブルをはさんだ先でグラスをなめている、こちらは日本人のようにみえる太った金髪の女ひとり相手に、顔と顔がひっつくくらい前のめりになって話しかけている。
 ステージに向かって左端の壁際には、木製のベンチが雨樋のように継ぎ目なくまっすぐのびている。ベンチの上には色も形もバラバラのクッションや座布団が乱雑に、まるで犬猫の寝床のように、場所によっては何枚も重ねて敷かれている。そのベンチに沿う格好で、小ぶりの円卓が五つ間隔を置いて設置されているが、クッションや座布団と同様、こちらもサイズやデザインに統一感はない。寄せ集めのものでやりくりしているかのような、安っぽくカラフルなそのありさまは、テレビで何度も目にした避難所の光景にも似ている。ベンチのほかに椅子は置かれていないので、客は壁を背もたれとする格好で横一列に腰かけることになる。以前来たときもそんなふうだったか、孝奈はうまく思いだすことができない。震災の発生する前だったのはたしかだ。
 孝奈とまおまおがならんで腰かけているのは、ステージからいちばん離れた小ぶりの円卓の前だ。孝奈がベンチの端っこを陣取り、肩のぎりぎり触れないその左となりにまおまおが腰かけている。ジャグリングを再開した大道芸人のいるステージのほうをながめるふりをしながら、ビールの入ったほそいグラスを手にして首から上をやはりステージに向けているまおまおのなかばそむけられた横顔を、孝奈はじっとながめた。ニット帽からはみでた右耳が、テーブルの上に置かれているグラスキャンドルの明かりに照らされて、そこだけ妙に血色良く浮かびあがってみえる。
 まだ少ししか口をつけていないジンジャエールのグラスをテーブルの上から取りあげ、模造煉瓦の壁にもたれかかる。背もたれと同時にパーテーションの役割も担っている壁は、着席するひとびとの首の高さで途切れており、その向こうには、壁と並走するかたちで通路がまっすぐにのびている。突き当たりにある出入り口は、そこだけ天井の高さにまで達している模造煉瓦の壁によって、隣接するフロアのステージとはしっかりへだてられている。
 その出入り口の扉がひらく。近くにつりさげられた複数のランプの炎が、上下ともに黒いジャージに身を包んだ、道男とおない年くらいの男の姿を浮かびあがらせる。眉がほそく、つりあがった目をしており、小太りで、頬がパンパンにふくらんでいる。癖っ毛を短くカットしているのが、遠目にはどこかパンチパーマのようにみえる。もしかしたら本当にパンチパーマかもしれない。ローテーブルとそれをはさむソファが三セット、店の外に面した大窓に沿って等間隔に配置されている通路を、男はガラの悪さを隠そうともしない早足のガニ股でまっすぐのしのしと歩いてくると、そのまま孝奈の背後を通りすぎ、パーテーションの途切れ目からフロアに足を踏みいれた。フロアの入り口から見てすぐ右手の壁際にあるバーカウンターに両肘をのせて、孝奈のいるほうに背中を向けるかたちで前のめりの姿勢になる。
 カウンターの奥にひかえているバーテンダーと言葉を交わしはじめたその顔が、不意にふりかえった。全体をぼんやりとながめわたすのではない、距離と方向にはじめから見当をつけているような動きだった。ぎょっとした孝奈が目を逸らすよりもはやく、男はすぐにまたバーテンダーのほうに向きなおったが、それもつかのま、今度はそのバーテンダーと一緒になってふりかえると、値踏みするような視線を孝奈にじっと送りだした。
 孝奈はテーブルの上のキャンドルへと目線を切った。相手の視線を受けての反応ではないと姑息に主張するように、ことさらゆっくりと逃したその目の焦点が炎につなぎとめられたところで、グラスを持っていないほうの手の親指と人差し指で両眼のあいだをつまんで揉みほぐすふりをした。視力の悪さを訴えるように、自分はガンをつけていたわけではないと弁明するように。
 焦点を炎の奥に合わせる。フロアをはさんだ正面では、テーブル席のいっぽうにならんで腰かけていたアジア系の男のひとりが立ちあがり、対面にいる日本人の女のとなりに移動するところだった。そのまま首から上を錆びついた蛇口のようにぎこちくなく左にひねる。視界を丸ごとステージのほうに切り替えると、大道芸人があつかっているクラブがいつのまにか五本に増えていた。宙を回転しながら舞うその一本一本をうつろに追う。時間を十分稼いだところで、手にしているグラスをテーブルの上に置くふりをして、バーカウンターのほうをちらりと盗み見た。ふたりは孝奈のほうをさっきとまったく変わらない姿勢でじっとながめていた。勘ちがいではない。バーテンダーの男が耳元で語る言葉にときおり小さく相槌を打ちながら、ジャージの男は黒いスニーカーを履いた右足のつま先をフロアに突きたて、ストレッチでもするみたいにくねくねと右左に回転させている。
 みぞおちのあたりがちぢこまり、呼吸が浅くなった。心臓がざわざわし、締めつけられるような苦しさをおぼえる。フロアに接しているはずの足の裏が一気にこころもとなくなり、尻の穴がゆるんだ。置いたばかりのグラスをふたたび持ちあげて、かたちだけ口に運ぶ。サイゼリヤでドリンクバーを死ぬほど飲んだせいで、腹が金魚と水の入った袋のようにたぷたぷになっている。もう一度ステージに視線を逃すと、ジャグリングを終えた大道芸人が両腕を水平にのばして決めポーズをとるところだった。音楽がジャン! と音をたてて停止するのに合わせて、大道芸人があご先をぐっと持ちあげてみせる。青白いスポットライトの中で、汗のしずくが飛び散るのが遠目にもみえた。
 ステージ前の大きなテーブル席についている家族連れが拍手をする。かたわらのまおまおが尻のすわりを軽く直した拍子に、あまい女のにおいがふっとただよいだして鼻先をかすめた。バクバクと波打つものと変に反応してか、孝奈は一瞬だけ吐きそうになった。大道芸人は手にしていたクラブをステージの上に置き、シルクハットを脱ぎさると、その場で深々と西洋式のお辞儀をした。それからステージをおり、シルクハットを片手に、ステージ前にある巨大なテーブルの周囲をぐるぐるぐるぐるしつこくまわりはじめた。シルクハットのリボンは、Pray for Japanと記された日の丸カラーのものに取り替えられている。おひねりは全額寄付されるという趣向だ。
 双子の兄弟の前で懸命におどけている大道芸人のかたわらを、いつのまにかバーカウンターをあとにしていたジャージの男が、ホールスタッフのような足どりで遠慮なく通りすぎた。孝奈のほうを一瞥もせず、そのままフロアの奥にある個室に向けて去っていく。ほっとするひまもなかった。気づけば、バーテンダーがテーブルのすぐそばに立っていた。うなじの付け根にタトゥーの切れ端がちらりとのぞく例のアジア系だ。BGMのやかましいホールで注文をとるときのように、腰をかがめて孝奈をじっとのぞきこむと、グラスキャンドルに下から照らされてか、のっぺりとした笑みが不気味に浅い陰影をやどした。
「ちょっと来て」
 バーテンダーは促音の物足りないタメ口で言った。
「なに? なんで?」
「いい、いい、来て」
 そう言いながらなかば強引に孝奈の腕をひっぱり、その場に立ちあがらせる。手にしていたグラスの中身がその拍子にこぼれ、グラスキャンドルの火を消した。まおまおが席に座ったままふたりのほうをふりかえったが、間近な灯りが失われたせいで表情をたしかめることができない。
「これ持ってね」
 バーテンダーは孝奈の手から奪ったジンジャエールのグラスをまおまおに差しだした。まおまおは中身のほとんど空になったグラスを素直に受けとった。
 バーテンダーはそのまま孝奈を自分の先に立たせると、腰のあたりをゆっくりと押しながら、フロアを歩かせはじめた。ステージ前にあるテーブルのかたわらを通りがかるさいに、双子の男児からおひねりの小銭を受けとっていた大道芸人が、目をばっちり見ひらき、真っ白な歯をむきだしにして笑いながら、シルクハットをすばやく突きだした。バーテンダーが早口の英語でなにか答えると、大道芸人もまた早口の英語でなにか言い、ふたりして笑った。そのあいだも、孝奈の腰にあてがわれた銃口のような手のひらが離れることはなかった。
