〈記憶〉こそは、自己との関係、あるいは自己の自己による情動の、ほんとうの名前である。カントによれば、時間は、そのもとで精神が自己に影響するような形態であった。ちょうど、空間が、そのもとで精神が他のものに影響されるような形態であったように。時間とはそれゆえ、主体性の本質的な構造を構成する「自己情動」であった。しかし、主体あるいは主体化としての時間は、記憶と名づけられる。後でやってきて忘却にさからう、あの短い記憶ではなく、現在を二つにし、外を二重化し、忘却と一体になっている「絶対的記憶」である。この記憶はそれ自体たえず忘れられて再形成されるからである。その襞はまさに、広げられた襞と一体である。なぜなら、広げられた襞は、襞のなかに折り畳まれていたものとして現前し続けるからである。ただ忘却(広げられた襞)だけが、記憶のなかに(襞そのもののなかに)折り畳まれていたものを再び見出すのである。フーコーが最終的に再発見したハイデッガーがここにいる。記憶に対立するものは忘却ではなく、私たちを外にむけて解体し、死を構成する〈忘却の忘却〉である。逆に、外が折り畳まれるかぎり、内は外と共通の広がりをもつ。ちょうど、記憶が忘却と共通の広がりをもつように。こんなふうに共通の広がりをもつということが、生であり、長い持続である。時間は主体となる。なぜなら、時間は外の褶曲なのだから。そして、このようなものとして、時間はあらゆる現在を忘却のなかに導き、にもかかわらず、あらゆる過去を記憶のなかに保存し、忘却を回帰の不可能性として、記憶を再開の必然性として保存するのだ。
(ジル・ドゥルーズ/宇野邦一・訳『フーコー』)
11時過ぎ起床。朝方いちど大家さんが鍵を開けて部屋に入ってきた。灯油の残りをどうにか処分してほしいという訴えだったのだが、それについてはすでに以前四月になるまでは待ってほしいと応じている。ゆえにたいそうイライラした。ちょっとばかし邪見に対応してしまったかもしれない。睡眠を中断させられると相手が誰だろうと本気でイライラする。これは幼少期から一貫して変わらぬじぶんの性格だと思う。いわゆる低血圧というやつなのだろうかと思うが、しかし朝の寝覚めはわりと良いほうである気がせんでもない。仕事のある日は作業時間の確保のため朝4時か5時に起きていると言ったらとてもびっくりされて低血圧そうに見えるのにねーという反応が返ってきたことがこの間あったのだけれど、でもまあこれは遠足当日に早起きしてしまうみたいなものだな。明日は朝から書くぞ!と寝る前に念じればだいたいどうにかなるものだ。
朝食をとったのち野暮用をこなすべく外出。こんなにも風の強い日中に外に出るなどほとんど自殺行為に等しいわけだが仕方あるまい。まず近所の洋菓子店でホワイトデーのお返しのためのブツを購入。当日でも案外なんとかなるものだ。人気商品は余裕の売り切れだったけれど。それから銀行に行って金をおろす。今月分の家賃をまだ大家さんに渡していないのだ。いま住んでいる掘建て小屋の唯一のネックは歩いて数分でいける距離に銀行がない点だ。今出川か北大路まで出なければならない。全然たいした距離じゃあないわけだが、いちいち金をおろすためにそこまでいくのが億劫だというか、と、ここまで書いていて気づいたのだけれどそもそもアパートから銀行までの距離うんぬんが問題ではなくて、いまの職場に移ってから給料が手渡しでなく振込になったというのがいちばんアレなのかもしれない。そのせいで金がなくなるたびにいちいち銀行まで出張る必要が出てきたのだ。以前までは財布の中の金が一万円を切ったら引き出しの中に適当にぶちこんである給料袋の中から万札を新たに二枚引っこ抜けばそれで万事オーケーだった。アナログATM。こいつがいちばん便利なのだ。財布の中身が一万円を切ることは滅多にない。そう言うと職場のひとたちにたいそう驚かれる。客の残飯を食らって夕飯代わりにしている男の発言にはとても思えない、と。銀行のあとはそのまま図書館に立ち寄り、アラン・レネとニコラス・レイと『ブッダのことば』を返却し、スティングとレネ&ゴダールを借りた。それから生鮮館で買い物をすませ、朝から用事に出かけたときはなぜかいつも立ち寄るのがならいとなっているデイリーヤマザキに出向いてタコスとコーヒーを買って帰宅した。部屋の鍵がまた開いていた。やつの仕業だ。朝っぱらから起されたことを思い出してイラッとくる。この部屋にはアナログATMを設置することなどできまい。
