20140123

 ……デモクリトスの自然哲学とエピクロスのそれを同一視するのは、古くから確立された偏見である。だから、エピクロスによるデモクリトスの自然哲学の変更は、たんに恣意的な気まぐれにすぎないと考えられている。一方、私はディテールに関して顕微鏡的な探求のようにみえるものに入りこんでいかざるをえない。しかし、まさにこの偏見が哲学のなかに隠蔽されているがゆえに、デモクリトスエピクロスの自然哲学のなかに、その相互依存性にもかかわらず、微細なディテールに及ぶような本質的差異を明証することは、いっそう重要となるだろう。非常に一般的な考察はその結果がディテールに適用されるとき妥当するかどうか疑わしいけれども、微細なものにおいて明証される差異は、関係がより大きな次元で考察されるとき、よりたやすく示されるのである。
マルクスエピクロスデモクリトスの自然哲学における差異』)



11時半起床。In Flagranti『Brash & Vulgar』。ストレッチ。腰痛が悪化していたのでじぶんで筋肉をもみほぐしたらそれだけでずいぶん楽になった。腰回りの緊張しているのがわかる。パンの耳を2枚食した。コーヒーは飲まずにかわりに牛乳を飲んだ。まったくもって物足りないが、いまは我慢のときである。胃痛はとりあえずのところおさまっているようにみえるが、少なくとも今日いちにちは食間に胃薬を服用しようと思った。胃の不調というのがストレスに由来するものであるのだとすれば、これ以上悪くなることはもうないはずだ。覚悟を決めたのだ。覚悟を決めるにいたるまでは長いが、いちど決まればどこまでも強固であるのがじぶんのパターンであることを当事者としてほかのだれよりも知っている。
昼の部:英語。14時から発音練習&音読。発音練習を終えて音読に切り替えてまもなく猛烈な眠気に見舞われたのでこれは駄目だとおもって布団にもぐりこんだ。コーヒーがないと駄目だ。ぜんぜん駄目。眼球の奥のほうでどんよりとわだかまっているものを追い払うことができない。それに加えて身体がだるかった。気も重かった。今週は身も心もぼろぼろだと思った。30分の仮眠のつもりだったが、これはきっと30分でおさまらないだろうと思った。そう思った時点で終わりだ。もうどうしようもない。心が折れてしまっているのだから。あらかじめおのれに保険をかけてしまっているのだから。こうなったら人間終わりだ。寝入りばなにまた激しく咳きこんで目が覚めた。横たわるその姿勢がまずいのか寝床のなかでは必然的に身体が温まってしまうそのためになのか、毎回まいかい入眠を阻害するものとしてこの激しい咳きこみがある。一本まるごと飲んでやろうかと一瞬考えもしたが、丸一日をパアにしてもかまわないと考えてしまうほど気分のくさくさしているわけでもない。だからといって30分できっぱり気分を変えることができたかといったら、それはもうさんざんな結果だったが。何度もめざましを止めるのをくりかえしたあげく、デスクの上に置いたままになっていた携帯のガタガタブルブル震える音で目が覚めた。(…)さんだった。もしもーしと出ると、おー寝てたかとあったので、いやだいじょうぶっす、ちょっと仮眠とっただけですと応じた。そうして時計を見やると19時ちょうどだったので、ちょっとじゃないなと思った。土曜日と日曜日両日ともに仕事を休むから、とまずあった。医者からすでに余命宣告を下されているお義父さんがとうとう亡くなったのかと思いそうたずねてみると、みんなやっぱそう思うんやなと変に受けてみせるのではてなと思っていると、いやじつをいうとお義父さんのお母さんが亡くなったんよというので、マジっすかとなった。「このタイミングで?」「うん、このタイミングで」。けれどそれは本題ではなかった。本題は来週月曜日に控えている新年会についてだった。本来なら土曜日に顔をあわせることになるはずだったからその場で計画をたてるつもりだったのがこの突然の不幸でそうもいかないわけになった、ついてはいまここで予定を決めてしまいたいのだがという話だった。「別にぼくはどこでもかまわんすけどね」「どっかええとこあるけ?」「いやぼくも(…)も酒飲まんしええとこいわれてもぜんぜん店しらんからそもそも」「なんかあいつ(…)んちでホモりましょやとかいうてたけど」「ホモるかどうかはしらんけどまあぼくの部屋でのんびりするんもありちゃうかとはいうとるんすけどね」「でも飯どっか食いにいかなあかんやろ」「ほんならやっぱ木屋町のあたり出ましょか」「でもおれちょっとおまえんち見てみたいっていうんもあるんよなー」「なんでまた」「いやいや伝説やん」「伝説っすよ」「やろ」「ほならどっかで飯食ってからぼくんとこでだべりましょか」「あのーすきま風とかだいじょうぶ?」