 ステージを前にして右手に折れる。短い通路の奥には個室がある。個室といっても扉はない。そこだけ低くなった天井からランプを模した暖色系の照明器具がつるされている六畳ほどの空間が、フロアに背を向けるかたちでならぶワイン棚によって外と区切られているだけだ。その入り口に、ジャージの男がふたりに背を向ける格好で立っていた。通路の途中、左手にはトイレの入り口がある。のれんで目隠しされたその奥から景人が左足をひきずりながら出てくる。バーテンダーとともに目の前を横ぎっていく孝奈の表情になにかを感じとったのか、景人はなにも声をかけることができない。その場に立ちつくしたまま、自意識の枯れた老人のように見ひらいた目で、ふたりの背中をただ追う。
 個室の入り口にいたジャージの男が、ふたりに対して半身に向きなおる。バーテンダーに腰を押されるがまま、孝奈は柑橘系のきつい香水をただよわせている男のかたわらを通りぬけて、中に足を踏みいれた。個室の右手には、木製の長方形のテーブルがひとつ、上座を潰すかたちで壁に寄せて置かれていた。テーブルの両側にはそれぞれ背もたれのない木製のベンチがあり、そのうちのいっぽう、ワイン棚ではなく店の白壁を背もたれとするほうに、グレーのスーツを着た長谷村がひとりで腰かけている。
 腰にあてがわれていた手が離れる。立ち去ったバーテンダーの代わりに、ジャージの男が出口をふさぐようにして孝奈の斜め後ろに立った。個室の左手には、白シャツの襟をたてた若い男が、PKで壁役を担う選手のように両手を股間の上で重ねて足を肩幅程度にひらき、緊張した面持ちで立っている。その男が中学の同級生であることに孝奈はすぐに気がついた。菅田だ。
 ジャージの男が孝奈の左肩を乱暴に突き飛ばした。孝奈はバランスを崩しながら、テーブルとベンチのあいだのせまい隙間に押しこまれた。ぐらつき倒れそうになるのを無理して踏んばったせいで、ひざやくるぶしをあちこちに打ちつける。ジャージの男は空いた距離をすぐに詰めると、孝奈のパーカーの襟元をひっつかんで無理やりその場に座らせた。自身もひきつづき逃げ道をふさぐようにして、その左となりに腰をおろす。柑橘系のにおいがまた鼻をかすめる。そのにおいから顔をそむけるように頭を垂れる。フードに通されている紐のいっぽうが抜け落ちそうになるほど長々と外に飛びだし、心臓よりもはるかに低い位置で振り子のようにぶらぶらしている。耳の付け根にまで響くこの鼓動を受けてゆれているのだと孝奈は思った。
 テーブルの上には、灰皿とグラスキャンドルだけがある。そのテーブルをはさんで向かいあう格好になった長谷村は、火のついていない煙草を口にくわえたまま、孝奈のほうを見むきもせず、以前はかけていなかった細いフレームの眼鏡越しにのぞくややうつろな目つきを、表面に白くスモークのかかったような模様のグラスキャンドルにそそいでいた。孝奈は息を詰めた。長谷村はおもむろに右手をのばし、炎をゆらめかせているそのグラスが熱をもっていないかどうか指の腹で確認すると、腰を浮かしかけたジャージの男を目顔で制し、グラスの底に近いほうを三本の指で持ちあげてゆっくり顔の前に運んだ。そのまま煙草に火をつける。左目のまぶたが半分以上ふさがっているせいで、まるで年老いた犬のように眠たげにみえるその顔つきが、煙を吸いこんだ瞬間、人間らしくしかめられて悲嘆に暮れたようになる。
 長谷村は後ろの白壁にもたれかかると、目線を退屈そうにテーブルに落としたまま、イのかたちにした口の端から煙を吐いた。そのまますぐに二口目を吸う。今度は下唇を前に出し、少し受け口気味にして、やかんの先からたちのぼる湯気のように吐く。吐ききらないうちに、ジャージの男にちらりと目を向けた。
 ジャージの男の右手が、次の瞬間、孝奈の左頬を思いきり張った。孝奈はベンチの上になかば横倒しになり、頭頂部を上座の壁に軽くゴンとぶつけた。次の一発に構える余裕すらなかった。パーカーの襟元をひっつかまれて上体をすぐにひき起こされると、間髪おかずにまた張られた。今度は倒れなかった。右手をベンチの上にぐっと突いて、よろめく身体をどうにか支えた。
 不意打ちの驚きが勝ったおかげで、痛みはほとんどなかった。だれとも目を合わせないようにしながら、孝奈は薄い胸で浅い呼吸をくりかえし、軽くかしいでいた上体をゆっくりと元の位置にもどした。その瞬間にまた張られた。
 今度は上体をかしいだままにしておいた。次の一発がいつきてもいいように口を閉じ、奥歯をぐっと噛んだが、怒りをたくわえている反抗的な表情として映るのをおそれて、すぐに歯の根をゆるめた。顔はあげなかった。垂れた前髪で視線を隠すようにして、うつむいたままでいた。孝奈は自分の目つきが悪いことを知っている。中学でも高校でも入学直後は必ず上級生から因縁をつけられた。上級生だけではなかった。教師も、母親も、みんな孝奈の一重まぶたをなじった。
 張られる。さっきよりも重い一発だったので、右手の突っ張り棒が肘のところでがくんと折れそうになった。視界がチカチカし、呼吸がますます浅くなる。座面に突いた右手のひらの指先を少しだけ折り曲げて力を込めておく。空いた左手がいかにも所在なさげにふとももの上にのっているのが気になるが、どこに置くのが正解なのかわからない。
 また張られる。上体をかしいだままにして距離を稼いでおいたのがまずかったのか、ジャージの男の手のひらは頬をはずれて耳に当たった。左耳がキーンと鳴りはじめる。耳はまずい、打たれるなら頬のほうがいい。変に冷静な頭でそう考えながら、背筋をのばして座りなおしたところで、下手な小細工をよしとしないような、これまででもっとも強い一発を見舞われた。フロアの音楽に負けないほど大きな、クラッカーや癇癪玉にも似た音が、せまい空間にぴしゃりと鳴り響く。ふとももの上にのせておいた左手が反射的に持ちあがり、突っ張り棒になっている右手とならんで、倒れこみそうになる体を支えた。
 酒乱の夫に打たれた妻みたいな、なよなよと崩れてしまった情けない姿勢を、孝奈はすぐにたてなおした。そのくらいの意地はまだ働いた。目線をどこに置けばいいのかわからなかったので、テーブルに向きあいながらも、長谷村の顔が視界に入らない微妙な角度に顔を伏せた。ほかの三人がいまどのような表情を浮かべているのか、目顔でなにを語りあっているのか、たしかめてみたかったが、顔をあげる勇気はなかった。
 口の中で血の味がうっすらとひろがりはじめていた。その出所を確認するべく、とがらせた舌先で左頬の内側をゆっくりとなぞりはじめたところで、また張られた。血の味が今度ははっきりと鼻を抜けたと思うまもなく、もう一発、予想だにしないはやさで続いた。頬の肉が歯に当たって切れ、口内炎を潰しでもしたかのように、唾液よりも重くどろりとしたものがしみわたった。飲みくだすと、鉄のにおいで鼻がいっぱいになり、のどがむずがゆくなった。
 緊張のあまり痛みはやはりほとんど感じないが、張られつづけた頬が熱を帯びてぼうっとしていた。おなじところばかりたたかれないように、孝奈はジャージの男からほんの少しだけ顔を逸らしたが、工夫が裏目に出て、次の平手はまたしても耳を直撃した。さっきよりも強いキーンという音が、張られたのは左耳であるにもかかわらず頭の中の右耳に近いほうで高く鳴り、ほかの物音がなにひとつ聞こえなくなった。これ以上続くと鼓膜が破れてしまうかもしれない。無言でそのおそれを訴えるように、孝奈は左手で自分の耳のあたりをさすった。訴えは聞きいれられなかった。次の一発はその手の甲ごと、勝手な身動きなど許さないとばかりに、顔の側面を激しく打った。とうとう横倒しになった。頭頂部をふたたび上座の壁に、今度はしたたかにぶつけた。ゴツンという音が、頭の内側のうつろなところで響いた。