部屋の照明を落とす。この部屋には窓がひとつもない。しかし玄関の硝子戸越しにさしこむ光はある。それを洗濯物で遮る。それからデスク付近のスタンドライトをひとつだけ点け、ココナッツの香を焚き、ヘッドフォンを装着してからテキストファイルに向う。目を閉じ、じぶんの中の深夜を呼び寄せる。15時。「邪道」作文。18時まで。プラス2枚で計462枚。いまひとつ捗らなかったような気がしないでもない。しかし難所をようやく乗り越えることができたらしいので、まあ良しとする。本当はもう少しねばりたかったが、本を読む時間がほしかったのでこらえた。作業途中なぜかいきなり口にピアスを開けたくなって色々と検索した。ピアッサーを買ったりするのもめんどうくさいし、なんかもうむかしみたいに安全ピンでいっきにグサーっとやっちゃおうかなと思った。やるとしても花粉がおさまってからだろうけど。そしてそのころにはたぶんどうでもよくなってる。スギからヒノキへとスイッチする数日間のあのおそるべき地獄にいまからひやひやしている。
筋トレ・夕食・仮眠・入浴。大家さんに家賃を手渡す。カボチャの煮付けやらたつくりやらサバの煮付けやらまたいろいろといただいたので夜食用にとっておくことにする。最近ちょくちょく見学者の方が来ているようだが入居が決まった部屋はあるのかとたずねてみると、現在空いている三部屋はすでに埋まったらしく、また近々空く予定の二部屋にも予約が入っているらしい。商売大繁盛だ。内訳を聞いてみるとすべて同志社生である。今年の四月からキャンパス移転にともなって8000人だかが一気に越してくることになるらしいのだが、こんな掘建て小屋が一瞬にして埋まってしまうなんてなんともすさまじい効果だ。というか冷静に考えてみて8000人ってやばい規模だ。8000人!8000人て!街が一変するレベルではないか。薬物市場はまだ大丈夫だとしても、ネコドナルドやらサイゼリアやらカフェ・喫茶店の類やらの利用率が激変する可能性がある。夜中まで開いていて作業可能なスポットというのはただでさえ限られているのに、この8000人問題によってますます追いやられることになってしまうかもしれない。少ないパイの取り合いになってしまうかもしれない。巣が奪われる恐怖。引っ越したい。もういい加減京都を出てしまいたい。本当だったら今年いっぱいを目処に日本にバイナラして賞金100万円を元手にバンコクかチェンマイあたりに引っ越して週休七日の日々を送りながら書いて書いて書きまくる毎日を送る予定だったのに。なかなかうまくいかないものだ。思いどおりにいかない。現実とは実にしぶとい抵抗力である。
23時からサイゼリヤで読書。『忘我の告白』を読み進める。二時間半で80ページ程度という現実にやはりじぶんの読書スピードは平均よりもかなり遅いんではないかと残念な気持ちになる。あと、ファミレスに深夜料金なるものがあることをすっかり忘れていた。サイゼリヤのコーヒーはものすごくまずい。あんなにまずいコーヒーなんてなかなかない。泥水のようなコーヒーという言い方があるけれども、まさしくこれだと思う。本当にまずい。部屋でインスタントを飲んだほうがずっとマシである。270円は席料として支払って、ウーロン茶を一杯か二杯飲み、それであとはもうドリンクバーには近づかないようにしたほうが懸命だ。とにかくまずいのだ。まずい。まずすぎる。まずすぎてかえってもういっぱい試しに飲んでみたくなる、そんなまずさだ。ほとんど稀少だといっていい。奇跡だ。福音だ。恩寵だ。ひとの世を疑うまずさだ。
帰宅後ふと思い立って古いブログ記事の整理にとりかかる。こことはもうひとつ別に非公開のブログをもっていてそちらにブログでない日記をつけていたり読んだ本観た映画聴いたCDの記録をつけていたり過去のブログ記事をまとめて収納していたりするのだけれど、2008年以前に書いたブログ記事をまだそちらに移行していなかったことを思い出したため、過去をかえりみるというアレもかねてこれから毎日ちょっとずつ埃をかぶった手元のテキストファイルから記事をひとつずつコピペして総本山ブログにデータを移行していくことにきめた。手元に残っているいちばん古い記事で2006年11月7日、これは文面から察するにおそらく「きみとその日暮らし」というタイトルで開始したFC2ブログの記事第一号だと思うのだけれど、本当はこれ以前にもgooでブログを書いていて、それは人生初のブログだったのだけれど日記ではなく小説や詩ばかりを書いてアップしていて、要するにすべてはそこから始まったのだった(しかし残念なことにデータはいっさい残っていない)。それ以前となるとブログではなく当時好きこのんで描いてはポストカードに印刷して高島屋付近で路上販売していたイラストをのっけたウェブサイト時代になるわけで、そこでもいちおう日記らしいものは書いていたけれどもたぶんその時点ではまだ文章を書くよろこびみたいなものに出くわしてはいなかったはずだ。2006年というと7年前。20歳だか21歳だかのころの話である。以下、今日移行した分の中から面白かったところだけ抜粋。いまに通ずる部分があるのかどうかよくわからんな。