「え?」「おれあのーむっちゃ寒がりやし暖房ないとかはほんとやめてほしいんやけど」「ありますあります」「でもこわれとんのやろどうせ?」「(…)が来日するまえにぜんぶ掃除して修理してやったからよお効きますって」「おまえの基準って一般人よりだいぶ甘いやん」「いやほんまに暖房はだいじょうぶ」「ほんま?」「ほんま。この部屋越してきてから室内で白い息見ることはほとんどなくなった」「ほら(笑)」「なんすか(笑)」「その基準ね(笑)」「まあまあ大事な基準すよ(笑)」「なんならおまえほとんどいうたしな。ほとんどいうことはちょいちょい白いの出てるってことやろ」「でも(…)もこの部屋おもてよりあったかいてよう言うてますよじっさい」「(…)くん、それふつうやからね」「いやいや知っとるけど」「部屋ってふつう外よりあったかいしね」「それがそうでもないんすよね京都って」「京都のせいにすんなや」「そんな物件ばっかすもん、ぼく当たったのこれまで」「(…)くん、(…)県人はなんでみんなあんまり働かんの?」「(…)のせいにすんなや」「(…)くくりちゃう?」「ぼくだけ」「おまえだけ」「あと、弟」「(…)家くくり?」「あと、(…)」「ほらやっぱり(…)県くくりやん」そういうアレで月曜日は結局串カツ屋かどっかに行ってそのあとわがアジトでだべるという大枠に落ち着いた。
買い物に出かけた。ぶつくさやった。それほど寒くない気がした。たしか今週末くらいから暖かくなるみたいな話をどこかで目にした記憶があるので、その先触れみたいなものかもしれないと思った。暖かくなるその週末がうまく晴れわたってくれたら、ひょっとするとあの春の先触れ特有のどことなくけむたい空気を吸い込むことができるかもしれない。あれほど甘美な瞬間はそうそうない。楽しみだ。帰宅してから玄米と納豆と冷や奴ともずくとインスタントのしじみのすまし汁と鶏胸肉とほうれん草とえのきを酒とこんぶだしと生姜と塩でタジン鍋した夕飯をかっ喰らった。食事をしながらウェブ巡回をし、その間ずっとStingの“Englishman In New York”をくりかえし聴いた。小学生のときに中古ゲーム屋で箱付き100円の破格で購入した「FEDA」というSRPGがあって、クソゲー覚悟で買ったわりにはぜんぜんおもしろくて全クリまでした記憶があるのだけど、このゲームのなかで“Englishman In New York”に似た楽曲が使われていた記憶がある。もっとも小学生当時のじぶんがStingなど知っていたわけないが。食後は音読の続きに取り組んだ。一時間ほどやったところで飽きがきたので風呂に入った。部屋にもどってRichard Youngs『Sapphie』を流しながらストレッチをした。いつ聴いても悲痛に澄みきった祈りのように美しいアルバムだ。これはたしか愛犬の死をきっかけに制作されたアルバムだったはず。一曲目に収録されている“Soon It Will Be Fire”とはつまるところそういうことなのかもしれない。音読にはいい加減あきあきしてきたのでさっさと次のテキストに移ろうかとも思ったが、たとえ現状どれだけ完璧な状態に仕上がっていようとも当初もうけた規定回数をこなさないとはすなわち敗北であるみたいな体育会系の非効率なマゾヒズム&ストイシズムがじぶんのなかにはインストールされてしまっているので飛ばすな飛ばすな落ち着いてやっていこうと興奮する馬をいなす手綱捌きでどうどうどうとやってみたび音読に取り組んだ。すべて終えると2時近かった。
鎮魂つながりでアンドレ・クリュイタンス指揮『フォーレ:レクイエム』を聴きながらここまでブログを書いた。咳止めばっかり飲んで胃薬を服用するのをすっかり忘れていたのだけれど今日いちにち問題なかったしコーヒー飲んでも大丈夫だろうと踏んで飲んでみたら胃のあたりに酒でも飲んだときのような熱のともる感じがあったのでやっぱりまだ駄目なのかとがっくりきた。
夜の部:作文。フォーレのレクイエムをくりかえし聴きながら「偶景」の書きなおしに着手した。前回にひきつづきむかしボツにした小説から引っ張ってきた部分を「偶景」使用に書きあらためるという、ある意味ではもっともしんどい作業に散漫な集中力で従事した。ほとんど完成されてある文章をとりあげてただそのトーンだけを別なるものに変換するというのは、推敲のなかでいちばんきつい作業のそのエッセンスを凝縮したようななかば苦行じみた営みであって、端的にいってしんどい。Michael BrookCobalt Blue』とむかしネットの片隅でひろった山塚アイのミックス音源を聴いた。そうして5時をまえにして寝た。あれだけたっぷりと昼寝したにもかかわらず楽勝の入眠だった。身体が急速を欲しまくっている。