とにかく、柴崎友香は「貧しさ」を肯定するというよりも前提条件として引き受けることによって、「貧しさ」を前提条件として生きている二十代三十代の人たちを書いた。「貧しさ」を書くために「貧しさ」を対象化する位置に自分が立ってしまったら、それは「貧しさ」に対する裏切りになるだろう。「貧しさ」とはそういう、世界観のようなものだ。
(保坂和志『小説、世界の奏でる音楽』 p.283)
私は「裏切り」という言葉をすでに二回使っている。そんな強い響きの言葉をどうして使うのかと思う読者もいるかもしれないが、小説家がある特定の人たちを小説に書くとき、自分とは別のタイプの人と思って書くかぎり取材対象(作中人物)に対する見切りや類型化が起こり、書かれた側は必ず「歪められた」と思う。
(保坂和志『小説、世界の奏でる音楽』 p.285)
朝方に目が覚めた。小便がしたいわけでも喉が渇いたわけでも暑くて寝苦しいわけでもなかった。あたまの下にエアコンのリモコンがあった。リモコンの液晶では南京錠のマークが点滅していた。ボタンを適当に押してみたのだが、反応はない。たぶん枕にしているあいだになんらかのボタンが押しっぱなしになってしまい、そのせいで一時的にロックがかかったとかなんとかそういうアレだろう。電池を抜いていれなおしたら元にもどった。二度寝には苦戦した。
8時15分にあらためて起床。トーストとヨーグルトとコーヒーの朝食。ケッタにのって外国語学院へ。教室は6階にあるのだが、5階にあるよその授業の教室前で女子学生からおはようと声をかけられた。二年生のB.Aさんだと思ったが、英語学科の学生らがいるとおぼしき教室の入り口に立って中にいる学生らと談笑しているその姿に確信がもてなかった。と、今度は階段をおりてくるO.Gさんから声をかけられた。「私のアイドル」の発表が今日であるのだが、どうやらPPTのデータをUSBメモリに入れてくるのを忘れたらしい。いまから寮にもどるというので了承。
教室へ。10時から二年生の日語会話(四)。「私のアイドル」第4回。前半で全員の発表が終わる。後半で期末試験について説明。遅れてやってきたO.Gさんの発表がすんだところで、あまった時間を利用して作文ゲーム。NGワードをひとつだけ設定したうえで(学生らには秘密にする)、「今日は暑いです」と板書。それに「だから」で続く文章を1グループにつき一文ずつ言わせていくという趣向。で、これがやたらと盛りあがった。こちらが用意したNGワードは「自殺」だったのだが、板書のスペースがもうなくなるというぎりぎりのところで、O.Gさんが「だから自殺しました」と完璧なかたちで締めてくれた。R.Kさんがもう1ゲームしたいというので、「自殺しました」からはじまるかたちで再度開始すると、アニメが大好きで趣味がコスプレのR.KさんとR.Gさんがすぐに「だから転生しました! だから転生しました!」と声をあげた。学生らはよほどこのゲームがおもしろかったらしく、黒板の写真を撮ってのちほどこぞってモーメンツに投稿していた。以下、C.Sくんが投稿していた写真。学生らはこの「物語」について「抽象艺术」とコメントしていた。
(…)
(…)
授業前だったか休憩時間中だったか忘れたが、四年生のC.Sくんが教室にやってきた。卒論関係のことで外国語学院に立ち寄る必要があったのだという。C.Sくんは妙な髪型をしていた。ヤン毛(死語)をやたらと伸ばしていたのだ。先生今日はみんなで卒業写真を撮るから来てねというので、きのうRさんから連絡があったよと受ける。クラスメイトはみんな来るのかなとたずねると、だいたい来ると思う、男子学生は全員そろっていると思うというので、去年とはえらい違いやなと思った。
授業を終えて教室を出る。階段でまたK先生とばったり出くわした。午後は用事があるので集合写真撮影には参加できないという。学生らの就職状況はどうなのかとたずねると、卒論を担当している中ではC.Kさんが深圳かどこかでいちおう仕事をしているが、本人はもうやめたいと言っているとのこと。
ケッタにのって后街にむかう。道中、三年生のS.Sくんを見かける。これから美容室で散髪する予定だという。快递で荷物を回収する。快递には一年生1班のR.Kくんが先客としていた。回収したのは先日淘宝でポチったオーバーサイズの辛子色のTシャツ。夏はここ数年イージーパンツとオーバーサイズのTシャツばかり着ている気がする。とにかく楽なのだ。日本にいたときは柄シャツをよく着ていたが、マックス40度に達する暑さのなかで生活するとなると、おのずといでたちがカオサン通りにたむろするバックパッカーみたいになってしまう。しゃあない。Jで食パンを三袋(パッケージは元にもどっていた)、セブンイレブンのカレーとぶどうジュースを購入した。
帰宅。メシ喰うないや喰う。30分ほど昼寝する。覚めたところでまた2048ドロップパズルを小一時間ほどプレイしてしまう。ハイスコア13194を記録! おれがナンバーワンや! かかってこい!