 このまま横倒しになっていたほうが安全ではないかと考えるまもなく、フードをひっつかまれて無理やり起こされた。フードの付け根の線維がぶちぶちと音をたてて破れるのを、内と外の区別すらつかなくなっている耳が、自分の首筋を通る神経かなにかがひきちぎれる音として聞きとり、軽くパニックになった。パニックになりながらも、鼓膜を守るため、先とは反対に顔をジャージの男のほうに向けて正面から相対したが、そのせいで次の一発は鼻を直撃することになった。激痛が走り、おもわず声が漏れた。たまらず男に背を向けた。両手で鼻を覆ったまま、ベンチの座面ぎりぎりに顔を近づけて、水面で息継ぎするみたいな呼吸を口でくりかえす。視界はとっくに水没していた。意地ではもはや上塗りできないおびえが全身にゆきわたり、手とひざがぶるぶると震えはじめていた。
 それで終わりではなかった。いつまでも地面のにおいを嗅いでいる犬に痺れを切らした短気な飼い主のように、ジャージの男はフードを真後ろからぐいっとひっぱった。喉が締まった。血が垂れ落ちそうになっている鼻を両手で覆ったまま、孝奈は軽く咳きこみながら起こした上体を、逆らうつもりのいっさいないことを訴えるように相手のほうにくるりと向けた。自分の口臭をたしかめる人間のように鼻と口をまとめて覆っている両手が、手のひらと手のひらのあいだにあるふくらみを少しずつ押しつぶすようにして、ゆっくりと懇願のかたちに変わりつつあった。涙でにじんだ視界のなかで、ジャージの男はむすっとした表情のまま、顎をやや持ちあげるようにし、ほそくつりあがった目で孝奈を見おろしていた。その表情をまったく変えないまま、次の一発が、孝奈の合掌ごと鼻を打つようにして放たれた。平手というよりは掌打に近いその一撃に、孝奈はさっきよりも大きなうめき声をあげて後方に倒れこみ、後頭部を壁に激しく打ちつけた。両手で抱えあげた石を土の上に落としたときのような、鈍く太い音が響いた。空気が一瞬、ひやりとするのがわかった。
「すんません」あおむけに倒れたまま孝奈は言った。「すんませんでした」
 だれもなにも言わない。孝奈は合掌した両手の人差し指で鼻の付け根のあたりをやわらかく押さえたまま、口で激しく呼吸をくりかえした。鼻血が詰まって実際に鼻呼吸ができなくなっているのか、恐怖や緊張のせいで息が荒くなってしまっているだけなのか、あるいはすでに十分な制裁を受けたことをアピールするためにそうしているのか、自分でもまったくわからなかった。涙の膜が張った視界のなかで、天井からつりさげられているランプの光が、黄金色のハレーションを起こしている。目に映るものすべての輪郭があやしくにじんでいるなかで、ワイン棚からはみだしているボトルの先端だけが、はっきりと痩せほそってみえた。そのボトルで殴られるかもしれないという考えが、差しせまったものとして不意に浮かびあがった。
「すいませんでした」
 鼻声でそう口にしてから、起きあがろうとしたが、体に力が入りにくかった。夢のなかでヤンキーにからまれたときとよく似ていた。込めた力をそこにしっかりたくわえておく芯のようなものの底が抜けているのだった。それでも無理やり起きあがろうとすると、半分だけひっかかるようにして座面に残っていた尻が、ベンチからずるりと落ちた。テーブルとベンチのあいだに反転しながらずり落ちた下半身にひきずられるようにして、上半身もそのままベリーロールのようにぐるりと回転しながら落下しかけたが、そこでまたフードをひっつかまれた。首の皮を噛んで運ばれる子猫のように上半身が宙づりになり、喉がさっきよりもさらにきつく締まり、顔全体が一瞬で熱を帯びた。襟元の付け根がびりっと音をたてると、締まっていたものが少しゆるみ、孝奈は自分でも驚くほど大きな声を出してゲエッとえずいた。横隔膜が口から飛びでるのではないかというほど持ちあがり、くちびるの端から粘度の高い唾が糸をひいて落ちた。涙もとうとうしずくとなってぼたぼた床に落ちた。
 荒い呼吸をくりかえしながら、ベンチに座りなおした。鼻血がユナイテッド・アローズの股ぐら付近にやはりぼとぼとと音をたてて落ちた。口で息をしながら、涙がこぼれ落ちたために多少見やすくなった視界のなかで、生地に染みこみきる前の鮮やかな血痕を数えた。三つ、四つ、五つ。家にあるものもふくめて、もうすべての服とスニーカーを失ってもいいので、どうか解放してくださいと、朦朧とする頭で神様に取引を持ちかけた。
「おい」
 個室の入り口で直立している菅田にジャージの男が声をかける。菅田はさっとジャージの男のほうに身を寄せ、包装されたままの紙おしぼりを差しだした。ジャージの男は包装を破り、取りだした紙おしぼりで自分の右手の指先についた血を、つめの隙間までゆきとどくように几帳面にぬぐった。それから使い終わったものを孝奈の眼前に突きだし、「拭け」と言った。孝奈は心の底からほっとした。ジャージの男の慈悲深さにほとんど感謝の念すらおぼえた。こんなに優しい人間はほかにいないと声に出して訴えたいくらいだった。軽く頭をさげて紙おしぼりを受けとり、鼻と口のまわりをおそるおそるぬぐいながら、涙をさらにぼとぼとと落とした。
「鼻詰めとけ」
 ジャージの男に言われるがまま、ぶるぶると震えまくる指先で厚手のウェットティッシュみたいな紙おしぼりをちぎって丸め、左の鼻の穴に詰めた。詰め終わったところで、顔を少しだけあげると、待ち受けていたかのように頬を張られた。油断していたので、それほどの力ではなかったはずであるのに、派手に吹っ飛んでしまい、側頭部を壁にごつんとぶつけた。ぶつけた衝撃で、鼻の穴に詰めたばかりのものが抜けかけた。
 壁にこめかみをこすりつけた状態で、孝奈はしばらく口ではあはあと息をくりかえした。なんとかして許してもらおうと、まるでファウルを得ようとするサッカー選手みたいに、体が勝手に演技をしていた。それと同時に、さっきの感謝の念を返せという悔しさがおこり、そのことを自覚した途端、痛みに由来するものではない涙が、目ではなく鼻の奥あたりからつんと湧きあがった。身体は壁際に寄ったまま動こうとしなかった。おびえやひるみというよりもあきらめや自棄に近いものが、意思や打算とは無関係に、ここではじめて反抗らしい反抗をとったのかもしれなかった。反抗はジャージの男との距離として表現されていた。
 その距離を容赦なく詰める手があった。フードをひっつかまれ、ひきよせられる。体の垂直に起きたところで手は離れたが、いきなり宙ぶらりんになった上体が積木の塔のようにその場でぐらりとゆれたところを、おなじ手がすぐさまきつく張った。今度はこめかみのあたりに当たったので、さほど痛くなかったが、制裁がまだ終わりでないという事実によってへし折られるものがあった。くちびるがぶるぶると震え、喉の奥で蚊の音のような声が漏れた。涙が堰を切ったように次から次へとこみあげて、瞳で張りつめてこらえているものを押し流した。顔を軽く伏せて目を閉じると、あふれかえったものがぼとぼととしたたり落ちた。涙だけではなかった。鼻水のたっぷり混じった鼻血も落ち、降りはじめの雨のような音が一瞬間だけ続いた。鼻をすすると、ずるっというまぬけな音がした。心が完全に折れてしまったことを周囲に告げるその音を、孝奈はもうはずかしいとは思わなかった。同情をひくことができるかもしれない唯一の手段として、むしろ何度も何度もくりかえした。
 その横面を張られた。側頭部を壁にぶつけた拍子に、左の鼻に詰めていたものが今度は完全に抜けて、そのまま床に落ちた。壁にこめかみと右肩をこすりつけるようにしながら、自分の体が頭を撃たれた直後の死体のようにずるずると崩れていくのを、孝奈はもはやひきとめようとしなかった。右肘を突き、尻の左半分だけを浮かせた横倒しの姿勢のまま、もう一度フードをひっぱりあげられるのをただじっと待つ。鼻から垂れ落ちてきた血がくちびるに達する。床に落ちた紙おしぼりの真っ赤な先端は、漬物のようにひたひたになっていた。
