20130325

「きみのお祖父さんは、どんな風にして死んだんだい?」
と幼い学校の遊び友達が、ある日私にたずねた。
 すぐに私は伝説を作りだし、その話がうまくいけばいくほど私自身すっかり信じ込んでしまうのだった。
「ぼくのお祖父さんは白いひげをはやしていたんだ。そしていつもゴム靴をはいていた。ある日、うちの屋根の上から飛び下り、足が地上につくとたちまちボールのようにはずんで、今度は家より高く飛び上がってしまった。どんどん高く上っていって、とうとう雲の上に消えてしまった。こうしてぼくのお祖父さんは死んでしまったんだよ」
 この伝説を作ってしまって以来、小さな聖ミナス教会へいって、聖像画(イコナ)の下の、キリスト昇天の像を見るたびに私はそれを友達に指していった。
「ごらん! あれがゴム靴をはいたぼくのお祖父さんなんだ!」
ニコス・カザンザキス/秋山健・訳「その男ゾルバ」)

 翌朝、私はゾルバについて村までいった。私たちは、真剣で、実際的な人たちのように、亜炭鉱の仕事についてあれこれ話をした。斜面を下りて行く時だった。ゾルバが石を蹴ると、その石は、坂をコロコロころげていった。ゾルバは、まるでこんな驚くべき光景は生涯で初めてみたとでもいうように、しばらくびっくりして立ち止まっていた。そして私を振りかえると、その表情には胆をつぶしたような表情を浮かべていた。そして、やっと口を開いた。
「親方、みましたかい? 斜面じゃ、石だって生きかえるんですな」
ニコス・カザンザキス/秋山健・訳「その男ゾルバ」)