きのうづけの記事の続きを途中まで書く。16時前になったところで寮を出る。徒歩で図書館前へむかう。先着している四年生らが「せんせー!」と迎えてくれる。S先生もC.N先生もいる。写作の授業でかつて書かせた「将来の自分への手紙」をひとりずつ渡す。不在はC.Sさん(日本留学中)、S.Iさん(三年時に他学院に転籍)、C.Uさん(仕事の都合で来れず)、K.Gさん(理由不明)。C.UさんとK.Gさんの分はルームメイトに渡しておいた。C.Iさんから花束を、G.Tさんからコーラを渡される。例年どおり女子学生らはバッチリメイクしている子が多い。S.Sさんはわりと生地のしっかりした旗袍を着ていたし、東北組のR.GさんとR.Uさんのふたりにいたっては、集合写真撮影後、あれはたぶんどこかでお色直しをしてきたということだと思うのだが、え? いまから船上パーティーにでも参加すんのけ? みたいな、体のラインにぴったり沿ったゴージャスなドレスを身につけてあらわれたのだった。
最高気温は30度。とにかく暑い。学生らは例年どおりコスプレ感の半端ない、死ぬほど安っぽい生地のアカデミックドレスを私服の上に着用した。集合写真の撮影がはじまる。まずは教師も含めた集合写真。その後、学生らだけで撮影。一枚目はふつうに、二枚目はアカデミックドレスとセットになった帽子を手にした状態で、三枚目は毕业快乐! のかけ声にあわせてその帽子を宙に投げたところを撮影。
その後は個人撮影。最近読み返した一年前の記事では、集合写真の撮影がすんだとたんにとっとと帰ってしまう学生がいてびっくりしたとか、こちらを含む教員全員がだれもその後の写真撮影を頼まれなかったとか、そういう殺伐とした空気が記録されていたわけだが、今年の学生は当然そんなふうではなかった。たぶんほぼ全員と写真を撮ったと思う。ゼロコロナ政策まっただなか、(…)におよそ二年ぶりにもどってきた当時二年生後期だった学生たちであるから、付き合いもいちおうそれ相応にあるわけだし、授業外で出歩いたり飲み食いしたりする機会もわりと多い子らだった。もとめられるがままにあちこちで写真撮影したわけだが、その際にだれとどういう順番でどんな会話を交わしたか、さすがにそこまではおぼえていないので、学籍番号順に学生の名前をチェックしていき、以下、思い出すままに記録しておくことにする。
C.Iさん、G.Tさん、B.Sさん、S.Eさん、R.Eさん、R.Mさん、R.Sさんら、おなじ寮の部屋の学生らとはそろって撮影。彼女らはうちの寮に餃子を作りにきたことが二度か三度あるし、C.IさんとR.Mさんのふたりに関してはこれまで何度いっしょに散歩したりメシを食ったりしたかわからない。ふたりからは今日も食事に誘われていたのだが、R.Mさんが体育の試験を受けなければならないというので、結局流れてしまった(しかしそのうちまた連絡があるのではないか?)。ふたりとも卒業後の予定は未定。R.Sさんは今年の10月だったかに日本にふたたび渡るという。友人のTさんが日本在住らしく、そのツテをたどって日本で就職するつもりだというので、おー! と思った。彼女はB.SさんやR.Mさんとはちがってインターンシップもけっこう楽しんでいたのかもしれない。最近中国からの移民も多いもんねと軽く探りをいれるように口にしてみると、そうそう! という返事があったので、あ、VPN使ってるのかな? と思った(一般的な学生らは中国から日本への移民が増えているという話をしてもみんなきょとんとした顔をする)。C.IさんとR.Mさんとはのちほどあらためて三人で写真を撮った。「いつもの三人」の写真。