「知ってんだろ?」
 長谷村が言った。声は孝奈に向けられていない。
「はい」菅田の恐縮した声が聞こえる。「知ってます」
「仲良かったの?」
「いや、良かったっていうほどではないですけど」
「高校?」
「はい?」
「高校一緒だったんだっけ?」
「いえ、中学ッす」
「中学か」
「説明不足でした、すみません」
「おまえそれ口癖だよな」長谷村は笑った。「説明不足でしたって」
 孝奈はおそるおそるそちらに視線を向けた。菅田は個室の入り口で背筋をぴんとのばして突っ立ち、ひいた顎を立てた襟にうずめるようにし、ひきつった笑みを浮かべていた。
 長谷村は煙草の煙をふうっと吐きだした。「つるんでたの?」
「いえ、そんなでもないです」
 菅田はそう言いながらテーブルのそばに一歩だけ寄った。孝奈のほうには目を向けず、椅子に腰かけている長谷村のほうに目線を合わせるようにやや前かがみになりながら、完全にちぢみあがっている内心をこわばった笑みでひたむきに隠そうとしている。遠目にはスラックスのようにみえたズボンは、実際にはブラックデニムのようだった。真ん中にターコイズの埋めこまれたバックル付きの、真っ白な革ベルトを締めている。
「でも何回か、共通の友人と遊んで、集まったりしたこととかあります、はい」
「悪いことしてたんだろ? カツアゲ橋の下で原付乗りまわしてたんじゃないの?」
 ジャージの男が鼻でふっと笑った。それに気づいた長谷村が、な、と同意をもとめるのに、なつかしいっすね、と答える。
「いえ、自分たち中坊んときは全然そこまで」菅田は恐縮したようすで答えた。
「ほんとか、おまえ〜?」
「自分、中坊んころは橋渡るときいつも財布から札抜いて、全部靴下に隠してました」
「おったな、そういうやつ」ジャージの男が明るい声で言った。
「高校は別?」
「中学んときに転校して、こっちにもどってきたのがその後何年かしてからなんで」
「おまえが?」
「いえ」
「これが?」
 長谷村は視線を菅田のほうに向けたまま、煙草を手にした指先で孝奈を指した。
「はい」菅田はうなずいた。「すんません、説明不足で」
 やりとりのあいだ、菅田は一度も孝奈のほうを見ようとしなかった。長谷村から目を逸らさず、相手のひとことひとことにいちいちしっかりうなずき、一秒も待たせてはいけないとばかりにすばやくはっきりした声で返事をする。
「なんで転校したの?」
 長谷村は灰皿の上に煙草の灰を落としながら、そこではじめて孝奈に直接問いかけた。孝奈のほうを見てそう口にしたわけではなかった。目線はあくまでも手にした煙草が灰皿の縁を軽くたたくようすにそそがれていた。ただ顔の向きを菅田のいるほうからわずかにそらしてみせたその動きで、自分が返事をもとめられているのだとわかったのだった。分厚いまぶたにただでさえふさがれがちな左目の、伏し目になっているせいでますます隠れてしまっているのが外斜視であることに、孝奈はそのときはじめて気づいた。返事が遅れたらまた殴られるという頭があったので、体は起こさず壁にしなだれかかるような姿勢のまま、ただ唾を飲みこみ少しだけ咳払いをしてから、親が離婚して、と答えた。ジャージの男がすぐにフードに手をのばした。生地が破れたのか、ゴムがのびきってしまったのか、フードをひっぱっても孝奈の上半身がぴったりついてこないことに気づくと、今度は頭頂部から髪の毛を思いきり鷲掴みにした。そのまま孝奈の左耳を自分の口元にぐっとひきよせ、「敬語!」とドスを利かせた声を張りあげると、髪の毛を離した直後の手で後頭部を力いっぱいはたいた。はたかれたいきおいで前のめりになった孝奈は、そのままテーブルの角に額を打ちつけそうになった。ぎりぎりのところでとどまったが、腰のあたりに変な力が入ってしまい、ぴりっとした痛みが背中全体に走った。鼻血と鼻水の混ざったものがぼたぼたっと、重い音をたてて床に落ちた。
「いつこっちもどってきたの?」
「二年前です」
 答えてから孝奈はおそるおそる顔をあげた。下を向いたままだと、それを理由にまた殴られるかもしれない。
「なんで?」
「母親と一緒に出て、出たンですけど、一緒にいるのが嫌になって」そこまで答えたところで、いったん咳払いをした。声が震えているのを、菅田に知られたくない。「こっちもどってきました」
「なんで嫌だったの? 男連れこんでたの?」
 孝奈は返事に詰まった。長谷村の声色には嘲笑が混じっている。打たれた頬がますます赤くなるのがわかる。鼻の奥がふたたびつんとするのを、奥歯を噛んでこらえていると、ジャージの男の手がゆっくりとのびてきて、後頭部をふたたびはたかれた。今度は踏みとどまることができず、テーブルの縁に額を打ちつけた。灰皿やグラスがゆれて、がちゃんと音をたてる。
「返事」ジャージの男が言う。
「お母ちゃんがほかの男にとられたら嫌だもんな」孝奈の返事を待たずに長谷村が言った。「男はみんなマザコンだって言うしな、おれも母親の葬式では馬鹿みたいに泣いたわ」
 長谷村の言葉は問いかけのかたちをなしているようでもあれば、ひとりごとのようでもあった。どう反応するのが正解なのかわからない。孝奈は次の言葉を待ちながら、いつまたはたかれてもいいように、痛む背筋にそれでも力を込めた。
「いま父ちゃんと住んでるの?」
「いえ」すぐに答える。「兄といます、住んでます、一緒に」
「父ちゃんは?」
「死にました」
「死んだ?」
「はい」
 長谷村は歯をむきだしにして笑みを浮かべると、「同情の余地があるな!」と大きな声で言った。テーブルから身をひき離し、暖色系の照明を受けて黄色っぽくみえる白壁にもたれかかりながら、菅田のほうを見やり、「なあ!」と同意をもとめる。
「おまえよりよっぽど苦労してるぞ!」
「はい! 自分もそう思います」
 菅田が緊張した声で返事をする。なあ! と長谷村がふたたび同意をもとめるのに、はい! はい! と菅田はその都度鶏のように首から上だけを前後にすばやく動かして相槌を打つ。
 長谷村は右手に持っていた煙草の先端を昔ながらのアルミの灰皿にぐりぐり押しつけ、さあ、とため息まじりに漏らすと、その場にゆっくりと立ちあがった。立ちあがった拍子に、ふともものあたりがテーブルの縁にぶつかり、灰皿やグラスがまたがちゃんと音をたてるのに、孝奈の身体はびくりと反応した。「あ痛」とさほど痛くもなさそうに漏らす長谷村の起立に合わせて、孝奈のとなりに腰かけていたジャージの男もさっとその場に立ちあがった。
 長谷村はジャケットの内ポケットから財布を取りだすと、中から折り目のついていない一万円札を一枚抜きとった。
「足りるよな?」
「こいつは飲まさんからだいじょうぶです」
 長谷村の問いかけに、ジャージの男が菅田のほうを指しながら、子どものように目をほそめて答えた。
「飲めないの?」
「こいつ運転あるんで」
「おまえ鬼だなぁ!」
 長谷村は大きな声で笑った。相対するジャージの男もにこにこしている。菅田も無理してこわばった笑みを浮かべている。
「いいの、おまえ?」
「だいじょうぶです、自分これが仕事です!」
「じゃあ今度こいつにおごってもらえよ」長谷村はジャージの男のほうを顎で指して言った。
「はい!」
「はいやねえやろアホ」
 ジャージの男がすかさずそう言って菅田の頭をはたく。孝奈の後頭部をはたくときとはちがい、それほど力が入っていない。菅田もそうされるのに慣れているのか、ジャージの男が手をふりあげた瞬間、みずから頭頂部を相手のほうに差しむけてみせた。そうしたふたりのようすを満足気にながめていた長谷村が、不意に、ベンチに座ったままの孝奈を見おろした。この日はじめて目が合う。
「一杯おごってやりな、酒好きらしいから、なるべく強いのな」
 長谷村はそう言ってから、ジャージの男と菅田のあいだを通りぬけて、個室をあとにした。ふたりはフロアのほうに向きなおり、その後ろ姿に対して「ご苦労様です」と短く口にしながら頭をさげる。