14時半起床。過眠。いくら三時間睡眠が二日続いた上での酩酊だったとはいえ寝過ぎだ。長々と寝そべっていたために体の節々が痛む。特に首がやばい。これは前夜違えてしまったのが原因なわけだが。ひどい寝違えのような症状である。首が回らない。首から右側の肩甲骨にかけての曲がりくねった筋に稲妻が走るような痛みを覚える。去年の夏、ちょうどタイにむけて出国する間際あたり、頸椎症が進行して手の指の先に痺れを覚えることがたびたびあったけれど、いま思えば、あれはかなりやばかったような気がする。(…)さん(…)さんと首にヘルニアを抱えているひとが職場に今ふたりいるのだけど、指や脇の下に痺れが出るところまで症状が進行していたと以前告げたら、ドン引きされた。痺れの有無というのはちょっとした分水嶺らしい。あのタイミングで出国したおかげで命拾いしたのだと、そういっても大袈裟ではないのかもしれない。あのままデスクワークを続けていたら車椅子生活になっていたんじゃないかと、メタルバンドのドラマーみたいな恐怖を覚えることもある。
きのう一昨日と出勤日だったためにか、ということは要するに外出を余儀なくされたということなのだが、その反動で鼻水と鼻づまりがひどい。丸めたティッシュを鼻の穴につめたままにしておくのだが、それもものの十分と経たないうちにぐちょぐちょになってしまって使い物にならなくなる。外出中はさることながら職場での勤務中も基本的にマスクは必ず装着しているようにしているのだけれど、それでいてこの体たらくなのだからざまあない。可能なかぎり部屋から出ない、出るとしてもなるべく日が落ちてからにする、洗濯物を外で干さない、症状が出る前から耳鼻科にいって薬の服用をはじめる、という基本含めてここまで予防を徹底しているにもかかわらず、毎度のことながらひどい症状に悩まされることになる。じぶんよりこの時期の花粉にたいして敏感ななひとに会ったことがいまだない。しんどい、しんどい、といっているひとがいても、耳鼻科に通うでもなければマスクを装着するわけでもなかったりして、そんなひとにかぎって薬なんてものには頼らず免疫力をうんぬんなどとなにやら説教くさく一丁前にほざいてみせるのだが、そもそもそれはあなたが薬を服用することなしにやり過ごせる程度の症状しか出ていないからではないかと、じぶんと他人とが別人であることを棚にあげることでしか生じようのないこの手の発想というのはどうしてこうもこちらをイラつかせるのか。
起き抜けのだるい体をひきずりながら便所に出かけたら大家さんからまたかしわの煮込みを食わないかとお誘いがあったのでいただくことにした。皿に盛ってもらったものを自室のレンジで温め直してから食べているとまた玄関の戸をガンガンやりだすのが聞こえはじめて、最近ではもうこの音を聞くたびにイラっとくるところがあるのだが(覚醒時に目覚まし時計のアラームを耳にするだけで気分が悪くなるあの現象と似たようなものだ)、おもてに出ると、えらいこのあいだは勝手に玄関の戸を変えてしもうてすみませんと、それはもうこのあいだ聞いたばかりであるし、かといってもうちょいこちらのプライバシーを尊重してくれといったって聞く耳もないだろうし、それにこうやって戸を開けたまま立ち話をしている間にも花粉がぐんぐん部屋に入ってくるわけであるし、と、何から何までげんなりしてしまう。四月から同志社の学生がアホみたいに増えて近隣が騒がしくなるであろうその見込みも含めて、すでに若干引っ越したい。というか京都を出たい。次に小金と無職の二大条件がそろったあかつきにはぜったいに京都を出よう。というか日本を出よう。
首の痛みがいかんともしがたい。どれだけ探ってみたところで痛みのない姿勢というやつがとれない。見つからない。こういう不調下にあって小説を書くのは好きでない。ゆえに自室でおとなしく『知の論理』を読み進めることにする。分節=文体の局所的反復とそのつど固有な布置の描出によるたえまなき構造変換を体現する構成、間に合わせの語彙という性質(たとえば恍惚体験がユダヤ・キリスト・イスラム教者にとって神の御業として表象・理解されるように)を活用した主題の二重化、わたしという固有性・わたしという事件・わたしという出来事をわたしのものではない言語で表象せねばならないという仕組みを逆手にとった人称操作など、来るべき次作についてぼんやりと考えを進める。
19時だか20時だか、そんなに腹の減っているわけでもなかったが、そろそろ何か食うかという気になって、けれど今日にかぎってどうも自炊をする気にもなれないので、王将でまた餃子一人前を無料券でゲットしてこようと寒風のびゅんびゅん吹きすさぶなかを出かけたのであったが、定休日だったらしく、しかたがないので近所の総菜屋にまで足を伸ばしたのだけれど、ネクラな宇川直宏みたいな部屋着のままロハスとかエコとかヨガとかに興味ありそうな女性らの集いがちなその店に入る気にもなれず、結局弁当屋で250円の弁当を買った。何の肉を使ってんのか知れたもんじゃあないが。夜にもかかわらずおもてでは花粉がぷんぷんにおっていて、というかこのほこりっぽいというべきかそれともけむりっぽいというべきかわからんがとにかくこのにおい、このにおいの発生源が花粉であるかどうかはまったくもって定かでないのだけれど、かれこれ二十年ほど花粉に悩まされてきている身体が、空気がこのにおいをはらみもつ時期イコール花粉症の激化する時期として記憶しているので便宜的に花粉のにおいと表現しているこのにおい、このにおいが夜にもかかわらずぷんぷんにおっていて、ああ嫌だ、ああ嫌だ、これがあとひと月も続くのかと思うとげんなりする。スギだけで終わってくれればいいものを、京都に来て二年目か三年目だったかにヒノキまで発症してしまったものだから、通行人の大半がマスクをとりはずす時期になってもまだまだ目を真っ赤に腫らして鼻をずるずるやっていなきゃいけないし、なによりこれから先もう一生お花見を楽しむことができないという縛りを受けてしまった。もともと夜桜のほうが好きな性分ではあるし、マスクを装着した上で翌日の反動を覚悟しさえすれば楽しむことができないわけでもないのだけど。というわけで今年も平野神社に夜桜を見に出かけたい。そしてじゃがバターを食べたい。できればそばには酔っぱらった女の子がいてほしい。おたがいのことはそれほど知らないほうがいい。おれはアレで狂って、きみは酒で酔っぱらって、ろれつはとっくにまわらず、キラキラするものに魅入り魅入られながら、震える指先でたぐりよせた幻覚をちょうちょむすびにして、むすびそこねた約束から順にきみにささげる、それが詩になる、ぎりぎりの言葉となって垂直に立つ、めざめたらもう手元にはない詩、めざめたらもうそばにない人肌、いつかはきみもアレで狂って、そのくせおれは正気に返って、もうとっくに壊れはじめている脳、もうとっくに回復しきっている傷、蛇行する文字列だけが見覚えのない体験談を自白する、夜を、奇蹟を、凍てついた炎を、たしかに果たされた口約束のこだまを、ひろがりきったきみの瞳孔に宿るおれの馬鹿げた似姿を。
この首の痛み! ジョギングどころか筋トレもできやしない。今週いっぱいはまともに体を動かせないとなると、足を挫いたせいでジョギングできなかった先週、そして兄の結婚式に出席するために帰省することになる来週含め、計三週間にわたってせっかく板につきはじめていたジョギングの習慣が絶えてしまうことになる。するとまた頸椎症やら背中や腰の凝り・だるさ・痛みなどがぶりかえすことになるかもしれない。なぜ、回転しはじめた習慣の歯車はこうもたやすく失調するのか。
読書の合間にこれ(http://www.youtube.com/watch?v=llM9MIM_9U4&feature)を観た。
入浴後は岩波文庫の『マンスフィールド短編集』を読みはじめた。収録作の大半は既読だ。マンスフィールドって作家としての確固たる位置を占めているといちおうはいえるのだろうけれど、それにしても2013年現在の日本ではまだまだ過小評価されているというか若干忘れ去られた作家と化してしまっている気がするのは(たとえば親交のあったウルフなんかに比べて)じぶん以外にこの作家にたいして頻繁に言及している小説読み/書きのひとに出会ったことがないからで、というかそもそも同時代の小説家ないしは批評家がマンスフィールドの名前を挙げている記述に出くわしたことさえないかもしれない。かろうじて思い出せるのは金井美恵子の『ページをめくる指』の中で論じられていた絵本の否定的な比較対象としてマンスフィールドの作品のひとつが皮肉っぽくやり玉にあげられていたくらいで、あとは絶無である。ゆえに彼女の名誉はカフカムージル、ヴァルザー、ベケットらの錚々たる顔ぶれにその名を並記してみせることによってじぶんが救うことになるだろう。あなたにマンスフィールドを愛しているとは言わせない。絶対に。なんとしても。