T.Yくん、S.Rくん、S.Sくん、R.Kくん、M.Kくん、K.Eくん、G.Kくん、C.Uくん、C.Sくん、K.Hくん、K.Uくんら男子学生らと合同撮影した際にはみんなで中指をおったてた。なかには二年先輩のT.Zくん(名簿が残っていないので漢字不明)もいた。卒業前に軍隊に行ったので、二年遅れでの卒業式参加というわけだ。彼はゲイであるという噂があったし、期末テストの作文問題にもそのようなことをかつて書いて寄越したことがあったわけだが、そのためかおなじくゲイである(といってもそうカムアウトされたわけではないが)K.Uくんと親しそうにしていた。T.Yくんは地元の役場で福祉関係の仕事に就くかもしれないという。S.RくんとC.Sくんはこれから仕事を探すが、996は嫌だ、働きたくない、学生のほうがずっといいと始終口にしていた。C.Sくんはいちおういま故郷の温州にある靴を製造する会社で働いているらしく、職場には日本人もいて日本語を使う機会も多いというのだが、そこは辞めるつもりでいるとのこと。S.Sくんは卒業後も万达の車屋で働きつづける。G.Kくんは浪人してもう一度院試に挑戦する。
S.Sさんと写真を撮ったかどうかはよくおぼえていない。最後の最後で、R.KさんとF.Eさんと写真を撮って立ち話をしたのだが、あのときにもしかしたらいっしょにいたかもしれない。R.Kさんは卒業後の予定は不明。F.Eさんはショートヘアになっていた。もともとはかなりのロングヘアだったのに少年みたいになっていて、S.SさんみたいでかっこいいとR.Kさんがいうので、たしかに! と思った(と同時に、F.Eさんも同性愛者だったのかなと思った)。F.Eさんも卒業後の予定は未定。しかしT.Sさんが(…)大学に進学するという話をきいてちょっと興味を抱いているふうだった。
R.GさんとC.Kさんともうひとり、たぶんS.Sさんだったと思うが、そのメンツでも写真を撮った。R.Gさんは(…)が故郷のガチガチオタク少女。卒業後の予定は未定だというので、宅女なんだから夏のあいだは暑いしうちでゆっくりゲームしてなさいというと、みんな笑った。C.KさんはK先生の話にあったとおりいまの仕事は辞めたいと考えている。S.Sさんは(去年は日本でのインターンシップに参加していた関係上受験しなかったと思うのだが)今年院試を考えているとのこと。われわれの写真を撮ってくれたのはG.Eさんだったが、ほかの学生があんたも先生と撮る? とたずねるのに対し、我不用と返事してみせるものだから、ひそかに傷ついた。いや、きみとぼく、授業外の交流こそ数えるほどしかなかったけれども、けっこう踏みこんだ政治の話をしたこともあるし、こちらのしたためてきた歴代「卒業生への手紙」を読みたいとわざわざ連絡をよこしてきたこともあるし、価値観というか三观というか、そういう面でいえばある意味もっとも近いところにいた学生であるのに——と思ったところで、あ、そっか、写真とかそういうのを好まないタイプなんだなと合点がいた。しかしのちほど、あれはたぶんM.Kくんだと思うが、ふたりで写真を撮っているところを遠目に見つけてしまい、おい! どういうことやねん! おれを地味に傷つけるな! と思ったし、それでいえばG.Eさんは以前クラスメイトのK.Hくんと付き合っていたのだが破局(そのK.Hくんは今日別の彼女を連れてきていた)、にもかかわらずまたしてもクラスメイトであるM.Kくんといい感じだったの? マジで? とびっくりしたのだった。あと、今年の四年生は全員院試に失敗したという話をきいていたのだが、法学に専攻を変更したG.Eさんは合格したらしい。しかも天津大学だという。たいしたもんだ。彼女がこちらのしたためてきた手紙を読みたいと連絡をよこしたのは専攻を変更するかいなか迷っているタイミングだったはず。最近いろいろ思うところがある、考えたいことがある、だから先生の文章をもう一度読んでみたくなったのだと、授業で一度だけ紹介したことのある「卒業生への手紙(2019年)」のデータを送ってほしいというお願いに続けてその理由を語ってみせた——それなのに! なぜ! 写真を拒否するのか! おれは! そのあたりのことについてもろもろ傷つきやすいお年頃! アラフォー! きみらのお父さんお母さんの年代ってことはわかっとる! わかっとるがしかし! なんていうかこう! せめてあと一年か二年は年上のお兄さんでいさせてくれませんか!? 無理ですか!? いや、わかっとんねん! こういう考え方のおっさんがいちばん気色悪いタイプのおっさんやねん! このままやとワシの四十代は相当キショいことになってまう! 下級の動物霊になってまう! そうなる前にどうか鬼の手で南無大慈大悲救苦救難してくれろ!