 執筆を終えたところで腹筋を酷使する。プロテインを飲み、トースト二枚を食し、歯磨きをしながらジャンプ+の更新をチェック。1時をまわった段階ではやばやと寝床に移動。明日は(…)での授業なのでいつもよりはやく起きる必要があると考えての行動だったのだが、結局、4時前まで長々と書見することになった。The Garden Party and Other Stories(Katherine Mansfield)の続き。“The Stranger”を読み終わる。これは以前James Joyceの“The Dead”とペアにしてあれこれ日記に書いたおぼえがあるので、けっこう印象に残っている作品であるのだけれど、今回あらためて読んでみて、やっぱりすごいなと思った。ヨーロッパから船で帰ってきた妻を迎える夫のハイテンションっぷり、妻に対する戯画的なまでにまぬけな溺愛っぷりがさんざん描写されたあとに、反してどこか浮かないようすの妻が夫からの追及を受けてとうとう実は船内で若い男性を看取ったことを告白する。それも死の瞬間はふたりきりであったとまず口にされるその告白がどうしても想起させる、ふたりは旅路の過程で抜き差しならぬ関係になったのではないかという疑いが、そうではなくたまたま男が倒れる瞬間その場に妻が居合わせただけであったと続く言葉によって否定される、しかしそれに重ねて男が妻の腕の中で息絶えたことが語られる。この話を聞いた夫は大きなショックを受け、再会の夕べと夫婦水入らずの時間が完全にスポイルされてしまったことを嘆く、“Spoilt their evening! Spoilt their being alone together! They would never be alone together again.”というフレーズで小説は終わる。
 これってある意味究極の寝とられ小説だよなと思った。仮に妻と若い男が肉体関係を結んでいたとしても、それはすでに先んじてむすばれていた妻と夫の関係の二番煎じでしかない。しかし妻の手のなかで絶命するというきわめて印象的かつ象徴的な行為を、夫は当然のことながらそれまで実行に移したことはない。だから換言すれば、ここで夫は、(ゲスい言い方をすると)若い男によって妻のはじめてを奪われているということになる。そしてそういう認識に対する嫉妬を超えた絶望のようなものがここでは描かれているといえる。
 補足しておくと、「ふたりは旅路の過程で抜き差しならぬ関係になったのではないかという疑い」を夫が抱いたとは、この小説のなかにまったく書かれていない。ただ、妻が船での出来事を語る際のその情報の出し方、小出しにする順番からして、(その出来事を知らないという意味で夫と同じ立場に置かれている)読者の頭には、少なからずそのような疑いがよぎるようになっている。また、夫が妻の告白を受けてショックを受けたことは書かれているものの、それがどういう論理でのショックであるのかはやはり書かれていない(上の段落に書き記したような分析的な記述はいっさいない)。そういうところがやっぱりうまい。すべて言語化したくなる、出来事に意味の輪郭線を太くひいてしまいたくなる、読者に対する解説というよりはむしろ書き手自身の足場を固めるためになされるそのような要約的な言語化が、ここでは注意深くこばまれ、貴重な空白のまま手付かずで置かれている。だからすごく上品な印象を受けるのだ。妻の腕のなかで息絶えた若い男の姿とペアをなすかのように、告白を受ける前の夫が妻をじぶんのひざの上にのせていたり、あるいは告白を受けたあとにその妻の胸に顔をうずめたりするという形象的な細部の連動もちょっと気になる。