 「まってよう、イザーベル! キザイア、まってよう!」
 かわいそうに小さなロティはまたしてもあとにとりのこされた、ひとりで柵段を乗り越えるのがとってもむつかしいので。一段目に乗ると膝がガクガクしはじめ、柱にぎゅっとつかまった。それから片方の脚をまたがせなければならない。だけど、どっちのあし? どうしてもきめられない。やっとのこと、どうにでもなれというようにバタンと足踏みをして片方の脚をまたがせた――ところが、さあたいへん、そのきもちといったら。体の半分はまだ草地のほうで、半分はかもがやのほうだ。ロティは無我夢中で柱にしがみついて声をはりあげた。「まってよう!」
 「だめ、まってなんかやらないのよ、キザイア!」とイザベルがいった。「ロティはほんとにおばかさんよ。いつだって大さわぎばかりしていて。おいでよ!」イザベルはキザイアのジャージーをひっぱった。「いっしょにきたらあたしのバケツを使わしてあげるわ」とイザベルは親切げにいった。「あんたのより大きいのよ」けれど、キザイアはロティをひとりぼっちにしてうっちゃっていけなかった。ロティのところへかけもどった。そのときにはもうロティは顔をまっかにして息をハアハアさせていた。
 「ここんとこにもうひとつのあしをまたがせるのよ」
 「どこよ?」
 ロティはまるで山のてっぺんからのようにキザイアをみおろした。
 「ここよ、あたしの手があるとこよ」キザイアはそのところをたたいた。
 「ああ、そんなとこなの?」ロティは大きくためいきをついて二つめの脚をまたがせた。
 「さあ――からだをちょっとまわすようにしてこしかけてすべるのよ」
 「だってこしかけるところなんかないわよ、キザイア」
 やっとどうにかこうにか乗り越えた。そして、すんでしまうと、ロティは身をゆすぶって顔を輝かした。
 「あたちだんをのりこえるのうまくなってきたでしょ、ねえキザイア?」

チェーホフだって絶対にこんなの書けない。