追試の連絡を送ったにもかかわらず返信をよこさなかったK.Kさんも撮影の場にはいた。しかしいっしょに写真を撮ってはいないと思う。S.Jさんはどうだったか? R.GさんとR.Uさんとは三人で一緒に撮ったし、ほかの先生も交えたバーションでも一緒に撮った。R.Uさんはこちらより身長が高い。並んで立ったときそう指摘すると、わざわざひざを折ったうえで、撮影担当の学生にたいして、ひざから上だけを撮影してくれみたいなことを言った。T.Sさんとは写真も撮ったしたくさんしゃべりもした。というか彼女はCanonのけっこういいデジカメをもっており、それでみんなに頼まれるがままいろいろ写真を撮っていた。しかし集合写真の撮影前、先着していたこちらのもとにR.GさんとR.Uさんといっしょにやってくるなり、「Mせんせー!」とこちらを呼んだのはマイナス一億点。だれがM先生だ! と言い返すと、そばにいたR.GさんとR.Uさんのふたりは爆笑し、T.Sさんはこちらのもとから走って逃げたのだった。彼女も10月から日本だ。いまはとても緊張しているという。(…)はなぜかいま外国人観光客からとても人気があるらしいよ、だから中国語を使ったアルバイトの機会もけっこうあるかもしれない、がんばりなとはげます。S.Rさんと写真を撮ったかどうかはおぼえていない。R.Sさんとはツーショットで撮った。撮影中のわれわれのようすをながめていたC.Iさんをはじめとする女子学生がひやかすような表情を浮かべるのに、R.Sさんがこちらのことを憎からず思っているといううわさはずっと以前小耳にはさんだことがあるわけだが、なるほどねと思った。R.Sさんはめちゃくちゃ勉強熱心であり、質問の微信もたびたびこちらに送って寄越したし、クラスメイトらも彼女は大学院に合格するだろうとみんな思っているふうだったが失敗、卒業後は仕事を探すつもりであるとのこと。となりにならんでみてあらためて思ったのだが、めちゃくちゃ背が低い、たぶん150センチないのではないか。
ひととおり撮影がすんだところで、卒業おめでとうございますのあいさつをしてその場を去った。写真についてはどうせ学生らが明日口頭試問が終わったタイミングで続々モーメンツに投稿するだろうからそれをダウンロードすればいいし、「卒業生への手紙(2024年)」もこの週末タイミングをうかがいつつグループチャットに放流すればいいだろう。花束とコーラだけいったん寮の駐輪場においておき、第五食堂で打包。
帰宅後、メシ喰うないや喰う。三年生のR.KくんとK.Iくんからそれぞれ口語実践演習のために用意した文章を添削してほしいとたのまれたが、これについては忙しいのでもう少しあとにしてくれと返信。S.Sさんからは四級試験の過去問について質問があったが、今回は四択問題ではない、長文読解問題であったがこれがまたしても傻逼题目で、なんやこれ! どうとでも答えることができるやんけ! みたいなクソ以下のアレだった。
チェンマイのシャワーを浴びる。きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読みかえす。そのいきおいで今日づけの記事も一気にここまで書くと、時刻は23時だった。うちの大学は田舎にあるので学生は卒業後ほぼ全員が都市部に越してしまう。つまり、卒業後に再会する機会というのがほぼ存在しないわけで、今日が今生の別れとなる面々が大多数を占めている。そのことを認識しているのだが、別れの場面ではあえてそういう仰々しいあいさつはしない。そういうあいさつをすると本当にそうなってしまうから——みたいな感傷的な理由ではなく、単純に仰々しいあいさつをするのが好きではないから、先に述べた感傷的な理由を内に秘めているからこそあのようにいつもどおりに先生はふるまっているのであるなァと学生のほうで勝手に誤読してくれることを願いつつ、いつもどおりの「じゃあね! バイバーイ!」ですませるのだ。
(…)
そういえば、ひとつ書き忘れていたのだが、「私のアイドル」でT.Uさんが韓国語の先生を紹介した、でその韓国語の先生がうわさ以上の金持ちだったのでびっくりしたのだった。旦那さんが(…)の責任者だったか設計者だったかであるという話は以前C.Rくんから聞いたことがあるが、T.Uさんが見せてくれた写真のなかには、リビングの床という床がブランドもののバッグで埋まっているものがあったり、宝石屋かというくらい大量のゴールドや真珠のアクセサリーが陳列されていたりするものがあったりして、それらは当然彼女が韓国語の先生にたのんで送ってもらったものであるのだけど、いや典型的な中国の成金やなという印象。韓国語の先生曰く、ゴールドのアクセサリーを身につけるときは見せびらかすようにするのではなくひかえめにしたほうがいいとのことで、それについてはうなずけるところがおおいにあるわけだが(といってもこちらはゴールドなどまったく持っていないわけだが!)、ブランドもののバッグをリビングいっぱいにならべるそのような写真の撮り方はまったくもってひかえめでもなく端的に下品で、そういうのにこちらはちょっと引いてしまう、しかし学生らはみんな無邪気におおーと歓声をあげる(金銭こそが正義の国の反応だ)。海外旅行にもしょっちゅう出かけているようで、台湾や日本やイギリスなどを訪問したときに撮った写真にくわえてドバイで撮影したものまで紹介されて、おいおいマジかという感じ。ひょっとしたら常徳でいちばん金持ちなんちゃうか? いや、さすがにそれはいいすぎか。