20230509

 議論が少々抽象的になった感があるので、ここで根源的幻想において主体が空の対象aと出会うという分析の終わりの部分を、分析主体の経験に沿って記述し直してみよう。
 根源的幻想とは、主体が大文字の他者を完全にするというエディプス的な幻想である。したがって、そこにおいて主体は、結局のところ欠如しているのでしかない大文字の他者を完全にするために、自らの存在が機能しているということに気づく。つまり、分析主体は「自分は大文字の他者のために存在していた対象であったのだ」と気づくのである。それはまた別様に言えば、自分の人生を方向づけていた享楽の残余への固着を知ることでもある。こうした洞察を通して、分析主体は「私はこの幻想に捕らわれて人生を過ごしてきたのだ」と実感し、そうした幻想を失墜させるに至る。こうして主体は大文字の他者の欲望を欲望しなくなり、大文字の他者から離れていく。主体の欲望はここから対象aに基づいた享楽的な色合いを帯びた欲望となっていくだろう。
 以上のような過程は幻想の横断(traversée du fantasme)と呼ばれ、これによって特徴づけられる幻想の臨床は、一つの論理にしたがってパスという一つの出口を提供していることから純粋精神分析(psychanalyse pure)と呼ばれる(…)。それはまた対象aの分析、より正確に言えば、対象aを巡る分析と言うことができよう。
 分析主体がこうした過程を辿る際、分析家は知を想定された主体の位置にいる。分析家が解釈の際に意味する内容が明示的な解釈を主体に提示をすれば、愛によって分析が一つの真理で止まってしまうことがある。そうなれば、主体はシニフィアンを数え上げることを止め、幻想を横断して根源的幻想を構成することはできなくなり、分析は擬似的な終わりを迎えることになってしまう。そこでそうした事態を避けるために、分析家は身を与えない解釈、無-意味な解釈をして、主体に自らのものとしての幻想を反覆させる。そうした解釈としては、例えば、意味を空白のままにすることである面接の切り上げ、つまりはスカンシオン(scansion)や解釈できるところで敢えて解釈をしないことである沈黙(silence)などが考えられる。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第四章 ラカン第二臨床あるいは幻想の臨床」 p.89-90)



 正午前後に目が覚めた。腹痛がした。下痢だなと思ったが、トイレに行っても何も出ない。それを二度か三度くりかえした。メシは第五食堂で打包した炒面(今日は面条ではなく方便面にしてみた)。
 (…)先生から微信。今日の夜に会議があるのだが、そこで来学期の時間割を決める必要があるという。去年通りであるならば、三年生の日語閲読(三)、二年生の日語会話(三)と日語基礎写作(一)、一年生の日語会話(一)ということになるのだが、それでかまわないかというので、(…)のほうでも二年生の日語会話(三)と日語基礎写作(一)および一年生の日語会話(一)があるのではないかと質問。それにくわえてスピーチコンテストの指導もあるとなると、さすがにスケジュールがきついし、どうしたものかとこちらも考えていたのだと受けると、スピーチコンテストについては、これまでのように別枠で賃金が発生しないことに決まったという報告があった。以前もそんな話を聞いたが、正式にそういうかたちになったらしい。決定は外国語学院のみならず大学全体のもの。例によって(…)先生は(日本語学科の主任であるにもかかわらず!)中国語でしかこちらにメッセージを送らないので、ちょっと把握しかねるところもなくはないのだが、これまでであればだいたい300节分の賃金が給料とは別に指導教師に山分けするかたちで支払われていた。それが、コンテストで入賞しなかった場合、たった10节分の賃金しか支払われなくなるという。実質ただ働きみたいなもんだ。この決定について(…)先生は、われわれ中国人教師が損をするべきであり、外国人教師に損をさせるべきではない、みたいなことをいった。ということは、こちらがそう望みさえすれば、スピーチコンテストの指導から外れることもできるということだろうか? しかしそれで代表の学生らは納得するだろうか? しないんじゃないだろうか? (…)については、来年から(…)学院として独立することに決まっているという(うわさ話はやはり本当だったらしい)。そうなった場合、われわれ(…)の教師がかかわる必要はもうない。いちおう来学期には日本語学科の一年生が入学することになっているのだが、その年を最後に、(…)学院として独立後は日本語学科そのものが廃止になることに決まっている。そういう状況であるので、(…)先生としては、彼自身(…)の日本語学科主任であるという立場もあるからだろう、こちらにはなるべく(…)の授業を担当してほしいと考えているようす。また、(…)の新入生は2クラスになるという話もあった。しかるがゆえに来学期の日語会話(一)は2クラス分やる必要があるとのこと。今後ずっと新入生が2クラスずつ来ることになったら、単純計算で授業時間が二倍になるわけで、それはけっこうきつくないか? 1クラスの人数が減れば、その分、会話の授業はかなりやりやすくなると思うが。
 それで話をまとめる。(…)はいったんないことにすると、来学期こちらが担当する授業は、三年生の日語閲読(三)、二年生の日語会話(三)と日語基礎写作(一)、一年生の日語会話(一)×2の10节ということになる。しかし仮にここにスピーチコンテストの指導が加わるとなると、さすがにちょっとやっとれんくらい忙しくなるので、そうなるのであれば授業をひとつ減らしてほしいといった。その場合、会話の授業も作文の授業もネイティヴ以外にまかせるわけにはいかないので、こちらがおりるのは必然的に三年生の日語閲読(三)ということになる。だったら閲読は(…)先生にまかせると(…)先生はすぐにいった。ということは、いま、暗黙のうちに、こちらは例年どおりスピーチコンテストの指導教師をつとめることに決まったという理解でいいのだろうか? 別枠の賃金が発生しないのは正直かなり痛いが、普通の授業の代わりに準備のそれほど必要ない授業を割り当てられるのだと考えれば、別におおきく損した感じはしない。それに、スピーチコンテストの指導は、優秀な学生らと親しくなる良いチャンスでもある。
 そういうわけでいちおう来学期の予定は決まったわけであるが、(…)のほうがどうしても(…)先生に来てほしいとお願いしてきた場合、来学期もやはり出張ってもらうかたちになるかもしれないという話が最後にあったのはちょっとあやしい。いや、絶対そうなるでしょという感じ。まあ、そうなったらそうなったで、じゃあスピーチコンテストの指導についてはもう一度考えさせてくださいと言えばいいのか。しかし契約書には毎週7节がリミットとして記載されているわけで、通常授業5节+スピーチ指導2节をするようにと指示されても、少なくとも契約上はすごすごと従うしかない。ま、こちらがよその大学に移ることを懸念して、そういうぎりぎりめいっぱいの時間割を提案してくることはないと思うけど。