気にするなよ、僕の日記なんてどうせ内容の八割が嘘でできているから(ちなみに残りの二割はバファリンでできている。決してやさしさでできているわけじゃない)。
(2006/12/20)
おとといに作ったチャーハンはきっと今までの中で最高の出来だっただけど、今日作った鮭とほうれん草のペペロンチーノは食べきるのに少し、時間がかかったあまり考えすぎないようにキーボードを叩くとわりかし、それっぽくなるロールシャッハテストみたいに要は解釈の可能性なのだろうけれどもそこに依存しすぎると心は動かねえなシュールレアリスムというのは女の指先よりも繊細で真冬の鉄柱より正直だ
(2007/1/15)
「はぐれメタルって、何のメタファーだと思う?」
遠足前日のワクワクとかよくいうけどさそれを体験したことのないやつらは一体どんな風な代替表現を用いるんだろう
僕は詩のような目つきをしていないし物語のような皮膚も持っていない
(2007/1/24)
*砂金と麻薬
春先の砂粒のように繊細な出来事が乾いた地底に無音でふりつもるたとえば砂時計静かな落下が堆積を織り成す様を経験と名づけようかそれならば経験の先祖は落下前の砂粒たちその意味が分かるだろうか春の日差しは紫外線を多分に含む夏のそれよりも有害だという芽吹きの風に誘われて困った人も現れる世間がほんの少し騒々しくなるいつかはいつかはさきっと誰もが想像するはずさいつかはいつかはさやさしい人と手をつないでここだけの話砂粒は本来赤く湿ったものなんだけれども誰もが忘れてしまっているそのほうが色々と好都合らしいから代償の重みも忘れて手の届くかぎりの素敵をかき集めて不安とは縁を切ったつもりでいる浮かれすぎた鼓膜は忍び足をとりこぼす春の香りは油断を誘う隙あらばもたげた毒針も機敏になる冬に安心感を与え夏に期待感を抱かせ麻薬のようにこころを狂わす有限性を無限性に無理を容易にむなしい想像力を現実の舞台装置にいつかはいつかはさひとなみのしあわせってやつをいつかはいつかはさ噛み締めながら夕食を共に口癖のようなその言葉がそうまるで効力を持たなくなる日もやってくる乾いた砂粒の中に混じる砂金を疑いなく信じる春色のそれに惑わされながら願わくば砂粒のこぼれおちきるまでに二本しかない手にいつだって歯噛みしながら
(2007/1/26)
あと、この当時記事のタイトルにお気に入りの歌詞の一節か何かをつけるのがならいだったようなのだけれど、その中に「髪に花をいっぱい付けたパンクロッカーに生まれたかった」というのがあって、このフレーズ自体にはなんとなく覚えがあるようなないようなという具合だったのだけれど肝心の元ネタが誰のものであるのかまるで思い出せず、それで検索をかけてみたところSandi ThomというひとのI wish I was a punk rockerという楽曲であることが判明したのだけれどこれがもうまったくといっていいほどぜんぜん覚えがなくって、誰だよそれという感じでとりあえずYouTubeにアップされていたPVをチェケラしてみたのだけれど(http://www.youtube.com/watch?v=vc2jDz6w-r4)、したらその瞬間、うわー!!!!これたしかに観た覚えがある!!!!聴いた覚えあるぞ!!!!と京都に来て最初に住んだアパートの万年床の上にのせた黒いノートパソコンをのぞきこんでいるじぶんの姿を含めて当時のあれこれがぶわーっとよみがえってきて大変なつかしい気持ちになった。わりとなんでもかんでも細かいことまで覚えているほうだという自覚があったのだけれど、このひとのこともこの曲のこともこの歌詞のこともこのPVのこともいまのいまにいたるまでたったの一度も思い出すことがなかったというその事実に歓びに満ちた驚きのようなものを覚えて興奮してしまい現在5時なのにぜんぜん眠れそうにない。すごい。記憶ってやつはどうにも掘り起こし甲斐があるものだ。この当時ってまだYouTubeってそれほど一般的でなかったというか「外国のウェブサイト感」がけっこう半端なかったしすごく重かったような気もする。ニコニコ動画とかもたぶんまだなかったんでないか(あるいはYouTubeにアップされている動画をそのまま流用していた時期だったんでないか)。