 メシを食ったあとも腹の調子がおかしかった。ちくちくする痛みではない、下痢の前兆みたいな急にくるあの痛みがおとずれるのだが、便所に行ってもなにも出ないか、ふつうのクソが出るだけでしかない。で、その痛みも次第におさまっていったのだが、授業中に突然やばい下痢ラ豪雨に襲われることになったらイヤだなと思ったし、それに今学期はまだいちども授業を休んでいないしで、今日はもういいかな、休んじまおうかなとなった。一度そういう考えが浮かんだらもう終わり。そういうわけで二年生のグループチャットに体調不良なので休ませてくださいと通知を送った。
 しかしその後、結局、下痢ラ豪雨に見舞われるようなことはなかった。万事つつがなく平穏に過ぎた。いちおう病人のていでベッドにもぐりこんでいたのだが、だからといって眠りこんでしまったら生活リズムが狂うだけなので、Grim Tidesを小一時間ほどプレイ。メインストーリーのボスをやっつけた。毒+クリティカル+回避を中心としたアサシンスタイル。攻略サイトのたぐいは一切見ていない。
 ごろごろしていてもしかたないのでデスクに向かい、きのうづけの記事の続きを書いた。投稿し、ウェブ各所を巡回する。途中、三年生の(…)さんからスピーチコンテストの原稿修正+録音依頼が届いた。19日(金)に校内予選が実施されるらしい。金曜日ということは(…)一年生の日語会話(一)が潰れるかたちになるのか。できれば授業がふたつある火曜日に実施してほしかったというのが本音であるが、ほかでもないその火曜日である今日こうしておやすみにしたわけだから、まあいいか。(…)さんはかなり優秀な学生であるし、おそらく大学院進学を目指すだろうから、スピーチコンテストも学籍番号の持ち回り制にしたがって校内予選に出場するだけで、本戦に参加するつもりはおそらくないだろう。原稿をざっと斜め読みしてみたのだが、おもいのほかまずい文章だったので、え? 写作の授業があった一年前よりずいぶん悪くなってないか? とびっくりした。修正と録音は明日する。

 第五食堂で夕飯を打包。帰宅して食し、仮眠をとろうとするもとれず、デスクに向かって一年前の記事の読み返し。2022年5月9日づけの記事。この日は2012年4月前半の記事を読み返している。ドゥルーズの『記号と事件』の抜き書きが目立つ。

創造は、創造のネックとなるものがあるところでおこなわれるものなのです。一定の国語のなかでも、たとえばフランス語を使う場合でも、新しいシンタクスはかならず国語内の外国語となるのです。ものを創る人間が一連の不可能事によって喉もとをつかまれていないとしたら、その人は創造者ではありません。創造者とは、独自の不可能事をつくりだし、それと同時に可能性もつくりだす人のことです。発見するためには、マッケンローのように壁に頭をぶつけていなければならない。壁がすりへるほど頭をぶつけなければならないのは、一連の不可能事がなければ逃走線、あるいは創造という名の出口を、そして真理を成立させる〈偽なるものの力能〉を手に入れることができないからです。

かくかくしかじかの点について見解も考えももたないというのはとても気持ちがいい。私たちはコミュニケーションの断絶に悩んでいるのではなく、逆に、たいして言うべきこともないのに意見を述べるよう強制する力がたくさんあるから悩んでいるのです。旅をするとは、出かけた先で何かを言ったかと思うと、また何かを言うために戻ってくることにすぎない。行ったきり帰ってこないか、旅先に小屋でも建てて住むのであれば話は別ですけどね。だから、私はとても旅をする気になれない。生成変化を乱したくなければ、動きすぎないようにこころがけなければならないのです。トインビーの言葉に感銘を受けたことがあります。「ノマドとは、動かない人たちのことである。旅立つことを拒むからこそ、彼らはノマドになるのだ」というのがそれです。

さまざまな人の生涯で面白いのは、そこに含まれた空白の数々、つまり劇的なこともあるし、場合によっては劇的ですらないこともある、欠落部分だと思います。何年間にもわたるカタレプシーとか、ある種の夢遊病のようなものなら、たいていの人の生涯に含まれている。運動が成り立つ場所は、こうした空白のなかにあるのではないでしょうか。いかにして運動を成り立たせるか、いかにして壁を突き抜けるか、と問うことこそ、難局を切り抜ける道だからです。だとしたら動きすぎることも、しゃべりすぎることもないように気をつけるべきではないか。偽の運動を避け、記憶が消えた場所にじっとしているべきなのではないか。フィッツジェラルドがみごとな短編を残しています。十年間の空白をかかえて、ある人物が町を歩くという話です。これと正反対の問題がもちあがることもあります。空白ではなくて、定数外の流動的な追憶が過剰なまでに増殖し、それをどこに置き、どこに位置づけたらいいのかわからなくなる状態(そんなこともあったな。でも、あれはいつだったのだろう)。こうした追憶は、どうあつかったらいいのか見当もつかない。余分の追憶だからです。七歳のときだったのか、十四歳の、あるいは四十歳のときのことか。人間の生涯で面白いのは、いま説明したふたつの状態、つまり健忘症と記憶過剰なのです。

そもそも哲学は議論といっさい関係をもたないはずです。誰かが問題を提起するとき、その問題はどのようなものであり、どのようなかたちで提起されるのか。これを理解するだけで一苦労するわけですから、ただひとつ必要なのは提起された問題を充実させることなのです。問題の裏づけとなる条件に変化をもたせ、これを補足し、連結することがもとめられているのであって、議論している場合ではないのです。

だから、ふたりで書いたところで特に問題はないし、そもそも問題などおこりようがないのです。けれども、もし私たちがほかならぬ個人であり、各人が自分に固有の生活と固有の意見をもち、相手に協力して議論する気になったら、そのときは問題が発生する。フェリックスと私は、どちらかというと小川のようなものだったと申しあげたのは、個体化とは、かならずしも個人にかかわるものではないという意味だったのです。自分が個人であるのかどうか、私たちはまったく確信がもてない。空気の流れ、そよぐ風、一日の流れ、一日のうちのある時間、小川、場所、戦い、病などには非=人格的な個体性がある。つまり固有名があるのです。こうした固有名を、私たちは「此性(haecceitas)」と呼びます。〈此性〉同士はふたつの小川、ふたつの川のように組み合わせることができます。言語のなかでみずからを表現し、言語に差異を刻み込むのは〈此性〉ですが、個体ならではの生を〈此性〉に与えて、〈此性〉と〈此性〉のはざまを何かが流れるようにするのは言語のほうなのです。意見を述べるときは誰でも同じような話し方をするもので、「私」を名乗り、自分はひとりの個人だと思い込んでいるようですが、これは「太陽が起きあがる(=太陽が昇る)」という慣用表現に疑問を感じないのと同じことです。けれども私たちには、それで当然と思えないし、個人というのはけっして正しい概念ではないはずです。フェリックスや私、そして私たち以外にも多くの人びとが、自分のことをかならずしも個人とは思っていないのです。むしろ私たちには〈事件〉の個体性があると考えたほうが正しいのですが、これはなにも大げさなことを言っているのではありません。〈此性〉というのは控え目で、場合によっては顕微鏡をのぞかなければ見えないほど小さなものなのですから。私はこれまでどの著作でも〈事件〉の性質を追求してきましたが、それは〈事件〉が哲学の概念であり、「ある」という動詞と、属詞とを失効させることのできる概念は他にないからです。そう考えれば、ふたりで書くことは不思議でもなんでもない。何かが伝わり、何かが流れ、その一筋の流れだけが固有名をもつようになれば、それでじゅうぶんなのです。ひとりで書いているつもりでも、かならず誰か他人が関係しているものだし、しかもその他人は名前を特定できるとはかぎらない他人であるわけですから。

(…)ところが芸術家は、涸れた生に甘んじることも、個人の生活で満足することもできない。自分の内面、自分の記憶、自分の病を語っても書くことにはならないからです。書くという行為には、生そのものを変容させ、個人を超えた何かにつくりかえよう、生が閉じ込められていたら、そこから生を解き放ってやろうという明確な意図がある。芸術家や哲学者は健康状態がすぐれなかったり、からだが弱かったり、精神的に均衡がとれていなかったりすることが多いですよね。スピノザニーチェ、あるいはロレンスのように。けれども彼らを最後にうちのめすのは死ではなく、むしろ彼らがその存在に気づき、身をもって生き、考えぬいた生の過剰なのです。彼らにとっては大きすぎる生かもしれませんが、それでも彼らの力があればこそ「兆しは近い」ということにもなる。『ツァラトゥストラ』の最後や『エチカ』の第五部を見てください。書くということは、来るべきものとして想定され、まだ自分の言語をもたない人民のためにおこなわれる行為です。創造とは、いわゆる伝達ではなく、耐久力をもち、抵抗することです。

マイノリティとマジョリティは数の大小で区別されるものではありません。マイノリティのほうがマジョリティより数が多いこともあるからです。マジョリティを規定するのは、遵守せざるをえないひとつのモデルです。たとえば平均的ヨーロッパ人の成人男性で都市の住民……。これにたいして、マイノリティにはモデルがない。マイノリティは生成変化であり、プロセスであるわけですからね。マジョリティは誰のことでもないともいえるでしょう。誰であろうと、いずれかひとつの面で、マイノリティへの生成変化に巻き込まれているものだし、生成変化の道を歩む決意ができていさえすれば、誰もが未知の旅路をたどることができるのです。マイノリティがみずからモデルを構築するとしたら、それはマイノリティがマジョリティになりたいという願望をいだくからにほかなりません。たぶん、生き延びたり、救済を見出したりするためには、そうするしかないのでしょう(たとえば国家を構えたり、認知してもらったり、みずからの権限を押しつけたりする場合がそうです)。しかしマイノリティの力能は、あくまでもマイノリティ自身がなしえた創造から生まれるわけで、マイノリティによる創造が少しばかりモデルのなかに流れ込んだとしても、創造がモデルに依存することにはなりません。人民は常に創造的なマイノリティであり、たとえマジョリティを征服したとしても、変わることなく創造的なマイノリティでありつづけるのです。

 こうやってひさしぶりに読み返してみて思うのだが、『記号と事件』に収録されているドゥルーズの語りというのは、なかなかけっこうアジテイトする調子をおびている。
 それから10年前の記事、すなわち、2013年5月9日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。体調を崩しているときはFF10をはじめとするRPGのストーリー動画を視聴するというなぞの習慣がすでにこのときできあがっているらしい。

一連の動画をすべて視聴しおえるころには2時をまわっていた。身体が弱るといつも物語を欲してしまう気がする。ホスピスの患者が現実的な死を間近にひかえて宗教に走るのと似たようなものかもしれない。あるいは単純に、弱った身体では物語の安易さに対抗する複雑な形式を備えた作品を楽しむだけの体力やゆとりがないというだけのことなのかもしれないけれど。さらにはこう考えることもできるかもしれない。つまり、ただじっとして布団に横になっているということができないという時点で、たとえ見かけ上はどれだけ複雑なものであろうと結局じぶんは物語の慰めを欲しているのだと。無為の平板さと退屈の単純さに身を置くことこそが、物語にたいする革命的な位置取りの最たるものである。

 そのまま今日づけの記事も途中まで書いた。20時になったところで寮を出て、第五食堂近くのパン屋でクリームパンをふたつ買った。ついでに第五食堂の一階にある売店でコーラも買った。部屋にもどり、フリースタイルし、浴室でシャワーを浴びたのち、「実弾(仮)」第四稿執筆。21時半から0時半まで。シーン25を延々と加筆修正する。手応えあり。いい感じになりつつある。
 夜遅く、二年生の(…)さんから微信。スピーチコンテストではパワーポイントを使ってもいいのだろうかというので、だめだと返信。(…)さんといえば、クラスでもっともレベルの低い学生のひとりであるし、そもそも足を骨折したために今学期の授業はほぼすべて欠席している、にもかかわらず校内予選に出場する気でいるのだろうかとふしぎに思ったところで、あ、彼女も持ち回り制でやむなく出場せざるをえなくなっているのかもしれんなと察した。
 懸垂する。クリームパンをふたつとも食す。ジャンプ+の更新をチェックし、歯磨きし、またフリースタイルするが、今日はあたまも舌も全然まわらずずっと下手。寝床に移動し、だらけて就寝。